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森永
2022-11-22 20:14:31
17276文字
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春の嵐に紛れて泣いた⑤
無限×風息/くたびれ大学講師×訳アリDKの現パロ続き/軽微なラッキースケベを含みます/まだお互い自覚してない
1
2
3
風息と神社で別れて時は過ぎ、とっぷり暮れた夜になった。無限は夕飯も風呂も済ませて部屋にいて、待つともなしに風息を待っていた。「あとで」とは言っていたので、てっきり宿に帰った夕方とか、夕飯あたりの時間で何かがあるのかと思ったが、今のところ何もない。配膳をしてくれたのは風息だったけれど、その時は何事もなく終わってしまった。自分から「お礼は?」なんて尋ねる気にもなれず、結局無限はのったりと時間を持て余すことになっていた。
時刻は二十一時。まだ寝るには少し早いが、起きていてもすることがない。布団は敷いてあるし、寝るか、と思って、障子を閉めようと窓際ににじり寄った。外は墨に浸かったように暗く、街灯のついた電柱の上で電線がぷらぷら揺れている。天気予報の通り、少し風が出てきていた。耳を澄ませると、海のぞうぞう鳴く音もする。明日は一日荒れるらしいが、退屈になりそうだなと思いながら木枠を引いた。
障子を閉めてしまって、さて寝るかと電気の紐に手を伸ばす。引っ張ろうとしたまさにその瞬間、部屋の戸がトントンと叩かれた。
「無限さん、起きてる?」
「風息?」
紐から手を離して戸を開けると、風息が暗がりで決まりが悪そうに立っている。ごめんこんな遅くに、と眉をしょげさせて言うので、気にするなという意思をこめて無限は首を振った。どうしたんだ、と尋ねると、風息はやっぱり気まずげに身じろぎする。風息の体の後ろでかさりとビニールの擦れる音がして、はてと首を傾げる無限に向かって、風息は「お礼」と口を開いた。
「お礼、しようと思って探してたんだけどなかなか見つからなくて、こんな時間になっちゃって
……
」
「そんなに気にしないでよかったのに。何を探していたんだ?」
「花火」
「は?」
律儀な少年だなあと感嘆のような呆れのような気持ちを浮かべていた無限の耳に、突飛な返事が飛び込んできた。花火? 思わず聞き返した無限に、風息はうん、と頷いて、後ろに持っていた袋を掲げてみせた。平べったいビニールの包装。中に整然と並ぶのはごく細い花火。パッケージにはしゃなりとしたフォントで「線香花火」と印字されていた。
言い置いておくが、今は春先である。
「なん
……
なぜ花火
……
?」
「え、楽しいから」
いっそ、きょとん、とした顔で風息はさも当然のように答えた。純粋とかそういう言葉だけじゃ済まない意思がそこにはあった。本気で、花火がこの世の娯楽の最上位と思っていそうな顔である。胡乱な顔を隠せない無限に、少年は「花火、楽しいだろ?」と逆に首を傾けてみせている。その目の曇りないことといったら。
「去年、洛竹たちとやったのが残ってたよなーと思って探したんだけど、なかなか見つからなくって。さっきやっと見つけたんだ」
「そうか
……
それで、私はそれを、どうすれば
……
?」
「え? 今からやるんだよ」
「
………………………………
今から?」
「今から!」
風息は笑顔を満面に浮かべている。外では嵐の余興のように風が吹き始めているが、少年の笑顔は青空も素足で逃げ出すくらいの晴れやかさだ。
結果として、無限はわかった、と頷いて部屋を出た。三十路も迫った男は、若さという眩しさを前に白旗を上げたのである。
外に出てみると、やっぱりびゅうびゅうと風が吹き付けるようになっていた。湿った風は肌寒く感じるほどで、とても花火日和とは言い難い。
「風が強すぎないか?」
「大丈夫だいじょうぶ。こっち来てみて」
正面の玄関から出て、風息が手招くままに宿の側面をぐるりと回りこむ。ここ、と風息が指したのは、ちょうどいつも食事をもらっている広間の外側にあたる場所らしかった。ゆとりをもってコンクリートの塀があり、たしかに正面よりも吹きさらしでないぶん風が遮られている。
「ここなら水道もあるし、いけるだろ」
そう言って風息は壁際にとりつけられた蛇口を示した。ご丁寧にバケツまで用意してある。彼はニッと笑って、さあやるぞとポケットからロウソクとライターを取り出してしゃがみこんだ。慣れた手つきでライターを点け、蝋をすこし地面に落としてそこにロウソクを立てる。そのよどみない仕草を見て、無限の頭の中に取り上げることを忘れた煙草の存在がよぎった。彼はいつもこんな手つきで煙草に火を点けているのかもしれない。
のこりの煙草はどうしたんだと、今聞くのは憚られて、無限は風息にならってしゃがみこみながら「湿気ってないか、花火」と声をかける。
「う~ん、まあ大丈夫だろ。こんなにあるし何本かはいけるって」
「豪胆だな
……
」
無限がもう呆れを隠さずに言っても風息は、へへ、と笑って楽しげだった。そんなに花火が好きなんだろうか。気さくで真面目でたまに無邪気な好青年だと思っていたけれど、自分が楽しいと思うから花火をお礼にしよう、と考えるところが幼い子どものようで、無限には微笑ましかった。その火をつけるライターで煙を吸っていたことが嘘のようだ。
塀である程度囲まれていると言っても、風はどこからともなく吹き込んでロウソクの頼りない火を揺らす。二人はせめて風よけを、と風上に並んで、ビニールの包装から取り出した線香花火のこよりを摘んだ。
端の方から手に取って火に近づけると、やっぱり湿気っていたのかぱち、ぱちんとささやかな音だけ立てて静まる。風息は眉を下げて「あーあ
……
」と残念そうな声をあげているが、無限はおおよそ予想通りだったので特に落胆はしなかった。焦げ付いただけの花火を、念のため水を張ったバケツに放り込む。
風息はめげずにふたつめ、みっつめと線香花火を出しては火に近づけて、トライを続けている。ここまできたら、袋の線香花火が尽きるまで付き合おうと、無限も幾分か遅いペースで手を伸ばした。
つかないなあ、つかないねえ、と言いながらしばらく湿気った花火を焦がしてはバケツに入れ、バケツに入れては次の花火を手に取り、を繰り返した。何本目だかわからないが、無限の手に取った花火がそれまでのものと違う、しわっ、という音をさせたかと思うと、おやと思った次の瞬間にシュワシュワと小さな稲妻みたいな火花を生み出す。それを見た風息があっ、と嬉しそうな声をあげて目を輝かせた。
「ついた!」
「袋の真ん中のほうは無事だったみたいだな」
「ほら、だから言ったろ?」
ちょっぴり誇らしげな顔をしながら、風息が手に持っているのは不発だった焦げ花火だ。自分が当たりを引いたわけでもないのに、皮算用が当たったのを喜ぶ姿がおかしい。笑いを噛み締めながら、無限はなんだかもう言い返してやる気にもなれずにうん、とだけ返した。それから風息も当たりの線香花火をつまんで、「どっちが長くもつか勝負しよう」なんて言うので、二人はせーので同時に花火に火をつけた。
ふたつの火種はぷっくりと育って、ほぼ一斉に火花を生み出した。しゅわぱちしゅわぱちいいながら競うように光って、しかしいちばん盛り上がるあたりで風息のもつ線香花火はあえなくぽとん、とその寿命を終えた。無限のほうはまだ、極小の稲妻が次々に生まれている。
「無限さんのだけなんでそんなに長くパチパチすんの? ズル?」
そんなことを言って風息がえい、と肩をやわくぶつけてくるので、無限もこら、と肩で小突きかえした。
「貴重な一本かもしれないだろう。これが最後だったらどうする」
言ってから、決してはじめは乗り気でなかったのに、いつの間にか季節外れの線香花火を楽しんでいる自分に気がついた。そのおかしさに思わずふっと笑いを漏らした無限になにを思ったのか、風息も楽しそうに笑う。また何度か肩をぶつけあって、そのうちこのほうが風が遮られる、とぴったりくっついたまま二人は次の花火に火をつけて、暗がりで弾ける火花を眺めていた。
懐かれているな、と無限はあらためて思った。風息は出会って日も浅い男と話したり遊んだりするだけでなく、こうして触れ合うことにも抵抗がないようだった。いまだって穏やかな横顔で、ぱちぱち弾ける火花を見つめている。ロウソクの小さな火に照らされて、春の夜の中、頬のつるんとした曲線が産毛でほわんと柔らかそうに浮かび上がっている。きれいな子だ。なんの含みもなくそう思う。
あるいは、無限の方が風息に懐いている、とも言えるのかもしれなかった。自分だって、こんなふうに誰かと親密に近づくことをほとんどしてこなかった人生だ。それなのに風息と話すことも、触れ合うことだって、ごく自然にできてしまうのだから不思議なことだった。滅多にしない一人旅の効能だろうか。
沈黙に飽きたのか、目だけは花火を飽きずに見つめながら、風息は無限さん、質問していい? なんて訊いてくる。いいよと言うと、うーんと考えた素振りをみせてから、風息はいくつか無限に質問を投げかけた。
一人で旅行するの好きなの。いいや、今までしたことがない。なんの先生なんだっけ。歴史文化学だよ。もう具合悪いの治ったの。おかげさまで、元気になったよ。よかったね。
「好きな食べ物ある?」
「んー
……
肉?」
「見かけによらないなー。お袋の味ってやつ?」
「いや、母の料理を食べたことはない。私が赤ん坊のとき亡くなっているから」
ぽと、と風息のもつ花火から火種が落ちて、消えた。無限のほうはもう少しもちそうだ。風息が「じゃあ、父さんと二人暮しなの」と尋ねてくるので、線香花火が落ちないよう目線を外さずにいいや、と否定する。揺れるといけないので、首も振れない。
「父とも長く会っていないな。家出同然に飛び出したきり」
「
………………
無限さんって、意外とアウトローなところあるんだな」
「そうか?」
風息が次の線香花火を手に取る。慎重にロウソクの火の上に垂らして、先端が燃える火の玉になったところでそうっと宙にもどす。少年はしばらく息をひそめて集中して、火種が育つのを見ていた。やがてしわしわしわ
……
と火花が散り出したあたりで、もういちど彼は無限に問いかけてくる。
「家出の理由、聞いてもいい?」
「
……
どこかへ行きたいと思ったから」
「えっ?」
「ばかばかしいと思うだろ? でも、本当にそうなんだ」
無限は、家の中ですべて完結してしまっていた子どものころをかいつまんで風息に教えてやった。おもしろくもないだろうに、風息はじいっと無限の話に耳を傾けている。
「父は母が亡くなってから、恐ろしく思うものが増えたのだと思う。私はずっと家から離れないことを望まれたが、どうしても違う世界で暮らしてみたかったんだ」
今思うと、ただの小さな反抗心だったのかもしれないけど。そう言って無限は乾いたふうに笑ったが、風息は笑わなかった。思いがけず、風息の生い立ちと重なるものがある話をすることになってしまった。なにか、彼の中に響くものがあったのかもしれない。
だからといって、無限は同情がほしかったわけでもないし、風息になにかを説くつもりもない。話題を変えようと、つとめて軽い声をだした。
「実は、大学の講師になったのもそれがきっかけでね」
「え?」
「とにかく家を出る理由を作るのに必死で、はじめはがむしゃらに勉強していたんだが
……
歴史の資料集をさらっている時、ふと、もしかしてこれはすごくおもしろいんじゃないかと気づいてしまったんだ」
それから勉強を続けて、おもしろいと思ったから大学でも関連する授業をとったり調べたりした。それが実になって卒論が評価され、研究職兼講師として大学に残ってはどうか、という打診につながったのだ。おもしろい、なんかでいいの、と風息はいう。おもしろくて、やりたいからそれを選ぶのってありなの。無限は頷いて、それもひとつの道だ、と返した。
「そんなもんなんだ、就職決めるのって」
「そんなもんだ。理由や意味なんてだいたい、気づくと後からついてきているものだ」
「ふーん
…………
」
風息はどこか遠くで聞くようにぼんやりとした返事をする。その横顔を盗み見ると、ぶどう色の目は線香花火を見つめているようで、しかし別のなにかを望洋と眺めているようだった。瞳の中で火花がぱちぱち弾ける。彼が何を考えているのか、無限にはわかるような気もすれば、わからないままでいい気もした。なんにしたって、風息が考えて、選んで、決めればいいことだ。また火花へ視線を戻す。しばらくまた黙って、線香花火を眺めていた。二人の後ろから嵐の気配をした風が吹いていたけれど、肩を寄せた二人の触れ合ったところは鈍くあたたかく、線香花火の火種をおびやかすこともなかった。
何個か当たりの花火を楽しんだけれど、袋の真ん中を過ぎるとまた焦げるだけのハズレを引くようになった。そのあたりで風息が「終わりにしよっか」と切り上げたので、手分けしてロウソクや燃えカスの始末をする。あらかた片付けてから二人は玄関のほうへ回って、宿へ入った。玄関の引き戸を閉めたとたんにビュウ、と一際強い風が戸を叩き、そろそろ本格的に天気が荒れ出したことを知らせる。
「じゃあ、無限さん。あらためてありがとう。なんか、俺の方が楽しんじゃったけど」
「いや、私も楽しかった。花火なんて何年もしてなかったから」
「そう? へへ、ならよかった」
はにかむ風息はほんとうに喜んでいるようだ。それを見ていると、無限のほうまで感情がほころんでくるのだから、やっぱり風息は不思議な少年だった。いや、無限が彼に絆されているだけなのかもしれないけれど。薄暗い宿の廊下で、無限より少し低いところからちょっと見上げるようにして、風息は無限の目をまっすぐ見上げてくる。そこには無限にも見覚えのある思慕の色があった。気安く、信頼を寄せてもいいとみとめる目。
「おやすみ無限さん、また明日」
「ああ。おやすみ、風息」
少年は踵を返した。夜だからかどこか足音をひそめるように、心なしかゆっくりとした足取りで。廊下の奥にその姿が消えるのを見てから、無限も階段を登って自分の部屋へ引っ込んだ。つけっぱなしにしていた蛍光灯を今度こそ消して、暗くなった部屋の中、敷いていた布団の上に膝をつく。結んでいた髪を解くと動いた拍子に、火薬の匂いがふっと鼻を掠めた。髪に染み付いていたらしい。呼吸といっしょに吸い込むと肺の底まで焦げつきそうな匂いだ。きっと風息もあのふわふわした髪から同じ匂いをさせているに違いなかった。でも、と無限は思う。紫煙のそれよりずっといい。苦いばかりの生々しいそれより、どこか甘い火花の匂いが、あの若い少年によっぽど合っている。
寝転んで枕に頬をあずける。胸が満たされる感覚がしていた。目を閉じると瞼の裏に映るのは、花火がついたと目を輝かせる少年の姿だった。彼はささいなことを歓びに思うきらいがあって、それはきっと、朝に彼の祖母が言っていたことと一本線でつながる。外とのつながりもなく、学校にいる時間は限られ、人生のほとんどの時間をこの宿の中で祖父母と過ごしてきたのだろう。
風息のことを憐んでいるわけではない。かわいそうに、と思う気持ちがないわけでもないが、それよりも近いのは共感だった。閉じた嵐の中から抜け出そうとする反抗心を、それを押し潰そうとする諦めを、無限は誰よりも知っている。今の風息の背中は、もうほとんど諦念にのしかかられている。けれど彼の底のほうで、未だ捨てきれない反抗心が見え隠れしている、無限から見た風息はそんな状態に思えた。
ミンや虚淮が望むみたいに、無限という大人が手を貸して、引っ張り上げてやるべきなのかもしれない。けれど、少なくとも、昔の無限はそう思っていなかった。自分の意思で選びたいから、いっそ誰にも助けられたくない。その一心でがむしゃらに進んできた人生だった。家族以外の縁に恵まれてきた自覚はあって、今の自分があることは承知している。けれど自力でもがいた実感が、今の無限を支えている。自分で人生を決めたという事実は、たとえその後にどんな出会いをしても別れを受け入れても、自分という枠を喪わせない堤防となる。風息にも、そういう、絶対になくならないものを得てほしいと思った。生身のまま嵐の中から引っ張り出されても、そのままでは次の嵐に傷つけられるだけだ。
だから無限は、風息に手を差し伸べることはしない。
それでも、ただ彼を見捨てていくことも、もうできそうにない。並んで歩いていただけならそうできたかもしれないけれど、手をつないで、肩を触れ合った今では。限られた残りの時間の中で、せめて彼が苦しい場所ですこし息継ぎをするくらいの、そういう時間をつくってやりたかった。だって彼は、無限の横であんなに安心したように笑う。失った空白を埋めるためではなく、風息のために自分の中に居場所を作りたい。無限はぼんやりとした脳裏に、しかしはっきりと知覚した。
吹き荒ぶ風の音は遠くになる。耳の奥でしゅわぱちと鳴る花火の音を聞きながら、無限は眠りに落ちた。
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