桜霞
2022-10-01 16:52:44
27570文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

何処まで逃げても掌の上

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/06/20にpixivに投稿したものの再掲です。






 飲食店でのバイト、と検索すると、次に表示される検索ワードは「きつい」だ。
 それぐらい、飲食店でのバイトはしんどい。覚えなくてはならないことが山ほどあるし、求められるクオリティは高い。清潔感は勿論のこと、運ぶ料理は一切型崩れさせてはいけないし、接客は丁寧にしなければならない。
 特にモストロ・ラウンジは社交場と銘打っているだけあって、どこぞのホテル・ラウンジにも引けを取らない雰囲気だ。ユウはまだそんな高級店に入ったことはないので分からないが、リンが以前「学生経営には見えないわね」と言っていたのを聞いたことがあった。ユウがバイトで働かせてもらおうというところは、学園という箱庭でなければそれほどのものなのだろう。
 さて、そんなモストロ・ラウンジはユウのような他寮の学生もアルバイトとして雇っているが、スタッフの大多数はオクタヴィネル寮生か、アズールと契約(勝負)をして負けた生徒で構成されていた。彼らは本当にいいように使われていた。
 まずシフト申請の権限が無い。学生の本分である学業に支障が出た際の言い訳にされてはたまらないので、その辺りの融通は利くが、それ以外は一切の慈悲が無い。バイト中はありとあらゆる場面に呼ばれるし、面倒な仕事を押し付けられることもある。何より給金が雀の涙だ。ほとんど無償奉仕であった。
 アズールやリーチ兄弟には勿論、雇用契約を結んで普通に働いている生徒たちからもこき使われることは多々あった。そんな彼らが唯一大きい顔をできるときがあるとすれば、それは何もできない新人が入って来たときである。
 いつかのイソギンチャクたちは確かに彼らの心を救っていたのだ。自分より下層の生き物を見て安心するという人間の業である。
 しかし自分達より下のイソギンチャクはオンボロ寮の監督生、ユウが根こそぎ奪って行った。監督生は自業自得の友人に泣きつかれて腰を上げただけだが、これで彼らは再びヒエラルキーの最底辺に叩き落とされた。おのれ監督生、と思った輩は少なくない。見事な逆恨みである。
「おい、聞け!」
「ンだよ」
 バックヤードにて束の間の休憩をしているところに、先程死んだような顔でホールに出て行った生徒が興奮冷めやらぬ様子で戻って来た。彼は自分と同じような境遇のスタッフたちがたむろしているところに滑り込んだ。
「オンボロ寮の監督生、ホリデー明けたらここで働くらしいぜ!」
「エッマジ?」
 久々の新人がにっくき怨敵、オンボロ寮の監督生であるという事実に、スタッフ達は色めき立った。
「教育担当はフロイド先輩か」
「上手くやればオレ達の監視の目を減らせるかも……!」
 男たちは目配せしあうと、ヨシ、と頷いた。
 協調性など皆無であるナイトレイブンカレッジの生徒達は、ここぞというときには団結するのである。クロウリーが目の当たりにすれば咽び泣くこと間違いなしであった。
 何しろこのバイトの時間は常に扱き使われているのだ。少しでも気を緩めて息をする時間がほしい。アズールならば「烏滸がましい」と一蹴するだろうが、新人で、しかも魔法の使えない一年生はその限りではない。
 身代わり、生贄、エトセトラ。とにかく、彼らは正しく、光明を見た。





 ◆





「おい新人、六番バッシング!」
「はい!」
「皿足りなくなるぞ、さっさと洗えよ!」
「はい!」
「ドリンクセット上がり! 三番!」
「はい!」

 ───光明は、確かに光明だった。

 新学期始まってすぐのバイトで、ユウはきりきりと働いた。新人とは思えぬメリハリで、とにかく判断が早い。そして先を読む力があった。

「あれ? フライパン……
「あ、コンロでバター溶かしてます!」
「マジ? ウワ、マジだ」
「盛り付け終わりました! 三番ですよね! 行って来ます!」
「え、あ、うん、」
「五番バッシングしてきました!」
「はっや!? 今さっき出て行かなかった!?」
「ありがとうございます!!」

 にこーっ、と邪気の無い笑顔が輝きを放つ。
 邪なことを企てていた生徒達は、こぞって「ウグゥ」と唸りを上げた。
「いや、初日とは思えないんですけど……
「え、めちゃくちゃ優秀じゃね? ヤバくね?」
 最初は無理な仕事量を吹っ掛けるところから始まり、バックヤードにて足を引っかけたり、皿洗いが終わりそうなところで追加を寄越したり、ゴミ出しを押し付けたりと、スタッフ達は業務妨害にならない程度にいろいろなことをユウに吹っ掛けた。しかしユウはそれをものともせず、ぺかーっと笑って「分かりました!」と言われたとおりに仕事をこなすのだ。
「先輩たちが次々指示をくれるので、ありがたいです!」
「!」
……あ、そぉ……
 ユウの言葉を聞いた先輩達は一計を案じた。
 どうやらユウは、自分達があれこれ指示を出すからそれに従っているだけらしい。

 ───それならいっそ、何も言わずに放っておけば、勝手に右往左往してボロを出し、サボりに目敏いフロイドに見つかって怒られてくれるのでは?

 誰からともなくそう気付いたスタッフ達は、示し合わせたかのようにユウに何も言わなくなった。

 十数分後。

「あれ? 四番オーダーのドリンクは?」
「は? さっきそこに出しといたけど」
「ウェイティング客がいつの間にか三番にいたんだけど」
「ウワ、さっきまで山のようにあった皿が消えてる!?」
「二番オーダー行けよ」
「やっておきました!」
「、」
 チーフを任されていたオクタヴィネル寮の生徒は思わず腰を落として反射的に振り返った。

 にこにこと、オンボロ寮の監督生がオーダー表を手にして、すぐ傍に佇んでいる。

「っ……
「───やって、おきました!」

 ユウは、ただその一言だけを繰り返した。
 誰もが固唾を呑んでいる中、イグニハイド寮の生徒が、「ニ、ニンジャだ……」と泡を吹いて倒れた。





 話を聞いたリンは手を打って腹を抱え、とにかく大爆笑した。
「あーっはっはっは!!」
「それで、バイト終わった後に、すんごい真面目な顔で『ニンジャでござるか……!?』って聞かれたんですよ」
「ヒーーーッ!!」
 涙出てきた、とリンは目尻をなぞると、どうにか呼吸を整えて「それで、なんて返したの」とようやく言った。
「『忍者は忍ぶ者なので、返ってくる答えはどちらにしろ一緒ですよ』って答えました」
「そしたら?」
「『ホ、ホンモノ……!!』って」
「ワハハハハ!!! ッぁいって、っふは、笑いすぎて腹いた、ふはは、」
 ヒイコラ言って笑っているリンに、そっと冷やが差し出された。オクタヴィネルの双子の実はヤバイ方で通っているジェイドからだ。リンは短く礼を言うと、くぴりとグラスに唇をつけた。
 閉店後のモストロ・ラウンジはすっかり静まり返り、まるで深海のようだった。洒落たジャズも流れておらず、バックヤードで作業しているスタッフもいないので、誰かが何かしなければ、静寂がしんと降り積もる。
 リンは先程の爆笑とは一転、ひそやかな声でユウに訊ねた。
「でも、それじゃあ、今日は随分疲れたでしょう。大丈夫?」
 ジェイド作の賄いを食べていたユウは、口に入れていたものを呑み込んでから「大丈夫です」とサムズアップした。
「明日は体育も魔法史も無いので!」
「うん、まあ、無理しないようにね」
「はい!」
 ユウはまた賄いを食べ始めた。リンはその様子を見て、そっと安堵の息をついた。
 スタッフ同士での諍いは、モストロ・ラウンジでは珍しくないことらしかった。それでもフロイドやジェイドが睨みを利かせ、実力行使で喧嘩両成敗しているうちはまだいいが、集団でひとりをいじめるとなると鉄拳制裁も難しい。
 ユウが格好の的になることは、アズール達も、ユウ自身も分かっていた。だからこそホリデーの後半でみっちり研修を行い、初日のバイトでとにかくへまをしないようにしごかれたのだ。
 ユウが優秀であれば優秀であるほど、ユウの足を引っ張るようなことをすれば連帯責任で自分たちまで痛い目を見るリスクの方が大きくなる。
「あいつら馬鹿ばっかだかんね~」
 掃除用具などの片付けを行っていたフロイドが戻ってきた。どうやら話は聞こえていたらしい。
「このまましばらく隙とか見せなきゃだいじょーぶっしょ」
「頑張ります」
 ユウが手を合わせて気合を入れ直す。ご馳走様です、とジェイドに差し出された皿はすっかり綺麗になっていた。
「お粗末様です。どうでしょう、お口に合いましたか?」
「はい、とても美味しかったです!」
「それは良かった。普段からリンさんのような方が作る食事をお召しになっておられるので、ユウさんはきっと舌が肥えてらっしゃるでしょう? 少し不安だったんですよ」
 微塵もそんなことを思ってい無さそうな顔で言うジェイドに、ユウは「私なんてリンさんに比べたら全然!」と手を振った。
「リンさんもジェイドさんも、美味しい料理を作れるの、本当にすごいなって……私はどうしても味付けが下手で……
「え、そう? 最近は慣れてきたじゃない」
「リンさんのおかげです!!」
 でもまだまだです、とユウは眉を吊り上げた。やる気は十全である。
「ま、ちょっとずつできるようになったらいいよ」
 言いながら、リンは差し出されたフロイドの手を当たり前のように取り、カウンター席から立ち上がった。ユウは自分の荷物をまとめると、ぴょいっと椅子から飛び降りた。
「お帰りですか」
「はい、お帰りです」
「ジェイド先輩、フロイド先輩、お疲れ様でした!」
 ユウがにっこり笑ってお辞儀する。ジェイドは同じように綺麗な礼を返したが、フロイドは少しだけぎこちない動きでその場に踏み止まった。
「お疲れ様でした」
……またね~」
「はい、また! おやすみなさい!」
「アズールによろしくね」
 踵を返したリンを追って、ユウがぱたぱたと駆けて行く。からんからんと音がして、二人がラウンジから出て行ったことが店内に知れ渡った。
……
「フラれましたね」
……っるせー……
 首の裏を擦っていたフロイドが唸る。ジェイドはにやにやと、いや飄々と嘯いた。
「あぁ可哀想に、慈悲の心で以てオンボロ寮までお二人を送れなかったフロイド、我が片割れ。そんなお腹の減っているフロイドには、僕が腕によりをかけて育てたきのこ料理を」
「要らねえマジで」
「おやおやまあまあ、悲しくなるようなことを言わないでください」
「だったら少しはカナシソーな顔すればァ?」
 はーぁあ~、とその場で大の字になったフロイドに、ジェイドは「おやおや」と今度こそ苦笑した。カウンター越しではフロイドの姿は見えないので、ゆったりとした足取りでフロイドの傍に移動する。
……小エビちゃんの癖に、牽制なんか上手くなりやがって……
「フロイド、服に皺がいきますよ」
「知らね~~全部小エビちゃんのせいだしィ」
「とんだとばっちりですねえ」
 ジェイドはにこにこしながら言った。

 ───ジェイド先輩、フロイド先輩、お疲れ様でした!

 くるっとターンして、ぴしっと姿勢を正し、真正面からリーチ兄弟と向き合って。ユウは、二人の視線とリンの姿のあるちょうど中間に立ち塞がった。
「ですが、フロイド。もう夜の十時を回ってしまいました。今から他寮にお世話になるのは少々いただけませんね。アズールに叱られてしまいます」
「えぇ〜……別に良くね? なんでダメなの? つーかさァ」
 フロイドは勢いをつけて起き上がった。
「新人ちゃんが迎えにくるならオレが送んなくていーじゃん! オレが寮まで送ってやろーと思って小エビちゃんのシフト、フルタイムにしたのに!」
 ユウが聞いたら般若の形相になるようなことを、フロイドは赤子が駄々を捏ねるような調子で宣った。
 つまり、こうだ。フロイドは夕方から夜にかけてのフルタイムシフトでユウをくたくたにさせた後、「送ってあげる♡」とオンボロ寮に押し掛けて、夕飯(夜食)をご馳走してもらうつもりだったのだ。
 しかし、あらかじめユウから帰りが遅くなることを聞いていたリンは、閉店時間を少し過ぎてから、「女の子に一人で夜道を歩かせる訳にはいかない」と、わざわざユウを迎えに来たのだった。
 おそらくリンは、これからもユウの帰りが遅くなるようなら迎えに来るだろう。以前ユウに「リンさんは心配性で優しいから、送り迎えだけでご飯をご馳走してくれるかもしれない」と聞いて、それに期待していたフロイドは盛大にため息をついた。長駆が再び、ぱたんと床に倒れる。
「お前たち、そろそろ寮に戻りますよ。何をしてるんですか」
 VIPルームで今日の売上を精算していたアズールがホールに顔を出した。大の字になっているフロイドと、その傍にしゃがみこんでいるジェイドが揃って視線をアズールに移す。
「これはアズール、いいところに。どうぞお知恵をお貸しください」
「はい? 何事ですか? まさか何か問題でも?」
「いえいえ、そういうわけではありませんが」
「あ、新人ちゃんがアズールによろしく言っといてって言ってたよォ〜」
「新人ちゃん……あぁ、リンさんのことですか。やはりユウさんを迎えに来られたんですね」
「は? なに、アズールってば、知ってたの?」
 フロイドが信じられないようなものを見る目で顔だけを起こす。知っていたなら何故教えなかったとその顔が雄弁に語っていた。
「知っていたも何も、」とアズールは嘆息した。
「リンさんのことですよ。迎えに来るに決まってるじゃありませんか。それぐらいの予測はつきます。こんな時間ですしね」
 校則で定められている消灯時間までもう間も無い。特に今日は、とアズールは言葉を続けた。
「ユウさんにとっては初日ですし。様子見も兼ねていたんでしょう」
「分かってたんなら教えてよ。メシ、食い損ねたァ!」
「メシ?」
 片眉を跳ねさせたアズールに、ジェイドがかくかくしかじかと経緯を説明する。なるほど、とアズールは思案する素振りを見せた。
「それなら、ユウさんのシフトを調整しましょうか」
「え?」
「何故です?」
 不思議そうな双子に、アズールはにやりと笑って見せた。
「リンさんは心配性であると同時に放任主義でもあります。ユウさんとて、まだ空の明るい内に送迎されるのは嫌なお年頃でしょう。そうですね……リンさんがどのあたりを基準にしているのかは分かりませんが……
 アズールはちらりと壁にかけてある時計を見やった。
「九時以前にユウさんが帰寮されるのであれば、リンさんは迎えにはいらっしゃらないのでは?」
 九時とはモストロ・ラウンジのラストオーダーの時間である。閉店は九時半だ。フルタイムでシフトに入っている場合は十時から十時半まで後片付けで居残らなければならない。
 しかし、ハーフタイムなどの変則的なシフトであれば、八時台に勤務を終える事も可能だ。忙しい時間帯のため賄いがつくかどうかはその日次第となる。
 ユウの性格なら、賄いは食べずにそのまま帰寮するだろう。
「で、あるならば、リンさんが迎えに来ないことを理由に、ユウさんを寮まで送って差し上げればよろしい」
 アズールの言葉に、フロイドはぱぁっと表情を輝かせた。
「ただし!」
 アズールが鋭く声を張り上げる。フロイドは「ぁん?」と眉を吊り上げて口角を下げた。
「お前がユウさんをエスコートできるのは、ホールにジェイドがいて、バックヤードのスタッフも充実しているときだけです」
「ええーー!!」
 フロイドは跳ね起きた。
「アズールのケチ!!」
「当然です。お前の代わりに働くくらいなら、僕がユウさんを送迎します」
 フロイドは貴重な戦力なのだ。スタッフ達の気を引き締めるのにも使えるフロイドが定期的にシフトから抜け出すのは頂けなかった。
「それなら、アズールの手を煩わせるまでもありません。僕が行きましょう」
「は? ジェイドまでなに言ってんの? 小エビちゃんを送るのはオレだから!!」
 当事者であるユウの意思や本当に夜食をご馳走してくれるかも分からないリンの事情などお構いなしに、頭のキレる三人はやいのやいのとユウの送迎を取り合った。
「お前はどうせすぐに飽きるだろう!」
「新人ちゃんに取り入ろうとしてんの丸わかりなんだよ!」
「おやおや、これは決まるまでに時間がかかりそうですねえ。ではその間は僕が僭越ながら」
「漁夫の利ィ!!」
「させませんよ!!」
「ふふ、ばれましたか」
 こんな具合だったので、話が落ち着くまでに、結局一時間かかった。

落としどころです It's a deal!」

 オクタヴィネル寮までもが寝静まろうという頃に、カン、とアズールの杖が無理やり静寂を引きずり出した。ようやくの幕引きである。
「順番です。持ち回りにしましょう。まずはフロイド、その次にジェイド。そして僕です」
「その心は?」
「この先のシフトを鑑みた結果です」
 どの曜日に誰が来るかをある程度把握しているアズールは、ユウのシフトをずらせる日時を選び、その上で三人のうち二人が確実に店に居られるように差配した。一番公平な理由であったので、リーチ兄弟も納得した。
「まァいいけど」
「フロイドがいいなら、僕もそれで構いませんよ」
「決まりですね」
 アズールはやれやれと溜息をついた。
「まったく……こんなに時間を……さっさと寮に戻りますよ」
「へェ~い」
「かしこまりました」
「、あぁ、そうそう」
 モストロ・ラウンジの鍵を取り出していたアズールが不意に立ち止まる。双子はきょとんとした顔でアズールの言葉の続きを待った。
「もし、リンさんにリクエストを聞いていただけるようなら、できるだけ彼女たちの故郷の物を出してもらえるよう頼んでください」
「?」
「なんで?」
 双子が揃って首を傾げる。決まっているでしょう、とアズールは呆れたように言った。
「新メニュー開発のためですよ。新しい風を取り込むことは重要です」
……どーーーーりで引き下がらねェと思った……
 フロイドがげんなりとして言った。商売根性逞しいですねえ、とジェイドが微笑む。アズールは「はいはい」とそれらをいなし、歩みを再開させた。
 もし自分だけがユウを送ることになったとして、絶対レシピの一つや二つは取ってくるように言われてたな、とリーチ兄弟は悟った。





 ◆





 ユウは、週に三回、モストロ・ラウンジで働いている。火曜、木曜、土曜だ。最初の二週間は仕事を覚えるためにフルタイムシフトで働いていたが、「ホリデーの間にあらかた研修終わらせたし、もういいっしょ」というフロイドの一言で早々に新人研修が切り上げられた。予定していたよりも早く時給が上がることになって、ユウは諸手を挙げて歓迎した。
 フロイドはさっさとユウのシフトをずらせるようにしたかっただけだが、団体客を上手く捌いた直後のことであったので、ユウは特に疑わなかった。寧ろ仕事の出来を褒めてもらえたんだと素直に嬉しくなって、喜んだ。
 時期的にも丁度良かった。新しいシフトを出さなければならない月末に差し掛かる頃だったし、ユウは初月と同じようにシフト表を提出した。

 ───提出した、が。

「ユウさん、申し訳ありませんが、平日のシフトはハーフタイムでよろしいでしょうか?」
「えっ、」
 アズールに言われて、ユウは表情を曇らせた。それでは稼げる金額が大幅に変わってしまう。
 申し訳ありません、とアズールはしんなり眉を下げた。
「他のスタッフとの日程調整やシフト配分のことを考えるとどうしても……
「うーん……、ハーフタイムってことは、七時までですよね……
「そうなりますね」
 勤務時間はフルタイムで四時から十時時半までの六時間半だ。労基法的に三十分は休憩に当てなければならないので、実質的にもらえる賃金は六時間分の計算となる。
 ううん、とユウは腕を組んで唸った。
……それなら……シフト開始時間を前倒しして頂けませんか? 開店準備を手伝いますので……
「僕達は有難いんですが……いいんですか? ホームルームが終わってすぐ、勤務開始になりますよ?」
「大丈夫です。たぶん……間に合うよう頑張ります」
 ハーフタイムは四時から七時半まで。開店準備を手伝うとなると、勤務開始が三十分前倒しになる。三時半から七時半までの計四時間だ。そして何より、勤務後の後片付けとは違い、開店準備を手伝うと時給が少しだけ上がる。
 でも、やっぱり、保険はかけておこう、とユウはちらりとアズールを見やった。
「五分遅刻は大目にみてもらえますか?」
「いいでしょう、こちらの都合ですし……ご迷惑をおかけします」
「とんでもありません。よろしくお願いします」
 互いにぺこりと頭を下げて、その日は解散となった。





 はてさてどうしよう、とユウは困ってしまった。

 ───これから週三日、晩御飯は要らないとリンさんに言っていたのに。

 七時半という忙しい時間帯にシフトを切り上げるとなれば、ジェイドやフロイドに賄いをねだることなんて、とてもではないができそうにない。着替えたりなんだりしていたらなんやかんや八時になりそうだが、それでも忙しいのには変わりない。六時から九時は特に忙しく、あっという間に時が過ぎるのだ。

 ───私の晩御飯代だけでも浮かせられると思ったのに……

 これでは本末転倒もいいところである。ユウはしおしおとオンボロ寮に戻った。
「あれ、小エビちゃんだー。しんなりしちゃって、どうしたの?」
 鏡舎を通り過ぎようというところで声をかけられ、ユウは立ち止まった。
「フロイド先輩」
 こんにちは、と挨拶すると、こんちゃ、と気の無い応えが返ってくる。
「アザラシちゃんは?」
「グリムは錬金術と魔法史の補修です。どちらも座学で……私はいいって先生方が仰ってくれて」
 グリムと二人一組とは言え、魔法を使う実技でなければユウの成績は中々のものだった。枕詞に「突然異世界に放り込まれたにしては、」という言葉がつくが、それにしたって名門校の平均に食い込む結果を残しているのだ。サボったり居眠りをしたりして補講を命ぜられた悪ガキどもと一緒くたにされるのはたまにで良いだろう、という教師陣の計らいだった。
「そっかぁ、良かったね」
「はい」
「でも、なんでしんなりしちゃってたの?」
「へひ、」
 フロイドはのんびりと訊ねながら、ユウの頬をみょいみょいと弄った。それなりに痛いので、ユウは眉を顰めた。
「あ、あじゅーりゅしぇんぱいが、」
「うんうん」
「しふと、へいじつ、はーふにしてくれって、」
「あー……じゃあ小エビちゃん、火曜と木曜だっけ? 八時くらいかあ、帰るの」
 フロイドはにぃっこりと、目尻を下げて笑った。
「新人ちゃんにお迎えに来てもらうには、微妙な時間だねえ」
「、」
 柔らかな声音が、ねっとりと絡みつく。ユウは無意識に半歩後ずさった。
「あ、そうだ」
 フロイドの眼がきゅっと小さくなった。しかしすぐにとろりと溶けて、フロイドはゆっくりとユウに顔を近づけた。
「代わりにオレが寮まで送ったげるからさあ、新人ちゃんに、よろしく言っておいてね」
……!」
 ぱ、と頬から手が離される。フロイドは長い脚で一息にユウから距離を取ると、「じゃあね~」と後ろ手を振って購買部の方へ行ってしまった。
「っそんな……!」

 ───負担を減らすどころか、増やしてしまった。

 ユウは先程よりも一層、がっくりと項垂れて、とぼとぼとオンボロ寮への道を辿った。





……それは……まぁ……気の毒に……?」
 談話室で話を聞いたリンは、言葉に迷って結局そう言った。ユウはぐずぐずと鼻を鳴らすと、「ごめんなさい……」と蚊の鳴くような声で言った。
「謝るようなことじゃないでしょうよ。どうせ毎回三人分以上作ってんだから」
 膝に乗ったユウの頭を撫でてやりながら、リンは優しい声音で言った。
 繕い物をしている途中にユウが沈痛な面持ちで談話室にやって来て何事か話し出すものだからなんだなんだと身構えていれば、リンにとっては「なんだそんなことか」という程度のことであったので、正直心底からほっとした。
 話ながら余計にダメージを食らったらしいユウは、すっかりソファに横になり、リンの膝を枕に、そして腰に抱き着いていた。完全な甘えたモードである。
「それに、悪い事ばっかりでもない」
……?」
 風呂上がりのもちもちしたユウの頬をつつきながら、リンはにや、と口端を吊り上げて見せた。
「アズールのことだ、何をどこまで考えているかは分からんが……
……悪だくみですか?」
……かもね」
 色香たっぷりに囁かれて、ユウは内心で「きゃあ」と叫んだ。現実では口元に手を添えて体を丸めるだけに留めたが。
 ユウのそんな内心をすっかりお見通しなのか、リンは悪戯っぽく忍び笑いを零すと、「ほら、もうお休みの時間だよ」とユウをベッドに促した。





 ◆




 担任がクルーウェル先生で良かったな、とユウは心底から思っていた。
 クルーウェルは何事にも余計な時間というものをかけない。とてもきっちりとした男だった。ルーズなところが一切ないのだ。
 だから、ホームルームもきっちりと時間通りに終わる。おかげで、ユウは前倒しになったバイトに遅れたことは一度も無かった。
「じゃあね、エース、デュース、また明日」
「おう、またな」
「バイト、頑張れよ」
「ありがと。グリムは……
「てきとーに昼寝してるんだゾ」
「分かった。ご飯の時間には帰るんだよ。リンさんにご飯抜かれちゃうから」
 リンは前もって連絡しておけばその時間帯に食事を用意してくれるが、ドタキャンについては容赦が無かった。余った食材などは翌日の弁当になるが、その日その時の食事は抜きである。
 グリムはこれを何度か食らっていた。
……じゃ、リンのところで昼寝するんだゾ」
「はいはい。行って来まあす」
 ユウはさっさと教室を後にした。がんばれよー、という声がのんびり追いかけてきてくれた。


 開店準備は存外やることが多い。
 ホールの掃除はもちろん、在庫の確認や仕込みなどを手早く終わらせなければならない。しかしユウは、掃除に関してはオンボロ寮にて随分と鍛えられたため、おそらくスタッフ内では一番手際が良かった。
「いつも早えなあ」
 コーヒー豆をガリガリ挽きながら言ったのはオクタヴィネル寮四年生の先輩だ。今日は彼がバイトリーダーらしい。
 四年生ともなると安易な挑発や下手な絡み方はしなくなってくる。下級生が安心して頼れる学年だが、卒業生という特殊性も相まって交流する機会はなかなか無い。
 今日は無茶な仕事を振られることは少なさそうだ。ユウはそっと安堵の息をついた。
 四年生がリーダーのときは周囲に難癖をつけられないよう気持ち多めに仕事量が差配されるが、その分無理無茶は強いられない。これが大人と子供の違いだろうか、とリンに零したことがあるが、それを聞いたリンはおかしそうにくすくす笑って「そうかもね」と言うばかりだった。
「今日はハーフだっけな。ホールであくせく動き回るのと、バックで面倒ごと二、三片付けるの、どっちがいい」
 他にスタッフが居ないと、仕事内容の希望も聞いてくれる。どちらも面倒だが、自分で決められるだけまだマシだ。ユウは「ホールでお願いします」と軽く会釈した。
「あいよ」
 先輩はそのまま静かにガリガリとコーヒー豆を挽き続けた。この分だと、今日はずっとカウンターに居座るだろうな、とユウはなんとなく当たりをつけた。


 ユウの予想はほとんど外れなかった。リーダーはラウンジのオープン直後だけバックヤードで数個指示を飛ばしていたが、すぐにカウンターに出てきて馴染みの客の相手をしていた。砕けた雰囲気から、どうやら同学年なのだろうなということが察せられる。ユウはたまにそれを横目で見ながらホールとバックヤードを何度も往復した。
 ユウが仕事を切り上げるその時まで、リーダーはカウンターから一歩も動いていなかった。「お疲れ様です」と一声かけても、「おー、」と返すだけで、一瞥もくれない。
 変なところで緩いんだよなあ、と思いながら、ユウは宛てがわれた空き部屋でさっさと着替えを済ませると、荷物をまとめて裏口へ移動した。従業員は滅多なことがない限り店の入り口を使えないのだ。
 扉を開けた先には珊瑚礁の階段が谷を象っている。谷底にあたる狭い道を進もうとすると「ぎゃーく、」と背後から声をかけられた。
……フロイド先輩」
「小エビちゃん、いっつも逆方向行くねえ。こっちだよ」
 今日は見るからにヤバい方だったか、とユウは小さく息をついて「すみません」と踵を返したフロイドを追った。
 リーチ兄弟やアズールにオンボロ寮まで送ってもらうようになってから数週間が過ぎた。ユウもだんだん送られることに慣れてきたが、ユウが送られているというより、リンの料理を食べについてくるオクタヴィネル寮のやべー奴ら、といった構図の方が正しいんだろうなと、毎回思う。
「小エビちゃんさあ、もう文句言わねーの?」
「はい?」
「最初の方はぐちぐちぐだぐだ言ってたじゃん」
 確かに、言うだけ言っとこうと思って、「本当はリンさんの負担を少しでも減らすためにバイト始めようと思ったのに、これじゃ意味ないです」とか「別に送ってくれなくてもいいんですけど」とか反抗はしていた。
 ユウは憮然と顔を顰めた。
……文句を言ったら聞いてくれるんですか?」
「あは♡」
「でしょうね」
 嘆息が堪えきれない。ユウは断り切れるだけの力が欲しいなァと切に臨んだ。





 ◆





 ジェイドがユウを送るときは、何かしらの手土産を持参する。「せめてもの気持ちです。何かしらの足しにして頂ければ」と言葉の上っ面だけを鑑みればオクタヴィネル寮の慈悲の精神に則っているが、その笑顔はどうも胡散臭い。
 なにせ、中身のほとんどがジェイドの育てたきのこなのだ。手土産って貰う側が喜びそうなものを見繕うのが定石ではなかったっけ、とユウは口をへの字に曲げていた。
「やァ、いつも悪いねえ」
「いえ、アズールにも言われていることですので、お気になさらず」
 リンは毎回それを受け取って、「いらっしゃい」とジェイドを迎え入れていた。毎度すみません、とジェイドも微笑んでオンボロ寮に足を踏み入れる。ユウがその後に続き、館の鍵を閉めた。
「今日は茄子が安かったからね、田楽にしたよ」
「デンガク、」
「甘辛くて美味しいですよ。ご飯によく合うんです」
「最高ですね」
 ポートマフィアやら指定暴力団やらと揶揄されようが、中身は健全な十七歳。オンボロ寮に通うようになってから、白米の美味しさに取り憑かれたのはジェイドだけではなかった。





 ◆





 すっかり暗くなった夜空を背景に、アズールはばさりと外套を肩に羽織った。
「大変お世話になりました。頂くばかりで何もお返しできないのが心苦しい限りです」
「お気になさらず。毎回作りすぎちまうからなあ、むしろ有難いったら」
……
「そう言って戴けると幾ばくか救われます」
……
 にこにこ笑顔のアズールに、ユウは思わず半眼を向けた。スタッフやフロイドを叱り飛ばしているアズールを見かけるようになってから、ユウはだんだん、アズールの素と、『商売』をしようとしている顔を見分けられるようになっていた。
 今は『商売』をしようとしているときのアズールだ。ユウはちらりとリンの方を見遣ったが、リンは至極いつも通りだった。
「じゃ、夜道にお気をつけなすってね」
「お気遣い、どうもありがとうございます。では、また」
 最後にハットを胸に当てて優雅に礼をすると、アズールはすぐに踵を返して鏡舎の方へと歩いて行った。
 館の扉を、リンがゆっくりと閉める。玄関先に下げていたランプを手に取って、リンはユウを促した。二人揃って居住スペースの二階へ上がる。
……リンさん、」
「ん?」
「もしかしてなんですけど……アズール先輩、リンさんをシェフとして引き抜こうとしてるんじゃ……?」
 アズールがリンをモストロ・ラウンジに引き抜くことを諦めていないのは周知の事実だ。リンはそれを何度かすげなく断っているが、それでめげるアズール・アーシェングロットではない。
 リンの料理の腕は学生を相手にするには十分だ。多くの生徒が知らない異郷の料理を提供できることも考えれば、売り上げ向上にはもってこいの逸材だろう。
 ユウの考えを聞いたリンは、ふ、と目を細めて淡く笑った。ランプに照らされた瞳が冥く光る。
「経営者が一番節約したいけど一番投資しなきゃいけないものって分かる?」
「え……、」
 突然問いを投げかけられ、ユウは思わず固まった。リンは微笑んでいるだけで、口を閉ざしている。ううんと唸って、ユウはようやく「人件費……?」と絞り出した。
「分かってるじゃない。大正解よ」
 リンはにっこり笑うと、それきり口を噤んだ。どうやらヒントはこれだけらしい。

 ───リンさんが何か考えてるのは分かるんだけど……

 ユウは眉を寄せて腕を組み、やっぱり首を傾げてしまった。