墓の下に入れるのは

pixiv再掲
あの人のことを気に病むテルに、セキさんが協力してあの人の痕跡を辿る話。
「墓の下にいれるのは」と読みます。タイトルが物々しいですが、物騒な話ではないです。
クリア後、図鑑完成済みで、かつアルセウスに会った後です。セキテルはまだ付き合っていないけれどお互いに特別視はしている。
クリア後の裏ボスに触れていて大いにネタバレありです。裏ボスまでクリア済みでの閲覧を推奨します。



 セキの勘は、果たして当たっていた。

 翌日の真夜中、洞穴のそばで。
 リングマがこちらを見る目は、怯え切っていた。何かに追われてここに流れ、最後の手段として退路に立っているセキを襲うつもりなんだろう。
 こんなに大きな図体をしていても、爪の先の震えからわかる。
(なにかに動揺して、うろたえてやがる)
 セキはリングマの行動パターンを読んだ。リングマに認識された場合、速やかにそこを去るのは難しい。背を向けて逃げれば、追尾スピードは人間の比ではないからすぐに追いつかれる。
 目を合わせながら、荷物を地上に置く。正面を向いたまま、ゆっくり後退りする。リングマが荷物に気を取られている間に、目をそらさずにそのまま後ろへ下がり続ける。見えなくなるまで下がる。
 リーフィアは今日はいない。遠いコトブキムラにいて、きっとテルに温かい寝床を作ってやっている。セキはブラッキーとシャワーズ、そして自身の力だけで、ここを乗り切らなくてはならない。
 セキは息を飲んで喉を鳴らした。目を揺らがせて怯えるリングマを刺激しないよう、ゆっくり動作を開始しようとすると。
 ──そのリングマの背後から、茂った草同士が重なって鳴った。今日は風がない、ましてや夜露を含んだ草むらは音が鳴りづらいはずだから、音の主はわざと足を地に踏みつけて気配を明らかにしているのだ。
 この足音に覚えがあるのか、リングマは肩を震わせ青ざめる。セキは今いる位置から下がりつつ真横へ体を避け、相手に退路を譲るように動いた。「助かった」とでも言うように、いかにも人間くさくハッとした表情を見せたリングマは、セキの方を一切見ずにまっすぐ退路へ逃げ込んで、そのまま夜の闇に消えていった。
「──ああ、逃げてしまいましたか」
 馴染みのある声がした。同時に、響きのある別の声もする。トゲキッスだというのはすぐにわかった。無邪気な顔で、白い体を闇にぼんやり浮かばせている。きっと指示を出した人間の命ずるままに、あのリングマに攻撃をしたんだろう。
「でもじゅうぶん、役割を果たしてくれましたね」
 うすい唇を真横に引いて笑う人間に、セキは見覚えがあった。話したこともある。なんなら、同志だと思っていたことも。
…………オレを追い払うためか、それともここに留めるためか」
「どちらもありますね。とにかくジブンはもう、この場所を引き払うので」
「そうかよ」
 セキが舌打ちをすると、相手──ウォロは面白そうに喉を鳴らす。
 木々のざわめきが強くなった。風のない日であったはずなのに、今になって昼の日差しで蒸した土を舞わせる。例年よりも気温の高い春のおかげで、よく萌えた草と葉が青い匂いをさせた。
「冬の間、ずいぶん嫌がらせしてくれましたね。おかげで逃げ場を変えるのにどれだけ面倒を強いられたか」
「礼を言えとは言わねえが、その言い草は気に食わねえな」
「おや、あなたの想い人ががんばったからでしょうか?」
……おめえなあ……まあ、いいや。そういう見透かしてんのも、嫌いじゃねえよ」
 そうですか、と言いながら、近くの木の根に腰を下ろす。相変わらず食えない笑みを浮かべている。けれどセキは、どことなく彼のこれまでの行動と、そして最後に聞いた彼の行動が、ちぐはぐなようでいて一貫していたな、と感じていた。
 ウォロは、本当に、それはそれは図鑑の完成を楽しみにしていたらしい。博士からも、テルからも聞いていたからわかる。薄暗く、明るく、陰湿に、穏やかに。人間誰しもが持つ二面性を最後には屈託なくさらけ出し、テルを救ったフリをして追い詰めた。テルを傷つけたことはセキにとっては許せない。けれど、ウォロのこともわかるのだ。セキは寛容で、そして多くを見てきた大人だった。
「この巡礼者の道に住みかを作るなんて、どこまでも執着してんだな」
 だからセキは、遠回しになんかせずにはっきりと物を言う。もはやウォロには気遣いなど無用だ、それは相手がいちばん望んでいること。
「ええ、いまだに くすぶっていますよ。なぜワタクシではないのかとね」
 刺すような痛みのある言葉。アルセウスを思い出すだけで、ウォロの中の憎悪と愛が渦巻いているのがわかる。
(アルセウスへの熱心な巡礼をこれからも続けるっていう意思表示なのか、あるいは……山の谷間に落ち窪んだこの道を、地獄と思い這い出るのか)
 できれば後者であってほしい、とセキは願ったが、
「ジブンは海を渡ります」
 突如として明かされたウォロの行き先に、セキは目を見開いた。
「遺跡や自然遺産は、この地ではほとんど見尽くしてしまったので」
……世界遺産めぐりでもすんのか?」
「そうですねえ、それもいい」
 一瞬、ウォロは遠い目をしていた。しかし、すぐにセキに向き直ると、いつもの笑顔を作る。今となればその笑みはうさんくさいのだが、そうして不敵に笑っている方が彼らしいと感じる。
「コンゴウ団という集まりは、元は海の向こうからいらした……そうでしたね?」
「ああ、そうだが」
「つまりシンオウ、つまりディアルガの神話はヒスイ以外にも広く伝わっているということ」
……なにが言いてえ」
 冷たい風が吹いた。ウォロは、そばで小さく一声鳴くトゲキッスの頭を撫でながら、ゆっくり立ち上がる。
「手がかりがまだある可能性を秘めているんですよ。アルセウスにまつわる歴史のかけらでもいい。海の向こうにも、シンオウの加護を受けたポケモンや、遺跡が散らばっているかもしれない。ヒスイという大地でだけ留まっていることはない。なぜなら人もポケモンも、住みかと生きがいを求めて流れ、流される。アナタたちコンゴウ団がヒスイへ来たように」
 ただひたすらなこの男の執着に、セキは感心した。地獄と悟って這い出るなんて、やさしいものではない、新しく地獄への道を作り、走るのだ。そうしていつまでもアルセウスを巡礼し続ける。ラベン博士とは方向の違う、その異常なまでの探究心に武者震いさえ起こした。怒りでもなく、喜びでもなく、ただ静かに湧き立つ闘志に体がみなぎる。
「いかにも、あんたらしいな」
 そう言ってウォロを見たセキの表情は、
…………これは、慎重に行動しなければいけないようですね」
 とウォロが笑みを消すほどに、いつもの慈愛をかなぐり捨てた顔をしていた。セキがウォロに、向かい合うなら容赦はしないと発破をかけるのは、果たして世界のためなのか、それとも、
「テルさんにもう告白はしましたか? そこまでアナタが想っているのなら、彼も幸せだと思いますよ」
 この内に秘めた想いのためなのか。
 ウォロは、いつものイチョウ商会の商人の顔に戻ってからかった。
「うるせえな。おめえのことが片付かねえと、んなこと言えっかよ」
 警戒を解いたセキは、不貞腐れるように告げる。
「はは! まあそうですよね」
 大きな、ハキハキとした声。空の色が変わったあの日から、セキはテルのそばでそれを聞いていた。疑う余地など一寸もない、完璧な演技。今だってセキとテルの恋路など、微塵も興味はないだろう。
「オレはおめえのそういう裏ばっかりあるところ、好きじゃねえな」
「安心してください。ワタクシもアナタの、裏がまったくないところは嫌いですから」
 そう言って、互いに口の端を上げて笑った。
 木々の合間から遠方の山並みが覗き、朝日が昇り始めた。ウォロの金髪は照らされる光に当たってきれいに輝きそうとすら思うのに、なぜかウォロは日を嫌って日陰へ入る。対称に、セキの足元はだんだんと暖かく温度を持ち、目を細めないと肌に当たる光がまぶしくなってくる。
「それでは行きますか、トゲキッス」
 真っ白い体のポケモンは、嬉しそうにウォロに付きしたがう。陽の光を嫌う主人の横で、あの白い体がまるで発光しているかのように闇深い森の中を照らした。それは月明かりに似ているな、とセキは思う。トゲキッスの反射光を受けたウォロの表情は、その一瞬だけ、憑き物が落ちたように見えた。
 そのまま、ウォロは二度と振り返らなかった。セキはイチョウ商会の特徴的な黄色い服が、完全に見えなくなるまで、じっと見つめ続ける。男の背中は闇に溶け、足音さえも聞こえなくなった。
(あいつの言いなりになんのは癪だが)
 セキは豊満な髪をかきわけ、後頭部に手をやる。熱いうえに、なにかで殴られたかのような痺れがある。発破をかけられてようやく勇気を出せたなんて、喧嘩っ早かった先代の長が聞いたらなんと言うか。
 ウォロとは反対の方角に歩き、次第にその足を早めた。ベースキャンプからコトブキムラまで、数名の警備隊に声をかけられたが、どれも無視をしてしまった気がする。それほど、ただ目の前を走り抜くことだけに集中していた。
 岩を超え、宙を飛び、一陣の風になる。休むこともせず、ひたすら歩き、走り、あの村で待つ少年の元へ。

 誰よりも早くコトブキムラに着いた。昼を夜を駆けたセキの息は切れ、肩を弾ませる。目に映る春の朝焼けは、澄み切ってうつくしい。生えたばかりの葉を揺らしながら木々がそよいでいる。自分の汗が流れて、羽織からいつもリーフィアが擦りつける青葉の香りがする。そしてそれとまったく同じ匂いを辿るように、セキは宿舎へ足を運ぶ。
 ガラリと戸を開けた。茶と薄い緑の体毛を持つ前足が見えて、リーフィアがすぐに近寄る。ずっとテルをそばで見ていてくれた相棒に近づき、「ありがとうな」と小さく一声かけた。足元にすり寄る相棒の、やわらかい毛のぬくもりを久しぶりに感じた。
 奥に、布団にくるまった小さな山が見えた。寝息も聞こえる。セキは戸を閉め、足音をたてぬように寄り、その布団を少しだけめくり──やはりな、と心で呟いた。
 いつもこうして寝ているんだろうか。テルは卵の中にいるように丸まって、己を守っている。寝巻きのすそを握りしめ、眠っているはずなのにどこか全身の至るところに力が入っている。この世界に来てから、テルはいつだって背伸びをしていた。ここで生きていくことを半ば選び出していると言っても、そこにどれほどの無理を詰め込んでいるのか。
「テル、帰ったぜ」
 我慢ができず、声をかけてしまった。まだ早朝、太陽も山から顔を見せたばかりだ。それでも少年はゆっくりまぶたを開けて、目のうちに自分の姿を入れてくれる。
「あ、セキ、さん……?」
……よう。すぐ会いたくて、走って来ちまった」
 寝ぼけている瞳は、ゆらゆらと揺れていたがだんだん明瞭になってきたようで、「おかえりなさい」と舌足らずに告げた。
「ウォロには、やっぱり会えなかった」
 生涯でただ一度、テルへ嘘をつく。下まぶたを上げ、ほほえんだ。表情筋はおかしいくらい鮮やかに、偽りの言葉のために顔を作る。それはたぶん、造形は違えどあのウォロに似た笑みだ。けれどこの嘘は、セキが墓の下まで持っていくと決めた。だからこそ、自分が知る限りいちばん狡猾な男の手段を借りたのだ。
 たとえ会えたと言って、そのあとになんと言う? 少年のことを憎んでいたと? そんな感情をこの少年が向けられるのは、もうこの瞬間で断ち切りたかった。
 テルは、
「そうですか……
 と言い、ほんのわずかにセキを見つめた。この嘘が、果たしてこのときテルに見抜かれたかどうかはわからない。やさしい嘘と人が呼ぶであろうセキの言葉に口をつぐんで、しかしテルは晴れやかな顔をしている。
「俺は忘れません」
 強い目の光を宿して、テルはきっぱりと言った。セキは続く言葉を待つ。
 忘れない──ウォロの態度や姿勢だろうか、あの男が自分を騙したことだろうか、それとも最後までテルのまえに姿を現さないで、匂わすように去ったことだろうか。
「ウォロさんが、図鑑の完成を楽しみだと言ってくれたことだけは、真実でした。この図鑑が、いつか誰かの役に立つなら、いつか誰かのために活躍するなら……その真実はみんなの真実になるし」
 鼻の頭をかいて、テルはこちらを向いた。気の抜けた笑顔をしている、やっとウォロ自身のことが、少年の中で腑に落ちたようだ。
「また俺がこの世界で生きていく指標になりました」
 前を向く少年に、セキの心が痺れる。
 今夜こそ、この少年が穏やかに眠りにつけるといい。目の奥に浮かべる壮大なこれからの物語を抱いて、過去の苦しみから逃れて。そのときにそっと寄り添えたら、こんなに嬉しいことはない。
 セキは気がつけば、先に口を開いて息を吸った。舌が乾いているが、そんなことを気にするより先に言葉が出た。
「──好きだ」
 吐き出したあと、内側から震えた。細胞中が興奮を訴えかけているような震えだ。
 言った、とうとう言った。墓の下へ持っていこうと決めていたもう一つの決意をすくいあげ、今だとばかりにぶちまけた。皮膚が粟立ち、足先に力が入る。言われた側のテルは、せっかく穏やかにほほえんでいたのにまた体に力が入れさせてしまった。
「テル、あんたが好きだ」
 それでももう一度、言った。懇願にも似た切なる響きを持っている。我ながら必死だな、と頭のどこか冷静な部分が俯瞰していた。しだいに事を理解してきたテルは、真っ赤な顔をしている。
かせにはならねえ。ただ支えさせてくれりゃ、それでいい」
 でも、とセキは食い下がる。
「うぬぼれじゃなけりゃ……言ってほしい。あんたが、もしもオレを好きでいてくれてんのなら」
 起き抜けになんてことを伝えてんだ、とセキはいつも以上に強引な自分に呆れたが、今さらなような気もした。それに、
……リーフィアと一緒にいると、すごく安心しました、あなたがいるような気がして」
 しんりょくポケモンはよろこびに満ちた声を出す。
「それに、セキさんがここに帰って、朝から姿が見えて、やっぱりほっとして」
 と言われる。テルはセキのまえで、無防備にほほえんだ。
「俺も、あなたが好きです」
 セキは舞い上がるほど心が躍り、掛け布団ごと細い体を抱きしめた。
「悪ぃ、汗、嫌だよな。すぐ離れるから」
……だ、大丈夫です、いやじゃない」
 いやじゃねえのかよ。そう囁くと、小さな唇が、はい、とか細く鳴いた。こすれた頬と頬の感触が心地よくて、少し首を傾ければすぐにテルとの距離はゼロになりそうだ。セキは自分のことをずいぶん大人になったと思っていたが、人を想うとこうも堪え性がなくなるのかと改めて知った。
 そのまま、小さな頭を抱えて口づけた。最初は危うく歯と歯が触れ合いそうになる。ひんやりとした舌がしまいそびれてそこにあった。自分の熱のある舌先でなぞってやれば、驚いて引っ込む。今はまだ、大それた接吻はできない。
(んなことしたら、)
 もしも今、そんなことをしたら。セキははやる気持ちをどうにか堪え、そっと目を開けた。
 テルがぎゅっと目を閉じている。鼻で呼吸をすることを知らないのだ。赤い顔は酸素が足りない苦しさからか、それにしては口づけるまえから熱っぽかった。解放してやると、テルはすぐに息を吸った。かわいらしい動作に忍び笑いをもらすが、相手には気づかれなかった。
 ──途端に、セキの体はどっと疲れを感じた。安心して気が抜けたのである。ずっと動かし続けてきた足はもう棒のように動かない。起きたばかりのテルの体が日向 ひなたと変わらない温度で、洗濯をしたてであろう寝巻きからはかすかだが石鹸のいい匂いがした。深く息を吸って脳に酸素を行き渡らせると、とても澄んだ心地がした。
…………あー……緊張した」
 セキはそう言うと、テルの身には重かろう体をつい預けてしまった。耳元からは自分よりも早く鳴る鼓動が聞こえる。
「セキさん?」
 意味がわからないであろうテルは、甘えるように額を肩口にすりつけてくる大人にうろたえている。セキはもう一度言い直す。
「あんたが受け入れてくれて、良かったな、と思ってよ」
「で、でも、うぬぼれじゃなけりゃ、って言っていたじゃないですか。俺の気持ち、わかってたんじゃ……
「あんたの口からちゃんと聞いたわけじゃねえから、万が一オレが勘違いしているってこともあるだろ?」
 どんな態度を取られていたとしても、セキはやはり片隅に不安を感じていた。人からの尊敬や好意に慣れている男が、そんな言葉をこぼすほど不安と戦って伝えた精一杯だった。柄にもねえな、とセキは自嘲するけれど、
……俺のこと、そんなふうにたくさん思ってくれているんですね」
 とテルはやわらかい頰を上げて言った。
 緊張だとか不安だとか、それすらセキが愛おしいものと思えたのは、この笑顔を見てからだった。そしてセキはもう一度テルを抱きしめる。腕の中で抱いているのは自分のはずなのに、全身が包まれているような感覚がある。目を閉じると、視覚がない分それはますます顕著になった。
 遅れてそばにやってきたリーフィアの匂いと、テルの服から香る匂いが、今のセキの世界のすべてだった。