しちろ
2024-12-22 15:52:00
16964文字
Public LOM・連載主人公の短編
 

十五夜草

男主の昔話。一周目と周回終盤。




 映像が途切れ、世界が灰色一色になった。シオンは飛び起きた。
 起き上がると同時に、間近でぎゃあと悲鳴が上がる。同時にバサバサと何かが落ちる音がいくつか重なった。
「え……っと、あれ?」
 とぼけた声が出た。辺りは明るく、そして、温かい。
「師匠! 急に起きないでよ! びっくりしただろ!」
 悲鳴の主が、両手をバタバタ動かし抗議する。驚いた拍子に、手にしていた本を取り落としてしまったらしい。抗議の主は、当然というかなんというか……よぅく知っている自分の弟子だ。
「バド? ……え~っと」
「師匠、大丈夫? 寝ぼけてる?」
 めずらしく反応の悪い師に、バドがそろそろと聞いてくる。
 シオンは「寝ぼけてない」と答えつつ、額を抑えた。夢か。それにしてはひどくリアルだったが、起きてみれば何でもない、自分の書斎だ。ぼんやりする頭で壁掛け時計を確認すると、時計の針は半周ほども回っている。本を読むうちに寝てしまい、机に突っ伏したまま一晩過ごしてしまったらしい。
「師匠、寝る前にウィスプ帰してやるの忘れてたろ。蝋燭代わりにされたうえに朝まで出しっぱなしにされて、その辺で浮かんで困ってたぜ。いっつもおれにはこーんな顔して、魔法の後始末はしっかりしろ、お子様は早く寝ろ~って口うるさく言うくせにさぁ」
 シオンの隣で、バドが指で目尻を引っ張り、怖い顔を作って見せた。怒ったシオンの顔真似らしい。
「師匠?」
 やはり無反応の師を見て、バドが心配そうな顔になる。
「顔……真っ青だけど、大丈夫? 具合悪い?」
……なんでもない」
 シオンは軽く頭を振り、凝り固まった目頭を押さえてもんだ。目と頭の奥が痺れる感じがする。
 ずいぶん昔の夢、いや、過去の記憶だ。久々に見た。それも、思い出したいかと言えば、ノーとしか言えない過去。あの頃の自分は何も知らず、怖いものを知らず、知りたい欲と好奇心と探求心の塊で、自由気ままに世界を駆け巡っていた。
「しっかし、相変わらずすごい資料の山だね。うっわ、ナニコレ。全然読めねえや」
 バドがシオンの横にある本を一冊開いて、うえ~っと舌を出した。読書家のバドでも辟易するような本の量と内容である。シオンは長らく、とある目的のために手がかりや資料を探し続けている。
「バド」
「はい?」
「俺って、変わってる?」
 バドが、へ? と首をひねった。
「師匠、急に起きたと思ったら、急に変なこと聞くね」
 バドはへの字口を結ぶと、腕組みしてうなってしまった。正直に答えていいものか迷っているらしい。
……うん。答えなくていい。わかったから」
「なんか変だなぁ……今日の師匠」
 答えずに済んだバドは、釈然としない様子でぽりぽりと頭を搔いた。
「師匠。勉強熱心なのはいいけど、ほどほどにしてよ。いくら師匠でも、徹夜と冒険の繰り返しじゃ身体によくないぜ」
 姉のような小言を残して、バドは書斎から出て行く。開けたドアの向こうから、朝食の用意されている香りがした。
 シオンはため息をつくと、枕代わりになっていた本を閉じた。
 この世界は、とある起点と終点との往復をひたすらに繰り返している。起点は女神の夢であり、終点は必ず女神との聖域での戦いだった。そこから抜け出るための施策を、あるいは手掛かりをシオンはずっと探している。けれど、いくら知識を得ようが学ぼうが、役に立った試しはない。
 外には、夢で見た過去の記憶と変わりない景色が、今日ものどかに広がっている。女神の語りかけてくる夢などは幾度見たか、いつからか、数えることは止めてしまった。
 双子と朝食を済ませた後、玄関横に立てかけてあった二振りの剣のうち、いつもの大剣のほうを取る。
 どこへ行くかは、空の色を見て、決めた。
「ちょっと出かけてくる」
「ちょっと? で、マスター、そのちょっとはどれくらいですか?」
「日帰りでドミナに行くだけだ」
「今日は本当に『ちょっと』、ですね」
 コロナが肩をすくめた。軽装備で世界のどこにでも行ってしまうシオンの『ちょっと出かけてくる』は、本当に当てにならない。ただ、帰宅の予定はあらかじめ伝えてくれるので、双子は師がふらりと出かけてもあまり心配はしていない。
 風が嫌なにおいを運んできていた。
 黒い雲のようなものが街道の向こうにかかって見える。けれど、それが雲や霧や煙の類でないことをシオンはよく知っている。一定条件下で集まってくる闇のマナ。ドミナの闇が深くなっている。
 いやだなと思った。こういう時は『あいつ』が出る。
 確信を得ながらシオンはドミナの門をくぐった。この世界のものは、すべてマナでできている。生物、物質、あらゆる次元の存在、あらゆるものがマナで構成され、マナがなくなれば、その存在は消え失せる。その逆に、あまりに濃密なマナは凝り固まって形になり、一時的に肉を得ることがある。
 そう、こんな風に。
「やあ」
 闇の向こうに、赤い帽子が見えた。ドミナに闇のマナが深まると現れる、自分の影。
 そして同時に、分かった気がした。あんな夢を見た理由。
「君と会いたくはなかったけれど、久しぶり」
 シオンと同じ背格好、同じ顔をした、もう一人の自分。具現化したシオンの暗黒面は、シオンを見つけて軽く手を振った。シオンと同じく表情にはやや乏しいが、悪意や殺気はない。
 影は、しかめ面のシオンをまじまじ見ると、困ったように首を傾けた。
「俺は、君の暗黒面……らしいんだけど」
 物騒な自称と裏腹に、もう一人のシオンは口調も態度も、本物のシオンよりはるかにおっとりしている。
「暗黒面の俺のほうが、表の人格より穏やかで人が好いって、おかしくない?」
……会いたくなかったのなら来なければよかったんだ。今からでも帰ればいい。お前の顔見てると虫唾が走る」
「君、本当に口悪いね……我ながら」
 影が困ったように言った。第三者から見れば本物と偽物は逆にしか見えないだろう。本物のシオンには険があり棘があり、影にはない。
 影が、シオンの提げている大剣に目をやり、呟いた。
……『あの日』は残念だったね。『俺』を斬れなくて」
 赤い房飾りのついた柄と素朴な装飾の施された鞘は、影の提げている剣と同じ。初めて女神の夢を見た、駆け出し当時のまま。けれど長い年月のうちに、中身の刃は素材を変えて何度も鍛えなおされ、格段に殺傷能力の高い別物になっていた。
 シオンは、影に言われて、分かってしまった。
 ああ、だから夢に見たのか。昔の旅、昔の自分。あの時ドミナで出会った、もう一人の自分。遠いあの日、過去の自分が出会ったのは、今日の自分だったのか。
 今の自分は目の前の影より――過去の自分より、はるかに強い。けれど、それが何の意味がないことなどシオンは嫌というほどわかっていた。今更、この影を倒したところで世界は何も変わらない。
「聖域に、行くの?」
 シオンの心を見通すかのように影は言う。ずっと前、同じことを、君は俺に聞いたねと。
「あの日、君に斬られていれば、あるいは違う選択をしていれば、女神へ違う答えを出していたら、今の俺は変わっていたんだろうか? あの時、俺はどうすればよかったんだろう。わからないんだ。ずっと」
……
 光と影は表裏一体。
 暗黒面の彼は昔の自分自身であり、今の自分は彼が内包していたかつての影。けっして答えの出ない問いを投げかけて、暗黒面と名付けられたかつての光は消えた。
 聖域。
 マナの源たるマナの樹が存在し、創世神たる女神がおわす、絶対不可侵の領域。ドミナの向こうにうっすら浮かんで見えている。そこへ至る鍵、聖剣は女神の選んだ者に託されて、来訪者を待っている。
 草人が言う。世界はイメージでできている。

『ココロのある人は、どこかに行けるんだって。イメージできるんだって』

 真っ白な心は何もない世界に色を付け、イメージする心が世界の物語を紡ぎだす。
 だとしたら、人が白い心を失ったら世界はどうなるのだろうか。
 光はとうに消え去り、想起される記憶は色を失くしていき、刃は数えきれないほど血を吸った。
 遠くに聖域が望める。かすかに眩暈がした。
 イメージで創られる世界の景色の端が、歪んで見えた。