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森永
2022-11-14 16:26:22
20355文字
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春の嵐に紛れて泣いた①
無限×風息/くたびれ大学講師と訳アリDKの現パロ/続きます/またあんまり無風してない
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そして、今に至る。
目の前の景色を無感動に眺めながら、無限は友人の言葉を思い出していた。
青い海、広い空、眩しい光、快活な漁師たちの声ーーーーーは、どれも影も形もない。古びたバス停で下ろされた無限の目の前に広がっているのは、どんよりと曇った空に、鈍い色の水平線、生臭い潮のにおいに、ギャアギャアとやかましい海鳥の鳴き声だけだ。
バカンス、という字面から遥かに遠いものが、狭い視界にぎゅっと収められている。どこかペトペトとした生ぬるい海風に、伸ばしっぱなしの髪が靡いて頬に当たるのが鬱陶しい。しかしそれをいちいち払うのもまた億劫だった。
休むといっても何をしたらいいのか、どこに行けばいいのかさっぱり頭が動かない無限を見かねて、北河は旅行先にいくつかの地名を並べ立てた。どれも彼が訪れたことのある場所で、なおかつ「なんもなくて死ぬほどのんびりできる」ところ、らしい。そのうちで、無限がそこを選んだのは、確たる理由があったわけではない。完全になんとなく、だった。ぼんやり聞いているなかで、最後に説明されたからかもしれない。他の地名は砂で書いた文字みたいに脳裏から消え去ってしまった。
そこにする、と深く考えずに言い放った無限に、北河はなにかフギャフギャ言っていた気もするが、気にせず新幹線の切符をとって出てきた訳だが、着いてみればどうしたことか、彼が言っていたのとはだいぶ様子が異なっている。北河はここに一度滞在したことがあるらしく(彼は各地を転々としながらいろんな病院関係の施設を渡り歩いている)、その時にこの土地の雰囲気や環境をいたく気に入って無限の療養休暇にもすすめたそうだがーーーー果たして、実際に目の当たりにした風景は、心癒されるものとは程遠い。もしかして、無限が放心してろくに聞いちゃいなかったあの「フギャフギャ」の部分で何か補足されていたのかもしれないが、もはや後の祭りだった。
どこかもったりとした空気で、肺が湿っていくような感じさえする。春の気配も濃くなった三月だが、季節の変わり目というのは得てして快適な気候ではないものである。うららかなとはお世辞にもいえない湿っぽい風景は、心身ともにくたびれきった男を慰めるにはどうにも役不足なのだった。
しばらくぼーっと突っ立っていた無限だが、どんよりとした空の下にどんよりとした顔の男が立っていてもしょうがない、とのろのろとした動きで足を踏み出した。特に何も考えていなかったが、お節介の下に心配そうな色を覗かせる北河の顔を思い出して湧いた、一種の使命感のためだった。
下車したバス停の向かい側は堤防になっていて、道なりに進めば海に降りられる階段らしきものがありそうだったので、ひとまずはそこを目指すことにする。人っこ一人いない通りに、観光どころか人もちゃんと住んでいるのかさえ疑わしい。
無限は道路を突っ切って向かい側に渡った。腰くらいの高さの堤防から覗いてみると、すぐ下は砂浜ではなく防波堤へと続くコンクリ敷の道になっている。目線を動かすと、少し離れたところに漁船が並ぶ小規模な漁港のような場所があって、やはり想像していたバカンスの地ではなく、ごく普通のこぢんまりとした漁師町、といった風だった。
とはいえ、当てが外れたと言っても、そもそも無限は泳いだりだの観光したりだの、といった典型的なバカンスをしにきたわけではない。北河に休めと言われ、北河にここがいいと薦めてもらったためにここにいるだけなのだ。期待がないぶん、不満も何もあるはずがなかった。
しかしそれにしたって何もない。
どうしたものかな、と回らない頭で考えながら、特に綺麗でもない海を眺めていると、不意に何かが視界の隅でちらついた。
つと視線をめぐらせると、見下ろした防波堤の波打ち際に、何かがぱらぱらと揺れている。波の泡かとも思ったが、違う。特に気になるわけではなかったが、他に見るものもないので、無限はなんとなく、それを近くで確かめに行こうと踵を返した。
すぐ近くに下へ降りる階段があったので、風化しかけて丸くなった角に足を滑らせないように気をつけながら下る。降りてみると、堤防に張り付くように作られた道は大人がふたりほど腕を広げたくらいに広い。堤防が張り出すようになっているから、上からは幅がわかりにくかったのだろう。
さっき見下ろした、防波堤の起点となる角になったあたりを無限は覗き込む。だぷだぷと揺れる濁った波間に、なにか白っぽい欠片がいくつも浮かんでいた。季節からいって早咲きの桜だろうか、しかしそれにしては大きくて歪なかたちをしている。なんとなく眺めていると目が慣れて、その無数の断片に何か文字のような模様が見えた。花や葉の模様ではない。無意識にその正体を確かめるために、膝を折ってかがんだ無限は水面に身を乗り出して欠片の正体を探った。何か、見覚えがあった気がしたのだ。コンクリートに手をついて、目を細めながら記憶を探る。どこで見たのだったか、あれは。指先を乾いた感触が伝う。
と、その背に降ってくる声があった。
「おーい、落ちるぞ」
は、として振り返ると、いつの間にそこにいたのか、ひとりの少年がポケットに手を突っ込んで佇んでいる。中学生か高校生くらいだろうか、薄い笑みを浮かべた顔は人懐っこくも、警戒心を秘めているようにも見える。まるで猫のように。
まだ衣替えにはだいぶ早いというのに、少年は、長袖の開襟シャツの袖をまくっている。くしゃくしゃに重なった袖口のせいでやけに細っこく見える手首をみて、こんなびゅうびゅう吹く風の中で寒くないのだろうか、と関係のないことが脳裏を掠めた。
咄嗟に言葉が出ずぼんやり見上げる無限に、軽い調子で少年は続けた。
「今日は海が荒れてるからさ、泳ぐのは別の日にした方がいいと思う」
「
……
いや、
…
ああ」
泳ぐつもりはないとかなんとか、それだけのことを口にするのも億劫だ。ましてや初対面の年端も行かないこどもに。やっとそれだけ返した無限を不審がる様子もなくーーー内心ではどうか知らないが、少年は「お兄さん、観光客?」と首を傾げて見せる。
「まあ
…
そんなところだ」
「ふうん。めずらしいね、いま完全にオフシーズンなのに」
オフシーズン、という言葉に、閑散とした街の様子を思い出した無限はそうかと納得した。確か、北河が訪れた時は夏の頃だったのだ。そんな話をしていたような気がする。
「この時期、季節の変わり目でよく天気が荒れるから、ほとんど人来ないんだよな。おにいさん、物好きな人?」
訊ねる少年は無邪気な様子で、悪意はない。だがその分、純粋な好奇心にはまたなんとも答えがたく、無限は地面から膝を離して立ち上がりながら「まあ、そうかもしれない」などと曖昧な返事をした。
また、風に煽られた髪が頬を叩く。無限より少しばかり目線の低い少年の、毛先が跳ねた髪もぱらぱらと煽られて、薄い顎の輪郭を叩いている。彼の言う通り、これからもっと荒れそうな予感をあたえる風が海から吹いてきていた。
「たぶん近いうちに嵐になるから、しばらくいるなら気をつけなよ」
それだけ言うと、少年はさっさと歩き出した。ともすれば強風に煽られそうな軽やかな足取りで、しかしその背中は一筋もぶれることなく歩いていく。肩口まで伸びた髪の先と、開襟シャツの裾ばかりがはためいていた。遠ざかる背をぼんやりと見送った無限は、バス停からここまで、花のひとつも咲いていなかったことを今更思い出した。
では打ち寄せるこれはなんなのだろう。無限はもう一度、茫洋とした視線を激しく揺蕩う水面に落としたが、ふやけた脳みそではついぞ、見覚えの正体に行き着くことはできなかった。
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