東京ふたりづれ/裕チャンに逢えるまち

一条/一条と佐原…
初出・同人誌(アンソロ)「一条聖也ムード歌謡アンソロ 〜聖也…どうするの?〜」2012
一条聖也ムード歌謡アンソロって何?→映画2で一条の下の名前が設定された後、同姓同名のムード歌謡歌手の方がいることに気づいたことから生まれた謎のアンソロ


裕チャンに逢えるまち


 どう贔屓目に見ても、一条に友達と呼べる人間はいないと思う。
 部屋は綺麗だし(普段いないから)、言葉もまあ丁寧だし(慇懃と雑言の平均を取れば)、仕事もきちんとしているようだし(カタギではなさそうだが)、容姿は端麗だ(これは間違いない)。だが友達はいないと思う。パーツパーツを取り繕っていても、総合点において彼はワースト1だ。端々から溢れ出る他人を見下した態度を隠そうとしないのは、相手が自分だからなのか、彼自身それが溢れ出ているのに気づいていないのか、どちらにせよ一条に友達はいないに違いない。
 床に寝転がったままで佐原がそう言うと、一条は、ネクタイを緩めながらこちらを一瞥した。お前のようなクズが何を言うという表情でも、云われのない侮辱だという表情でもなく、単に、だから何だという表情だった。深刻だ、と佐原は考える。
「友達、いないでしょ。一条さん」
 もう一度言ってやると、一条はフンと鼻を鳴らした。人を見下した態度に加点3である。
「ねえ」
「黙れ」
「図星だから怒ってるんですか」
 怒っていないことなど分かっていたが、気づかないふりをして言ってみる。一条は「誰が怒ってる」と吐き捨て、ワイシャツを部屋の隅のカゴに投げ入れた。クリーニング行き衣類の一時保管場所であるはずのカゴにはシャツが山盛りになっている。店に行く時間がないからだろうが、それを手洗いすることも、転がり込んでいる佐原に店に持って行くよう指示することも一条はしなかった。今日も新品のワイシャツを取り出してドアノブにぶら下げる。
「俺、持って行きましょうか。洗濯物」
「いい」
「暇なんですけど」
「なら家でも探せ」
 佐原が転がり込んでいるのは家がないからではないのだが、一条にはそう言っている。一条も気づいているのだろうが、それを訂正しないのは、いるべきところに帰るよう説得するという面倒な作業を発生させないためだろう。
それきり言葉を続けることはせず、一条は冷蔵庫から缶ビールを出し、シンクにもたれかかった。
「じゃあ、一条さんの友達の話聞かせてくださいよ」
「佐原くんの望みどおり友達はいないよ。寝ろ」
「昔っからいないんですか。幼馴染とか」
「いるか」
「そういや一条さん、出身どこなんですか」
「東北」
「え、うそ」
「嘘だ」
じゃあ、嘘でもいいんで地元の話をしてください」
 そしたら寝ますんで、と言ってから身体を起こす。期待はしていないが、なんせこの家にはパソコンはおろかテレビもラジオもなく、ネットもゲームもできない。暇で暇で仕方がないのだ。
 ビールを一本開けた一条はつまらなそうな顔で缶を潰し、再び冷蔵庫を開ける。彼が庫内に顔を突っ込んだまま「裕ちゃんっていうのがいたな」と言ったので、まさか本当に喋り出すとは思っていなかった佐原は、「は?」と間の抜けた声を出した。
「地元に、裕ちゃんっていうのがいた」
前口上もないまま、昔話は淡々と始まった。
「裕ちゃんは俺の家から通りを一本隔てたところに住んでいた。裕ちゃんは金持ちだった。やたら広い屋敷に住んでいて、俺は確かクリスマス会に呼ばれた」
「一条さんちも金持ちだったんですか」
「俺のうちは近所でも評判の貧乏だ」
一条は無表情のままビールに口をつける。この人は本当に不味そうに酒を飲む。
「それでも呼ばれるんですか」
「あの家は田舎には珍しく気前のいい金持ちだったんだ。親が都会にいたらしい。父親が医者で母親はピアノを教えていた」
「うわー」
 一条の田舎においてそれがどれほどの効力を持つのか知らないが、佐原はとりあえず感嘆の声を漏らした。「それで」
「パーティはアホみたいに豪華だった。俺はそのとき初めて骨付きの鶏肉を食った」
一条さん、いくつ」
「君とそう変わらないよ、佐原くん」
 嘘をつけと思うが、歳はともかく一条家の貧乏度合いがわからない。都心まで一時間の可もなく不可もない家で育った佐原は、それ以上突っ込むのをやめた。
「他にも知らないものをたくさん食った。裕ちゃんの母親はピアノを弾いていた。俺はこんな世界がこの世に実在していることに驚いた。俺のうちの食事の大半は母親が働いている缶詰工場の鯖缶だったから」
「いいじゃないですか」
「俺もそれでいいと思っていた。裕ちゃんの家に行くまではな。いや、行ってからもどうだって良かった。パーティは土産つきで、裕ちゃんの母親が作った菓子をもらった。俺は帰り道でそれを全部捨てた」
「ムカついたんですね、金持ちに」
 ありがちな話だと思いながら頷いてやるが、一条はこちらを馬鹿にするように肩をすくめた。
「まさか。感謝しているさ。少なくとも俺が欲しいのは骨付きの鶏肉や生クリームのケーキや母親が焼いたクッキーなんかじゃないと分かった」
……
 ああ、と佐原は思った。一条は可哀相な人種だ。
 だからと言ってどうということはないのだが。
「終わりだ」
 どうということはないのだが、佐原は比較的善良な人間だ。いたたまれなくなり「裕ちゃんはどうなったんですか」と昔話の続きを促したが、優しさを無視した一条は、「終わりと言っただろう」と吐き捨てる。
「地元のことなんか知らないし、大体、これは嘘だ」
嘘でもいいんですけど」
「寝ろ」
じゃあ、一条さんはどうなったんですか」
……
 細めた目が佐原を見下す。「見たとおりだ」
負けっぱなし?」
「何に」
いえ、別に」
 缶がゴミ箱に落ちる音と同時に、佐原は再度床に転がった。可哀相。
 一条はきっと、自分は遥かな高みに立っていると思っている。佐原は愚か、その裕ちゃんとかいう人とは、いや、周囲全ての人間とは異なるところにいると思っている。だから他人を見下す。だが、見下さなければ高みに立てないのは、彼が凡人だからだ。一条はきっと、本当は自分がそこにはいないことを知っているのだ。知っていてそうせずにいられないのだ。菓子を捨てた子供のように。
なんでこんなところに出ちまったんだろうなあ」
 仰向けになった佐原は、シミの付いた天井に鉄骨越しの星空を映し出した。
 鉄骨から落ちる佐原は、刺し返す、化けて出ると、死ぬ瞬間まで確かに考えていた。まさかここにきて願いが叶うなど思っていなかったが、こんなものが叶ってもどうしようもなく、まして出た先がこんなに可哀相な人間のところでは、いくら彼が帝愛の人間とはいえ恨みを晴らす気にもなれない。
 たまたまここに辿り着いた死人に過ぎない佐原は、一条が何を欲しているのか知らない。骨付きの鶏肉や生クリームのケーキや手作りクッキーではない何かが帝愛にいて手に入るのかどうかも知らない。だが仮に一条がそれを手に入れたところで、彼は今のままなのだろうなという気がした。
「一条さん、あんた、後悔するよ、多分」
あ?」
「願いなんか叶ったって大体は的はずれだ」
寝ろ」
「願いを叶えた俺が言うんだから間違いな」「寝ろ」「いね。一条さんも下らない仕事してないで、地元に帰って裕ちゃんの家にでもあそ」「寝ろ」ずどん。
……
 顔のすぐ横に突き立ったアイスピックに無理やり焦点を合わせながら、「貸家じゃないんですか、ここ」と聞く。思いやりだ。
 思いやりなのに、逆さまに映った一条はこちらを見下しきった目で、「一緒にするな、死人」と言った。