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森永
2022-11-23 17:26:09
16519文字
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春の嵐に紛れて泣いた⑥
無限×風息/くだびれ大学講師×訳アリDKの現パロつづき/修羅場回(全年齢向け)
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小黒との電話を終えてしばらく、スマートフォンを弄っていた無限の耳に扉のノック音が入ってくる。戸を開けると、風息の祖父が立っていた。手にはなぜかスタンドライトを持っている。
「どうかしましたか」
「外を見回ってきたんだがね、あんたの部屋だけ雨戸が降りてないようだったんで見にきたんですよ」
「ああ」
そういえば、朝食の時に風息がそんなことを言っていた。老爺が入ってもいいかと訊いてくるのに頷いて、部屋に入ってもらう。スタンドライトをその辺の床に置き、風にガタガタ鳴っていた海向きの窓に向かうと、彼はガラス戸を半分ほど開けて雨戸に手をかける。邪魔にならないようよけていた無限のところにもすかさず風雨がビュウと吹き込んだ。外はだいぶ荒れているようだ。布団を畳んでいて良かったと思う。
老爺は素早く雨戸を下ろして、少しだけ雨粒の散ったサッシや畳を持っていた布巾で拭った。ガラス戸を閉め、障子も引いてしまうと、嵐の音がずいぶんと遠くなる。ありがとうございますと礼をいう無限に手を振って応えた老爺は、むすりとした顔をしている。
「だいぶ前に孫に雨戸を閉めて回るよう言ったんですがね。あいつめ、さてはサボったな」
「そうだったんですか?
……
多分、私が電話をしていたので気を遣ってくれたんでしょう」
だいぶ前、がどのくらいの時間だったのかわからないが、一時間と少しばかり電話が続いていたのでそのせいかもしれない。無限がそう伝えると、老爺はひとまず溜飲を下げたようで、床に置いていたスタンドライトを指差した。
「雨戸も閉めちまって、明日まで不便だと思いますんで。夜はこれでも使ってください」
「わかりました。ありがとうございます」
「いやいや。じゃあ、もうすぐ昼飯が用意できますんでね」
そう言って老爺が出て行ったあと、無限は締め切られた海向きの窓を見やった。嵐が止むまで、あの景色は見られそうもない。帰る前に眺められたらいいな、と思う。帰った後も、記憶にあるあの景色を思い返すだけで気分が落ち着くかもしれない。あるいは風息と一緒に眺めてもいいなと無限は想像した。自分が帰ったらここはまた彼の秘密基地に戻るのだろうけれど、ここにいる間に共有させてもらいたい。改めて、この部屋を明け渡してくれたことにお礼を言って、なんでもない話をして。嵐が過ぎたらまた虚淮の店に行って、今度は無限のぶんまで買ったチョコレート菓子を一緒に食べてもいい。
そんな想像をふくらませて、いよいよ子どもの考えだなと無限は自分でおかしくなって笑ってしまった。でも、そのくらい彼を親しく思っている。残る二日ばかりで、本当の友人みたいになれたらいいとさえ思っていた。
(あとで、風息に会ったら言ってみよう)
だが、無限の期待を裏切って、それからしばらく、風息の姿を見かけることはなかった。
風息の姿を見かけない。無限は夕食を咀嚼しながら内心で首を傾げた。
彼に会ったら話そうと色々想像を巡らせていたのだが、肝心の風息を朝食以降いちども見かけることなく夜になってしまった。昼食のときに配膳をしていたのが祖母だったのはさほど気にならなかったが、その後も普段なら何かと忙しなく手伝いをしている少年を見かけることはできなかった。この嵐だし、どこかへ出かけているということもないだろう。それにしてはこの宿という限られた空間でで合わないのが不思議だった。しかしだからと言って、風息を探して宿の中をうろつくのも憚られる。夕食の時は会えるだろうかと、午後はのんびり読書をして過ごしていたのだが。
結局、風息は夕食の席にも現れなかった。
食事の世話にやってきた祖母にそれとなく尋ねると、自分の部屋にいるようだということだけわかった。ただ彼女も、何をしているのかまではわからないらしい。この天気ですることもないので、宿の掃除なども今日はあまり言いつけていないそうだった。
「案外、もうすぐ無限さんが帰るってんで、拗ねているのかもしれないですねえ」
老婆はそんなふうに言っていて、無限もそうだったら嬉しいなとも思ったが、はたして風息はそういう性格だろうかと不思議に思うところもあった。彼はもっとこざっぱりとした気性で、それで部屋に籠ってしまうような少年ではないと、なんとなくそんな印象がある。こんな天気であるし、もしかしたら調子が悪いのかもしれない。そうだとしたら、無理に会う必要もないだろう。大した用事があるでもないのだし、とひとまず無限は納得して、箸をすすめた。
無限の部屋の戸が叩かれたのは、それから数時間後、入浴も終えて、布団の上で読みかけの文庫本を開いている時だった。
部屋の電気は落として、枕元まで線を引いたスタンドライトだけを灯していた。雨戸を閉め切った室内はしん、としていて、そのノック音だけが唐突に響いたのでちょっとびっくりして、無限は「はい」と返事をする。しばらく間をおいて聞こえてきたのが、無限さん、という風息の小さな声だったのでさらに驚いて、電気もつけずに扉を開けに立った。
「風息、どうしたんだ、こんな時間に」
「
………………
」
答えない少年を見下ろして、無限は不可解に眉をひそめた。ずいぶんと所在なさげというか、身の置き場がないというべきか、とにかく風息が表情を翳らせて立っていたからだ。まるで暗い廊下の影にとけそうなまでの雰囲気がどうにも気にかかって、無限は用を聞くのも脇に置いて「入るか?」と部屋へ促していた。風息が小さく顎を引いたことをみとめて、戸を開いてやる。風息は言葉もないまま素直に部屋に入った。
戸を閉めてから、そういえば部屋の電気を落としていたんだったと思い出す。蛍光灯の紐に手を伸ばすと、その袖を風息の手が掴んだ。
「風息?」
突然のことに驚いて風息を見ると、少年はじっと無限の目を見上げている。床に置いたライトの白色光が反射する瞳が、溢れそうに濡れているように見えて無限は息を呑んだ。
…………
泣いている?
「どうしたんだ、何かあったのか?」
「
……………………
あんた、帰るんだよな?」
「え?」
泣いているのかと思ったが、風息の声は震えてはいなかった。いっそ硬質なするどささえあって、声がわりをしたばかりの低く掠れた響きが耳につく。彼の問いかけに一瞬声を詰まらせたけれど、問いただす眼光の強さに促されて、無限は「そうだ」と頷いた。すると風息は俯き、伸びた前髪に眼許をかくしてしまった。風息? と呼びかけても、彼はすぐには口を開かなかった。ただその手は無限の服の袖をぎゅうと強く握りしめて離さずにいる。
困惑する無限と黙り込む風息の上で、壁掛け時計のカチコチという音が何度か周った。ふいに、風息が口の中でつぶやくように、ごく小さな声でなにかを話して、無限は慎重に「なに?」と聞き返した。
風息が顔を上げる。
「
――――――――――――
連れてって。おねがい」
「
……………………
え、」
ひどく苦しんだ表情をしている。
風息の言葉に思考が止まった。固まる無限の袖から手を離して、風息は男の肩に両手で掴みかかる。縋るような手つきだった。そしてその手がびっくりするくらい冷えていることを、無限はそのときになって気づいた。風息は抑えた、けれどほとんど悲鳴みたいにひび割れた声でなおも言い募る。
「お願いだから。俺も一緒に連れてって。ここから出して」
下から覗き込む風息の瞳は千々に光を乱反射させている。細切れになった通知表を無限は思い出した。涙が出ていないのがいっそ可哀想なほど、風息は強い感情に内側から突きうごされている。しかしその正体をすぐに突き止めることはできそうになかった。必死な様子の風息を宥めようと、無限は掴まれた肩をそのままに、空いた両手で風息の腕をやわく掴んだ。
「
……
だめだ、風息。そんなことは、簡単にはできない」
自分は冷静でいなければ、と努めて静かな声で無限は言った。ひゅ、と風息の喉が鳴って、彼が息を呑んだのがわかる。
「おじいさんたちには話したのか? どうして急に
――――――
」
「
………………
ッ!」
少年はみるみるうちに血の気が引いた頬を歪める。肩にかけられた手に力が入って、無限の服にきつい皺を寄せていた。無限が二の句を告げる前に、風息はぐっと渾身の力で男の体を引き寄せた。逆らえない無限の瞳の中で、ぶどう色の目が迫ってくるのがやけにゆっくり見える。風息、と名前を呼ぼうとした唇めがけて、少年はぶつかるような勢いで自分の口を合わせた。
「
……………………
!」
柔らかな感触が場違いだ。そのすぐ後に硬い感触が無限の唇を掠める。風息の歯がぶつかったに違いなかった。驚いた無限が咄嗟に、話すためにかがませていた背を伸ばすと、男と少年の身長差のために重なった唇は簡単に剥がれた。追い縋るようにして風息が無限へ迫り、たたらを踏んだ男は抱えた少年ごと布団に倒れた。ドッ、と鈍い転倒音。衝撃が伝わった机やその上の湯呑みが音を立てたが、そんなことは気にしていられなかった。
倒れ込んだ拍子にしたたかに打った背中に息を詰めたのをいいことに、無限に馬乗りになった風息はまた顔を近づける。重力にしたがって降ってくる風息の髪が頬をくすぐり、咄嗟に顔を背けた無限の口の端へ、少年の冷たくやわらかい唇が吸い付いた。こんな時だというのに、その感触に無限の心臓はぎゅっと跳ねる。湧きあがろうとするものを押さえて、無限はのしかかる少年の肩を掴んだ。
「風息」
「どうしたら連れて行ってくれる? 何をしたらいい?」
「やめなさい」
「拒まないでくれよ!」
少年の絶叫が部屋に木霊する。外の嵐よりも烈しく、少年はひどく怒っていたし同時に深く傷ついていた。それが痛いほどわかっても、身を委ねる気はおこらなかった。こんな風に感情を乱して衝動に駆られている風息を見て、なんとかその気を鎮めてやりたかった。さもないと、ことが進めば進むほど、より傷つくのは他ならぬ彼自身だと思ったからだ。
歯がゆい気持ちを持て余しながら、無限は風息の腕を掴む。手だけでなく、体ごと冷えているようで憐れに思った。
「私は、少なくともこんな形できみと繋がりたくはないよ」
「『こんな形で』? ハ、正解なんかがあるって? 教えてみてよ、先生」
泣き笑いの表情で風息が吐き捨てる。歪んだ口許の不恰好な笑みを、あの朗らかで快活な少年が浮かべているとは信じられなかった。けれどこれが現実だ。あんなに嬉しそうに花火を眺めていた風息はいま、無限の上で苦しげに血を吐くみたいにしてひび割れた言葉を搾り出している。
「なんでもかんでも、まっとうな正解が用意されてるなら世話ないよ」
そうじゃないから俺は苦しんでる。分かるでしょ。そう言う声は滲んでいたが、風息の目からは一滴の涙も流れていなかった。いっそ泣くことができたら、この少年も行き場をなくして暴れる感情を吐き出すこともできるのではないか。そう思ったが、きっとそんなことも叶わないほど、風息の中にある感情が膨れ上がってどうしようもないのだろう。
「あんたが連れ出してくれないなら、おれ、おれは
………………
」
風息が顔をくしゃくしゃにして言い募る。無限はただじっとその瞳を見つめていた。潤んだ表面に苦しげな顔をする男が映る。それよりも苦しんでいるのは、目の前の少年だと言うのに。望んだ言葉が一向に返ってこないことに失望して、風息はゆっくり力をなくすように首を垂れた。無限の肩口へ額をつけて「滅茶苦茶になりたいんだ」「おねがい」と弱々しく繰り返している。その背中に片手で触れると、肩甲骨の奥からど、ど、ど、と少年の鼓動が伝わってくる。
「もう後戻りできないくらい、徹底的に、だめになりたい。そうしたらきっと、こんなクソみたいな場所でも、すこしは息がしやすくなる」
完全に無限の胸の上に伏せって、縋り付くように服の生地を握る風息を、無限はのろのろと腕を動かしてその中に閉じ込めた。柔らかい髪が腕をくすぐり、少年はいっそう身を縮めている。
「風息、それでもできない。私には」
ごめん。無限が囁く声音でそう伝えると、男の腕に囲われた体が拒絶するように逃げを打った。振り解かれそうになるのを必死で捕まえて、背中から風息の痩躯を抱き止めた。逃してはいけない、彼を一人でどこかにやってはいけないと、そう思った。こんな嵐の日に、放っておいたらまた、あの夜みたいに海へ行ってしまうかも。そうしたら今度こそ、彼は荒れ狂う海に落ちていってしまう。無限はそんな恐れを一緒くたにして、少年を抱きしめる。風息はなおももがいた。
嵐だ。この少年の中で嵐が吹き荒れている。いや、この子はずっと嵐の中でもがいていて、いま一際強い波風に襲われているのだ。
そこから強引に出す術を無限は知っている。けれどそうしてはいけないことも。正しい逃げ方を知らないままで、風息を嵐の中から引っ張り出すのは容易い。しかしそうすれば、いつかまた嵐に見舞われたときに、きっと風息は逃げられなくなる。
腕の中の細いからだを、強くつよく抱いた。まだ抵抗を続ける四肢はしかし、だんだんと弱々しくなっていき、やがてじっと身を固くして動かなくなった。ちっぽけな肩、ちっぽけな背中だと思った。彼はまだ少年の体に、大きすぎる絶望を抱えている。無限にはそれを取り払ってやることさえできない。
抱きしめたまま、その柔らかな髪を丸い頭のかたちに沿って撫でた。ゆっくり、何度もなんども撫でた。強張った風息の体は緩むことを忘れていて、時折小さく震えていた。ヒ、ヒ、と引き攣るような嗚咽さえ、ひた隠すように押し殺していた。無限はただ彼の輪郭を撫でている。目を閉じて、風息の鼓動と嗚咽と、ささやかな体温だけに心を傾けた。どれくらいそうしていたのか、気づくと遠くなっていた外の嵐の音が鈍くくぐもって耳に入ってきて、荒れる波のドウドウという音を辿っているうちに、意識は深いところへ落ちていった。
そして次に目を開けたとき、無限の腕はもぬけの殻で、ひどく冷えていた。
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