紫輝
2024-07-06 14:50:01
13146文字
Public リオヌヴィ
 

【リオヌヴィとフリーナ】カスミソウの花束を君に【原神】

公爵にエスコートされながら不慮の事故で閉じ込められた遺跡からの脱出を試みていたらリオヌヴィが両片想いである事を知ってしまいもだもだする、心の声が賑やかなフリーナの話です。
セスリ殿とフリーナちゃんの組み合わせに兄妹みを感じてにこにこしている人間なので前に指定のペアで秘境に入るイベントで二人で出てきて拍手喝采しました 仲良くなれると思うので是非仲良くなってほしい…

 どこまでも続く岩壁。遠くで落ちる水滴の音。かつて何かしらで舗装されていたのだろう足元は時の流れに擦り減ってでこぼことしている。
 淡い蒼色に光る不思議な植物たちと名残を残す柱に埋め込まれた発光石がそんな風景をぼんやりと照らし出して、灯りを必要としないくらい視界が良いのだけが救いだ。いっそ幻想的ですらあるとはしゃぐことすらできただろう――こんな状況でなければ。
「気をつけて」
「うっ手間をかけてごめんよ
 階段だったと思しき段差の下で男が差し出す手のひらに自らのそれを重ねながら、フリーナは何度目かの泣き言を唇に乗せた。旅人たる少年に請われ訪れたこの遺跡で、不運にも落盤に巻き込まれ脱出口を見失ってから数時間経つ。この遺跡について持ちうる情報は「地下を流れる川に沿って造られているらしい」ということだけ。そこに今さっき「水元素力の発動が阻害される」という、嬉しくもなんともない情報が追加されたところだ。
「今の俺の役目は君を無事に帰すことだ。遠慮なく使ってくれ」
 ヌヴィレットさんの方が君にとって安心感はあったろうが。
 段差を降りるのを手伝ってくれながら笑う男――メロピデ要塞管理者、『公爵』リオセスリに、フリーナは首を振る。
「閉じ込められたのが僕とヌヴィレットだったらその時点でお手上げだよ。元素力頼れないもの」
「でもあのひとだったら物理でなんとかできそうな気がしないか?」
「龍王パワー?」
「ああ」
「ふふ」
 実はヌヴィレットが物理もイケる口なのは知っている。ステッキとか。あの長い足とか。絶対に驚かれてしまうから極力やりたくないと言っていた。
 真面目な話、あの状況でヌヴィレットが「物理」を行使すれば落盤を破壊することはできたかもしれない。けれどそれ以上に遺跡そのものが崩落する可能性もあった。公爵がその危険性を認識していないわけがないから、きっと今のは自分のための軽口だ。そうやって笑っててくれよ、と口角を上げられるのに、ナヴィアの言葉を思い出す。曰く「あの人懐に入れた人とそれ以外への接し方が極端なのよね」。確かにそう思う。これを手当たり次第発揮していたら公爵に関する色恋沙汰で歌劇場は連日盛況になってしまうだろう。
 公爵の隣に立つ人は幸せだろうな、と思う。周囲に明確な線を引いてみせるくせ情の深い人だ。懐に入れた人間への対応がこれなのだから、胸の内に入れた人への対応なんて推して知るべし、だろう。
(だめにされそう、って言うのかな。うん、多分そうだ。娯楽小説でしか成り立たない表現だと思ってたけどこの人なら人ひとりくらい簡単にだめにできそうだ)
 割と真面目にある意味失礼なことを考える。関心を向けていなかったのもあるけれど、そういえば公爵に関して浮いた噂やゴシップの一つも聞いたことがない。この人も恋とかするんだろうか。もしかしてとっくに恋人や奥方がいるとか? そんなことをつらつらと考えているうちに、開けた空間に着いていた。
「レディ・フリーナには申し訳ないがここらで一晩明かしてもらうことになりそうだ」
 自分に少し待つように告げて周囲を見聞した公爵が戻ってきて告げたのはそんな言葉だった。「さらっと見て戻る」計画だったからアフタヌーンティーを終えてから出発して。遺跡まで徒歩で来て、調査に入り、落盤に遭って、そこからの経過時間を足して。
「道理でお腹が空いているわけだ!」
 今にも鳴きそうな腹に手を当てて声を上げれば、公爵は健やかで何よりと笑った。

* * *

「あのさ、公爵」
 ぱちぱちと爆ぜる焚き火の前で――この焚き火も公爵が周囲の使えそうなもので手早く作ったものだ。ナックルと釘で火を熾されたときは思わず拍手してしまった――事故に遭ってからずっと蟠っていた事を声に乗せた。
「なんだい?」
「僕はもう水神じゃない。そこまで気を張らなくても、僕に関することで君に不利益になることはないんだよ?」
 ここに至るまでのエスコートの数々を思い出しながら言う。段差や亀裂の前で当然のように差し出される手のひら、暗がりの前で護るように前に出る背中。今だって『公爵』の象徴とも言えるだろう外套をレディに冷えは大敵だと貸してくれている。確かに彼と比べて非力な自分だが、ちょっとばかり気を回され過ぎているような感覚はあった。
 口に出してから、ヌヴィレットが公爵はそういう――立場が上の者だからと諂うような――男ではないと言っていたことをふと思い出して、しまったと心臓を跳ね上げる。
「あー、俺は別に、『公爵』の立場を気にしてるわけじゃない。もっと単純な理由さ」
 失言だったかもしれない。恐る恐る見やった公爵はぱちりとその氷色の瞳を瞬いて、何だかバツが悪そうにそう答えた。
「掘り下げても?」
 首を傾げてみる。立場を気にはしていない彼がここまでしてくれる理由。仲間と認めてくれているから? であればそうと言えばそれで済むはずだけれど。
 易々と腹の うちを見せてくれないこの人から何か、この人の人となりへの理解を深めるエピソードを聞けるかもしれない。好奇心が顔を出す。
 じ、と見つめていると、根負けしたように公爵はため息をついた。
「君が怪我をするとヌヴィレットさんが悲しむだろ?」
 あのひと結構感情が顔に出るから。その顔を見たくなくて。
 頬を掻きつつ、目線を外して、公爵が口にした答えに驚いた。あのヌヴィレットを捕まえて。「感情が顔に出る」と。そう言ったのか、彼は。
 自分でさえあの規格外の美貌から感情を察せられるようになるまでにはそれなりの時間を要したというのに。彼はメリュジーヌ達とも懇意だと聞くからその辺りも関係しているのかな、なんて思いつつ培われたのだろう公爵の観察眼の鋭さに何度目かの感嘆を落として。
「まるで恋してるみたいに言うんだね」
「してるからなぁ」
「えっ」
「あ」
 君はヌヴィレットをよく見ているんだね――言うはずだった言葉を間違えたことに気づいて、間違えたそれに対して相手から予想外の答えが返って、お互いぱちり瞬いて。
 しまった、と落ちた美声が遺跡に響く様はなんとも間が抜けていた。
「恋してるのかい。ヌヴィレットに」
「あー、聞かなかったことには」
「できないかなぁ」
 逃す手はない。自分の中の何かが激しく肩を叩く。だって自分は知っているのだ。ヌヴィレットが公爵に、その心を寄せていることを。
(両想い! 両想いだよ、ヌヴィレット!)
 口には出さずに快哉を叫ぶ。これが彼に伝わったなら、あの水龍は喜ぶだろう。いや戸惑うかもしれない。恋をするとは大変なのだなと、最近よく憂いのため息を落としているから。
「そうかぁ
 どこかしょげたように、力無く肩を竦める公爵に向かって胸を張る。
「吹聴して回ったりはしないよ。五百年秘密を守り通した僕の口の堅さを信じてくれ」
 『予言の危機』と自分に関するアレコレは、旅人同席のもと公爵には説明済みだ。ヌヴィレットが信頼する人と、改めてきちんと顔見知りになっておきたいという自分の気持ちを二人は汲んでくれて、真摯に向き合ってくれた。底が知れなくて怖い印象だったこの人は、見ているこちらが辛くなるような顔をして「すまなかった」と「ありがとう」を伝えてくれて。
 それ以来『顔見知り』から『お友達』になるべく、少しずつ努力しているところだ。
「これ以上ない保証をありがとう。胸が痛むんでなるべく控えてくれると助かる」
「僕もちょっと悲しくなった」
「だろ?」
 ゆるりと下がる眉に大真面目に頷き返すと、ふは、と公爵は吐息で笑う。それから揺れる炎を見つめて、ヌヴィレットさんには黙っててもらえると嬉しいよ、と。凪いだ声でそう言った。
 その顔が、声が、とてもとても穏やかなのが、見ている自分には何故だか苦しくて。
 お互いの想いを知ったならきっと二人は笑顔になれると、そう思ったら。
その、特別な関係になりたいなぁとか、思ったりはしないのかい?」
 せめて「その気」があるのかどうかだけでも確かめたくなってしまって、口からは言葉が滑り出していた。公爵とはまだ恋バナをするような距離でない事は承知の上だけれど、今だけはマナー違反に目をつぶって欲しい。切実な思いが届いたのか別の理由があったのか、ひとつ瞬いた公爵は諦観の滲む声で答える。
「思ってない。いや、思ってはいる。正直な。けどあのひとはその手の心の機微は理解できないって言いそうだし、理解できたとしても必要ないと言うだろう」
 その瞼が閉じ、開いたときには諦観は消え、彼の操る氷元素のような、透明で しんとしたひかりが宿っていた。ぐっ、とその手が拳を作る。
「あのひとがあのひとらしく在れるように、俺は俺のできることをする。それだけさ」
 そうして落とされた言葉は真っ直ぐにその場の空気を裂いて消えた。
 いいんだ、この距離で。
 まるで言い聞かせるかのような一言に、当事者でもないのに喉の奥がツンと痛む。
 ああ今すぐこの人に、ヌヴィレットがどれだけこの人を想っているのか つまびらかにしてやりたい。君が来る日は少しだけ急いで仕事を片付けていたんだよ、とか。君から贈られた紅茶に合う茶菓子の相談を何度も受けたんだよ、とか。今回は私からも話題を提供できた、ってすごく嬉しそうにしてた日のこととか。
 ヌヴィレットは「その手の心の機微」をちゃんとわかっている。わかっていて、一生懸命に恋をしているのだ。目の前のこの人に。
 ヌヴィレットにその気持ちを伝えてあげて欲しい――口にするのは簡単だ。だけど絶対に公爵を困らせてしまうし、二人は聡い。そうしてお膳立てされて差し出された想いは、きっと各々の心にトゲを残してしまう。それでは何の意味もない。
 もどかしい気持ちで思わずかき合わせた外套から洋墨 インクと紅茶、それから微かな機械油の香りを嗅ぎ取って、ああこれを借りた事はヌヴィレットには内緒にしておかなきゃな、と思う。きっと羨ましいとその美しいかんばせを曇らせてしまうだろうから。いや、もしかしてずるいと拗ねるかもしれない。あれで彼は子どもっぽいところを見せるのだ、自分には。
 しゃくり上げそうになる喉を叱咤する。泣きたいのは自分じゃないだろう。しっかりしろ僕。
「どうしたんだい?!」
 代わりにぎゅっと寄せた眉に、驚愕を浮かべた声が飛んでくる。慌てて眉間に指をやった。
「いやごめん、ちょっと、急に以前食べたレモンケーキが物凄く酸っぱかったことを思い出して」
「確かに急だなぁ」
 苦し紛れの言い訳に、公爵はほっとしたように笑う。どうやら誤魔化されてくれたらしいことに密かに自分の演技力に胸を張って、へへ、と笑ってみせた。
「何かを思い出す時なんてそんなものだろう?」
「確かにそうだ」
 今度おすすめのレモンケーキのあるパティスリーを紹介するよと、今はこれで中和してくれと差し出されたラズベリー(こんな環境でも育つなんて逞しい)は、ひんやり冷えて甘くて美味しかった。

* * *

 翌日。
 慣れない野宿に悲鳴をあげる身体の貧弱さを情けなく思いながら、公爵と共に脱出口を探して歩く。遺跡全体が川に沿っているのなら、少なくともこの川の向かう先は外に繋がっているはずだ、というのが公爵の立てた予想だ。旅人と共に川の反対側が何某 なにがしかの祭壇に繋がっているのは調査済みだったから、フリーナもそれに同意して、こうして足を動かしている。
空気の匂いが変わったな」
 不意に足を止めた公爵が呟くのに、虚空を見上げて嗅覚に集中してみる。強い水の匂い。湿った草の匂い。そこに何となく、親しんだ大海といきいきとした緑の匂いが混ざっているような、そうでないような。
(うーん、いや、でもこれも全部公爵が言ったからそう思い込んでるだけかも?)
「まだ楽観はできないがこのまま進めばそろそろ出られるはずだ」
 首を傾げるフリーナにくすりと笑った公爵がさりげなく差し出してくれる手に有難く支えられて(すっかり慣れてしまった。これもこの人の手腕なのだろうか)派手に罅入った地面を越えてしばらく進むと、通路が直角に折れていた。ここまでくれば自分にも『外』の匂いがわかる。あの角の先は外に繋がっている、絶対に!
 先行する公爵に着いて角を曲がると、発光石のものではない白い光が目に入る。幸いフリーナも、公爵も問題なく通れそうなくらいの形を、その入り口は残していた。
(ここを出たらまず公爵にお礼を言わなくちゃ。僕にできるお礼なんてお茶会くらいだけど、もてなしには自信があるし、)
「フリーナさん!」
 『お茶会』に馳せていた思考を、公爵の鋭い声が切り裂く。強い力で引かれたと思ったら目の前には神の目の輝く黒い背中があって、その向こう側で飛沫が散るのが見えた。ぱっと、広がった、赤。
「公爵!!」
 自分の叫び声に重なるようにナックルの駆動音が響き、周囲の温度が下がる。ごとん、と鈍い音を立てて地面に落ちた氷塊の中に、砕けた矢の残骸が閉じ込められていた。まさかトラップがまだ生きてるとはな、と。失態だと言わんばかりの言葉と舌打ちが響いて。
「次弾はないな。乱暴にしてすまない。怪我はないかい?」
「怪我してるのはキミの方だろう?!」
 細く長く息を吐き、振り向いた精悍な面差しの半分が赤く染まっているのに上げた悲鳴じみた声に、そのフロスティブルーを瞬いた公爵がああと呟き困ったように笑う。
「見苦しいものを見せてすまない」
 そのまま乱暴に頬を拭おうとする腕に飛びついて動きを封じ、代わりにハンカチを押し当てた。
(僕はそんなこと思ってない!)
 言葉がどうしても口から出てこない。音を紡いだら最後、それは泣き声に変わってしまいそうで。
 閉じ込められてからのことを思い返す。「君を無事に帰すのが俺の役目だ」と言っていたこの人は、そういえば自分の安全は考えていただろうか。幸い魔物も、元素生物も、野生動物もいない道中は平和だったけれど、もしここにそれらがいたら? 出口を前にそれらの大群に襲われたとしたら? 行く手を塞ぐようなトラップがあったとしたら? ――この人は躊躇いもなくフリーナを先に行かせるだろう。生還の努力はするのだろうけれど、それを考えるのはフリーナを送り出した後だ。そんな気がしてならない。
 この人は優しい人だ。手の届く範囲のものを、力を尽くして守ってくれようとする人だ。この人が大切だと判じたものなら尚更。
 じゃあ、この人は?
 この人自身のことは、誰が守るのだろう。
 彼が守ろうとするものたちの中に彼自身が入っていないことを、たった一日足らず行動を共にして知ってしまった。人より少しだけ、『人を見る目』が鋭いからかもしれないけれど。
 自分の命を軽視しているこの人の姿勢が悲しい。
 ヌヴィレットとくっつけば自分を大事にしてくれるだろうか。ヌヴィレットだけじゃない、彼が守りたいものたちが彼自身の安全を、幸いを願い、守りたいと思っていることを、この人は知っているのだろうか。
「顔は皮膚が薄いから、浅い傷でも結構血が出るんだ。見た目ほど酷くないから安心してくれ」
 ほら痛くない痛くない。少しだけ困ったように公爵が笑うのを今だけは無視して、ぎゅうぎゅうとハンカチを押し当てる。
(元素力さえ制限されていなければすぐに癒せるのに!)
 止血の基本は圧迫だと、旅人に教わった。こういう不測の事態に備えて旅のABC ア・ベ・セを教わっておくのはやっぱり大切だ。今回身に染みた。ここを出たら改めて色々教えてもらおうと心に決める。
 真白いハンカチが赤く染まった辺りで恐る恐る手を外した。よくわからないけどたぶん、きっと、止血はできた。と、思う。
 じっ、と頬に走る傷を睨んで、足元に横たわる川に目を落とす。誰あろうこの人が安全と判断した水だ。皮膚を拭うのに問題はないはず。
「ちょ、フリーナさん?!」
 じゃぼん、と一思いに左手を突っ込むと驚いたような声がした。公爵でもびっくりすることあるんだなぁ。
「もう一枚ハンカチを持ってればよかったんだけど、淑女の規範にも「ハンカチは二枚持つこと」なんてものはなくてね。まあ僕の手袋は璃月産の絹を使った最高級品だから。肌触りに関しては安心してくれていいとも!」
 軽く絞った手袋を差し出すと、公爵は顔を顰める。「申し訳ない」「何でそこまで」そんな声が聞こえてきそうで逆に冷静になってきた。こうなったら何が何でもヌヴィレットとくっついてもらわなくちゃ。そう思う。くっついてもらって、ヌヴィレットからガツンと言ってもらわなくちゃ、きっとこの人はこのままだ。
すまない。ハンカチも手袋もダメにしてしまったな」
 フリーナの笑顔に気圧されたように手袋で頬を拭った公爵が呟く。弁償の方法に関してはヌヴィレットさんに諮って、なんて続ける公爵に、大袈裟だよと首を振った。
「僕の服は千織屋に任せてるんだ。小物類はお気に入りの店がある。ひとつずつ手配してもらって、あとはそうだな昨日話してくれた、お勧めのレモンケーキをつけてくれれば、それで十分さ。あっ、公爵のお茶を添えてくれても構わないよ!」
 ふふんと胸を反らせる。この人がこれ以上思い悩む事のないように。ぱちりとフロスティブルーを瞬いた公爵は、拝命した、と。レモンケーキにぴったりのお茶を用意するよと笑ったのだった。

* * *

 鼻をくすぐる緑のにおい。頬を撫でる太陽の温もり。青い空は少しだけ目に眩しくて、だけどとてもいい気分だ。
「外だ~~~!!」
「ああ、外だ。繋がっててよかったな」
 ぐぐ、と身体を伸ばして、ため息に乗せて快哉を叫ぶ。隣でやれやれとばかり、やっと一息ついたかと思った公爵は、ぐるりと辺りを見回している。山脈の形やら海の見え方で現在地を把握しようとしているらしい。地図の見方すら正しく知らない自分にはできない芸当だ。これも旅人に聞かなくちゃ、なんて思いながら、せめて自分の見知った風景がないかと公爵に倣って首を巡らせる。
「あ」
「何か見覚えのあるものでも?」
「うん。あそこ」
 指差した先には金と白銀の二人組。地図だろうか、広げた大きな紙を手に、何かを話し合っているようだった。
「さすが、旅のプロとヌヴィレットさんだ」
「どういう意味だい?」
「あの遺跡が川に沿って造られているって情報は俺たち全員が共有していただろ? 俺たちが川を頼りに外を目指してる間に、二人は外から出入口を探してたんだろう」
「そういう事かぁ」
 ヌヴィレットは目視しなくてもある程度水の流れが追えるし、旅人は地図からそれなりに地理を把握できると聞いた。なるほど、二人が揃えばそんなこともできるらしい。
 振り返って見た遺跡の入り口は下草と木に半分埋もれていたから、あの二人でも位置の特定にはもう少し時間がかかったかもしれない。幸いこちらが無事に脱出を果たせているから、この後やることはひとつだ。
「ヌヴィレット! 空!」
 大きく腕を振って、舞台で磨いた自慢の声を二人の元へ飛ばす。ぱっ、と顔を上げた二人が、こちらを認めて足早に近づいてきた。
「フリーナ、リオセスリど、の
 ほっとしたように名を紡ぎかけたヌヴィレットの声が不自然に途切れる。
「怪我をしているのか」
 公爵を見たうつくしい瞳がすうと細まって、押し出された次の言葉は揺れていた。
「あー、トラップが生きててな。フリーナさんは無事だから安心してくれ」
 公爵、その返答は多分、いや絶対間違ってる。言いたくても言えない言葉を飲み込んでとりあえず笑顔で沈黙を保つ。
 公爵の言葉に俯き、瞑目し、ゆっくりと深呼吸をして、上がったヌヴィレットの顔は彫像のようだった。世界に二つしかない宝玉を収めるためだけに造られた、美貌の彫像。正直感嘆よりも畏怖が勝つ。
「リオセスリ殿」
 彫像が発する言葉は背筋を鷲掴むように硬く響いて。
「お、おう」
「こちらへ」
 困惑に、微かな不安を滲ませた公爵がヌヴィレットについて離れていく。ヌヴィレットのあの顔は割と結構不機嫌な時の顔だ。言うほどの回数見たことはないけれど、だからこそ不機嫌の原因に対して本気なのだとわかる。公爵にはたくさん助けてもらった。自分が口を出すことで逆鱗が鎮まるならそうするけれど、少なくとも今はまだ成り行きを見守ることしかできない。
「フリーナ、無事でよかった」
 二つの背を縋るように見つめてしまっていた自分へかかる声に振り返る。太陽を溶かした髪を煌めかせた少年が、名の通りの笑顔を浮かべてそこにいた。その笑顔に張っていた気力が抜けていく心地がする。まるで風船が萎むように。
「そ、空〜〜〜〜〜〜
 今更彼に対して恥も外聞も少しはあるけれど、今に限ってはない。ちなみに彼も、ヌヴィレットの想いが公爵に向いていることを知っていた。結構わかりやすいよね、と笑う彼がヌヴィレットの友人になってくれてよかったと思う。ぺそぺそと萎れるまま、遺跡の中であったことを話した。
 あの人は、全然自分を大事にしてくれなくて。
 あの人が怪我をしたらヌヴィレットは絶対に悲しむって、僕は知っているから。そう伝えたかったけど。あの人と話して、信じてもらえないのもわかったから。どうしても言えなかった。
「あの人、ヌヴィレットの心が自分に向くことをこれっぽっちも想定してないし期待してないんだ。あんな、全身で好きだって言ってるのに。それを。全部隠して。知ってしまったからにはもう見てる方が辛い。全部ぶっちゃけたい。でもそれで万が一拗れたらと思うと僕には結局何もできないんだ
 ヌヴィレットの悲しむ顔を見たくないと公爵は言う。自分だってそうだ。彼らの『今』が傷ついてしまったらと思うと軽々しくアタックしてみろなんてとても言えない。ぐす、とみっともなく鼻をすするフリーナの肩を、少年は優しく叩いてくれる。
「フリーナは充分頑張ったと思う。公爵、あれでいてめちゃくちゃ頑固だからさ。思い込んだら曲げないと思うんだ。あれをなんとかできるのはそれこそヌヴィレットだけだよ」
 口が上手いからそんな風に感じないだけで、割と自分の主張通しに来るもんあの人。少年がからりと笑う。
「公爵がもっとわかりやすい男だったらよかったのに。そうしたら好きって言いに行けって言うだけで済んだのに」
 改めて顔見知り以上友人未満にはなったけれど、公爵は底の知れない人だ。自分や、ヌヴィレットや、少年に向ける思いやりや慈しみが本物なのはわかっているし、ヌヴィレットへの想いも知った。けれど、じゃあその背中を軽々しく押せるかと言えばそれは否で、ヌヴィレットをけしかけるなんて以ての外だ。それはきっと公爵の、矜持、というか、誓い、のようなものを、傷つけてしまうような気がする。
「そうしたらヌヴィレットは公爵を好きになってなかったかもしれないよ?」
「ううそれはそうかぁ
 つかず、離れず、けれど困ったときには手を差し伸べて、対等な立場で言葉を交わす。さりげない気遣いはしても、それに対価は求めない。言葉にしてみてつくづく思ったけれど、あまりにも――低俗な言い方をすると――『都合の良い』存在だと思う。人との関わり合いに慣れていないヌヴィレットにとって、公爵の距離感は心地良く、安心できるそれだったんだろう。
 ヌヴィレットは公爵に覚えたその安心感 想いの種にきちんと『恋』の名を与えて、今日まで大切に育ててきたのだ。叶うなら花を咲かせてやりたい。そう思う。
「もうちょっと様子見てさ、最悪俺たちであの二人を適当な秘境に叩き込もう。あとはお互い好きって伝えるだけなんだし」
「協力してくれるのかい?」
 少年がこっくりと頷いた。力強いそれに思わず過去の自分を棚に上げて、神様かな、なんて思ったりして。半ば縋るような情けない問いかけに、彼はもう一度しっかりと頷いてくれる。
「勿論。二人とも俺の大事な友達だしね」
「ありがとう、空」
「うん」
 一息ついたらケーキでも食べに行こうか。そんな話をしていたら、「おわぁ?!」なんてなんとも情けない声がして、思わず声の出所へ顔を向ける。
 頬を抑える公爵と。
 その肩へ顔を伏せるヌヴィレット。
 公爵の腕がだいぶん遠慮がちに細い背中に回るのを見て。
 少年と見合わせた顔はお互い笑っていた。
 どうやら二人を「叩き込む」ための秘境を探す必要はなさそうだ。