サンライズ・デイ




微睡の中、バン!とドアを蹴る音がした。
僕は眠い目を擦って時計を見る。
時刻は7時半、約束の8時には30分も時間がある。
こんな時間に誰だよ
そう思いながら、のっそりベットから這い出る。
その間にもガンガンドアが蹴られ続けている。
パジャマから着替えて、新しい服を着て、髪の毛も軽く整えて。
そしてドアを開けたら、誰かが僕の腹を殴ってきた。
痛くは無いけどずっしりと重い。

「出てくるのが遅えぞクソ新人!何分待たせやがる!」

 聞き覚えがある声。
その声を聞いてようやく強化人間である僕の腹を殴った人物が誰であるか認識した。

き、昨日と全然人が違いませんか?
ドルネシアさん……

「あの、約束の時間って8時じゃ、なかったですっけ……?」
「テメェ、ヴェスパーで教えて貰って無ぇのか?仕事は30分前行動だよバカヤロウ」
「は、はいぃ」
「情けねえ声出してんじゃねえぞ、親指野郎って呼ばれてえか?」
「親指野郎ってなんですか……
「アソコが小せえ奴って事だよ、粗○ン野郎」

口がめちゃくちゃに悪い。
芍薬の花は何処へ行ったのか。
氷柱のように冷ややかな敬語は何処へ行ったのか。
今の彼女は芍薬じゃなくってウツボカズラって感じだ。
腹を殴った手を開いて腹を触る彼女。
彼女の腹をまさぐる手が胸へと移動する。
そして、胸元を掴まれる。
胸元が引っ張り上げられる。
僕の足が浮く。
苦しくて僕が襟首を掴み上げる彼女の腕をパンパン叩くと、彼女はようやく気付いたのか手を離して降ろしてくれた。
締まった首が緩んで、咳き込む。

「なっさけねえな、それでも元ヴェスパーかよ」
「ゴホッ、ゴホッ……、ヴェ、ヴェスパーじゃ、胸ぐら、掴まれるとか、無かったです……
「じゃあ覚えとけよ、此処じゃアタシが先輩で、アタシがルール。先輩のアタシに逆らったら宙吊りかワンパン一発」

パワハラじゃないか。
それに宙吊りかワンパンって言ったのにどっちもしてたし。

「なんか言いてえって顔してんなオマエ……
凄いガンを飛ばされてるのをひしひしと感じる。
「い、イエ。言イタイコトハ何モアリマセン」
咄嗟に敬礼をしたら、チッと舌打ちされる。
態度がすこぶる悪い。
「ついてこい」
白杖を地面に付けて、歩き出す彼女。
昨日とのギャップで更に怖くなった僕は、黙って彼女に付いていった。

黒壇の模造タイルが敷き詰められた床の上、四角い四人掛けのテーブルが幾つも幾つも、無数に並んでいる。
無数にある席はそこそこ埋まって、それぞれに好きなものを食べて思い思いに寛いでいる。
右手は天井までガラス張りで、日が上がりたての柔らかい日差しが当たる丘が窓枠で切り取られている。
外にも席があるみたいで、皆が笑顔で朝食を頬張っている。

「ここがウチで一番大きなカフェテラス。バベルで働いてる奴はだいたいココでメシ食ってる。こっち来な」

ドルネシアが席と席の間を縫って、カフェテラスの奥にあるオーダーコーナーへ進んでいく。
僕もその後に付いていく。

彼女が席を横切るたびに、席に座る誰かが挨拶をしていたのが印象的だった。
おはよう、久しぶり、後ろの彼は例の新人さん?
彼女に話しかけるついでに僕にも話しかけてくれる。
初めまして、これからよろしく、てな感じで。

ヴェスパーにいた時にはこんなに気さくに話しかけてくれたことなんてあまり無かったから、新鮮だった。
ホーキンスみたいな例外が居るには居るけど、彼のような人間は例外中の例外だ。
同じ会社組織に居るのにこうも職場の風潮が変わるものなのか。
不思議だ。

テーブルからいろんな香りが漂う。
ベーコンの脂と燻製の香り、コーヒーの香ばしい香り、シナモンの香り。
テーブルに乗る料理も華やかで五感が楽しい。
幼少期に行った、在りし日のスペインを模した都市にあった市場のようだ。

「オバちゃーん!いつものちょうだい!」
オーダーコーナーに辿り着いて、彼女かカウンターに手をついて叫ぶ。
オーダーを整理していた、綺麗な制服を着た優しそうなご婦人が僕らを向いて微笑んでくれる。

「おかえりドルちゃん、今回も無事に帰ってきてくれて嬉しいわ」
「今回もって、アタシまだ危険な仕事は任せて貰えてねえから。今回の出張はコイツを迎えにいっただけだし」
「ドルちゃんはそれで良いのよ。まだ二十歳超えたばかりでしょ?楽しい盛りなんだから死に急がなくていいの。で……

ご婦人が僕の方を見る。

「貴方が新しい社員さんね。ようこそ、ビブリオテカ・デ・バベルに」
「ど、どうもよろしくお願いします……
「ここは良いところよ。ボスも優しくて良い人だから、緊張しないでのびのびしてね」
「オバちゃん、コイツにはアレ用意して」
彼女が優しく話しかける中、ドルネシアが会話に横入ってくる。
「わかってるわよー。ドルちゃんに言われた通り、ちゃんと一人分キープしてるわ」
「ありがとう、オバちゃん」
カウンターに手を付いて跳ね飛ぶ彼女は昨日と全く違う、まるで10代の少女のようで、元気で可愛らしい。

「食事、準備出来たら呼び出すから席取ってきなさいな。今日は快晴日だから外が気持ち良いわよ」
「サンキュー、行ってくる」
はいコレ、と僕の方に差し出された小型チップを手に取る。
これが鳴れば食事の準備が出来た合図だ。

「新人!さっさと外行くぞ」
「ハ、ハイ」

“貴方のような自分で考えもせず、機会を待つだけしかしない弱い人間が、サーの後継者だなんて知りたくなかった”

昨日見たあの冷たい視線。
あれは幻だったのかな。
そう思わせる程に彼女は快活で、子供だ。
初めて出来た後輩にはしゃぐ、年頃の子供。
そんな感じがする。

「足音が遠いぞ新人!キビキビ歩け!」
彼女に急かされて、僕は歩みを早めた。



「こちらは、バベルの一番人気スポット巨大室内庭園。アーキバス最大の室内庭園デス!」
わざとらしい敬語で彼女が話す。
その声は何処か自慢気だ。
鼻を通る、青い匂い。
「あっ」
思わす声がでる。

窓の外から見た景色よりも遥かに大きく広がる草原。
封鎖空間の筈なのに、そよ風が吹いて僕の頬を撫でる。
オリーブの葉が、サルスベリの花が揺れる。
風が僕の鼻を擽る。
草の香りがする。
日に当たった草の香りだ。

「空いてる席どっかあるだろ、誘導して座らせてくれよ」
「はい、わかりました」
僕は当たりを見回して、空いている席を探す。
テラス席は人気なのか中よりも席が埋まっている。
よく見回していると、空席のテーブルが一つだけある。
「ありました、こっちです。腕、お借りしますね」
ドルネシアの肘に手を回して、僕は彼女を席に誘導して座る。
肺いっぱいに空気を頬張って、深呼吸をする。
美味しい。
心地いい匂いだ。

「どうだ、目で見る数十倍いいだろ?」
「そうですね……草の青い香りがして、とても気持ちがいいです」
確かに目で見るだけより何倍も良い。
「だろ?アタシは景色は見えないけどさ、この匂いとあったかい日の光が好きなんだ」

天井から降り注ぐ無数のライトの光。
人口の光じゃない本物の太陽の光と同じ暖かさを持った日差しに照らされて、僕は頬杖を付く。
頭を首で支えてるのも重い。
それくらいに、なんだかリラックスしている。
何処からか小鳥の声も聞こえる。

「鳥も居るんだ」
「居るぜ。時々こっちまで寄ってきて食べカス食いにくるみたいなんだけど、今日は多分来ねえな」
「来ないの?」
「ダチが居たら必ず来るんだけど、今日は居ねえからな……
ピィピィと鳴く囀りの声に耳を傾けてる。
遠くで聞こえる小さな囀りが次第に増えてけたたましくなってきた。

……あー、来ちまったか」
ドルネシアが舌打ちをする。
それと同時に、僕らの居るテーブルに男が現れた。
「ドルぅ、帰ってきてたなら先に言ってよぉ!」
テディベアのようにまん丸とした優しげな男。
手には大きなバスケットを抱えて、足元には小鳥を十数羽従えている。

「昨日帰ってくるって聞いてたから、ドルの大好きなチョコチップケーキ作って待ってたのに!君がいつ帰ってきても良いようにバスケット膝に抱えてずっと待ってたのに!僕に会わないで部屋に帰っちゃうなんてひどいよぉ!」
凄い声量だ。
男は椅子を引いて、僕の隣に飛んで座る。
座る勢いが凄まじく、集まってた小鳥もびっくりして飛んで逃げていく。

「うっせえわバカ、こちとら疲れてたんだよ……それにデスクに食い物入ったカゴ持ってくなって言ったよなぁ?」
「すぐ持っていきたかったんだもん!」
「だもんじゃねえ。んなもん抱えて仕事してたら、アタシがまた茶化されんじゃねえか。“ドル、彼氏が手作りのお菓子作って待ってたよー良い彼氏だよねー”。あーめんどくせ」

両手でピースサインを作って指を2回曲げる“Air quotes”のサインを作って、彼女は嫌そうに言う。

「えー良いじゃん、僕たち実質カップルでしょー?」
「カップルじゃねえよ、ダチだよ、ダチ」

二人だけで話が盛り上がっていて、部外者になっているのが気まずい。

「あ、あの」
気まずさに耐えかねて声を出したら、相手の男がわぁ、と言った。
まるで子供向けのファンタジーアニメの登場人物のようだ。
彼の顔が僕に迫る。
鼻先が当たりそうになる程に。
き、距離が、近い。

「はじめまして!きみがメイナードだね!ぼくパンサ!」
手に抱えたバスケットから、男はケーキを取り出して僕に差し出してきた。
「お近付きの印にこれあげる!」

拳一つ分はあるくらいに大きなケーキだ。
正直に言って、これだけで朝食を済ませても良いくらいにはボリュームがある。
「パンサ、アタシ達朝飯注文して出来るの待ってんだわ。コレ食ったら飯が入らねえよ」
「そんなぁ、食べてくれないの?」
大男が泣きそうな顔で目を潤ませている。
「食べねえな、今回はパス」
ドルネシアは興味なさそうにしているが、彼が手に持っているケーキは歪だけど焼き色も綺麗でとても美味しそうだ。
それこそ丹精を込めて作ったんだろう、一つ一つ違うマフィン型に入れられている。

可哀そうだ。
これだけ気持ちを込めて作ったものを食べて貰えないのは。

「あの、僕、いただきます……
「本当!?ドルぅ食べてくれるって!」
「よかったじゃねえか、食って貰えて」
「違うぅ、そうじゃないのぉ……!」
興味なさそうに手を組んで上に伸ばして背中をほぐしてる彼女と、カップケーキに興味をもたれなくて地団駄を踏む彼。
周囲から笑い声が聞こえる。

横目で周りを見渡す。
みんなこっちのテーブルを見て笑ってる。
いや、笑ってるというか、微笑ましく見守られてる。
ここにいる皆、可愛い子猫同士のじゃれあい動画見てるみたいに二人を見てる。
僕のことは誰も眼中にない。

あの、誰か助けてくれないかな……
心の内で救いを求めて祈る。
小型チップが振動する。
おぉ、神よ。

「あの、食事出来たみたいなんで、取りに行ってきます」
僕は席から立ち上がる。
何故かパンサもバスケットを置いて立ち上がった。

「えっとドルネシアさんと一緒に居なくて良いんですか?」
カップケーキ食べて貰いたくて待ってた筈なのに僕と一緒に食事を取りに行っては意味ないと思うんだけど。
「そうだけど、君ともお話したいし。それにドルは恥ずかしがり屋さんだから、あとで食べてもらうことにするぅ」
「恥ずかしがり屋じゃねえよ」
「ホントかなぁ〜?」
ドルネシアが大きく舌打ちする。

「メイナード、一瞬でも良いからコイツを連れ出してアタシを休ませろ。命令」
「りょ、了解ですドルネシアさん」
「5分は帰ってくんなよ」
彼女にシッシと手で追い払われる。
「2分で帰ってくるね」
「くんな」
「メイナード、行こ?」
彼に手を掴まれて引っ張られる。
引っ張られているけど、力は殆ど感じない。
生身の人間に引っ張られても、びくともしないんだよな僕の身体。
僕は引っ張られるふりをして、彼の歩幅に合わせて歩く。

「メイナード、ごめんねぇ」
扉を開いて、中に入った瞬間だった。
彼は手を合わせて、眉をハの字にさせて謝ってきた。

僕のことを放っておいたこと、気に病んでくれてたのかな?
別に気にしなくても良いのに。

「あ、謝らないで下さい。僕気にしてないですし」
「そんなダメだよ!殴られたり首根っこ掴まれたりしたでしょー?」
「え、なんの事ですか……?」

思いもしない返答が帰ってきて困惑する。
なんの話だ?

「ドルに暴力振るわれた話だよ!ごめんねぇー。ドル、ちょっと逆恨み中でぇ」
「そっち、ですか?」
いけない、口に出てしまった。
「まあ、あの振るわれはしましたけど……、僕も一応強化人間なんで、大丈夫です」
「ごめんねぇ、ドルにはやめてって言ってるんだけど、どうもムカついちゃってるみたい」
めちゃくちゃタチが悪い人じゃないか。
「なかなかに、その、やばいですね」
「そうなの、やばいでしょ?」
子猫の気性が荒くて可愛いみたいなニュアンスで、ニコニコ顔で言われるのがとても困る。
貴方には子猫に見えるのでしょうが、強化人間を持ち上げられるレベルの獰猛な肉食動物なんです。

「ぼくからもいっぱい注意するけど、君も彼女に付き合ってくれない?ドルも気にしてはいるんだけど、我慢しようとすると余計にイライラしちゃうみたいだから」
あの、もしかして八つ当たりされろって言っていますか?
「あの、僕、暴力受けるのは
「じゃあ、僕ご飯とってくるからね!君はここで待ってて!」
樽のように大きな身体を軽やかに弾ませて、パンサが朝食を取りに行く。
ずんずん歩いていく姿を僕はぼうっと眺める。
話を聞いてくれ。
ドルネシアといい、彼といい、そしてサーヴァンタスといい……
一方的すぎる。

スネイル、君は割と真面目だ。

「おまたせぇ!」
パンサが帰ってきた。
両手にトレーを持って、小走りに戻ってくる。
一つにはフルーツが乗った木のボウルが、もう一つには大きな皿が乗っていた。
「あ、まだみちゃだめ!」

彼がトレーを隠す
「君のは席についてからのお楽しみだから!」
僕に見えないように大きな身体を縮こませてトレーを覆う姿に、僕へのプレゼントを隠す弟の姿が見えた気がした。


トレーを抱えた彼を追いかけて、ドルネシアが座っている席に戻ってきた。
ドルネシアは椅子にもたれて、天を見上げていた。
僕らの居ない間、彼女は寛いでいたようだ。
「ドルー!ただいまー」
パンサが声をかけた瞬間、彼女の眉間に皺が寄る。
「早えよ。5分は帰ってくんなって言ったろ」
「えー、5分経ったよー?」
「メイナード、コイツを引き離してアタシを休ませろって言ったよな?」
「言いましたけど……
一瞬でいいって言ってませんでしたっけ?

「あー、やっぱ使えねえわ」
これ見よがしに大きい舌打ちをして、その後大きなため息をつく。
スネイルで慣れてるからいいんだけど、監査部門に訴えたら普通は懲戒ものなんだけどなあ……
ここが監査部門である事実が憎い。

「力不足で、すみません」
「謝らなくていいよー!ドル、メイナードをイジメすぎだよ!きみのはじめての後輩くんなんだから、大事にしなきゃ!」
「大事にしたかねえよ……、コイツが居なきゃアタシがサーの後任だったのに」
「ドル」
彼女が言葉を零した瞬間、パンサが彼女の名前を呼ぶ。
先程までの子供っぽい、拙い喋り方じゃない。
鋭く、冷静な口調だ。

「“君”は自分のことを買い被り過ぎてるよ。君は君自身が思ってるよりもスキルが足りてないし。そして君はサーの事が見えてない」
「なんだって……?!」

彼女がテーブルを叩く。
談笑をしていた周囲の人間たちの声が止まる。

「もっぺん言ってみろよ……
「何度でも言うよ。君はスキルが足りない。元にサーの後任が君じゃない別の人に決まって、それが腹立たしくて本人に八つ当たりしてるじゃないか。彼を後任に決めたのはサーだよ?怒りの矛先を間違っちゃうなら、ドルにはまだ力不足だよ」
……
テーブルを叩いた手を彼女が握りしめる。
彼女の手が震える。
……っ」
下唇が切れそうな程に、強く噛んで。
彼女が椅子に座りこむ。
「メイナード、ごめんね。ご飯の前にやな感じになっちゃったね」
「いえ、あの大丈夫です」
僕は座ったドルネシアの様子を伺う。
表情は見えないが、怒りと不甲斐なさで落ち込んでしまったようだった。

「ドルはね、サーの役に立ちたいって頑張って“ルシファー”の副隊長になった努力家なんだ。でも役に立ちたい気持ちが空回りしちゃって、それで先走っちゃってるんだ」

パンサの言葉はどっちに向けられたものなんだろうか。
僕なのか、それとも彼女なのか。
優しく、説くように彼はなだらかな言葉を紡いでいる。

「ドルはちゃんと自分に合ったスピードで走っていけば、サーよりと同じくらいすごい管理者になれる。だから、サーはその間をメイナードに頼ろうって考えたんだよ。だから、ドルはメイナードをいじめないで。そして、メイナード」

パンサが僕の名前を呼んだ。
僕は彼に目を合わせる。
彼は僕をまっすぐ見つめていた。

「ここに来たばかりで、彼女に八つ当たりされて彼女のことを嫌になったかもしれない。でも、もしお願いできるなら、彼女を許してほしい。彼女も信頼されてる人に責任を任せて貰えなくて、辛かったんだ。もちろん許さなくってもいい。人に危害を加えたんだもん。その責任はドルがとるべきものだしね」
「えっと、それって僕が許すか許さないか、決めるってことですか?」
「うん。そうだね」


急だった。
動悸がした。

選択肢だ。
選ばないといけなくなっちゃった。
脳裏に弟が苦しむ映像が浮かぶ。
息をしていない弟の顔が浮かぶ。

「どっちを選んだほうがいいですかね……?」

膝が笑う。手のひらに汗が浮かぶ。真剣な顔をしていたパンサの顔がキョトンとした顔になる。
「僕、どっちを選べばいいんでしょう……?」

血の気が引く。
寒い。

……メイナード?」
パンサが声をかけてくる。
僕がおかしいことに気づいたかもしれない。

「パンサ、なんかあったのか……?」
「うん、メイナードが気分わるそう」
「パンサ、アタシをソイツの側に誘導できるか?アタシがそいつを支えるから、アンタはアタシを椅子に誘導して」
「わかった」

二人が喋ってる声は聞こえるけど、視界がぼやけてよく見えない。
何かがカタと固い音を立てた。
ガタっと椅子を引く音がした。
ざっざっと地面が擦れる音がする。
手が僕の背中に触れる。
柔らかい腕が僕の身体を包む。

力が抜ける。
身体がよろける。
それでも身体は地面に倒れることなく、抱き止められたままだった。
「メイナード。オマエ歩けるか?」
うん」
かろうじてできる返事をする。

力の入らない足を擦って、ずり足で歩く。
僕の近くで椅子が引く音がする。
抱えられた腕が下がっていって、僕の膝はそのまま曲がっていって、そしたら僕は椅子に座っていた。

テーブルに両腕をついて、突っ伏して、僕は肩で息をする。
はあはあと吸って吐いてを繰り返す。
繰り返し、繰り返し、息を吸って、吐いていたら、胸の動悸もおさまってきて、ようやく景色が見えるようになった。

「大丈夫か、メイナード」
「きみ、とても顔色悪かったよぉ……?」

パンサが僕の顔を伺ってる。
背中をさすってる感触がある。
多分さすってるのはドルネシアだ。

「医務室行くか?アンタに乱暴働いたアタシが介抱するのは嫌かも知れねえけど、アタシならアンタ背負って医務室まで運べるからな?」

声が優しい。
彼女も心配してくれるんだ。

だ、大丈夫です。心配させてすみません。もう、落ち着いたんで、」
「急に顔面蒼白になったからびっくりしたよぉ、ぼくたちに合わせてくれたから疲れちゃった?」
……アタシのせいだよな?強化人間だからってアンタに一発喰らわせたり、イラついたりしたから……

二人とも、自分のせいだと思ってる。
違う。
過去の記憶がまた脳裏を過る。

「そうじゃ、ないんです。昔のトラウマで、僕、自分でどっちか選ばないといけないシチュエーションになっちゃうと、パニックになっちゃうんです」

なんでもない問いに、パニックになる僕に嫌気が差しただろうか。
変な奴だと思われただろうか?
身体がまた、震える。

……そうなんだね!ぼくが許すか許さないか決めてって言ったから、辛くなっちゃったんだね」
……すみません」
目が合わせられなくて、俯いたままの僕。
その僕の肩に添えられる手の感触があった。

「いいよぉ、謝らないで。教えてくれてありがとうね!」
……面倒くせえ体質だな。……パニックになった時は、アタシが担いで医務室に運んでやるよ。パンサが側にいる時だけ、だけどな」

背中をさすり続ける彼女の手は温かかった。
僕の肩に手を置く彼の手もまた、温かかった。

僕は顔を上げる。
僕の側にいる2人を見る。
2人とも、笑っていた。
「落ち着いた?」
……はい」
「飯は食えそうか?」
「はい」
「なら、上等だっ」
背中に強烈な一発を、喰らう。
バン!と盛大な音が鳴る。
「ドル!」
「景気づけだって。景気づけ」
背中は痛かったけど、でもおかげでなんだかスッキリした。
「ありがとうございます。気合い、入りました」
「それじゃあ次はスタミナ付けだな。飯冷めきる前に早く喰おうぜ!ついでにコイツのケーキもな」
えっ、と目を丸くさせてパンサが驚いている。
「ドル、食べてくれるんだね?!やったぁ!」
僕の側に寄り添っていたパンサが手を叩いて喜ぶ。
「ドルネシアさん、席座れますか?手伝いましょうか?」
「大丈夫だ、テーブル伝えば自分で座れる。あと、敬語も辞めろ。タメ口でいい」
……わかった、ドルネシア」
背中から手が離れる。
彼女がテーブルの縁を触って、周りを確認しながら自分の席を探す。
ドルが自分の席を見つけて、座る。
パンサも座る。


動悸がしていて見えていなかったがテーブルの上にはアサイーボウルと何かのソースがかかった分厚いベーコンとトーストが乗った皿が置いてあった。

パンサがアサイーボウルの方をドルネシアの居る席に置こうとしてるのを見ると、ベーコンの皿が僕の食事なのだろう。
僕はベーコンの乗った皿を自分のところに引き寄せる。

「これは?」
パンサに訊ねる。
「これはバベル名物林檎ジャムソースのベーコンステーキ」
「林檎……ジャム?」
「そ、ベーコンの上に林檎ジャムがかかってるの」

確かによく見ると果物の果肉っぽい物がソースの中に入ってる気がする。
試しにそれだけ食べてみると、甘い林檎の味がした。
本当に林檎ジャムだ。

これ、美味しいの……?」
「それが案外会うんだよ。ものは試しに食ってみろって」
「メイナードぉ!はい、あーん」

銀色のフォークに刺さったベーコンの、分厚い一切れ。
林檎ジャムのソースがたっぷりかかって、肉汁と共に滴るベーコンをパンサが差し出してくる。

ええい、ままよ。

僕は差し出されたその一切れに口を近づけて、頬張る。

ベーコンの塩辛さと脂の旨み、甘酸っぱい林檎の甘味が口の中で混ざり合う。

あれ、これ。
結構、おいしい。

「美味えだろ?」
「うん、おいひい」

甘味と塩気が混ざり合う、肉の触感を噛み締める。
美味しい。

「林檎はねサーの祈りの証なんだよ」
「祈り?」
「このバベルを安らかな場所にしたいっていう、サーの祈り。あのひと、ケンジ・ミヤザワが好きでしょ?天上へ向かう道中が幸福であったように、ここを幸せに満ちた場所にしたいって。林檎をバベルのいろんな場所に植えてるんだ。
林檎は幸福の証、このバベルの象徴なの」
「新人はこれを食うのが通例なんだよ。これを食ってアタシたちの仲間入りってわけ」

これが幸せの味なのか。
「どうぞ、こんどは自分で食べてみて」

パンサからフォークが渡される。
手渡されたフォークを手にして、ベーコンにフォークの切先を突き刺す。
プツっと表面がはぜて、肉汁が溢れ出す。
僕は刺さったベーコンにジャムをたくさん絡ませて、食べる。
食べる。

「バベルへようこそ」

暖かな日差しが僕の手を、照らす。
幸せが怖い僕なのに、今、この時は世界が美しく見えた。

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