積み重なった本を数冊、両手で持ち上げては空いている床へ置く。埃が舞うのも構わずに、手際よく一冊一冊、表紙をちらと見ては仕分けていく。
がさごそと物が置かれていく音を忙しなく響かせながら、人形はスカートを床につけてしゃがみこみ、黙々と作業に取り組む。
訪れる狩人が少なくなって久しい狩人の夢、その工房では現在、ある書物の捜索が行われていた。それは、夢の住人としての人形へ、ひとりの狩人から手助けを求められての事である。
人形の装いはいつもと違い、ケープを外し、生成りのエプロンを身に纏っていた。その生地は少々の厚みが、幅広の肩紐や裾にはフリルがあしらわれ、その端々にはまばらに黄ばみが見受けられる。きっと長い間、仕舞い込まれていたのだろう。
球体の関節を保護するため身に着けた布製の手袋は、埃や砂で指先から茶色く汚れており、書物を辿る道のりが長い事を示している。
工房の隅から突然、がたり。続いて、ばたばたと一際に大きな音が響く。人形は音の主――狩人へ振り向き、すらり立ち上がると静かに向かった。様々な物が散らばる床、その中で揺れるスカートは周囲に触れることなく、迷いのない足取りで狩人のもとへ近づいていく。
狩人はバランスを崩して倒れたようで、尻を突き出しうつ伏せになって顔面を本の山へ埋めている。人形は少し首を傾げ、彼の様子を伺いながら声を掛けた。
「狩人様、お怪我は」
本の山から脱出するべく、もごもごと身をよじらせながら人形の声に「ふぁい、おうふ」と狩人が腑抜けた返事をすると、両腕で踏ん張り顔を上げた。傾いた自身の眼鏡をいつもの位置へ調節し、そして軽く伸びをしたあと床に手を着き、彼女へ顔を向けて「心配ない」と今度こそはっきり応える。
狩人の束ねた白髪はちりちりと乱れ解けかけており、額には汗が滲む。獣狩りの夜において辛うじて白かったシャツも、今や埃にまみれ薄汚れており、細かい皺でくたくただ。
それでもなお本の行方を諦めず探し続けようとする狩人の姿に、人形は、狩人からの申し出を引き受けた時のことを思い返す。
「鴉羽の狩人へ贈り物がしたい。そう、眼鏡を」
贈り物のため資料が必要であり、関連する書物が残されていないか、よかったら一緒に探すのを手伝ってはくれないか。そんな申し出に彼女はいつもの様子で事も無げに協力する。
人形が狩人の手助けとなる事は当たり前の事である。それが人形に与えられた役割で、長い永い時の中、これまでそう在り続けてきた。そして、これからも変わりはしないだろう。
けれども狩人が少し緊張した様子で熱を帯びて申し出る姿に、人形は形容しがたい何かを胸の奥に感じる。歯車が僅かに軋むようなその感覚へ耳をひそめるかのように思考するが、瞬きの合間に疑問を残して軋みは消えた。
気のせいだと思っていた感覚は、今ふたたび人形に響き始める。時折の違和に不思議と不安は感じられず、むしろ心地良さすら覚える。
まだ書物は見つかっていないというのに、呆けていてはいけないと何気なく机を見やるも、人形の内から何かが込み上げ記憶の片隅を照らし始めた。
工房の机に齧りつくように向かい、丸めた背中。
金属を叩く音の響き。
そして、冷たい頬に触れる温かさ。
灯る光景は知らないはずで、けれども何処か懐かしい。
――そして、彼女は思い出す。
ある時、狩人が届けてくれた、小さな髪飾り。胸の内の感覚は、あの“熱”に似ているのだと。
人形が自身へ気を向けた間に、狩人は立ち上がり捜索を再開していた。今は書物を探さなければと顔を上げる人形だったが、ふと背丈の高い本棚、その上部から何かが出っ張っている事に気づく。
目を凝らしてよく見ると、その本棚の天板からは横倒れたらしき一冊の本が、少しばかり角を覗かせているようである。おそらく狩人が引っ繰り返った際、振動が伝わり倒れたものだろうか。
人形の背丈であっても手を伸ばしたところで届かない高さ、こうなると本棚手前のテーブルに助けてもらうしかない。そう考えた人形は少々の行儀の悪さに目を瞑り、ブーツを脱いでテーブルへ上がる。
それでもなお高さがあり、人形が背伸びをし、ようやく天板へ手が届く。天板上に本が他にもないかと手で探ろうと試みるも、姿勢を崩して落ちてしまいそうで、一旦は角だけが見える本を降ろすことにする。
本の角を片手の指でつまみ引き寄せ、落とさぬよう両手で降ろす。そして表紙に積もった埃を慎重に払い確認すると、そこにはまさしく眼鏡の絵が現れた。
一度しゃがんで本をテーブルに置いてから、人形は足を片方ずつ床へ降ろしてブーツを履くと、早速、本の中身をあらためる。
中の頁をめくり左から右へ視線を走らせ、前髪が睫毛の上へ掛かるのもそのままに最後の頁までめくり続ける。そうして、ひとつ小さく頷きぱたりと本を閉じた。
やがて視線は狩人へと向けられ、どうやら目的の書物が見つかったようだ。
人形が書物を手渡すと狩人はいたく感激し、何度もお礼を伝える。しかし彼女は、遠くへ思いを馳せるように少し考え込んだ様子であり、狩人はひとり浮かれすぎてしまった事を謝罪する。
首を振って応えながら人形は、真っ直ぐに狩人を見つめると、ひとつ問いかけた。
「私は、お役に立てたのでしょうか」
しっかりと大きく頷く狩人に、人形は続けて問いかける。
「……私にも、贈り物を届けることが、できるのでしょうか」
狩人は彼女の眼差しを受け止め、「もちろん」と見つめ返して伝える。その言葉に彼女は、深く息を吐いて安堵するように微笑んだ。
ようやく見つけた陽だまりで震える身体を温めるような、何処か安心した様子の人形に、狩人もまた胸が温かくなる思いであった。
書物は見つかったが、人形は続けて協力する事を自ら申し出る。狩人は少々驚きながらも喜び、またよろしくと握手を交わした。
狩人が書物を熟読する前に一息つくべく、人形もまた埃まみれの衣服を手入れしようと、一度解散する運びへ。その後は再び集まって、眼鏡の製作へ取り組む予定だ。
彼女は胸に手を置き、もう一度あの感覚へ耳をすます。歯車は、軋むことなく回り始めて時を刻み、鼓動する。
――私もまた、誰かの想い、その形なのでしょうか。
一本の糸を辿るように、積み重ねられた夢路へ彼女は触れる。そして、今も何処かで夢に眠るあの人へ、いつか想いを届けたいと願い月を見上げた。
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