美味しくなるまで待っている

pixiv再掲
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アーロンとルークが二人のあの同棲生活を始めた時から中間ぐらいまでのお話。相棒に相棒以上の感情を抱くルークがどうするか、そしてその時アーロンは。
事件の時は忙しかったから、こういう馴れ初め編もありかなあ、と思って書きました。



 そしてそれがいよいよ限界にき始めていた、二週間後の午前四時。
 僕は眠れないが故にできた隈を物ともせず、暗い部屋の中タブレットを操っている。
 スクロールされる写真はどれもおしゃれで、色彩も素敵で、金額を見てはのけぞりそうになるのを堪える。

 あれ以来、アーロンは距離がとんでもなく近い。
 本屋やレストランで起こったことなんて序の口だった。行きつけのマーケットでランチの食材を買うのも、僕の手と触れ合うほど近くに寄ってきて「あれが美味そうだ」と言う。そんなのはザラだ。
 明日の食事を仕込もうと、キッチンでナイフを使って指を切った時は舐められた。ぞくりと震える僕を無表情で見つめて、血を味わう吸血鬼みたいにじっとり傷口を吸われる。その時間なんてものの数秒なのに、僕にとっては永遠に感じた。「終わったぜ」と言われて傷を見たらもう血は流れなかった。
 寝る前にドライヤーで髪を乾かしていたら、濡れたままのところがあったのに気づかれて「ガキだな」とクスクス笑われて髪を梳かれた。膝の上に僕を乗せて、「顎乗せんのにちょうどいいから」って頭の上に宣言通りに顎を乗せて映画を見る。
 そんな笑い方、君、できたのか? あと顎乗せるって何だ? さっきから僕の心臓の音、とっくにバレてるんじゃないか?
 大きなソファの背を倒してソファベッドにして、リビングは瞬く間にアーロンの寝所になる。今はそこで高いびきをかいている彼は、僕がどんな思いでこうしてタブレットを扱っているかわからないだろう。
 彩られた豊かな写真は、「自宅でできる簡単フルコース!」の謳い文句で材料とレシピが広がっている。使ったことのない食材を検索すれば、近頃肉の買いすぎで苦しい家計が、さらに大打撃を受けそうな金額に唸ってしまうが、これは僕の、一大イベントなのだ。
 ──僕は今日、アーロンに聞いてみる。僕が彼を、相棒以上に見てしまっているということをどう思うのか。
 否定されたら、そこでおしまい。僕は食事と一緒に、気持ちを飲み込むつもりでいる。いつかアーロンに彼女ができて、奥さんになり、幸せな家庭を築いても大丈夫だ。墓場までこの気持ちは持っていける。
 でももし、万が一彼に肯定されたら?
 ……その時は、わからない。なってみないと、どうなるのか。ただ、あの近さのまま彼がこれからも過ごすのなら、僕の心臓は到底持たない。まずはお友達から始めたい。そんなのアーロンに通用するのかわからないが、とにかく、恋愛ビギナーの僕には刺激が強すぎる。
 近くで使える食料品が売っているかどうかを調べて、メモを取る。全てが滞りなく終わった頃には、うっすら窓から灯りが差し込んでいた。オレンジ色の柔らかい光はそのうちアーロンのいるリビングにも差し込むだろう。僕は寝そびれてしまったが、覚悟を決めたから頭はスッキリしていた。
 ……よし、と声を上げて体を起こせば、僕が長時間体を預けていたビーストくんはくったりと形が崩れている。それが何だか笑っているようにも見えて、僕は肩の力がふっと抜けた。
 大丈夫だ、相棒であることは変わらない、これまでも、そしてこれからも。そこに恋や愛がくっついても、僕らの信頼は変わらないと信じてる。
 問題は、これからの僕だ。

 ──夕方、買い出しに行く。アーロンは病院へ見舞いに行く途中、花を買うと言っていた。珍しい気配りに思わず僕が顔を綻ばせると、照れくさかったのか頭をはたかれる。こういうスキンシップは慣れてるんだけどなあ。
 あらかじめメモを取っていた食材を買うために路地を歩く。古い石畳の道はよく歩き慣れた場所、マーケットまで一直線だ。運良く近場で集まりそうな物ばかりで胸を撫で下ろす。
 茜色の日はもうすぐ藍色に変わる。オレンジから青に移りゆく空は、なだらかな坂を照らしていた。花壇に植っている花はもうすぐしぼむ。歩いて行っては間に合わないかもしれない。スニーカーを鳴らして走れば、足元から細かい砂利の音がした。
 グロッサリー、マーケット、はしごをして調べ尽くしためぼしいものは大体買えた。両手にかさばる紙袋にいっぱいの食材は、僕でさえ少し大きい。路地の街灯がついて、帰り道をほのかに照らす。
 その明るい道に、細長く影が伸びた。見たことのあるシルエットに、腰あたりに花束の影があった。僕は案外早かった相棒の帰路に、顔をあげる。
「あれ? ずいぶん早いな。アラナさんに会えなかったのか?」
「定期検診中だとよ。本当に後遺症がねえか調べるのに時間かかるからって、帰された」
 ほんの少し、むくれた顔のアーロンをしげしげと眺めてしまう。珍しい表情を見られて僕は忍び笑いを漏らし、耳ざとい彼にすぐ気づかれる。また叩かれるかと覚悟したら、片手の重りがふわりとなくなった。
「よろよろしてんぞ、そんなに買ったのか?」
 ……ああ、やっぱり、大事にしてくれるんだなあ。「よろけてみっともねえだけだ」って言い訳をするアーロンと、目は合わない。本日二度目の彼なりの照れ隠しは、近くで過ごした者でないとわからないからこそ、面映くなるのをひしひしと噛み締めた。
 家に着いて鍵を取り出し、薄寒い空気がぶわりと鼻に入ってくる。この家にはまだ若干の暖房が必要だ。アーロンはいらねえ、って言いながらお風呂上がりも裸足で歩いたりするけど、僕にはまだ寒さが感じられる。紙袋をテーブルに置いて、ヒーターのスイッチを入れた。
「まだ寒がってんのかよ」
「君と僕とじゃ体質が違うよ……あとは筋肉量とか?」
「テメエは食うくせに細えからな」
 同じように袋を置いたアーロンは、その手で僕の腕を掴んだ。彼の手なら簡単に折れそうな気がする。触れたところは彼の体温でやはり温かかった。僕の後頭部越しに、買ってきた袋の中身を覗いて「初めて見るもんばっかだな」と珍しがっている。アーロンの胸当たりが僕の肩と背中に触れてのしかかる。
 友人同士の触れ合いにだって、こんなのはある。パーソナルスペースの狭い人間だっていた。でも、自分がそこに向ける感情の有無でこんなにも張り詰める度合いが違うだなんて。心臓はバクバク言っているけど、声は何とか吐き出せそうだ。
「今日、は、作ったことないのに、挑戦したくてさ」
 上擦った声音を振り払いたくて、違うことで頭を使う。
 花、そうだ、花を。花瓶。男所帯だったこの家に、花瓶なんかあっただろうか。アーロンが無造作に置いた花を生けるのはずいぶん大変そうだ。なぜなら房が大きかったり、数も多い。背の高い彼が持っていたからあまり意識してなかったけど、一般の人間が持ってみたらその花束はとても大きい。長めのグラスを二つ取り出し、花束を開いて分けた。黄色とオレンジの、アラナさんらしい色合いにまとめられたブーケを選ぶ時、アーロンはどんな顔をしていたんだろう。
 ちくりと胸を刺す痛みは、前にも感じたことがある。彼が女性に声をかけられていた時だ。
 僕はいよいよ、感覚がおかしい。相手はアーロンの最も家族として親しくしている人なのに。このままじゃ、男性にだって嫉妬し始めるんじゃないだろうか。僕はこんなに度量の狭い人間だったのか、自分の意外な一面はそれは深く根ざして取れなさそうだ。見えない海溝みたいに僕でさえどこまで深いかわからない感情。初めて得た相棒にこんな複雑な思いを抱くのは、当たり前のことなのか。それとも、僕だけがおかしいのか。
 目を瞑り、また開いた。深呼吸を二回ほど。食材をまずは調理しよう。そうすればきっと落ち着く。すでに離れてソファでくつろぐアーロンの後ろ姿を眺めながら、僕は決意で拳を固めた。
 キッチンに立って手を洗うと、不思議と気持ちは落ち着いてきた。流れる泡を眺めながら、今夜やることを整理する。タブレットを取り出して、レシピを開いた。美味しそうに並ぶ写真のように、とはいかないかもしれないけど、近頃二人暮らしで主に食事を担当する内に、前よりも格段に料理が上手くなれている気がする。
 使ったことのない食材は慎重に、丁寧にレシピを見ながら確認をする。ハーブを初めて買ってみたが、香り高くて料理をする時にテンションが上がることがわかった。今度から積極的に使っていけたら、とか未来のことも前向きに明るく考えられるようになる。鼻歌まで出てしまいそうだが、僕はそうやって調子に乗ると失敗しやすいから、ここは腰を据えてかからねば。今日という日を少なくとも、食事の面では楽しむ上でも。
 アーロンが好きな肉を焼く。彼は肉、と一括りにして言うが、厚切りステーキ、豚肉のソテー、フライドチキンなど、多種多様な肉がある中でやはり一番にハンバーグが好きだ。と僕は感じている。目の輝きが違う気がするし、豪快にあっという間に何もかもを食べるからわかりづらいが、お腹をさすって満足そうにすることが多い。作る手間はあれど、その姿を見ると「良かったな」と作り手冥利に尽きる。
 牛肉百パーセントの挽肉も確かに美味いが、豚肉をほんの少し混ぜ込むとジューシーさが増す、らしい。レシピは教えてくれた。そこにハーブを加え、タネに岩塩と黒胡椒を少々振る。フライパンで焼く時に、ピクリとアーロンが動いたのがわかった。彼は焼ける匂いも好きなのだ。一緒に暮らしていて、それもわかったことだ。待ちわびてキッチンまでつまみ食いに来ることもある。けれど、今日は来なかった。新しいことに挑戦したい、と言う僕を見守ってくれているのかもしれない。
 焼き色がついたらターナーでひっくり返す。我ながら、上出来だ。今までで一番美味しくできているかもしれない。もう一つのフライパンにくつくつと煮立たせてある、トマトケチャップと赤ワインがベースのソース。余すことなく旨味を取り込んだその香りは僕までお腹が空いてくる。二つを合わせて同時に煮込んでいる間に、他の食事に取り掛かる。
 あれこれと忙しく動く僕を、時折アーロンは見ていた。何やってるんだか、と言いたげな瞳は、けれど出来上がりを待っている子供みたいで。「もう少しでできるよ」と言えば、紙袋から早速お酒を取り出して栓を開けていた。テーブルに腰掛けて先に飲み始めるアーロン、この横顔はお腹が減って待ちきれない、の顔だ。
 皿に盛り付け、出来立てをテーブルにセッティングしていく。普段は焼いて食べる、炒めて食べる、くらいしかできなかった僕の料理に一味違った雰囲気が出て、並んだ料理にアーロンは驚いていた。僕だって、そうだ。いつも急かされて焦って作る、焼く、切る、だけの調理法にプラスアルファすれば、手はかかるけどやっぱりその分美味しそうに見える。
「すげえな」
 手放しで褒められた喜びは、何物にも替えがたい。僕は照れ笑うと、食卓に座った。
 いただきます、と手を合わせるのは、モクマさんに教わった。神に祈りを捧げて食べる文化は知識上あれど、食の恵に感謝することはなかった僕は、それが自分の中でしっくりきたので、そうさせてもらっている。アーロンはやらないけど、僕のその様子をいつもきちんと眺め終えた後に食べる。彼なりに一緒に感謝してくれてるのかも、ということにしてある。
 こんなに手が込んだ食事でも、彼はやはりあっという間に食べてしまうんだろうか。もしそうだとしたら、世の中のハウスキーパーが、手抜き料理を思いついてレシピに書き連ねる気持ちはわかるかもしれない。しかしアーロンは、手に持った銀製のフォークとナイフを持つと、静かにゆっくり食べ始めた。
 いつもなら、獣のごとき素早さでさらい尽くして僕の分まで取ろうとする彼が、まるで高級レストランに来た時のように肉にナイフを入れる。じゅわっととろけるように溢れた肉汁がフォークを伝う前に、アーロンの口に入った。僕も同じく、煮込みハンバーグを口に運ぶ。整えられた風味のあるハンバーグに、赤ワインの尾を引くコクのあるソースが絡んで、おしまいにハーブの心地よいスパイステイストが余韻にくる。彼と僕はまさに今、同じ食感を味わっている。もう一口、アーロンの歯が肉を噛んだ。焼き立ての熱さなんて、彼には気にならないらしい。フォークで絡めたソースを舐め取り「美味い」と一言、やっと放つ。
……なあ、ドギー。その手が止まってんのは、オレが食い終わるのをずっと観察するためか?」
 僕は我に帰って自分の手元を見る。さっき食べた一口以外に全く進んでいない皿の上。こだわったアーティチョークのカルパッチョも、ミニトマトのマリネも、チーズがけの温野菜も。一つ一つを味わって食べてくれている彼に比べ、僕は手付かずの料理を前に呆けているだけだった。
「作りすぎて、疲れたか?」
 笑ってくれるアーロンは、次の瞬間すぐに笑みを消した。
「違うな、ルーク。言いたいこと、あんだろ」
 僕と同じ瞳の色のはずなのに、射抜かれるように鋭い視線をしている。たじろいでカチャンと取り落とした僕のナイフは、運良く床までは落ちなかった。
「最後の晩餐ばんさん、みたいな顔でずっとこっちを見てたんじゃ、誰だってそのくらい気づくわ」
 言い得て妙だ。確かに僕は、これから言うことの左右がはっきりと決まれば、これが最後の食事だと感じていた。動揺を少しずつ収めていく僕の心臓は、今度はトクトクと違う意味合いを持って鳴り始める。
 もう片方の手に持っていたフォークも置いて、僕は深く息を吐く。ため息に捉えられただろうか。しかし彼は慎重に待ってくれている。膝が震える。指先もカタカタとぎこちない。食事の匂いは薄れてきた。意識の全てが、アーロンに集中する。
 一度、声を出そうとしたが、思いの外緊張でか細い音しか出なかった。もう一度、今度こそ。
「アーロン」
「おう」
 いつもなら軽く平らげる量の料理を前に、律儀に相手もカトラリーを置いてくれた。グラスに入ったお酒はいつの間にやら煽られていてもうない。さまよう目線はそんなどうでもいい情報を仕入れて集中してくれない。
 だって、聞くのがとても怖い。
「僕は、君を、かっこいいと常々思っている」
……フン、そうか」
「本当に、だ。立ち姿だって後ろ姿だって、脚が長いのだって、顔が整っているのだって」
「ハイハイ、そりゃどーも。それで?」
……あと、顔に似合わず優しいところもあるし、最近はどうも、DISCARDのことが解決してから更に柔らかくもなった」
「テメエのそのさらっと乏してくる言い方は変わんねえけどな」
「す、すまない。でも、その、顔に似合わず、なんだが」
「まだそこを掘り下げんのかよ」
「顔に、似合うように、なってきてるんだよ」
……もう飯を食ってもいいな?」
「だ、だめだ。あ、いや、冷めちゃうか……食べながらでもいいけど、聞いてほしいんだ」
「何をだよ」
「自惚れじゃなければ、君は、その、ここに来てからずいぶんリラックスしてるよな。だから、穏やかさが滲み出てて、つまり」
……つまり?」
「かっこよさが、更に増してるんだよ!」
「──ドォギィィーー……
 このままじゃ永遠に話が堂々巡りだ、と感じたアーロンはすごく正しい。それを言葉にせず、ただ「ドギー」の一言で圧力をかけてくるのがなおのこと。強面は相変わらず健在で、なりを潜めていただけだった。ひえっと僕は喉からしぼり取ったような声が出る。
 アーロンは、フォークをグサッと僕のハンバーグに突き刺した。「え!」と拍子ハズレの声を上げたが最後、大きい口にバックリと肉の塊は消えていく。「次はお前がこうなるぞ」と言わんばかりのビーストの恐慌。恐れ慄いた僕は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
 意を決して、僕は立ち上がった。
「僕は、君のことが、気になって仕方がないんだよ!」
 ポカンとした大怪盗なんて、あまりお目にかかれない。そんな顔をさせているのは紛れもなく目の前の僕だ。それをわかれば、変に自信が湧いた。ここまでくれば、もう僕に怖いものはない。ダムが決壊したみたいに、言いたかった言葉が矢継ぎ早に出てくる。
「この家に、来てくれたのが、嬉しかった。映画を一緒に見て、その時は、距離が近いのなんて、何とも、なくて! でも、君が外を歩けば、そりゃ君はかっこいいからモテるし、それを羨ましい、と思うんじゃなくて、こ、声をかけられる女の子たちに、ひどいことを思ったり、して……
「おい、言ってることが訳わかんねえぞ、落ち着けルーク。酒飲むか?」
「お酒の勢いを借りてごまかしたくない!」
 ムキになって座っているアーロンに前のめりに詰め寄る僕は、よっぽど気が焦っているのか犬がキャンと吠えたような言い方をしている。アーロンの口の端が引きつって笑いの形を作りそうになっているから、きっと考えてることは同じだ。
 今は、情けないドギーでも構わない。かっこ悪くても、恥ずかしくてもいいから、気持ちを伝えたい。
「アーロン、君が僕にスキンシップをくれるたび、知らないドキドキがあるんだ。僕はこんなの初めて知ったし、女の人が君に話しかけるのを見て、嫌な気分になるのも知った。僕は、今まで君といてこんな風に思ったことなかったのに、僕が僕じゃなくなるみたいで……
 はあ、はあと肩で息をする。生けられた暖色系の花がわずかに揺れた。
「僕は、君が好きだ」
 ポツンと浜辺に置いてくる忘れ物のような言葉の置き方は、アーロンの耳にどう響いただろう。やけに寂しげに映っただろうか、切実に聞こえただろうか。答えを知りたいだけの子供みたいな顔で、僕は話を続ける。
「君が、好きだ。相棒として以上に。気持ちが悪いなら、軽蔑してくれても構わない。同居だって、解消してくれていい。でも、初めてなんだ。自分じゃない誰かを、家族じゃない愛情を持つってことが──」
「ルーク」
 遮られて、先に続く話は飲み込まざるを得なかった。それだけアーロンの呼び方は、たった一言で意味を幾重にも内包する。今回であれば、待て。座れ。落ち着け。
 ストンと垂直に椅子に座った僕は、カラカラの喉のまま彼に向かい合う。アーロンは長い指を頬に当て、頬杖をついた。さっきまで湯気のたっていた食事はもう落ち着いた温度を放っている。
 ゆっくりと、猫のようなしなやかなアーロンの目が細くなる。その中で翡翠ひすい色はしっかりと光を放っていて、口元は笑んでいた。やがて忍び笑いを漏らし、おかしそうに肩まで揺らす。何がそんなに面白いのか、僕にはてんでわからない。馬鹿にされているのかとも思ったが、どうやらそれも違う。
「やっと、気づいたか」
 ──アーロンが微笑む先には、目を見開く僕がいる。
「テメエは自分で気付かなけりゃ、納得いかないだろうからな。じりじり攻めながら待つのも、まあ楽しかったぜ」
 ニヤニヤするアーロンは、頬杖をついたままグラスに入った赤ワインを足す。ワインの色素で真っ赤に染まった舌が傾けたグラス越しに見えて、ドキリとした。
「あとなあ、ルーク」
 ガタンと椅子から立った彼が、今度は僕に近づいた。顔つきは穏やか、にも見えるけど、目の奥が燃えている。狙いを定めた狩りの姿勢。そして獲物は、
「あんまりテメエを狙ってる奴に、こんなの初めて、なんて連呼するもんじゃねえ」
 襲われちまうぜ。
 そう付け足して、アーロンは、恐ろしく優しい手つきで僕の頭を掴んでキスをした。啄まれるのかと思ったら、最初から食べられるような噛みつく口づけ。ワインに使われているぶどうの酸味と香り、舌に絡まる唾液は、僕の脳を麻痺させる。一度で忘れられなくなる、甘くて恐ろしくて、うっとりと彼に酔う味わい。
 ぷはっと息を吐いた頃に、アーロンが離れたのがわかる。数秒意識が遅れて視界がクリアになってきた。キスで酸欠だなんて、聞いたことがない。きっと余裕なんだろうな、と悔し紛れに相手を見れば、彼は意外にも固い表情をしている。
 僕を、狙ってる、って言ってた。アーロン。君は、僕を。
……君は、僕が、好きなのか?」
 すっとぼけた質問だとはわかっていたけど、どうしても言葉で欲しかった。自分の欲張り具合に呆れてしまう。けれどもそこは、僕が好きになったアーロンだから、一筋縄ではいかないことも当然、わかる。
「タダでは言えねえな、何年もくすぶってる気持ちなんてのは」
 爆弾発言の後に「飯食ったらシャワーな」とあっさり指示を出してくる。そしてフォークで美味しそうに料理を平らげて、満足そうにお腹をさするのだ。
 ずっとドキドキと鳴っている心臓の音は、なんてことはない、最初からバレていた。それに相手はもっと前から、そうだった期間があると今、僕はまた「初めて」知った。
 僕は顔の赤さと同じくらいの色のミニトマトを食べながら、ぷつっと口の中で弾ける音を聞く。一滴も飲んでいないはずなのに、舌にある赤ワインの余韻と風味が相まって、トマトはじゅわりと食道へ降りていく。
……いつか、聞かせてくれよ。言いたくないから早死にするとかは、無しだからな」
「そんな理由で死ぬか」
 軽口を叩き合えるのは、意外とお互い、今だけかもしれない。現に僕は、さっきのキスがもう一度したくて食事を摂るスピードが早くなっている。アーロンも同じで、珍しく食器を片付けて皿洗いをかってでてくれた。
 二人でシャワーに入るまでの、このささやかな沈黙の時間──嵐の前の静けさは、多分これから一生忘れないだろう。