桜霞
2022-06-13 13:47:51
57493文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

【フライパンは無敵】③監督生はおれが守る(フライパンで素振りしながら)

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主
2020/04/27にpixivに投稿したものの再掲です。

 ほとんどの学生達にとって、試験というのはできれば避けて通りたいイベントである。勉強は必要とは言え面倒だし、失敗すれば補講が待っている。先の苦痛をできるだけ減らすため、今のうちに苦労しておく、というのは、ほとんどの若人にとって苦行だった。
 試験期間が近付けば、部活動や同好会の活動も禁止される。放課後、空いた時間は勉強に費やせという、学園側からの無言のお達しだ。
 しかし、サバナクロー寮長であるレオナ・キングスカラーとその世話係であるラギー・ブッチは、その空いた時間を別の事に当てようとしていた。そのために寒空の下、てくてくとオンボロ寮への道を歩いている。ラギーの手には小さくはない紙袋がぶら下がっている。中身は、タッパーに詰められたラギーお手製の日持ちする料理の数々だ。
 本当はレオナの財布から菓子折でも出そうかと思っていたのだが、話を聞いたサムが「それなら」とこちらの方を勧めてきたので、ラギーは多少なりとも腕によりをかけたのだ。
「にしても、菓子折より食い物かあ。そんなに金欠なんスかねえ」
「安月給には違いねえだろうな」
 何せ事情が事情である。異世界から意図せず招いてしまったというだけで衣食住の世話をし、仕事の面倒まで見るとなるとかなりの出費だ。正規で雇えばさらに金がかかる。何事につけても嵩むのは人件費だ。どうにかしてかかる費用を抑えたい学園側からすれば、人が最低限暮らしていけるだけを支給するだけマシというものなのだろう。
 現実は往々にして厳しい。ラギーは可哀想にと紙一枚より薄っぺらい同情はしたが、それだけだった。今回、レオナに金を出させて料理をしたのだって、本当はしたくない。なんなら自分が食べてしまいたい。どうしてよりによってこういう人にくれてやるときだけ色々と上手くいって美味しいものができあがるのが。
 現実は往々にしてそんなもんである。ラギーはまたひとつ新しいことを学んだ。
「あ、見えてきた。確かに見た目はおんぼろっスけど、そこまでじゃねえような……
「そりゃ、手入れくらいしてあるだろ」
 最近、足の早くなった夜空を背景にしてふわりと煙のように漂うのは噂のゴーストだろうか。ラギーはがさりと紙袋を揺らした。
「じゃ、てきとーに謝って、さっさと帰りましょ。オレ、勉強しなきゃだし」
 レオナは答えず、くわりと欠伸した。ラギーはこれから怪我をさせてしまった相手に謝る奴とは到底思えねえなと自分のことを棚に上げ、レオナに「真面目にしてくださいよ」と嘯いた。
 ラギー達は、この間のマジフト大会において巡らせたサバナクローの策略に巻き込まれ、怪我をしてしまった第三者であるリンに、謝罪をしに来たのだった。
 
 
 
 
 
 レオナとラギーを出迎えたリン達は、揃って目を丸くした。ユウは「まさか謝りに来たの?」という表情を全面に押し出していたし、リンなどは「えっ、マジで?」と口に出した。グリムはゴースト達と遊んでいる。
「マジもマジっす。ちゃんとお詫びの品も持ってきたんで」
 ラギーは紙袋を掲げた。冷えた風が紙袋をがさがさと揺らす。
 リンは羽織ったショールを胸元に掻き合せながら、「取り敢えず入んな」と二人を館に迎え入れた。ユウは急いでキッチンエリアに移動し、お茶の準備をした。リンと一緒にお茶を飲みながら勉強をしていたので、準備はすぐに終わった。
 青い炎が焚かれている談話室は外よりは暖かかった。
「それじゃ、改めて。先日は、誠に申し訳ありませんでした」
「はぁ……
 ソファにきっちり姿勢を正して腰掛けたラギーが頭を下げる。慣れた仕草だった。リンはどう答えたものかと、取り敢えず生返事をした。
「ラギーのやったことは俺の指示だ。巻き込んじまって、悪かったな」
 レオナのその声も、表情も、どこかしっかりとしていて真面目なものだったが、悪いと思っているひとの態度じゃない、とユウは目を据わらせた。悪びれる気配が微塵も感じられないのだ。謝ってやっているというような横柄な雰囲気が感じ取れないだけマシかもしれないが、しかしレオナは頭を下げなかった。
 リンは呆れて嘆息した。
「まぁ、私が狙われたわけじゃなくて、勝手に飛び込んで行った結果の怪我だから……仕方がないな、受け取ってやろう」
 形ばかりの謝罪でも、無いよりはマシかもしれない。それに、リンは元々そこまで怒っていなかった。こどもの悪戯に巻き込まれたくらいで一々目くじらを立てていてはリンの方がもたなくなってしまう。
 彼らの将来を慮って逐一向き合い、指導してやるほど、リンは彼らと情を交わしていなかった。
「ありがとうございます」
 話が分かる、とラギーは紙袋を恭しく差し出した。
「袋から出して渡すのがマナーだよ」
「あ、ハイ。すんません」
「なにこれ、おかず? あら美味しそう」
「オレが作ったんスよ」
「料理男子はモテるわよ」
「え、マジっスか」
「マジっすよ。有難く頂くわね。タッパーは今度、洗って返すから」
 お気遣いなく、とラギーは人の良い笑みを作った。
「なんなら、タッパーも差し上げるっス。女性ふたりの生活 ・・・・・・・・だと、何かと物が入り用でしょ」
「───」
 びくり、と反応したのはユウだった。リンは流石と言うべきか、動じる素振りを少しも見せなかった。
 ユウがちらりと視線を走らせる。その表情は見るからに強ばっていて、瞳が映す狼狽は隠しきれていなかった。
……
「、」
 ばちり、とこちらを見ているレオナと視線が合う。バレた、とユウは血の気が引く感触を味わった。
 ばれた。ばれてしまった。こんな態度、反応、ラギーの言葉を肯定しているようなものなのに。
……まぁ確かに、先立つものが無いからなぁ。物が入り用なのは事実だし、有難いが」
 ラギーの耳がぴこぴこと揺れる。レオナはゆるりと瞬いてリンを見遣った。
「隠す気なんてねぇだろ。茶番は寄せ」
「意識をしないようにしてるんだよ。女だろうが男だろうが、食っていくだけで精一杯の生活をしてれば貰えるものは何でも有難いさ」
 リンの言い草に、レオナは鼻を鳴らした。
「お前は見れば分かるし、そこの草食動物は魔力のにおいを嗅いだときに確信した。お前ら、女だろう」
「っ……
 ユウは沈黙して、ぎゅ、と拳を握り締めた。リンは少しだけ思案する素振りを見せたが、結局は諦念混じりの嘆息を吐き出した。
「これだけ長居すればいずれはなぁと思ってはいたけどねえ。ほとんど皆、気付いてるの?」
「いや、今のところはっきりしてんのはレオナさんだけっス。オレもレオナさんから聞いて初めて気付いたし、においも近付かなきゃわかんねーし」
 ラギーの言葉を聞いて、リンはちらりと蒼白になっているユウを見遣った。匂いが分かるほどの至近距離にレオナが居たとは、一体どういう状況だったのだろう。
「リンさんはそもそもオレら生徒が見掛ける場所にいねーし、監督生はエペル系統の認識ぐらいが関の山っスかねえ」
 エペル。知らない名前だ。リンは小首を傾げたが、ユウには心当たりがあった。ポムフィオーレに所属している凄まじい美形少年だ。まるで女子かと見間違うほどに、エペルは顔の造形が整っていた。
 ユウは自分の顔がそこまで綺麗に整っていないと自覚している。とは言え酷く卑下するほどでもないとも自負している。要するに雄らしさが分かりやすく見た目的に欠けている生徒という認識らしいと、ユウは正しくそう受け取った。
「なーんか、あれっスよ。二人とも、いい意味でこう、性別をそんなに意識させないオーラがあるっつーか」
 ラギーの言葉に、リンとユウは顔を見合わせた。
 
 それは、ふたりの「性を良くも悪くも意識しないようにしよう」という取り決めが功を奏しているということではなかろうか。
 
「とは言え、女は女だ」
 レオナがはっきりと言い切った。
「お前達が望むなら特に何もしねぇ。が、そうでないなら、俺達はお前達をそう ・・扱う」
「オレ達の国だと、レディファーストが徹底されてるんスよ!!」
 誤解されかねないレオナの言い方に、ラギーは慌てて言葉を添えた。
「だからなんつーの、ほら、どうしても扱いというか接し方というかが変わってくるというか変えないと落ち着かねぇっつーか!!でもオレらにそういう文化があるのって結構有名なんでそっからバレるかもしんないっていう……
 ユウは怪訝そうに眉をひそめたが、リンはじっとラギーの言葉を聞いていた。その双眸に宿る強かな光に、ラギーはどうしても身を引いてしまいそうになる。
……
……
 沈黙が場を支配した。ラギーはとうとう言葉を失ったし、レオナは何も言わなかった。ユウはおろおろするばかりで、結局、口火を切ったのはリンだった。
「罪滅ぼしのつもりか?」
……なに?」
 レオナの柳眉がぴくりとそよぐ。尻尾が不満げにゆらりと揺れた。
「私達が望めばこのことは黙っておくと、そういうことだろう?」
……
……
 レオナが沈黙したので、ラギーは何も言えなかった。正しくレオナはそのつもり───リンに怪我を負わせた罪滅ぼしのつもり───なのだろうと察せはするが、レオナから直接そのように聞いた訳では無いからだ。
 沈黙を肯定と受け取ったリンは、淡々と言葉を続けた。
……私達の取る選択は変わらない。意識しないこと、だ」
……どっちつかずが一番やりにくいんだよ」
 レオナが苦々しげに吐き捨てる。鋭い眼光と圧倒的な重圧がリンに差し向けられた。
「ならば小僧、ひとつ教えてやろう」
 リンは真正面からそれを受け止めた。
「どっちつかずだろうが敬意と配慮を以て接し、安易で軽率な態度を控えれば何も問題は起こらん。性別以前の、ひととしての関わり方における問題だ」
……
 レオナは奥歯を噛んで口を噤んだ。正論だ。思わず目を背けたくなるほどの力強い視線に、呼吸すら乱されそうだった。
「それが分からんほど、馬鹿ではないだろ。お前達が賢いのは、この間のマジフト大会で十分知っているとも、───そのように接してくれ」
 つまりは、吹聴せず、かと言って分かりやすく態度を変えず、対等に扱えと、リンはそう言ったのだ。
 難しいオーダーだな、とラギーは小さく首を竦めた。
 この女、相当できる。必要以上に気遣うなとも受け取れるそれは、表面上は謙虚な遠慮にも思えるが、その実「当然、そちらにとっては普通レベルの気遣いなどはしてくださいね」と言っているようなものだ。女だから丁重に扱い、男だから多少雑に扱ってもまあいいだろうというラギー達の国の文化を踏襲した上での文言に、ラギーは自身の失態を自覚した。
 
 ───そういう文化があるとか、言わなきゃ良かった。
 
 ラギーの言葉やレオナの態度から、リンは二人の申し出を信用し、分かりやすい女扱いはせず、かと言って他の男子生徒にするように雑な扱いはしないよう、レオナ達に求めたのだ。
 果たしてできるのだろうか。すっかり黙ってしまったレオナ達に、リンはくすりと口端を釣り上げた。
「まさか、あれだけのことをしでかしたお前達ともあろうものが、できませんなどとは言うまいね?」
「───」
「───」
 ラギーは頬を引き攣らせ、レオナは喉の奥でぐるると低く唸る他無かった。
 完敗である。そんなふうに言われてしまっては、やってやろうじゃんとしか答えられない。
「レオナさん……
……分かった。やってやる」
 レオナが静かに答える。さしものレオナも、この手の煽りは無視できないかと、ラギーの耳がぺたんと垂れた。
「手始めに、これか」
 しかし、ラギーの耳はすぐにぴこんと跳ね起きた。
 レオナがおもむろにリンの羽織っているショールに手を伸ばしたからだ。
……ん?」
「えっ?」
 どういうことか分からなくて、ラギーも、リンも、ユウも目をぱちくりとさせている。レオナは、「あ?」と眉を跳ねさせた。
「え、いや…………手始めに、とは……?」
 そっと訊ねたリンに、レオナは至極当然といった素振りで言葉を連ねた。
「ばれねえように俺達のやり方でやりゃあいいんだろ。女が体を冷やすな。もっといいのがサムの店にあるだろうが」
「えっ」
「まさか、これ、制服か? さすがに無えだろ、ニットくらい買え」
「えっ?」
 怒涛の展開に、リンは思わずラギーを見遣った。だが、ラギーも目を白黒させている。ユウはぽかんと口を開けて固まっていた。
「あぁ、先立つものがねえんだったか。ひと足早いが、プレゼントに買ってやろうか?」
「待て待て待て待て」
 怖い怖い怖い、とリンはレオナの腕から逃れてユウに縋った。
「え、今、私の身の回りの話をしてた? 違うよね? 学校でのこれからの接し方について話してたよね?」
「オレもそうだと思ってたんスけど……
「それはそれ、これはこれだろ」
「どういうこと???」
 どきっぱりと言い切るレオナに、リンはついていけない。ラギーでさえも何が何だか分かっていないのだ。レオナは相変わらずショールの手触りを確かめて眉をしかめている。
……いや……さすがに学生に貢がれるのはちょっと……
「リンさん言い方」
「というか自作のこれだって悪くはないでしょうが!!」
 薄っぺらい織物とて、何枚か重ねれば防寒具になる。
 寒さが本格的になってきた今日この頃、リンは急遽分厚いショールを自作した。そして気遣いも同情もするつもりがないクソ烏野郎を強請って、もとい「学園を飛び出してカレッジではこんな風だったと言い触らしてやる」という言葉をオブラートに何重にも包み込んで脅し、いや対等に交渉し、暖かな布団を入手した。
 なんてったって金が無い。先立つものは食費と生活必需品に消えていく。おのれサニタリー商品、おのれ子宮、おのれ人間の雌に月経というシステムを組み込んだ進化形態、おのれ基礎化粧品を必要とする肌と社会。こいつらさえ居なければ貯蓄がもう少し増えるのに、とリンはユウと一緒になって繕いものに精を出したり、サムに対し値切り交渉をこれでもかと挑んでいた。
 外食をしたり、余暇に雑誌や本を買ったりしているわけではない。衣類はマザー・テレサが「必要最低限」と定めた各種三枚のみだし、食事だって自炊してる。ちょっといいアメニティを使っているわけでもない。
 ちなみに、衣類に関しては、リンなどはスラックスが一枚とシャツが二枚、そして自作した浴衣もどきがあるだけだ。ユウは制服と式服、ジャージが二セット支給されたので、部屋着兼寝間着用と体育用で分けて使用していた。
 つまりは、二人とも、私服なんて持っていなかった。特にリンは化粧すらままならない。ここに来て数ヶ月、髪も伸びてきたので整えたいが、それだけあるなら食費や必要経費に回したい。
 だからと言って学生の金で身の回りを整えることはリンのなけなしのプライドが許さなかった。
「そういうのマジでいいので!! 別にアンタの女でもないのにそういうことされるのは困ります!!」
 そしてリンはちゃんとNOと言える社会人だった。ユウにひっしとしがみつきながらの絶叫だったので、どこか漂う残念感は否めなかったが。
 ほーう、とぼやいたレオナの尻尾がゆらりと揺れる。あ、レオナさん、楽しんでんなとラギーは気付いた。獲物を狩る側として、リンの反応は確かにこちらを煽るものではあった。
 果たしてレオナは身を引いた。結局リンは何も受け取らないような気もしたし、変に気負われていろいろ世話を焼かれるようになったら面倒だとも思った。
 レオナは、大人にあれこれ指図される未来は、たとえ可能性だけだとしても御免被りたかったのだ。
「ま、道理だな。それならそれで、別に俺は構わねえぜ」
「さようですか……!」
 リンはそれならさっさと離れろと言わんばかりにしっしっと手でレオナを追い払った。レオナはにやにやと意地悪く笑いながら、ようやくリンのショールから手を離した。
「行くぞ、ラギー」
「えっ? あ、ウィっス」
 どーも失礼しましたァとラギーが会釈し、ひょん、とレオナの尾が揺れる。リンはやれやれと息を吐いて、ユウと一緒に二人を見送った。
「ひとを困らせて楽しむって、ガキかよマジで」
「でもリンさん、背に腹は代えられないって言葉があるじゃないですか」
「頼ってもいい奴とそうでない奴が居んのよ。次に似たようなことしようとしたらフライパンで キャメロットをぶつけてやる……!」
「リンさん……
 唸り声を上げるリンに、ユウは期末試験が終わったらリンのためにセーターを編もうと決めた。きっとそういうものなら受け取ってくれるのではなかろうか。
「さーて、と。今日のお夕飯は楽ができるみたいだし、もーちょっと繕い物進めますかあ!」
 リンが思いっきり体を伸ばして、肩をぐるりと回す。切り替えの早さに、ユウはさすがだなあと微笑んだ。
「私もテスト対策がんばります!」
「おっ、偉いぞ! がんばれ~!!」
「はい!!」
 その日の夕飯は、ラギーの手料理にやいやい言いながらの楽しいものとなったし、ユウにとってはとても良い息抜きの時間になった。今度会った時にご馳走様でしたくらい言ってやろう、とユウはラギーのことを一方的に見直してやった。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 
 
 試験期間は、リンにとっても慣れない作業の連続だった。グリムは恨めし気に「テスト内容くらいスパイして来い」だのなんだの言っていたが、リンはそれを黙殺した。
 試験問題の準備に必要な資料を探し求めて回収させられたり、答案用紙の作成を行ったり、試験監督をやらされたり、採点作業や点数入力に至るまで、ありとあらゆる雑務に駆り出された。
「ところで採点の仕方って丸ですか? それともチェック?」
「チェックだ」
「はぁい」
 危うく丸を量産するところだった。事前に担当教員から頂いた答案用紙を参考にして、記述問題以外の単語や記号問題の正誤を入力していく。できるだけミスは避けたい、とリンは目を皿にして誤答を探した。
……おかしいな」
 近くで同じように採点作業に勤しんでいたクルーウェルがぼそりと呟く。低い声に、リンは思わず肩を跳ねさせた。
 ちらりと視線を走らせると、何やら難しい顔で採点作業を続けている。リンも大人しく作業に戻った。
 それからしばらくして、リンはそっとトレインに声をかけた。
「先生、記述以外の採点、終わりました」
「あぁ、ありがとう。良ければ記述の方も採点してくれないか」
「えっ」
「指定したキーワードが使われているかどうかだけでいい。解答用紙を参照してくれ」
「あ、はい」
 休憩行こうと思ってたんだけどなあと内心で呟きながら大人しく席に戻ったリンの机に、どさりと新しい紙束が追加される。
「残りの記号問題、採点して点数入力をしておけ。できるところまででいい。俺は学園長の所に行って来る」
 返事を聞かず、クルーウェルはさっさと身を翻して行ってしまった。リンは半眼でそれを見送り、「はーい……」と言うだけ言って、先に魔法史の方を終わらせてしまおうとその紙束を机の奥の方へ追いやった。
 クルーウェルが学園長を連れて戻ってきたのは、リンが生徒ごとの点数を成績管理システムに入力していたときだった。スマホがあればパソコンもあるこの世界で、リンは故郷での経験を活かしててきぱきと作業を行っていた。
「平均点を出せるか」
「あぁ、はい」
 リンは最後の入力を終わらせて、素早くシステムを操作した。瞬き一つで平均点が算出される。
「おわ、九十一点。すごーい」
「おかしいな」
「おかしいですねえ」
「えっ」
 平均点が高いということは今回のテストで頑張った生徒が多いという結果である。あるいは教員がサービス問題ばかりを用意してしまったかだが、クルーウェルの反応を見るに、どうもそうではないらしい。
「他の学年と授業の物も出せ」
「まだ全部終わってないですよ」
「ある分だけでいい」
 リンは言われたとおりに点数の入力が終わっている教科の平均点を出した。
「今回、採点しててもすごくやりやすかったので、ここの生徒さんたちは優秀優秀と思ってたんですが……
「おかしいな」
「おかしいですねえ……
「えぇ……?」
 気付けばトレインもパソコン画面を覗き込み、「あぁ、おかしいですな」と言い出す始末。リンは訝し気に眉を寄せた。
「なんですか、揃いも揃って」
「小テストを行った時よりも平均点が面白おかしいくらいに跳ね上がっている」
……そりゃあ……
 勉強したからでは……? と首を傾げるリンに、クロウリーは大仰に溜息をついた。
「また、アーシェングロットくんの仕業ですかねえ……
「アーシェングロット」
 はて、どこかで聞いたことのある名前だ。リンは記憶を探り、はたと学生にしては取り繕った笑顔の仮面をつけていた眼鏡の生徒を思い出した。マジフト大会で散々リンをこき使ってくれた運営委員会委員長のアズールのファミリーネームがアーシェングロットだったような気がする。
「確か、何かの教科で満点取ってましたっけね」
「彼、二年生にしてオクタヴィネル寮長を務める優秀な生徒なんですが、ちょっと、いや結構、困ったところがありまして」
「はあ」
 ちらりとクロウリーの視線がリンに移る。リンはさりげなくその視線から目を背けた。
「気になりません?」
「いいえ全く」
「そうですか、気になりますか。では説明して差し上げましょう私優しいので!! あれはちょうど一年前の事……
「ちょっと言語能力に支障をきたしてますよこの烏」
「諦めろ、こういう御仁だ」
「アーシェングロットくんはなんと、過去百年分のナイトレイブンカレッジ期末テストを調べ上げ、傾向を分析し対策を練りまくった対策ノート『虎の巻』をその実力で作り上げてしまったんですッ!!」
 クロウリーが声を張り上げる。何かを言う気力も失せて、リンはてきとうに「へー」と相槌を打った。傾向と対策を調べるのなら一世紀も前のものにまで遡って手を出す必要はあったのだろうかとも思った。
「そして彼はその対策ノートを海の魔女の如き慈悲深さで他の生徒に貸し与えていたんです……契約と共に」
「慈悲とは?」
 一気に濃くなった商売っ気に、リンは思わずぽろっと言葉を零してしまった。いい気になったクロウリーは滔々と話を続けた。
「対策ノートを貸し出す代わりに、アーシェングロットくんが定めたテストで良い成績を残す。貸出営業なので担保として生徒が使う魔法をひとつアーシェングロットくんに預ける。契約通りに基準をクリアできれば能力は生徒に返還されますが、クリアできなかった場合、能力は返還されず、───その生徒は卒業までずっとアーシェングロットくんの手下として生活することに」
「あんれまあ」
 学生とは思えぬえげつなさである。いっそ感嘆するリンに、「それだけじゃない」とクルーウェルが話を引き継いだ。
「名門校からささやかな魔法しか使えない生徒が卒業しては困るだろうと学園長を脅してな。生徒を解放する代わりに、オクタヴィネル寮にてモストロ・ラウンジというカフェバーを経営する許可をもぎ取った」
「しかも売り上げの一割を上納するというWin‐Winな関係まで提示してきて……!! あぁ今年は一体何を要求されるやら……!!」
「しっかりマージン受け取ってんじゃねえか」
 リンは半眼でクロウリーを見やった。学生の自主性を重んじていると言えば聞こえはいいが、その実、生徒のやりたいように振り回されているだけである。可愛げなどあったものではないし、教員が生徒の手綱を取ることができていない。教員陣の様子からして、そのラウンジの経営に学園が口を出せているわけでも無さそうだ。
「衛生法とか大丈夫なんですか? 病気でも出たらどうするんです。責任は学園側に転嫁されるんじゃないんですか?」
「なるほど、そういう視点がありましたか。さすがリンさん、その調子で少しでも騒ぎを起こさないようにする方法など考えてください」
 リンは黙って親指と人差し指で輪を作り、残りの三本指を綺麗に揃えた。
……二割増でどうでしょう」
「給料に見合わねえことはやらねえと何度もお伝えしているはずですが」
「五割」
「舐めとんのか? 十割」
「倍じゃないですか!!」
「労基に訴えてもいいんですよ」
 リンはどこ吹く風で爪を弄った。クロウリーになど見向きもしない。
「うぐぐ……六割五分!!」
「九」
「七!」
「八割五分」
「分かりました、分かりましたよ!! 八割増やします!!」
交渉成立 It's a Deal。ありがとうございます、学園長」
 にっこりと笑うリンに、クロウリーは「私こんなに優しくしてるのに!! おーいおいおいおいおい!!」と派手に涙で頬を濡らした。リンの良心は全くもって痛まなかった。
「さすがの手腕だな」
「ようやくこれで月五万すわ……
 思わず頬を緩めたリンの口の端から零れた金額に、クルーウェルとトレインは信じられないようなものを見る目でクロウリーを見やった。クロウリーはまだ懐が寂しいなどと抜かして泣いていた。
「それで、参考までに。去年、アズールが提示した、生徒がクリアすべきハードルはなんだったんですか?」
 クロウリーがずずっと鼻を啜る。「なんでしたっけねえ」と言うクロウリーに、確か、とトレインが視線を巡らせた。
「総合点でボーダーを設けていたように思うが……
……高得点獲得者が多過ぎて分からんな」
「ふむ」
 リンは某顧問探偵のように両手の指先をぴたりと合わせ、口元に当てた。そして思案する。
 去年、アズールはモストロ・ラウンジ経営のために生徒達を出汁にした。ならば今回も、契約した生徒達はほとんど何かの交渉材料にされると見ていいだろう。それが何かは分からないが、いわば人質である生徒の数は多ければ多いほどいい。
 一見クリアできそうな契約を持ちかけた上であぶれる生徒を手ぐすね引いて待っているなら、総合点でボーダーラインを決めることは、アズールにとって旨味の少ない話のはずだ。何せアズールの練り上げた虎の巻ならば高得点が確実に取れることを売りにしているだろうことは明白だった。
 リンの視線が、点数とは別に、名前の横に記されている数字を捉える。
「順位ですかねえ」
「ほう、順位」
「五十位以内に入れなかったら契約違反、とか。詳しい数字は分かりませんが……
「有り得るな」
「これは大騒ぎ間違いなしですね……
 クロウリーが肩を落とす。リンは唇を食んで、ひとまず優秀な成績順に名簿を並べ替えた。
「んー……学年クラス混ぜこぜで順位表を作ってるんですか?」
「学年は別だな」
「満点が三十人もいますよ」
「異常だな……
 クルーウェルが苦々し気に言った。
「まぁ……一つの方法として、こうするのはどうですかね」
 リンはパソコンを操作して、順位が記入されている欄を一斉に書き換えた。五百点満点の三十人が皆揃って一位となり、その次の四九八点の生徒十三人が二位となる。
「ははぁ」
「こうしたら……、被害は減らせるんじゃないんですかね」
「計何人になるんだ」
「えー……四四六点が上から五十番目の点数なので……一学年あたり、ざっと百人くらいですかね」
…………………………
 なんとも言えない空気がその場に漂った。リンは所詮他人事なので、肩を震わせ、喉の奥でくつりと笑った。
「どうします? お給料が増えたので、廊下に張り出す順位と成績反映用の順位で分けることはやぶさかではないですよ」
「それは……願っても無い申し出なのですが」
「頭が痛い……
 トレインが額を押さえる。ぴしりとクルーウェルの持つ指示棒が鳴った。
「これだけの点数が取れるのだからと休暇課題を出したらよろしい」
「それもそうだな。やれやれ、手間のかかることだ……
 クルーウェルがくつりと笑う。リンは、内心で「すまん」とユウ達に謝った。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 
 
 来る成績開示当日。
 成績優秀者は名前の一覧を廊下に張り出すことになっている。張り出し作業を任されたリンは、あぶれた百人あまりの生徒が頭にイソギンチャクを生やし、うわああと悲鳴を上げながらどこかへ連れていかれるのを目の当たりにした。
 どこかで見た事のあるような顔も居た気がするので気にはなったが、リンにはこれから成績反映のために実際の順位をつける作業が残っている。リンはさっさと自分のデスクがある事務局に戻った。
「仔犬共の様子はどうだった?」
 待ち構えていたらしいクルーウェルに、リンは「いやあ」と口をまごつかせた。
「なんというか……頭にイソギンチャク生やした生徒が結構いましたね」
「そうか。どうだ、生徒を守り切れなかった感想は」
「真面目に頑張った生徒さんに正当な順位をお伝えできて良かったです」
「クク、なるほど」
 リンは、アズールの暴走をできるだけ押し留めるために提言をしたのであって、頭にイソギンチャクが生える生徒を一人でも減らしたかったわけではない。
 そもそもあんな胡散臭い連中が「慈悲です」と対価を要する契約を迫るのだから、多少は詐欺を疑ってかかるべきなのだ。何事にも契約内容にはきちんと目を通さなければならない。学生の内に学べたのだから、良い経験になるだろうとすらリンは思っていた。
 さっさと仕事を切り上げて、リンはいつも通りに館へと戻った。
「たっだいまー!」
 おかえりなさい、と談話室から声がする。ひょこりと廊下に顔を覗かせたのはユウだけではなかった。
「っス」
「あれ、ジャックくんだ。こんちわ! いらっしゃい、ご飯食べに来たの?」
「え? いや、違います」
「あれ、そうなの?」
「リンさあん……
 ユウがしおしおとなりながらよたよたとリンに腕を伸ばす。
「あらあどうしたの」
「エゥ……
 ぎゅう、とリンの胸に顔をうずめ、ユウはどうにかこうにか言葉を絞り出した。
「また、厄介事を押し付けられました……
「あンのクソ烏」
 すとんと下がった体感温度に、ジャックはうっかりヒュッと喉を鳴らした。
「食費の……生活費のことはリンさんが稼いでくれてるから……なんとか言い返せたんですけど……元の世界に帰るリサーチをしているから時間が無いと言われたら……もう何も言えなくなって……
「だったら進捗状況くらい教えてくれたっていいじゃねーのよ畜生……!! 折角期末試験を乗り越えた学生に……なんということを……!!」
「リンさあん……!」
 うわあんと嘆くユウを、リンはひっしと抱き締めてやった。
「せめて今日はいいもの食べようね……! あっジャックくんも食べてく?」
 リンの纏う空気がぱっと入れ替わる。その落差に、ジャックはたじろいだ。
「いや、えっと、俺は……
「リンさんのご飯、美味しいよ! 今日はハンバーグケーキですよね!」
「そうでーす!! リンさん頑張っちゃうぞ!!」
「ハンバーグケーキ……!?」
 ジャックとて健康的な男子学生である。字面からして魅力的な響きに、ジャックはごくりと唾を飲み、夕飯をご馳走になることにした。
 
 
 
 
 
 リンは早速料理に取り掛かった。自炊生活で慣れた手捌きにジャックは目を輝かせて「すげえ」と見入り、玉ねぎのみじん切りによって涙目になっていた。
「ジャックくん玉ねぎとか大丈夫なの?」
「大丈夫っス」
「良かった~」
 ジャックがなんの獣人族かは知らないが、耳や尻尾の形からなんとなく犬系だと判断したリンは、心底からそう言った。
 ハンバーグケーキは混ぜたり捏ねたりする作業をすべてフライパン上で行うので、慣れれば短時間で作ることができる。添え物のサラダや副菜はリンの指示でユウがてきぱきと作り上げた。ジャックも慣れないながら、スープを作るのを手伝った。
 あとは焼きあがるのを待つだけとなったとき、リンが「それで、」と綺麗に笑った。
「アイツには何を押し付けられたの?」
 もはや烏とも呼ばなくなった。ジャックはきゅっと唇を引き結び、ユウは淡々と「アズールっていう先輩の説得です」と嘆息交じりに言った。
「あ、もしかしてイソギンチャクの件?」
「え、リンさん、ご存じなんですか」
「ご存じよ。あいつめ、自分が後で取引したくねえからって欲目出しやがったな」
 リンがぼそりと低く吐き捨てると、ユウとジャックは思わずと言った体で顔を見合わせた。
「で、どうすんの? アズール、結構かなり、強かだけど」
……ひとまず、アズール先輩がどういうひとなのか探ろうと思って」
 リンの問いに答えたのはユウだった。
「説得とか、する隙なんて無さそうですけど……
「無いだろうねえ……
「ですよねえ……約束事は破っちゃいけないですし……
「そう、その通り。二人とも、これからいろいろ契約しなきゃいけない場面に出くわすかもしれないけど、契約書は隅から隅まできちんと読むんだよ」
「肝に銘じます」
 ユウが神妙に頷く。ちょうど、ハンバーグケーキが焼き上がった。三人が半分ほど食べ進んだ頃、こき使われてへろへろになったグリムが這う這うの体で帰寮した。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 
 
 あぁ、忌々しい。
 アズールは学園長室を後にすると、険しい顔でそれと高く舌を打った。クロウリーの芝居がかった台詞が、いやに耳にこびりついている。
 
 ───いえね。あまりにも高得点獲得者が多いものですから、今回から同立順位を認める方向性に切り替えようかと思いまして。正当な努力には正当な評価を。教育者としては当然でしょう?
 
 お陰で手に入るはずだった二二五の魔法の内、一一三が元の持ち主へ返されることになった。
 元々の契約者は二五〇名程度いたが、そのうちの二十名そこらは五十位以内に入るだろうと見込んでいた。しかし、それでも二二〇個ほどの魔法がコレクションできる。そしてそれを用いれば、アズールが立てた計画は順調に滑り出すはずだった。
 数だけ見れば、アズールは百以上の魔法を有していることになり、それは客観的に見ても異常と言える有り得ない数値なのだが、想定量の半数しか利益を上げられなかった事実がアズールの苛立ちを募らせていた。
 
 ───しかし、成績反映に同立順位を用いるのは、いかがなものかと……
 ───ええ、成績は優劣をつけるものですからね。勿論、成績には同立順位は反映させませんよ。
 ───そ、れでは。かなりの手間暇がかかるのでは?
 ───なに、今年は大変コスパの良い、ンン、失礼、優秀な事務員を雇うことができましたからねえ。先生方の負担にもならず、真面目に頑張った生徒へ正しい順位というご褒美をあげることができました。
 
 コスパのいい、優秀な事務員。アズールには一人、心当たりがあった。
 今年の入学式でオンボロ寮の監督生ユウと共に異世界から招かれた魔法の使えない人間、リンである。
 リンが仕事のできる人間だということは、アズールもよく知っていた。リンはマジフト大会当日、アズールが次々下すオーダーを常に完璧以上のクオリティでこなしていた。下された指示の意図やその先を考えて、文字通り痒い所に手が届く仕事ぶりを披露してくれたのだ。
 おかげで煩わしい雑務があっという間に片付いた。時機を見てモストロ・ラウンジに正規職員として勧誘したいぐらいだった。
 しかし、ここまでされてはアズールとて黙ってはいられない。金銭が介在するだけの、あくまでも対等な契約など生温い。
 
 ───絶対に飼い殺してやる。
 
 アズールの鋭い眼光は、その場には居ないリンを、まっすぐに射抜いていた。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 
 
 虎視眈々とその身を狙われていることを知らないリンは、今日も今日とてユウ、ジャックと共に夕飯を楽しんでいた。ちなみに、リンさんちの今日のご飯は天ぷらである。天つゆは用意できなかったので、塩が添えられた。
「うわ、タコの天ぷらだ!」
「すぐ傷むからって、余った足だけ厨房からたっくさん貰えてさあ~! もうこれは天ぷらにするしかありませんね!! ってことでいっぱい食べて~!!」
「いただきまーす!!」
「いただきぁス!!」
 昨日の今日ですっかり胃袋を掴まれたジャックも、尻尾をぶんぶんと振りながら見ている方が気持ちよくなる食べっぷりを披露した。
「あ、そだ、リンさん。私達、今日これからモストロ・ラウンジに行って来ます」
「ほわ? なんで?」
 ユウはひょいぱくひょいぱくとタコの天ぷらを口に放り込みながら、今日の昼休み、食堂でリーチ兄弟に絡まれたことを話した。
「お悩みがあるなら、アズールに相談してはいかがですか、って。正直めちゃくちゃ罠臭いんで、リンさんに相談しようってジャックと言ってたの、天ぷらの衝撃で忘れてました」
「あっぶねえ~、忘れないであげて!」
 ユウとジャックの頬がリスみたいに膨らんでもそもそ動いている。リンは堪え切れずに忍び笑いを零した。
「まぁ、『慈悲です』って自分から言う奴にはどこぞの獣な尼僧しかり、我が道以外は邪道と切り捨てる王様しかり、碌な奴が居ねえのは確かなんだけどな」
「アズールも碌な奴じゃないってことですか?」
 ユウがごくんと口の中にあったものを飲み下す。ジャックはリンにお伺いを立ててGOサインをもらった後、いそいそと白米をおかわりした。
「五十人以上の生徒と契約を交わして最初からあぶれる人間を用意しておく詐欺師サマだ、まぁ十中八九、契約かなにかを持ちかけられるだろうな」
「ですよね」
 お吸い物を啜ったユウが頷いた。
「ジェイド先輩も、お願いがあるなら、って言ってましたもん」
「願いを叶えるには対価が必要。そしてその対価は多すぎても少なすぎてもいけないと極東の魔女も口を酸っぱくして言っているわけだが」
 でなければ疵がつく。
 現世の軀に、星世の運に、天世の魂に。
 そして今回、ユウが叶えようとしている願いは、アズールの手下になってしまった生徒百余名の解放である。その中にはグリムやエース、デュースの存在も含まれているらしいことを、リンは今日になって初めて知った。
 ユウの願いを叶えるために要求される対価は分からない。分からないが、しかし。
 これまでのアズールの手口を鑑みるに、彼の真の狙いは担保として預けられる物事にこそある。
「要求される対価はブラフだな。本命は担保だろう」
「それはつまり……担保を手に入れたいがために、対価を用意しようとするユウを邪魔しに来る可能性もある、ってことっスか」
 リンの言葉に、それまでもくもくと腹ごしらえに専念していたジャックが反応した。リンは「可能性はあるだろうなあ」と頷いた。
「ひとを見かけで判断しちゃいけないけど、あいつらギャングとかマフィアみたいだったし」
「あー……分かります……
「それで、お前、担保にできるものは何かあるのか?」
 ジャックの言葉に、うーん、とユウは難しい顔をして腕を組んだ。
「リンさんと違って私は働いてないから貯蓄も無いし……一学生だし……監督生って言っても寮生なんてグリムだけ……あっ」
 ぱっ、と目を見開いたユウは、ぐるりと周囲を見回した。
……いや、でも……えぇ……?」
「なんだ、言ってみな」
 だんだんと訝し気な顔つきになっていくユウを、リンが促す。ユウは考え考え、言葉を紡いだ。
「一応、ここの管理は私に一任されているので……この館の管理使用権限くらいなら担保に入れられるんですけど……
 ユウの手の中でオンボロ寮の玄関の鍵が小さく音を立てた。あ、とユウ以外の二人が目を丸く見開く。
「それだわ」
「でも、何のためっスか?」
「なんでもいいでしょ。別の店を経営するとかなんか……いろいろ……使い道はあるくない? これだけ広いし、私が交渉して学園にいろいろ整備してもらったし、ユウと一緒に掃除して粗方綺麗になってるし」
 言葉を並べるリンの目つきが徐々に据わっていく。ユウは何度か目を瞬かせた。
「なァるほど……人件費をイソギンチャクで浮かせたその次は物件代設備費その他諸々をまるっと浮かそうってか……調子のいいことじゃないの……他人様が汗水垂らして整えた生活環境をよォ……!!」
 あっこれ獲物が横取りされそうなときの捕食者のアレだ、とジャックはさすがの勘で悟った。
……あー……でもどうしましょう、他に担保に入れられそうなものは無いですし……、住むところもなくなっちゃいますし……
……しばらくは学園の軒先をお借りするか、保健室でお世話になるかだな……
……
 遠い目をするリンとユウに、ジャックはどこか思案する素振りを見せた。
 だが、自分達の明日がどっちへ行くか分からないユウとリンはそれに気が付かなかった。リンが諦めたかのように息を吐く。
「ユウさんや」
「はい」
「私は荷物を纏めておく」
「分かりました」
 ユウが丁寧に頭を下げる。顔を上げたユウの瞳には、力強い光が宿っていた。
「ご馳走様でした、リンさん。行って来ます」
「応、お粗末様でした。行っといで」
 ユウはすっくと立ちあがると、てきぱきと食器を水にさらし、「行こう、ジャック」と声をかけた。そしてそのまま、素早く階下へ降りて行く。
「あ、おう。え、っと、ご馳走様っス」
「はい、お粗末様。あぁいいよ、片づけはやっとくから」
 ジャックを制し、リンは悪戯っぽく片目を瞑った。
「ユウに付き合ってくれてるんでしょ。ご飯はそのお礼」
……うス」
 ジャックは気を引き締めると、折り目正しくリンに頭を下げて、すぐに踵を返してユウを追いかけた。
 二人を見送ったリンが、鋭く息を吐く。
……留守は頼んでいいのよね?」
 四方八方の壁から、幾つもの透き通る白い腕がにょきっと生えた。サムズアップしたり、丸を作ったりしているそれらに、リンは笑顔で「頼んだわよ」と呟いた。
 
 
 
 
 
 モストロ・ラウンジに向かう道すがら、ジャックは思わず、「すげえな」と独り言ちた。
「ん?」
 ジャックの数歩先をしっかりとした足取りで進んでいたユウがジャックの方を顧みる。
「お前とリンさん。すげえな、って思って」
……リンさんはともかく、私も?」
 首を傾げるユウに、ジャックは「あぁ」と首肯した。
「最後のやり取りとか、特に。お前もリンさんも、互いのことを信じてるって感じだった。いいな、そういうの」
……
 真っ直ぐに褒められて、ユウは少々面食らった。けれどもすぐに、恥ずかしいような、嬉しいような、擽ったい気もちがふつふつと湧いてくる。
……へへ。うん、……まあね!」
 ユウは胸を張って、にかっと笑った。ジャックも微笑んで返してくれる。
 なんだか、誰にも何にも負けない気がしてきた。今の私はスター獲得後のレインボー無敵状態だ!
「よーし、負けないぞ!!」
「おう」
 意気込むユウに、ジャックも気を引き締め直す。
 オクタヴィネルの海の底は、もうすぐそこにまで迫っていた。
 
 
 
 
 
 リンはばたばたと忙しなく動き回っていた。ひとまず食器などを片付けた後は、冷蔵庫の中にある消費期限の近いものを確認する。グリム用に作り置いた天ぷらは予め塩を振り、すべてタッパーに移し、紙袋にまとめた。
 自分の荷物は片手で持てるほど少ない。布の切れ端を超特急で繋ぎ合わせて大きな風呂敷を作り、そこに私物をまとめていく。念の為、毛布を一枚追加した。
 ユウの方の荷物は、普段ユウが使っている学生鞄に入れていく。教科書やノートは量が量なので、嵩張らないものは鞄の中へ、それ以外は紐でひとくくりに。
……引っ越しの経験がここで活きるとは思わなかったな……
 何事も経験しておくものだなあとリンはしみじみ思った。
 グリムの私物らしきものはツナ缶しか見当たらなかった。リンは最後に、フライパンを私物の上にそっと置いた。
 ひとまず今日をどこかで耐え凌げば、後は学園長と交渉してどうにかしてもらえるだろう。この際、保健室のベッドを二つ貸してもらえればそれで良い。
 ユウがグリムと共にリーチ兄弟を連れて館に戻ってきたのは、もうすぐ深夜になろうかという時間帯だった。今日はグリムが居ないので、暖炉には赤々とした火が焚かれている。
 ひたすら無心で繕い物を進めていたリンの耳に、来客を知らせるブザーが鳴り響く。
 リンは素早く身を起こして、「はいはい」と玄関へ駆け寄った。
 扉を開けると、ぬっと長身が迫ってくる。
「あ、どっかで見たことある顔だ〜」
「お久しぶりです、リンさん」
「そうそう、そんな名前」
 にっこり、似ているようで全く別の笑身を浮かべる双子に、リンもにっこりと笑みを返した。
「マジフト大会ぶりね。お久しぶり、そしてこんばんは」
「こんばんは。夜分遅くに失礼します」
「失礼しァス!」
「はい、いらっしゃい」
 ずかずかと踏み入る双子を見送って、リンはユウ達を柔らかく出迎えた。
「おかえり、ユウ、グリム」
「ただいまです」
「おー……
 へろへろのグリムにつられて、頭のイソギンチャクがゆらゆら揺れる。リンはグリムを抱え上げた。ぐでん、とグリムの体が伸びる。
「リンさん、今日から私と一緒に野宿です。ごめんなさい」
「はい、いいですよ。荷物、談話室にまとめてあるから、確認して」
「ありがとうございます。グリム、行こう。もうちょっと頑張って」
「ふなぁ……
 リンからグリムを引き取ったユウがぱたぱたと談話室へ駆けていく。入れ替わるようにして、中を検分していた双子が戻ってきた。
「なぁにィ新人ちゃんってば〜、随分物分りがいいんだねぇ」
「もしや、こうなることを察していらっしゃったんですか?」
「まぁね。なんだい、二号店でも開くのかい?」
「えっそうだよ! すごい、なんで分かったの新人ちゃん!!」
 フロイドが目を輝かせる。リンは「ん〜なんでかな〜」とてきとうに答えた。
「フロイド、ユウさん達の努力如何によっては分かりませんよ」
 ちっともそう思っていない顔でジェイドが微笑む。フロイドも「アハ♡」と歯を剥き出しにして笑った。
「それもそうだねぇ、ジェイド。小エビちゃん達が可哀想だねぇ」
「えぇ、フロイド。契約はなんとしても守って頂かなければ」
 くすくす、双子が笑い合う。リンはそれを、なんとも思っていない顔で受け流した。
 それを見て、フロイドの口端が下がる。しかし、フロイドが何か言う前に、荷物を持ったユウが「お待たせしました」と玄関先に現れた。
「え、小エビちゃん達の荷物、これで全部?」
「担保回収時に残っていたものはすべて処分させていただきますよ。大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。もう処分するものも無いと思いますけど……たまに学園の式典で使う机とか椅子とか物置代わりに置かれてあるので、処分の際は気を付けてくださいね」
……
 飄々と言うユウに、双子は顔を見合わせた。思わずと言った風体に、リンは内心で噴き出しながら、ユウから自分の分の荷物を受け取った。
「じゃ、まずは寝れるところを探しに行くか」
「はい、リンさん。引っ付いて寝ていいですか?」
「勿論。鍵は渡したね? それじゃあ行こう」
 軋んだ音を立てて、扉が閉まる。館の中には、思ったよりも呆気ない反応だったリンとユウに対して「つまんね」と半眼になったフロイドと、それに苦笑するジェイド、そして新しい住人(仮)に対して洗礼の準備を万端に済ませたゴースト達が取り残された。
 
 
 
 
 
 冷たい風が吹きすさぶ。グリムは涙目になって、リンの腕の中に潜り込んだ。
「イーッ、寒いけどグリムはぬくい……今日からテメーは湯たんぽだこのイソギンチャクめ」
「リンさん、まずはどうします? やっぱり保健室ですかね」
「あぁ、そうだね。今日はもう遅いから、明日学園長に掛け合って、どこかに……対価の納品はいつまでになったの?」
「三日後の日没までです」
「じゃあ今日を含めたら三泊か」
 背中を丸めながらグリムを抱えて腕を摩るリンに、ユウはふと眉を寄せて俯いた。
……ごめんなさい、リンさん」
「ん?」
 肩を落として歩くユウに、リンは目を丸くして首を傾げた。
「リンさんは、寮生じゃないから、オクタヴィネルのゲストルームに泊まることもできたんです。でも……私が学園長から預かっているので、リンさんの処遇は学園長と交渉してからにしてくださいって……無理矢理に断っちゃいました」
 ぽつりぽつりと語るユウに、リンは「なんだ、そんなことか」と気を緩めた。
「私のためにも、ユウのためにも、夜は二人で居た方がいい。たとえオクタヴィネルのゲストルームに泊まることになったって、私は屁理屈捏ねまわしてユウと一緒に過ごせる方法を探すよ」
「リンさん……
 リンの言葉に、ユウは頬を緩めたが、それでも申し訳なさそうな表情は晴れなかった。
 どうしたものかな、と思案するリンの耳に、ふと「おーい!」という聞き覚えのある声が届く。いくつかある足音は、あっという間に二人との距離を縮めた。
「エース、デュース! それに、ジャックまで」
 ユウが目を丸くする。リンもおやまあと立ち止まった。
「見事に生えてんねえ」
「うぐ、それには触れないでください……!!」
「オレ達、グリムはともかく、ユウとリンさんを助けに来たんだって!!」
 胸を押さえて呻くデュースを押しのけて、エースがリンとの間に割って入った。
「オレ達にも責任の一端はあるというか、それで風邪でも惹かれたら寝覚めが悪いというか……、とにかく、寮長に話はつけてあるから!」
「僕達一年の四人部屋ならって許してくれたぞ」
 ハーツラビュルに泊まりに来い、という二人に、ひとまず屋根のある場所で寝られそうだと、ユウとリンはほっと安堵の息をついた。
「おい、四人部屋に二人と一匹を放り込む気か……? ハーツラビュルに空き部屋はねえのかよ」
 ジャックが少々呆れながら言う。デュースが申し訳なさそうに答えた。
「ハーツラビュルは、ここ数年、留年も退学者も出てないから、部屋が常に満杯なんだ。本当はトレイ先輩が部屋を譲ろうかって言ってくれたんだが、寮長が『トレイは一年を甘やかしすぎだ』って……飛び火しそうになって……
「それはまぁ……無理は言えないな」
「毛布あるから、床で寝るよ」
 苦笑するリンに、ユウも首肯する。しかし、ジャックが頭を掻きながら言葉を挟んだ。
……それなら、サバナクローに来るか?」
「えっ」
 全員の視線がジャックに集まる。ユウとリンは思わず顔を見合せた。
「交渉についてってやるとかいろいろ言っておいて、何にもできてねえし……さっき、空き部屋があるのも確認してきた。掃除すれば寝られないこともねぇ、……はずだ」
 マジフトの件もあるし、寮長も悪くは言わねえだろう、と続けるジャックに、エースとデュースは「へぇ〜」と意地悪い笑みを浮かべた。
「ジャックくんって実は優しいんだあ〜」
「意外な一面だな」
「勘違いすんなよ! 次のテストのためにユウにはアズールに勝ってもらわなきゃならねえだけだ!」
 がおうと吠えるジャックに、エースはわざとらしく「そういうことにしときましょ!」とからから笑って見せた。
「人の善意をからかうんじゃない」
「、……うぃす」
……すみません……
 ぴしゃりと喝を入れたリンに、エースとデュースは揃って首を竦めた。
 ちらりとジャックを見遣ったエースが、ごめん、と軽く謝り、デュースも悪かったなと声をかける。ジャックはおう、と短く返したが、ひょんと尻尾が揺れていた。
……それじゃ、サバナクローにお世話になります」
 ユウがぺこりと頭を下げる。オンボロ寮リターンズだな、とリンは乾いた笑みを浮かべた。
 
 
 
 
 
…………………………却下だ」
 話を聞いたレオナは、難しい顔をして、結局はそう言った。流石にここまできっぱり言われるとは思っていなかったらしいジャックが困ったように視線を彷徨わせる。
「ウチの寮はペットの持ち込みを禁止してる。毛が落ちるからな」
「嘘つけぇ」
「オマエらの方がオレ様より余程フサフサしてるじゃねぇか!」
 思わず口を開いたリンの腕の中から少しだけ元気を取り戻したグリムが牙を剥く。しかし、すぐにユウによってちょっと黙ってなさいとばかりにむぎゅりとリンの腕の中に押し戻された。
「ま、それはそれ、これはこれっス」
 ラギーが意地悪く笑った。
「大体な」
 レオナが嘆息する。
「空き部屋の掃除なんか何ヶ月もしてねえし、寮生共のがらくた置き場になってんだろ」
「寝れる場所じゃないから他を当たれと、なるほど」
「お前は、黙れ」
 すかさず言葉を挟んだリンに、レオナが唸る。リンはどこ吹く風で「はいはい」とそれを受け流した。
「あ、それなら、レオナさんの部屋に置いとけばいいじゃないっスか」
「えっ!?」
 ユウとジャックが目をひん剥く。ある程度の予測がついていたのか、レオナは眉間の皺を更に深くしてラギーを睨めつけた。
「だって、レオナさんは部屋に召使いがいるのとか慣れっこでしょ? 部屋に置いとく代わりに身の回りの世話、焼いてもらったらいいじゃないっスか〜」
 しかし、睨まれる程度で心が折れるラギーではない。この程度の鋭い眼光を受け流すことなど、ラギーにとっては日常である。
 ラギーは、わざとらしく耳と眉をしょんぼり垂れさせて、よよよとリンにしなだれかかった。あっとユウが声を上げて眦を吊り上げる。
「いやあ、オレ、まだマジフト大会の時の傷が癒えきってないんスよね〜、何せレオナさんのために命張って、魔法薬を飲んでまで魔法使ったんで、ハードワークはしんどいんスよ〜」
 ラギーはレオナのためという部分を殊更強調した。強かである。何を面白がったのか、リンも「それは可哀想になぁ」と分かりやすい芝居を打ってラギーをよしよしと撫でてやった。
「コイツらがレオナさんのお世話を手伝ってくれれば、治りも早くなる気がするなぁ〜!」
 果たして、レオナはそれと分かりやすく舌を打った。命を張ったとは言い過ぎなきらいがあるが、自分のために無理をさせたことはレオナも承知している。そして王族というものは、何よりも体面を気にする生き物であった。
 自分の手下にそこまで言われては、レオナとて受け入れてやらざるを得ない。
……だが、たった三日とは言え、サバナクローにか弱いお荷物を置いとくつもりはねえ」
 とは言え、自分の傍に置くかどうかは別問題である。
 リン達がレオナの世話を断ったことも記憶に新しい。掌を返しやがってとレオナは悪態をつきたかったが、「道理だと受け入れたのはお前だろ」とリンに言い負かされる未来しか見えなかった。そして何より、レオナ達は二人を対等に扱うことを約束したも同然だった。
 だから、そう。これは、必要なことなのだ。
「お前ら、ちょっと来い」
「へい」
「お呼びですか、寮長」
 がたいのいい寮生たちがしなやかな動きで現れる。レオナはユウ達を睥睨し、挑発するように口端を吊り上げた。
「ウチのと勝負しろ。勝ったら小間使いとして置いてやってもいいぜ」
 レオナの言葉に、グリムがリンの腕からするりと飛び降りた。ユウも「うわぁ……」と嫌そうな顔をしつつも立ち上がる。
「お手柔らかにお願いします!」
「えー、マジっすか」
 可哀想にと嘯いて、ラギーはあっという間にリンから離れて行った。リンは嘆息し、フライパンを肩に担いで立ち上がった。
「小間使い……懐かしい響きだ。第七特異点バビロニアは遥か遠い……
「リンさん、魔法勝負になると思うので危ないですから下がってください」
「あらぁ……
 ユウにすげなく返されて、リンはちょっとだけしょんもりした。しかし、リンの心の残機はまだストックがある。
 気を取り直して、リンはにやにやと小馬鹿にした笑みを浮かべている寮生たちと向き直った。威嚇のためか、グリムが足元で唸っている。
「マジフト大会にて大活躍だったこのフライパンの真の力、お見せしようじゃねえか! 名にし負わば縁に依りて、私は災厄の席に立つ!」
「何言ってるんですかリンさん!!」
「ハッ、たかがフライパンだろうがよ!!」
「やっちまえ!!」
 寮生たちのマジカルペンに飾られた宝石が輝きを放った。
「グリム、頼んだ!」
「任せろ!」
 グリムの首から下げられた魔法石も、淡く光り始めた。
「ここはすべての疵、すべての怨恨を癒す、我らが故郷───」
 互いの魔法が、魔力によって形を取り始める。リンの構えるフライパンが星の光を纏い始めたことに、気付いたものは誰一人居なかった。
「オラァ!!」
「ふな゛ぁっ!!」
 寮生たちとグリムの魔法が凄まじい勢いですれ違う。寮生たちはマジカルペンで威力を削いで防いだが、グリム達は素早く後方に飛び退った。
「っ、リンさん!」
 ただ一人、動かなかったリンへ魔法攻撃が迫る。
「顕現せよ!! 『いまは遥か理想の城 ロード・キャメロット』!!」
 カッと音を立てて輝いた フライパンが、勢いよく振り下ろされる。瞬間、顕れた白亜の城門が、威力十分の魔法攻撃をしっかりと受け止め、

「っらァ!!」

 ───気合い一閃、振り抜かれたフライパン に真っ直ぐ跳ね返された。

「うっそォ!?」
「ちょマジ」
 寮生のひとりは、咄嗟に、横に立っていた生徒を自分の前に引き摺って盾にした。
「ギャッ!!」
 諸に腹へ喰らった寮生が、自分を盾にした生徒を巻き込みながら派手に向こうへ吹っ飛ばされる。二人はばしゃん、と盛大な水飛沫を上げて、談話室の滝壺に墜落した。
 ぽかん、と口を開けて呆けた寮生の後頭部を、リンは鉄の塊 フライパンでスコンとたんこぶができない程度に叩いた。
「ってぇ!!」
「隙あり」
「テメ、」
 噛み付こうとした生徒の鼻梁に手にしたそれを突きつけて、リンは静かに言った。
「ガチで殴ると死人が出るからさ」
 その双眸に、光は無かった。ただ、静かな殺意だけがそこにあった。
………………
 殺される、と悟った寮生は大人しく諸手を挙げた。ホールドアップ。降参である。レオナの舌打ちがこれでもかと響いた。
「簡単に負けてんじゃねえよ、俺の顔に泥を塗りやがって」
 おどろおどろしい、まるで遠雷のようなそら恐ろしさに、近くない場所から「ヒッ」と悲鳴が木霊した。レオナは仕方ねえなと嘆息した。
「ついてこい」
 身を翻すレオナの後を、リンは「はーい」と自分の荷物を持って追いかけた。ユウ達もどこか戸惑いながらそれに続く。
 ラギーはこれから三日間は楽ができることに「よっしゃ」と小さくガッツポーズをした。レオナはそれをしっかりと視界に入れていた。
「そんじゃ、ジャックくんは余ってる布団、レオナさんの部屋に持ってって!」
「ウッス」
 上機嫌なラギーに、「調子の良い奴め」とレオナが吐き捨てたのを、リンは確かに耳にしたが、深夜テンションに身を任せ、「拗ねるな拗ねるな!」とからかおうとはしなかった。一応、仮にもお邪魔する身分なので、当然である。
 ジャックから布団を受け取り、脱ぎ散らかった服をてきとうに寄せながら、なるべく隅の方で固まったリンたちは、「おい」という声にレオナの方を顧みた。
 レオナは腕を組んで仁王立ちしていた。
「絶対に他の部屋は使うな」
「はい」
「俺は寝る」
「はい」
「騒ぐな。俺の眠りを妨げる奴は叩き出す」
「はい」
「お世話になります。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 リンに倣って頭を下げるユウに、レオナはフン、と鼻を鳴らしただけだった。そのままてきとうに服を寛がせて、ぼすんとベッドに横たわる。
……
……
 規則正しい寝息がすぐに聞こえ始めたことに、ユウとリンは顔を見合せた。文字通りおやすみ三秒だ。様子を伺おうとしたのかベッドをよじ登るグリムを慌てて静かにひっぺがし、ユウとリンは手早く寝間着に着替え、布団に潜り込んだ。
 あ、グリムに天ぷら食べさせ損ねた、とリンが気付いたのは、ユウ達とおやすみを言い合って、目を閉じ、意識を手放しかけてすぐのことだった。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 
 
 リンの寝間着兼部屋着は自作した浴衣もどきである。和服は分解すればすべてが長方形で余計な型紙を必要としないので、知識さえ習得すれば、それらしいものを作ることは不可能ではなかった。
 さすがに女性用の帯は作れなかったので、リンは布を細長く加工して浴衣を着流していた。
「チィーっス、ゥハヨーーっス! レオナさーん、起きてくださーい」
 バァンと遠慮なく扉を開けて入って来たラギーが目にしたのは、いつも通りに寝こけているレオナと、隅の方で丸くなっているユウとグリム、そして寝起きの不機嫌そうな顔でこちらを見やる、浴衣を着崩したリンだった。
「え、リンさん、なんスかそれ、バスローブ?」
「浴衣もどき」
「ユカタもどき」
「ウチの国の寝間着」
「へ、へぇ……
 リンはタンクトップを着ているので、たとえ胸元が開けっぴろげになっていても、そして、たとえ肩から布が零れ落ちていても大丈夫だと思っているのだろうが、ラギーはどこかぎこちなく視線を逸らした。柔らかそうな二の腕やまろい肩、何より隠されていない胸の膨らみが改めてリンの性を意識させるからだ。
 布団が余っていて本当に良かった。三人ほど余裕で寝られそうなレオナのベッドを使うことになっていたら確実に事後に見えてしまう。レオナは上半身に何も纏わず眠ることも多いので。
 ラギーは半分八つ当たりでレオナの足首を思いっきり引っ掴んだ。
「レーオーナーさーん!!! 二度寝しないでください!!!!!」
「んがっ、……
 いつもより勢いのあるそれに、レオナが何事だと目を瞬かせる。リンが無気力に「ユウー起きてー退いてーそこは私の足ー」とユウを揺さぶっているのを後目に、ラギーは洗濯物を回収しながら勢い良くカーテンを開けた。途端に朝日が部屋を照らす。
「ウワ眩しっ」
「あんた達も起きる!! ウチに泊まるからには、朝練に参加してもらうっスよ!!」
「んぇ、」
「あされん……?」
 グリムが目元をくしくしと擦りながら呟く。ようやく目を覚ましたユウは、「んんぅあしきゆめ……」とぐずってリンの足にしがみついた。
「まだ六時なんだゾ……
「ユウさんどしたの、夢見悪かった?」
 しっかり覚醒したらしいリンがユウを覗き込む。ユウは顰め面でぽそぽそと答えた。
……ゆめのなかでもとりひきしてました……
「存外ダメージ受けてんな……体動かして発散しよ! なんか知らんけど朝練だって! グリムは昨日のタコの天ぷら残ってんよ!」
「ごはぁん」
 寝起きが悪い方では無いユウは、一度起き上がるとすぐに覚醒したのか、テキパキ動いて布団を畳んだ。
 まだレオナはベッドに突っ伏していた。ラギーは洗濯物を抱えて「起こしといてくださいよ!」と言い置くと、あっという間に部屋を後にした。
 隙ありとばかりにさっと身支度を整えたリンとユウは、未だぴくりとも動こうとしないレオナを覗き込んだ。
「レオナ先輩、朝練ですって」
「着替え終わりましたよ私たち」
……うるせぇ……
 もぞりとレオナが起き上がる。喉の奥からぐるると獣のような唸りが響き、ひょん、と尻尾が揺れたので、リンはユウとグリムを連れて談話室に移動した。ラギーに共有スペースの冷蔵庫の中身を使っていいか確認していると、気だるげな様子を隠そうともしないレオナが部屋から姿を現した。
「道具はご自由に使ってもらっていいっスけど、材料は自己負担なんで。ま、せいぜい盗られないようにすることっスね」
 シシシッと笑って、ラギーは他の寮生たちと一緒にマジフト練習場へ移動した。グリムもひょこひょこついて行く。
「えぇ治安悪……じゃあ買いに……いや、まだサムの店開いてないな」
「それじゃあ今日はリンさんも学食で食べましょう!」
「はぁーい」
 嬉しそうに、ユウがはしゃぐ。呑気な返事をしたリンは、そのままユウにフライパン ロード・キャメロットを持たせた。
……
 にっこり笑顔のリンに、ユウは目から光を失って、ぷくりと頬を膨らませた。