大仰に片眉を上げた大胆不敵な笑み。自信に満ち溢れ揺らがない強い眼差し。力漲る巨躯で機敏に立ち回り巨大な釣り針を軽々振り回して姿を自由自在に変える───風と海を司る半神半人の英雄マウイ。
「あっという間に馴染んでる」
三年前島に誘った時はやんわり断られたが、今ではモトゥヌイの暮らしに馴染み村人たちとも良好な関係を築けている。人気者な彼の周りを村人たちが囲む光景はいつだって賑やか。だが、何でもかんでも神頼みスタンスなお調子者や無邪気な子供たちを軽くあしらい窘める神らしい威厳に満ちた姿に遭遇する機会はそう少なくない。
神々から授かった釣り針を肩に掲げ島内を歩くマウイに向かってご婦人が朗らかな顔で恭しく頭を下げる。尊き神に接する本来あるべき立ち振る舞いを横目で眺めていたモアナの視線に気付いてか、ご婦人に軽く手を掲げていたマウイの瞳が己自身に繋がれた糸を辿るようにモアナを視界に捉えた。
瞬く間に燦々と降り注ぐ太陽を受けきらめくマウイの目が心なしか柔らかさと優しさを帯びる。
「(まただ……)」
以前の神特有傲慢不遜が消えて接する人間たちを見る慈しみ守護する眼差しの柔らかさはまるで親が子に向けるもののよう。その眼差しが時折違う色味と熱を持って自分に注がれているのを理由は分からなくてもモアナは漠然と感じ取っていた。
マウイが顔と視線をモアナに固定してのっしのし近付いてくる。
その彼の前を元気よく駆け抜ける子供たちの一人が転びそうになったのを大きな手で掬い上げ背中をポンっと押し駆けっこ再開を促し、ココナッツ取りの達人が頭上から落ちてくるのを片手で受け止め静かに地面に下ろすだけじゃなく時間差で落ちてきたココナッツを華麗に籠へシュートするのも忘れない。
二人の間に横たわっていた距離が縮まるにつれ、自然とモアナの目がマウイを見上げマウイの目もまたモアナを見下ろす。
半分近く瞼裏に隠れた愛嬌のある丸い目。目尻と額に柔く幾重も横に伸びる皺が笑窪を携えた唇が弧を描く。
「何か用かな巻き毛ちゃん」
島を駆け抜ける潮風に乗ってマウイの声がモアナの豊かな髪をふわり靡かせる。男らしい低く耳触りの良い安心感誘う声に隠れた名状し難い何かが耳の奥に入り込みモアナの心をざわつかせた。
気が置けない仲だからこそ相手に冗談交じりでからかわれても笑って飛ばせる。だけど、モトゥヌイに来てからというもの別の感情が乗せられているマウイの視線と言葉に最近のモアナはどう接していいのか分からないでいた。
ともに困難を乗り越えてきた相棒、掛け替えのない最高の親友、大海原を航海する術を教えてくれた師匠。はたまた半神半人である英雄としての存在。そのどれにも当てはまらない自分にだけ向けられ注がれる直接触れていないにも拘らず体を包み込もうとする雰囲気に戸惑い──。
「あら、マウイ。今日も素敵な筋肉ね。えっ? あっ! あっちに用事があるのを思い出したわ。行かなくちゃっ!」
大袈裟な身振り手振りで周囲を適当に指しそそくさとその場から逃げ出してしまう。駆け出して物理的に遠ざかる自分の背中を撫でる視線が体中の血液を勢いよく掛け巡らせ熱を産む。とてもじゃないが振り返る余裕も勇気も持ち合わせていない。
息が上がって心臓がバクバクする。全力疾走の比じゃない。むしろ全力疾走の方がマシなくらい。普段駆け慣れた道で足が縺れるのを必死に耐え、太陽の残り火を頼りに滝つぼ裏の洞窟に駆け込んだ。
「はぁ…はぁ…ふぅぅ……」
足裏から感じていたごつごつした溶岩の道が細かな砂に変わる。絶え間なく流れ落ちる滝を通して差し込む夕日が、ただ一艘残してすっかり広々した空間になってしまった洞窟内を仄かな炎色に照らす。
渦巻き模様が描かれた帆を張っている馴染み深い舟。嘗て航海を共にした心強い木の肌を撫で息を整えた。やっと自分の息遣いや鼓動が流れ落ちる水音でかき消されるくらい落ち着き、最後の仕上げにフッとモアナは大きく息を吐き俯いていた顔を上げた。
「マウイ!?」
上擦ったモアナの声が洞窟の壁に何度も激突する。そんな彼女が目を瞠りギョッとするリアクションが微笑ましかったのかマウイの静かな笑い声が鬼ごっこを始めた。
舟の舳先で屈んでいた大きな影がゆらり立ち上がり舟の上を懐かしむように練り歩く。
「三年、か…。千年島に閉じ込められた孤独より長く終わりが見えなかった三年間だった。……ははっ、ようやく再会できた懐かしさでセンチメンタルになっちまうぜ」
奇しくも見上げた先にいるマストを大きな手を添える存在にたじろいだ。おかしい、だって後を追い掛けてくる気配なんて微塵もなかったのに。
大いに狼狽えるモアナを船体に刻まれた情景越しに見つめるマウイの目はいとも簡単に彼女が抱いていることを汲み取った。
「俺を撒けなくて残念だったな」
「ち、ちが…」
「呼ばれてた用事は終わったか」
「それは……」
普通の人間より大きな足で歩くたび軋む音が鳴る。
「もしくは──、今から急に用事が出来るってことはないよな」
「…えっと……」
軽やかな動きで舟から下りたマウイの足元の砂が窪み、乗せていた重みが無くなった舟艇が揺れ動く。一歩また一歩距離を詰めるマウイに合わせモアナは愛想笑いはおろか上手い言い訳が思いつかず言い澱み後退るしかなかった。
「モアナ」
あれだけ響いていた滝の音が消え静寂が洞窟内を包み、煌めく夕陽の滝を背に受けたマウイのモアナを呼ぶ声だけが響き渡る。
その真っ直ぐな声音がモアナの足に見えない枷を掛けた。後退りたいのに足は砂に埋もれたまま動かない。泳ぎ回っていた目は何故か歩み寄るマウイに惹きつけられ逸らせられない。下手すれば祖母から継いだ首飾りの下にある鼓動まで腕を緩く広げ歩を進めるマウイの耳に届いてしまいそうで気が気でなかった。
「モアナ」
空を持ち上げていたミニ・マウイが両手を前に伸ばし続けている。反響しないで直接鼓膜を震わす顰められた真剣な声に誘われ視線を上げた。モアナの不安と戸惑いに揺れる瞳に映り込む、その穏やかな海の如き顔付きのマウイに竦んでいた肩が緩んだ。
「今度は俺からで、いいな?」
言葉らしい言葉が喉奥に引っ掛かって出てこない。そんなモアナを見越してか、緩く広げていた腕でモアナを抱き寄せる。鍛え抜かれた半神の腕が引き締まった女性らしい華奢な体を容易く覆い隠した。人間より遥かに大きな手が難なく丸みを帯びた肩と縊れた腰を包み込む。
剥き出しの肌の張りや柔い熱が今まで感じた事のない色味を伴う所為で、忽ちモアナを強張らせ眉尻を頼りなく垂れ下げる。
「ダメ、ダメダメダメッ……」
如何にか喉奥で引っ掛かっていた言葉を吐き出した所で弱々しかったら意味がない。
「何が駄目なんだ」
「…何、なにって……」
舟や巨大な骨を軽々持ち上げる怪力を誇る屈強な腕が壊れ物を扱うように優しく抱く力が、モトゥヌイに来てから見る機会が増えた慈しみ宿る眼差しに胸が忙しくなってしまい、あれだけ詰まっていた言葉が堰を切るようにとりとめのない言い訳になってモアナの口からポロポロ零れていく。
止まらない止まってくれない止まる気配がない。慌てふためき喋り続ける彼女をマウイは遮る事無く無言で見下ろしたまま微動だにしない。
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