美味しくなるまで待っている

pixiv再掲
クリア後閲覧推奨です。
アーロンとルークが二人のあの同棲生活を始めた時から中間ぐらいまでのお話。相棒に相棒以上の感情を抱くルークがどうするか、そしてその時アーロンは。
事件の時は忙しかったから、こういう馴れ初め編もありかなあ、と思って書きました。



 三日後の朝、洗濯物を干している間、タブレットに通知が来た。どうやら着信だったらしく僕はランドリースペースにカゴを戻してソファに座る。通知欄には珍しく、アラナさんの文字が踊った。
「こんにちはアラナさん、調子はどうですか?」
すみません、すぐに出られなくて。と付け加えると、彼女は太陽みたいに朗らかに『いいのよ』と笑う。
『アーロンに連絡したんだけど反応がなくて。病院に持ってきて欲しいものがあったから』
「じゃあ、僕から伝えましょうか」
『お願いするわ』
アラナさんの頼んだものは簡単だった。ドラッグストアで手に入るような品を伝えられ、メモを取った。
 反応がなかったというアーロンは、心地の良い庭で昼寝をしている、相変わらず大きいいびきだ。ハンモックがゆらゆらと揺れて、アーロンの赤毛が日に当たる。今日は珍しく朝から日照りがあって気持ちの良い空気に包まれた。湿度はあるものの、草花も喜んで日を浴びて、心なしか庭の匂いが曇りの日よりも濃い。
 伝えられたものを復唱して確認すると、「アーロンに伝えておきますね」と告げる。優しく笑うアラナさんが、ちょっとだけ神妙な顔つきに変わった。柔らかかった眉尻も、少しばかり上向きになる。
『ルーク、聞きたいことがあるんだけどね』
……は、はい、何でしょう?」
 彼女のこんな真剣な眼差しは、普段あまり受け慣れていない。それこそ、ハスマリーの話をした時ぐらいだろうか。かの国の情勢を話す時のように、彼女は僕に問いかける。
『あなた……来年もしもハスマリーが落ち着いたら、来るんですって?』
 びっくりして、膝がガタン、と盛大な音を立ててローテーブルにぶつかった。とても痛い、激痛とも言える、明日には恐らく内出血だ。「うう〜……!」と唸ってぶつけたところに手を当てていたら、アラナさんが画面越しにものすごく心配している。
『ルーク、怪我したでしょ、すごい音だったわよ』
「だ、大丈夫です……え、ええと、ハスマリーには当然いつかは行きたいと思っていますが……そ、その、来年、ですか?」
『そう、アーロンが言っててね』
 アーロンが? また勝手なことを言ったんじゃないだろうか……僕は訝しがって庭の方へ目を向ける。ソファから観葉植物のハンギングバスケットが見えて、さらに庭に続く大きく開かれた窓のそば。ハンモックは動かない。
「来年に、とは彼と約束してないんですけど……
『そう……早く来させたいのかしらね、ごめんなさいね。いくら服をあなたに送ったからってね』
 服、そうだ、服。アーロンは白い服を僕に寄越した。それは彼の財産で購入した物で、確かにあれをハスマリーに行く時にも、とは言っていた。
『アーロン、きっとあなたに故郷のこと、たくさん見せたいんだわ』
「僕も見たいですよ。自分がいたところがどんなところなのか」
『一年で戦争をどうにかしようと考えてるあたり、さすがは我が弟よね』
「はは、それはそうですね」
『それに、何とかなっちゃいそうな気がするから、私も帰ったら忙しくなりそう』
「無理はしないでくださいね」
『ありがとう』
 険しい表情のまま、アラナさんは話し続ける。さっきから真面目な顔つきはまるで変わっていない。僕は相槌を打ってひたすら話を聞いていたが、いよいよ彼女がパッとこっちに顔を向けて、ギュッと拳を握った。
『ルーク、アーロンを、これからもお願いね』
 彼女が言いたかったことをやっと吐き出せたらしい。言い切った後に、はあ、と息を長く吐く。
『ずっと、言いたくて。でもなかなかタイミングが掴めなかったわ。ルークと二人きりで話すなんて機会、滅多にないものね』
「はい……そう、ですね。いつもアーロンがいるし」
『ふふ! ああ、ちゃんと言えて、すっきりしたわ。まさか服を送り合うほどの仲だったなんて思わなくて』
あの子も本気なのね〜、なんて呑気なテンポで言いながら、アラナさんは手近にあったらしいマグカップに飲み物を入れ始める。
 服を、送り合う?
 僕はキョトンとした顔をしていたと思う。アラナさんが『ルーク! 迷子の子犬みたいな顔してるわよ』って笑っていたから。じんじん痛んでいた膝はそろそろなりを潜めてきたので、手で押さえていたそこをそっと外すと、タブレットを両手で持って僕自身に近づける。
「あ、あの、服を送り合う、って……そんなに、その、重要なんですか? ハスマリーではしきたりみたいなのがある、とか?」
 後から考えたら随分突拍子もないことを聞いたが、この時は本当にわからなかったし、真剣だった。逆に今度は僕の顔が真面目になる。アラナさんは笑いながら、『あら、ルーク』と言った後に小さく息を吸い、教えてくれる。
『相手に服を送るのは、気持ちを知って欲しい、っていう意味もあるけど……その人を脱がせたいからってよく言うわよ』
 ──ひっと喉で吸った息が止まり、『国際的な恋愛の常識だと思っていたんだけど、エリントンでは違うの?』とアラナさんが言う声が遠くに聞こえる。僕は息の根が止まるかと思った。
 そして同時に三日前、シャワーで、ベッドで、散々体が暴かれた夜を思い出してしまう。
 生活必需品として僕はアーロンに服を買ったつもりでいた。もっと遡れば会った時に買った潜入服だって、慌ただしい中で着替えるために選んだだけのものだし。
 でも、でも確かに。
 別に、アーロンがいつもの赤い服とビリビリシャツを着ていたって構わないわけだ。誰に見られようと、アーロンは気にしないだろうから。「僕が」誰かにアーロンを見られるのが嫌で買いに行った。実際に服を買った時も、サイズから色から慎重に選んだ。「僕が」アーロンに似合うのを選びたくて、「僕が」かっこいい彼を見たくて。
 どんどん顔が赤くなる。アラナさんは僕の表情を確認しながら、悪戯っ子みたいに笑って、『じゃあアーロンによろしくね。病院に来るのは何時でもいいから』と通話を切ってしまった。
 タブレットをパタンと置いて、天井を仰ぐ。
 僕はこれまで、恋愛にすごく疎い生活を送ってきていた。服を送ることなんて、大した意味はないと思っていたけれど、ずっと好きでいてくれたアーロンにとってチャンスと捉えても良かった事例だったんだろうな。思わせぶりなことをする僕がやっと気づいて彼の方を向いた時、アーロンは嬉しそうだった。自惚れでなければ、あれは喜んでいる顔だった、んだと信じたい。
 ロボットみたいにぎこちなく、僕は庭の方へ本当に少しずつ、少しずつ近づいた。揺れる風にそよぐ洗濯物の中には、あの時買った服がかけてある。サイズが大きくて、干すのが大変なそれら。ピンチで止められている箇所から、気持ちよさそうにふわふわと泳いでいる。
 窓にやっと近寄ると、僕はあることに気がついた。さっきからいびきが、聞こえない。
……アーロン…………いつから起きていたんだ?」
「ほとんど最初からかな。あんだけデカい声で喋ってたら、起きるわそりゃ」
 つり目が弧を描き、悪戯めいて笑っている。頬を膨らませて抗議しようとすれば、軽くいなされて終わってしまい、ハンモックから大きな体がするりと抜け出す。
 姉弟揃って僕をからかって、なんてひどい人たちなんだろう。それでも許してしまうのは、アラナさんがとても良い人で僕らのこれからを案じてくれているから。そして、
……来年ハスマリーに、行けるようにしておいてくれよ。見たいところがたくさんあるから」
「オレを誰だと思ってやがる? そんなもん余裕だ」
 僕がこの、庭のど真ん中で偉そうにふんぞりかえっているくせに、僕を見る目がものすごく優しい大怪盗に、ひとえに惚れてしまったからだ。
「なあ、アーロン」
「うわ、やめろ。何だかすんげえクセエ台詞が来そうな気がする」
 彼の言う通り僕は愛を伝えようとした、ありったけの好きを。でもそんなのは、もう今更な気もする。だってアーロンは僕に何年も何年も、愛をくれていたというのに。言葉でだけ返すのはとてもじゃないが釣り合わないし、いくら言っても足りない。そしてアーロンはきっとそれを求めていない。今だって鳥肌が立ちそうになっているくらいだ。
……じゃあ、寒いことを言うのはやめるよ。またあの、グロッサリーに行こう。今日は、夜、お酒を飲みたいから。レンタルしていた映画も返さなくちゃ。そうだ、さっきアラナさんから頼まれた物を買って」
「ルーク」
 たしなめる彼を今度は僕が遮る。
……残り少ない君との時間、少しでも一緒に何かしていたいんだよ。急に、もったいなく思えてきて」
 クサイ台詞が嫌なら、行動で示したい。あと数週間したらアーロンがいなくなる部屋の寂しさや、アーロンの声が聞こえなくなるベッドの中とかを、これから少しでも二人の思い出を糧に生き抜けるように。
……甘えん坊だな、ドギー。寂しくなったか?」
「当たり前だろ、もう夜に君のいびきがないのかと思うとそれはそれで寝やすいけど」
「テメエ、言うようになったじゃねえか」
「わ!」
 足を引っ掛けられて草の上に転がされる。日向のいい匂いがすると思ったら、覆いかぶさったアーロンの体だった。ハンモックで眠っている間に太陽を吸収したみたいに温かい。僕らは互いに抱きしめ合って、鼻いっぱいに相手の香りを吸い込む。瞳がかち合って、グリーンが萌える草木を反射している。まだどこかぎこちないキスを僕から仕掛ければ、少し小馬鹿にしたようなアーロンの笑いが聞こえるけど。まもなく舌の先が侵入して、歯も上顎も舌の腹も、とろけるようにアーロンで埋め尽くされる。
 さらさらと聞こえる風の音だけが庭に鳴る頃、はためく洗われたシーツの影に覆われ、僕らの姿は部屋からは見えず、隠されてしまった。