※ごんぎつねは江戸時代以降にできた話であることは百も承知ですが、江戸時代に絵物語以外の子供向けの話が思いつかなかった事、ごんぎつねの内容を入れたかったので小説に入れています。ご了承ください。
緋勇鈴菜は生者ではない。
その証拠に弟の体に共生するようになってから本当の彼女の姿や声は他者に一度も見えた事も聞こえた事もない。言わば幽霊と同様といってもいいだろう。
だがじゃあ彼女は幽霊か?と言われると龍斗はいつも首をかしげる。
確かに生前より体は透き通っているし、宙にふわふわ浮いて自分の思い描く時に姿を消す事も出来る。生きているものは如何なる理由があろうとも同様な事は出来ないだろう。
それでも彼は幽霊とは言わない。
龍泉組に所属していた時にその事を不思議に思った仲間の一人が何故なのかと聞いた事があった。龍斗は不思議そうに答える。
———あんなに能天気な幽霊っているのか?と
☆
龍斗が鬼道衆になってから幾日か過ぎ村での生活に馴染んで来た頃、鈴菜にはひそかに楽しみにしている事があった。それは不定期的に礼拝堂で行われている子供たちへの文字の読み、書きなどの教育(所謂寺小屋の様なもの)を見守る事である。
鬼哭村に集まる村人は幕府に復讐をするといった共通の目的があるが、今までの生活や職業が様々なものたちが集まっている。職業・生活が違うということは様々な価値観があるということだ。
特に今まで学問に触れあわず文字すらかけない農民と武士や商人などの学のあるものでは話がかみ合わず、様々な問題ごとが起こった。文字が書けない、読めないという事は何を見ても判断できないと等しい。学が乏しいということが物事の選択を狭めてしまい必然的に仕事の役割も限られてしまう為、今のところ村人から直接不平不満を聞いた事はないが、どこかで不公平感を感じる事もあるだろう。
この事態を重く感じた若き頭領の天戒から必要最低限の学問は必要だろうとのお達しがあり、知識が豊富で教えることに慣れている御神槌に教師役として白羽の矢が立ったらしい。それからはこの村でも寺小屋的な事を行っていると龍斗が御神槌から聞いた話だ。
彼の与えられた仕事がない時や手の空いている時に不定期的に開催されている授業は子供達から好評で、時々村人も農作業や手の空いた時に訪れている事から授業が開催されている時の礼拝堂前広場は明るい声が響いている。
『あ、もうすぐはじまりますね!』
今日も今日とて村周辺の監視という名の散歩を楽しんだ後村に戻ってくると、広場には多くの子供たちでにぎわっていた。本日早朝、九角屋敷行われた報告会で授業を開催しようと思うと話していた為、いつもの散歩時間を早めに切り上げて戻ってきた鈴菜だった。
講師役の御神槌が村人の前に立ち、挨拶をしてから授業は開始した。彼の横には障子半分程の大判和紙が広げられており、そこには48のカタカナが記載されている。その手本のカタカナの字を指で実際に書き、順序を伝えた後は其々実技時間となった。
寺小屋と言いながら実際は青空の下で授業は行われている。彼としても本当は礼拝堂内で行いたいと希望があるが、この時代の紙は高価で頻回に授業で使うことが出来ない。その為皆どこかで拾ってきた木の枝を持ち地面に文字を何度も書き、消しては書くという事を行い授業を受けていた。
まずは基本のカタカナ、そしてひらがなを学び、それが習得できれば漢字を学んでいくという方針だ。年代の違う子供たち、そして数人の大人が和紙を参考に文字を書いている横を御神槌が時折通り、間違っていたら指摘をして手本を見せる。
「こう?」
「いえ、タの上はもう少し斜めに…そうです。上手ですね」
「本当?」
「本当ですよ」
自分でかけた文字を褒められ嬉しそうに笑う男の子は眩いばかりに笑う。その子の頭を優しく撫でてから手を上げ質問している次の子供のもとに向かう御神槌。
周りを見ると子供同士で字の見せあいを行ってはにこにこ笑っている。大人たちも子供たちと同じように悩み、でも手を止めることなく必死に学ぼうとしている。
ここに彼らの求めている平和がある。
穏やかな時間が流れるこの時間は鬼の村にとってのつかの間の幸せだろう。鈴菜はこの光景を見るのがとても好きだった。争いなんて忘れてしまうぐらい穏やかで優しい時間。彼女は一生懸命文字を習得しようと頑張っている彼らを応援し、そして出来た事に喜ぶ彼らの横で一緒に喜んだ。
只の独りよがりだとは分かっているけれど。
「さて、本日はここまでにしましょう」
いつの間にか太陽が真上に来ており、昼近くになったため本日の授業は終了しようとする様子が伺えた。少し残念がる鈴菜と同様に子供たちからも「え~」と声が上がる。
「もう終わり?」
「はい、残念ながら午後から用事があるので。その代わり一つお話をしましょうか」
その言葉を聞いた瞬間、わあっと周り人達と一緒に鈴菜も歓声を上げた。
授業終わりの話の読み聞かせは鈴菜の楽しみの一つである。
生前は(育て親の)職業柄身の回りに本や巻物が身近にあった鈴菜は意外と読書家であり、色々な種類の本を読む。しかし御神槌はそれを上回る程の大層な読書家であり、鈴菜の知らない物語を話す事が多いため聞くのがとても楽しみだ。
もちろん知っている話をもう一度聞くのも新たな発見があるためそれはそれで楽しい。それに、彼は耳馴染みの良い声をしており話がスルスルと入ってきて物語に入り込める。優しい声で話を聞いていると心が癒やされるのだ。
『今回はどんなお話でしょうか?』
ワクワクが止まらない鈴菜と同様な気持ちの子供が「神父様~、今日はどんなお話なの?」と質問している。楽しみだと全身で表して笑っているのを見ると彼女は待ちきれない様子で、大人も困った顔をしながらにこにこ笑っている。彼が準備をしている間にいつの間にか御神槌の周りには子供たちがあふれかえっていた。
可愛いな。
彼らの微笑ましい様子をみて、周りの大人たちと共に笑みを浮かべた。
「そうですね、今日は色々と考えて欲しいことがあったため一風変わった話にしようと思っています。……皆さん、頑張ってくださいね」
にっこり笑う彼はいつもと同じだが、いつもと違う。
なんというか、雰囲気が。
『?頑張る……とは?』
彼の言う意味がよく分からず首を傾げたが、そんな彼女を後目に子供たちは元気にはーいと答えた。
「はい、では始めますね。今日のお話はごんぎつねというお話です。それでは、昔々ある所に……」
「青いけむりが、まだ筒口から細く出ていました……。これでこの話はお終いです。
……皆さん、大丈夫ですか?」
前言撤回。
聞くんじゃなかった。今なら心底からそう思う。
誰ですかっ、優しい声に癒やされるって言ったのは!私でしたね!ええ、そうでした!スルスル話も入ってきましたよ!容易に情景が思い浮かぶぐらいには!!
そこまで思うと最後の動かないごんと呆然としている兵十が目の前に浮かんできて、止まりかけた涙が滝のようにぼとぼと流れ落ちていく。
そもそも動物の話自体で涙腺は緩くなるのに、また内容が……。すれ違いは辛い、誰も救われないのは辛すぎる……。
御神槌さんの心配そうな声を聞くが誰も話し出さない。啜り泣く声や鼻をする音が響くのみだ。上を向くと晴れやかな晴天の空なのに下では通夜のように重苦しい。
やめて、温度差で風邪を引く。少し前にワクワクしていた自分を怒鳴ってやりたい。
「すいません。想像以上にえぐられた様ですね。けして皆さんを悲しませたかったわけではないのですが」
『そうですね。そうでなければ逆に驚きますよ』
目を擦りながら思わず突っ込みを入れる。さすがに未だに心の傷がいえない村人に同じ傷を抱えている彼が塩を塗ることはしないだろうと信じている。
未だ通夜のように暗い村人を少し気まずそうにみていたが、それでも彼は話を止めることはなかった。下を向きゆっくりと話す。何かを言い聞かせるように、噛み締める様に。
「私が何故この話を聞かせたのかというと、思い込みで自分を大切に思ってくれる誰かを傷付けてほしくないと思ったからです。確かにごんは遊び半分でしてはいけないことをしました。そのため母親の最後の願いを叶えられずごんを許せないと思う兵十の気持ちは分かります。
でも、ごんは後悔しました。そして償おうと必死でした。それでも犯した罪は消えず、死を持ってでしかその罪を清算することは出来ないのでしょうか?」
それから御神槌は顔をしっかり上げ、村人全員の顔を見渡してからはっきり伝える。
「今でも私の受けた非道の数々をしてきた役人を、幕府を恨む気持ちはもちろんあります。この思いはきっと私が死ぬまで決して消えないでしょう。ですが、だからといって誰かを傷つけてよいという訳ではない。
……私は前回の任務で自分の復讐をかなえるために無関係の人たちを苦しめました。これは紛れもない私の罪です」
『御神槌さん……』
「私は救われました。龍斗さん……、もしかしたら龍斗さんではないかもしれませんが、彼がどうしよもない私を許してくれました。私は幸福です。私のしたことを許し、そして理解してくれる人がいたのですから。許された私はこの教訓をどうしても皆さんに伝えなくてはいけないと思ったのです。そしてどうしたら伝わるかと考えた時この話を思い出しました」
真面目な彼はあれからずっと考えてきたのだろう。自分が今何をすべきか、今なお復讐に捉えられている彼らにどう心に届くのだろうと。
今の彼は凪いだ水面を思い出す様に穏やかで優しく、務めて静かだ。誰もかも彼の言葉に耳を傾け、何も言わらず聞いている。
鈴菜は正直反論の一つも起こるかと思ったが、その雰囲気に周りは飲まれている様子だった。
僧侶である雄慶も民衆に法話をする際有無を言わせない説得力があるが、どうやらそれは神の言葉を伝える神父も同じようで、弘法太子の言葉であれ、神の言葉であれ、何かを人に伝え信じさせることが出来る事は彼らの才能だと思ってる。
「どうか何か大きな決断をする前に、一度周りに目を向けてください。出来る事なら冷静に周囲にいる人の言葉を聞いてください。今は私の言葉が届かなくてもいい。若造がなにを言っていると罵られてもかまいません。ですが、どうかこの物語と私の言葉を心の隅でもおいてくれると嬉しいです」
ではこれで終わりにしましょうと彼は笑って授業は終了した。
未だゴンは引きずっている鈴菜は泣きながらその場を去るが、そのすぐあと御神槌の元にとことこと女の子が近づき彼に話しかける。
「ねえねえ神父様、さっきのお話の時に出てきたのは龍斗兄ちゃんなの?それとも違う人?」
「おや、興味がありますか?」
「うん」
御神槌はその場で屈み、女の子と目線を合わせた。
彼は片手を顎に軽く触れ少し悩んだ様子を見せたが、何かを思いつき、目の前にいる女の子に一つ質問をする。
「龍斗さんと一緒にいる時、時々違う人といるような気分になりませんか?」
「違う人?龍斗兄ちゃんは龍斗兄ちゃんだよ?」
「えっと、そうですね。たまに口調が変わったり、なんとなくふんわりとした優しい雰囲気になりませんか?……女性的というのか、女の人と話しているような……」
「あ~分かった!おかまの時の龍斗兄ちゃんね!」
御神槌の質問に不可解そうにしていた少女だったが、合点がいくと笑顔でとんでもないことを言い放つ。少女の突然の言葉に御神槌は思わず噴き出した。
子供は本当に素直だ。思ったことを包み隠さず伝える為、近くにいた父親が娘の突然な発言に慌てて嗜める。
「ば、馬鹿!緋勇様に対してなんてことを言うんだ!」
「でも父ちゃんだってこの間そうだなあ~って言ってたじゃん!なんで怒るの!」
目の前で突然始まった親子喧嘩を止めようとするが、鬼道衆随一、まさに鬼の強さを持つ龍斗をまさかおかま呼ばわりするとは思わなかった御神槌は未だ笑いが止まらない。
「だ、駄目ですよ。そんなことを言っては……、ふっ……」
「神父様だって笑ってるじゃん」
むくれる少女に彼は気合で笑いを止め、コホンと呼吸を整えてからもう一度向き合った。
「すいません。ですがそうですね、その人に私は大切なことを思い出させてもらったのです。忘れかけた、大切なことがまだ私の中にあることを。だから私は龍斗さんとその雰囲気の違う時の龍斗さんに感謝しているのですよ」
「龍斗兄ちゃんとおかまさんに?」
「そ、そうですねっ……」
真剣に話そうとするが彼女の再度の言葉に御神槌の腹筋は否応なしに鍛えられる。
今度龍斗を見た時笑ってしまったらどうしようと御神槌は密かに恐怖した。
「ふ~ん……、神父様はよっぽど龍斗兄ちゃんが好きなんだね!」
突拍子もない言葉に笑いも収め思わず真顔になる御神槌。
「……キリスト教では同性愛は禁止ですよ。……何というか好きとかではなく彼を尊敬をしています。私にとって龍斗さんは神にも等しい人ですから」
「……難しくてよくわかんない」
「そのうち、きっと分かる時がきますよ。貴方がもう少し色々な事を学んだ時に」
「む~……」
膨れる少女を親が収めているのを見ながら、御神槌は先ほどの少女の言葉をぼんやりと考える。
これは確かに愛だ。彼を人としてとても尊敬している。きっと神を思うような愛であるはずだ。
でも、あの雰囲気の優しい時の彼に対しても、そうなのだろうか?
……いや、そうだ。そうでなければ。私はもう、間違えてはいけないのだから。
無意識的に両手を組み、祈りを捧げる。半場癖になっている姿だか、御神槌は自分の心がこれ以上変わらないように必死で祈り続けた。
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