美味しくなるまで待っている

pixiv再掲
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アーロンとルークが二人のあの同棲生活を始めた時から中間ぐらいまでのお話。相棒に相棒以上の感情を抱くルークがどうするか、そしてその時アーロンは。
事件の時は忙しかったから、こういう馴れ初め編もありかなあ、と思って書きました。

 僕の家に来ないか。

 あのクリスマスの頃が嘘のような心の軽さで、アーロンとの同居が始まった。生活に必要な物を買い足して、アーロンの寝る場所を作り、父さんの物を片付けて(と言ってもほぼ無かったが)、家の中がすっかり様変わりする。「ベッドから足がはみ出しちまう」と文句を言う割に、楽しそうなアーロンを眺めながら、初日の今日。盛大に同居生活をお祝いしようとテーブルの上を豪勢にした。
 香るビネガードレッシングをかけたサニーレタスとオレンジのサラダ、ビールとシャンパンの泡、肉料理は僕が焼いたが自慢できるほど美味そうにできた。
 これまであった色んなことを話す、なんていうのはもうやめて、借りてきた映画をずらりと並べて手で目を隠して「これを見よう!」と叫んだ。恋愛もホラーも関係ない、とにかく頭を使わないで見られるB級コメディ映画。アーロンのオススメの映画では無かったから不満は出たが、ディスクを入れていざ開始ボタンを押す。
 最初から辛辣な世相を反映したブラックジョークも、この国ならではの風刺もあった。アーロンはチーズをくわえながら引きつるように笑い出し、僕は笑っちゃいけないと思いつつも手で口を覆った。痛快、というよりも、これは国への背徳からくる腹黒い笑いだ。
「次はこれだ」と息巻くアーロンが取ったディスクはするするとデッキに飲み込まれ、その間に二人で急いで食事を取る。エールビールで流し込んだパテは忙しく食べたはずなのにとても美味しい。またあそこのグロッサリーに通おう、と頭の片隅に入れて、身を乗り出して映画の始まりを見る。
 案の定、僕らは腹が捩れるほど笑った。僕がバンバンテーブルを叩くから、バケットがガタリと落ちた。アーロンは目尻に涙を浮かべてる。画面が暗転している内に、笑いすぎて「やばい」「あれはすごかった」とかしか言えない、すっかり語彙の消滅した感想を僕らは並べ、また始まる俳優の動きに二人でお腹を抱える。お隣さんからそろそろ苦情がくるかもしれない。ソファに移動して並んで見る間も、ローテーブルに広げた菓子類、つまみも食べず、僕らは同じタイミングでめちゃくちゃに笑った。
 やっと画面が暗くなってエンディングのスタッフロールが流れ、残っていたお酒を胃に入れる。僕にしては今日、とてもビールもシャンパンも飲んでしまった。頭がふわふわと心地良い。隣にいるアーロンは、お酒が強いと言っていたからきっとこんなには酔っていないだろう。
 事件を解決して、アーロンがいる。僕の家に人がいて、誰かと食事して、あてもなくこんな風に笑って、明かりがまだついていて。夜更かしも夜食も怒られない、相棒との最高の時間だった。
「面白かったな、君のオススメ」
「前に船ん中で見てな、同じ部屋の奴らと笑いまくって大変だったぜ」
「ふふ、船、もっと揺れそう」
「言ったな?」
 裸足の爪先で小突かれる。僕よりもずいぶん長くて大きい足。負けじとぐいぐい足で押したら、大きい手が急にぐわっと伸びてきた。僕の腹から「ひや⁈」と変な声が出る。くすぐられるなんて小さい頃ぶりだ。それこそ目の前の彼と以来だろう。笑い顔も本気でくすぐられているから歪んでしまう。僕も手を伸ばしてやり返したいけど、もう上背もリーチもあの頃と違う。悔しいのに、まあいいかという気持ちが余計に体の力を抜いてしまって、ますます笑いが止まらない。
 転がるスリーシーターのソファは二人分の体重が片側にかかっているから、ギシリと悲鳴を上げる。ようやく離れたアーロンは得意げにソファの反対側へ腰を落ち着けた。手にはもうグラスとつまみを持ってゆっくり傾けている。散々笑った後のビールが喉を通る音は、見ていて気持ちの良いほどゴクゴクと鳴る。僕も息を正してローテーブルの上のお菓子を取った。
「酒の後に甘味かよ、よく食えんな」
 うえっと気持ち悪そうに舌を出すアーロンの仕草は何回も見てきた。それこそオフィス・ナデシコで、マイカの里で、どこででも。
「いいだろ、はしゃいだ後だから小腹が減ったんだ。ああ、まだ腹筋が痛い」
「ハッ、トレーニング不足もあるんじゃねえか?」
 付き合ってやるよ、何をやる? と早くも乗り気に僕を見下ろしてくるから、ひとまず遠慮させてもらう。一緒にトレーニングはよくやっていたが、体格差もあるからどんなのが良いか考えなくてはならない。カラテ、ジュードー、テコンドー。東洋の武術はちょうど気になっていた。早速明日あたり、本屋に寄るのも悪くない。アーロンもきっとその手の書籍を見るのなら、付き合う足取りも軽いだろう。
 そっとアーロンの肩に体を預けたら、次につけた映画のタイトルが流れ始めた。またコメディかな、と思えば、ドキュメンタリー映画を入れたらしい。ちょっと休憩したい時にはちょうどいいかもしれない。
 しかし図らずもその映画で僕は感極まって号泣し、ティッシュボックスとお友達になって、くっついていたはずのアーロンは気色悪がって離れていってしまった。温もりがあったはずの真横のスペースがほんの少し寂しい、という感覚。これも久しぶりだったものだから、心が雲のように浮上する。
 みっともなく鼻を噛みながら、明日からの予定を頭の片隅で楽しみにしている僕がいた。

 ◇

 翌朝。ベッドに乗せられていたビーストくんのぬいぐるみの形をぽんぽんと整えて、パジャマのままスリッパを鳴らしてパタパタと廊下を歩く。コンクリート造のこの家は、やっと暖かくなってきた近頃であってもやや冷える。冷たい感触の壁にアーロンがもたれていた。歯ブラシをくわえながら、届いたばかりの新聞を眺めている。
 その姿は、父さんとも、たまに遊びに来ていた大学時代の友人とも違う。存在感と、相棒がいる、という僕の気持ちの違い。
「何ニヤけてんだ」
 頬の筋肉が上向きになっていたのはわかっていた。アーロンの言う通り、ニヤけというやつだ。朝から嬉しくて、ほんの少し目の奥が熱い。
「嬉しくて、つい」
 どうも正直にぽろりと言葉を紡ぐ僕の癖は、アーロン曰く「クソ寒ぃ」らしいが、今日は悪態をつかれなかった。ほんのわずか、すれ違いざまに肩が触れて「そうかよ」と笑ってる。
 すぐに「飯」と短く言われるから、トイレに行きながら朝食のメニューを思い描いた。片付いたキッチンに、冷蔵庫から取り出した昨日買い溜めしておいた食材を出す想像をする。昨日あんなに飲んだお酒は胃の中でまだくるくると僕を翻弄している。
 アーロンは飯、と言った。肉、とは言わなかった。だから多分、意外と夜に食べたものが堪えているのかもしれない。簡単なメニューをいくつか思いつくと、キッチンへ行く。想像通りに食材を出し、予想通りの朝食を作った。健康的に、胃に優しく、栄養価もバランス良いものを。
 そうして考えた結果をテーブルに広げたら、開口一番アーロンが放ったのは「肉はねえのか」だったし、僕は肉を焼くうちに胸焼けがするほどになり。結局アーロンが一人で肉を焼いてフライパンから直に食べた。僕はまだまだ、彼の胃袋を理解していなかったらしい。攫うように無くなっていく数々の品。彼は食べるのがとてもきれいだ。
「午前のうちに用事を済ませたい。午後はアラナさんのお見舞いに行くんだろう?」
 そう言うと存外素直にコクリと頷いた彼を連れて、出かけることにした。
 アーロンの普段着も買いたい。彼は今、適当な僕の服を漁って上から下までそれを着ているんだが、非常にバランスの悪い格好をしている。足の長さは合わないし、胸の厚みのせいでシャツが破れそうだ。普段のビリビリシャツ(と勝手に僕が呼んでる)はこの家に来てすぐに脱いでもらった。さすがにあのまま外を歩かれると、地域住民の皆様が目のやり場に困るだろうからそれはありがたかったんだけど、上半身裸だって困る。あんな肉体美がそこら辺を平気でほっつき歩いてたら、即タブレット、即写真、即SNS。世界にアーロンが見つかってしまう。
 ……いや、そもそももうアーロンは世界に見つかっているか。怪盗ビーストだもんな。ん? 待てよ。何で、これ、困るんだ? アーロンの体が晒されることは、僕にとって、何かまずいことなのか……
 首を傾げながら歩いていたら、バランスを崩して標識にぶつかった。「何やってんだよ」と相棒に呆れられ、頭をこすりながら近づく頃には太陽が眩しく頭を上から照りつけた。今日はこの時期には珍しく暖かくなるらしい。だからだと思う、こんなに体がぽかぽかしてるのは。アーロンが前を歩いて、僕が慌てて後から走ってついていくいつものパターンを、スキップに変えたくなるほど、浮かれてるのは。

 アパレルブランドに、僕は詳しくない。アーロンもそこまで。だったら安く済ませようとファストファッションのお店に入れば、セールの期間だったのか人が溢れていた。頭ひとつ飛び抜けている僕の相棒は別に気にならないらしいが、僕はここの国の男性の平均身長なみだ。女性も背が高い人が多いから、すぐに紛れて見えなくなってしまうだろう。
「アーロン、僕が君の後ろを歩いていてもいいか? 君がいないと、何だかはぐれそうだ……
「テメエはいくつだよ」
「だ、だって、見ろよ、この人だかり」
そう言って振り返ろうとすると、買い物を終えた後の女性の紙袋にぶつかりそうになった。あんなに何個も買い物をした後に混雑した場所にいるなんて……! とめまいがしたが、女性は気にせず通路を闊歩する。
 僕は一生、バーゲンセールには勝てないな。思考を何とか上向きに保ちながら、メンズファッションのコーナーへ向かおうとすれば、
「おら」
 と広い手のひらが見える。僕の目は今度はぱちぱちと瞬いてアーロンの手を眺めた。男の僕でもうつくしい、と思う指の造形は、エスコートの体勢を取っている。
「ドギーなら、大人しくお手、だろ」
 左手をそっと掴まれて、手の甲を親指で、さり、と撫でられる。僕が「え、」と言葉を続ける前に、大事そうに取られたはずの手はぐいっと力強くアーロンの方へ引っ張られ、彼はどんどん先を歩いていってしまう。僕の足はそこら辺のマネキンに当たって、半ば引きずられるようにもつれさせながら歩いていた。さっきも言ったが、僕はこの国の平均的男性の身長や体重を保持しているはずである。それなのに軽々と引っ張りながら歩いてしまえるアーロンの剛力には、本当に感心するしかない。
 僕なら歩ける、大丈夫だ。その二言が喉につかえて出てこない。アーロンの手の温度は高めだ。そのうち僕らの接触点は、汗ばんでくるかもしれない。僕に優しく触れたのは最初の一度きり、二度目は訪れなかった。乱暴とも言える連れ回し方は、しかし周りに人が多すぎて見てる者はいない。それに皆が背の高いアーロンを避けて歩くから、そのうち僕は他のお客さんや障害物に当たることは少なくなった。
 メンズのシャツが並ぶ。今年のトレンドの柄がズラリと並んでいて、サイズ展開も豊富だった。やっとそれが見えるようになる位置に来る頃にはアーロンの手は離れていて、辺りの人も少ない。レディースより混まないこのコーナーはとてもありがたかった。
 ほんのわずかに残るアーロンの温度を、彼に見られないように指を擦り合わせて、少し名残を惜しむ。僕の手は汗をかかなかっただろうか、不快な思いは、させなかっただろうか。
 ティーンのような恥じらいを持ちながら、アーロンが先をズンズン歩いて行くのについていく。途中、彼に似合いそうなアウターやスラックスを見つけたあたりから、だんだん平常を取り戻していった。ただ、一瞬、さっきの手を繋いだ時のことを考えると、腕に何枚も同じ柄のTシャツを持ってしまっていて、アーロンに「……そんなにその服気に入ったのか?」と言われてハッとする。真っ赤になって「ちょ、ちょっと考え事を」なんてごまかして、ハンガーラックに戻していくのを、店員に睨まれた。買わないのかよ、みたいな舌打ちも聞こえた気がする。
 広い背中に服を当ててインチを数える。
「うわ、君、これでも胸きついのか。でもウェストは細いからお腹周りは余るんだな……
「面倒くせえ、潜入服を選んだ時みたいにあっさり決められねえのかよ」
「あの時は時間がなかったから、目が冴えていたのかも……でももう今は急ぐ必要もないんだ、ゆっくり決めさせてくれよ」
 僕は真剣にサイズ表と服のタグを見比べながら、アーロンの肩、背中をなぞって良さそうな上着を次々と見繕う。「くすぐってえ」と言いながらも良いようにされてくれる彼は、大口を開けてあくびをしていた。
 彼がこういう、大型の動物がのんびりしているような態度を取る時は、リラックスタイムだというのを僕は知っている。オフィス・ナデシコでも夜、稀にその態度を見せてくれた。
 あの時は気が合わないらしいチェズレイや、良い対戦相手のモクマさんがいたから常にピリピリと気を張っていたアーロンだけど、僕の作った食事の後、僕とコーヒーを飲む時なんかはまどろんでいた気はする。僕はそのたびに、安堵していた。アラナさんの様子をずっと気にしながら過ごす毎日の中で、よくあれだけ精神を強く持って立っていられるな、と時折心配だったから。
 今も明るい蛍光灯の下で、インナー一枚で服を合わせるアーロンは、あの時からは比べ物にならないくらい穏やかに見える。
「なあ、今の君ならああいうのも似合うんじゃないかな」
 柔らかい雰囲気を持っている今なら、カラーリングも、赤や黒だけじゃない物もハマる気がしてきた。僕はますます服選びが楽しくなる。人のためにチョイスするっていいな、それが相棒の物であれば尚のこと。
……ルーク、お前なあ」
 呆れた口調で咎めても、止めるつもりはないらしい。優しいアーロンに甘えて、僕は「ちょっと取ってくる」と鏡の前に彼を置き去りにして小走りで服を取りに行った。
 あった、あった。ライトグレーと白、青と、今までの彼よりかなり落ち着いた色味を選んで、着てもらおうと意気込んでつい走ってしまう。さっきと同じ店員にまた睨まれたけど、腕の中にあった服を見たら現金なぐらいニコリと微笑まれた。
「アーロ……
声をかけようとして、咄嗟に思いとどまる。
 女の人が、二人。アーロンに話しかけていた。あ、まずい。いつも僕にドギーと言い、キレたりどついたりうざったそうにすることもあるあの態度を、女の人たちがどう思うか──
「悪ぃな、連れと来てっから」
 そう柔らかく笑ったアーロンの顔は、僕は今まで何度か見たことがある。僕の作った食事の後、僕とコーヒーを飲む時、口には出さねどその表情を向けることが少なからずあって。あれは僕の特権だとか、自惚れながらも思ってて。
 でもそういえば。モクマさんが前に言ってたっけ。
 ──ナンパされるアーロンはさ、すっごい手慣れてて断り方もスマートだったんだよね〜、おじさんびっくりしちゃった。
 アーロンがこっちに気づく。何も言わずに女性たちから離れてズンズンとこっちに来た。女の人たちは僕を目で捉えると、途端に眉を顰めたり、ヒソヒソ二人で話したり。あれは知ってる、聞こえなくてもわかる。
 ──あんな人が、彼の連れなの?
「ルーク、どれ買うんだ」
 暗くなりそうな視界に、持ってきた服の白さがパッと入り込んでくる。慌てて僕は意識を浮上させた、遊園地のフリーフォールで持ち上げられた時のよう。僕の腕にある衣類を無造作に持って、アーロンはそれを着る。サイズもぴったり、ライトグレーの質感は彼に良く合った。
「あ、ああ、これ、を……
 言葉をどうにか返す僕の声は石みたいに固い。まだちくちくと女性たちの視線が刺さっているからだ。
……おい、ドギー」
 呼び名が変わった。低いが明瞭で良く通るアーロンの声は、彼女たちにも聞こえただろう。Doggie? と鼻で笑う姿が見える。ドギー、意味は犬。呼ばれて嬉しい人間なんて、よほど。よりによってこんな時に、このタイミングで、その呼び方をしなくてもいいだろう。睨むように彼を見れば、アーロンは意外にもまだ穏やかな顔をしている。
「いつまでもインナー一枚で突っ立たされちゃ、オレも寒ぃんだがな」
……悪かったよ」
 そこは、確かに。正論を言われてぐっと詰まった僕は、さっさと終わらせるべく、選んだ服を持って財布を取り出そうとした。けれど、財布以外を全てアーロンに攫われる。
「これで全部か? じゃあ支払い行くぞ」
「え、ちょっと……待ってくれ、アーロン、お金は」
「あ? 世話になる奴が払うだろ、普通」
 さっきまで僕を馬鹿にした目で見ていた女性たちが、口を開けてアーロンが横を通り過ぎるのを見ている。
 そりゃそうだ。あのドギーはこの魅力的な男性をどうやらお世話する方らしい、というのは今の会話だけでわかる聴覚情報。視覚情報としては大量の服を持ち支払いもやろうとしてくれてるアーロンと、手ぶらで横を歩いてる僕、だ。彼女たちも彼氏や男たちと遊んでいて経験があるだろう。完全にアーロンは手慣れた対応で「僕を」大事に扱っている。
 居たたまれなくなって、僕の顔はもう血が巡り過ぎてひどい状態だ。「僕にもちょっと持たせて」と言っても聞こえないフリをする相棒は、さっさとタブレットでキャッシュレス決済をし、試着室に入り、買ったばかりの服を着て出てきた。
「これでいいか?」
 流れるような動作に、僕は火照ったままの顔で頷くしかなかった。実は僕が一番着てほしいと思っていたライトグレーのウェアとブラックのアンクルパンツで出てきたものだから、まるで心が読まれたみたいな気がして。
 さっきまで着ていた、サイズが合っていなかった僕の服はショップバッグに放られ、三つあるバッグを片手に軽々担いでアーロンは歩く。彼らしさを街中でも全く失わないものだから、当然歩幅は広い。
「僕も一つ持つよ」
「何だよ、ずいぶん持ちたがるな」
 じゃあこれ持て、と言われて慌てて受け取ったのは、僕が選んでいない柄の物が二、三枚入っている軽い紙袋だった。もしかして買う時に、引っかかって違うのも入っちゃったか? と疑って中身を出せば、
「待ってる間暇だったから、テメエの分」
 ペイズリーの大手のスカーフに、オフホワイトのワイドパンツとコットンシャツ。春物、いや、夏の暑い時にも着られそうだ。アーロンの見立ての服と彼を、交互に見て立ち止まる。
 エリントンはここまで涼しい格好を好む人はあまりいない。いつも重厚で、曇り空、雨も多い土地柄では、人の気分も沈むのか暗い色合いを纏うのがトレンドになりがちだ。真っ赤、黄色、派手な色は小物に留まる。
……ハスマリーは、暑いからな。来年まで、それ着れなくなるくらい、太んなよ」
 ニヤリと笑うアーロンの、犬歯がくっきり見えた。
 僕は初めて、心臓がどきんと大きく高鳴るという経験をした。左胸が、大きく脈打って落ち着かない。スクールの時にやっていたバスケで経験した、足をつるのに似てるか? いや、あれよりもっとタチが悪い。
 そうなると、僕はもう、ダメだった。

 まず本屋で、僕が格闘技の本を見ていたら後ろから息が漏れてアーロンが側にいるのがわかった。気配はどう考えても近いし、「このトレーニングならすぐできんじゃねえか」と笑う動作も伝わって心臓が跳ねる。
「腹が減った」と言われたから最寄りのアジアンレストランで食事を取れば、ちょうど昼時の混雑で、狭いカウンターしかないと言われて面食らった。膝は当たるし顔は近い。そんな時に限ってアーロンが「これうめえぞ」ってシェアしてこようとする。上手に切られた生春巻きの、ぷりぷりの海老が赤と白の身を美味しそうにこっちに向けている。
 でもそれはアーロンがさっきまで頬張ってたナイフで切られた箇所で、アーロンのフォークに突き刺さり、「食わねえのか?」と僕の口の前に放られようとしていて、僕は図らずもあーんと口を開けるしかなくて。ほのかにきいたスパイスみのあるチリソースが鼻にくる。何だか無性に情けなくて、水を飲んでごまかした。
 ああ昨日までは、一緒に映画を見て、肩に頭を乗せるのも、手を触れるのも、くすぐり合いですら平気だったのに!
 これからアーロンと一緒に住む時間を、どうしたら上手くやり過ごせるんだろう。アラナさんの病院へ行ったアーロンを見送った後、僕は大いに頭を抱えた。