辺獄の書を探すため生まれ故郷を発ったサイラスと、剣の意味を取り戻す決意をしたオルベリクが出会ってから数カ月後
――二人は目的を果たし、それぞれが暮らしていた街へと戻った。
サイラスからコーストランド地方の調査時の護衛を依頼されたのは、それから二月後だった。魔物の産卵による分布と縄張りの変化についての調査を行うそうで、特に産前産後は魔物も気が立つため念を入れて護衛を頼みたいと手紙に綴られていた。すぐに承諾の返事を書き、アトラスダムとコブルストンの中間辺りに位置する港町で落ち合った。
手紙のやり取りは頻繁に行っていたものの、久方ぶりの再会だ。自分はもちろん喜ばしく思っていたし、サイラスも同様だったのか弾けるような笑顔でオルベリクの名を呼んだ。
そして調査は順調に進み、滞在予定を三日ほど残して終了することになった。夕暮れ前には街に戻り、ここ数日ですっかり通い慣れた酒場で食事を取ることにした。
「あなたのお陰で調査は順調に進んだよ。ありがとう」
「いや、俺は大したことはしていない。お前の事前準備や、調査の手法が良かったのだろう」
「そんなことはないよ。私より魔物の気配に敏いあなたがいてくれたからこそ、必要な調査が最短の手順で行えた。それに、あなたが傍にいてくれるのなら、どれだけ調査に集中しても差し支えないからね」
「そうだな。一昨日の洞窟での調査を覚えているか? あの時は、いっそお前を抱えて逃げた方が早いかと
……」
調査に集中しきっていて、魔物に囲まれているというのに声を掛けても背を叩いても微動だにしなかった姿を思い出す。結局数体追い払ったところでようやく異変に気づいてくれたため、抱え上げるまではせずに済んだ。サイラスはきまり悪そうに苦笑いを浮かべ、新鮮な二枚貝がたっぷり入ったクラムチャウダーをスプーンで軽くかき混ぜた。
「ああ
……あれはまさに、あなたが居てくれて良かった瞬間の代表例だね。貴重な産卵シーンだったものだからつい周囲を忘れて観察してしまった。一応、私も反省はしているのだよ?」
「まあ、それだけお前が俺のことを信頼してくれているという証でもある。心配ではあるが、悪い気がしないというのも本音だな」
「それならいいのだが。
……調査は概ねこれで終了になる。私の方はまだ出張期間が残っているのだが、あなたはどうだい?」
「時間の方なら問題はない。何か気になることがあるのか?」
少し硬めのパンをちぎり、口元に運びながらそう問いかけた。調査のやり残しか、はたまたそれ以外に何か興味をそそるものを見つけたか。教師であり学者でもあるサイラスは、オルベリクとは違う見方で世界を捉える。深い叡智をたたえる瞳で観察し、これまで積み重ねてきた知識を以て、想像もしない角度で物事を紐解いてしまうのだ。
しかしサイラスはゆるく首を横に振り、曖昧に微笑んだ。
「そうではないんだ。ただ、二人で旅をしていたときも、この辺りにはあまり滞在しなかっただろう? あなたさえよければ、少し観光でもするのはどうかと思ってね」
「なるほどな
……もちろん構わん。調査でも観光でも、お前が満足するまで付き合おう」
「本当? ありがとう!」
元よりそのつもりで足を運んだのだから、今更許可を取ることでもないだろうに。サイラスらしい気遣いというか、礼儀正しさが垣間見えた。
――それに、まだ例の話もできず仕舞いでいる。もしかしたら明日、会話の糸口を見つけられるかもしれない。
そうして食事を終え、宿へと戻った。旅の終わり頃は二人で一部屋によく泊まっていたものだが、今回はサイラスが調査のまとめや準備をするということもあり、部屋を分けていた。同じ部屋で休めば必ず手を出す、と言うほどオルベリクは旺盛ではないが、かと言って絶対に手を出さないとも言い切れないので却って良かった。
「では明日の朝、迎えに来よう」
「ああ、それなのだが
……待ち合わせにしてもらってもいいだろうか? 街の西側にかかっている橋は分かるだろう? その辺りで落ち合おう」
「分かるが
……何故?」
隣の部屋に泊まっているのに、態々待ち合わせ場所を指定する理由があるのだろうか。純粋に疑問に思って聞いてみたが、サイラスは煮え切らない態度でローブを指先でいじった。
「大したことではないのだが
……少し準備をしたいからね。あなたも楽な格好で来てくれ」
「まあ、お前がそう言うのなら構わんが
……。西側の橋だな、分かった」
「わがままばかりですまないね。では、また明日」
「ああ
……」
横目で周囲を見遣り、人気がないことを確かめて、片腕でサイラスを抱き締める。容易く腕に収まり、不思議そうにオルベリクを見上げたその額に唇を付けた。
「
……! オル、ベリク
……」
「おやすみ、サイラス。また明日な」
「ん
……おやすみ」
ぽんと耳まで赤くして、サイラスはそそくさと部屋に入った。鍵がかかったことを確かめ、オルベリクも自室の扉を開ける。
――二人は婚約関係にあり、既に肉体関係も持っているのだが、相変わらず初心な反応をしてくれるものだ。調査期間はサイラスにとって仕事中だと自分に言い聞かせてそれらしい触れ合いを自制してきたが、明日はもう少し恋人らしいことができるだろうか。少々不埒なことを考えながら、その晩は早めに休んだ。
***
翌日、オルベリクは約束の時刻より幾分か早くに待ち合わせ場所へと向かった。楽な格好でという言葉通りサーコートは纏わずに普段着で、念のため剣だけ提げた格好だ。橋のほとりに立ち、手持ち無沙汰に水平線を見つめる。
それにしても、時刻と場所を決めて待ち合わせをするなど、まるで付き合いたての恋人がする逢瀬のようだ。もしかしたら、サイラスは純粋にそういうものに憧れを抱いているのかもしれない。
(まあ、ああ見えて案外ロマンチストな部分はあるからな
……)
普段は学者として、人の感情さえはっきりと区別してしまうようなリアリストな部分を見せるが、色恋事になると途端に可愛らしいお嬢様になってしまうから堪らない。そんなことを考えながら、暫くは船着き場に留まるカモメの数を数えていた。
――しかし、待ち合わせの時刻を過ぎてもサイラスは現われなかった。訝しんでいると、不意に通行人の会話が耳に入った。
「いやぁ、見かけない顔だったけど旅人かなぁ。あのお嬢さん」
「すげぇ美人だったな。海賊に絡まれてお気の毒にな」
「ああ
……海賊に目をつけられてなきゃ、俺も声かけたのになぁ
……」
まさか、と思った時には、通行人が来た方向へと走り出していた。万が一にも彼女のことだったら困る。もちろんサイラスはただ守られるだけの人間ではなく、その気になれば得意の魔法で無法者など一掃してしまうだろう。
――頭ではそう理解していたが、駆けつけずにはいられなかった。
不幸中の幸いか、すぐにその集団を見つけることができた。柄の悪い男たち数人に囲まれながらも、聞き慣れた声は少しも臆せずに彼らを諭していた。
「何度も言うが、私は予定があって急いでいるんだ。そこを通してもらえないだろうか」
「ちょっと付き合ってくれるだけでいいからさぁ」
「そうそう。ちょっとだけって言ってるだろ」
ふつふつと湧き上がる怒りのままに、下卑た笑いを浮かべる男の襟首を掴んで強く引いた。蛙の潰れたような声を出して転がる仲間の姿に、海賊たちが一斉にオルベリクに顔を向ける。その囲いの中にいたサイラスは目を丸くし、オルベリクの名を呼んだ。
「なっ、なんだお前、いきなり
……!」
「それはこちらの台詞だ。彼女に何の用だ?」
「俺たちに喧嘩売って、ただで済むと思ってんのかよ!」
叫びながら伸ばされた手を逆に掴み、反対の手で相手の肩を掴んで地面へ引き倒す。オルベリクが最も得意としているのは剣術だが、近接戦闘もそれなりには心得ている。一瞬で仲間を制圧され、海賊たちは見るからに怯んだ。後ひと押し脅してやれば十分だろう。長剣の柄に手をかけ、一歩踏み出すと彼らは顔を見合わせた。
「
……もう一度言うぞ。俺の連れに、何の用だ?」
「な
……なっ、何でもねえよ
……! 行くぞ、お前ら!」
「ま、待ってくれよ~!」
一人が逃げれば、他の者達も後を追い走ってゆく。それを視線で見送り、短く息を吐いた。サイラスはオルベリクの傍に駆け寄り、安堵したように微笑む。
「すまない、約束に遅れてしまったね。あなたが来てくれて助かったよ」
「災難だったな。それにしても、珍しい格好をしているな
……」
改めてサイラスの姿を上から下まで眺める。彼女の格好は、昨日までの学者のそれとは正反対の女性らしいものだった。麦わら帽子を被り、纏った純白のワンピースは陽射しを反射してまばゆい。膝丈のワンピースは裾がふんわりと広がっていて、すらりとした細い脚が覗いている。靴も編み上げのサンダルを履いていて、港町らしい衣装になっていた。
まじまじと見つめていると、サイラスは気恥ずかしそうに帽子のつばを指先で摘んだ。
「
……へ、変だろうか」
「いや。ただ、少し驚いてな。準備とはこれのことだったのか」
「うん。
……今日はあなたと、デートのつもりだったから」
ワンピースは全体的にゆったりとしたデザインだが、形の良い鎖骨や手首、足首など、女性らしい華奢な部分を隠さないそれだ。普段の隙なく服を着込んだ姿を知っているからこそ、自分のための装いと言われるとぐっと来るものがあった。
「
……だが、変ではないのなら良かったよ。宿を出てから、何故か方々で声を掛けられてしまってね。おかしな格好をしてしまったかと心配していたんだ」
――言わずもがな、サイラスは抜群に美人だ。長い睫毛に縁取られた宝石のような瞳、高く通った鼻筋、桃色の可愛らしい唇。それらが小さな顔に完璧なバランスで収まっている。普段の黒を基調とした学者の衣装は正装に近いため、高嶺の花のような雰囲気が男を寄せ付けないのだろう。ただ、今はとても可憐な雰囲気で、気軽に声を掛けたくなる男の気持ちもどこか分かる気がした。
「そんなことはない。とても良く似合っていて
……可愛らしいと思う」
「
……嬉しい。ありがとう」
サイラスは頬を淡く染め、花が開くような笑みを浮かべる。その表情がまたあまりにも可愛らしくて、往来でなければ抱き締めていただろう。中途半端に上げかけて空中で制止した手を、サイラスが握る。
「行こう! 面白そうな露店がたくさんあるんだ」
「ああ」
頭上でさんさんと降り注ぐ碩学王の輝きにも負けないほど、彼女の笑顔は眩しい。小さな手をしっかりと握り返して歩きだし、サイラスが前を向いている間にこっそりと、周囲で不躾な視線を向ける男たちを睨みつけて牽制した。
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