桜霞
2022-10-01 16:52:44
27570文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

何処まで逃げても掌の上

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/06/20にpixivに投稿したものの再掲です。







 ある日、モストロ・ラウンジの休業日。
 バックヤードには、フライパンや鍋を始めとした様々な調理器具や食材が散乱していた。たくさんの皿に盛り付けられた料理はどれもこれも彩り豊かで美味しそうだ。
 しかし、これらを作ったアズールとリーチ兄弟は揃って難しい顔をしていた。
「ン〜〜〜〜………………ビミョウ」
「ですねぇ」
…………
 傍から見ても苛立っていることが分かるほど、アズールが長く息をつく。フロイドはもぐもぐと口を動かしながら移動し、バックヤードから出て行った。かと思えば、白ワインの瓶を片手に戻ってくる。
 手際良く三人分のグラスにワインを注ぐと、フロイドは一息に中味を煽った。
「ッハァ、ビミョーーに合わねえ、クソじゃん」
「どうも何か足りませんね……
 試作した料理は、どれも不味くない。寧ろ美味に仕上がっている。このままメニューに追加することもできるだろう。
 しかし、それは経営者たるアズールの矜恃が許さなかった。
「リンさんの手料理に近い味を再現するのに、ここまで難航するとは……正直、予想外ですね」
「おそらく、調味料が鍵になっていることは間違いないんでしょうが……
 リンの作る料理は複雑な行程を必要としないものが多かった。材料を切って、煮たり、焼いたり、蒸したりする。その過程で味付けを少々。だがその味付けが分からない。
 アズール達は揃ってため息をついた。
「どうしたものか……
「もー、直接聞いちゃおうよ」
 料理台に頬杖をつき、グラスをくるくると弄んでいたフロイドが投げやりに言った。アズールは悔しそうに喉の奥で唸ると、「せめてユウさんに聞きましょう」と言葉を絞り出した。
「どうやら彼女は積極的にリンさんを手伝っているようですし、キッチンでの様子から見ても、料理には慣れていらっしゃる。きっと調味料のことを知っているはずです」
「リンさんより手強くないとはいえ、最近のユウさんは一筋縄では行きませんよ」
「彼女もラウンジの一員です。店の売り上げのために貢献して頂かなければ」
……
……
 リーチ兄弟は互いに目配せすると、にぃ、と口の端を吊り上げた。
「かしこまりました」
「りょぉかーい」
「頼みましたよ、二人とも」
 アズールは依然、険しい顔を崩さなかった。





 ◆




 マジカルシフト部の部活帰り、ラギーはとあるものを見つけて「おっ」と表情を綻ばせた。
 何やら重そうな木箱を抱えたリンである。がちゃがちゃ音が聞こえるところを見ると、どうやら何かの買い出しらしかった。
「レオナさん、今日はオレ、外で食べて来るっス!」
「奇遇だな、俺もだ」
「シシッ、あんたならそう言うと思ったっス」
 ラギーは部活後の疲労を全く感じさせないフォームで「リンさーん!!」と駆け出した。
「ん?」
「ゴチになりまーす!!」
 ズサーッ、と砂煙を上げながら急停止したラギーは器用に頭を下げていた。リンはレオナが悠々とこちらに移動してくるのも見留めて、からからと笑った。
「全くお前たちは図々しいねぇ」
「いやぁ、それほどでもねえっスよ!」
「褒めてねえんだよなぁ〜〜〜! ユウなんかこの間『今度は私がリンさんにご馳走しますね!』って言ってくれたんだよ!?」
「はー、涙が出るほど健気っスねえ」
「ちったァ見習え! 、あっ」
 リンの抱えていた木箱がふわりと浮いた。遠くでレオナがマジカルペンを操っている。「オーライ!」とラギーが構えると、すとん、その腕の中に木箱が収まった。
「じゃ、これ運ぶんで!」
「押し売りかよ〜〜〜」
 ラギーはすったかたーと真っ直ぐオンボロ寮へ向かって行った。この光景も見慣れたもんだな、とリンは少し遠い目になった。
「ま、別にいいけど」
「言ったな?」
「───今回は、って意味ですゥ」
 背後から不意にぬっと現れて耳元で睨みを利かせるのやめて頂けないかしら、とリンはやんわりレオナから距離を取った。いつの間にか距離が詰められているので、まったく油断ならない。
 レオナはにやにやと意地悪い笑みを浮かべて、リンの後に続いた。
「あ、そう、あんた、煙突掃除って出来る?」
……この俺に業者の真似事をしろって?」
「働かざる者食うべからずよ。ユウに言って出禁にしてもらってもいいんだからね」
……
 結局、レオナは舌を打って仕方がないというようにぼりぼりと頭をかいた。了承と受け取ったリンは、「ありがとね」と表情を綻ばせた。
「素人にはやっぱり難しくてね。私の国には暖炉なんて無かったし」
「は? 冬はどうすんだ」
「炬燵っていうブラックホールを使うのよ」
「コタツ」
「あんたたぶん丸くなって出てこなくなると思う」
 猫は炬燵で丸くなるから、とは流石のリンも口には出さなかった。レオナは「ブラックホール……?」と疑問符を頭上に浮かべていた。
「それにしても、あんたほんとになんでもできるのね。この間もクローゼットの建付け直してくれたし……助かるわ」
………………ふん……
 レオナはそっぽを向いた。

 ───掃除なんて、魔法を使えば誰だってできる

 勿論、掃除に関する魔法のプロフェッショナルはいるが、やろうと思えば誰だって極められる。レオナは元々素質のある魔法士だし、この程度で感心されたところで嬉しくない。寧ろ嫌味だ。

 ───ただ……

 そう、ただ、己が魔法を使って「助かるわ」と言われることが物珍しいから、ちょっと調子が狂うだけで。
 魔法士にとって魔法を使って掃除をすることは、リン達が掃除機を使って掃除をすることと大差無い。

 ───たかがそれくらいのことで褒められて悪い気はしないって、餓鬼かよ

 レオナはそう、内心で吐き捨てているのを露とも知らず、リンはオンボロ寮の玄関先で一休みしていたラギーに「お疲れさん」と声をかけた。
「これぐらい朝飯前っスよ! ところでリンさん、これなんスか? 酒?」
「違う違う、調味料よ」
 言いながら、リンはがちゃがちゃとドアを開けた。先に荷物を持ったラギーを通し、最後に入ったレオナが魔法で鍵を閉める。レオナはそのまま談話室に入って行った。
「レオナさん、今日はどこ掃除するんスか?」
「煙突」
「マジィ!? すげーっスね……
 ラギーはどこかおそろしいものを見るような目でリンを見た。世界広しと言えど一国の第二王子に煙突掃除をさせるなんてリンぐらいのものだろう。
 リンは二階のキッチンエリアにラギーを招き入れると、調理台の下の収納スペースに買ってきたものを移していった。
……『業務用』……
 まじまじとボトルを見つめたラギーが呟く。
「そう、今までは一般家庭用のものを取り寄せてもらってたんだけど」
 おかげで随分と費用が嵩んでいた。リンは空になった木箱に、今度は空き瓶などを放り込んだ。
「今回、私達とは別にこの系統の調味料を欲しがった人達が居るらしくて。私たちの分もついでに仕入れてくれたんだって。その方がサムさんもコストを抑えられるし、私達のお財布にも優しいし」
 いやまったく有難いねェというリンに、ラギーは「ふぅん」と相槌を打った。
……確か、リンさん達がわざわざ取り寄せてるこれって、極東の調味料でしたっけ」
「そうよ。故郷の味とそっくりなの」
 やっぱり生まれ故郷の食文化は特別よねえとリンはしみじみ言いながら調理器具を用意し、食材を冷蔵庫から取り出した。
……リンさん、学園の食堂にシェフとして雇われたんスか?」
「え? なんで?」
 リンはきょとんとして手を止めた。丸くなった目は心底意外そうで、ラギーは「や、食堂にリンさんとこの料理が並ぶのかなーって」とぼそぼそ言った。
「だって、業務用の調味料をわざわざ取り寄せるなんて、食堂か、後はモストロ・ラウンジしか考えられないじゃないっスか。サムさんはなんて言ってたんスか?」
「さあ……『とある筋が欲しがった』って言ってたけど」
「とある筋、ねぇ……
 九割モストロ・ラウンジだな、とラギーは確信した。
 食堂からの受注は即ち学園からの受注と同義である。サムは顧客のプライベートを大事にする主義だが、公共機関の取引相手がいることは隠さないタイプだ。公共機関が有名であればあるほど、それだけで店の広告宣伝に使えるからである。
…………リンさん」
「なによ」
 リンは、温めた豆腐を手際よく揚げた。じゅわりという音が食欲を刺激する。
「もしかして、モストロで働くとか」
「まっさかァ」
「っスよねー!」
 吐き捨てるように言ったリンに、ラギーは表情を明るくさせた。
「じゃあアズールくんたちがリンさんの料理をメニューに追加しようとしてるとかっスかねえ……?」
「あんた達の財布が狙われてんじゃない?」
 サバナクロー寮生の胃袋がオンボロ寮に住んでいる異世界人にがっちり掴まれた話は、そこそこ有名だった。
「それこそまっさかァっスよ! ……いや有り得るな……
 ころころ表情を変えるラギーに、リンはくつくつと喉を鳴らした。
 その手は菜箸を持ち、鍋の中味を掻き混ぜていた。水に薄口醤油と砂糖、出汁、水溶き片栗粉を入れたものだ。とろりとしたそれを揚げ豆腐にかけると、とでも美味しいし、冷めにくい。あらかじめ切っておいた葱も散らすとなお良し。
……
 かぐわしい出汁の匂いに、ラギーは黙ってテーブルセットを始めた。もう何度も食事をご馳走になっているので、手馴れたものだ。
 煙突掃除を終わらせてダイニングにやってきたレオナは、何度か鼻を鳴らすや否や「酒」と言い放った。間髪入れずに「てめーが出しな」とリンが返す。
「グリム!! 起きといで!! ご飯だよ!!」
 どこからか「ふな゛っ」という悲鳴のようなものが聞こえたかと思うと、瞬き一つで黒い毛玉が転がり込んできた。
「もう一品つけろ」
 レオナはマジカルペンで空間に円を描くと、その中央に躊躇わず腕をつっこんだ。円の向こうは別次元なので、レオナの腕が消えたように見える。
 何やらごそごそ漁っていたレオナは、やがて酒瓶をひとつ取り出した。ラベルには「GUINNESS」と書かれている。つまるところビールだ。
「レオナさんは決まって酒っスねぇ」
「合うからな」
「合うのよね〜!」
 リンは上機嫌に、並行して作っていた吸い物をラギーとグリム用に注いだ。あとは白飯と、作り置きしておいた小鉢が幾つか。インゲンの胡麻和えとキュウリの酢の物である。
 これじゃ足りんな、とリンは豚肉でチーズを巻いて醤油と砂糖で炒める事にした。
「オレはどっちかっつーと胃に優しいって印象っスけど……
「確かに、ウチの料理はヘルシーで世界的に有名だったかしらね」
「ところで、草食動物はどうした」
「ユウ? 今日は土曜日だから、モストロで終日バイトよ」
「え゛っ、マジっスか!?」
「今度は何をやらかしたんだ」
「何もやらかしてないわよ、ちゃんとした雇用契約に則ってお金稼いでんの!」
「おかげでオレ様ひとりで課題をするハメになったんだゾ!」
 グリムがぷんすか肩を怒らせる。リンは苦笑した。グリムはひとりでと言ったが、正確にはリンがユウのノートや教科書と睨めっこしながら半分以上手伝ったのだ。
「あんた達は終日部活か。学生だねェ」
「いや、オレ達は部活っスけど、ユウくん、マジでバイト始めたんスね……
 ラギーの言葉に、リンは瞬いた。
「あら、福利厚生は大丈夫〜っていつだったかに言ってたのあんたじゃない」
「それはそうっスけど……
「『自分のことは自分で! あとリンさんにも自分の力でお礼したいので!』って、そりゃもう健気にさあ。感動するやら情けないやらで泣いちゃいそう」
 よよよ、と言いつつ、リンは手際よく作業を進めて味を見た。どうやら合格らしく、戸棚から次々と器を取り出し始める。
 ラギーは少しだけ喉の奥で唸って、ようやく言葉を選びきった。
「そのー……いじめられたり、後つけられてなんかされたりしてねぇっスか? それを解決するのに対価を寄越せ〜っていろいろ強請ってきそうじゃねぇっスか、アズールくんたち」
 ラギーが器に盛られた食材をテーブルに並べながら言う。リンは呆れながら腰掛けた。
「あんたがアズール達の事をどう思ってるかはよく分かったけど、大丈夫よ」
 レオナがマジカルペンでこん、こん、と自分とリンのグラスを小突く。あっという間に冷えたグラスにラギーがギネスを注いだ。
「ユウは自分の実力でそういうのを黙らせたらしいし、平日はアズール達がかわりばんこに送ってくれるから」
「え、」
……
 ラギーは瞠目して固まり、レオナはまじまじとリンを見やった。微妙な空気をものともせず、グリムが「いっただっきまーす!」とフォークを揚げ豆腐に突き立てる。
「今日は私が迎えに行くんだけど」
……
……
 ラギーとレオナは思わず顔を見合わせた。アズール達がわざわざタダでそんなことをするとは思えない、と二人の顔が物語っている。
……リンさん、なんか弱味とか握られてねえっスか? 困ったこととか押し売りとか……
「悪徳セールスでも始めたのか」
「いや信用度低すぎか?」
 リンは冷めないうちに食べなよと二人を促しながら、自分も箸を持った。
「別に、送ってくれたついでに賄いみたいなものをご馳走してるだけだよ。あんた達と同じ、私達に何かしてくれたらこっちがしてあげるお礼」
「───」
 レオナはそれでも訝しげに眉を寄せたが、ラギーはアズールの狙う所を、ぴしゃーん!! という落雷の音と共に正しく把握した。(※幻聴)
…………お前、それで財布は大丈夫なのか?」
「勿論。投資にしたら安いもんよ」
……ん?」
……へ?」
 リンはにっこりと、それはもう綺麗に笑ってビールを煽り、揚げ豆腐を幸せそうに頬張った。





 ◆





 ユウから極東の伝統的な調味料なる「ショーユ」や「ミリン」「ミソ」そして「ダシ」の情報を入手したアズール達は、早速サムのミステリーショップにサンプルを発注した。輸送費などのせいか、思ったよりも単価が高かったが、完成した試食品達がそんなことを吹き飛ばしてくれた。
「ダシ、ヤベーッ!! ウマッ!! 水と混ぜるだけで美味いじゃん!!」
「えぇ、砂糖や塩コショウなど、既存の調味料との相性も抜群です」
「これは素晴らしい!! すぐに商品化しましょう!!」
 全力でリンを手中に引き込むよりも、もっとずっと低コストで、且つ大きな利益を得られる発見に、アズール達は舞い上がった。
「え、でもこれめっちゃ稼げるけどさ、小エビちゃんとかが文句言ってきたらどーするよ。マージン寄越せとか」
 フロイドがはた、と我に返ったかのように言った。それをアズールは鼻で笑って「問題ありません」と突っぱねた。
「たとえそんなことを言われたとしてもこれで得られる利益に比べればはした金。それに僕らは正当に得た報酬、或いはご好意を自分達の経営に活かしているだけ。そもそもが郷土料理に類するもの、我がラウンジで極東の珍しい品々として取り上げることになんの問題が?」
 それに、とアズールは意地悪い顔で続けた。
「上手くやれ、とかつて仰ったのはリンさんの方。それに、ご自分が損をしないのであれば、文句を言うような方では無いのは重々承知しています」

 ───寧ろ外でも郷土料理を食べることができるようになることは彼女らにとって歓迎すべきことなのでは?

 立板に水のようなアズールのプレゼンを聞いたリーチ兄弟は、なるほど確かに、と納得した。
 特にフロイドは、なんだかんだユウも歓迎するだろうなと思った。
 アズールと正式な雇用契約を結んでいるスタッフは社員割として三十パーセントの割引券が貰えるのだ。ちなみにオクタヴィネル寮生のスタッフは五十パーセントの割引券と、毎日がポイント二倍デーという仕組みになっている。
 上手く使えば、月に一度くらいはモストロで外食も楽しめるかもしれない。それが故郷の味なら、尚のこと良いだろう。
 いつも小難しい顔をしている小エビは、リンのことを話すときだけ表情が素直になる。纏う空気も明るくなるし、得意げにふわふわ笑う小エビを見ていると、こちらまでつられてふわふわしてしまう。フロイドはそれを気に入っていた。
 ジェイドとフロイドがアズールのことを、アズールがジェイドとフロイドのことを話す時によく似た雰囲気になっていることにすぐに気付いたからだ。

 ───あのふわふわがずっと見られるのは悪くないかも。

 リンが喜ぶことなら、ユウはできるだけそれをやり遂げようとするだろう。そしてリンが嬉しそうにしたら、我が事のように喜ぶに違いない。
 そこまで思いついて、フロイドは「あ」と声を上げた。
「なんです? フロイド」
「思ったんだけどさぁ、それなら酒も取り寄せようよ。極東の酒なら合うんじゃね? この辺りじゃ極東の酒なんて扱わねえから、イシダイ先生とか来てくれるようになるかもよ」
「ふむ」
 モストロ・ラウンジは月に二回ほど、バーとしてひっそりとオープンしていることがある。出身国で成人と認められた学生と教職員のみが利用可能で、ごく稀にクルーウェルやトレインも訪れていた。
 しかし彼らは既に馴染みの店を持っている。モストロ・ラウンジを利用するのは宿直の日にどうしても飲みたくなったときだけだ。クルーウェルなどは「缶ビールを買う方が幾らかマシだな」とはっきり言うこともあった。
「それに、新人ちゃんも酒好きじゃん。通ってくれるようになるかもよ?」
…………
 フロイドの言葉に、アズールはにやりと笑った。
 リンがモストロ・ラウンジに通うようになるというとは、アズールのテリトリーを何度も訪れるということになる。
 いずれリンを引き抜きたいアズールにとって、交渉相手が何度も足繁く己の元を訪れることはまたとない好機であった。
 何より、リンの目の前で信用や信頼に繋がる言葉や態度を積み重ねられるのだ。
 おそらくリンは、多くの教職員と同じように「学生が同じ学生を相手に運営している店だから」という理由で積極的にモストロ・ラウンジを訪れない。しかし、そんなリンと他の教職員とで違うことがあるとすれば、「モストロ・ラウンジに代わる店を知らない」という点である。

 ───金を払うという手間だけで故郷の食文化を楽しめるなら、食いつくに違いない。

 家事は何かと面倒だ。リンとてたまには手を抜きたいはず。

 そして折を見て、モストロ・ラウンジと雇用契約を結べばもっとお得に、そして手軽に外食を楽しめるという餌をチラつかせれば───

 アズールは、サムのミステリーショップに極東の酒類を幾つか仕入れてもらうよう、頼むことを決めた。





 ◆





 学生に限らず、何かしら投資を求める場合、経営者は全くの赤の他人に「この人達は応援してあげたい」と思わせなければならない。
 そのためには健気さであったり、異端さであったり、目に見える努力であったり、様々な要素が必要だ。
 アズールには、モストロ・ラウンジを「一介の学生が運営する一喫茶店」で終わらせるつもりは毛頭無かった。
 同世代の馬鹿にするような視線の次は、大人達の、児戯を見守るような生温い眼差しである。

 ───この僕を、そこらの学生と一緒にされてはたまらない。

 だからアズールは、まず確実に捕食できるだろう相手に素早く狙いを定めたのだ。


 からんからん、と来客を告げる鐘が鳴る。
 時刻は午後十時。閉店後間も無いモストロ・ラウンジに、「お疲れさん」と覇気の無い声を出しながらリンが訪れた。ユウを迎えにやって来たのだ。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
「客じゃ無いって。ユウは?」
「今日は少し長引きまして」
 アズールが恭しく頭を垂れる。リンはよせよせと手を振って、いつものようにカウンターの一席を陣取った。グラスやシルバーを片付けていたジェイドがすぐに水を用意する。
「団体の客でもあった?」
「えぇ、二件ほど」
「そいつぁ大変だったね。お疲れさん……いいって言ってるのに」
 差し出されたグラスに、リンは苦笑した。
 しかし、用意してしまったものは仕方ない。受け取って、リンはグラスに口をつけた。
「あ、リンさん!」
「おう、ユウ、お疲れさん」
「ありがとうございます!」
 バイトの制服から着替え終わったユウがバックヤードから姿を現した。いつものようにリンの隣に腰掛けると、ユウはジェイドから賄いを受け取った。今日は小振りのオムライスに小さなハンバーグが乗っかっていた。デミグラスソースがつやつやと輝いている。
 ユウは有難く「頂きます」と手を合わせた。
「宜しければ、リンさんもいかがですか?」
「えっ、私?」
 微笑ましくユウを見守っていたリンに声をかけたのはアズールだった。
「はい。この時間は何かと小腹が空くでしょう? ご安心を、胃もたれしない、ヘルシーなものをご用意しますから」
 アズールがちらりと視線をやった先で、ジェイドがお任せくださいと笑みを深める。

 ───まずは、モストロ・ラウンジで食事をすることに慣れてもらわなければ。

 今までのご馳走のお礼を、というのが定石だろうが、それではアズール達が利益を上げれば上げるほど、リンに感謝しなければならなくなる。そもそもリンの料理がなければ上げられなかった利益だからだ。
 それではいつまで経ってもパワーバランスの上下が変わらない。

 ───リンさんに気付かれないように、胃袋を掴む!

 それができるだけの自信が、アズール達にはあった。特に双子の料理は誰もが口を揃えて絶品と称するほどである。
 試作に試作を重ね、教職員にも、酒を飲める学生にも太鼓判を押して貰えた商品の数々が、武器としてアズールの手中に収まっているのだ。負ける気はしなかった。
「うーん……
 リンは悩ましげに眉を寄せた。好感触だ。アズールは乗り出しそうになる体をぐっと堪えた。
 リンが言葉を紡ごうと、考え考え、唇を割り開く。

 ───頂くと言え!!



「食べて欲しいものがあるってことじゃなくて?」




「───え?」

 予想外の応えに、アズールの絶叫は掻き消された。


 ───待て、この感じ、どこかで、


 デジャヴとも言うべき感覚が、全身を駆け巡る。年末の、リンにしてやられた忌々しい記憶が激しく明滅して、目の前の情景と重なった。


 リンが微笑んでいる。


「っ───」


 目を見開くアズールに、リンはちょいちょい、と酒を呑む仕草をして見せた。


「味わって欲しいものが、あるんだろ?」


 確信を持った、声音だった。モストロ・ラウンジが、新メニューに彼女達の舌に馴染む商品を幾つも用意していると。

「なん、で……知って……!?」

 試作品の査定に協力させた相手には秘密保持契約を結んだはずだ。情報はどこからも盛れていないはず。

 アズールの思考が高速で回る。

 ただならぬ雰囲気に、ユウが困惑した様子で視線を右往左往させた。リンは喉の奥でくつりと笑った。
「別に、平日に送り迎えをするのもされるのも、私達は厭わないさ。ただの散歩だもの」
 ね、と顔を覗き込まれ、ユウは何が何だか分からないながらもしっかり「はい」と頷いた。
「っ……!」
 アズールは歯噛みした。
 リンが押し売りされた恩に対する『お礼』で身銭を切って飯を食わせるだけで済ませるはずがなかったのだ。平日にも敢えてアズール達に送迎を任せていたのは、モストロ・ラウンジに極東の酒を仕入れてもらい、それに合う料理を作らせるための投資だった。
 アズールたちは、リンの作った流れに見事なまでに乗せられていた。
 しかし、気付いたときにはもう遅い。すべてはリンの掌の上だ。
……謀りましたね……またしても……
「なんのことやら」
 リンは飄々と嘯いた。
「ユウさんや」
「はい、なんでしょう!」
「この間、ご飯をご馳走してくれるって言ってくれただろう? フロイドと練習中なんだっけ」
「はい! そうなんです、主に味見をお願いしてて……
 フロイドに味見役を頼んだのは、忌憚無き意見が聞けるからだ。エースやデュース、自称グルメのグリムに頼んでもいいが、二人と一匹はなんだかんだユウの料理を褒めてくれる。だが、それではユウが納得しなかった。
 ユウが納得して作る料理を、リンにも美味しいと言って欲しかった。リンに世話を焼かれ、優しくも甘やかさず導かれる日々を送る中で、ユウに芽生えた素直な気持ちである。

 大切なひとには、全力で応えたい。

「それが、どうかしたんですか?」
「うん、ちょっとね、リクエストしようと思って」
「が、頑張ります……!」
 緊張した面持ちのユウがリンに真正面から向き直る。
 突然蚊帳の外に放り出されたアズールは、目を白黒させてジェイドを見やった。ジェイドも何が何だかと言った風情でアズールを見返した。
「サムさんがさ、今度から極東のお酒を仕入れることになったらしくて。でも勝手が分からない部分もあるからモニターになってほしいんだって」
「!?」
「なるほど……?」
 リンの言葉に、アズールは目を剥いて、ジェイドは瞠目した。ユウだけが一人、小首を傾げながら一応は話を理解する。
「だから今度、格安で何本か譲ってくれるらしくてさ。折角だから、それに合うように作ってくれると嬉しいなと思って」
……!!」
「分かりました!! どこまで出来るか分かりませんが、頑張ります!!」
 意気込むユウとは対照的に、アズールがわなわなと震え出す。
 水面で息をする魚のように何度も口を開閉させたアズールは、結局ぐしゃあと形のいいハットを握り潰してカウンターにガン!! と頭を打ち付けた。
……貴女が格安で酒類を手に入れられるようにするために、新メニュー開発をしたわけじゃない……!!」
 くぐもった呻き声は静かな店内にこれでもかと響いた。リンはそれを聞いて、肩を揺らして笑った。
「ま、今回はお前にも利益があるからいいじゃないか。ウィン・ウィンって奴だ。マージンが存在しない分、余程健全だぞ」
「ううぅううぅ……!!」
 アズールは唸った。こんな状況、思い描いていた理想とはかけ離れている。これでは、リンがモストロ・ラウンジを訪れる可能性がぐっと減る。
 新メニューで一稼ぎできるような状況になっているのは、正しくリンの情けであった。リンの打つ手が違っていれば、ウィン・ウィンどころか、利益の一部を容赦無く吸い上げられていた可能性だってある。

 もし、リンが最初から交渉のテーブルを用意していれば。
 もし、リンがもっと手広く料理の腕を格安で提供していたら。

 ───考えてみれば、調味料だって、モストロが発注してから値段は据え置きのまま、内容量が増えたはずだ

 アズールは愕然と目を見開いた。

 ───よく考えなくても、リンさんが僕達に食べさせていたのは酒に合う料理ばかり

 だからフロイドは試作の段階でよく酒を持ち出していたのだ。モストロ・ラウンジではドリンクもセットにしてフードを提供することが多い。

 ───フードに合うドリンクを用意しておくことは当然だから、まったく気にもとめなかった。

 生ける屍と化しているアズールを一瞥し、ジェイドは薄ら寒くなるほど整った笑みを象った。
「お話は分かりました。ところで、フロイドを見かけませんでしたか? 彼にもこの話を伝えなければ───それとも、もしかして、彼だけはこの話を知っていたんですかねえ?」
 鮫のような歯がずらりと剥き出しになる。リンはちらりとユウを見やった。
「誓って私は今なんとなーく話の全容が掴めてきましたけど、フロイド先輩とリンさんが繋がってる様子はありませんでした。リンさんはこういう時、誰にも何にも言わないですし」
 不満です、と言わんばかりにユウがぷくりと頬を膨らませる。リンは「ごめんね!」と眩い笑顔で言い切った。
「でも、フロイド先輩、『ジェイドとアズールに一個だけ仕返ししてぇことがあるんだよねぇ』って言ってました。ぎゅ〜って絞められたとかなんとか……
「───」
「───」
 両者の双眸からスッと感情が削ぎ落とされる。
 あ、心当たりがあるんだな、とユウとリンはすぐに悟った。
 特にどうせフロイドがなにかしたんだろうなと思っていたユウはすぐに考えを改めて、疑ってごめんなさいと謝った。心の中で。
……クソ……また負けた……
 不意に、アズールがぼやく。リンは悪戯っぽく笑った。
「悪いね、大人気なくて」
「どこがですか」
 こどもを掌の上で転がし、打てる手を敢えて打たず、成長するために勝負に出るよう促す───まさしく大人の所行だ。
 そこまで考えて、いえ、とアズールは頭を振った。
「大人気なく、全力で来てもらわなければ困ります。……僕が役不足ということですから」
 心底悔しそうにリンをその眼光で貫いて、アズールは姿勢を正した。
 ユウがうっかり顔を背けてしまうような鋭い眼差しで見据えられても、リンはまったく動じなかった。
「必ず、あなたの土俵まで行ってみせます」
 リンは、淡く微笑んだ。優しい強かな光が、その瞳に宿る。
「その意気だとも」
「───」
 期待されている。その事実がこうも心を湧かせる。
 まだこども 格下扱いだ。その事実に、こんなにも腸が煮えくり返る。
 感情や思考が、冷えたかと思えば熱されて、上に行ったかと思えば急降下する。アズールの中身は大混乱だった。
……楽しみです。必ず貴方の歪んだ顔を拝ませてもらおう」
 それでも、アズールは気丈に言い切った。
 故にこそ、リーチ兄弟は彼の傍を離れないのだが、今のアズールはまだ知らない。


 ユウが賄いを食べ切って、リン達はモストロ・ラウンジを後にした。オンボロ寮への道すがら、ユウは指折り数えながらリンの悪だくみを振り返った。
「アズール先輩たちが和食を作るように誘導して、」
「うん」
「しかも敢えて日本酒に合うような料理ばかりをご馳走して、」
「そうだね」
「ラウンジが大口注文をするのに合わせてリンさん個人でも調味料や酒類を安く仕入れられるようになったと」
「いやあ〜ここまで上手く嵌るとはなぁ〜」
「それ絶対アズール先輩たちの前で言っちゃダメですよ!!」
「なぁに、負けは負け、勝ちは勝ち! 今回もリンさん、大勝利〜!!」
 今回も……? とユウは眉根を寄せたが、深くは追求しなかった。
「でも、これで食費も大分抑えられるからね。頑張ってお金貯めて、夏休みになったら旅行に行こう!」
「えっ、」
 突拍子も無い言葉に、ユウは心底から驚いた。
「りょこう、」
「そう。私達は世界を知らなさすぎるからさ。いい塩梅で言語の壁が無いんだもん、どうせなら行けるとこには行きたいじゃない。どこに元の世界へ戻る方法が転がってるかも分かんないし」
「───」
「勿論ユウが良ければだけど。……私とデートしてくれる?」
「っ……、はいっ!!」
 一も二もなく、ユウは飛び付いて返事をした。