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花雲
2022-09-04 18:00:09
16172文字
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高銀
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ゆびさきアイロニー
高熱が出て寝込む銀時の話。完結後。ほんのり完結篇。まだ加筆予定です。
「高銀茶飯事」開催おめでとうございます!Webオンリー用の新作でした。
1
2
3
…
あー、新八が起こしに来てる。もう朝?
なんか言われてるけど、ごめん。 よく聞こえねぇや。
返事してェけど、せき出そう。 どうしたもんかね
…
。
奥の和室を副社長に献上して以来、事務所兼リビングが俺の部屋と相成っている。
その代わり社長のご厚意で、新たな寝床としてソファーが買い替えられた。
背もたれを倒すとベッドになるという優れものである。
前のソファーだって寝るには十分だと言ったんだが、仕事サボる理由にはさせませんよ、と一蹴されてしまった。平社員はつらいぜ。
朝陽がまぶしいだろうと買い足されたカーテンを容赦なく開けられる。
ほんとだ、超あかるい。目を閉じていても、朝の光はまぶたに突き刺さってきた。
それでも起き上がらない俺の異変に、新八はすぐさま反応した。
まぁバレますよねそりゃあ。戸を開けたらすぐのところに寝てるんだもの。
ゲロ吐き散らす~とか適当なウソこいて和室に引きこもる、昔のような手はもう使えないのだ。今さら通用するとも思わないけれど。
あんま顔近づけんなよ新八。大丈夫って言うけど、感染らない保証はねぇんだからさ。つーか、今日ってなんか仕事入ってたよな。あの
……
常連さん、
柳さん家の引っ越しの手伝いだっけ。
新八が一人で万事屋やってたときに知り合ったお客さんでさ。
道に迷ってたところを見かけて、案内したって聞いてる。
お喋りが好きなご婦人らしく、万事屋という珍しい職業にたいそう興味をもたれたそうだ。しかも、結構な豪邸にお住まいらしい。
旦那さんは建築関係の仕事で、今は働きながら理想のセカンドハウス計画を進めているのだという。
「彼はずっとホームシアターが憧れだったの。いつか記念日にね、
初めて2人で観に行った映画を、うちで久しぶりに観ようって約束しているのよ」
そんな惚気話まで飛びだす、羨ましいほど仲睦まじいご夫婦だった。
道案内をして以来、5匹のワンちゃんたちのお散歩やら、広~いお庭でのガーデニング作業やら、定期的に依頼をいただく仲になったとのこと。
そのうえお友達に万事屋の宣伝までしてくれたってんだから驚きだ。
彼女のおかげで少しずつ依頼が増えていったから、感謝してもしきれませんと
何度も聞かされていた。新八が自分で手繰り寄せた、はじまりの、大切な縁。
そいつを、俺の体調不良なんぞで断ち切らせたくはなかった。
ちなみに本日のご依頼は、いくつか買いそろえた家具を例の新しい別荘まで運搬・設置してほしい。できれば今日中に終えて、明日の結婚記念日をそこで迎えたい、
という内容だった。念願の夢が叶う一歩手前、自然と気合いが入るってもんだ。
もちろん先方とは3人そろって何度もお会いしている。
当然、俺と神楽の仕事ぶりにも期待してヘルプを頼んできたはずだ。
だからこそ俺たちも、普段以上にやる気に満ち満ちていたわけで。
──本当に、タイミングが悪い。
仕事がある日に限って、というだけではない。今日はそれぞれ別件が重なっていて、スナックお登勢も恒道館ももぬけの殻なのだ。
いざという時の頼みの綱が、最初から切れているなんて。
空気が読めない奴は嫌われるぞ。
…
って、この場合ブーメランか。
ため息をつこうにも喉が痛い。
ついに神楽も起きてきやがった。さっきから覗いていた定春が呼んだんだろう。
いつの間にか挟まれていた体温計を回収される。
確認するや否や、2人そろって青ざめちゃって。
……
なに、そんなに高かった?
「電話でお断りしてくる。神楽ちゃんはここに居て」
かろうじて聞こえた、新八のこえ。
まずい、それはだめだ。
ひっしで動かない手を動かす。
布団から出ようとする俺の手に神楽が気づき、新八を呼び止めた。
2人が不安そうに近づいてくる。
……
そんな顔、させたくないのになぁ。
かすれた声でも、なんでもいい。とにかく伝えなければ。
「ねたら、なおる から」
「なに言ってるんですか、こんな状態で置いて行けるわけないでしょ!」
即刻ごもっともな反論が返ってくる。
本当のことなんだけど、これじゃやっぱだめか。
でもよかった、ちゃんと伝わったようだ。
まずは声が出た、それだけで一歩前進。
定春がいる、大人しくしてる、などと続けてみるもあえなく却下。
さすがの手強さ。どうすれば2人を納得させられるだろうか。
回らない頭じゃロクな答えが出やしない。だが手段を選んでいる余裕もない。
えぇい、ままよ。
これが俺の、最終手段だ。
「
………
ヅラ、よんで」
結論から言うと、俺の粘り勝ちとなった。
たのむ。おれのかわり、ぜったいいって。と駄々をこねる俺。
正直に説明すれば大丈夫、無理してまで行きたくないと、優しくなだめる2人。
どちらが大人かわかりゃしない。情けなさで折れそうになる。
だが諦めるつもりは微塵もなかった。何を言われても「だめ。」の一点張りを貫く。
2人の顔はくもる一方だった。我ながら、卑怯だと思う。
でもごめんな、本気なんだ。
「きねんび、やくそく まもる」
枯れた声でダメ押しの懇願。社長の許しを得なければならない、ならば全力で訴えるまで。俺の諦めの悪さを心得ている相手には、正攻法が一番いい。
言葉に詰まる新八を見つめて、意地でも譲る気はないと伝えた。
しばしの沈黙。少しだけ下がっていた視線が、スッと戻ってくる。
「桂さんに聞いてきます。それでダメなら諦めてください」
いいですね?と念を押される。これ以上ゆずる気はないという、無言の圧。
俺と新八たち、双方の想いを汲んだ折衷案。これでこそ社長である。
断られたとウソをつかれる可能性もあったが、あくまで杞憂に過ぎない。
人の真剣さを無下にするような男ではないと、知っているから。
新八を信じて、黙ってうなずいた。
「私たちがここにいてあげるネ。銀ちゃんは寝ていいヨ」
残された神楽が大げさに胸を張ってみせる。
となりに座る定春も「わんっ」とやさしく応えてくれた。
いつも通り、努めてそう振る舞ってくれる心配りが、申し訳なくもありがたかった。
慣れているんだろうなと思う。
そばにいるという行為の意味を、神楽はよく知っている。
感謝の意を込めて、そっと微笑み返した。
寝てしまった方がいいと言われるんだが、どうにもそういう気になれない。
気を抜いたら簡単に落ちそうな程ギリギリではあった。
それなのに、なんでだろうな。
まだふたりと1匹の顔を見ていたい。その声を、共にいられる今この時を、
確かめていたいと思ってしまう。あせる必要も、そんな余裕もないはずなのに。
交渉が一歩すすんで安堵していると、ひどい頭痛が割り込んできた。
はなれたくないのに、勝手に意識が遠のいていく。
目を開けているのもキツくなってきた。視覚情報は一旦諦めて、呼吸に専念することにしよう。布団から抜け出したせいで冷えた左手は、気づかぬうちに温まっていた。
いまは身体を冷やすべきなんだろうが、ふしぎなくらい心地がいい。
ふり積もった雪がとけるように、ゆったりと緊張がほどけていく。
眠りに落ちるには、それだけで十分だった。
ふと気がつくと、あたり一面は夕焼けに染まっていた。
はてさて、ここは一体どこだろう。顔を上げると空が見えた。
大きくて、まっかで、全てを見透かされそうな夕陽が浮かんでいる。
手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じた。
世界を丸ごと覆いつくすような、ひとくちで飲み込まれてしまいそうな。
見惚れるほど美しい夕陽は、俺の背後に長い影を落としていた。
こんな景色の中に、ひとりきり。
初めて、なはずなのに、心のざわめきが止まらない。
ここに居てはいけない。目的地がわからなくても、走り出さなければ。
足を止めるな。
その言葉だけが、頭の中でこだまし続けた。
息苦しさのあまり意識を取り戻した。どれくらい寝ていたのだろう。
さっきの夕焼けは、夢だよな? マジで夕方になってたら笑える。
半分だけ閉じられたカーテンの隙間を見やる。よかった、まだ日は高いようだ。
横にいてくれた神楽と定春の姿がなかった。ちゃんと出かけて行っただろうか。
静かになった部屋でひとり、息を整える。
──さて、さっきから感じている視線の主に、なんと言おうか。
普段ヅラに連絡することはほとんどない。勝手に向こうからやって来るからだ。
俺からのSOSなんて聞けば嬉々として飛んでくるだろう。
貸しを作ることにはなるが致し方ない。武士たるは質素倹約してこそ、あーだこーだと説教が始まるだろうが、背に腹は代えられない。
…
話しかける前から嫌になってきたが、新八たちを送り出すために必要だったのだ。ここはグッと堪えよう。
面倒くさいという感情丸出しで、仕方なく横を向く。
そこには髪だけでなく説教も長い、鬱陶しい昔馴染みの顔があるはずだった。
向かいのソファーに座っていたのは、想像とは違う格好をした男だった。
柘榴色の生地に扇と大きな花があしらわれた着物。その上に黒一色だが、それなりにお値段の張りそうな羽織をまとった野郎が、我が物顔で居座っている。
ヅラにしちゃ派手だな、なんて呑気なことを思った。
「よォ、起きやがったか」
これまたヅラにしては低い声が聞こえる。いやアイツも低い方だけど、あれよりさらに低いというか。どこから降ってくるか分からない奇天烈さが足りないというか。
目ヤニがまつ毛に絡みついて瞼が重い。何度かまばたきをして、ようやっと目が開いた。なんでこんな目ヤニ多いんだろ。あぁ、顔洗ってねーからか。
ここに居るはずのない奴が見えるのも、寝ぼけているせいかもしれない。
その間もそいつは、ただ黙ってこちらを見ていた。
俺が現状を理解するのを待つように。仏頂面の下に、ほんのわずかな安堵を混ぜて。
そんなことに気がついてしまう自分が、ほとほと嫌になってくる。
「
……
なんで」
「新八から連絡がきた。ヅラにゃ先約があったんだと」
ようやく声をしぼり出して尋ねた俺に、男はあっさりと答えた。
残念だったなァ?と意地悪く笑う声と、その態度で確信する。
ヅラよ、どーでもいい時は押しかけてくるくせに、今日に限ってなぜ。
奴が出て来れないということは、恐らく政府がらみの案件だろうが。
そういや最近、そよちゃんが何かと忙しくて電話もできないって、神楽がぼやいてた
っけ。これでブタヤ行ってただけとかクソ下らねェ理由だったらコロス。即刻処す。
俺の疑問はそれだけじゃない。ヅラの代わりが、どうして高杉になるんだ。
「2時間くらいはかかったが、まぁ辰馬よりは近ェだろ」
時計を確認してから当然のように宣った。なにその理屈。宇宙と比較するな。
「かえれ」
「断る」
案の定即答されたが嫌なもんは嫌だ。ひとまず布団を頭の上までかぶって抵抗する。
オイ、と苛立ちを隠さない声が飛んできたが無視した。
「俺が勝手に押し掛けた。文句なら俺に言え」
それだけ付け加えると、高杉は再び口を閉ざした。
言いたいことは言った。次はお前の番だ、ということらしい。
文句がご所望なら山ほど在庫はあるが。まぁ正直なところ、経緯はなんとなく想像がついた。さっき本人が言った通り、新八からなりゆきを聞いて、俺が行くと言い出したのだろう。しかし新八よ、よりにもよってなんで高杉なの。
「俺が一日抜ける程度、なんの支障もねェよ」
しびれを切らしたのか高杉が呟いた。独り言のようで俺にも届く声量だった。
だが生憎見当違いである。そっちの心配はしてねーわ。
…
ちょっとだけ思ったけど、
万事屋
うち
が俺なしでも回るのだから、
鬼兵隊
やつら
だって同じだろう。なんの仕事してんのか詳しくは知らないけど、きっと似たようなもんだ。俺が懸念しているのは、どちらかと言えばこっちの問題で。
布団の中に避難はしたが、暑くて長くはもちそうにない。
頭痛由来とはまた違う、嫌な冷や汗が背中を流れた。
こらえようとするのに咳が出る。最悪だ。
止まれ、たのむから止まってくれ。こいつの前では嫌なんだ。
どうしてもあの船の中、何度もむせていた後ろ姿が頭をよぎる。
ただ見ているだけで、俺は何もしなかった。
労りも同情も慰めも、アイツは求めていなかったからだ。
どんな状態になろうともアイツは、俺のしる高杉晋助のままだった。
どうしようもなく、バカみてーにまっすぐで、
まぶしくて、心強くて。
俺にできたのは、その姿を見失わぬよう共に進むことだけだった。
その先の選択にだって、後悔はない。
……
ないと、言い切らねばならないのだ。
高杉の前では、そうありたい。
相弟子
ふたり
がいたから、俺は走り抜けることができたのだから。
いつだって頭には最悪の事態が浮かぶ。戦場で染みついた習性は今も健在だった。
感染ったらどうしよう。もし高杉が、こんな風になったら。
体調が悪いと気分まで落ち込んでいけない。
言い返せないのは喉が痛いせい、それだけのはずなんだ。
せきと頭痛と、言いしれぬ不安に邪魔されて息が苦しい。
なみだ出てきた。弱りすぎて笑える。
「銀時」
今度は名前を呼ばれた。なに、俺のターンなんでしょ。もうちょっと待ってくれよ。
今いろいろ、アレだから。考え中だから。
「お前、戦の最中にも一度 似たような状態になっただろ」
次の日ケロッと治りやがったがな、と呆れ声で高杉は続けた。
えらそーに、腕組みしてふんぞり返ってるに違いない。隠れてるから見えねーけど。
……
つーか、急になんの話?
待つのに飽きたのか、なにやら動き始めたようだ。
ペットボトルを開け、何かをコップに注ぐ音がする。
いつ持ってきたんだソレ。人ん家の物だろコノヤロー。
「お前が一日で治る風邪なんぞ屁でもねェよ」
そこまで聞いて、やっと合点がいった。
雑に言い放ってはいるが、なんだ、そーゆーことかよ。
一人しみったれていたのがアホらしくなった。
もうとっくに、お見通しというわけだ。
総督サマはスゲェや。確証もないくせによく断言できますねぇ。
その自信は一体どこから湧いてくるのやら。
高杉
コイツ
にそう言われると、不思議とそんな気もしてくる。
単純すぎやしねーかと、自分でも思うけれど。
正しいかどうかなんて、どうでもよかったんだ。きっと。
「ポカリ、神楽がわざわざ買ってきたんだと。ありがたく頂け」
いつの間にか近づいてきた高杉が、俺の頭上にコップを置いた。
こぼしたくなきゃ自分で持てと言い残し、すぐに離れていってしまう。
むしろ頭から浴びたい気分だったが、ソファーが濡れるのは困るしな。
おずおずと手を伸ばしてポカリの無事を確認した。
そのまま布団の中に引きこんで、目の前に持ってくる。あれま、ストロー付いてる。気が利くじゃん。
寝転んだままそいつをくわえて、少しずつ飲んでみる。冷たくてうまい。
熱がこもった身体に染み込んでいく。渇いたのどが潤っていくのがわかった。
超うめぇ。さんきゅー神楽。
「そいつ飲み終えたら飯にするぞ。新八手製の雑炊だ、喜べ」
いつもながら一言多い野郎である。いちいち言わんでも喜ぶっつーの。
そっと布団から覗き見ると、台所に向かう後ろ姿が見えた。
と思ったら急に足を止めて、こちらを振り返る。
「銀時お前、厠は?」
───あ、すっかり忘れてた。
身体が鉛のように重い日は、厠に行くのも一苦労だ。
ひとりの時は確か、砂漠でオアシスを求める浪人のごとく、這いつくばってトイレを目指したものだった。2人と1匹が来てからは、肩を借りたり軽々と抱えられたりで厠までの移動も苦ではなくなった。
もう廊下で垂れ流してしまえと悪魔にささやかれることもない。
おかげで気がつけば、風邪をひくのが怖くなくなっていた。
ありがたい話だよ、ほんと。
いやはや、今になってこんな状況に陥るとは、完全に予想外だった。
厠には行きたい。そりゃそうだ、朝から小便してないんだもの。
しかし例年のごとく、立ち上がるのも難しそうだ。どうしよう。
布団をかぶったまま固まっていると、足音が近づいてくる。
うそ、ちょ、まって。
「漏らしたくなきゃ出てこい」
一段低くなった声と態度で威圧された。軽く腕をくんで見下ろされている。
背は低いのに圧だけはすごい。背は低いのに。
「あァ、それとも
…
ここでスんのがお望みか?」
コンコンッと高杉がペットボトルを小突いた。口元が弧を描く、嫌な笑い方だ。
……
スるってなに? え? ナニを、それにってか? やかましいわ。
無理して下ネタ入れなくていいから。お前キャラ考えてマジで。俺はいいけどお前は違うじゃん。それに銀さんの銀さんは確かに控え目だけどだからってペットボトルはねーわ。そんなマニアックプレイさすがの俺も──
「オイ、阿保なこと考えてねェで起きろ」
ついにソファーの脚を蹴って脅してきやがった。これ以上動かないと本当に蹴られそうだ。手荒いくせして布団を剥ぎ取ったりはしない。そういうところが、
ぬるいなと思う。病人に対してのせめてもの気遣いだろうか。
仕方なく布団をめくり、両腕に力を込めてみる。なんとか上体は起こせそうだが、頭を上げた途端に視界が回った。眩暈と吐き気のダブルパンチ。しかも布団から出ただけで驚くほど寒い。暖房ついてるはずなのに、マジでか
…
。
白状すると歩くどころではなかった。起きあがれそうにない俺に、高杉は何も言わない。クソ、嫌味のひとつでも吐きやがれチビ。
眩暈が治まるまで目を閉じて耐えていると、急に背中が暖かくなった。
なんだろう。肩から背中にかけてぬくいってことは、つまり──
「そで通せ。落としたらそいつごと叩ッ斬る」
すぐに物騒な言葉が降ってきた。羽織を貸してくれた人物とは思えない物言いだが、斬られたくはないので従うことにする。
だって廊下はもっと寒ィだろうし。強がれる元気もねェし
…
。
大人しく左腕を通したところで、思わず動きが止まった。
触れてみて気がついたのだ。これ、相当な高級品ではないのかと。
素人でも分かる肌触りの良さ。そういやパッと見は真っ黒だったのに、近くで見ると細やかな意匠が施されていることがわかった。
どう考えても高そうな逸品じゃねーか。
なんだこれは、新手の嫌がらせか?
また別の冷や汗をかき始めた俺を尻目に、高杉はくつくつと笑い出した。
「欲しいならくれてやるぜ? 家に代わりはいくらでもあるんでなァ」
人を乞食扱いすんな。物乞いじゃなく気を遣ってやってんの。
わかったうえで言ってくるのだから性質が悪い。
もういい、汚れたってしらねぇから。文句は受けつけませんから。
ふんっとへそを曲げたまま乱暴に右腕も通してやった。
体温を逃がさぬよう包み込まれて心地がいい。これなら廊下に出ても安心だ。
羽織のぬくさを味わってから顔を上げると、目の前には背中が広がっていた。
こちらに背を向けて、高杉がしゃがみ込んでいる。
まるで子供におんぶをせがまれた親のように。無言で振り向き、
「来い」と目で促してくる。
……
マジでか。
「俺ァただの代理、2人の代わりをしてやってるだけだ」
まごつく俺に、高杉はあっけなく言い放った。
なにを迷うことがある、当たり前だろう、という表情で。あっけらかんと。
…
あー、そっか。いつもは新八と神楽に手伝ってもらっていた。
片方が俺を抱えて、もう片方はドアを開けるとかのサポート役で。
今日の
高杉
こいつ
は、そのために来たんだった。
貸しをつくるのは癪ではあるが、そんなものは即刻返してやればいい。
「
…
おとすなよ」
「ハッ 落ちたくなきゃ掴まってな」
鼻で笑いとばす余裕っぷり、敬服いたします。
まぁ心配いらねーわな。なんせコイツの腕力はゴリラ並みだ。
むしろ放り投げられないよう言動を慎むべきだろう。
手を伸ばしてその両肩をつかまえる。体重を預けることで、少しは身体が動かしやすくなった。両脚を引き寄せ、背負いやすい体勢になってやる。
俺の足に手が届くと、高杉はすぐに膝裏をつかんできた。体全体でしがみつくように力を込める。太股をガッチリ握られて少し痛むが、落とされるよりマシである。
「立つぞ」
「ん。」
いち、に。心の中でカウントする。
予想通り“ に ”のタイミングで高杉は立ち上がった。
自分よりタッパがある俺を、いとも容易く背負ってしまう。
平気か、と聞かれたので「おう」と返す。眩暈と吐き気はだいぶ落ち着いてきた。さっきは急に布団から出たのがマズかったのかな。
とはいえ頭をずっと起こしているのはしんどいので、早々に肩を借りることにする。ゆったりとした足取りで、意外に安定感があった。
少しだけ、ほんの少しだけ、松陽みたいだなと思った。
あんなデカくねーし、似てるのはサラッサラな髪質ぐらいだけど。
あ、あと匂いか。
同じモンで洗ってるんだから当然ではあったが、俺たちはみんな似たような香りがした。鼻につく香水などとは縁遠い、汗とそれを洗い流すせっけんが入り混じったような。少なくとも俺が知っているのは、そんな素朴な香りだった。
松陽はよく「おひさまの匂いですね」なんて言ってたっけな。
そりゃあ洗濯物を取り込むときに言うやつじゃね?と密かに思っていたが、
特に訂正はしなかった。
首筋にそっと鼻を寄せる。いつもの煙臭さと、それを包み込む華やかな香りが鼻を抜けた。香水、なのかシャンプーなのか尋ねたこともないが、値の張る代物を使っているに違いない。すれ違った奴は十中八九そう感じるだろう。
しかしながらその芳香も、この男が纏っているカオリに過ぎなかった。
実はその奥の奥に、
高杉
コイツ
本来の清香があるのだ。
ここまで近づかなければ、寝食をともにしなければ、知りえないことだけれど。
試合後にそろって水浴びをした、遠い日々を思い出す。
相変わらずな匂いがした。なつかしい、俺たちのかおり。
俺が、昔から好きな匂いだった。
1
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