お前の罪を数えろ/私はユダになれなかった

花藤未満 湘北に負けて花形がぐるぐる悩む話/その番外編 花形の彼女視点
絶対に花形に彼女がいてほしいし絶対に藤真には花形を拗らせていてほしい信念のもとに花藤を書いていた
初出・Webサイト「苦行クラブ」2014

私はユダになれなかった


 バスケットというスポーツは、私からすると不思議なものだった。小学校にはミニバス、中学にも高校にも、多分大学にも、必ずバスケット部がある。大会に行けば狭い体育館はたくさんの部員とたくさんの観客を抱えていて、コートの端には監督が絶対にいる。翔陽の選手権監督が雑誌でクロースアップされるくらいには、そういう土壌ができている。そのくせ、その先は急によく見えなくなってしまうのだ。社会人バスケやプロリーグはあるけれど、野球やサッカーのそれとは全然違う。
 となると、全国大会常連のバスケット部員も、ほとんどがいつかバスケをやめるのだ。その割合が他の部活よりもずっと高い。
 なんだか理不尽だと思うのが3割、そんなことにのめり込んでしまってかわいそうにという気持ちが3割あった。残りの3割は正体不明の恐怖。
 まさにその恐怖の体現者である藤真と二人で歩いている。藤真を見る目が私と似ているなあと思った花形君と付き合い始めてから初めてのことだった。
 小学生のころから知っている藤真が私の背を追い越していることなど当然知っていたが、彼は翔陽高校のバスケ部では小さく見えた。のっぽの中に彼がぽつんといるだけで目を引くのに、顔がまたこれで、試合の様子がまたあんななのだから、市井の人間たちに好奇心を持つなという方が無理だ。それを藤真は自覚していて、そのくせだから何だよと全部を無視する、未だにガキ臭い男だ。
 花形君はそれはもう大きいので、彼と比べるとやっぱり藤真は小さい。花形君の声は私の集音域から遥か彼方で発せられるので聞き返さなければならないことが多々あったが、藤真くらいの身長だったらまだセーフなのだな、と、妙なことに納得している。翔陽の夏服は可愛いけれど私の高校の夏服はダサいので、藤真が女の子でなくて本当によかったなあ、ということも考えた。足にスカートが纏わりついて歩きづらい。太ももが汗ばんで気持ち悪い。これらは全部現実逃避。
 セミでも鳴いていてくれればよかったのに、と思いながら周辺を見回すが、あたりはまだ真夏の2歩くらい手前だった。
「俺、頭おかしいんじゃないかって思って」
はあ」
 いきなりそう切り出されて、うん藤真はおかしいよ、とは答えられなかった。結論がそれだとしてもまず彼の弁明を聞かねばなるまい。「なんで?ちなみに、今日の話題のジャンルって何」
「ジャンルぅ?」
「スポーツ芸能歴史
 アタック25のジャンルを思い出そうと首捻ったが、出てくるのは児玉さんのナレーションばかりだったのでわたしはそこで言葉を切った。「で?」
「スポーツ」
「お得意の」
「そういえば、花形って意外と芸能詳しいんだよな。気持ち悪いから今度話振ってみ」
知ってたけど藤真ってひどいよね」
 藤真と私の家は近所といえば近所なのだが、こんな無駄話をしていては核心より先にいずれかの家に着いてしまう。私は図書館、藤真は部活の帰りだったからもうあたりは夕暮れをとっくに過ぎていて、そんな時間に話がまとまらないからちょっと公園でなんていうのも絶対に嫌だったので、私は彼を促すことにした。「スポーツのなんなの」
「冬の選抜に出たいんだけど」
……
 冬の選抜というと、ウインターカップというやつだ。藤真は1年のころからずっと、花形君は去年の冬に出ていた。冬休みだったから見に行くのが楽だった。
 出ればいいじゃん、と思ったが、私はとりあえず続きを待った。
花形って成績どう?」
「え!?良いよ」
「志望校楽勝?」
 彼の言わんとしていることをうっすら悟り、私は、水の底からゆっくりと浮かび上がってくる布のような気持ちをそっと手で抑えた。
「本人にきけば
「仰るとおりなんですよ」
 藤真はあっさり頷いた。「選抜なあ、夏のチームで出たいんだよなあ」
 セミが鳴いていてくれればよかったのにと思っているのは私だけではないかもしれないとぼんやり考えるが、同じ頭の隅でこの男はそんなに繊細ではないとも思う。
 ガキ臭く繊細でもない男が、こうして無理をしてでもなにかに殉じようとしている姿は、私にとって本当に恐怖だった。恐怖だったのに、頭をよぎったのは、緒戦で敗退などするはずのなかった緑のユニフォームだ。それは稲妻のように脳を通過する。
 私だってあれを見ていた。
 私は横目で藤真を見た。
「そんなのどうでもいいと思ってたんだけどなあ、こないだまで」
 伸びをしながらあくびをする藤真の目の端には涙も浮かんでいなかった。きっともう本当は決めているのだろうな、と思う。彼がこれまで一度も監督でなかったとしたら、躊躇わずに言ったのだろう。彼がずっとただの選手だったら。
 私だってあれを見ていた。
「まさか負けるとはな~」
ほんとだよね~」
「俺頭おかしいのかな~」
「おかしいんじゃな~い?」
「やっぱそう見える?」
「見えるよ、よかったじゃん」
「なんでよ」
「頭おかしいならおかしいこと聞いても大丈夫じゃん」
……
 藤真は一瞬きょとんとし、それからわははと笑った。「確かに」
大丈夫だよ。花形君超頭いいから」
そう」
「超頭良いくせに超バカみたいだから大丈夫だよ」
「それはなー、知ってる」
 あんたもだよ、と私は胸中で付け加えた。あんたたちは全員バカみたいだ。どうせいつか辞めるバスケットで、どうせすぐにばらばらになるチームで、背負わなくていいものを背負って。
 水の底からゆっくりと浮かび上がってくる布のような気持ちは、手の間をすり抜け、水面に到達してしまった。私はしかたなくそれをすくい上げ、思い切り絞る。
 だばだばと水滴が落ちた。
「藤真」
「ん?」
「こういうことしないほうがいいよ」
 それが私にできた精一杯の裏切りだった。藤真は今度はきょとんとはせず、顎を少し引いて、低い声で言った。怒りも謝りもせずに。
「そうだな」
 小さい頃は女の子みたいで、こんな声じゃなかったのに。
 藤真が女の子でなくてよかったなんて嘘だ。本当はずっと、藤真が女の子だったらよかったのにと思っていた。そうでなければ、私が男だったらと。そうすれば私もバカの仲間に入った。そうしてきっと、どんな手段を使っても、こんな藤真を糾弾したのに。いや。もし花形君にできないのならば、やっぱり私がやろうと思っていた。だが、見ての通り私はユダにはなれなかった。なれるわけがなかった。
 もうとっくに日は沈んでいるのに、私は目を細める。
 恐怖の正体は畏怖だし、畏怖の正体は渇仰だ。私だってあれを見ていたのだ。最後にもう一度彼らを見られたらなんて一瞬でも思った時点で、私は最後の晩餐のテーブルにもつけない、救いを待ち望むだけの、そのへんの村人だった。