ふみかぜ@壁打ち
2025-01-05 18:16:26
35912文字
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【読切ドラロナ】Storytellerのしゅうまつ

できてる読切ドロが残り時間について考える話/怪我、人の寿命に触れる描写含/ほのぼのを交えつつ全体はシリアスめ、2ページ目でハッピーエンドに着地させたつもり/pixivからの再録/紙本版を通販してます(中身は同一)→https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/detail/detail.php?product_id=1815257

 ――なぁ、ドラルク。
 月明かりからも隠れるようにカーテンが締め切られた部屋、天蓋で覆われたベッドの上。白い布の波間で剥き出しの身体を曝して揺蕩う男は、熱の名残を色濃く残した蒼空の瞳をゆっくりと開閉させながら吸血鬼にこんな質問をした。
「お前、ツチノコが何年生きるか知ってるか」
「ツチノコ? 君と暮らしてる子のことだよね」
「あいつ含めて、全般的に」
 唐突な問いかけ。ただ、だらしなく身体を弛緩させている中でロナルドの視線だけは真っ直ぐで、取り留めのない夜話の一つとして持ち出したつもりはなさそうだった。これはそれなりに真面目な答えを返さないと拗ねられてしまうかもしれない。
「うーむ……どうだろう、何しろ生きた前例がなさ過ぎる。流石に御祖父様や御父様もツチノコに関しては専門外だろうし。チュパカブラならともかく」
「チュパカブラ?」
「文献に載ってるのは精々目撃例だったりそれらしき死骸だったりで、寿命を迎えるまで観察した事例は見覚えがないな」
「おいチュパカブラって何だよ」
「あぁでも、面白い考察を読んだことがあるよ」
「だからチュパカブ……考察?」
「ネットで目にしただけの、こじつけの与太に近い話だがね」
 そう前置きして、ドラルクは言葉を続ける。
「ツチノコにはノヅチという別称があってね、これは、日本神話のノヅチノカミに通じるところがある。そこからツチノコは神の化身、あるいは使いという説を唱えている人がいたんだよ」
……神って。吸血鬼的にありなのか?」
「十字持って追いかけ回されるのは勘弁願いたいが、娯楽として消費する分には楽しいよ? 特に日本人の八百万神への信仰は何でもありな感じが馴染みやすい」
「まぁ、確かに……人や動物や植物やら土やら、色々なところから神が出てくるのは吸血鬼どもに通じるかもな。実際、そういう伝説から退治のヒントを得ることがある」
 それで、と寝返りを打ちながらロナルドが気怠げな声を上げる。そろそろ眠気が強くなってきたようで、手に口を当てて欠伸を漏らしていた。
「結局何が言いたいんだよ」
「つまりだ。俗に神と扱われる存在が転じた姿、あるいはそういった者の能力で創り出された生命がツチノコ君の正体とするならば、君が思ってもいないような力を持つ可能性があるということ。案外リクガメのように百年、いやそれ以上に長生きするかもしれないよ」
「ふーん……
「おや?」
 小さく息を吐いてごろりと背中を向けたロナルドの反応に、ドラルクは内心首を捻る。
 ロナルドのことだからツチノコを連れ帰った際に類似した生物(ヘビやトカゲといった爬虫類に、イモリやオオサンショウウオのような両生類など)について一通り調べているだろうと踏んで、彼が手をつけてなさそうで且つ好奇心を抱かせるようなオカルト方面のネタを採用したのだが。思ったより反応が芳しくない。
「お気に召さなかったかね」
……いや、中々興味深い話だったぜ。参考になった」
 好意的な返事の割に抑揚の乏しい声でロナルドは言うと、じゃあ、と重ねて問いかける。
「かぼちゃは。あいつはこれからどれくらい生きると思う?」
「うーん……?」
 今度は確認せずとも、ロナルドの手により自我を獲得したハロウィンかぼちゃのことだと分かる。先程から真意を図りかねる質問ばかりだが、熱で意識がふわふわしている彼と問答を繰り返すのは中々に楽しいのでドラルクは今回も真摯に答えを返すこととした。
「成り立ちからして、我々の界隈でも特殊なケースだからなぁ。自我の生まれ方はツクモ吸血鬼に近いが、血や動物の体液で栄養を摂ることはないのだろう?」
「水を吹きかけて軽く拭くぐらいだな。頭を丁寧に磨いてやると喜んで可愛いんだぜ」
「表情豊かだよね、君のかぼちゃ」
 ハロウィンにロナルドの手で彫られて生まれたからか、彼のかぼちゃは主人に甘えたがりである。マイペースなツチノコがロナルドに世話を焼かれているのを見ては、音も無く不機嫌になることもあるようだ。ドラルクに至っては視線が合う度に半眼で睨まれているような気がする。……大切な主人を客間のベッドに押し倒してこんなことをしていれば、敵視されるのも無理はないか。
「吸血鬼ではない、人間のロナルド君が作ったならば眷属ともまた違う……はて、どのような存在なのだろうね?」
「かぼちゃはかぼちゃだろ」
「それはそうだが身も蓋もないな……ふむ、でもそうか」
 ドラルクの投げかけた疑問をバッサリと切り捨てたロナルドに呆れつつ、先程の問いへの答えを纏めてみる。
「ロナルド君のそういうブレない認識と愛情が、かぼちゃをかぼちゃたらしめるのだろう。適度な水分と魔力が豊富な土地があれば、ずっと一緒にいられるのではないかね」
「魔力が豊富な土地?」
「ここのような吸血鬼が城を建てるのに適した場所であったり墓場の周辺だったり……要するに、定期的にここへ連れてくれば心配いらないということさ」
「ここへ、ねぇ……
「えっそこで渋る? 君、ここに来て遠慮するのも今更だろう」
「そういうんじゃねぇよ。……ん」
 ロナルドは仰向けに寝っ転がると、口を引き結んで腕を大きく広げる。抱き締めろという言外の圧に小さく小さく笑ってから腕を肩口から差し入れれば、そろそろとした動きで彼の手が背中へと回る。密着した身体に満足げに額を押しつける姿は犬か猫の子供みたいだ。
「ロナルド君、もう寝る?」
 小さく頷く彼の頭を撫でて、入眠を促す。ドラルクとしてもこのまま目を閉じてしまいたい気分だったが、翌の晩に向けた料理の下拵えが残っているし、何より全身を酷使した状態のまま不慣れなベッドで眠ったら寝違えて死ぬことは分かりきっていた。だからせめて、ロナルドが何の気兼ねなく眠ることができるように肌を寄せて触れ合う。やっと無防備に寝てくれるようになった彼が、寂しさを感じることのないように。
「ん……なぁ、どらるく」
「うん?」
 眠気でとろりとした声が耳元に流れ込む。腕を動かして覗き込めば、瞼を緩慢に開いては閉じる動きを繰り返しながら唇を動かすロナルドの顔が、視線を合わせようとするかのように上向いた。
「何、どうしたの」
「つ……つちのこはさ、ざっしょくなんだ、なんでもくちにいれようとして、あぶなっかしい」
……うむ」
「かぼちゃは、なでるのと、みまもるのがすきで、かえりがおそいとしんぱいしちまう」
「それでうちに連れてくるようになったんだよね」
「あぁ……ここなら、じょんも……いちおうおまえもいるし、あんしん、だよな……
……ロナルド君?」
 返事の代わりに聞こえてくるのは規則正しい寝息。指で頬を突っついても無意識の反撃が返ってこない辺り、完全に眠ってしまったようだ。首に牙を這わせて退治人の本能を刺激しない限りは、日が出てくるまでこのままだろう。
 そっと立ち上がり服を着直し、ロナルドに起きる気配がないことを改めて確認してから客室を後にする。廊下の遮光カーテンの閉まり具合を確認しながら歩く最中、彼のうわごとが頭を過った。
「安心、か」
 歴とした吸血鬼の城に対する退治人の評としてはそぐわない表現に、こそばゆい気分になる。彼がここへ乗り込んできてから、ゲームの布教をしたり原稿のネタ集めに巻き込まれたりハロウィンパーティーをしたり……何やかんやでお付き合いをする関係になったり。最初は不承不承といった体で連絡を入れてきたロナルドが、ドラルクの虚弱さによる呆れからでも警戒心を解いていき、今では無防備に身体を晒して愛を請うようになったのだから堪らない。
「その通りだロナルド君、私と一緒にいれば不安なんて考えられないぐらい楽しいことだらけさ」
 楽しげに呟いた吸血鬼は、音程が悲惨な鼻歌を奏でながら階段を下りていく。
 ――人間が零した言葉の意味を、もう少し正確に捉えることになるのは後のこと。

 ロナルドがドラルクへ問答を仕掛けた理由は、決して大したものではなかった。
 強いて言えば、些細な変化の積み重ねを目の当たりにしたからだろうか。ツチノコが脱皮して鱗を数枚落としていたこと。かぼちゃの周囲に、いつの間にかタネが散らばっていたこと。オイルが切れたライターを処分した後、生活に大して困らないことに気づいたこと。
 ――ロナルドウォー戦記が、ドラルクと出会った当初より二倍の巻数に到達したこと。
 千体目の獲物であったはずの吸血鬼とコンビを組んでから、それなりの月日が経つ。退治と執筆以外に時間を使うことが増え、ドラルクとはいつの間にやらロナ戦に書きようのない関係で繋がるまでになってしまった。それもこれも、ザコが警戒するのも馬鹿らしくなる程にザコなのが悪い。それから気さくにゲームに誘ってくるところとか、料理がやたら美味いところとか、とにかく一緒にいて飽きないところとか。……享楽主義の癖に、情が深いところとか。
 ツチノコを肩、かぼちゃを頭へ乗せて帰る途中つらつらと考えている内に改めてドラルクに惚れ込んでいる己を自覚してしまってロナルドは自宅へ到着するなり床に転がって悶絶した。そして、気が済むまで呻いたら勢いよく身体を起こして大股で歩き出す。キッチンのシンクでコップ一杯分の水を飲み、ツチノコに栄養ペーストを食べさせ、かぼちゃを布で拭く。
 生活における最低限のタスクを終えたロナルドは、適当なルームウェアに着替えると部屋の隅に置いてある書き物机へ向かった。無造作に椅子に腰かけ、引き出しを開ける。
 用があるのは依頼人のやり取りや執筆に使っているノートPC――ではなく、一本のペンだった。同じ場所に入っている紙束から一枚引き抜き、ペン先を紙に当て、思い浮かぶままに滑らせる。紙は程なくして黒い文字で埋まり、ロナルドはそれを暫し眺めた後でぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ放り、新たな一枚へ同じように文字を綴った。
 リトライは多いが、ペンは止まらない。原稿もこれぐらい捗ればと思うが、そうもいかないのが作家のサガなのだとロナルドは思っている。
 六枚目の紙を消費したところで漸く納得のいくものが仕上がり、気が変わる前に封筒へ突っ込み封をする。日が傾く頃まで仮眠を取ってから、退治人姿になったロナルドは可愛い扶養相手たちに留守を任せて一人で自宅を後にした。
 秋も深まり冷たくなった空気に季節の移ろいを感じながら、夜の町を歩いていく。すれ違う度に感じる視線、時折聞こえる色めき立った声を軽く流しつつ足早へ退治人ギルドへ向かった。
 特に問題なく到着したギルド兼酒場の扉を押し開ければ、外国語で歌われるジャズと空調の稼働音が聞こえてくる。今日は人の入りが少なく、待機役の退治人が三人程まばらにテーブルに着いているだけだった。
 ……赤い服の男がいないことを素早く確認し、ロナルドはカウンターへ足を向ける。
「邪魔するぜ」
「おや、こんばんはロナルドさん」
 グラスを磨いていたギルドマスターのゴウセツが、手を止めないままロナルドへ会釈した。帽子を外して同じように返したロナルドは、改めて店内を見回す。「ヒヨシさんなら、ついさっき出たばかりですよ」の言葉に詰めていた息を吐いて席に着くと、ウーロン茶を一杯注文した。
「どうぞ。久しぶりですね、貴方が仕事以外でここに来るのは」
「どうも……そういえばそうかもな」
 ジョッキグラスに並々と注がれたウーロン茶で喉を潤しながら、マスターの言葉に自分を顧みる。修行時代を経て個人の事務所を立ち上げた後、ギルド総出の仕事を除いてこの店に足を運ぶことは随分と少なくなってしまった。
 理由は色々ある。同業者である実兄へ対抗心と劣等感を煽られるのが嫌だからとか、単純に依頼を直接請けるとギルドに来る必要性がなくなってしまうので、重大な事態が発生しない限りは時間効率優先で立ち寄る手間を省いてしまいがちだからとか。
 それでも、最近は少し前よりはギルドに顔を出す機会が増えていた。……好奇心旺盛ゆえにすぐ死ぬ吸血鬼に付き合う形で。
「そういえば、今日は〝彼〟の城を訪ねる予定ですか?」
「あー、昨日様子見した限り相変わらずザコだったし……次は週末辺りに仕事へ連れてく」
「なるほど。先日教えて貰ったスープカレーのレシピ、大変良かったとお伝え下さい」
「分かった」
 ――ザコこと吸血鬼ドラルクは、ロナルドによってギルドの退治人と顔合わせを済ませていた。当初やむを得ずコンビを組むにあたって、同業者にうっかり退治されてしまったら至極面倒なことになりかねない為、ドラルクの弱さと親人間派であることを示す必要があったのである。
 結果、椅子の冷たさだけで塵と化す上に死ねば死ぬ程再生時間が伸びる吸血鬼の可哀想な有様は良いアピールとなり、ロナルドが監督するなら問題ないだろうとお墨付きを貰うことに成功した。レッド・バレットだけは苦笑を浮かべていたが、その場の雰囲気で押し切ってからは何も言われていないのでよしとする。……吸血痕をどうにか隠し通せたのは幸運だった。
 それから、マスターと料理レシピの情報共有をしたり、退治人の衣装や武器にツッコミを入れては時折返り討ちにあったり、視察に来た吸対の副隊長をクッキーで餌付けしたりと彼なりにギルドに馴染み。今ではロナルドが一人で店に顔を出すと「ドラルクはどうした?」と聞かれる時があるぐらいになっていた。
 少し前まで引きこもりだったのが嘘みたいな処世術。ある意味、真の力などよりよっぽど脅威的かもしれない。
 そうでなければ、ロナルドだってこんなもの書いたり持ってきたりしないのだ。
「マスター、ちょっといいか」
「はい、何でしょう?」
……これ、追加で預かって欲しいんだが」
 懐から定形封筒を取り出し、マスターへ差し出す。受け取った彼は裏、表面を見た後で細めがちな目を大きく開けて驚いたような表情をロナルドへ向けた。少し身を乗り出し、周囲に聞こえないように声を潜めて尋ねてくる。
「これを……ドラルクさん宛に?」
「あぁ。イレギュラーなのは分かってるぜ、問題あるなら処分する」
……いえ、こういうものは当人の意思が大事ですから。預かりましょう」
「助かる」
 封筒をカウンター下の金庫へ入れたマスターは、しかし、とやや言いにくそうに言葉を続ける。
「大丈夫ですか。吸血鬼にこのような、形見となるようなものを」
「これでどうにかなるようだったら、何も残さなくても同じことだろ」
「ふむ、確かにそういう考え方もできますか」
「あー……それからこれ、あいつには」
「ええ、ヒヨシさんには内密にしておきましょう。ロナルドさんが決めたことですからね」
……ありがとう、マスター」
 知らず詰めていた息を吐き、ロナルドは謝辞の後で売上に貢献すべくサンドイッチを注文した。
 ――吸血鬼退治人は、危険と隣り合わせの仕事である。怪我やトラウマを負うことは珍しくなく、一瞬の判断が生死を分け、生き長らえても催眠等の後遺症で自我を喪失してしまうこと、吸血鬼に魅惑され自ら首を差し出し夜の支配下に落ちてしまうことだって有り得ぬ話ではない。
 その為、退治人の間では遺言状じみた手紙を書く慣習が存在する。己の命が途絶えた時、自分が自分でなくなってしまった時に備えて頼み事や想いを文章に残しておくのだ。
 ロナルドも既に兄と妹、付き合いの長い友人たち、お世話になっている担当編集へ向けた手紙を書いてギルドに保管して貰っている。あの優秀な退治人であるレッド・バレットですら書いている以上、自分が書かない道理は存在しなかった。
「はは……
 しかし、まさか吸血鬼に殺された時に備えて吸血鬼に向けた遺言状を書く心持ちになろうとは。グラスに浮かんだ氷が水面で回るのを眺めながら、ロナルドは喉奥で密かに笑った。
 無論、この先簡単に死んでやるつもりはない。ロナ戦だって最低でも百巻を超えるまで書くのを止める気はなかった。
 それでも、ロナルドは人間だ。人が生きる時間には限りがあり、余程のことがなければ吸血鬼らより先に終わりを迎えるに違いない。だったら、曲がりなりにもコンビであるドラルクに一筆残すのが筋というものだろう。……ツチノコとかぼちゃにとっても、それがプラスになると思いたい。
 ――ロナルド様直々のメッセージだ。その時が来たらありがたく受け取れよクソ雑魚め。
 今頃棺桶でぬくぬくと眠っているだろう吸血鬼に向けて、ロナルドは声に出さず悪態をつく。
 制限時間を超える術についてなど、今は考えることすらしなかった。

「あ、死んだ」
 ゲーム用のモニタを見ながら、ドラルクは淡々と呟く。画面ではプレイヤーに配下の死を報せるメッセージと、目を閉じて横たわるファンシーなキャラクターの姿が映っていた。
「ふーむ、思ったより死亡までのサイクルが早いなこのゲーム」
 ソファの背もたれに乗せていた上体を軽く起こし、陣地に残っているキャラクターのパラメータをざっと確認する。幸い、急を要する程に老化が進んだ配下は他にいなかったのでリカバーは容易だった。ドラルクはさして動じることなく埋葬の指示を出し、配下を増やすべく新ダンジョン攻略の準備を進める。
 本日ダウンロードしたばかりの、陣地運営とダンジョン攻略が合わさったアドベンチャーゲーム。主人公は概ね不死の為ダンジョンに気兼ねなく突っ込めるが、陣地で働かせる配下は病気や飢えで簡単に死んでしまうのが困りものだ。衛生と食事に気を遣っても、たった今埋葬された者のように結局は寿命で亡くなるので常に配下候補を求めて探索を続けなければならず、それが程よくシビアな難易度となっている。
……寿命、か」
 ゲームの操作を続けながらドラルクはぽつりと呟く。隣に座って携帯ゲームのモンスター厳選を行っていたジョンが、その響きの仄かな曇りに気づいて顔を上げた。
「ヌヌヌヌヌヌ、ヌーヌヌヌ?」
「ジョン、人間ってさ」
「ヌン」
「今も大体八十、長くて精々百年ぐらいしか生きることができないらしい」
「ヌッ、ヌー……
 静かな声で話す主人へ相槌を打ちつつ、何処か気まずそうにしているアルマジロ。ゲームを一旦ポーズ画面に切り替えたドラルクは、前足を落ち着きなく動かすジョンを抱えて微笑んだ。
「ジョンは知っていたんだね、流石だ」
「ヌヌンヌヌイ」
「謝ることはない、私だって今ここで言うか迷ったところさ」
 ――それは、ゲームソフトのロード時間を潰す為の些細な暇潰しに過ぎなかった。SNSでエゴサやクソゲー情報を軽くさらった後。何の気もなしにドラルクは検索エンジンに「ツチノコの寿命」と入力し、その結果を流し読みしていた。人間が運営している大百科から吸血鬼のコミュニティまで巡ってみたが、数日前にロナルドと話していた内容以上の情報は得られずに終わる。
 ゲームのロード時間はまだ一時間程残っていた。
 続いて、「かぼちゃ 自我 寿命」で検索してみる。吸血鬼化した野菜や置物を処分せずに飼う話が引っかかったが、どうもロナルドが生み出したあのパンプキンの実態とは噛み合わない。彼が言っていた通り、かぼちゃはかぼちゃ。他の事例を当てはめるのも無粋かもしれない。
 ロード完了まで残り十パーセント。次にドラルクが入れたキーワードは――「人間の寿命」。
「はー……文明が発展しても案外延びないものなのか」
 二百年、いやせめて百五十年ぐらい生きてみせればいいのにね、とジョンの腹毛をモフりながらぼやく。そうしてドラルクはロナルドと最後に会った夜に交わした問答について、改めて推察するに至った。もしや彼は己が置いていくのか、それとも置いていかれるのか知りたかったのか。
「何だかなぁ」
「ヌーン」
 自分でも意外なぐらい暗い声が出て、ますます気分が鬱屈としてくる。ドラルクと一緒に寂寥感を共有してくれるジョンが傍にいるお陰で、何とかストレス死を免れている状態だった。
 吸血鬼とその使い魔や眷族を除き、大体の生物は無常でいつか消える。そんな当たり前の事実、座学やエンタメから得た知識で理解しているつもりだった。実際、町に繰り出す度に多数の人間が入れ替わっていることを極々自然に受け止めていたし、精々季節の移ろいで咲いては枯れる草花の営みが目に留まった時のような、しみじみとした感情を偶に呼び起こされる程度のものだった。
 人は死ぬ。退治人ロナルドとて、例外ではない。
……不愉快だ」
 ジョンを強く抱き締めて、はっきりとドラルクは口にする。そう、嫌なのだ。ロナルドの足跡がいつか途切れてしまうことを、他の人間と同じように時の流れに呑まれて消えてしまうことを想像するだけで、靴下を強引に脱がされたような不快感に苛まれる。
「あーあ、折角捕まえても時限ギミックで逃げられるとか理不尽過ぎるじゃないか」
 ねぇ、と同意を求めてジョンに視線を合わせる。お土産のドーナツやスナック菓子を切欠に親交を深めてきた彼も、寂しげにヌンと鳴いた。
「どうしたものかねジョン。いっそ……私の仔にしちゃう?」
「ヌ!」
「うーん、しかしなぁ」
「ヌン?」
 両手を上げて賛意を示したジョンは、直後に困ったような声を上げた主人へ首を傾げる。手袋に覆われた指を迷うように動かしながらドラルクは、悩ましげに溜め息を吐いた。
「よっぽど素質がないとかでなければ、下準備をした上で私が噛めばほぼ確実に迎え入れられる筈だが……
 一般論として、人間は吸血鬼化しにくい。しかし、ドラルク程の血の強さがあれば対象を吸血し適切に転化を実施できる環境を整えさえすれば、さして問題にはならないだろう。
 だから、今し方の思いつきを実行するに躊躇う理由は、ドラルク自身の気持ちにあった。
「このままロナルド君が歳を重ねてさ、ヒューマンドラマの登場人物みたいに段々とシワが増えて背中が丸くなって、いつしか一人で歩くことも難しくなって」
「ヌン」
 グッと拳を握ったドラルクは心底困ったように天井を仰いだ。
「そんな風に老け込んだ姿……見てみたいじゃないか! 今の彼とは違う味わい深さがあると思うから、その機会を逃すのは勿体ないというか」
「ヌー……
 味というのは血のことじゃなくて、いやそれも大いに含むのだが――つらつら語り続ける主人へ、ジョンは生温かい視線を向けた。結局のところ、根が享楽主義者のドラルクは退治人ロナルドから得られるコンテンツを漁り尽くしたくて堪らないのである。彼を愛おしみ退治人生命をできるだけ長らえさせたい願いもあるが、それはそれ。
「はー、どうしたものか……あ、RINE。ロナルド君からだ」
 欲望の天秤を頭の中でぐるぐると回していた思考が、スマホの通知音で中断される。
「ヌヌヌヌヌン、ヌンヌッヌ?」
「あぁ、次の土曜日に退治があるから迎えに来るって。少し遠いから泊まりがけになりそうだ」
「ヌー」
「ジョンはご近所さんとフットサルの合宿だったね。帰ったら土産話をしながらホットケーキでも作ろうじゃないか」
「ヌン! ヌミヌヌ、ヌッヌイヌッヌヌヌヌ」
「ありがとう、私も面白い掘り出し物を捜し当てるとしよう!」
 ジョンと楽しく話ながら、ロナルドのメッセージに了承のスタンプを送る。既読マークが付いたのを見た時に先程の逡巡した思考が一瞬だけ過るが、
……ま、今あれこれ考えても仕方あるまい」
 小さく息を吐き、スマホの画面を消す。楽しくないことに思考を割くのは趣味じゃない。それに人間の寿命がいくら短かろうと、今日明日ロナルドが死ぬ訳でもないのだ。だったら、悩みの種については一先ず置いて、目先の面白いことへ思いを馳せる方がよっぽど建設的に違いない。
「さーてゲームの続きしよ。ロナルド君への布教ポイントも後で纏めようか……ジョン、手伝ってくれるかい?」
「ヌー!」

 ――今日は妙に静かだな、こいつ。
 北関東から東北まで線路が通った特急列車の中。窓の向こうで流れていく夜景から視線を外し、隣の指定席でゲームに集中する男を横目で捉えた退治人ロナルドは、内心で首を捻っていた。
 喧しい訳ではないが、ドラルクは基本的に口数の多い吸血鬼だ。取り留めのない雑談から吸血鬼に関する知識の披露、ゲームの布教や料理の紹介など様々なことを話題に取り上げ、かつ耳を傾けさせるのが上手い語り口なもので相手を飽きさせない。何とはなしで口にした話題も興味を持てばどんどん広げてくれるので(刺激が強すぎると死にやがるが)、今のような移動中にドラルクと会話で時間を潰すのを、ロナルドは密かに好ましく思っていた。
 ところが、今日は座席に着いて予定について軽く擦り合わせた後、隣の吸血鬼は消音状態の携帯ゲームにかかりっきりである。ちらっと画面を見た感じ育成キャラの厳選作業を淡々と行っているだけで、沈黙していると虚無感が苦痛になりそうなものなのに。
 棒つき飴を噛み砕けば、持ち手が圧に負けて曲がる。……段々と、面白くなくなってきた。
「なぁ、」
「ロナルド君ってさ」
 思わず口から出た声が、ドラルクの言葉と重なる。数秒の沈黙の後に「何だよ」と促してみれば、画面から目を離さず手を止めないまま「些細な疑問なのだが」と続けた。
「もしも退治の最中、何らかのアクシデントによって……吸血鬼化したら、君はどうする?」
「あ?」
 歯ぎしりに巻き込まれた飴の棒が無残にひしゃげる。些細な、という前置きに不釣り合いな質問に、右肩下がりだった機嫌が更に落ちていくのを感じた。
「ロナルド様がそんなヘマする訳ねぇだろうが撃ち殺すぞ」
「ウワァーーー列車内で銃を構えるな沸点アセトアルデヒドか!」
 やっとゲームから手を離して降参のポーズを取った吸血鬼に多少は溜飲が下がったので、拳銃は懐に仕舞っておく。シートの背もたれに体重を預けながら視線で続きを促せば、ドラルクは小さく咳払いをした。
「確かに君は優秀な退治人だし、そもそも人間を吸血鬼化させるのは難しい。だが……不測の事態は起きる時は起きるものだろう? 血の強い高等吸血鬼を相手取るのであれば、転化やグール化の可能性は上がることだしね」
「有り得ねぇな。そもそもサウザンドウォーの最終局面まで吸血鬼に首を許したことなんぞ一度もなかったんだよ」
「え、じゃあ私が君の初めてってこと……?」
「人の汚点で喜ぶな照れるな頬を染めるな泣かすぞ」
 手すりで頬杖を突いて舌打ちする。こんなのに吸血を許したことは、退治人ロナルド一生の不覚である。……血を吸わせたこと以外にも色々ヤってしまっていることには、そっと目を瞑った。
「わざわざ言われなくても、退治人やってるならその手のリスクは承知済みだ。予防接種をしようが最悪の事態が発生する可能性も理解している」
「ほほう? では……君の言う〝最悪〟が起きた時、一体どうするというのかね」
「決まってんだろ」
 右手の親指と人差し指を立て、残り三本の指を強く折り曲げる。そのまま人差し指を自らの心臓へ突きつけ、ロナルドは不敵に笑ってみせた。
「肉体の変質と共に湧き上がる衝動。ロナルドは退治人としての矜持を胸に、最期の標的へ狙いを定め――引き金を引く。それでおしまいだ」
……ふむ」
 ロナルドの言葉に一瞬目を瞠った後、ドラルクは何かを考え込むように口元に指を当て、やがてパッとその手を広げた。
「そしてウン百年後に目を覚ました退治人君は、謎の荒廃を遂げた終末世界で次々と襲い来る未知の吸血鬼を駆逐すべく再び銃を手に取るのだった、とか?」
「勝手にB級映画感マシマシの蛇足を加えるんじゃねぇよ」
「えー? だってその方が愉快じゃないか」
 胡乱な視線を向けても、ドラルクは楽しげに牙を見せて笑うだけ。こうなると、さっきの沈黙が恋しくなってきた。好いた相手だろうと、吸血鬼相手に会話の主導権を握られるのは面白くない。
「ポストアポカリプスを舞台に、空白の時間を知る私が寝起きのロナルド君を先導して無知蒙昧の輩を倒し町を再建していく。セーブポイントにはジョンとツチノコとかぼちゃがいて、体力の回復や物資の補給が可能となっている仕様だ」
「映画にしたいのかゲームにしたいのかハッキリしろ」
「と、冗談はこのぐらいにして」
 腰を浮かして座席に浅く座り直したドラルクが、隣へ身を乗り出す。ロナルドを上目に見ながらこちらの手を掴むと、唇を閉じ神妙な雰囲気を纏わせて微笑んだ。肉のない掌の冷たさが、白と黒の二枚の手袋越しに伝わってくる。
 空気に呑まれかけて振り解けないまま、とっさに周囲へ視線を巡らせる。幸い車両内はガラガラで、気づかれる程の近い場所に乗客はいない。
「おい……
「ロナルド君のそういう潔さは興味深いが、もしも……万が一そのようなことに陥った時は、自分で始末をつける前に私を頼りたまえ。我が竜の一族であれば、そこらの同胞の血など簡単に上書き可能だし、妙な能力に目覚めたとしても抑え込めるだろう」
……吸血鬼が別の吸血鬼に噛まれたら特性を上書きできる、だったか」
 ひたと視線を合わせてくる赤い目を負けじと見返し、ロナルドは知らず詰めていた息を吐いた。
「五千兆歩譲って頼んでやるとして、お前が転化墜ちしたロナルド様の首を噛めると思うか?」
「それはそのー、アレだよ。秘蔵の生き血ボトルを一気飲みするなりして真の力を……二十分の一ぐらい取り戻せばギリギリ……後は御父様の力を借りれば……最終手段に御祖父様もいるし」
「他力本願じゃねぇかクソ雑魚」
 力加減に留意してドラルクの手を離し、宙へ放る。一瞬感じた緊張感は既に霧散していた。
 窓の向こうに広がる夜景へ何気なく目を向ける。通過していった駅から数えると、目的地までは残り七駅といったところだった。
「くだらねぇ杞憂にこだわる前に今日の仕事の心配をしろよ。目的地は山のキャンプ場だ、電車を降りたら山道を上っていくからな」
「えっ、やだ死にそう……ロナルド君ちょっと肩貸して、私コウモリに変身するから」
「一発成功したら考えてやるよ」
 くだらない与太話が途切れ別の話題へ流れていく最中、ロナルドは複雑な感情が胸中に過るのを自覚していた。
 ――他の奴に獲られるぐらいなら自分が……とは言わないんだな、こいつ。
 その選択肢を示さない姿勢は正しい。戯れにでも言い出したら最後、ロナルドは筆を止めていたサウザンドウォーを再始動させることだろう。真の力とやらを取り戻すか否か、その如何を問わずドラルクを完全に退治し、二度と同じ口が叩けなくするに違いない。
 この吸血鬼の恋人である以前に、ロナルドは吸血鬼退治人だ。いざとなれば棒つき飴を魔除けの煙草に、麻酔弾を銀の弾丸に変えて突きつける覚悟はできている。同時に、ドラルクを好いているのは確かなのでそんな日は来ないでくれと思うし、たった今そのことを匂わせなかった彼に安堵もしていた。
……おい、弁当寄越せ。着く前に腹に入れとく」
「ふっふっふ、良かろう。吸血鬼ドラルク渾身の幕の内風弁当に恐れ戦き驚嘆したまえ!」
 それなのに。積極的な転化について触れようとしない目の前の吸血鬼に、何とも言い難い苛立ちを覚えるのは何故だろうか。血湧き肉躍る戦いを始める口実を未練たらしく探しているのだろうか、このクソ雑魚相手に。
「唐揚げも卵焼きも、冷めてるのに美味いな」
「そうだろうそうだろう。常温でも美味しく食べられるようにジョンと研究したからね」
「へぇ、流石ジョンだ」
「えっ私は?」
 軽口を叩きながら美味しい弁当に舌鼓を打つ。それでも不明瞭な感情の燻りは、目的の駅に到着して電車を降りるまで拭い切れないままだった。

 ピチョン、ピチョンと雫が岩を叩く音が苔むした空洞の中で反響する。ぽかりと大口を開けた天からは三日月が覗き、あざ笑うような弧を描いていた。
 全身を蝕む痛みを誤魔化したくて懐を探るが、禁煙と共にライターを処分したことを思い出し、そのことを失念していた己に舌打ちする。
……クソッ」
 額を拭うと、手袋が汗と血でべったりと濡れた。傷は浅く出血は既に止まっているが、さっさと処置をしないと熱を持って面倒なことになりそうだ。
「ぅぐ……流石にキツいか」
 もっと面倒なことになっている足首を見遣り、溜め息を吐く。立ち上がろうとすれば神経を直に抉られるような激痛が走り、結局座り心地の悪い岩肌へ腰を下ろすしかない。
 山のキャンプ場に潜伏していた高等吸血鬼の退治は、そう難しいものではなかった。相手は多少物陰に隠れるのが上手いことを除けば、特別な能力を持たず。ロナルドの直感とドラルクの推察を合わせることで簡単に追い詰めることができた。
 唯一の誤算は、標的が護身目的で用意していたらしい巨大グールが六体、所有者の意識が麻酔弾で落ちた途端に洞窟から飛び出し暴走を始めたこと。幸いキャンプ場にいる一般人は管理スタッフの避難指示に従わなかったり逃げ遅れたりした利用客ら含めて人的被害はなかったが、最後の一体と縺れ合いとなったロナルドは一般客の立ち入りが禁止されている区域で、相手共々洞窟の中へと滑落してしまったのである。
 グールに銃弾を撃ち込みつつ受け身を取ったことで急所のダメージは極力避けたものの、着地点が不安定な岩場だった為に右足が不味い方向に曲がった。オマケに、事切れる直前のグールが最期のあがきで鉤爪を振り回してくれたお陰で、無理な姿勢で避けつつもう一弾を撃つことを強いられ左足も岩の隙間に突っ込んだまま百八十度近く回転させる羽目となった。
 ――早めに救援が来てくれれば良いが。
 無線でキャンプ場の管理人に連絡を入れて、吸血鬼対策課へ標的確保と救助要請の伝言を頼んだのが約三十分前。救助隊が到着するもう暫くの間、痛みと退屈に耐えなければならない。
 吐いた息が白く濁り、瞬く間に洞窟の暗闇へ溶けていく。
……さむ」
 汗で身体が冷えたせいか、肌寒さを強く感じるようになった。この状況下で体温が下がっていくのは不味い。何らかの方法で暖を取らなければ。……禁煙しようと、ライターは必携だな。
………………!」
「ん……?」
 遠くから聞こえてきた声と、もたついた足音に閉じかけていた瞼を上げる。
「ロナルド君! 生きているかね!」
……ドラルク」
 こちらの両肩を掴む、体温のない非力な骨張った手。息も絶え絶えといった状態のドラルクが、半ば倒れ込む形になっていたロナルドの上体を懸命に起こそうとしていた。
 月明かりに照らされた吸血鬼の、いつになく必死な形相。なんだか可笑しくて笑いそうになっていたら顔に出ていたらしく「とうとう気が狂ったのか」と失礼なことを言われた。
「至って正気だから安心しろよ。……よくここまで辿り着いたな」
「管理者から横穴の場所を聞いてね。後は血の匂いを辿れば迷うことはなかったよ」
「血……臭うぐらい出てるか?」
「いいや、今見た範囲では大した量ではなさそうだ。上から風が吹き抜けていること、いくらかの血が水に混じったことで辿りやすくなったのだろうな」
「へえ」
 足に負荷がかからないように身体を起こすと、ドラルクの手が両の頬を包むように触れてくる。何かを確かめるように指先が額を繰り返し撫でた後、「冷たい」という呟きが落ちてくる。
「お前程じゃないだろ」
「君基準だとかなり低い方じゃないか。……ああもう、これ羽織りなさい」
 ふわり、と線香のような香りが鼻を掠める。丁寧にラッピングするように己のマントをロナルドに被せたドラルクは、それでも足りないといわんばかりにぴたりと身を寄せてきた。
「はー、寒い」
……寒いなら渡すなよ」
「良いよ、ギリギリ死に切らない程度だから。人間の方が身体を冷やすと不味いのだろう?」
 雪山遭難する映画で見た、と言ったドラルクが改めてこちらの足下へ目を向けて眉を寄せる。
「歩くのは……難しそう?」
「無理って程じゃないが、大人しく救助を待った方が賢明だろうな」
「君がそう言うってことは完全に駄目ってことだね、オーケー」
 ふぅ、と息を吐いてドラルクが腰を上げる。律儀にも応急キットを持参していたらしい吸血鬼は消毒液やガーゼなどを取り出すと、ロナルドの額に付着した血を拭い、簡単な手当を施し始めた。
「いっ……! てめぇ」
「睨むな睨むな、すぐ終わるから」
 エタノールが傷口に染みる痛みに視線で不服を訴えるものの、にべも無くあしらわれる。子供を窘めるような態度が癪に障るが、処置が早いに越したことはないので諦めてその手を受け入れた。
 額へガーゼをテープで固定した後、ドラルクの手がこちらの左手首を掴む。
「手袋、取っても構わない?」
……自分で外す」
 亀裂が走った黒手袋を引き抜き、僅かに血が滲んだ手の甲を差し出した。消毒液を含ませた綿を当てられる痛みを堪えながら、ロナルドは手際よく包帯が巻かれる様子を眺める。
「これ、わざわざ持ってきたのか」
「基本的に、君から呼び出された時は持ち歩くようにしているよ。……毎度毎度、城で血の香りをまき散らされても困るからな」
「るせ……
 じと目で睨んでくる視線から逃れるように、ゆっくりと視線を逸らす。
 ドラルクに怪我の手当をされることは、今までにも何回かあった。いくら弱体化しているといえ高等吸血鬼、生傷から滲む血の臭気を嗅ぎつけることは容易いらしい。病院を無視して城へ向かうと出迎えたドラルクは歓迎しつつも衣服の下に隠した傷を的確に指摘してくる。VRCでの検査結果に異常がないなら原稿執筆の時間確保を優先すると締切を示しながら言えば、憐憫に満ちた表情を向けられ客室を貸すから大人しくすること、救急車を呼ばれたくなかったら応急処置を受け入れることを要求された。
 ロナルドとしては執筆時間が確保できれば何でもよかったので、ドラルクの提案を快諾し。以降、病院をスルーしたロナルドがドラルク城で療養しつつ執筆するサイクルが出来上がりつつある。
 そんな訳で、ドラルクに傷の処置をされること自体は慣れてきたが。今のように退治の現場で、夜気の冷たさが満ちた洞窟の中で城と同じように消毒液を塗され、ガーゼや包帯で傷口を覆われるのは何だか不思議な感じがする。今までは依頼が一段落した、半分プライベートの状態で行われてきたことを仕事の真っ只中で施されると、ドラルクが〝退治人ロナルド〟の内側へ却って一層深く踏み込むことを許してしまったような感覚に陥るのだ。
「流石に、今回は大人しく入院するのだろうね?」
「骨がくっつくまでは療養だな。原稿用のノーパソ持参したから問題ないぜ」
「君、そういうところ本当ブレないな。大人しく休めばよかろうに」
「病院みたいな不特定多数に見られている場所で休んでられるか」
「療養の意味分かっている?」
 包帯を巻かれた左手が拳銃を握るのに不都合ないことを確認してから、右手の手袋を外して掌を差し出す。同様の処置を行う最中、ドラルクは頭上の大穴を見上げた。
「救援、後どのくらいで来るのかね」
「管理人はなるべく急がせるとは言ってたが……ま、今夜は晴れてるしもうすぐ到着するだろ」
「それなら良いのだが」
 会話が、暫し途切れる。黙々と手当を進めて右手の包帯も巻き終えたドラルクが、手袋を装着し直そうとしたロナルドの指を不意に掴んだ。
「ねぇ、ロナルド君」
……何だよ」
 血で汚れた白い手袋に覆われた細長い指が絡みついて、付け根から爪の先まで包帯の下にある形を確かめるように撫でてくる。
「もしもの話だ。何らかのトラブルで救助が大幅に遅れ、君の身体が更に冷えて、いよいよ危ない段階になったとしたら――
「ドラルク」
 指を一度振り解き、今度はロナルドの側から掴み返す。全ての指の付け根まで、ぴたりと重なるように絡ませると、自然と笑いが込み上げてきた。何だこの構図。
「ふはっ……お前のマント、案外暖かいんだな」
……ふ、ふふふ、当然だろう。季節に合わせたものを選んでいるからね、この時期にぴったりの防寒仕様さ」
 釣られるように笑うドラルクと寄り添い、救助を待つ。
 身体を覆うマントから漂う線香のような匂いを深く吸い込めば、白いシーツの上で情を交わし、熱を混ぜ合う時のことが思い出されて、より体温が戻ってくるような気がした。

 消毒剤の臭いが漂う病院の個室にて、ボタンを叩いたりスティックを回したりするガチャガチャ音が響く。音の発生源たる銀髪の青年は、額に巻かれた包帯から血が滲むのではないかと思うほど必死な形相で画面を睨みつけていた。
「こん、のっ……いい加減、くたばっとけ!」
 とっぷりと日が暮れた午後の五時。退治人ロナルドはベッドの上で一人、携帯ハードに向かって悪態を吐きながらゲーム――出発直前にドラルクの布教でダウンロードした陣地運営、ダンジョン攻略が複合したアドベンチャー――のボスキャラと格闘していた。ファンシーな造形と裏腹に血に塗れながら物騒な巨斧を振り回すキャラクターを操作し、図体がデカく奇怪な模様が刻まれたボスの体力ゲージを削っていく。
「よっしこれで……はぁ⁈」
 溜め技がヒットしこれで撃破かと思った瞬間、ゲージをほんの一ミリ残したボスの広範囲攻撃によって逆にこちらが体力をゼロにされてしまった。拠点へ強制帰還後、半分削られた所持アイテムを見てロナルドは悔しさで歯噛みする。
「ふっざけんなよクソ、今のは倒されるところだろうが……!」
 ゲーム内のストーリーが中盤に差しかかった頃から目に見えて敵が強くなり、同じダンジョンのボスにかれこれ三連敗している。初見プレイの癖に難易度をイージーでもノーマルでもなくハードに決めたことを若干後悔したものの、今から変更しようとすれば最初からやり直しとなる為、後に引けない状態だった。
「はー……
 何だかどっと疲れがきて、電源を落としたゲーム機を片付ける。視界に嫌でも映るギブスで固定された両足が、入院中にゲームへ興じるロナルドを戒めているようで居心地が悪い。
 あの日、到着した救助隊の手引きでドラルクと共に洞窟から脱出したロナルドは、すぐさま病院へぶち込まれた。命に別状はなかったが両足の骨がしっかり折れていた為、最低でも三週間、長くて二ヶ月近くの入院を余儀なくされ、今に至る。
 ロナルドにとって想定外の休業期間。最初の一週間は原稿の執筆に有効活用しようとノートPCを開いて文字を書いては消し、書いては消していたが、原稿用紙一枚も埋まってくれない進捗に絶望して入院八日目から電源を入れることも止めた。
 かといって、何もしないのも暇を持て余す。いくらメディアに引っ張りだこのロナルド様といえど、入院中の見舞いや臨時インタビューは必要最低限に抑えたので一人きりの時間は案外長い。
 さて今日はどうしたものかと唸った入院十日目、退治後のごたごたですっかり意識の外にあったゲームの存在に思い至ったのである。感想としては、拠点の開発や配下の管理にダンジョン攻略とやることが多く、いい時間潰しになると思うのが半分、これを締切直前に布教していたらドラルクをどうにかしているところだったと思うのが半分という所感だ。
……ちっ」
 入院して以降、ドラルクの顔を見るどころか連絡も取っていない事実を改めて思う。
 見舞いに来ないのは別に気にしていない。病院は病気や怪我で心身の弱った人々が集まっている施設で、自然と吸血鬼に対して警戒の意識が高くなっている。ここのように大きな場所であれば、退治人兼業だったりダンピールだったり元吸対職員だったりを警備員に雇っているのが普通だ。
 だから、思わず舌打ちをした理由は別のところにある。
「オムライス、パイシチューときて、次はホットケーキ……こっちが病院食で摂生してるの知ってての嫌がらせかクソ雑魚が……ジョンは可愛いな……ツチノコ、かぼちゃ、元気そうでよかった」
 通知の堪っていたRINEを開き、ドラルクから送られてきた写真を親指でなぞる。何段にも重ねたホットケーキへ嬉しそうにフォークを刺すアルマジロの姿や、城の遊戯室のビリヤード台でキューや玉を転がして遊ぶツチノコとかぼちゃの姿。
 どれも微笑ましく温かな気分になるが、普段のように直接見に行くことができないのがもどかしい。調理過程を事細かに送ってくるのには空腹を強く刺激されて殺意めいた怒りも覚えた。
……ん?」
 絵に描かれた餅を吊り下げられたような仕打ちに既読スルーを決め込もうとしたところで、新規メッセージが追加される。
『早く食べにおいで』
――俺だってそうしてぇよ、バーカ」
 ぼそりと呟き、了承のポーズを取った動物のスタンプを返す。入院してから、ドラルクへ送った始めての返信だった。
 一仕事を終えた気分で、ロナルドはベッドへ仰向けに身体を沈める。時刻は六時を回っていた。半開きのカーテンの向こうで、欠けた月がぼんやりと光っている。
 間もなく、スタッフが病院食を運んできた。礼を言って質素な一汁一菜プレートに手をつける。味は悪くなく、ロナルドが自炊するよりはよっぽど栄養バランスの優れた食事だが……どうしても物足りなさを感じてしまう。ついさっき、見るだけで甘さが伝わってきそうなシロップたっぷりのホットケーキを目にしてしまったせいに違いない。退院したら絶対に作らせる。……退院したら。
「ごちそうさま」
 ――退院して、あいつの城へ行った時。こちらから確かめるべきだろうか。
 空になった食器を簡易テーブルの上に纏めた後、天井を見上げながらぼんやりと考える。腹八分までとはいかずともある程度満たされれば、ストレスの緩和と共に思考する余裕が生まれた。
 ドラルクへの連絡を渋っていたのは、何も向こうが空腹を煽る写真ばかり送ることに腹を立てていたからではない。いや少しはそれも含むが、もっと別の理由が存在している。
 キャンプ場を訪れたあの日、ドラルクは妙に含みを持たせた問いかけを何度も繰り返していた。例えば、吸血鬼との戦いの最中で転化させられたらどうするか、とか。救援の到着が遅れて生命の危機に瀕したら、とか。
 前者、電車で移動している時に交わした会話の中では、てっきりドラルクに人を転化させる意思はないものと思っていたが……あれは、遠回しの確認だったのではないだろうか。もしもロナルドが吸血鬼化の末路を辿ることになったら、どのような選択をするのか探る為のもしも話。
 洞窟の中ではもっと露骨な話をしようとしていた。とっさに手を掴んで気を逸らしたが、あの時続きを聞いていたら、ロナルドは処置を施したばかりの左手でドラルクへ銃口を向けていただろう。最悪、頭に血が上って洞窟への自力脱出を後先考えずに試みたかもしれない。
 果たして、吸血鬼ドラルクはロナルドを血族に迎えることを望んでいるのだろうか。例え話とはいえ吸血鬼化した己と旅をすることを楽しげに提案する辺り、あながち見当外れでもない推測かもしれない。……しかし。
「なーんか、引っかかるんだよな……
 己の仮説に、ロナルドは早くも疑念を抱いた。同族にすることを狙うのならば、それこそあの夜は絶好の機会となっただろう。手当をする振りをして首に噛みつき、一時的にでも真の力とやらを取り戻して増援が到着する前に事を成してしまえばよかったのだ。当然ロナルドからの信用は地に落ちるが、それを承知の上でエゴを押し通すのが高等吸血鬼だろうに(偏見が多分に含まれている自覚はある)。
 とにかく、ドラルクがロナルドへ何かしら求めることがあって探りを入れてきたことは確かだ。では、その内容は一体――
「っ……どうぞ」
 病室のドアがノックされる音に、暗中に迷い込みそうだった思考を中断する。上半身を起こして表情筋を手で軽く解してから呼びかけると、スライド式の扉が静かに開いた。
「邪魔するぞー」
……げっ」
「げっ、て。その反応は無いじゃろう」
「面会時間、過ぎてんだけど」
「退治人としての仕事の一環じゃ、と言ったら通して貰ったよ」
「職権乱用じゃねぇか」
 露骨に嫌そうな顔をしたロナルドに、花とフルーツ籠を持った小柄な男は苦笑した。
 銀色の髪に、晴れ渡った昼の空のような青い目。幼い面立ちとフード付きの赤い衣装が相まって童話に登場する赤頭巾を連想する者もいそうなことだが、男の内実が悪い狼どころか如何に凶悪な吸血鬼だろうと退治してみせる豪傑な狩人であるのをロナルドはよく知っていた。
「やれやれ……折角兄ちゃんが見舞いに来たのに、素っ気ないにゃあ?」
 退治人レッド・バレットこと、木下ヒヨシはそっぽを向いている実弟の態度に肩を竦めてベッドへ歩み寄る。
「頼んでねぇ」
「確かに、おみゃあからは頼まれてないが」
 その言葉を受けて一瞬考えた後、ロナルドは深々と溜め息を吐いた。バーカウンターでグラスを磨きながらウィンクする男と、カモの被り物をして決めポーズをする男が脳裏に浮かぶ。
……マスターとヴァモネさんか」
 退治人見習いの頃から面倒を見て貰っている相手では、心の中ですら文句を言いにくい。向こうが(多少の茶目っ気を含むとしても)純粋な善意であったことが想像できるから余計に。
「はは、といってもあの二人は背中を軽く押しただけじゃ。元々なるべく早めに顔を見に行こうと思っとったよ。花、俺が適当に飾って構わんか?」
「嬉しくねぇ……花瓶はそこにあるから勝手にしろ」
「はいはい」
 花瓶に水を汲む為に一度廊下を出たヒヨシが、院内スタッフが食器を回収し終わったタイミングで戻ってくる。気が変わるなり急ぎの用事なりでとっと帰ってくれないかと思ったが、相手は器用に花を生けてから椅子に座り、籠からリンゴを取り出して十徳ナイフで皮を剥き始めた。その姿が幼少期に風邪を引いた時、布団で伏せながら見た記憶と重なり、ロナルドは妙にばつが悪い気分になってますます視線を合わせることができなくなった。
「リンゴの切り方、ウサギとカブトムシのどっちがいい?」
「子供扱いすんじゃねぇよ。……白鳥」
「いっきに難易度上げてくるにゃあ……やれるだけやってみるが」
 リンゴの皮が剥けるシャリシャリとした音が、兄弟の間で流れていく。
「久しぶりじゃな、おみゃあがここまで派手な怪我をしたのは」
……はっ、情けない姿を笑いに来たのか?」
「んな訳あるかバカタレ、命に別状なくてよかったと思っとるよ。……ほら、これでどうじゃ」
 小皿の上に、綺麗な白鳥の形を取ったリンゴの飾り切りが置かれる。フォークを添えて渡されたそれをロナルドはまじまじと眺めた後、スマホのカメラの連射モードで撮影した。口元が緩むのを必死で堪えている弟の姿に、ヒヨシが表情に困惑を滲ませながら笑う。
「今は誰もおらんし、もうちょっと素直に喜んでもいいんじゃよ?」
「喜んでねぇし。これは仕返し用だ」
「仕返し?」
「あのクソ雑魚が空腹を煽りまくってくるから、芸術方面でやり返す」
「あぁ……
 誰のことを言っているのかすぐに察したらしく、兄は曖昧に頷いた。慎重にフォークを実へ刺し、ちまちまと食べ始めるロナルドを眺めながら、しみじみとした調子で呟く。
「いやはや、すっかり仲良くなったもんじゃなぁ」
「あ?」
「吸血鬼ドラルクと。ギルドに連れてきた時は何事かと思ったが……
 ヒヨシは胸の前で腕を組み、ゆっくりと息を吐き出す。それから何かを考えるように俯いて暫く沈黙していたが、ロナルドがリンゴを完食した頃合いで見計らったようにパッと顔を上げた。
「なぁ、退治人ロナルド」
……何だよ、レッド・バレット」
 ヒヨシがこちらを〝ロナルド〟と呼ぶのは家族ではなく、退治人として話がある時だけ。こちらも通り名を呼びかければ、兄の思いの外真剣な顔と向き合う形になる。
「お前はこれから先も、吸血鬼ドラルクとのコンビ活動を続けるつもりか」
 ――硬い声で、改まった口調で、一体何を聞かれるかと思えば。
「そんなの、分かり切ったことじゃねぇか」
 上体を枕に預けて背中を逸らし、ロナルドは小さく鼻を鳴らした。
「あいつは役立たずでウスバカゲロウや縁日の金魚より儚いクソ雑魚だが、偶に囮として使えたり有用な知識を持っていたりする。ロナ戦においても良い引き立て役になってるし、コンビ編を開始してから新規のファンも増えてるんだぜ? 奴が俺に倒される為に裏切ることがない限り、コンビを解消する理由はないな」
「それは、確かにお前の意思で決めたことか?」
……何が言いたい」
 ヒヨシは一瞬口籠もった後、意を決したように言葉を切り出す。
「実はさっき、ここに来る前にお前を診た医者に声をかけてな。診断結果を聞かせて貰った」
「プライバシーの侵害じゃねぇか」
「身内特権じゃ。おみゃあも使える時は使って構わんぞ?」
 軽い調子で言って肩を竦めた後、ヒヨシはわざとらしく咳払いをして続けた。
「今回の仕事で負った怪我については、足の骨こそ派手に折ったがきちんと治療すれば後に響く程のもんじゃないらしい。きちんと治療すれば、な?」
「うぐ……言われなくても大人しく入院するつもりだっての」
「まぁそれは置いといてじゃ」
「置いとくのかよ」
「俺が気にしているのは、こっちじゃ」
……っ!」
 ヒヨシの右手が動き、自身の首の付け根を指でゆっくりと叩く。その動作の示すところを察し、ロナルドは知らず息を呑んでいた。
「首に残っていた不自然な跡。随分と薄くなっていたが、あれは吸血痕ではないか、だと。医者が推測した時期とロナルドの退治記録を照らし合わせたところ……お前がドラルク城へ退治に行った頃と綺麗に重なる」
……つまり、あれか」
 寄りによって最も知られたくない相手に秘密を暴かれた悔しさに、ロナルドは強く歯噛みする。だから病院へは極力行きたくなかったのだ。
「要するにあんたは、ロナルド様がドラルクに吸血されたことで奴に良いように動かされているとでも? VRCの定期検診はしっかり受けてオールAの結果を貰ってるだろ」
「そこまでは言ってないがにゃぁ」
 聞き分けのない子供に説くように、ヒヨシは呆れたような声で続ける。
「引っかかるのは、お前が吸血を許したってことじゃ。今まで隠し通してきたということは、何か止むを得ない事情で合意して飲ませたではあるまいにゃあ?」
「それは……
「あの吸血鬼の一族は穏健派だとは聞いている。過激派の勢いを削ぐ為、人間の退治人に協力するという理屈が通るのも分かる」
 それでも、とヒヨシは憂いを帯びた表情でロナルドをじっと見据える。弟を心の底から心配しているような顔。ロナルドが最も苦手とする兄の目だった。
「組んでいる吸血鬼がお前の命を易々と狙えるような相手だとしたら、どうしても放っておけん。……なぁ、本当にドラルクは取るに足らない程に弱体化した吸血鬼なのか?」
「それ、は」
「日出男」
「止めろ!」
「なぁヒデオ、兄ちゃんは本当に心配して――
「本名で呼ぶなっつってんだよ馬鹿兄貴!」
 普段遠ざけている兄に実名で呼ばれて心が揺らがない弟がいるだろうか。いる筈がない。
「あの時は俺があいつのゲームのセーブデータ上書きしちゃって! ショック死したあいつ見て、サウザンドウォーどうすんだって呆然としてたらこっそり背後に回られて噛まれた! 以上だ!」
「お、おお……?」
「原因は俺の不注意だ二度と同じヘマはしねぇ! 血吸ったところであいつは朝日で死んでザコのまま! これで満足かよレッド・バレット!」
「分かった、分かったから落ち着くんじゃ」
 傷に響くぞ、と気持ち焦った様子の兄に両肩を押さえながら宥められて、ロナルドは荒くなった呼吸をやっと整える。羞恥心で死にそうな気分だった。
「いやー、思った以上にあちらに非がない事案だったとは。いや噛むのは良くないと思うが」
「うるせぇ、その件については反省済みだ」
「うん、自省して偉いぞ。……それにしても」
 笑顔で頷いてから、ヒヨシは不思議そうに首を傾げる。
「どういう経緯であれ、よく吸血鬼と手を組む気になったな?」
「はっ、当然だろ。ロナ戦のネタになるなら不倶戴天の敵だろうがザコだろうが利用してやるのがロナルド様だ。……それに」
「それに?」
 言うか言うまいか迷って、ヒヨシの真っ直ぐな視線に負けてロナルドはぎこちなく口を動かす。
「あいつが布教してきたゲームをやってみて、感想を言い合ったりして……何か楽しかったんだよ、そういうのが」
 ゲームオーバーになったら血を奪われるみたいな変なギミックのない普通のゲームを勧めてくる吸血鬼に出会ったのも、死んで再生する待ち時間でプレイしたら予想以上に面白くて、思わず固い握手を交わしたのも初めてのことだった。
 思えば、あの時感じた感動がドラルクへ抱く感情の発端になったのだろう。勿論、客室のベッドで同衾するような仲になるとは当時思ってもみなかったが。
 改めて口にすると子供みたいな理由で居たたまれなくなって、ヒヨシから視線を逸らす。吸血鬼と遊んで絆されるなんて退治人にあるまじき行動に、自分が兄の立場だったら呆れ返るところだ。
「そうか……ははっ、なるほどにゃあ」
 ところが、聞こえてきたのは至って明るい笑い声だった。弾かれるように顔を上げれば、ヒヨシの穏やかな眼差しとかち合う。
「悪かったな。ゲーム友達を取り上げようとするなんて、兄ちゃんがちょっと大人げなかった」
「別に、友達なんかじゃ」
「今も一緒にゲームしてるんじゃろ?」
……それは、まぁ」
 今日もお勧めされたゲームで遊んでいたこと、感想を言い合うのを結構楽しみにしていることを素直に認めれば、兄は満足げに頷いた。
「だったら、これ以上言うのは過保護の領域じゃな」
 言いながらヒヨシは立ち上がり、病室の窓を開ける。流れ込む夜気の冷たさに抗議しようとした瞬間、シーツの上から膝へ何かがぽすん、と置かれた。
……は?」
「ということで! 俺はこれから仕事じゃし、こいつの対処は退治人ロナルドに任せるとする」
「なに」
「じゃあな。くれぐれも、怪我をしっかり治してから退院するんじゃぞ」
「うん……うん?」
 膝の上と颯爽と病室を出て行くヒヨシを交互に見ながら、ロナルドはしきりに困惑の声を上げていた。病室のドアが閉まって兄の姿が完全に消えてから、膝の上に転がっているものを両手で掬い上げる。窓の外から掴み取ってシーツの上に置くまでの過程で兄が力加減に気を遣っていたのか、塵になる様子は未だ見えない。
「ぴす……
「何やってんだお前」
 独特の鼻息を鳴らす紫色のコウモリ――吸血鬼ドラルクの変身姿に、ロナルドは半ば放心状態で呟いた。

 ロナルドが病院に運ばれて、十日。返信が中々返ってこない日が続くにつれ、ドラルクは段々と落ち着かない気分になっていった。
 オムライス、パイシチュー、ホットケーキと、彼が興味を示しそうな料理の写真を送っても反応なし。調理過程を映すなどの工夫をしても、成果は芳しくなかった。
 いよいよ今夜はいてもたってもいられなくなって、RINEへ写真とメッセージを送りながらノリでロナルドの入院している病院まで行って、吸血鬼がすんなり入れる方法が思いつかずに取りあえずコウモリに変身して外から彼がいる病室を探し、三階の階層でやっと見つけたと思ったら彼の兄がいて何だか取り込み中の雰囲気で。
 カーテンの陰に隠れながら逃げるか、ヒヨシが退室するまで待つか迷っている内に、ゆっくりと開いた窓から伸びた手に捕まりベッドの転がされ、何が何だか分からない内にロナルドの呆けた顔を彼の顎下から見上げることとなっていた件。
 ロナルドと比べて良識ある人間かと思っていたが、中々の自由さは流石は彼と血を分けた兄弟というべきか。妹もいるそうだが、一体どのような人物なのか気になるところである。
……いつからいた」
「うーん、少し前? 私がこの病室を見つけた時には既にお兄さんがいたから早くても十二、三分ぐらいだろう」
 椅子の上に置かれてから変身を解き、腰を落ち着けながら答える。ロナルドはというとドラルクが窓の外にいるのが意外なくらいショックだったようで、両手で額を押さえて歯軋りをしていた。
「くそ、あいつが気づいて俺が気づかなかったとか……
「まぁ人間はダンピールのような吸血鬼センサーとかないし、彼が勘づいたのは野生の直感みたいなものだろう」
「兄貴をジャングルのゴリラみてぇな言い方するんじゃねぇよ殺すか?」
「待って変身で疲れているから凄まないで」
 さしずめ獣のような眼孔で睨まれ、ショック死の危機を覚える。病院に来る前に既に二回ぐらい死んでいるので、ここで塵と化すのは避けたい。
「はぁ……で? 何しに来たんだよ」
「何って、うーん……見舞い?」
「ジョンは一緒じゃないのか」
「城で留守を任せているよ。今は二匹と一体でボードゲームでもしているのではないかな」
「ふーん」
 ツチノコとかぼちゃも城で無事に過ごしていることを伝えれば、素っ気ない返答と裏腹に彼の口が緩むのが分かって安堵した。肉体の方はともかく、精神状態は彼なりに安定しているらしい。
「いやしかし、すっかり包帯だらけだ」
「骨を折ったし、擦り傷も多かったからな」
 患者服を着てあちこちを包帯とガーゼを当てられ、足をギブスで固定されている姿。端的に彼の状態に触れながら、改めて見るロナルドの姿にドラルクは穏やかでない気分を抱いていた。
 人間の寿命は短いといっても、ロナルドは未だ若年の域で。終末が来るのはもう少し先のことで、楽しくないことを考えるのはまだ早いだろうと悠長に構えていた。
「あと何日で退院できそうかね」
「医者の見立てでは、早くても十日らしい」
「そう」
 しかし、彼は強いし頑丈な方ではあるが所詮は人だ。怪我をすれば治癒に時間がかかるし、処置が遅れたり傷が急所へ至れば取り返しのつかないことになる。
 ロナルドが傷を放置して血の香りを纏わせながら城へやって来る度、こちらから手当を申し出るぐらいには不安を覚えていたように思う。しかし、今までは考えても楽しくないことを意識の外へ追いやっていたので、こうして明確な形で突きつけられるのは初めてのことだった。
 死が日常茶飯事のドラルクが、唯一実感の持てない不可逆の死。ロナルドが人間である限り唐突にそれが訪れる可能性が常につき纏うというのは、何とも度し難い話だ。
「原稿の調子はどう?」
……それなり、だな」
「へえ。ちなみに今は何文字ぐらいで」
「二百と、五十字ちょっと」
「それなりとは」
「うっせ、最終的に締切までに書ければこっちの勝ちなんだよ」
「やれやれ、これは退院したら城で原稿合宿コースか」
 けれど、儚くて刹那的であるからこそ、退治人ロナルドは夜の中で鮮烈な色を宿し、目を惹いて止まない輝きを放つのだろう。その時間を止めたら止めたで楽しい日々を過ごせる予感は十二分にあるものの、流星が燃え尽きる最後の瞬間までその軌道を見ていたいという欲は余りにも強い。
 ――ならば、ドラルクが己が願望を叶える為にロナルドへ求めることは。
「ロナルド君」
「あ?」
「一つ、君にお願いしたいことがあるのだが」
……何だよ」
 上半身を動かして姿勢を可能な範囲で正したロナルドが、椅子に座したドラルクを真っ正面から見据える。昼の青空、あるいは晴天を映した水面のような虹彩が、吸血鬼の赤い目と視線を交わす。そろそろ彼も、ドラルクの思惑に勘づいていることだろう。
「これから先、ロナルド君が十年、二十年、三十年と退治人を続けて……いつしかロナ戦が百巻を突破するとするだろう?」
「おう」
「その頃には君もシワが増えて背中が丸くなって、その内一人で歩くことも難しくなって」
……ま、いつかはそうなるわな」
「来たる時……寿命の尽きる時が来たら」
 そこで一度言葉を区切る。ロナルドが話を逸らそうとする素振りなく次を待つ姿勢を見せていることを確認して、ドラルクはゆっくり、はっきりした声で続けた。
「臨終を迎える前……私に、ロナルド君の死に水を最初に取らせて欲しい」
 返ってきたのは沈黙。ドラルクの言葉を受けたロナルドはしきりに瞬きをした後、強張っていた肩の力を抜いて静かに息を吐いた。
……何だ、てっきり」
 抑揚のない乾いた声でロナルドがぽつりと呟く。無表情とも真顔とも違う表情は、緊張から解放された脱力感が滲んでいた。
「俺を吸血鬼に転化させたいとか言い出すのかと思った」
「まぁ、全く考えなかったといえば嘘になるがね」
 ロナルドがいつかこの世を去るという事実を認識した時、当然ながら転化の選択肢が浮かんだ。人間相手は稀とはいえ、パートナーを血族へ迎え入れる流れは当たり前に行われてきたことだし、真祖の直系であるドラルクならば転化失敗を恐れる必要もない。
 しかし、これは合意を得られること前提の話だ。
「もしも血族に入ってくれと強請ったら、ロナルド君は私に銃口を向けるだろう?」
「はっ、よく分かってんじゃねぇか」
 わざとらしく口の端を吊り上げて、ロナルドは肩を竦めた。
「テメェがそんなことを言い出したら、サウザンドウォーを再開させるだけだ」
「そうだろうとも」
 どんなに心身共に絆したとしても、ロナルドは吸血鬼退治人だ。彼の基準でドラルクが人間を害する存在と判断すれば、あらゆる感情を押さえ込んで退治に臨むことだろう。
「私としては、支配欲で突っ走るよりは君とコンビを継続した方が楽しいと思うし、何より私たちが敵対すればジョンも悲しむ。君のツチノコとかぼちゃも城で遊べなくなるのは残念だろう?」
「一理あるな」
 頷いてから、だが、とロナルドは首を傾げた。
「そこから、一体どうして俺の死に水を取りたいって話になるんだよ」
「難しい理屈ではないよ」
 包帯が巻かれているものの素肌が露出している彼の両手を取る。すっかり体温を取り戻していることに安堵を覚えながら、ドラルクは神妙に彼に語りかけた。
「私は、ロナルド君が人の寿命が許す限り生きるのを見届けたい。そして終わりを迎える前に私へ最期の時間を預けて欲しい」
「つまり?」
「つまり、あー、つまりだね……なるべく、可能な限り長生きして欲しい。あと最後にロナルド君を独占する時間が欲しい」
……ふーん」
 ドラルクの言葉を聞き終えたロナルドは、手を振り解かないまま俯く。気まずい沈黙が続くかと思った矢先、彼の肩が小刻みに震え――押し殺すような笑い声が零れ落ちた。
「く、くくっ……長生きして欲しいって、お前」
「え」
「普っ通の願い事だな、はは……吸血鬼の癖に」
「ハァ⁈ 愛する者の無病息災、健康を願うのは種族関係ないだろう!」
「悪い悪い、そうだな。お前とジョンを見ていれば分かるよ」
「うーん、九十五点。私から君への愛も含めて理解すれば満点」
「善処する」
「そこはロナルド様らしく自信満々に頷くところだろうに」
 未だ笑いを噛み殺し切れていないロナルドを呆れ気味に眺めながら、掴んだ手に指を絡ませる。早く包帯の下にある皮膚にも触れたいと思いながら、それで、と彼へ再度問うた。
「ロナルド君。私の願い、聞いてくれるかい?」
「そうだな……ドラルク」
 人間の温かくて肉の厚みがある掌が、吸血鬼の冷たくて骨張ったそれと重なる。最早慣れ切ったと思っていた端整な造形をした男が、不覚にも見惚れる程の優美な微笑みを浮かべる。
「お断りだ」
「ファーーーーー⁈」
 その綺麗な笑顔のまま言い放たれた言葉に、ドラルクはショック死した。
 ――……
「遅い。見回りに来た看護師にバレるところだったじゃねぇか」
「ごめん。……え、私が悪いのかこれ?」
 次にドラルクが意識を取り戻し再生を果たしたのは、五十分後のことだった。よろよろと床から立ち上がって椅子に座り直し、涼しい顔でゲームをしているロナルドを見る。
「あ、それ私がお勧めした奴」
「おう、結構面白いぜ」
「それは良かった。是非ともやり込んでくれたまえ……待て待て待て」
 布教したゲームで遊んでくれている嬉しさで、先程までの話をすっかり流すところだった。
「えっ、あれ、何で断られたんだ私。どう見ても頷くところじゃないか、あの下り」
 しきりに困惑するドラルクに、ゲームをスリープさせたロナルドが呆れた風に片眉を上げる。
「バカだろお前、看取りを吸血鬼に任せる退治人がいるかよ。普通に身内だけ集めて貰って兄貴と妹に頼むわ」
「エーーーン納得できない正論!」
 突き放すような物言いにドラルクは泣いたが、とっさの閃きで退治人へ食い下がった。
「じゃあ結婚しようかロナルド君! 身内になれば問題ないのだろう⁈」
「クソ雑プロポーズじゃねぇかザコ吸血鬼! 状況を考えろやアホ!」
「えっ、じゃあ状況を考えればいいのかね?」
……今はそんな話をしている場合じゃないだろ!」
 言葉に詰まった後、仄かに頬を上気させた青年に「あっこれ押せばいけるな」とドラルクが確信したところで、ロナルドが右の人差し指を突きつける。こちらが驚き死しないような、ゆっくりとしたモーションで手を動かした男は、小さく舌打ちをしてから言葉を続けた。
「いいかドラルク、俺は吸血鬼退治人だぜ。人間の味方で、ロナ戦のファンの味方だ。人間社会の中で生きて、ファンに惜しまれながら幕を引く」
……うむ」
「けど、あー、そうだな」
 指先で迷うようにでたらめな軌跡を描いた後、彼は右手で拳を作って最終的に膝の上へ置いた。こちらの視線から逃れるように天井へ視線を逸らし、段々と声のボリュームを落としていく。
「それでもお前が飽き足らずにコンビを続けて〝退治人ロナルド〟が過去の存在になっても枯れ草のようにベッドで横たわるだけのジジイになっても、気兼ねなく傍でゲームして遊んでいるような感じだったら」
 そこでドラルクへ向き直ったロナルドが握り締めた手を開き――己の首へ手を当て、笑った。
「前向きに考えてやるよ、色々と」
 その言葉を、ドラルクは黙って瞬きしながら咀嚼して。やがて弾かれたように立ってロナルドの両肩へ掴みかかった。
「ねぇそれどういう意味⁈」
「さぁな」
「エーーーンはぐらかさないでよ、気持ちは素直に伝えてこそだろう!」
「お前にだけは言われたくねぇなぁ? 最後に独占がどうたら回りくどく言ってたが、どうせ転化狙うつもりだったんだろうが」
「ギクーッバレてた。いや違うんだ、私は君の人間生を尊重した上で一緒に生きられるルート構築を提案するつもりで……待って、それを分かった上で前向きに考えると」
「おっとまた誰か来るぞ。ほら、ベッドの下の埃と同化したくなければとっとと帰れ」
「ぐぬぅ、ここで死んだら復活まで数時間……仕方がない、今は戦略的撤退に甘んじるか」
 半分だけ開いていた窓を全開にし、枠に足をかける。三階から地上までの距離は極力見ないようにしながらドラルクはロナルドへ振り返って、畏怖のある笑みを見せる。
「では、今宵はここまでとしよう。……退治人君、私は十日後に至高の唐揚げを調理するつもりだ。空になった皿を見て絶望したくなければ、精々傷を早く癒やして私の城へ来るがいい!」
「上等だ。精々首洗って待ってろよ、吸血鬼ドラルク」
「それでは失礼。あ、ちゃんと治さなかった人間に出すのはセロリしかないので」
……――! ――!」
 文字で形容し難い悲鳴を上げながらベッドでのたうち回るロナルドから逃げるべく、ドラルクは力を振り絞ってコウモリに変身して飛び立った。若干足の位置に違和感があるが飛行には成功したので、病院から十分距離があるところまで飛んで適当に人気のない場所で変身を解除する。
 城の電話へかけて、ジョンへ帰る旨を伝える。ロナルドが順調に回復している様子だったことを話せば「お土産渡すのが楽しみだヌン」と喜んでいた。
 種族不問で使えるタクシーを適当に呼び出した後、道端のコンビニで買った小さい紙パック牛乳を飲みながら待ち時間を潰す。
「前向きに考える、か……脈がないよりマシ、といったところか」
 仮に頷いたとして、血も使わないただの口約束など気休め以上にならないかもしれない。しかし、言葉とは時に祝いと呪いを与えるものだ。ドラルクが愛と執着を以て囁いた言霊が、ロナルドの中で響いて浸透すれば、無常の世界に抗う力となるだろう。
「さて、帰ったらジョンと唐揚げの試作だ。あの子らの見解も聞いて、彼の舌を最も唸らせる味を完成させなければね」

「『妙な気を起こして真の力を取り戻そうとするな。お前はクソ雑魚のまま、引きこもってゲームでもしているのがお似合いだ。』私、するなと言われるとやりたくなるんだがねぇ」
「ヌッ」
「冗談さジョン。不便は多いが、今の縛りプレイモードの方が人間と遊び甲斐がある」
 深夜のセレモニーホールに、紙を揺らす音と話し声が木霊する。全ての光源が消えている中で、吸血鬼は優しい声音で頭の上から手紙を覗き込むアルマジロに内容を読み聞かせていた。
「それから? 『ツチノコ、かぼちゃの面倒を頼む。信頼できる相手に譲るのは構わないが、適当に売り払ったら祟り殺す。』怨霊化はセーフで吸血鬼化はアウトなのが解せんな。……あ」
「ヌヌヌヌヌヌ?」
「『親愛なる吸血鬼ドラルク、お前と出会って楽しかった。』だそうだ、ふふ」
「ヌヒャー!」
「全く、話す時も文章と同じぐらい素直になればいいだろうに。そこが面白いところでもあるが」
 肩を竦めてジョンと視線を合わせて笑い、便箋を封筒に仕舞ったドラルクはパイプ椅子から腰を上げる。現代的なスーツを身に纏ったドラルクは軽やかな足取りで奥へ向かい、設けられた祭壇を見上げて両手を広げた。
「ではジョン、弔辞の最終確認だ。力を合わせて、ロナルド君が泣いて喜ぶものにしてやろう!」
「ヌー!」
 ドラルクはジョンを肩に乗せ、スタンドに取り付けられたマイクの前に立つ。
 開いた巻紙に綴った文章を読み上げる彼らの傍に、菊、蘭、百合、向日葵と淡い色合いの花々が飾られている。
 その中央、祭壇に据え置かれた写真。人に、人ならざるものに愛される銀髪の退治人が、拳銃を構えた姿で笑っていた。