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さもゆ
2024-12-10 03:01:16
20516文字
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【悟チチ】神さまが見ている
昔チチさんに惚れた男が今になってチチさんにアタックをかける話。あるいは惚れ薬・媚薬ネタ。もしくはピンチには必ず駆けつけてくれるピッコロさん。
※メインはほぼチチとピッコロさん
※暴漢、捏造等あり
※たぶん超時空
2023.3.13 たべものpixiv投稿作品
1
2
3
ピッコロは耳がいい。
デンデもだ。ナメック星人は総じて聴力に優れている。
そして地球人とは不快に感じる音域も異なる。たとえば口笛などを吹かれると耳が顔の横から更にのけぞりそうなほど(あるいは耳を引きちぎった方がマシだと思えるほど)苦痛に揺さぶられる。そんなナメック星人だが、では神殿のどこにいても耳に拾ってしまう地球人の呻き声はどう思うかというと、大変不愉快、それも縁ある者の苦しむ声など言語道断、耳だけでなく聴覚神経をなくしたくなってくるほどだ。つまり簡潔に言うと、デンデは心配で、ピッコロは怒りでどうにかなりそうだった。
チチを神殿の一室に寝かせ、離れるわけにもいかず、かと言って傍についていてやるのも性に合わないと判断したピッコロは、しかめ面のまま神殿の入り口にある柱にもたれかかっている。意識すれば聴覚など遮断できるが、何か異変があってはいけないとずっと微かに響くチチの呻き声を耳へ通している。
その声が、時折、どこぞの遠い惑星で修行しているあの戦闘狂のあほんだらの名前を呼ぶたびに、ピッコロの皮膚にぴきりと音を立てて青筋を浮かばせる。あの馬鹿は、一体、いま、どこで何をしているんだ? なぜ今いちばんここにいるべき者がこの場にいないのか、それはチチが呼ぶのを拒んだからだと分かってはいるが、非常に腹が立つ。何が腹立たしいって、それを大人しく聞き入れている己に一番腹が立つのだった。
チチの言うことなど無視をして、今すぐにでも悟空を呼んでくればいい。もしくは精神と時の部屋に叩き込んでやればいい。
それができないのは、あの娘の強い意志に絆されたか、あるいは、畏敬の念を抱いているからに違いない。
それとも、こうすることで守っている気でいるのかもしれない。
あの孫悟空の弱点である気丈な娘がここまで弱っている様など、誰にも見せられない。チチもそれを望んでいる。今の自分の情けない姿を、悟空にだけは見られたくない、その矜持をひょっとするとピッコロも守りたいと思っているのかもしれなかった。ただ、今は、腹立たしさの方が大きい。この苦痛に満ちた声を聞き届けることが、本当に守ることなのか?
「ピッコロさん」
同じく耳のいいデンデが、とことこと傍にやってくる。触角を常時より下げ、やはり心配げな顔で「水を渡しに行こうかと」と手に持つ透明な水差しを示した。「それと、毛布も。暑いのか寒いのか分からないから
……
」
「俺が行こう」
デンデから水差しと腕にかけられていた毛布を受け取る。お願いします、と見送られて、もしかするとこちらの二の足を踏んでいた心境を気遣われたのではと思い至ったのは、部屋の前に来てからだった。全く、本当に頼りになる神だ。
「入るぞ」
声をかけ、ドアを開ける。
窓と小造りな棚と来客用のベッドしかない小さな部屋の、ベッド脇、チチは枕を抱きしめて床に蹲っていた。
「おい、」
てっきり横になっていると思っていたばかりに少し焦る。わざと靴音や気配を出しながら近づくと、チチは顔を枕に埋めた状態で僅かに振り返った。「ピッコロか」くぐもる声はほとんど掠れた吐息だった。
「俺だ。水を持ってきた。なぜ寝ていない」
「病人じゃ、ねえからな。ちょっとでも楽な体勢探すうちに、はは、ベッドにすら上がれなくなっちまっただよ」
「貴様。笑いごとではないぞ」
「すまねえな」チチは素直に謝った。何についての謝罪か、弱々しい声が言う。「
……
うるさかっただか。ナメック星人は、耳がいいって、むかし悟飯ちゃんから最初に聞いたんだっけな
……
」
ピッコロはそうだとは答えずに「急にしおらしくなるな」とぞんざいに言った。「水は飲むのか。飲まないのか」傍らに跪き、解かれたままの髪が広がる背中を見下ろす。いつも真っ直ぐに伸びているしなやかな背中は今は憐れに丸まり、誰ぞを見上げて感情を分かりやすく灯す黒い瞳は枕に伏されている。けれどもこれがこの者の強い意志の表れだった。その姿勢のままチチは「飲む」と言った。枕から顔を上げずに、「布か何か、ないだか」と続けた。
「布?」
「目を隠せる布だ。つい、開けちまいそうになる。寝てても、起きてても、弾みで誰かの目を見ちまうんじゃないかって、おっかないだよ。ピッて、出してくれ。おめえさなら、簡単べな。ついでに、巻いてくんろ。目ン玉潰さねえよう、そっとだぞ」
「さっきのしおらしさはどこへやったんだ」
「ばかだな。あれは淑女の計画的ひ弱さってやつだ」
「小娘がほざくな」
「
……
おめえさに言われると気分がいい」吐息は笑ったようだった。「ばあさまになっても、こうやって小娘って言われるだかな。言われるんだろうな
……
」
「もう祖母さまだろ」
「そうだった」
「お前がお前である限り、お前は一生あの生意気な小娘であり、悟飯と悟天の母親であり、孫悟空の嫁だ」ピッ、向けた指先、チチの頭に帯がかかる。目隠しはいつもさしている紅の色と同じ色だった。意識してその色にしたわけじゃない。いつもその口から発される声が喧しいから、耳にも目にも無意識的にすり込まれたのだろう。後頭部にある目隠しの結び目に四本指のうち一番細い指を差し込み、強弱を確認する。きつくもないし、緩くもない。たわんだ黒髪を直してやろうとして、やめた。そこまで手助けしては、まるで本当に介護だ。ピッコロは手を離した。
「できたぞ。それから飲め、水を。そして寝ろ。眠れなければデンデに言って薬でも煎じてもらいに行ってやる。飲め」
チチはのろのろと顔を上げた。
顔色は悪く、先ほどデンデに治してもらった頬にももう赤みがない。
顔を押しつけていた枕は濡れそぼり、巻かれた目隠しが水分で重くなるのも時間の問題だと思われた。
「調子はどうだ」
訊くと、ずび、チチは声の方を向いて鼻を啜った。
「おっかねえ元大魔王の顔を間近で見ずに済むだよ、最高だな」
「ならもっと嬉しそうにしたらどうだ?」
「泣いて喜んでるべ」
「泣きすぎだ、干乾びるぞ」水差しの吸い口を、紅の取れた口許へ持っていく。再度言った。「飲め」
チチは小さく口を開き、吸い口を咥えた。
ちゅう、と水が少しずつ吸われていく。水を飲むだけでも痛みが走るのか、顔は常に苦痛に歪められていたが、喉の渇きが強かったのだろう、水はゆっくりとしかし確実に減っていった。
半分ほど飲んだところで、口を離す。
「もういいのか」
「んだ。ありがとな。神さまにもお礼を
……
元気になったら必ずお礼するから、それまで待っててけろな」
礼などいらんと伝えても聞くようなやつじゃないな、ピッコロは思って「伝えておく」とだけ答えた。
部屋隅にある小棚をベッド脇に移動させ、そこに水差しを置く。そのことを伝え、いつでも飲めばいいし飲みたくても飲めないのならその時は俺かデンデを呼べ、声にしてもしなくても聞こえるから水だけでなく何かあったら必ず呼べ、と念を押す。チチはまた吐息だけで笑って大人しく頷いた。それから「持ち上げるぞ」とチチを抱き上げ、ベッドに下ろす。抱えているときも下ろしたあともチチは息を詰めて痛みを我慢しているふうだった。横たわるのも一苦労なのだろう、手足を伸ばすのを手伝ってやりながら、ようやく持っていた毛布をかけれたころには、目隠しは瞳のあたりの色が濃くなっていた。
「寒くはないか」
「平気だ」
「痛みは」
「陣痛に比べれば何てことねえ」
ああそうだった、とピッコロはこういう時もう何度も認識していることを今回も改めて認識してしまった。そうだった。さっき自分も言ったくせに、何をまた思い知っているのだろう。あのいざという時誰よりも強い力を発する賢い悟飯と、好奇心と無邪気さに溢れた悟天を産み、育てたのは、この女だった。
それは少なからず今のピッコロを安堵させる認識だった。この母親が、この程度で死ぬはずがない。そう強く思わせてくる。
「ほかに何か必要なものはあるか」
「頼みが
……
」
「何だ」
「悟天に、今日はブルマさの家に泊めてもらうよう、連絡してほしい」
「分かった」
「このことは、」
「分かっている。上手く誤魔化しといてやる。要件はそれだけか? なら、俺は出るが、いいな。さっき言ったことを忘れるなよ。何かあったらすぐに呼べ。勝手に死にそうになるなよ、ここから落としてぶっ殺すぞ」
「あは、は
……
笑かすな、痛ぇ」
「知るか」
ピッコロは立ち上がり、あとは振り返らずに部屋を出た。
※
クリリンがいる交番に気を失っているあの男を放り込んだピッコロは、説明を求めるクリリンに対して「孫家に押し入りチチを傷つけた男だ、逃がすなよ」とだけ伝え返事を待たずにブルマの家へと軌道を変えた。
悟空を呼ぶべきか否かの答えはまだ見つかってはいないが、急いでいるのは、こうしている間にも神殿で何か不測の事態が起きやしないかと常に案じているからだった。急いだところで時の進み方は変わらないのだから、やはり悟空を呼んでチチの目を見させるのが一番早い気もする。だがそれは、あのか弱い人間の強い決意を土足で踏みにじる行為だ。そんなことはできない。
「クソ、なぜ俺が
……
」
ここまであいつらのことを考えにゃならんのだ。
もう人間を見守る神でもない。堕落せしめる大魔王でもなければ、親の仇を討ちたい小僧でもない。ならばなぜ。どうして。
そんなのは自分があの夫婦をいつも近いところで見てきた、ただのピッコロという奇妙なナメック星人だからに決まっている。そうさせたのは、大体が孫家の人間だ。全くどいつもこいつも自分勝手に他人の甘さを引き出して、そうしてお前たちのせいで弱くなったのだと八つ当たりできればいいのに実際には彼らのおかげで手にした強さばかりで本当ほとほと嫌になる人間しかいやしない、ふざけやがって。孫家はそういう家族だった。
その家族を家族たらしめているのがれっきとした地球の人間であるチチという存在だった。あの女がいなければ、いまごろ孫家は、いやさ地球も宇宙もどうなっていたか分かりゃしない。チチはそれほど、悟空にとっての弱点であり、内側にいる人間なのだ。そして自分にはその存在を守る義務があり、権利を許されている。ピッコロはそう思っている。
だが今回ばかりはその義務も、権利も、どうしたらいいか分からない。
敵がいれば、ぶっ飛ばせば済む話だ。もうぶっ飛ばした。もう危険は遠ざけた。けれどチチは苦しんでいる。
たったの一日、あの声を聞き続けなければならないのかと思うだけで、気が滅入り、落ち着かない。
腹が立って仕方がない。
いっそのこと、ほかの誰かの目を無理やり見させてやりたいくらいだ。
※
散々悩んだ挙句、結局チチに言われたことだけを遂行し神殿に戻ってきたピッコロは、宙空に胡坐をかき、目を閉じてひたすら神経を研ぎ澄ましていた。耳に届くチチの呼吸は相変わらず苦しそうだが、おそらく眠っているのだろう、少しは安定していた。
このまま何事もなければいい。何事もなく夜を明け、昼に差し掛かれば、薬の効力は消えあの嫁はいつものようにパオズ山の家で悟空の帰りを待つのだろう。それまでの辛抱だ。そうしたら、だが、そうなれば、何もなかったかのような笑みとうるささで生活していくのだろうか? 悟空に知らせず、たったひとり、耐え抜いて勝ち得たこの強情ないじましさを、ひた隠しにして?
そうなのだろう。あれはそういう人間だ。
それを知ってしまっているからこそ、自分は放り出さずにここにいる。早く夜が来て、明ければいい。それまではとことん付き合ってやる。ピッコロの閉じた瞼の向こう側、肌を擦る大気が冷えたにおいを運んでくる。もう少し、もう少しの辛抱だ。
夜はもうすぐで帳を下ろしにやってくる。
安定していた呼吸が悲鳴のようなものに変わったとき、ピッコロは目を見開いて地に足を着けた。
頭上では大地よりうんと近い星々がうるさく煌めき、濃い暗闇は神殿をより一層白く浮き上がらせている。マントを翻して真夜中のにおいがする神殿内を大股で進み、角を曲がったところでデンデとかち合った。「わ、ピッコロさん」
「デンデ」
吹っ飛ばしかけた小さな同胞を伸ばした腕で支え、体勢を整えてやりつつ「俺が見に行こう」と先手を打って告げた。そのまま体を方向転換させ、来た道を向かせる。「お前は何も案ずるな。こんな時間に何をしていたんだ? 何でもいいが、今日はいい夜だ。月は無く、星は輝き、どこかで子どもが泣き叫ぶ声も聞こえない。こんないい夜にはお前の好きな本でも読んで、それで、えー、さっさと寝ろ」
「
……
悟飯さんの娘さんにもそんな雑な寝かしつけをするんですか?」
「パンに? まさかな。懇切丁寧に絵本でも読んでやるさ」
「ふふふ」
デンデは本当におかしそうに笑った。
ジョークになっていたら何よりだ。ナメック星人は特に睡眠を必要としない。この幼い神にとっての長く穏やかな夜を、ピッコロが連れてきた人間の呻き声のなか過ごさせるのは申し訳がなかった。けれども、それがデンデの仕事だった。彼の仕事は見守ることだ。
善人も悪人も大人も子供も病める者も健やかなる者も、全て平等に見守る。
そして善と悪の天秤があり、少しでもどちらかに強く傾こうものなら、それを直してやるのがピッコロの役目だった。あるいは、神の立場ではできない
えこひいき
・・・・・
。それは強欲で残忍で自分勝手な元大魔王の自分にしかできないことだった。
「それじゃ、僕は絵本でも読んで眠ることにしますから」
「ああ、そうしてくれ」
あとは目だけで会話をし、こくりと頷いたデンデを見送ってピッコロも歩みを進める。聞こえている呻き声が近づいてくる。辿り着いた部屋の前で止まるなんてことはせず、ピッコロはそのまま扉を開けた。
窓から差しこむ星明りは部屋の陰影を濃くしていた。
白く浮き上がっているベッドの上、毛布が人の形に膨れていることについては安堵した。しかしすぐに部屋の中に踏み込む。
「おい、」
微かだが血のにおいがする。
僅か二歩でベッドまで距離を詰めたピッコロは、跪き、毛布の塊に声をかけた。
「チチ。聞こえているか。調子はどうだ」
返事はなく、もう何度か名前を呼ぶと、毛布から手が出て布を下げた。手は白く、震えていた。毛布から覗いた顔はほとんど長い髪と目隠しに覆われ見えやしなかったが、唇に血がこびりついているのは確認できた。ゾッとする。「おいお前、その口はどうした。まさか」
「勘違い、するでねえ
……
」
血で汚れた唇から発された声はひどく嗄れている。「おらが、そったらこと、するとでも
……
」
耳がいいピッコロはそれだけで理解し、「すまん」と謝った。舌を噛んだわけではないらしい。そりゃそうだ。この女がそんなことをするわけがない。これは疑ったピッコロが悪い。素直に謝罪されたチチはピッコロに顔を向けるのも辛いのだろう、芋虫のように丸まったまま続けた。
「痛みが、っ、ひどくてな
……
歯ァ食いしばってるうちに、切っちまったんだろ
……
気にすることじゃ、ねえ」
「おまえ、」
「あんまり、呻かねえようにも
……
してたんだけんど
……
」言葉を切る。ぎりぎりと奥歯が擦れる音がする。真新しい血が流れるにおいがする。
唇から血が流れるのを見たピッコロは、自分の気が膨れあがるのを感じた。
しかしすぐに気を収め、歯を食いしばるチチの口へ無理やり自分の指を突っ込んだ。「噛め。俺の指だ。再生する」
「な、ば
……
! っい゛、ぅ」チチにとっては突然の暴挙だ、大きく叫んで反抗しようとした言葉はしかし痛みに殺され、呻き声しか出せなくなる。口の中にピッコロの指があった。チチはもう随分泣いていたが、舌に指一本にしては長く太い、人間の肌ではないつるりとした感触を味わったことで、まためそめそと泣く羽目になった。怖い。何を思って口に指を突っ込まれたのかチチには分からない。これだから人外は、と本能的に恐怖すら抱く。
「噛め」
「うい゛、ぃ」
半ば嘔吐きながらも拒否を示すチチに、ピッコロは舌打ちをした。それから低く言う。「あれも嫌これも嫌、クソガキかお前は。ごうつくばりめ。俺はお前が孫悟空の嫁だと知っているのだぞ」
「ひ、ひっほろ、」
「こんなことは、意味がない。勝負だと? そんなもん、こうして苦しんでいる時点でお前の勝ちだろうが。悟空を呼んできてやる」
「ひひゃだ」
「また嫌か。なら、ほかのやつはどうだ」
チチは拳を振り上げた。
その瞬間の決意で固められた気は凄まじいものだったが、所詮は人間の、それも弱った娘の拳だ、ピッコロは難なく避け、自業自得で更に痛みに呻いているチチを見下ろした。身を捩って口から指を吐き出したチチはシーツを握りしめ、上体を起こしてピッコロを睨んだ。濡れた布で隠された瞳が真っ直ぐピッコロを射抜いている。
「ばかなこと、言うでねえ」
体を支えている腕も声も何もかもが震え、肌は死人のように白くなっているお前こそ、馬鹿だ。ピッコロは思った。
「馬鹿はお前だ」思うだけでなく口にもしていた。「今にも死にそうな面しやがって、我が儘を言うのもいい加減にしろ。誰がいいんだ。ヤムチャか、天津飯か? ベジータはないな。女なら、そうだな、ブルマか? いやそれだとベジータが面倒だ、なら18号か、ビーデルか
……
誰でもいい、お前が少しでも目を見てもいいと思うやつは誰なんだ、言ってみろ。俺が連れてきてやる」
「そんなの、悟空さしかいねえ」
「悟空を連れてくる」
「やめろ!」
「叫ぶな、安静にしていろ! おい、心臓がうるさいぞ」
「む、無茶言うな
……
」
チチの心臓は張り裂けんばかりに鼓動している。とても正常とは言えず、本当に死んでしまうのではないかと思わせてくる。無理に動き、声を上げたせいで息を切らして汗を垂らしているチチは、顔を伏せ、しばらく呼吸に専念しようとしているらしかった。痛みでほぼ唸りと同化した呼吸は、憐れがましく、不快だった。
「俺の目を見るか」
ピッコロはついに言ってしまった。
答えは分かりきっていることだ。言う必要などなかった。
しかし万が一があった。億が一、星々の数からひとつだけ選ぶような確率で、もしかしたらがあった。
それは苦痛から逃れる術として、重要な選択肢のひとつだった。
「俺はお前より酷薄だ。お前が孫悟空の嫁だときちんと分かっている。そして俺に性別はない」
「な、なん
……
」
「お前が俺に首ったけになっても、俺はお前の首を落とせるし、お前が俺に現を抜かしても、それがまやかしだと正しく判断できる。何せ俺はお前ら夫婦を見てきたからな。浮気ってヤツにはならん、俺が証明してやる」
「な、な、ど
……
」
「恋愛感情や性衝動がどういうものか知らんが、安心しろ、お前が俺にそれを抱いても、全て躱せる自信があると言っているんだ。どうだ、チチ」
「ど、ど、どうって、おま、」チチの顎から汗が伝って落ちた。「い、言ってて、気持ち悪くなんねえのけ。おらの肌、見ろ、サブいぼ立っちまっただ
……
」
「明日の昼までお前の呻き声を聞かずに済むなら、このくらい、気持ちが悪いだけで済む」
「おめえさも不本意なんじゃねえか」
「当たり前だろ。だから俺は悟空を呼んでくると初めっから言っとろうが」
「それだけは
……
」
「じゃあ、俺の目を見るか」
「っ、う」
「その苦痛から解放されるんだぞ。明日の、昼までだ。そうしたら明日の昼まで、お前は俺に惚れるんだろうが、お前の首を折らない程度に気絶させてやる。それで万事解決だろ」
「け、けんど
……
それだとおら、勝負に
……
」
「負けも勝ちもないだろうが、お前が悟空の嫁ってだけで全部勝ってるんだ。チチ」
「うぐ
……
」
「その痛みも、苦しみも、辛さも、目を見るだけでなくすことができるんだぞ」
「
……
」
チチはとうとう押し黙った。
その間も喘鳴じみた呼吸を繰り返し、必死で言われたことを頭のなかで考えている。
わななく唇には真っ赤な血が滲んでいる。全く似合わない。いつもつけている紅と似たような色のくせに、それは全くチチに似合わないものだった。眉間に皺を寄せて見つめるピッコロの前で、チチはその口で小さく言った。「ほ、ほんとうに、
……
」
「ああ」
ピッコロは意図を汲み取って答えた。「これは逃げじゃない。浮気でもないし、負けでもない」
「っ、ピッコロさ
……
」
どこを向いたらいいのか分からないのか、または痛みで顔を上げていられないのだろう、下がりかけた
頤
おとがい
を四本指で掴みこちらを向かせる。これ以上は埒が明かない、最後通牒のつもりでピッコロはもう一度だけ訊いた。
「俺の目を見るか、このまま苦しむか。どっちだ?」
「お、おらは、」
「さもなくば、適当な人間を連れてくる」
チチは完全に沈黙した。
もう片方の手を後頭部にある目隠しの結び目にやっても、反抗はなかった。注意深く観察しながら、結び目を解いて目隠しを床に落とす。ピッコロは目を眇めた。
ぐずぐずに周囲の皮膚を赤くさせている濡れそぼったまつ毛は、ぴったり閉じられている。
当然、目は合わない。
「
――
オイ」
「ふふん
……
」
チチは顎を掴まれ痛みに襲われながらも、そうやって下手くそに笑った。
「さすが、元大魔王だ。甘言がうまい。おらのこと堕落させようったって、そうはいかねえだぞ」
「何を言う」
「ちょっと、危なかったけどな。とんでもねえ罰当たりなことするとこだっただ、おめえさにマヤカシでも惚れちまうなんざ
……
」
ぜえ、ひゅう。チチの喉から掠れた息が漏れる。
けれどもチチはその喉から固い決意のこもった声を絞り出した。
「ピッコロさ。おらは孫悟空の嫁だぞ? むかし、神さまに誓ったんだ。大魔王もおらたちの結婚に立ち会った。つまり、おめえさに誓ったんも同然なんだ。んだから、黙って見てろ。手出しせずに、これがおらの悟空さに対する愛情なんだって、頭悩ませてしっかり見てろ。見守ってろ。それがおめえの、最大限、できることだべ」
今度はピッコロが沈黙する番だった。
長い沈黙のあと、青筋を立てながらも、顎を掴んでいた指を離した。
口を開き、ナメック語で何か口汚い言葉を放とうとして、やめる。デンデが聞いていたらばつが悪い。代わりに、床にどかりと胡坐をかいて座り、腕を組んだ。明日の、昼までだ。
修行のようなものだと思えばいい、明日の昼まで、俺もこいつも耐えきれば、二人とも勝ちということになる。負けず嫌いには、それしかないのだと元から分かっているはずだった。魔が差したとはこのことか。
「
……
次痛いとかぬかしてみろ、無理やりその瞼こじ開けてやるからな」
「ふ、望むところだべ。
……
次おめえさと目合わすのは、明日の昼過ぎだからな
……
見てろよ
……
」
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