ちこと
2024-10-29 20:43:53
7426文字
Public poke小説・SS
 

【短文まとめ】きみと夜のあいだにて

2020~2021年頃にTwitterにあげた短文のまとめです。ゲンガー+サトシで3本です。ラスト一本がほんのりホラー風味なので、念のため苦手な方はお気をつけください。


1.ゲンガーのくすり


 さああ、と蛇口から流れる水の音が、暗いキッチンのなかにこだまする。ほかに音をたてるものはなく、何気ない水音ばかりがやけにめだって聞こえた。
 手の甲にあてていた流水を、蛇口の栓をひねって止める。ややあって、じりじりという痛みがぶり返してきた。サトシは「はぁ」と嘆息し、再び水を流しだす。
 同じことを繰り返し、もう一時間も経っただろうか。火傷の痛みはこんなに後引くものだったかと、サトシはやるせない心地になっていた。

 夕食後、腹ごなしにと始めた特訓のさなか、うっかりと負った火傷だった。ろくに冷やすこともせず特訓を続け、興奮冷めやらぬままに寝る支度をととのえ、ベッドにふうと落ち着いたところで、急に傷が気になりだした。
 ぶり返したのか、ずっと痛んでいたのを気づかずにいたのかはさておき、とにかく手の甲がひりひりと痛む。
 擦り傷や切り傷、そんなものなら、いくらも経たないうちに痛みは気にならなくなる。だが火傷の痛みはしぶとかった。ずうっとじりじり、ひりひり、そんな感覚が抜けてくれず、サトシはたまらずベッドを抜け出したのだった。
 今さらだけど、と流水で冷やしはじめると、痛みはすうっとおさまった。ほっとして冷やすのをやめると、少ししてすぐにひりつきがぶり返す。それで再び流水をと、そんなことを繰り返し繰り返し、いつのまにかずいぶんと時間が経ってしまった。
「ぴかちゅ?」
 ささやくような声で、ピカチュウがシンクに飛びのる。ベッドから出たときに起こしてしまったのだった。
「つきあわせちゃってごめんな、ピカチュウ。眠くないか?」
 冷やしていないほう、空いた片手で頭を撫でる。相棒は耳を自然とたらし、目をほそめ、「ちゃあ」と心地良さそうな声を漏らした。手のひらから伝わる温かさと相まって、サトシの心もほっとやわらぐ。
 「ふわぁ」とあくびが漏れた。いつも十時間は寝ないと頭が働かないのだ。手のひりつきはいまだ安らがないが、そろそろ切り上げなければならないだろうか。
 蛇口の栓を閉め、水を止める。冷えた手をタオルでかるく拭き、シンクに背を向けた。ぴょん、と軽やかな音を立てて、ピカチュウがサトシの横に降り立つ。
 じん、という感覚が戻ってきた。
「ううん」
 たまらず声を漏らすと、相棒が顔をあげて「ぴーか?」とささやいた。心配させてしまっているとわかる声音に、つい眉尻が下がる。
「まだちょっと痛くてさ。そのうちおさまると思うんだけど……
「ぴかちゅ……
 ピカチュウと囁き声を交わしながら、明かりの落ちた廊下を歩く。研究所のなかは静まりかえり、ほかに起きている者はないように思えた。
 音を立てないようそっと進み、階段の脇を通りがかる。
 階段の下の暗がりが、もぞと動いた。
……!」
 一瞬だけ驚いたが、すぐにわかった。暗がりから伸びたのは、よくよく親しみのある手だった。
「ゲンガー?」
 応えるように、手が伸びる。影から伸びたゲンガーの手は、サトシの片手をそっと掴んだ。
「!」
 火傷を負った側だった。ゲンガーの手のひらが、サトシの手の甲を包む。
 とたんに、痛みがひいていくのがわかった。
「ゲンガー……
 サトシの呟きに応えるように、ゲンガーは、今度は顔をひょこりと出した。サトシの横に並んで立つ。
「起こしちゃったのか?」
 と聞くと、「げんが」と首を横に振った。ずっと起きていたのだろうか。
「もしかして、おれが冷やしてたから来てくれたのか?」
 今度はこくりと頷いた。にいっと笑い、「げんげろげー」とちいさな声で。
 その笑顔と声があんまり嬉しくて、サトシは頬を緩めた。ゲンガーと並び、歩きだす。


 ゲンガーと手を繋いだまま、寝室まで帰りついた。
「ゲンガー、ありがとな。もう大丈夫だから」
 ゴウたちを起こさないよう、いっそう静かに囁く。
 だがゲンガーは、まだサトシの手を離そうとしなかった。先んじて部屋に入り、繋いだままの手を引く。
「ゲンガー?」
 促されるまま、サトシはベッドにおさまった。ピカチュウももといた枕元に飛びのる。
 ゲンガーはというと、サトシと手を繋いだまま、ひゅうと影にとけた。二段ベッドがつくる影のなかに入ったのだと、一拍遅れて理解する。一段目のベッドの暗がりから、ゲンガーの手だけがひょこりと覗いていた。
 ゲンガーと繋いだ手の甲は、ずうっと安らいでいた。あんなにもサトシを悩ませていたひりつきは、どこか彼方へと消えてしまったかのようだった。
 ゲンガーの手は、ひやりと心地よい。サトシよりも低い体温が、サトシの手を穏やかに癒す。
あっというまにまどろんで、サトシは寝入っていた。



 影がもぞりと動く。
 すやすやと寝息をたてるサトシの顔を、ゲンガーはそっと覗きこんだ。キッチンで見た困り顔はすっかり消えさり、穏やかな寝顔だった。
 それだけを見て、また影のなかに戻る。影から覗かせた手は、ずうっとサトシと繋いだまま。
……げんげろげー」
 誰にも見られない影のなかで、ゲンガーはこっそりと笑顔になった。