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森永
2022-11-22 20:14:31
17276文字
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春の嵐に紛れて泣いた⑤
無限×風息/くたびれ大学講師×訳アリDKの現パロ続き/軽微なラッキースケベを含みます/まだお互い自覚してない
1
2
3
四日目
嵐の前の静けさ
風に翻るカーテンの影が、机の上で忙しなく踊っている。
室内は密やかな静けさで満たされていて、しゃりしゃりと紙の上を走るシャープペンシルの音や、時折捲られるページの擦れる音も吸い込まれていく。無限がふっと視線を上げると、向かいでは風息が静かに、淀みなくペンを動かしていた。伸ばしっぱなしの前髪がかかってよくは見えないが、紫褐色の瞳はひたとワークに落とされていて、彼が集中している様子がよくわかる。こうしてみると、丸みを帯びていると思った彼の目が案外つり気味で、笑みを浮かべていないとその顔はつめたく見える。片田舎ののどかな風景からは浮きそうな、静謐な顔立ちだった。
一心に問題を解く風息をしばらく眺めていると、集中の切れ目で視線に気が付いたのか、伏せていた瞳を上げた風息と目が合った。見られていたことに驚くでもなく、彼は静かに目を細めて、笑った。
先生。
…………
そろそろ夢を見るのも慣れてきた気がする。
無限はむっくり起き上がって、そのまましばらく静止した。明るくなった障子の向こうから、ちぴぴぴ
…
と鳥の鳴く声が聞こえる。静かな朝だ。かち、こち、という壁掛け時計の針の音を何周ぶんか聞いてから、無限ははああと深く、ふかーく息を吐いた。
(どんな願望の現れなんだ)
悪夢ではなかった。いっそ悪夢であったならどれほど良かったことだろうかとは思ったけれど。断絶した父との記憶でもなく、手放したあの子の記憶でもなく、とうとう風息だけを登場人物にしてしまった。
夢の中で、どうやら無限と風息は勉強会でもしているようだった。風息は黙々と問題を解き、たまに無限に質問をして、問題が解けると笑ってありがとう、と言う
――――
自分はもしかして職業病というものなんだろうか? 無限は額を手で覆いながらうーんと唸った。誰かに教えたい衝動とかそういったものはこれまでに抱いたことはないというのに。
それでも、思い当たることがないでもないのがまた悩ましい。昨夜のこと、大学には行かない、と頑なな口振りの風息がそれだった。別に無限は風息を大学に行かせたいわけではないのだが、人の深層心理とはおそろしいものだ。
昨夜、風の吹く夜の海辺をしばらく二人で歩いた。煙草の火が切れてやっと、それまでのらりくらりしていた風息があっさり「帰ろっか」と言って、宿に戻った二人は暗い廊下で別れた。というより、無限が小言を言った方がいいのか、ただ「おやすみ」と言って見送ればいいのかわからないでまごついているうちに、風息少年の方が何事もないかのようにおやすみ、と言ってふらっと奥の部屋に消えていってしまったので、無限の方もすごすご部屋に戻るしかなかったのだ。
あんたが連れ出してくれる? 少年の言葉が脳裏で再生される。結局無限は風息の問いに答えられなかったけれど、風息はそれを咎めたりしなかった。そもそも初めから、答えなど期待していなかったのかもしれない。あの少年にとってはきっとあれもささやかな非行と同じ、「暇つぶし」だったのだろう。思えば出会った日からそうだった。神社で子どもみたいな仲直りをした時だって、風息の抱えるものを聞き出そうともせず、ただ隣を並んで歩くことしか無限にはできなかった。違ったのはひとつだけ、二人の間で繋いだ手が、吹き抜けようとする風にぶつかっていたことだ。だからどうという事でもないけれど。
「
………………
」
風息と繋いだ手を見下ろす。冷たい少年の膚の感触は、当たり前だけれどもう残ってはいない。ただ乾いた男の手があるだけだ。
(あんなに冷やして、風邪を引かないといいけど)
そんな事を思ってから頭をくしゃくしゃ掻き回した。だったら早いうちに風息を引っ張って戻るべきだったのに、そうできなかったのがなんだか悔しかった。結局あの子のことを気にかけてしまっている。深入りすべきでないと何度も思っているのに、無限にはどうしたって風息というひとりの少年をただ放っておくこともできなかった。無限自身の少年時代が、手放したものの形に残る穴が、記憶の奥から風息のほうへ無限を引き寄せようとしている。
しかしそれも、この町にいるうちだろう。机に放ったままろく触っていなかったスマートフォンがいやに目につく。そろそろ休暇の終わりが近づいていた。
今朝の朝食は、風息の祖母が準備していた。おはようございます、と無限が声をかけると、彼女も配膳の手をとめておはようございますと会釈を返す。用意された席に腰を下ろすと、さっさと踵を返すかと思った老婆は無限が箸に手をつける前にあのう、と声をかけてきた。
「? なんでしょう」
「いえね、うちの孫によくしてくださっているようなので、お礼を言わなきゃと思っていたんですよ」
「え?」
意外な言葉に無限は目を丸くした。そう言われるほど世話を焼いているわけではないし、なんなら自分の方があれこれと世話してもらっている身だ。昨晩など、真夜中にお宅のお孫さんを見つけてそのまま散歩しましたよなんて口が裂けても言えない。そんな無限のうっすらとした不安を知らずに、祖母は余計な愛想をまかない顔に柔和な表情を浮かべている。
「昨日なんて、朝から自分が作るんだなんて言ってね。今まで料理はほとんど手を出していなかったのに、どんな風の吹き回しなのか聞いてみたら、『無限さんが魚好きだって言ってたから』ですって」
「あ、そ、そうだったんですか
……
?」
思わぬところで風息のいじらしい姿を知ってしまい、昨日のあれそれもあったものだから、なんだかどぎまぎしてしまった。してから、何をときめいているんだろうと自問自答する。老婆はええ、と微笑みながら相槌を打っている。そうしていると、垂れがちな目もあいまって、年齢や性別も関係なく愛嬌を感じた。こういう雰囲気は時折風息からも感じるので、やっぱり風息は祖父母によく懐いているのだと改めて思った。
「うちは商いをしてるうえ、爺婆なもので昔っからろくに遊びにも連れてかないで、あの子には退屈させてきましたから
……
あんなに懐くだなんて、きっと、無限さんに構ってもらえたのがよっぽど嬉しかったんでしょう」
だから、ありがとうございます。そう言って頭を下げた老婆に慌ててかぶりを振る。こちらこそ風息にはお世話になっていますから。そう言いながら、どこか複雑な気分だった。ミンが言っていた通り、風息の祖母は彼を可愛がっているし、大事に思っている。きっと祖父も同じなのだろう。言葉や態度の端々から滲む愛情を、きっと聡い風息がいちばん肌で感じている。それが彼をこの場所に引きとどめているのだ。昨夜、あんなに苦しそうに話していたというのに。
老婆はその後も何度か礼を言いながら、やっぱりすたすたと去っていった。ぽつんと広間に残される。つけっぱなしのテレビの中では、アナウンサーがあす嵐になることをつげていた。今日の夜半から風が強まります。明日は終日、暴風雨になることでしょう。窓の外ではそんな気配を微塵も感じさせずに、雲間から覗く太陽が白く輝いていた。
タオルがないことに気づいたのは、部屋の中にぽつぽつと散らばっていた荷物を手持ち無沙汰に整理している時だった。
無限が家を出る前、ものすごく適当に詰めた旅行用の鞄に奇跡的に入っていた一枚で、浴場に持ち込んで体を洗うのに使っているタオルだった。宿で借りているタオルとは混ざらないように使っていたので、間違って洗濯に出したということもない。これは昨日風呂場に忘れたなとため息をつき、無限は腰を上げて部屋出た。
階下に降りるとしんとしていて、改めて自分一人がこの宿に泊まっているのだなと実感する。それなのに二日目の夜から浴場を開けてもらって、贅沢にも貸切状態で入浴できたのだ。もう何度目かもわからない申し訳なさを感じるが、案外、北河や医者が言った通りに羽を伸ばせているのかも知れなかった。ほとんど人に会わない今の環境は、都心で働いている頃より確実にストレスから遠ざかっている。
そんなことをつらつら考えながら脱衣所の暖簾をくぐると、締め切られた浴場のガラス戸越しに水音が響いていた。誰か使っているのか、と一瞬頭をよぎったけれど、水の音と一緒に床を擦る音もしゃかしゃか聞こえたので、おそらく風息か彼の祖父が掃除でもしているのだろう。声をかけるか少し迷ったが、うろつかせた視界の端に目的のタオルが見えたので、そっと取って出ようと洗面台に足を向けた。水気を絞ったあと、蛇口の横に置いたまま忘れていたらしい。無限がタオルを取ると、洗面台に合わせて置かれた椅子の一つに布がかけられているのに気がついた。こんなもの、昨日はあったろうかと無限は首を捻る。
その瞬間、計ったように浴場のガラス戸ががららと開けられて、驚いた拍子に無限は視線をそちらに向けて、次の瞬間には硬直した。
「あ、無限さん?」
思った通り、風呂掃除をしていたのは風息だった。湯を使っていたのか、熱気にうっすら汗ばんで、細い毛が頬に張り付いている。邪魔だったのか、肩口まで伸びた髪は雑多に括られていた。無限が驚いたのはそのせいではなく、彼が痩せぎすの上半身になにも纏っていなかったからだ。
日に晒されることのないであろう、生白い皮膚が、鎖骨や肋骨の形に凹凸をつくっているのが、昼の明るさのせいで嫌にくっきりと無限の目に焼きついた。肩のあたりは男っぽく筋張っているが、腰がちょっと怖くなるくらい、細い。同性の裸を見慣れているとは決していえないが、それでも衝撃を受けることでもないだろうに、無限は風息から目が離せないまま完全に硬直していた。びっくりした顔で黙り込む無限をどう捉えたのか、風息は一つ瞬くと自分の体を見下ろしてへへ、とはにかんでみせる。
「風呂掃除してると暑くって
……
ばあちゃんには内緒にしてな」
行儀悪いって怒られるから、と言いながら、風息はそばの椅子に被せていた紺のTシャツを頭から被った。汗ばんでつやつやにひかる肩が布地に隠されていく。ああそれは風息の服だったのか、とぼんやり思いながら、無限はやっとタオルをありえないくらいの力で握りしめている自分の手を自覚した。かわいそうなタオルはぐしゃぐしゃに皺よっている。
「無限さんはなんで風呂にいるの?」
そう言って風息が首を傾げ、何故か無限はグッと息を詰めながら「忘れ物を取りに」とちょっと掠れた声で答えた。無限の手の中でクタクタになったタオルを見て、風息はああ、と納得した声をあげる。
「それ、やっぱ無限さんのだったんだ。掃除したあとで部屋に持っていこうと思ってたんだよな」
「部屋に
……
!?」
「え、うん」
思わず声を上げてしまった無限にびくりとしながら、風息は「まずかった?」と目を瞬かせている。自分でも自分があげた声に驚きながら、無限は慌てていや違うそうじゃないと首を振った。なぜ今、驚いて大声を出してしまったのだろう。気まずさを感じていると、風息は不思議そうに首をひねりつつも掃除に戻ると言って踵を返した。ああ、とか、うん、とか答えながら、後ろを向いた風息の、髪を上げてあらわになった首筋を凝視しそうになって、無限は視線を無理矢理引き剥がしてほとんど逃げるように脱衣所から出た。
「なんだったんだ
……
?」
部屋に戻って自分の誤作動じみた言動を思い返した無限と、無限の不可解な様子を思い出しながら掃除をする風息が、ほぼ同じタイミングで呟いたのは、本人たちの知る由もなかった。
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