fleetinggame
2024-12-10 21:36:39
23589文字
Public 作品
 

コバルトブルーに焦がれて

昔書いたなーっていうのを引っ張り出してきたもの
南国少年パプワくんのマジシンだよ

「貴方は愚直な奴隷ね」
 そういって笑われたのは、つい先日のことだった。

*******

 眼前に広がる凪いだ湖面を眺めて、シンタローはそっと感嘆のため息をつく。

 透き通った水面は、鮮やかなコバルトブルーだ。
 幾重にも重なった濃淡が、なんともいえない深みのある色あいを湛えている。手を伸ばせば底に届くのではないかと錯覚しそうになるほどに、水は澄みきっていた。
 澄んだ水は純粋過ぎて、生き物を住まわせる苗床としては向いていないらしい。そのせいか、辺りはひっそりと静まりかえっている。
 たまに軽くまとめた髪をもてあそぶように、吹く風の音しかしない。

 だからこそ好都合とも言えるのだが。

 敵の拠点に湖側から乗り込み、手薄な警備を掻い潜って保管物を奪取するのが今回課せられた任務だ。
 機密上、敵の金庫に眠るものが何なのか、奪取したことによって自軍に何をもたらすのかは知らされていない。ただ面白味のないカーボンケースに収まった標的の写真と、拠点の建物の構造と潜入方法、大体の警備の数などは事前に相手側に放った斥候から得ている。
 勿論その情報の誤差をいくらかは修正して対応にあたらねばいけないだろうが、それでも任務を遂行できる自信があった。既に幾度か似たようなものはこなしており、経験も積んでいる。
 総帥の次期有力候補だからといって、特別に扱われることを嫌ったシンタローだったが、この隊はそういった杞憂の必要が無い希有な場所だった。
 任される任務はけして華美なものではなかったが、堅実にこなせば相応の評価と信頼が得られる。
 シンタローにはそれがありがたかった。
 志願をすれば、率先して任務を任されることも多いからだ。
 戦闘に没頭し、戦果をあげられた時に、ようやく彼は生きているのだと実感するようになっていた。基地や家にいるときの鬱々とした感情を嫌って、今では任地にいる方が多い。といっても未だに最前線の激戦区に送られることはないのだが。
 叔父の特務部隊が存在することに加え、さすがにその辺りの配置にはマジックも目を光らせているのだろう。せいぜいが辺境の小競り合いを均しにいく制圧任務が常だった。
 歯痒いものがあるが、育てられた恩義がある。与えられたものはあまりに大きく、彼はその返し方をこの方法でしか知らなかった。

 戦局が悪化していない箇所では戦闘だけでなく様々な手で拠点を獲得することになる。人手不足も相俟って、シンタロー自身も積極的に雑務を請け負っていた。基本は座学で叩き込まれていたとはいえ、やはり実戦になると情報量は格段に増す。勝つ為には果敢に攻め込むことも時に大事だが、何よりその準備をし、根回しをすることこそが大事なのだ。
 大局を読み切り、鮮やかに采配を振るうあの男的には鼻で笑うことなのかもしれないが。
思わず思い出した彫りの深い顔立ちに、眉間のしわが寄る。
「どうしたシン?」
 振り返った男はささやかな行商などの商売を生業としていた。彼の営む飲み屋で意気投合したついでに、近くに荷を運ぶというので手伝いを申し出たのだ。
いくら人気が少ないほうがプラスになるとはいえ、日中は拓けすぎたこの立地はなかなかに目立つ。見慣れない人間が彷徨いていれば、怪しんでくださいといっているようなものである。
「いやこの湖は噂に聞いていたけど凄いな。思わずみとれてた」
「だろう。他の土地からきた人間はだいたいびっくりするなあ」
「これだけ見事な景色なら、観光地にできるんじゃないか」
「ははこの状況下じゃなあ。あの畔に建物があるだろう。大きな声じゃいえねえが、あそこはならずものの基地の一つだよ。そんな物騒なもんがあるところに客は寄り付かんさ」
「なるほど」
 頭に叩き込んだ配置図によれば、丁度出入口のところに見張りが立っていた。確かに一般の民家にしては物々しい装備をしている。
「ここに滞在をするなら、かかわり合いにはならんほうがいいからね。気を付けることだよ」
「わかった。助かる」
 素直に頷く。
 といっても、その忠告を裏切ることになるのだが。間違ってもそんな素振りはおくびにも出さない。
 小競り合いが頻発する辺鄙な土地といえど、気紛れに訪れる旅人というのはたまにいるらしい。シンタローもまたその一人ということになっている。
 鍛え上げられた肉体を備えてはいるものの、どこか人懐こく育ちのよさを感じさせる振る舞いと顔立ちは、彼の偽りの身分とよく馴染んだ。

 再度、眼下に広がる水面に目を落とす。
 のぞきこめば容易く吸い込まれそうな美しさはどこか毒を孕んでいるようで。シンタローの脳裏に焼き付いた、双眸の光がふと過った。
 いやもっと彼女の瞳は薄い色味だったろうか。
 別れを告げるときには、結局最後までこちらをみようとはしなかった涼やかな眼差しを思い返す。
 淡く微かな吐息を吐いて、女は呆れたように笑ったものだ。
「貴方は愚直な奴隷ね」
 任務の合間にしか顔を見せず、訪れたと思えばすぐに舞い戻る不誠実な恋人に、よくつき合ってくれたものだと思う。
 抱き寄せればこの腕にすっぽりと包まれた柔らかな体の感触も、鼻腔を満たす甘ったるい香りも覚えているのに、不思議ともう顔は思い出せない。それなりに心を砕いてもいたし、一緒にいて満たされると感じたこともあったと思っていたが、いざ失ってみて日常生活に支障をきたすかといえばそうでもなかったらしい。
 別れを告げられた夜も夕食は残さず食べたし、睡眠もきっちり定刻どおり。あまりの変化のなさに笑ってしまった。
 それでも悪夢に魘されたときは抱き寄せてくれた温もりが、愛おしかったのは事実だった。
 悪夢の内容は、ほぼ戦場での出来事だ。
 過酷な前線とは比べものにならないとはいえ、命のやりとりに神経は消耗する。
 一週間飲まずくわずでの熱帯のジャングルの行軍や、遭難の危機と向き合いながらの雪山の踏破など、極限の状態を訓練で幾度も味あわされたものだが、そこで鍛えられるのは状況を的確に判断し、対応する力なのだ。
 常人に比べれば死の恐怖と隣り合わせの状況に対しても動じないようにすることは可能だが、蓄積されるストレスを皆無にすることなどできない。むしろ意識をしないぶんだけ、解放されたときの反動は大きい。
 本能的な拒絶に苛まれながらも、任務をこなすことを最優先とするシンタローを、女は心配して幾度も己をいたわるように懇願した。
 だがその願いに、結局頷くことはできずじまいだった。
 彼女によく似た。けれどもっと深い色の瞳の持ち主に、シンタローは出会っていたからだ。
 どんなに遠ざけても、ふとした瞬間に思い出してしまう。一目見るだけで、忘れようもない鮮やかな青。
 それほどまでに自分は囚われているのだろうか。とぼんやりとシンタローは思う。だが認めるには、余りに色々なことを知りすぎてしまった。
 自嘲めいた笑みと共に、彼は憧憬と畏怖を象った面影を振り払った。