Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
fleetinggame
2024-12-10 21:36:39
23589文字
Public
作品
Clear cache
コバルトブルーに焦がれて
昔書いたなーっていうのを引っ張り出してきたもの
南国少年パプワくんのマジシンだよ
1
2
*****
作戦の行動の開始は日が暮れてから。
見張りの交代の間隔が格段に長くなり、配置人員も少なくなるという理由でだ。
丁度倉庫によって死角となる、日干し煉瓦で塗り固められた塀を乗り越え、敷地内に音もなくシンタローは侵入した。
夜間の行動は視界が妨げられ、こちらの方も動きに制限がかかるが、それは相手も同じである。
暗視ゴーグルの光量を再度微調整し、辺りを覗う。
資料によれば、今日の警備は九人。正面入り口と、裏口、あとは各ブロックを二人一組の六人の見張りが巡回するルーティンをくまれているらしい。一人が中央の見張り台に登り、サーチライトの操作をしている。
建物は居住部と、現在目の前にある物資倉庫、主に日中使用されている建物の三つという簡単な作りだ。
目的地は居住部側にある簡易入り口から中心の建物内に入り、二階へ上がる必要がある。設備に監視カメラなどの機器は設置されていないとのことなので、あとは人をどうにかするかだ。
行動を行う前に、倉庫の裏にある配電盤の扉を開けた。渡されていた資料を思い出しつつ、配線系統をさっと眺める。
特に変化はないようなので、設備に変更はないだろう。念のため、遠隔で動作する爆弾を樹脂で張り付け、また扉を元に戻す。
丁度、巡回のコースなのだろう。足音が近づいてきた。
一人のようである。
もう一人近くにいるはずだが、それぞれ別々に動いて、異変があったときのみ素早く確認できるようにしているのかもしれない。倉庫の壁に隠れて、その背中を視線で追う。
ゴーグルには、温度の変化なども関知して、ここ一時間以内の足跡なども確認することができる機能がついていた。先ほどの見張りとはまた別の、最近ついたばかりの足跡をたどって持ち主を探せば、奥側の居住区側の方をぐるぐると回っているようだ。
といってもこちらのように暗視ゴーグルをつけるわけでもないので、サーチライトと、手元の明かりを頼りに確認をしているのだろう。
時折眠たげにあくびを漏らしている。
巡回経路がサーチライトに連動しているようでもなく、見張りも休み休みどこかしらに座っていることがあるようだった。
一通り確認して、そっとシンタローは腰を上げる。
ほぼ状況は報告通りだ。ならばあとは最善の仕事をこなすしかない。また足音が先ほどと同じリズムで近づいてきている。緩みきった、足音だった。
倉庫の壁を通り過ぎた瞬間に、背後をとって、そのまま昏倒させる。
夜の気配に紛れるよう、シンタローの全身は黒一色の装備だ。潜入作戦なので、ほぼ武装も最低限である。
肉眼で把握したものは、しなやかな影に人間が転ばされてその場にへたり込んだように見えただろう。
サーチライトは建物の向こうにあり、もう一人の見張りは目の前で仲間が倒れる様をみていたが、にわかに何が起こったのか把握できないようだった。
少しおどけた、軽い誰何の声をあげつつ、こちらに寄ってこようとする。もちろん答えなど返ってはこない。
闇を縫って、兵士の影からほぼ一足飛びにシンタローは距離を詰めると、先ほどと同じように標的の意識を奪った。
突然のことに対応しきれなかったのだろう。抵抗の声を上げることもない。申し訳程度に装備された武器がむなしく映る。
敵ながらも複雑な心境に半ば苦笑しながらも、都合はいいのでそのまま壁にもたれかけさせて、休憩しているようにみせる。もう一人も同じように整えると、サーチライトからはみえないように物陰に潜んで、さらに奥へ進むことにした。
幸い、居住区と中心の建物を結ぶ入り口には見張りはいないようだ。鍵もかかってはいない。
扉の前でしばし向こう側の気配を探るが、背後の居住区よりこぼれる物音のほうが賑やかなくらいで、夜間はあまり人がいないらしい。資料でもここは日中兵士が作戦を話し合ったり、教練の場に充てるなど、夜間は使われていないとのことだった。
慎重に扉を開け、経路を確認する。通路の明かりはつけられていないようだった。
窓からかろうじて取り入れられる外光が、ぼうっと壁に反射している。土埃のあがる床は、所々に資材が散らかり、各部屋は今は使われていないのかどこも暗かった。
鉄骨でできた階段を上がり、隅にある目的地へ進む。
むっと。火薬と鉄の臭いが鼻先を掠めた。
よくみれば真新しい銃弾の跡が点在し、黒々とした染みなのか焼け跡なのかわからないものが壁のそこかしこを彩っていた。
一階よりは足下に散らばる障害物が減ってはいるが、それは不自然に片づけられているからだ。拾いきれなかったのか、焼け焦げた破片が隅に固められている。
ここで最近、戦闘があったのだ。しかもかなり激しいものだったに違いない。
任務で依頼された回収物が巻き添えで破損していなければいいが。と顔をしかめつつ、目的の部屋の扉に手をかけた時だった。
ふと、ここで起こった戦闘についての情報は、事前資料にのってはいなかった。と思い出す。
勿論、斥候が不要と思うほど、今回の任務には関係のない事案だったのかもしれない。小規模な戦闘を幾度か繰り返している集団である。こういった小競り合いは日常茶飯事ということもあり得る。
では何故、この基地の兵士はあれほどに緩みきっていたのだろう。
敵の襲撃が日常茶飯事なのであれば、もっと警戒態勢に気を配るべきではないのか。なるべく被害を少ない状態で潜入を行うようにという達しの通り遂行はしたものの、今しがた自分がついてきた警備の穴は、何か違和感を感じざるをえなかったとシンタローは振り返る。
常に各国に戦争を仕掛けている軍隊と、小国の有志の集団との練度の違いといわれればそれまでなのだが。
嫌な予感がした。
もう目的地は目と鼻の先だ。あと一押しで扉を押してしまえば、たどり着く。
だがその一歩を踏み出してしまえば、今までのけして平穏ではないが、それなりに充実感に溢れている日常が途端に消え失せるのではないかという恐れが手を震わせていた。
引き返すべきか。
前へ進む決断は時に必要であり、意図的に伏せられた情報であれば知らぬほうがよいケースもある。作戦の手足である兵士に、余計な判断をさせない場合などにとられることは多々あるのだ。時にそれが悪用される場合もあるが、少なくとも己の上官がそのようなことを行う人間でないことはこの数年のつきあいで身にしみて実感している。
だが、逆に可能性を一つ潰されたことで、得体の知れなさが余計に膨れ上がるのも事実だった。
ゆっくりと、扉の取っ手から手を離す。
不服ではあるが、再度潜入するにも自分ならばそう難しくはない。それに、もしここで相手方がここで罠を仕掛けているとするならば、それは此方の狙いを知っている可能性が高いだろう。目的のものが最悪、別の場所に移されている可能性もある。
いくつかの事項を弾き出して言い聞かせ、焦りと苛立ちを何とか押しとどめて、踵を返そうとした時だった。
「おや、入らないのかい?」
聞き慣れた。
けれどここに居るはずのない声がした。よりによって、扉の向こうから。
*****
開け放たれた扉の向こうは、おぞましい化け物も、得体の知れない空間も、無数の敵の兵士も居なかった。
殺風景な壁や床には不似合いな、どこか仰々しいロココ調のカーペットに、セットで誂えられたような数人掛けのソファーが数脚にテーブルと、簡易な応接室のようになっている。テーブルの上には瀟洒なティーセットがしつらえられ、温かな紅茶の香りが部屋を満たしていた。
別の意味で廊下とは180度世界が違いすぎて不気味だ。
だがそのへんてこな空間に当然のように鎮座している主の正体と、普段の行動を考えれば別に驚くことではなかった。
硬質な輝きを纏った王蜜色の髪に、深い色を湛えた青色の双眸。
均整のとれた身体を象徴するように、組まれた脚は優美なラインを描く。研ぎ澄まされた美貌は、一度見てしまえば忘れようもない存在感を放っていた。
「やあシンちゃん。どうしたんだい?ずっと会えるのを待ちわびてたんだけど、パパだけだったのかな?ほら入って入って」
そういうなり、にこやかに己の向かい側の席を指す。
座れということらしい。
現在のこの男と、己の関係を考えるととてもではないがシンタローはそんな気にはなれなかったが、このまま立ち去ってもあまり面白いことにならないのは明白だった。
この男は気が乗れば此方の神経を逆撫でることをいくらでも平気でするし、むしろそこに喜びを感じることすらある素振りを見せるが、必要でなければしないのも事実なのだ。そして目的があるのであれば確実にやり遂げる男でもあった。
「今日が何の日か覚えている?」
渋々ながらに席について一番、相手が口火を切る。
結構な期間こちらからはまともに口を利いてなどいないはずなのだが、どこか無邪気な口調は相変わらず変わらない。声音の甘さも外見も全く違うはずなのに、シンタローの従兄弟にあたる男を連想させて、またそれが一層気に障る。
とりあえず知るかと無言で返すと、えーヒドいなー傷ついちゃうーといいながら、いい年をした男がわざとらしくハンカチを取り出して泣く真似をする。
こういうところもやはり似ている。ついでに小芝居に気が済むと途端に冷めた顔に戻るのも同じだ。
どんな表情でも、雄弁に作ることができるのだと、言っているようなものである。本人たちに自覚があるかどうかはわからないが。
どうせ聞いても欲しい答えは返ってこないし、またシンタローとしては知りたくもなかった。
「今日はシンちゃんの誕生日でしょう。せっかく家で祝いたかったのに、また任務地で過ごすとかいうからさ。もったいないじゃないか。なのでパパのほうから来ちゃった」
こともなげに、言う。
世界征服という馬鹿げた夢のために、男は多忙を極めているはずだ。実際になにがしかの記念日に、この男がまともに家にいることの方が珍しかった。
大体、こんな辺境も辺境の土地などに、そんな理由でくること自体がおかしいのだ。おおかた、なにかの用事で近くに滞在の予定があったのだろう。
「今回は全部、あんたの茶番だったのか?」
「うん?」
「だから、この悪趣味な。くそったれな任務のことだよ」
苛立つ心のままに、つけていたゴーグルをテーブルに投げ出す。邪魔にならないように結われていた髪が、ほどけて一気に流れ落ちるが、構ってなど居られなかった。
回収するべき品など、最初から存在しなかったのだ。忌々しい。
こんな場所に趣味の家具を運び込むほどだ、とっくにここはガンマ団の勢力下に組み込まれて居るに違いない。どおりで見張りも気が抜けているはずである。
わざわざ現地の兵の衣装を部下に着せたり、偽の情報をシンタローの隊に流したり、することが悪趣味以外の何物でもない。
男は彼の父であり、上司だった。しかも組織の頂点に立つ存在なのだ。指一本動かすよりもたやすく、呼びつけられる筈だった。わざわざそれをしないのが、シンタローの癪に触る。
のこのことおびき出されて、右往左往していた己の姿が滑稽に思えてしょうがない。
さすがに無言の抗議を読みとったのか、マジックはくつろいだ姿勢を少し改めた。
「だって、シンちゃん呼んでもなにかにつけてすっぽかすでしょ」
読まれている。
実際ここのところ、とみに顔をあわさないように避けているのは事実だった。だからこそ、こんな手の込んだ嫌がらせを仕掛けてきたのかもしれない。余計にシンタローとしては、ただでさえ最悪な心証がさらに急降下で墜落していくことになるのだが。マジックにとって、そんなことは多分どうでもいいのだ。
彼は息子を溺愛しているが、それ以上に自身の感情を優先する場合が多い。なんともはた迷惑な存在である。
だがこの災害のような男の振るう力は、実力に基づくものなのだ。
なんとか追いつこうと力を磨けば磨くほど、その差をシンタローが実感するのも事実なのである。いまだにどうやって開いた距離を縮められるのか、見当もつかないのが本音だった。完璧すぎるが故に、これほどまでに強烈な他者へのプレッシャーを与える存在はそうはいまい。
そしてそれは後継者であるシンタローも例外ではなかった。
むしろ一番劣等感を刺激されているのは、ほかならぬ彼なのかもしれない。だからこそ、敢えて距離をとることをシンタローは選んだ。無駄に磨耗することを、良しとしなかったからである。
そんな息子の心境など、知る由もなく、いや知っていてもなおマジックの態度は変わらなかった。今もまた、楽しくてたまらないとでも言うようにシンタローへ紅茶を煎れてみせる。
マジックのお気に入りの品だ。
特別に彼のために誂えられた世界でただ一つの銘柄だという。家にいたときはよく飲んでいた、懐かしい香りだった。
「最初はねーシンちゃんのお世話になってるとこの隊長にどうしてるのかなってちょっと話を聞くつもりだったんだけど、もーすごく意気投合しちゃって。頑張ってるんだって?あの子そんなお世辞とか言うタイプじゃないのに手放しでシンちゃんの功績褒め倒すからさあ」
「は!?」
いつもは厳めしくしかめられた実直な顔を思い出して、シンタローはいろいろな意味で仰天した。
普段口数の少ない寡黙な隊長が何を喋るのか、想像できなかったからだ。授業参観にもまともにこなかった男が、今更何をしているのだろう。
「だからつい、成長っぷりがみたいなあっておねだりしちゃったんだ」
予想外なこそばゆさに震えるシンタローに、いたずらっぽい声が告げる。
どんなに邪険に扱っても、結局いつだってこの男は変わらない。
「強くなったね。身のこなしに迷いがなくなったみたいだ。いろいろな種類の任務をこなしてきたから度胸がついたのかな」
些細なことでも、さも自分のことのように、喜んでみせる。それが昔は、たまらなく誇らしかった。
あの時と違って、ここは生まれ育った場所から遠く離れた僻地で、褒められたのは人を殺すための技術だというのに。
受け取ったカップの温かさと、懐かしい香りが錯覚させたのだろうか。
ざわめく心をごまかすために、シンタローは紅茶を飲み干した。
「わざわざ部下も巻き込んでくだらないことをするなよ。あいつらも迷惑だろ」
多分シンタローが気絶させた二人は半日は意識が戻らないはずだ。まさかはた迷惑な家族間の問題に巻き込まれるとは思っていなかっただろう。そう考えると少し気が重い。
さらに深くなった眉間をみてか、マジックは苦笑する。
「大丈夫だよー。入隊時に命を落としても文句はいいませんって契約してあるし」
「そういう問題じゃないだろ」
「そういう問題だよ。任務に重いも、軽いもない。彼らは命を懸けて私に仕えることを誓っている。私のために死ねるなら本望なんだ」
ごく当たり前な、自然の摂理を語るかのような口調だった。昔であれば、そういうものなのか。と頷いてしまっただろう。
だが命を奪う行為の重さを。その虚しさを知ってしまった今は。たやすく切り捨てる口調に、苛立たしさの方が勝ってしまう。
今更偽善者ぶって人を殺すな。と綺麗事をいえる立場でもないが、本質を知っているからこそ語れることもある。
「なら余計に大切にしろよ。無駄にしていいものじゃない」
手段を選ばない外道であれば命を狙う敵は無限大に増える可能性こそあれ、その逆を失って、また次も見つけられるかと言えば可能性は低くなっていくばかりなのである。
なのにこの男は容易くその存在を切り捨てるようなそぶりを見せる。
それほどまでに、この男にとって他者とは価値のないものなのだろうか。きっと、どれほどの血が流れても、この男は眉一つ動かさずに済ませることができるだろう。容易に想像できるのが、悲しい。
自らの手で、その命をつみ取ることの意味を真に知っているからこそ質が悪い。常人には到達できない領域だ。
シンタローには無理だろうと、まるであざ笑われている気分になる。
「シンちゃんは優しいね」
責められるべきは全面的にこの男のはずなのだが。
シンタローを見つめてくる瞳は、どこかこちらが罪悪感を覚えるほどに痛ましさをにじませていた。
「でもその甘さはお前を殺すよ」
神妙な面もちで、長い足を組み替えて、浅いため息をマジックはつく。何かが、男の中で決定づけられたことが、その一言でわかった。
もうそこに、先ほどまでの雑談を楽しんでいる父親はいない。
「今日から本部に戻りなさい。次はもっと次期総帥としてふさわしいことを覚えないといけないからね」
「はあ!?何だよ急に」
抗議の意も込めて、乱暴にカップを置くが、相手はそちらを見もしない。
「何って。後継者としてお披露目していかなきゃいけないし、今までもずいぶん待ったんだ。もう十分だろう?」
そう言ってマジックは、慣れた手つきで傍らに置いていた携帯端末に指を滑らす。多分今までは人払いをしていたのだろう。
息を潜めていた気配が、途端に動き出す。どこに用意しているのか、ヘリの音まで聞こえてきた。
「待てよ。俺は今いろいろ隊の仕事を受け持ってるし。いきなりそんな」
「軍に所属するならば、突然の配置換えなんて日常茶飯事だろう?」
「それはそうだけど。それに
……
俺はまだ、アンタの後継者として名乗りを上げるには経験も実力も足りないと思う。もっと学ぶべきことはいろいろあるんだ。そして、それはアンタの元じゃない」
「なるほど、学び終わるまでまってほしいんだね?」
「あ、ああ」
「で、それが終わるのはいつかな?」
男の目は、全く笑っていなかった。
部屋の空気が瞬く間に下がる気がする。ここは熱帯に属する地域で、夜でも尚その暑さに辟易することもあるというのに。
「時期が早すぎるというなら、パパはシンちゃんがもっと小さかった頃に、総帥になったよ?」
「それはアンタが・・・違うからだ」
「違う?なにが?」
返す声は限りなく優しい。
だからこそ、余計に此方の意見が相手になどされていないということがわかる。
最近はいつだってこうだ。話せば話すほど、二人の間に横たわる溝が絶対的なものであることを実感してしまう。ちっぽけな己の非力さと、認められないことに対する苛立ちは、いつからか常にシンタローの心を蝕むようになった。
努めて意識しないようにしても、虚勢にくるまれた内面はたやすく暴かれてしまう。
縮こまるシンタローに、男はそっと近づいてくる。強ばる肩に手が置かれた。宥めるような仕草だった。
「僻地の隅っこでうずくまって、何ができるというの?そうだね。おまえはここではさぞ役に立っただろう。必要とされただろう。あたりまえだ。それ以上の働きをするように教育を受け、磨き上げられてきたのだから。けれどね、その力はお前のちっぽけな自尊心を満たすためのものではないんだよ」
見るものの魂を、一瞬で喰らい尽くすような残酷な眼差しがのぞき込んでくる。
ずっと、シンタローが憧れ、畏怖し、恋いこがれてやまないものだった。けして手には入らないと知っているからこそ余計に、その透き通った青色に心を揺さぶられるのかもしれない。
だが余りに純粋すぎるが故に、あらゆる異物を許さないあの湖のように。真実を見通す瞳は、甘い嘘などけして許しはしなかった。心をえぐる、容赦ない台詞に、シンタローは頭が真っ白になる。
「なんだよそれ」
絞りだせたのは、ようやく一言。
ガンマ団の総帥の後継者として望まれた、華々しい活躍から逸れた選択をしたのは重々承知している。だが、それでも自分で必要だと選んだ道なのだ。
相手の勝手な都合で間違っていると突きつけられて、怒りを覚えないはずがない。気がつけば緊張で冷え切っていた拳を、ぎゅっと握りしめている。
「俺はいかない」
未だに心は揺らいだままだったが、なんとか鼓舞してシンタローはマジックの腕を振り払った。相手が部屋を出ていかない限り、動くつもりはないという意思表示である。
一方マジックは、困ったようにため息をついた。振り払われた手を名残惜しそうにしながらも、もう一度元の椅子に座り直した。
「わからずやだね。パパはシンちゃんのことを思って言ってるんだよ」
「必要ない。俺のことは俺が決める」
「みっともないことになっても、後で泣くのはシンちゃんだよ?」
「いつまでも子ども扱いしてんじゃねーよ。自分で決めたことに責任はとるさ」
たとえそれが、他人にとってはくだらなく思えても。シンタローは本気だったし、だからこそたやすく譲りたくはなかった。
しばし無言の沈黙が横たわり、先に動いたのはマジックの方だった。
にらみつけてくる我が子の視線に耐えかねるように首を振る。
「そう、なら仕方ない」
酷く。残念そうな響きだった。
同時に、愚か者をあざける酷薄さも宿していた。
違和感を感じて、身構えようとしたシンタローは、ふと己の体の異変に気づく。
体に力が入らないのだ。
バランスの取り方を忘れてしまったかのように、がくりと肩が揺れる。なんとか椅子に掴まって体勢を整えようとするが、足で体重を支えるのも困難になってきた。
「アンタ・・・何を?」
唸るように言ってから、先ほど飲まされた紅茶のことを思い出す。
そして理解した。
わざわざ説得する態度をとってみせながら、結局のところ、この男は何も信じてはいなかったのだ。
「だからいったのに。選んだのはシンちゃんだよ?」
あと、やっぱり甘すぎるから、教育が必要だね。
勝利を確信した男は、あっけらかんと笑ってみせる。
怒りで頭が沸騰しそうだったが、その感情さえも急速に、シンタローからはもぎ取られていく。
視界がぐらぐら揺れる。猛烈な吐き気に襲われて、自分が立っているのか、座っているのかも判断つかない状態になってきた。
多分このまま意識を手放してしまえば一気に楽になれるのだろう。だがそれを、彼の自尊心が許さない。
薄れゆく意識の中で、絨毯の下に広がる、血だまりの跡が見えた。ここはシンタローがくる前に制圧されたのだ。
廊下があれだけだったのだから、中も相当な惨状だったに違いない。派手な調度品は、それを隠す為のものでもあったのだろう。吐き気がするほど悪趣味だが、ガンマ団という存在を見事に表しているものでもあった。
沢山の人の血を吸って、屍を踏みつけて。築き上げた躯の丘を虚飾で飾りたてた玉座で、覇王は世界を睥睨している。
そしてその次なる主となるべく、シンタローは捧げられるのだ。
そんなのは御免だった。
全てをあげる。と覇王は言った。
けれど欲しい物はいつだってシンタローの手から取り上げられていく。自分で選ぶこともできないのであれば、与えられるものにどれほどの価値があるというのか。
それでも今の今まで、反発しながらもその行為のおぞましさから目を逸らしていた己に、怒りを通り越して、シンタローは笑いがこみ上げてきた。自分なりになんとか高みを目指せば、この焦燥の答えをいつか掴めるのかもしれないと願っていた。
分相応だと影で笑われても、歯を食いしばって耐えてきたのはそのためだ。
かつての思い出が、心の支えにするに値するものだと思っていたからだ。けれど改めてマジックという男に向き合って、直感する。
一族の宿業の前では、なにもかもが意味をなさないのだと。
定められた憎悪の連鎖に、身を任せる以外の選択肢がシンタローには用意されてなどいないのだ。
幽閉されてからずっと、写真でしか眺めることのできない幼い顔を思い出し、シンタローは唸る。
たとえどんな手を使っても、彼は守ると決めたのだ。親であるマジックが、切り捨てるのであれば尚更である。
「貴方は愚直な奴隷ね」
かつて、女に言われた言葉を思い出す。
確かにそうだ。言い訳ばかりをして、日々に埋没していた奴隷だったのだと、シンタローは認める。
そんな簡単なことにも、今の今まで気づかなかった己に、そしてこれからも変わらぬであろう父親への怒りが彼の中で荒れ狂うかのようだった。
*****
思いの外、時間がかかった。
我が息子ながら呆れるほどの意志力だとマジックはかるく息を吐く。
常人であればほぼ数分で眠りにつく薬を盛ったはずなのだが、三十分ほど持ちこたえてみせたのである。さすがに体を動かすことはまともにできずに椅子にもたれ掛かっていたが、意識を完全に失う手前まで悪鬼のような形相でこちらを睨みつけていた。目が覚めたときは、それなりの覚悟をしないといけないかもしれない。
時折シンタローはこうしてこちらの予想を上回ることをしてみせる。
今回の任地での活躍もそうだ。
不慣れな土地での地味だが忍耐のいる作業に、すぐに音をあげるかと思えば意外とすんなり馴染んでしまった。雑用も苦もなく引き受けてそれなりに器用にこなすので重宝がられた上に、様々なことに手を貸すことで部隊内の事情に精通し、全体を見通した業務の改善や兵の技術向上などにも貢献していたらしい。
士官学校時代も常に人の輪の中で注目を集める子ではあったが、実践的な技能をみにつけて更に立ち回りに洗練された感がある。
しかしそれは人に寄り添った指揮官のあり方だ。
ある程度の地位に止まるならば良い傾向であるが、彼はいずれ組織の頂点を担うことになるのだ。総帥という立場に立つのであれば、更に違った視点での判断を行う必要がある。
強引な手段で介入したのは、マジックに多少の焦りがあったのかもしれない。
知識と経験を吸収すればするほど、息子の抵抗は激しさを増す一方なのである。
さらに仕方がないこととはいえ、弟を取り上げてからは余計に事態は悪化した。本音を言えば、まともに会話ができると思ってもいなかったのだ。もっとうまい立ち回り方があるだろうにと我ながら思うのだが、家族と向き合う時にはどうにも感情が先走ってしまうことがある。
いい年をした男が情けないとは思うが、苦手なことというものは誰しも必ずあるものだ。仕事をいい訳にして、様々なものをおろそかにしていたツケが今更ながらやってきているのかもしれない。
そんな父親を見かねて、いつだって歩み寄ってくるのが息子の方だった。
聡い子どもなのだ。
一時のやりとりといえど、マジックにとっては久々の瑞々しい喜びにあふれた時間だった。
結局、最悪の結果になってしまったようだが。それでも、干からびた心にようやく水が与えられたような感覚をかみしめずにはいられない。
しばらくみないうちに精悍さが増した顔を、そっと撫でる。
どれほど支配下にあるのだと教え込んでも、尚あらがうことをこの美しい獣は止めようとしない。そのくせ、隠そうと必死だが、誠実な人間らしい愛情を捨てきれないままでいる。
己を傷つけるものだと自覚しているくせに、手を伸ばさずにはいられないのだ。
「馬鹿な子だね」
だが、だからこそこんなにも愛おしいのかもしれない。困ったことだと思いながらも、同時にどこまでいけるのだろうかと思っているのも事実だった。
様々な柵に縛られたマジックにとっては、その奔放さと甘さが酷く羨ましく、そして眩しく感じられるのだ。
「総帥、そろそろお時間が」
「わかっている」
不躾な部下の声に、眉根を寄せる。
無理矢理スケジュールを開けてきたので、すぐにでも発たないといけないとわかっていても、ひさびさにふれた温もりから離れることがどうにも名残惜しかった。
力を失った体を抱き上げて、自らの手で運ぶことにする。薬で強制的に意識を奪ったので、暫くは目を覚まさないとは知っていても、なるべく振動を与えないようにゆっくりと歩く。
両手にかかる重みが、微かに聞こえる呼吸音が、愛おしくてたまらない。時折全てをなげうっても、選びたくなるものがあることをマジックは自覚していた。
ささやかな人らしい望みというものが、こういったものなのかもしれなかった。余りにも優しい理想だ。
けれど、彼は青の一族の長なのだ。天秤の片方には、常に生まれる前から課された使命がある。そして、背負ってきた誇りがある。
人からは忌まれ、呪いの言葉を吐かれようとも。それでも血に塗れた道を進むことをマジックは選んだ。
なるべくならば、次代のシンタローたちに託す世界は綺麗であったほうがいい。
たとえ劇薬を投じられようとも、世界は変わらなければならないのだ。各地の争いを無くそうと、世界を信頼し、奔走したマジックの父は結局少年兵に殺された。
ならばそんな危険性が発生しないように、無駄なものは全て吐き出し、均しておく必要がある。迷っている時間も、手段を選んでいる時間も、正直ないのだ。
本当に守りたいものを、たとえ傷つけるばかりでしかなくとも。マジックはこの生き方を曲げられない。他の誰かに任せることなどできもしないし、したくもないからだ。
たとえ、血を分けた実の息子だとしても。いや、息子だからだろうか。
息子の眉間は、意識を手放してもしかめられたままだった。
自己申告をしてくることはないが、あまり寝付きはよくないようだ。と預けていた隊の責任者もいっていた。
任せた任務はきっちりこなし、期待した以上の成果をもたらしてくれると喜ぶ一方で、己にかかる負荷を表に出したがらない傾向があると報告は告げていた。
本来、シンタローは後方での戦闘指揮へと移行する時期に来ている。
実戦経験は全体の状況を把握する上で必要なことではあるが、肉体的、精神の磨耗も恐ろしく進む。ある程度の訓練を行い耐性をつけようとも、避けられないことだ。
そのため、一定の期間を設けて兵には休息が与えられるものだが、それもシンタローは拒否する傾向があるらしい。時にはごまかすためにひっそりと戦闘に参加し、戦果を仲間に譲っていることもあるようだ。
戦闘特化されている青の一族であれば、人を殺すという原罪に触れたとしても例外を除いて持ちこたえることができるようになっており、身体能力についても常人とはかけ離れたポテンシャルをもっている。
しかし、シンタローにはその一族としての特質は発現してはいない。全ては幼い頃からのたゆまぬ研鑽と、努力によって築き上げられたものなのだ。その心も、体も、一族の加護をうけた視点からみれば驚くほどに脆くすら思えるときがある。
だが、加護を受けていないということは、呪いも存在しないということだ。か弱い人の身だからこそ、わかることもあるだろう。
マジックに人としての願いを教えてくれたように、きっと彼はいつか人を導く存在になり得る。
しかしそのときは、まだ早い。己をすり減らすことをためらわないほどに、この魂はむき出しのままだ。
纏うべき鎧の身につけ方を、教える必要がある。
それも、全ては眠りから目覚めてからだ。強制的な眠りに、どれほどの効果があるのかは疑問だが。
悪夢も見ないほど、今は深く眠ってくれればいいとマジックはそっと祈った。
*****
本部基地に帰還してから、周りの予想に反して、シンタローは大人しく父親の命令従った。絶対にマジックと目をあわせることはなかったが。
さらに基地を破壊されるのではないかと戦々恐々としていた部下たちは、それだけでも十分だった。
しかしその静けさも、嵐の前のものでしかなく。隙をついて弟の情報と秘石を盗み、青年は飛び出した。
その先に、あらゆるものを変える、出会いがあるとも知らないで。
*****
透き通った水面は、鮮やかなコバルトブルー。
数年ぶりに眺めてみても、その色の深さは変わらない。
変わったことと言えば、その景色を写真や映像に納めようとする観光客で賑わっているということだろうか。いつのまにか土産物屋などまでできている。
「みてみてシンちゃん。あのタペストリー面白い柄だよ?湖にすむ幻の恐竜だって」
大げさにはしゃぐ声に振り返れば、ひとまとめにした淡い金髪をしっぽのように振りながらグンマが手を振っている。確か同い年の筈なのだが、醸し出す甘ったるい雰囲気のせいか弟と呼んでも違和感がないのが若干シンタローには怖い。
いやまだ彼自身も十分若いつもりなのだが。
それにしたって微妙に不細工なマスコットに喜ぶ年齢は、とうの昔に卒業している。
「いやいやここにそんなもんいるって話はきいたことはな・・・やめろ手に取るな。店員に話しかけるな!」
観光地の品は大体無茶な価格設定というのがつきものだ。そしてまずいことに温室育ちの人間は壊滅的なまでに金銭感覚が備わっていない。あっさり財布をだそうとするグンマの手を押しとどめ、胡散臭い品物を棚に戻させてずるずると店先から引きはがす。
残念そうな声が後ろからあがったが、研究所にこれ以上不要なものが増えるのは、シンタローは御免被りたかった。今でも少なからぬ実害が発生し、部下の苦情がなぜかこちらにまわってくるのである。ポジション的に止めるべきはずのキンタローもグンマには甘いので、抑止力として期待できないのが実情だった。
「おいグンマ。コタローはどうした」
「コタちゃんならサービス叔父様と一緒に休憩するっていってたよ。ほらあそこに」
「おお叔父さん。こんな旅先でも愛用のティーセットをテーブル一式まで揃えるなんて流石です」
指し示された先に視線をやれば、景色が売りの素朴な片田舎に、突如西洋方式の瀟洒なサロンが誕生していた。
ちょっと異様な空間になっているが、まあだいたいいつもみる光景なのでつっこまない。
というか多分つっこんだら負けだ。
支えが用意できなかったのか、ジャンが日差し除けのガーデンパラソルを立った状態で支えているが、見なかったことにする。
「丁度いい。グンマも一緒に合流してこい」
「えーシンちゃんは?」
「知り合いにあってくる。ていうかなんでお前等はまとまって行動できないんだよ。子どもか。予定日程を考えろ」
「うーんたまには羽根を伸ばしたくなるときがあるんだよ」
そういえばこんな風に一人でグンマが歩き回るなど、昔は考えられなかったものである。未だに少し危なっかしいが。
いつも付きまとっていた高松は、サービス叔父さんの茶会でゆったりくつろいでいるようだった。
目があったのか、こちらに手を振ってきた。
それに返すように、手を振りながらグンマは問いかけてくる。
「キンちゃんもさっきまで近くにいたんだけど、どこいったのかな?」
「あいつもか」
辺りを見回すが、ひときわ目立つ高身長と金色の髪を視界にとらえることはできなかった。
普段は一番三人の中で落ち着いて冷静に判断する役回りなのだが、こういった物珍しいものが溢れているところにくると途端に好奇心が暴走するのが彼の特徴である。
外の世界にでたのが実質数年であり、むしろあの落ち着ききった物腰こそ驚嘆に値するのだろうが。勤勉なのもすぎると困りものである。
「仕方ない。一緒に拾ってくるわ」
「うん。待ってるねー」
駆け出す背中を見送って、とりあえずまずは当初の目的をこなすべくきびすを返す。以前とは違って観光客に溢れてはいるが、建物自体は昔とあまり変わらないようだった。
記憶をたどって、幾度かの筋を曲がる。
途中で、もう一つの目的だったやたら目立つ後ろ姿が見つかった。物売りと交渉しているのか、近づく此方の気配に気づく様子はない。
「何を買うんだ?」
ひょいとのぞき込んでみると、さきほどみた恐竜のマスコットとほぼ同じものと目があった。
こいつらほんと変なところで趣味が一緒だな。と若干シンタローは閉口する。
「む。もう時間か。すまない。今済ませる」
一応傍らにあった古書がメインの目当てだったようだが、しっかり値切って適正な価格でマスコットも収穫したようである。
今度は止める隙もない。
旅先で土産物を買うのは楽しみの一つではあるし、こうやって半身同然の存在が満喫しているのをみるのはシンタロー的にも嬉しいのだが。
なんともいえない視線に気づいたのか、キンタローは小首を傾げた。
「欲しかったのか?ならもう一つ追加す」
「いや心遣いは嬉しいけど遠慮する」
皆まで言わせず即答する。
できれば己のテリトリーが、あのよくわからない生き物に占領されるのは遠慮したい。
「そうか。じゃあこちらはどうだ?」
渡されたのは葉にくるまれた温かな包みだった。
穀物を練った生地を蒸して、香辛料で味付けされた羊の肉をくるんだこの地域の名物料理の一つである。この辺りでしか育たない果実のソースが、独特のアクセントを加えている品だった。
「おーあんがと」
適当な場所を見つけて二人で腰を落ち着けると、早速包みを解いてみる。食欲をそそる匂いが鼻をくすぐった。
頬張れば、濃厚な肉汁と、爽やかな酸味が口いっぱいに広がる。素朴な味付けだが、だからこそ素材の味が生きているのだ。
「美味い」
思わず唸る。
キンタローも自分の分を取り出して、一口ずつ頬張るたびに、こくこくとうなずいていた。
「お前が買い食いなんて珍しいなぁ」
「懐かしくなってな。といっても味わうのは初めてだが」
告げられて、以前ここに来たときに、気にいっていくつか食べたのだったとシンタローは思い出す。本人すら意識していなかったというのに、覚えられていたのか。と不思議な気分になった。当時は単身任地で過ごしていたつもりだったが、実際はそうではなかったのである。
キンタロー曰く、シンタローの中に居た際に味わった体験は、映像を眺めているようなものだったということだった。五感を体感できるわけでもなく、逐一全てを覚えているわけでもないというのが本人の談。
だからこそ知識にひっかかる体験を、率先して味わいたくなるそうだ。
正直己の青臭い過去を知られているというのは大変こそばゆい体験なのだが、キンタローという人間は下手な見栄を張るには余りにも純粋な性格だった。むしろいろいろ把握していてくれて、気を回してくれるのですごくありがたい。めちゃくちゃ感謝するしかない。なんなの、おまえ未来からきた青いロボット的な何かなの?ってちょっと思ったりしなくもない感じである。
『そないな考えできるのは、あんさんくらいです』と、部下からはえらい呆れた顔で言われたが。
「おやシンじゃないか。久しぶりだね」
ぺろっと包みを平らげて、これまたキンタローが確保していた飲み物を飲んで一息ついていると、懐かしい顔が声をかけてきた。
「ああおっさん。元気してた?」
「おかげさまでね。そっちこそ元気そうじゃないか」
日によく焼けた愛嬌のある顔は、ぜんぜん変わっていなかった。今日の目的の一つでもある、以前世話になった商人だ。
「うん。近くにきたついでに寄ってみたんだけど、懐かしいなあ」
立ち上がって、抱擁を交わす。その様子を傍らで見ているキンタローに、商人の男は目をやる。
「そちらはご友人かな?」
「身内なんだ。一緒に旅行に来てて」
「そうかそうか」
ほぼ類似点がない外見の二人に特に触れず、男はただ嬉しそうに目を細めて頷いてキンタローにも同じように抱擁した。
それがなんとなく嬉しかった。
任務で必要だからといって関わったとはいえ、彼の気持ちのいい人の接し方がシンタローは好きだった。もし祖父がいればこんな感じだったのだろうかと思わずには居られなかったほどに。
いきなりの気さくな対応に、キンタローは慣れていないのかぎこちなく応えている。若干視線が助けを求めてうろうろとさまよっていたが、シンタローはあえて無視した。こういう交流は彼にこそ必要なものである。
「店で働いてた娘さんも元気してる?」
「ああ。この前旦那をもらってねえ。今はいろいろ店のことを教えている最中さ。人が多くなったからねえ。繁盛させてもらってるよ」
そういえば。と商人の男はキンタローの顔を再度見返した。
「さっき、この子に似た男前が来たけど、シンの知り合いかい?年齢はだいぶ上だと思うけど。すごく目立つ人でねぇ」
思わず、シンタローもキンタローも顔を見合わせる。キンタローによく似た派手な男といったら、まあ大体心当たりは一人しかいない。
「あー多分それ俺らの父親だわ」
「そうかい。だからかなぁ。身内が世話になったからってやたら結構いい値がする酒をいくつか買ってくれてね。おやぁしまったな。知ってたらもうすこしおまけしたんだけどねぇ」
この地でのことは誰にも言っていなかったはずなのだが、どこから漏れたのだろうか。と若干男の情報網にシンタローは頭を抱えたくなる。
無駄なことに力を使いすぎだと思う。
「おっちゃん、そいつどこいったか知ってる?」
「ああ湖が一番綺麗に見えるところはないかって聞いてきたから、娘が教えてたよ」
簡単に場所を教えてもらって、シンタローはふらふら自由行動をしている最後の一人を捕まえにいくことにした。
キンタローはすこし商人の店が興味があるということだったので、そのまま一緒行くようだ。まだしばらく時間はある、とわざわざこっちに告げてくる。言外にゆっくりしろといってくれているのだろう。
商人の荷物をさりげなくもってあげているあたり、お気遣いの紳士ぬかりない。
*****
当初居た畔とはほぼ反対側のほうにまでシンタローは来ていた。人はやはりここも多かったが、すぐに目的の背中を見つける。
日の光をあびて、黄金の髪が蜜を流したかのように輝いている。
見間違える筈もない。
広い背中だ。
あの背中をずっと追っていた。
未だに越せるとは思っていないのだが。自分なりの方法で、並び立てるようには少しはなっていたらいいなと思っている。
「なに一人で満喫してんだよ親父」
声をかければ、湖の色と同じ、極上のコバルトブルーがこちらを見つめてくる。
「シンちゃん」
声には驚きがにじんでいた。ひっそり眺めるだけ眺めて家族の輪に加わるつもりだったのだろう。
どうやってきたのか。とは聞かなかった。
大体の見当はすぐについたのだろう。困ったような、照れたような顔をする。照れたくなるのはこちらのほうなのだが。
「あんたって変なとこ堂々としてるのに、たまに水臭いよな。おっさんの店に行きたいなら一緒に行けば良かったのに」
「いやまぁ、前にここにきたときはシンちゃんすごく怒ったじゃない。だからそのときのこと蒸し返しちゃっても悪いかなあって」
「それはアンタの行いの悪さのせいだからな。ふつう怒るからな」
むしろ悪趣味なお遊びにつき合わされたあげくに拉致られて怒らない人間の方が珍しいのではないか。
だが、まあ悪いことをしたと反省はしているらしい。
シンタローにはそれだけで十分なのだが。
謝られることの方が多すぎて、もうそういうのはいい。と以前話し合いをしたのだが、それでも腫れ物に触るかのような空気が流れることが時折ある。
居心地の悪さにどうしたものか、と視線を泳がせて、ふとマジックの抱える荷物に目をやる。
「そんなに酒買って飲みきるのか?」
店主がいってはいたものの、予想よりかなり多かった。
「ハーレムが喜ぶかなって思ってね」
「ふーん」
二日酔いでホテルで唸っている叔父を思い出して、かしこいな。と感心した。多分置いてきぼりにされたことを盛大にすねているだろうから、ご機嫌をとるには丁度いいだろう。
やはり家族だ。どういったものが効果的なのかよく知っている
「いくつかおまけしてもらったんだよ。いい店だね」
「うん。繁盛してるっていってた」
「どこかのお偉いさんがおすすめの観光スポットだって、紹介してくれたからこんなに人が来るようになったって喜んでたよ」
「ふーん」
「前そういえばインタビューでここのこといってたよね」
「何が言いたいんだよ」
「いや別に」
じろりと睨めば、低い笑い声が返ってくる。お見通しなのは自分もなのだと言われているようなものだ。
生まれたときからの付き合いなのだから当然といえば当然なのだが。
素直に認めるのもなんだか業腹で、あえて答えずに意識を目の前に広がる景色にそらすことにした。
なるほど地元の人間が薦めるだけはある。
湖の向こうに広がる山々が、丁度湖面に移って見事なシンメトリーの景観を作り上げていた。写真でもよくみかけるようになった図である。
だが、やはり直に肉眼でとらえる場合とでは迫力が違う。
もう一度、できれば来てみたいと思っていた。
けれどまさか、この二人でのんびりと肩を並べて、景色を眺めることになるとは思ってもいなかったのが本音である。
人生とは不思議なものだ。どういう風に転がるなんて、誰にもわからない。
「ここって当時は寂しいところだなあって私は思っていたんだけれど、人がいるとだいぶ印象が違うね」
ぽつり、とマジックがつぶやく。
行き交う人の顔はみな一様に明るい。威勢のいい掛け声や笑い声で、時折お互いの声が聞き取れなくなるほどだ。
「んーまぁ前より治安がマシになったってことだろ」
「シンちゃんのおかげかな」
「どうだかなぁ」
だったらいいなとは思うが、そんなわかりやすく成果がでているなら苦労はしない。ささやかな幸せを謳歌する人がいる一方で、紛争地帯で銃声に日夜苛まれている人間もいるのだ。
世界各地をかけずり回って、時にいなし、時に威圧し、時に手を取り合い、和平を呼びかけてはいるものの、なるべく歪みを生まずにことをすすめるには体がいくつあっても足りないのが現状だった。
戦争は経済に直結し、人の営みの一部に組み込まれている。病巣を切除するように、メスを振るうわけにはいかないのだ。下手をすると病人自体を切り刻むだけになりかねない。
「ごめんね。仕事のことをいってしまって」
思わず眉間にしわが寄ったのに気づいたのだろう、マジックが心配そうに此方を見てくる。
「別に」
「でも今はせっかくの休暇中なんだし。もっとシンちゃんは気をやすめるべきだよ」
そっと、大きな手が頬に伸ばされる。
「正直、パパはね。シンちゃんが自分を犠牲にしてまで頑張るのを見ているのが辛くなるときがあるんだ」
どうして、そこまでするのか。
撫ぜられると、相手のいたわる心が伝わってくるかのようだった。
沢山の、命を屠ってきた手だ。
未だに実力はおとろえず、その気になればたやすく兵器となることができることを知っている。本気になれば、今この瞬間にだって容易くシンタローを殺すことができるだろう。
だが確かにこの手のひらには、血肉が通っているのだ。
情が深すぎるために、表現の仕方が暴走しがちな不器用さがあるが。男の両腕は、家族を守るためにあるのだと、今ならわかる。
娘が結婚したことを喜ぶ男のように、傍らを歩く親子連れのように、はたまたこの空の果てで暮らす誰かのように。
それは、大切な誰かを求めるものであれば当然抱く、切なる願いなのかもしれない。
「俺はアンタを許したいと思ってるし、許されたいと思ってるんだと思う」
シンタローもまた、その祈りのような願いを抱いている人間の一人なのだから。
「許されないことを沢山俺たちはしてきた。でも大切な家族が罪に潰されることも、我慢ならないんだ。
だから俺たちが奪った分、いやもっとそれ以上のものを、返したいって思ってる」
それが、かけがえのない親友との約束でもある。
勿論、本当の意味で、許される日がくることはないのだろう。シンタローたち、一族が殺した人々は帰ってはこない。
他者が見れば、欺瞞だ。というのだろうし、理解してもらうことを願う権利はない。
実際にいままで散々暴れ回った武装集団が、突然毛色の変わったことをしだしたので、周りは未だにとまどった様子でこちらを伺っていることが多い。何かの謀略なのかと、攻撃をしてくる場合もしばしばだ。
だがそれは、シンタローが前を向いて、進むことを止める理由にはならない。
「シンちゃんは優しいね」
どこか痛ましげに、男は囁いた。以前にも、同じようなことを言われた気がする。
あのときは、満足に答えも返せなかった。
だから、今度は笑って首を振る。
「違う。これは俺の我が侭だ。人を殺すのも、殺されるのも、世界を呪うのも、嫌だから生きたいように生きているだけだ」
生きる理由の対価として奉仕するわけではないのだ。
それは奴隷だ。
ただ言われるがままに従って、他人に何かを預けることをもうシンタローはよしとはしない。
「まったく頑固だね」
誰に似たのだろう。
微かに漏れたつぶやきと共に、もう片方の手ものばされて、シンタローの頬を包み込むようになった。慣れ親しんだ香水の香りがふわりと鼻を擽る。
「無理はしないで。皆が心配するし、なによりパパが悲しい」
「うんごめん」
真摯な声音に、シンタローもさすがに素直にならざるをえない。
誰かが己を案じてくれる。
その事実が胸を震わせ、そしてそれが他ならぬこの男だということがとてつもなく嬉しいのだ。血の繋がりもなにもなく。ただ二人に横たわるのはこの年月だけだとしっているからこそ余計に。
たとえ心が折れそうになっても、帰るべき場所があるかぎりシンタローは走っていける。
その場所こそ、マジックという男の居る場所なのだ。
「ありがとう」
噛みしめるように告げて、頬を包む手のひらに、シンタローも手を重ねる。
向けられる真っ直ぐな黒曜石の瞳を、マジックは愛おしむように見つめて微笑んだ。
こつりとたがいの額が触れて、まるで幼いときのようだなと、シンタローは思う。
ただ一つ違うのは、昔は掠めるように落とされることがあった唇が、より深く彼の吐息を奪うようになったことだ。
絡められた舌に、シンタローも応えて、むさぼるようなキスをする。
コバルトブルーの瞳に、恋をしていた。
自分には絶対に手に入らないと知っていたからこそ余計に、シンタローは恋焦がれていたのかもしれない。
けれど結局、彼が欲しいと思っていた瞳を持つものは、たった一人でしかなかったのだ。
マジックが持つ色彩に、彼は恋をしたのだから。
了
1
2
Reaction
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.
Custom color
Reset color
広告非表示プランのご案内