Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
残りの夜が来た
Public
スラダン
Clear cache
お前の罪を数えろ/私はユダになれなかった
花藤未満 湘北に負けて花形がぐるぐる悩む話/その番外編 花形の彼女視点
絶対に花形に彼女がいてほしいし絶対に藤真には花形を拗らせていてほしい信念のもとに花藤を書いていた
初出・Webサイト「苦行クラブ」2014
1
2
お前の罪を数えろ
笑ってしまうことに花形は未だに湘北戦の夢を見る。クローズアップされるのはブザーのなった瞬間だったり桜木に吹っ飛ばされた瞬間だったり、また場面によって視点が変わったりと夢らしさ満載だが、結果だけは夢のくせに現実と同じだった。その結末の度に静かに目を開く。5時半。
図太いと思っていた自分の精神の繊細さには脱帽するし、朝練の時間にあわせてきちんと目が覚めてしまう自分の未練たらしさにも驚愕だった。早いところボールを赤本に持ち替えねばならないことは重々承知していたが、花形はベッドの上で5秒考え、結局ジャージに着替えた。制服はバッグに入れてそのまま登校するのだ。皺になるから辞めろと母親に言われたのは1年の夏休み前くらいまでだった。
自転車を立ち漕ぎして坂を登り、住宅と畑の中を抜けると翔陽高校は現れる。陸の孤島とぼやく人間も中にはいるが、大多数の人間は何らかの意志を持って入学してくるので、ぼやきが深刻な悩みに進化することはほぼ無い。祭りのたびにやかましい高校だから陸の孤島くらいが丁度いいと花形は思っているが、練習試合で訪れた陵南高校のロケーションにはさすがに絶句した。藤真など帰りの江ノ電で舌打ちをしていた。
「あいつら全員ボケて留年しちまえ」
「実際多いらしいよな、陵南」
「わかるわ。翔陽に必要なのはきれいな部室とかそういうんじゃねえ。海だ。島だよ」
永野の口調の切実さは全員の同意とともに会話を終わらせるくらいの威力を持っていたが、この田舎の駅に降りたった時に一番リラックスしているのも永野だったような気がする。
朝の部室棟にはまだ誰もいなかった。
総体予選を敗退してから、3年生のうち何人かは既に部を去っていた。今でも顔を出しているのは藤真、永野と高野と長谷川、それから花形。見事に未練を持った人間たちだ。冬の選抜に向けての明確な宣言は未だなされていなかったが、どちらにせよ後輩たちにとってはさぞかし鬱陶しい存在だろう。花形も本当は、もう朝練だけにして、放課後は図書館で勉強しようか、とぼんやり思う。自分が抜けるのならば冬の選抜は新しいセンターを迎えてのゲームになるから、決めるのは早いほうがいいのだ。一人抜ければ慢性的な部室のロッカー不足も多少は解消されるだろう。それでも、未だに使っているロッカーにバッグを突っ込んで、体育館に向かう。
電気をつけない体育館はしんと暗く静まり返っていて、神社のように清涼だった。バックボードにボールをぶつけて取りに行く。床を蹴って跳ぶと、こんなに静謐な世界からさらに切り離される。
花形はこの瞬間が好きだった。これがあるからバスケットをやっているのではないかとすら思う。
朝練は自主練にすぎないから、比較的家の近い花形以外の部員は滅多に来ない。といっても悠長にウォームアップするほどの時間はないから、電車に乗らずに自宅から自転車で通学する。こんなに大きくなるなんて誤算だったという母親がホームセンターで3,980円で買ったママチャリを、結局3年間使い通してしまいそうだった。愛機は花形の巨体をよく運んでくれたと思う。「俺が一番軽い」と藤真が荷台に乗るとさすがに悲鳴をあげていたけれど、お陰で花形はパンク修理ができるようになった。
ボールが床に落ちると空気がびりびりと震える。初めて触ったときは何て重くて大きいのだと思っていたバスケットボールを片手で拾い、ドリブルし、ぶつけ、取りに行く。取りに行く。取りに行く。
…
ダンク。試合で歪んでからきちんと直していないメガネがずり落ちる。
花形は赤木と桜木に完敗した。三井に完敗したのは長谷川だったし、伊藤は宮城の敵ですらなかった。それから全員何度流川に抜かれたか。それなのに、花形たちはそうなるなんて少しも予想していなかったのだ。
ぶつける。取りに行く。
これは練習じゃなくてボール遊びだな、とぼんやり思う。
翔陽にもコーチはいた。新設校だった翔陽高校をあっという間に全国に導いた優秀な指導者だった。その指導者がいたから翔陽は強豪になったのだが、それ以外の人間を拒むかのように、後任の指導者は現れなかった。その代わりに生まれたのが選手兼監督という存在で、それがいつのまにか慣習となり、伝統となったのだと思う。今の翔陽はこれを誇りにしているきらいさえある。
花形が思うに、伝統は善きノウハウの蓄積されたひとつの結果ではある。ただ、それがどんなに素晴らしく魅力的だったとしても、翔陽の『伝統』は良くて変わった部員寄せの道具にしかならない。部員を育てるのが同じ部員でしかない以上、翔陽バスケ部の寿命は常に最長3年間だ。バトンは渡るけれど走法が変わってしまう。形はあっても中身が違ってしまう。ここはいつでも不安定な砂の城だった。
もしかしたらそれでいいのかもしれなかった。自分たちは成長した、楽しかったで卒業していけばいいのかもしれなかった。たかが部活。しかもバスケット。
そういうことをちらりとでも考えると、脳みその端がめくれ上がるような感覚に襲われた。だがその原因には未だに思い当たらない。
「集合!」
叫んだのは傍らにマネージャーと藤真を携えた伊藤だ。次の監督は伊藤になる。
基本的には監督中心に上級生の組んだメニューをマネージャーから指示させ、監督本人も練習自体には参加するのだが、時折全体を見る必要がある。それがどうしても難しいと、監督になったばかりの藤真はこぼしていた。
「そりゃそうだよな」
「見るのもだけど、そもそも俺抜けたくないんだよな。試合全然ついていけてねーのに」
「
…
そうか?」
「そう。やっぱ体力だよ。何より体力、あとはそれから」
監督業は経験がなく、それどころか未だ公式試合に出たこともなかった自分たちは、彼の苦労というよりはさらに過酷になると予想される今後の練習内容などを思い、顔を見合わせるしかなかった。それでも、やっぱり足りないと練習後に走りこむ藤真に付き合い、乳酸の溜まりきった足を必死に動かしたのは、やっぱり今未練たらしくなってる人間たちだった。入学したての頃は外周ルートにあるラーメン屋の臭いに誰かが必ず吐きそうになっていたものだったが、その頃にはもう、走りながら帰りにラーメンを食べる相談をしていた。
「次、メニュー分けます。2年以上は
…
」
伊藤次期監督を、部員たちはすんなりと受け入れているようだった。藤真の君臨する時間は誰よりも長く、その間翔陽は本当に強かったけれど、なぜかしら、前代未聞の緒戦敗退後のほうが部に一体感があるように見える。
久々に部活を休んで模試を受けると、驚いたことに会場には長谷川がいた。他に視線の高さがかち合う人間がいないために互いの存在にはすぐに気づいたが、席が離れていたので、口をきいたのは結局試験が終わり、遅い昼食にとファストフード店に入ってからだ。
長谷川の持った盆の上に乗っているものは、先に座っている花形のそれと全く同じだった。ビッグバーガー1個よりハンバーガーを2つ頼んだほうが安いのだと常々言い張る高野のせいで、そういう癖がついてしまっている。飲み物は水だ。「高野セット」と長谷川は笑う。
大きな男が二人小さなテーブルを挟んで黄色い紙をガサガサやっているのはさぞかし愉快な光景だろうなと思いながら、花形は、なぜ長谷川が試験会場にいることに驚いたのか考えていた。一つは彼が部活に行っていると思ったからだが、もう一つは、理系クラスではないと思っていた彼が理系の自分とほとんど同じ科目を受けていたからだった。
「長谷川って理系だっけ?」
尋ねると、彼は半々だと答える。
「半々?」
「受けたいところの科目が変なんだ」
「それは
…
大変だな」
「申し込みで気づいたんだけどな、模試の科目の。驚いた」
「1次だけ?」
「いや、2次も。
…
俺死ぬ気でやらないと」
冬も出たいから、と長谷川は小さく笑いを浮かべた。
その笑いがこれまで見たことのない種類のものだったことにうっすらと衝撃を受けたが、花形も長谷川も、それ以上この話題は続けなかった。代わりに模試に出てきた英語の長文についてのツッコミをぽつぽつと続け、話すうちにどうやら二人とも重要な部分の解釈を間違っている、という結論に至り、食事を終えた。
「花形、学校行くか?」
「いや、今日は市立図書館」
「そっか」
手を上げて別れる。
「
……
」
冬も出たいからと言う長谷川の言葉を反芻してみる。
花形は、長谷川に聞いてみたいことがあった。だが、それを聞くことで、あんな笑いを浮かべる彼を自分の気持ちに巻き込むのはとても無礼な気がした。うっすらとした衝撃は徐々に目の粗いヤスリとなり、喉のあたりを削っていく。
花形は無理やり英語のことを考えた。ぼんやりしながら歩いているとすぐに市立図書館だった。
サトウは指定席と化している個人机に陣取っている。その周辺は案の定1席も空いていなかったので、壊さんばかりの勢いで仕掛け絵本を開閉する小学生と同じ6人がけのテーブルについた。閉館までいるつもりだったので、帰りに気づいてくれれば一緒に帰ろうと思ったし、気づいてもらえなければそれでもよかった。特に約束をしていたわけではない。
サトウと花形とはまだ丸1年ほどの付き合いだが、いつでも周囲に「まだ続いていたのか」と言われるくらい疎遠だった。付き合い初めから疎遠気味だったためにまだもクソもないのだが、明確な離別の言葉がないために彼女は未だに彼女である。もともと藤真の友人である彼女は、おそらく花形だけが勘づいているのだが、藤真のことを好きだった。今でもだ。
もしかしたら自分には重大な欠陥があるのかもしれないと思うことがあるが、藤真を見る彼女の目にはちょっと心を打たれるものがあった。そのため花形はそれ以上深刻になることができず、今でもこうして同じ建物の中で目も合わさずに一緒にいる。
わからなかった英文をさらっていると、やはり長谷川も花形も英文の解釈を盛大に間違っていたことが判明した。試験のあいだ中無駄な時間を過ごしたのではないかとうっすら絶望しながら、唐突に1年のころ藤真が叩きだした『アボリジニは伝統的に出稼ぎで木の実を集める』という妙な訳を思い出してニヤニヤしていると、
「何ニヤニヤしてんの」
と声がかかる。サトウの手にしたクリアケースには赤本が入っているが、志望校がわからないよう巧妙にルーズリーフで挟まれている。
「もう閉館?」
「今日早いんだ。日曜だから」
そうなのかと思いながら問題用紙をかばんに突っ込む。外はまだ明るく、これから夏が来るのだということに改めて驚く。
「模試どうだった」
「英語がだめ」
「他は?」
「多分そこそこ
…
」
「余裕だなあ」
サトウは顔の前を手であおぐ。「外暑いね。夏だ」
「その前に梅雨がくるけど」
「嫌だなあ」
冷房対策であろう黄色いカーディガンをばさばさ揺らすが、サトウは結局それを脱がずに歩き続けた。さっき思い出した藤真によるアボリジニの誤訳を言おうか言うまいかゆらゆらと中途半端に迷っていると、先に声を出したのはやっぱり彼女のほうだった。
「花形君の志望校ってバスケ部あるの?」
「え?」
「
…
えっ?」
全く別のことを考えていたからというわけではなかったが、花形はこんなに簡単な質問に対してすぐには返答できなかった。
ようやく暮れてきた西日がカーディガンを照らす視界が思いのほか眩しい。彼女を見下ろしてしまった花形は、すぐに正面を向き直す。
「
…
え、バスケ部」
「
…
あるんじゃないかな」
「あ、なんかごめん」
「いや
…
」
何が?と問い返した後の会話を避けたくて、そこでラリーを止めた。彼女の言葉が自分の傷か逆鱗か、それとも別の何かに触れているのかもしれなかったが、花形にはそれがどこにあるのかわからなかった。
「梅雨なんかこなきゃいいのにねえ」
でもそしたら一生受験生か、最悪、と笑う彼女に、半分救われ半分突き放される。
陵南の田岡先生は、敗因は自分と言い切ったらしい。それを知った花形は半分うらやみ、半分は否定の気持ちで内心首を振った。采配次第で勝ち負けが変わるような勝負ができる陵南がうらやましかったし、陵南の敗北が監督の責任だとしたら、自分たちのやっていることは一体。
湘北戦後のミーティングで藤真は頭を下げたけれど、その時も花形は脳の端がめくれ上がるあの感覚に襲われていた。たかが部活。しかもバスケット。まして、藤真のせいではないのだ。だが、藤真のせいでなければ?
夢にそこまでおまけがついてきたせいで、花形は久々に寝坊をした。
脳の端がめくれ上がるのは怒りのような強い感情のせいだということには気づいていて、ただ、その理由が未だにわからない。たかが部活で、しかもバスケットというのは何をしても動かない事実だった。その証拠に、自分たちはどこかから監督を探してくることもしなかった。
藤真がいれば必ず勝てるなんて思っていたわけではない。現に、自分たちは県体ですら優勝したことがない。それどころか、最後にはこのざまだ。藤真のせいではない。だが、藤真のせいでなければ、藤真が報われないのだ。
だが、藤真のせいだとしたら、花形は一体何をしてきたのだろう。
無理やり引きずり出された感情が、長谷川の笑みやサトウの言葉と一緒になって、どこにあるのかわからない花形の傷か逆鱗か何かに触れ続けている。汗だくになっている寝間着を脱ぎながら夏掛をタオルケットに替えようかと少し考えたが、これから梅雨が来るのだと言ったのは自分だったと思い出す。
それが予言だったかのように昨日あんなに晴れていた空は曇天に変わり、朝練をしなかったせいもあるのか、花形の頭には靄がかかりっぱなしだった。6時間目の苦手なグラマーでとどめを刺され、心なしか重い体を引き摺ってホームルームの終わった教室を出ると、
「おう、でかいの」
「うわ」
背中を思い切り叩かれて上ずった声が出た。容赦の無い平手は藤真に間違いなかった。
「変な声あげるなよ」
「後ろから来るな」
「呼んだだろ!聞こえてなかった?」
そこまでぼんやりしていたかと己を振り返りかけたが、藤真は「いや、嘘。呼んでない」と舌を出した。
「部活行くんだろ?俺、遅れるからさ。言っといて」
「何かあった?」
「面談」
なんとなくぎくりとして藤真を見る。膨らんでいく不穏な靄の奥で、何かがゆっくりと張り詰めた。
「俺のクラス無駄にタ行が多いから遅くなるかも」
「
…
無駄にって、無駄にではないだろ。タカハシ君とかタカダ君とかによく謝っとけよ」
「高野にもな」
そういや永野も花形も俺より前なんだよなあ、なんかずるいんだよなあ、と藤真はぼやいた。「あ、一志も長谷川」
「残念だったな」
「花形は?面談やった?」
「
…
いや、まだ」
「あ、そうなの」
藤真は、どうしてだか笑う。「何も考えてなかったからすっごく困ってるんだよな、俺」
張り詰めた何かが細く震えた。
眉根を寄せて笑う藤真に返す言葉がない。黙ったままのこちらに「じゃよろしく」と手を上げ、彼は踵を返そうとする。
その肩を掴んでしまってから、花形はぎょっとした。
「
…
あれ」
「
…
何だよ」
「
…
いや」
言葉は喉に張り付いたまま、やはり少しも形にならなかった。肩を掴んだまま自分は一体何をしているのかと考えていると、藤真は「メガネ」とこちらを指さした。
「曲がってる。まだ直してないのか」
間抜けと笑い、花形の手を外して去っていく背中をぼんやり眺める。
降りだした雨のせいで体育館は酷く湿気っていた。その上、舞台ではグラウンドを使えないサッカー部が筋トレをしており、2階の通路では金管が個人練習をしている。こんな日に限って卓球部もバレー部もいる。
狂気じみた熱気はすぐに液体にかわり床に落ちた。篭もる音と温度の中で呼吸すらままならないような1年を眺める。汗で足を滑らせた彼に「気合入れろ」と声をかけながら、何様だと自嘲する。
花形が何をしてきたかといえば、たかが部活だった。しかもバスケットだった。進路の面談で、きっと花形はバスケの話なんかしないだろう。部員の何人がそんな話をするというのだ。
(花形君の志望校ってバスケ部あるの?)
すぐに答えられなかったのは、あろうがなかろうが知ったことではなかったからだ。花形が大学でバスケを続けようが続けまいが、翔陽バスケ部という砂の城は必ず解体され、粒はその他大勢になる。今目の前で必死になっている1年だって3年後にはそうなる。
藤真ですらそうなのだから。
「
……
」
脳の端がめくれ上がる感覚をやんわりと押し留める。
こういうことを考えると、なぜこんなに強い感情が噴出するのか、花形はずっと誰かに訊いてみたかった。未だに誰にも訊けないのは、怖いからだ。だから訊けない。冬も出たいからと笑う長谷川にも、何も考えていなかったと笑う藤真にも。
ホイッスルが響き、伊藤が5対5とメニュー告げる。手狭な体育館をぞろぞろと移動する部員を、別世界の光景のように眺める。
「おい、何ぼんやりしてんだ」
高野に背中を叩かれる。怪訝そうにこちらを見る彼にも訊けない。壁際で汗を拭いているいる永野にも訊けない。
5対5のメンバー振り分けには伊藤の苦慮が見え、脳内で張り詰めっぱなしの何かが再び震える。
…
彼らに訊いてはならない。ただ、自分が抜けるのならば、冬の選抜は、新しいセンターを迎えてのゲームになるから、決めるのは、早いほうがいいのだ。
何も考えていなかったわけではない。ただ、何よりも心血を注いできたものが、予定よりもはやく終焉を迎えてしまったことに落胆している。だからほんの少し混乱している。それだけで、きっとすぐに収まる。なぜなら、心血を注いできたのは、たかが部活、しかもバスケットだから。
あの試合の後から、花形はずっと、そんな考えを頭の中で転がしてきた。気迫あふれるセンター、の後ろから飛び出す化け物じみた肉体、を信じてオフェンスに戻る赤いユニフォーム、から電光石火で飛び出すパス、を受けて豹のように駆けぬけるバッシュ、ふらつく身体から放たれる弧を描くボール、を、体育館で、夢の中で、繰り返し繰り返し繰り返し見た。その度に言い聞かせてきた。たかが部活、しかもバスケット。
そのくせ、全国に行った彼らはどんなゲームをするのかと夢想した。それから、自分たちだったら、どんなゲームができたのか。いや、どうすれば勝てたのか。
いや、どうすれば1ゲームでも多く、翔陽でバスケができたのか。
「行ったぞ!」
ジャンプで弾いたボールを味方のゼッケンに飛ばして走る。指示と野次が飛ぶ。来年の翔陽は少し身長が低くなるかもしれないとぼんやり思う。「周りを見ろ」と叫ぶと、まだ高い声で返事が帰ってくる。バッシュの摩擦音が響き、となりのバレーボールでネットが揺れる。その脇をすり抜けて飛んできたボールをキャッチする。初めて触ったころはあんなに重くて大きかった革のボールと共に跳ぶと、世界から切り離される。
花形は、この瞬間が好きなのだと思っていた。これがあるからバスケットが好きなのだと。たかが部活、しかもバスケット。
(嘘を吐け!)
花形も本当は気づいていた。嘘だ。
未だに負ける試合の夢から覚められないのも、強い感情が噴き上がるのも、花形自身が、他でもないこの翔陽の、たかが部活の、しかもバスケットに、何よりも執着しているからだ。他でもない、藤真の作った砂の城に。
花形は緒戦敗退のセンターで、スター選手でも何でもなかった。迷うくらいなら退くべきだと理性ではわかっていた。それなのにやめられない。諦められない。ここににしがみつこうとしている自分は、恐ろしく醜くて、きっと、長谷川や藤真のように笑うことなんかできない。
だから気づかないふりをしていたのだ。間抜けなことに。
跳ね上がるネットの微かな音を聞きながら、花形はそっと着地した。
「ナイッシュ!」
という声をかき消すように、「オラ1年!!縮こまんな!!」と怒号が響いた。湿気に溶けて落ちそうになっていた空気に確かに芯が入ったのだが、その原因となった藤真は、まるで初めからそこにいたかのように部員を指さして怒鳴った。
「今のは止められたぞ!!」
彼が現れてあからさまに安堵している伊藤に吹き出しそうになっていると、その藤真に「花形!」と名指しで呼ばれる。小走りで近づくと、藤真はストレッチしかけの妙な格好で、「アップ終わったら、次の回から俺このチーム入るけど」と言った。
それからまっすぐにこちらを見上げて、
「お前はどうする?」
「
……
」
藤真がどういう意図で言ったかは分からなかった。だが、
「俺も残るよ」
ようやくそう答えると、彼は笑ったのだ。
昼間の笑顔と違うその表情は、やっぱり今までに見たことのないような種類のものだった。そのせいで、花形の傷口か逆鱗か何かからは膿が流れ出て、張り詰めていた何かを切り、意固地な理性を押し流す。
これでいいのかどうかは未だに分からなかったが、それでも花形は、藤真に、報いではなく花束をやらなければならないと思った。この3年間の礼に、今度こそ、藤真の城の一粒に相応しい働きをしなければならない。
それが本当に最後だ。
◇ ◇ ◇
現国で小論文の課題を出されていたのをすっかり忘れていた。うつらうつらしながら書き上げたよくわからない作文を手にし、花形が電車に飛び乗ったのは7時前。駅から走ればウォームアップになるだろうか。始業までに間に合うだろうか。一体あと何分あるのだろう。
梅雨と夏の間のむっとする空気は既に早朝から日中のそれに変わりつつあり、吹き出す汗と一緒にずり落ちるメガネのせいで視界が揺れている。部室に寄るのも面倒で、花形はそのまま体育館に向かった。どうせもう練習着だ。
そうやって息を切らした花形を迎えたのは、静謐な体育館で一人ボールと戯れる藤真だった。扉を開けた姿勢のまま、思わず目を細める。彼が窓の隙間からさしこむ光をあまりにもぴったりと背負っていたからだ。
花形は盛大に吹き出した。
「おい、後光さしてるぞ」
「拝みたまえ」
藤真は仏像というより聖闘士のようなポーズをとってこちらに歩み寄ってくるが、薄目は開けているようで、テンテンと転がっていったボールをきちんと拾い上げた。
「珍しいな」
「花形こそ、寝坊?」
「そう。
…
藤真、あと何分ある?」
花形の言葉に藤真は少し眉を上げ、それから時計を見た。「あと15分くらいかな。10分間走でもするかね?花形君」
「
…
1年が自主練でやってたら褒めちぎるけどなあ。ドMの素質あるって」
「あれ、花形ってMじゃなかったの。じゃ1対1にする?」
「や、M。走ろう」
「あら奇遇、俺も」
ふふっと笑いを漏らし、藤真はアキレス腱を伸ばす。カバンを置きに花形が舞台に上がると、「あ~、やべ。俺予習してなかった」とうめき声が入口の引き戸から聞こえてくる。見ると高野と永野がおり、長谷川も遅れて入ってくる。
「なに?」
「古文
…
」
「教科書ガイド、千円で貸してやるよ」
「そういうのな、悔い改めろ」
あ~もう、遅えよ、と藤真が手を叩く。「早くやるぞ、時間ねえの」
せっかく人数が増えたのだからと思い、舞台から飛び降りながら「負けたやつ帰りにおごりな」と提案すると、途端にいつでも金のない高野からブーイングが起こった。
「監督、そんなの許されるんですか!」
「あ、俺ラーメンがいい」
「えっ
…
」
「外周んとこの?」
「藤真いっつもあそこじゃん」
「あそこしかないだろうが
…
おし、いくぞ。10、9、」
腕時計の設定をいじり終わった藤真は、目を伏せたまま、ようやくスタートへのカウントダウンを始める。花形は、5、までその頬を見ていようと思う。
8、7、もしかしたらこれも夢なのかもしれなかったが、6、まだ目覚めたくはなかったので、5、息を潜める。
4、3、2、1。
1
2
広告非表示プランのご案内