さもゆ
2024-12-10 03:01:16
20516文字
Public DB
 

【悟チチ】神さまが見ている

昔チチさんに惚れた男が今になってチチさんにアタックをかける話。あるいは惚れ薬・媚薬ネタ。もしくはピンチには必ず駆けつけてくれるピッコロさん。
※メインはほぼチチとピッコロさん
※暴漢、捏造等あり
※たぶん超時空

2023.3.13 たべものpixiv投稿作品

 テーブルには液体の入った小さな硝子瓶がふたつ置かれている。どちらもそっくり同じ、シンプルな装飾と無色透明の液体だ。
 ひとつはただの水。
 もうひとつは目が合った者に心を奪われる惚れ薬だという。
 
 チチはテーブル越しにその小瓶を用意した男を睨みつけ、「で」と沈黙をやめて口火を切った。「このどっちかを、おらが飲むってわけだな」
 真向いの椅子に座る男は客人らしからぬ横柄な態度で「当たり前だろ」と口の端をつりあげて見せた。「賭け事ってそういうもんだぜ、娘さん。忘れたのか?」
「もう娘さんって年じゃねえ」チチは首を振る。「それに、何年前の話だと思ってるだ」
「何年経とうが、約束は、約束さ。お前は約束を守る女だ、そうだろう?」
「そんでおめえはしつこい男だ。そうだな?」
「ああ」
 と男は初老に入りかけている皺のある顔を自信ありげに歪ませ頷く。
「何年もかけてこの時を待っていたんだ。いいや、これは努力さ。さあどうする、チチ。どちらかを選ぶんだ」

 選択を迫られたチチは再度小瓶を見下ろした。
 昔この男に、いまと同じようにどちらかを選べ、と言われた光景をまざまざ思い出す。



 結婚の約束をした孫悟空に会いに行く旅の――花嫁修業の――道中、何の変哲もない街で出会った賭け好きの男だった。
 男は通りすがった旅人に賭けを持ち掛け、金ではなく命を獲っていた。中身の入った小瓶をふたつ用意し、どちらかは“苦薬”や“辛子”などが入った外れであると嘯き、その実、毒を盛ってひっそりと殺人を楽しんでいたのである。どちらか一方は自分も飲むのだ、呆れたことに、男はそのギリギリの命の賭け事を心底楽しんでいた。そこへチチが現れた。
 チチも観光地によくあるちょっとした遊びだと思い、躊躇なく小瓶を選んで液体を飲み干した。男も同時に飲んでいた。チチの目の前でみるみるうちに顔を青くさせる男に、チチは笑いながら「おらの勝ちみてえだな、辛子の量間違えたんでねか? んでも、スリルがあって楽しかっただ、ありがとな」と水を置いて立ち去った。その時チチが選んだ小瓶が紛れもない当たりで、男の飲んだ小瓶が大外れの毒薬だったと知るのは、それから三日経ってからだった。三日の間その街に滞在していたのだが、なぜか行く先々であの男が賭けを仕掛けてくるのだった。チチは律儀にそれに付き合った。よっぽど悔しかったのだろう、そう思って。しかし勝負をするたびに男の顔色は悪くなるばかりだった。
 三日後、チチが街を出る時に現れた男は、とうとう言った。
“今まで用意してきた瓶のどちらかには毒が入っていた。遅効性の甘い毒だ。俺は今まで運に負けたことはなかった。なのに、どうだ、お前には全て負けている。お前は一体何なんだ。――いいや、何でもいい。これが最後の勝負だ。この瓶のどちらかは、即効性の強力な毒が入っている。逃げようなどと思うなよ。さあ、娘さん。どちらかを選べ”
 毒っ? チチは盛大に驚き、ひとしきり怯え終わったあと、男の瞳に闘志を見てすぐに覚悟を決めた。そして躊躇いもなく片方の小瓶を掴み、中身を飲み干した。少しの間、男は期待に満ちた目を向けていたが、チチが倒れないのを知るとぶるぶる震え始めた。畏怖すら抱いている顔をして、男は自分が手に持つ小瓶の蓋を開け、口許に持っていった。
“負けは、負けだ。どうやら俺は、とうとう神に見放されたらしい”
 そうして毒薬を飲もうとした男の手を、チチは蹴り払って阻止した。だんッ! そのまま地面に足を着き、瞠目する男の前で仁王立つ。チチは言った。
“おらは武道家・牛魔王の娘だ。そして将来、孫悟空の嫁になる女だと神さまに誓いを立てている。運に勝ってきたと言うなら、おめえさも誓え”
“な、なにを”
“もう悪いことはしません、罪を償いますって”
“な……
“賭けてもいいだぞ。んー……そうだな、おらが孫悟空の嫁になれなかったら、そのときは、おらの負けだ。またおめえさと、この命の賭け事をしてやる”
“なに……
“どうだ? ああ、そうだな、ハンデが足りねえな。悟空さは絶対おらをお嫁にもらってくれるもん。んだら……おめえさがあと二十年くれえ生きて、そんでもまだおめえさに勝ったこのおらのことを覚えてたら、そん時は、また勝負してやるだよ。約束だ。おらは約束は守るからな。だから、罪を償え。死んで逃げようったってそうはいかねえだ”
 男は地面に膝を着いた。見上げたチチの瞳は、言われた二十年では到底忘れられないほど、強く、美しいものだった。それから首を垂れるように俯き、チチの言葉に、確かにしっかりと頷いたのだった。



 あれから二十年。
 よく晴れた昼下がり、男は約束通りに孫家を訪ねてきた。
 遊びに出かける悟天をトランクスのもとへ送り出し、家事を一通り終え少し休憩してから畑の様子を見に行こうとしていたチチに、挨拶もそこそこ、賭け事を持ち出してきたわけである。

 男は言った。小瓶のどちらかには惚れ薬が入っている、と。
 男がこの二十年をかけて作り出した代物らしい。この日、この時のためだけに。とんでもない執念だ。チチは男が名乗り出るまで約束のことなどすっかり忘れていたというのに。
 けれども約束は、約束だ。毒薬じゃないだけマシになったと思おう。チチはじっと小瓶を見つめた。

「どうした?」男は楽し気に眉を跳ね上げた。「飲まないのか? 年を食ってあの無鉄砲さも鳴りを潜めたか」
「ふん。一途って言ってほしいだな。あん時は、悟空さの嫁になることがおらの全てだった。毒を飲んだって死なねえと信じてただ」
「それを無鉄砲って言うんじゃないか。……その孫悟空は、今はお前の全てじゃないのか」
「色々あったからな」

 少女だったときには考えられないほど深い声音でそう言ったチチは、「だども」とやはり躊躇いもなく片方の小瓶を手に取った。
「おらは孫悟空の嫁だと神さまだけでなく元大魔王にも誓った身だからな。おめえさには悪いが、この勝負、負ける気がしないだよ」

 そしてぐいと小瓶の中身を一気にあおった。
 ごくん。鳴ったのはチチの喉か、男の喉か。
 
 次いで鳴ったのは硝子が割れる音だった。

 ガタ、チチが椅子から立ち上がる。じゃり、割れた硝子が靴に擦れる。
 小瓶を落とし立ち上がり、液体を飲んだ喉を押さえて途端に脂汗を滲み始めるチチを、男は勝ち誇った笑みで見つめていた。反応は顕著だ。勝敗の二文字は、両者を見れば明らかだった。

「な、なにを……」チチは気を抜けば泣いてしまいそうなほどの焼けつく痛みを押しのけ、何とか問うた。「なにを、飲ませただ、おらに」喉の底、腹の奥から痛みが体を蝕んでくる。男を睨みつけたかったが、残った冷静な理性でそれを留めた。目線を下に固定する。男は何と言っていた?

 “視線が合った者に心を奪われる惚れ薬”だ。

「惚れ薬さ」男は喜色のこもった声で答えた。「ただし、誰かと目を合わさなければ激痛に襲われ……そして目が合えばそいつに身も心も支配されたくて堪らなくなる、劇薬だがな」

「お、おめえは、」チチは歯を食いしばって床を睨んだ。「ちっとも、改心してねえ。神に誓ったんじゃなかったのけ」
「神より、お前の目だ」
 男がテーブルを回って近づいてくるのを、気配と音で察したチチは、椅子を倒しながら後退って距離を保とうとした。視界に入らせてはいけない。顔を上げてはいけない。――身体が痛い! 滲んできた涙がまつ毛を束にしていく。チチはその瞼を強く閉じ、痛みに支配されつつある神経を男の気配に集中させる。震える腕を持ち上げ、腰を落とし、低く構えを取る。負けるわけにはいかない。薬を選んでしまったのは自分だが、まだ負けたわけじゃない。

「あの日からお前の目にずっと囚われているんだ。必ずお前の目を屈辱と絶望で塗りつぶす、俺はそう決意して今日に挑んだ。……娘さん、運は俺に向いているようだぜ」
「は、運だか。……ってことは、どっちも惚れ薬にするとか卑怯なことはしなかっただな」
「ああ。だってそうしたら、神に見放されたお前を見られないだろ? どうだ、負けた気分は」
「まだ負けてねえ」
「じゃあ、これからだな」
 
 ちかちかと痛みが突き抜ける暗い瞼の裏側、眩暈を堪え、チチは男の足音を聞きつけてじりじりと後退り続ける。このまま後退し続ければ、おそらく台所にぶち当たる。外に出た方がいい。外に出て、それで、それから? 目を瞑った状態で自分はどれだけ動けるだろう。しかも、この痛みを我慢しながらだ。下山はできない。それに下山すれば人と会うだろう。チチが惚れていいのは孫悟空だけだ。
 
 チチが惚れているのは孫悟空だけなのだ。
 だからこの勝負、目を瞑ってさえいれば勝てるはずだ。

「そんなに怯えるなよ。効果は一日だけなんだからさ」
 思いのほか、声が近くで聞こえチチは焦ったが、それを表に出すことはしなかった。
……それを聞いて安心しただ。一日逃げ切れば、おらの勝ちになる」
「そんなこと、本当に信じているのか?」
「ああ。おらはおめえなんぞに惚れねえ」
「夕方になればお前の息子が帰ってくるよな?」
 チチは押し黙った。ひどい頭痛がしている。男の声は鋭利で、粘着質で、まるで脳を揺さぶってくるようだった。男は言った。

「どう思うだろうな。いつも通り自分の家に帰って来て、自分の母親が父親以外の男に抱かれているのを見たら。なあ。ええ? 想像してみろよ」
 
 チチは自分の口が何かを叫んだのは分かったが、何を叫んだかは意識の外だった。
 お前、とか貴様、とか、もしくは気色の悪いこと宣うんじゃねえ、とか。とにかく頭にのぼった血のままに叫び、目を瞑ったまま男に飛び掛かった。けれど振りかぶった拳は虚空を殴り、蹴り上げた脚は空しく当たらない。それどころか、まんまと男の罠に嵌ったと気づいたときには遅く、脚を掴まれ床に引き倒されていた。今度は痛みで悲鳴が飛び出る。藻掻く隙も与えられず、男に圧し掛かられる。歯軋りするチチの苦渋に満ちた顔に、男の吐息が降ってきた。
「さあ、俺を見ろ! 瞼を開けて俺を見るんだ!」
「誰が見るもんか!」
 ぎゅっと目を閉じ吠え返したチチの頬を、男が何度か強く張った。結びが解けた髪が頬にかかる。痛みは目の奥を突き抜け、涙を零させる。それでもチチは目を開けなかった。諦めず抵抗を試みた腕は、されどあっけなく一纏めに掴まれ、手首を素早く拘束される。最早反撃の余地もない。男の空いた手がチチの腰を掴み、胸元のボタンを外してくる。
「強情だな。なら、無理やり開けさせるまでだ」
「お、おまえ――ひとを殺すだけでなく、強姦にまで手を出すだか。どこまで堕ちれば気が済むだ! この外道!」
「お前を引きずり落とすことだけを考えてきたんだ。お前、夫にしか体を許してないんだろ? どう思うだろうな、お前の夫も、お前の息子も、お前が誓った神とやらも――
「や、やめろ」
 聞くに堪えず、チチは顔を背けることで抵抗を示した。涙が横に流れ、床と耳を濡らしていく。嗚咽が漏れ震える口に、布のようなものを突っ込まれた。男は笑って言った。「舌は噛むなよ。死んで逃げようったって、そうはいかないぜ」

 誰が!
 チチは頭だけでなく胸さえも怒りで熱くなるのを感じた。――誰が舌を噛むもんか! おらは母親だ、子どもを置いて自死するようなやつだと思うなよ、自惚れるでねえ! ――そうだ、こんなこと。こんなことは大したことではない。チチは泣きながら心にそう強く思おうとした。こんなのは、世界が滅びるとか、宇宙がなくなるとか、子どもが攫われるとか夫が死んでしまうとか、そういうことに比べたら何て些細な不幸なんだろう。ほんの少し、少しだけ、運がなかっただけだ。大丈夫だ。大したことじゃねえ。

 でも悟空はこのことを知ったらどう思うのだろう。
 チチはそれが怖くて仕方なくなった。

 ほかの男に、悟空以外の男に、体を許したら。許してしまったら。

 そんなのは、絶望だ。

 チチの話すことのできなくなった口が夫の名前を呟く。
 それを聞き届けたのかそうでないのか、どちらにせよ、男は残酷なことを更に言い放った。

「娘さん、チチ、お前を孫悟空の嫁じゃなくしてやる。――誓った神もお前の不貞を見ているだろうさ!」



「誰が誰の何を見ているって?」



 唐突に。
 チチの上から男の重みが消えた。
 ばきり、と何かが折れる音が響いた。次いで聞き慣れた――決して慣れたくはなかったが――壁が破壊された、がらがらと崩れる音も轟く。
 チチは目を開けてしまった。涙に濡れた視界で、家の砕かれた壁と、そのそばに立つ白いマントをはためかせている長躯を目にし、劇的にほっとするのと、罪悪感に蝕まれるのは同時だった。長い脚が、地を踏みにじると、そこから男の呻き声が聞こえた。チチからは見えなかったが、倒れ伏す男を睨み見下ろし、ピッコロは低く口にした。
「ああ、しかと見ていたぞ。貴様の愚行も、罪も、全てな。だが神は公明正大だ。あの女が孫悟空の嫁だと知っての狼藉、心優しき神に代わってこの俺が断罪してやる」
 男の呻き声が一際大きくなり、ぷつりと途絶えた。

 チチは床に蹲り震えているしかなかった。
 ピッコロが振り返る前にまた瞼を閉じ、口から布を吐いて、外されていた服の留め具を手で覆う。ずび、と洟を啜る。そばで、近寄ってきたあの立派な長身がわざわざ膝を折ってしゃがみ込む気配があった。
「こ、殺しちまっただか」
 開口一番、問うと、いかにも不機嫌そうな声で返される。「お前それは一体何の心配だ。この家が殺人現場になるかもしれんという危惧なら、別に問題ないが」
「こ、殺しただか、家の外で」
……殺してはいない。そうしてやりたいとは思っている」
「殺すなよ」
「なぜだ」
「人間には人間の罰し方があるだ。天罰なんか、あの男には勿体ないだ」
「俺はもう神じゃない」
「大魔王でも、ないだろ。だから、酷いことなんてしなくていいべ」
「お前な、」ピッコロはそう言ったっきり、しばらく黙った。言いたいことを全て飲み込むような間のあと、「……体は平気か」とぶっきらぼうに訪ねた。
 おそらく言いたいこと全ての中からひとつだけその言葉を選んだことに、チチは泣き笑いを浮かべ答えた。「平気とは言えねえな。全身が痛えだよ。おめえさ、どこまで知ってる?」

「デンデからお前が暴漢に襲われていると知らせがあった。それだけだ」

「あは、……やっぱりこの勝負、おらの勝ちだな。おら昔っから、運だけはいいだよ。天はいつでもおらの味方だな」
「そんな酷いナリで何言ってやがる。……目を怪我したのか。診せてみろ」
「だめだ」
 チチは身を引いて首を振った。気丈に振る舞えてはいるだろうが、体の震えは止まらず、汗と涙にまみれているせいで寒かった。そのくせ、痛みは苛烈な熱をもって全身を突き刺してくる。身体が痛い。
「ちょっと、薬を飲まされてな。おめえさ、惚れ薬って分かるだか? よくおとぎ話に出てくるんだけんど、それとは可愛げが違ってな。まあ、なんだべ、目が合った者に惚れちまうんだけど、これは誰かと目が合うまで痛みが凄くてな――
「だからお前、そんなに弱っているのか」
「そう見えるだか? まあ、はは、そうだな……。そんで、目が合った者に身も心も捧げたくて仕方なくなる代物らしい。でも、」
「おい待て、おい、チチ。じゃあ何か。あの愚か者はお前を自分のものにしようとしたのか」
「おめえさ、そういうの分かるのけ? まあ、そうなんだろうな。でも、」
「益々、虫唾が走るやつだ。俺に恋愛は分からんが、お前は孫のものだということは誰もが知っている。特に俺は、俺には、神だったころの記憶があるんだぞ。あの天下一武道会でお前たち夫婦の誕生を誰が見届けたと――。おい待て。そういうのが分かるのか、だと? あの下種を始末する権利が俺にあることだけは分かる。やはり殺すか」
「あは、待て、ピッコロさ。待つだよ。いつもの冷静さはどこやっただ? 話は最後まで聞くもんだ。効果は一日。一日堪えれば、おら元通りだ」
「悟空を呼ぶ」
「呼んじゃなんねえ」
「なぜだ」
「こんな姿、見られたくねえ」
 思いのほか、情けない声で言ってしまった。ピッコロはまた黙った。
 それから少しの沈黙ののち、分かった、と言った。「神殿へ連れていく。そこで一日養生しろ」
 チチは素直に頷いた。いい加減、限界が近かった。痛みでただ呻くだけの生き物に成り下がりそうだ。



※ 

 

 指先ひとつでチチの乱れた服を直し手首にかかる拘束を解いたピッコロは、痛みに泣くチチを抱え空を急いだ。空を飛んでいる間、もういい、安心して気絶していろ、と言ってやると、チチは重くなって落とすなよ、と憎まれ口を叩きながらも今まで意地だけでつないでいた意識をようやく手放したようだった。
 だが汗と涙に濡れた顔は苦痛に満ち、殴られたのだろう、切れて血がこびりついている口からは呻き声が時折漏れている。ピッコロは舌打ちを零した。チチが言ったのであの男は後でクリリンにでも引き渡して人間の処罰に任せようと生かして孫家の庭先に括り付けてきたが、やはりあの場で殺しておくべきだったのではと思えてくる。自分にはその権利があり、責任があると感じていた。いや、それは建前だ。ただはらわたが煮えくり返っているのを自覚している。

「デンデェ!」

 ピッコロは自分にこのことを知らせ向かわせた神の名を呼びながら神殿に降り立った。
 靴裏が床に着くよりも既に駆け寄ってきていた神が「ピッコロさん!」と叫ぶ方が早く、着地したピッコロは大股で残りの距離を詰め、そして目の前にきた幼く小さな神の前に跪いた。チチを下ろす。デンデはすぐにチチへと手をかざし、回復を施す。
 あらゆる事情をこの神殿から見聞きし、ただ見守ることを託された神であるデンデは涙ぐみ、「どうしてこんな酷いことを」と小さく呟いた。ナメック語だった。使い慣れた地球の言語に変換する余裕もないほど心を痛めている。ピッコロも同じ言語を使い、簡潔に問うた。「容体は」
「体の傷は癒えます。ああほら、見て、……殴られた頬は、もとのりんごの色に戻ったでしょう」
「怪我は、それだけか」
「はい、怪我は」デンデは口惜しそうに言った。「見ての通り、これ以上の治癒はできません。チチさんが飲まされた薬の効力は、まるで呪いじみています。おそろしく苛烈で、そして執念深い。僕の力では……
「分かっている」お前が悔しく思っていることも、悲しんでいることも、何もかもをだ。「……そう気を落とすな。効果は一日で切れると言っていた」
「ですが、こんなの、拷問です。一日待つ間に痛みで死んでしまうかもしれません」
「デンデ」
「構いません」
「まだ何も言っていないぞ」
「あなたの言いたいことなんて、地球の書物に比べたらものすごく分かりやすいですよ。精神と時の部屋の使用許可なんて、どうか求めないでください。僕は断ったりしません」
……助かる」
 デンデが温かな光を生み出している両手を下ろす。再びチチを抱え上げようとしたピッコロは、しかし、チチの瞼が僅かに痙攣し薄く開かれようとしているのを察して瞼の上に手を当てた。手のひらにまつ毛が擦れる。その下にある、傷だけは綺麗に消えた唇が「ピッコロさ……?」と弱々しく紡いだ。「おら、寝ちまってただか……どうなった……?」
「チチさん」デンデは優しくチチに語りかけた。「こんにちは。あなたの事情は知っています。精神と時の部屋を使ってください。あの部屋は時間が早く進みます、あなたの苦痛が少しでも早く和らぐように、」
「デンデ」ピッコロはようやく静かに諫めた。「ナメック語になっている」
 デンデはきょとんと大きな目でピッコロを見上げると、たちまち耳を紫に染めて「すみません」と小さく謝った。こほん、咳払い。改めて地球語で言う。「チチさん、こんにちは。僕はデンデです。事情は知っています。精神と時の部屋を使ってください。そしたら、数分で一日が経ちますから……
……精神と時の……数分で、一日……」かけられた言葉を、朦朧とする意識で必死に理解しようとしているのが分かる。やがてピッコロの手のひらに、またまつ毛が擦れる感触がした。「だめだ。申し訳ねえんだけど……
「ど、どうしてですか?」
「おら、……おら、もうこれ以上、一日だって悟空さより早く年取りたくねえだよ」
「お前な」
 これにはピッコロが声を上げた。
「そんなことを言っていられる状態か? 今にも死にそうな息遣いしやがって、お前が嫌がっても俺が強引に部屋に叩き込んでやるぞ」
「ピッコロさん」デンデは神妙な面持ちで言った。「ナメック語になっています」
 ピッコロは思わず押し黙った。その間にもチチは続ける。「おら、平気だ。一日じっと耐え忍んでみせる。だから、不思議な部屋とか、ドラゴンボールとか、使わねえでけろな。これはおらの勝負なんだ、二十年も前の……だから正々堂々と勝ってやるんだ……神さま、どうか、見守っててくんろ。お願いだ……
 ピッコロとデンデは顔を見合わせ、そして、ほとんど同時にナメック語で言った。
「なんて強情な女だ」
「なんて清廉な人でしょう」
 お互いに顔をしかめる。見つめた先、同じ言語を使っていたはずだが、まるで異星語でも聞いたような顔をして自分を見つめている同胞がいた。