ある男の叙事詩

pixiv再掲
とある男の交際匂わせ。ナックルシティのモブはキさんが大好き
キさんの未来を大いに捏造していますが、ジムリ引退後、ポケモン研究なんかに勤しむ賢そうな職についていたらいいなあ、なんて妄想なのでお許しください



3

 それは何日か前の雨の日を終えて、からりと晴れた過ごしやすい日のことだった。
『哀愁のネズ、熱愛発覚!』
 いつも通りの朝を迎える予定だった研究所のメンバーは、その号外を見て驚愕する。今日日、紙媒体での速報なんてこのガラルでは珍しいのだが、それぐらい彼らの日常に激震を走らせた内容は、新聞社も広告会社も企業も良い宣伝になると踏み、空を舞うほど大量に印刷に挑み、号外として発表した。
 研究所にはネズのファンも多い。彼のリリックセンスや溢れる才能はガラル以外にも名を馳せて、ツアーにコンサートにと大忙しで独り身を貫いていた彼が、ついに熱愛かと皆が興味をそそられる。見出しだけを見た彼らはどきどきしながら紙を繰る。
 マスクとキャップ姿のネズ、長い髪もなるべく隠すようにしているけれど、そのグリーンの淡い眼差しはごまかせない。
 しかし彼らは、果たしてそれだけでは驚きを終えられなかった。
「ねえ、これって……!」
 女性研究員の何人かが、ごくりと唾を飲む音がした。無理もない。研究所の誰もがその号外に釘付けになった。
 黒いパーカーのフードを被りジーンズを着て、派手な色をしたハイカットのスニーカーを履いた、男性であろう人物がネズの横に立っている。最初の写真は後ろ姿しか見えないから性別の判断が難しいが、女性にしては身長が高すぎる。そして「このスニーカー、履いてるの見たことある……」と別の研究員が呟いた。
 次の写真は互いに買い物をした後の紙袋を持って、ネズがスマホロトムを掲げて男性に向かって何か話している様子だ。その日は雨降りらしく傘を差しながら二人で街を歩いているのだが、「このスマホカバーの色……」と顎の下に手を当てて男性研究員がうなる。
「いや待て、スマホカバーに関しては、ネズの前回やったコンサート会場で販売された公式ツアーグッズだ。たまたま一緒なだけかもしれないぞ」
「そ、そうよね、そうだわ」
 奇妙な連帯感をはらみつつあるこの空気の中、頷き合った研究員一同は、恐る恐る最後の写真を見た。
 ゆっくり号外をめくった手は震えている。それはそうだろう。傘と買い物袋を片手に抱えてキスをし合う、もはやそれは恋人だった。
 そして左側で嬉しそうに微笑むネズの耳には、キラリと光る小さな美しい石がある。男性のパーカーのフードから見える白い髪のメッシュは、ネズと相対した位置に差し込まれていた。ご機嫌な顔で、柔らかく蕩けるようにきれいな水色の瞳で相手を見つめながらキスをしている。
 ──ガチャリと研究所のドアが開いて、キバナが出勤してきた。「あー大変だった」なんて呑気に言いながら、ロッカールームの白衣を取りに奥へ進もうとする。
「おはよう、あ、それ……
 律儀に全員の顔をしっかり見て挨拶をする男、キバナは、研究員一同の憧れであり大好きな仲間である。
 その彼が号外を指差した途端、「やっぱお前らも見てたか」と申し訳なさそうに笑う。いやこちらこそこんなコソコソ見てしまってキバナ様に気を使わせて……! と彼らは心の中で叫びながら恐縮したのだが、彼は鞄から何やらガサガサと取り出すと、
「あの、な。これ、ネズから。お前らにももしかしたらパパラッチのカメラとか取材とか、迷惑かけるかもしんねえからっていうお詫び。まだ未公開の新曲入ってっからって」
 そう言ってそっと一人一人にCDを渡すキバナの褐色の手は、大きくて温かい。呆然としたまま研究所の中央で立ちすくむ研究員を尻目に、キバナのスマホロトムが振動した。
「もしもし? あ、レナ? ごめんな迷惑かけて……そっちにもいっただろ、カメラ……今度、ジムリーダー頑張ってるって聞いた祝いも兼ねて奢るからさ……
 バタバタと歩いて謝りながら、一旦研究所を出たキバナの後ろ姿は、号外そのままの姿だった。
 そうしてキバナの去った後、一人の研究員がおもむろに、すっとノートパソコンを始動する。先ほど渡されたネズのCDが取り込まれ、パソコン内で回る音がした。それほど、今この室内は静寂に包まれている。
 オートプレイで始まった曲は、最初から哀愁のネズらしい、少しアンニュイさのこもる歌詞から始まる。
「私、この歌聞いたことある……
 そう言った女性研究員は、朝の定番になりつつあるダイエットフードを、デスクの上にぽとりと落とした。そうだろうな、と誰もが彼女に頷いたし、食べ物を落としてしまったことを誰も咎めなかった。
 キバナがいつしか口ずさんだ、ネズの新曲。それはかくも美しい、愛の歌だった。