花雲
2022-09-04 17:40:09
2705文字
Public 高銀
 

雨の理由

七夕の話。高杉と先生メイン。

 七夕に降る雨のことを、催涙雨 さいるいうというらしい。
「織姫と彦星が流す涙になぞらえた呼び方だそうですよ」
いつだったか、松下村塾でそう教わった覚えがある。
 連日の雨と蒸し暑さに嫌気がさしてきた梅雨の最中、七月七日が近づいてきていた。
雨を表す言葉は数多くあるとはいえ、たった一日限りにしか使えぬものまで存在するとは。ことばの世界に際限はないのかもしれない。
その自由さが、先生とこの村塾に似つかわしくて、自然と口角が上がった。

 生徒たちは七夕談義に花を咲かせていて、その輪の中に先生も加わっていた。
特に女子たちは、願い事や彦星さまについて盛り上がっているようだ。
「涙ということは、二人は再会できなかったのですか?」
「さぁ? どうなんでしょう。みなさんはどう思いますか?」
どこからか飛んできた疑問に、先生はにこやかに返した。
膝を突き合わせた何気ない雑談から、緩やかに授業が始まる。ここでは日常茶飯事の光景だ。型にはまらない自由な教育姿勢に、好意的な親も少なくなかった。

 質問を質問で打ち返す。こう言ってはなんだが、先生の常套手段なのだと思う。
道場破りに初めて失敗したあの日もそうだった。最初はバカにされたようで腹が立ったが、真正面から俺の答えを尋ねるその表情は真剣そのもので、正直面食らった。
この人は本気で、俺が考える侍の定義を知りたがっている。クソガキ相手にも対等に、ひとりの人間として扱おうとする意志があった。
 こんな大人に出会ったのは、生まれて初めてだった。
みな判で押したように、世間体と立身出世にしか興味がない者ばかり。少しでも道を逸れると笑い者にされ、一家の恥晒しだと罵られる始末だ。俺の倍以上も歳をくっておいて、目の前にいる息子の声に耳を傾けようともしない。
このまま俺の人生は、あんな連中の思い通りに塗り固められるのか。
将来を想像するたびに、形容しがたい焦燥に駆られて仕方なかった。

 そんな俺の前に、先生は現れた。突然アイツが、木の上から降ってきたのだ。
アイツに負けて、負け続けて、心の底から強くなりたいと思った。
こんな奴らがこの世には居るのかと、胸が高鳴ったのを覚えている。
この目に映る世界がこの世の全てだと、いつの間に思い込んでいたのだろう。
今まで感じてきた窮屈さは、間違いなんかじゃなかったんだ。
変えたいのなら、変えればいい。気に食わないのなら、自らの意志で選べばいい。
ただそれだけの、笑えるほど単純な話だった。
村塾へ通えば通うほど、目の前をふさぐモヤが少しずつ晴れていく気がした。

 俺にとってここは、ようやく辿り着いた唯一無二の学び舎だった。

「涙はかなしいときに出ちゃうから、きっと会えなかったんだよ」
左後ろの席から声が上がった。その一言を皮切りに、ぽつぽつと似たような意見が聞こえてくる。
覆りそうもない一方的な議論が続き、ため息が出そうになった。
 会えなかった以外にも、泣く理由なんていくらでもあるだろう。
派手に転んで怪我したって涙は出るし、試合に負けた時も出そうになった。
そもそも涙なんて、気づいたら流れちまってるモンじゃないのか?
その理由を、ひとつひとつ明確に説明なんてできるのだろうか。
俺のまだ知らない感情や状況が、きっと他にもあるはずだ。
知らないことがあるってのは、存外に悪くない。
これも、村塾に来てから学んだことの一つだった。

「晋助はどう思いますか?」
突然の指名に思わず顔が上がった。不服そうにしていたせいだろうか。あまりにも露骨すぎたか、と一瞬たじろぎかけたが、先生のご機嫌取りをする気は毛ほどもない。
そんなものこの人には通用しないし、その必要もないからだ。
「さぁな、本気で知りてェことなら 俺は本人に聞く」
思ったことをそのまま答えた。他人の感情など簡単にわかるはずがない。
そんな事がもし可能ならば、俺はきっとここには居ないだろう。
キャ~ッ!低杉くんったらロマンチスト~なんて揶揄は無視した。
今は授業中だ、このムカつきは試合で晴らしてやればいい。
「なるほど、君らしいですね」
かわいげの無いこんな発言にも、先生は朗らかに応えてくれる。
懐かしい、心地いい場所だった。先生と、憎たらしい銀時と、ついでにヅラと。

 松下村塾 ここでなら、なにかが見つけられる気がしていた。
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