渇きに甘露滴りて

MHRウ教×ハ♀。相思相愛。
2ページ目からウ視点。

恋人同士なのに、お互い多忙で一緒に過ごす時間が少ない二人が限界を迎えて。

狩りの基本は食事と睡眠、と説いている『彼』だが、人間とは実に面倒なもので。

状況によっては、自分自身のそれよりも優先すべきことがある。

「すみませーん! 闘技大会受付、お願いします!」
「あ、はいはいー!」

里の集会所の露台席にて、昼休憩のうさ団子を一口かじり始め、湯呑みの煎茶を一口すすった直後に呼ばれ、席を立ったのはカムラの里の教官ウツシ。
嫌な顔一つせず爽やかに応答するのは、持ち前の性格だ。

桜と一体化した華やかな里の集会所にひしめく、里の外からやって来たハンターたち。

里の英雄『猛き炎』の活躍によって災厄から解き放たれた里は日々、外からのハンターたちや観光客によって大いに賑わっていた。

里長の懐刀ふところがたなでもあり、闘技大会受付担当でもあり、教官として弟子を抱える彼は、任務に担当業務に後進の育成にと多忙を極め、今や昼休憩に里名物をゆっくり食べる暇もない。
 
「ちょっとだけ待っててねえ! はいはいはーいっと」

慌ただしく彼が去った卓上にぽつんと残された、食べかけのうさ団子、飲みかけの煎茶。

置いてけぼりを食い、どこか哀愁漂う景色。

そんな景色の空気が、彼と入れ替わるようにふわりと揺れ動いた。

「ウツシ教官……。んー……忙しそう……

ウツシを目的に露台席にやって来た娘は、里の英雄『猛き炎』と呼ばれし強者ツワモノであり、彼に育てられた愛弟子。

そして、彼とは、恋人同士の間柄。

昨今の多忙は、二人から甘い恋人同士の時間をも奪い去っていた。

娘自身も英雄と名高きハンターとなってから狩猟依頼が後を絶たず、結局二人は夜も滅多に会えない日が続いている。

(……せめて、お昼くらい一緒にって思ったけど)

恋人と僅かな時間を楽しむことすら叶わぬという現実を突きつけるような、雑然とした熱気と喧騒けんそう

里の活気と安寧の証でもあるが、それは今は娘の心を切なく、どんよりと覆った。

ちらりと受付カウンターに立つウツシの様子を見れば、彼を呼んだ闘技大会希望のハンターの後ろに、別のハンターたちがぞろぞろと並んでいるではないか。

「あーあ……あれじゃ、今日もダメかあ……

せっかく今日はお昼が空いたのに、と胸の奥で心底残念そうに呟きながら、娘が小さく息をついて卓上に視線を落とす。

ほぼ手付かず、一口齧った跡のある、太い三日月型になったうさ団子と、未だに湯気立ち、たっぷりと残った湯呑み。

(最近、ウツシ教官と全然一緒に過ごせてない……恋人同士なのに……)

娘の予定としては、この昼休憩中は最愛のウツシの正面に座って、彼と笑顔を交わし合って。

やがては「最近忙しいですよね」なんて他愛の無い話に始まり「たまにはゆっくり二人きりで過ごしたい」と、恋人同士らしい話にも花を咲かせるつもりでいた。

多忙は本当に残酷なものだと、娘が密かに、瞳の奥に寂しげな影を宿して、睫毛まつげを伏せる。

恋人同士ゆっくり会うことはもちろん、最近は触れ合うことすらできていない。

最愛の人からの温もりと潤いが失われつつあり、身も心も冬の訪れで枯れてしまいそうで。

(最近、手も握ってないし……キス、も……。恋人同士らしく……また、色々したいのに……)

色々、と胸の奥で呟いた途端、娘の中で鮮やかに光を放って蘇るウツシとの甘い景色は、全て過去のもの。

温かく大きな彼の手に包まれるようにして手を握り合ったことも、人目を忍んで抱きしめ合ったことも、お互いの視線を絡ませて愛を囁き合ったことも、唇を重ね合い、吐息を交わらせたことさえも、遠い過去のように感じられた。

悩ましげに切なく、けれど炎よりも熱くたぎる想いに思考をぼんやりと焼かれつつ「はあ……」と深く、どっしりと重たい息を吐いた娘の手が、無意識に伸びていく。

その行先は、ウツシの残した卓上の、一口だけ大きく齧られたうさ団子と、煎茶の残った湯呑み。

(……教官が、食べてたやつ……)

そう考えた途端、慌ただしく齧られた団子が、娘にとってとても魅惑的なものに見えてしまって。

一口だけ、と自身に言い聞かせながら、彼女は手を伸ばす。

そして、三日月型の団子を更に少しだけ、小さく口を開いて「あむ」と齧った。

(んん……! ふふふ……食べちゃった……! 何か、いつもより、あまぁい……!)

ほんのり広がる餡子の味が普段よりも数倍、蕩ける幸せの甘さを運んでくれているように感じられて、刹那の幸せに娘の頬がにこりと綻ぶ。

続けて湯気立つ湯呑みを傾けて、その熱さに最愛の人を思い浮かべて、また笑みが浮かんで。

けれど、その笑みは一瞬。

彼女は湯呑みを置きながら「はあ……」と、まるで我に返ったように小さく息をついた。

そろそろここを立ち去ろうと考えつつ、またウツシが恋しくなって、せめてもう一度、姿だけでもと思った娘が、受付カウンターの方を見やる。

闘技大会希望で行列を作っていたハンターたちが、いつの間にかすっかり居なくなっていた。

そして、その受付をしていたウツシの姿もなくなっているではないか。

「あ、あれっ!? 教官っ……!?」

思わず娘が声を上げ、受付カウンターに駆け寄ろうとした直後。

ふわりと、彼女の耳元にぬるい風が吹いた。

「俺はここだよ、愛弟子」

耳から、ぞわりと全身に甘い痺れが駆け巡ったのを感じながら、娘が撃たれたように振り返る。

「あ……! ウツシ教官っ……!? い、いつの間に後ろにっ……!」

驚声きょうせいを上げる娘の視界で、悪戯っぽい少年のような気配の中に、あでやかな大人の色香も漂わせて彼女に微笑むウツシが「やあ」と姿勢を正す。

「キミの気配がしたから飛んで来ちゃったよ、今日はお昼がいたんだね?」
「は、はい。でも、教官忙しそうだなぁって」
「ははは、あれくらい何てことないよ。大丈夫、もう一通り落ち着いたから」

英雄と呼ばれる実力を持つ強者ツワモノであっても、ウツシの移動速度と気配を察し、捉えることはできなかった。

体が微かに縦に震えたことを悟られてしまっただろうかと、頬に熱を宿す彼女の瞳は、彼の動きと仕事の処理速度に驚いて真ん丸に見開かれる。

恋人への想いで満ちたその瞳の中では、驚きや喜びや恥じらいといった鮮やかな感情が一斉に、複雑にせめぎ合い始めていた。

そんな娘の瞳を真っ直ぐ見つめる狭間のほんの一瞬、ウツシは先ほどまで自分の座っていた席の卓上、自分が残したうさ団子と湯呑みを一瞥いちべつする。

そのまま「ふふふ」と満足そうに吐息を漏らした彼は、とろりと目尻を下げて、林檎のような可愛い恋人を改めて視界に映した。
 
……愛弟子、午前中は忙しくしてたみたいだし……お昼で、お腹空いちゃったのかな? それとも……

ゆらりと、ウツシが娘の耳元にまた顔を寄せる。

いつの間にか、彼から少年らしさは失せ、大人の男性特有の色香が妖しく漂っていて。

「──俺の味が、恋しくなった?」
「! ッ……!」

低くも優しく、全身を撫でていくような艶声つやごえと温く甘い吐息に、娘は今度こそ分かりやすくぶるりと体を震わせた。

声無き嬌声を喉奥に響かせ、ごくりと唾を飲み込むと、きゅん、と胸が締め付けられながら熱を帯びる。

……だって。最近、全然……教官と一緒に……!」


──恋人の時間を、過ごせていないから……


集会所の喧騒の中に、娘の切なる掠れ声が呑み込まれていく。

場所の熱気も太刀打ちできないほど、娘の全身を包み始めるウツシへの想いからほとばしる熱。

ますます頬を赤く熟れさせた彼女は、恥ずかしそうに目を伏せたかと思えば、ちらちらと上目で彼の様子を窺う。

そんな姿を見たウツシの喉仏はごくりと大きく震え、反射のように彼の大きな手は娘の片手を掴んでいた。
 
「えっ、あっ……!?」

突然の感覚に、上目にウツシを見ていた娘の瞳がまた小さく見開かれ、動きが止まる。

灯火のように温かく、筋肉質でありながら、ぷにっと柔らかな手の平。
それは、彼女の片手を容易に包み込めるほど大きい。

娘を欲するように射抜き、その身も心も焦がさんような情熱的なウツシの眼差しは、今は昼下がりに似つかわしくないほど、煽情的な金色こんじきに煌めいていた。
 
……ねえ愛弟子、まだ時間ある?」
「は、はい。どきまでなら……
「良かった、それだけあれば十分だね。……おいで、愛弟子」
「え、えっ? あの、ど、どこに……?」

最愛の人に緩やかに手を引かれながら、無抵抗に歩く娘。

ウツシは歩みを止めることなく、そんな可愛い恋人を横目でちらりと見やる。

途端に、彼の口元の鎖帷子くさりかたびらの中で「ふふっ」と愛しげな、熱く甘やかな吐息が漏れた。

握りこんだ手の小ささも柔らかさも、懸命について来る今の姿も、全て抱きしめて、いつまでも愛で続けたくてたまらない。

それが叶わない日々に、表にこそ出さなかったが、鬱屈うっくつとしかけていたのだから。

「──俺も……キミが。キミの味が、恋しいよ」
……!」

大きく、甘く、どきん、と娘の心臓が震える。

肩越しに振り返って視線だけを絡ませてくるウツシの眼差しは、声も言葉もなくても、もう限界だと告げているような気がして。

どくどくどく、と心臓が早鐘はやがねを打つ音が、全身の血が歓喜で沸き立つように滾り流れる音が、娘の聴覚から周囲の喧騒さえかき消していった。

……好、き……です……!」

会話の流れに絶妙にそぐわない言葉が、娘の口から溢れ落ちる。

……わ、たしも……! 少しだけ、でも、あなたと、一緒に……
「待って。今は何も言わずにこっちにおいで……着いてからにしよう……! 今のキミの、そんな可愛い顔……他の人に見せたくない……!」

娘の手を包むウツシの手に、きゅっと力が込められて、歩く速さが微かに上がった。

互いの心臓は熱く、たたら場に響く打音の如くけたたましく脈打っていて、手を繋いでいるだけでその心音も熱も共有できているような気がしてしまう。

人波を縫って集会所を出ると、ウツシは娘の手を引いたまま、たたら場の裏手へと向かった。

昼下がり、人気のない塀と建物の隙間の陰。

広い世界の空の下でも、隔離された小部屋のように見える、鉄色くろがねいろをした影の空間。

それは愛し合う者たちの目に、あまりにも魅惑的に映った。

たたら場の表はもちろん、建物脇にある薪置き場を行ったり来たりしている職人たちの足音がするものの、裏手に回ってくる者はいない。

誘われるように建影の中の壁際に寄りかかったウツシは娘の手を包んでいた手を離し、そのまま口元を覆っていた鎖帷子を下ろすと、影の中でも煌めく金色の瞳を、ふわりと幸せそうに細めた。
 
「おいで……! 俺の可愛い愛弟子……愛しい人」

誘うように艶やかに、けれど包み込むように優しく囁きながら、ウツシが娘に両手を広げる。

花に誘われる蝶か、火に誘われる鉄か、娘は夢中で影の中の恋人の腕の中へ、落ちるように抱きついた。

(教官! 教官っ……ウツシ教官っ! 私だってずっと、ずっと、我慢して……!)

多忙の呪いにかけられて、忍耐に忍耐を繋いで、その狭間で、愛する人への想いの炎で全身を焦がし続けて。

影の中で揺らめきながら、娘とウツシが渇きを癒さんとするように、互いの唇に喰らいつく。

瞳を閉じても『愛する人が生きて、ここにいる』ということを実感し、影の世界でただ二人だけになったような感覚で、互いにひたすら求め合った。
 
「っ……ふっ……。んっ、まなで、し……!」
「ん……! きょ、うかん……! ウツシ、きょう、かん……! ウツシ…………!」

影の世界でも瑞々しく、てらてらと艷めく唇から漏れるのは、本音の想いの欠片。

好きだ、愛しているなど当たり前で、そんな言葉を交わす時間も惜しくなるほど、互いの中を互いで満たしたかった。

愛する人の声が、熱い吐息が、蜂蜜のような唾液が互いの口から心の奥まで、全身に沁み渡って。

娘はウツシを求め、求められながら、冷たい胸当てのついた彼の胸元に懸命に身を寄せ、彼の腕に囚われながら薄く目を開くと、何度も喉を鳴らした。

先ほど頬張った、彼の残したうさ団子。

あれも彼の味なのに、それよりもずっとずっと甘い、最愛の人の味。

時が止まってしまえば良いと願いながら、娘は「んふふっ」と満ち足りた吐息を、彼の喉奥へ漏らす。

里を照り渡す清輝せいき白日はくじつは、恋人たちの久しぶりの逢瀬おうせを気遣うように、二人を影の中に隠し続けていた。

@acadine