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しちろ
2024-02-14 16:15:27
25351文字
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LOM・宝石泥棒編
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宝石泥棒編 8
『月読の塔の誘惑者』25000字。
1
2
3
あれは、秋口の頃だったか。
真珠姫を探し、初めてレイリスの塔を訪れた瑠璃は、煌めきを頼りに一人でこの塔を登った。どうしようもない苛立ちと焦燥感を抱え、自分の弱さを、自ら距離を置いた友にぶつけた。
そして今度は、その仲間とともにこの塔に挑むことになろうとは。
「瑠璃!」
双子鳥の門でよく知る声が聞こえたとき、瑠璃はひそかに苦笑した。つくづくお節介だと思ったし、やはり来たかとも思った。自分にも相手にも呆れながら、少なからず安堵した自分は情けないのだろう。真っ赤な顔のカイにこっぴどく怒られながら、どうにもコイツには敵わないなと思わされた。カイから離れて、気まずそうにシオンが立っていたのも少しおかしかった。ガトであったことを思えばお互い、笑い事ではないだろうが。
「なにがおかしいんだい、瑠璃」
「
……
いや、すまん。アンタの言う通りだ」
両手を腰に当てたカイに、下からすごまれる。瑠璃に比べればずいぶんと小柄な彼女は、小作りな顔も相まって怒ってもそれほど怖くないのだが、それを言うと余計に機嫌を損ねそうなのでやめておく。
カイが持っていた謎の砂のおかげで、身体の自由だけは取り戻した。
彼女に驚かされるのは何度目だろう。
石の再生には本来、何万年もの時間を要する。珠魅の核も同様だ。そして、それを瞬時に可能にするのが涙石、と言われている。瑠璃は深く追及はしなかったが、するとカイが持っていたものは何なのだろう。
今回のことだけではなかった。この二人に出会ってから奇妙な
――
不可思議なことばかり、続けて起きる。瑠璃と真珠姫は長年、当てもなく旅をしてきた。仲間一人に会うことすらなかったのに、壊れて止まっていた時計の針が、急に回り始めたかのようだった。
ただし、その変化は、瑠璃がもっとも恐れていた事態をも招いてしまった。
いつかの砂漠で出会った、黒真珠の騎士。
先日、マイホームで見たのは、夢ではあった。タチの悪い、ただの悪夢だ。
けれど、瑠璃の中にある記憶は
――
かつて砂漠で出会った彼女は、あの記憶は、本物だから。
レイリスの入り口近くまで降りると、レディパールは巨大な槌を手に、あくまでも冷静に瑠璃たちを出迎えた。
「来たか。さあ、決着をつけよう」
レディパールの、白皙の美貌には、少しの感情も浮かんではいない。瑠璃が初めて出会ったとき、彼女はやはり冷たくはあったけれど、もう少しだけでも伝わるものはあったのに。
――
決着。彼女とつけるべき決着とは、なんだ。
それはもちろん、彼女の手から真珠姫をとりもどすことだ。黒真珠を退け、真珠姫とともに帰ると定めてここへ来た。自分が守るべきは真珠姫。自分は真珠の騎士であり、自分の姫は白真珠なのだから。
……
けれども。
「斬ってみるかね? その剣で、私を」
瑠璃の手元を見て、黒い真珠は冷ややかな声で言った。
ラピスの手が、腰に佩いた剣の柄にかかっている。使い慣れた黒曜石の剣ではなく、運命の剣のほう。
無意識に行っていた自分の所業に、瑠璃はぞくりとさせられた。レディパールには、己の浅ましさを見抜かれているのではないか。
「瑠璃、行ける?」
瑠璃に並んだカイが、両足を広げて床を踏んだ。彼女はすでに槍を両手持ちに持ちかえ、戦闘態勢を整えている。
一対多人数
――
卑怯にも思えるが、黒真珠の騎士相手ならば、それで正解だろう。レディパールが戦うところは少し見たことがある程度だが、それだけでも並大抵でないことはわかっている。あのサンドラが直接対決を避けたほどだ。こうして相対しているだけでも、レディパールから発せられる威圧感は並外れたものがあった。
それでも瑠璃は、前に出た。
「いいや、カイ」
切れ長の目を光らせ、レディパールを挑むような眼差しで見つめる。「オレに、やらせてくれないか」
「
……
瑠璃?」
カイに困惑の色が浮かんだ。無茶だと言いたいのだろう。自分でもそう思う。
それでも瑠璃は退かなかった。
「頼む」
カイは迷ったようだった。眉を八の字にさげ、、シオンに困ったような視線を送った。
「
……
わかったよ、瑠璃」
かなり逡巡したのち、カイは構えていた槍をひき、瑠璃の後ろに下がる。
瑠璃はレディパールから目を離さぬまま、小さくうなずいて謝意を表した。人一倍仲間意識が強く、血気盛んな少女だ。本当なら、手負いの瑠璃を抑えて飛びかかりたいところだろう。
「君一人で私を倒すと? ラピスの珠魅よ、せっかく拾った命だ。先の傷も癒えてはいまい。死に急ぐような真似はやめたまえ」
「
……
無謀は承知している」
高まる緊張を息をつめてなだめながら、瑠璃は黒曜石の剣を抜いた。この剣には特別な力はない、騎士の剣。真珠姫を守るために手に入れた。
瑠璃はゆっくり息を吐き出し、気持ちを落ち着けることに専心する。
傷ついた核に違和感はあるが、やれる。戦える。
「いいのかね? そちらの剣で?」
無表情を貫いていたレディパールが、瑠璃を試すように笑った。運命の剣を使えと言うのだ。
「いつかは使う日が来るかもしれない
……
けれど少なくとも、今はその時じゃない」
言葉にすることで、自分の弱さを押し込める。そうでなければ抜きたくなってしまう。奇跡の力を振るいたくなる。決めた覚悟が揺らぎそうになる。
「さて、ラピスの珠魅よ。君の斬りたいもの
……
」
レディパールがすっと目を細める。「私は、知っているつもりだが」
瑠璃の肩がピクリと動いた。
やはり、彼女には見透かされているのだ。真珠姫はおそらく知らなかった、瑠璃が隠し続けてきた心の奥底を。
「
……
その程度の覚悟で、私と剣を交えようとはな」
冷ややかに言い、レディパールは槌を一度、己の眼前で祈りをささげるかのように掲げた。それが決闘前の珠魅の騎士の作法だとは、瑠璃は知らなかったけれど。
瑠璃がぎこちなく真似をすると、レディパールはふっと小馬鹿にするように笑った。
笑ったと思うや
……
レディパールの姿はその場から消えていた。
違う、消えたのではない。黒の騎士は黒い疾風となって、すでに瑠璃の目前に迫っていた。避けるにはあまりに速かった。
薄い刃ではだめだと判断し、瑠璃は剣の柄元で受け止める。岩石を打ち付けられるような衝撃が腕を伝わり、全身にまで及んだ。柄が砕けなかったのは奇跡的だろう。
レディパールはなるほど、と目を細めた。
「ラピスラズリの珠魅よ。初めて相まみえた日よりは、多少はマシになったようだが
……
」
瑠璃がぎりと奥歯を食いしばる。巨大な槌と瑠璃の剣とでは、重量が段違いだ。
当然のごとく、レディパールが競り勝った。剣を粉微塵にされる前に、瑠璃は自分から刃を退く。レディパールの武器は敵を粉砕し、砕くことに特化されている。当たれば骨が砕けることは確実で、急所に喰らえばひとたまりもない。
「その程度か。それで姫を守るなどとよく言ったものだ」
牽制の刃を軽々払われ、瑠璃は後方へ飛んだ。まともにやり合っちゃだめだと、カイが腕を振り回してがなっている。そんなことは瑠璃だってわかっている。並の戦士
――
どころか、いかな熟達した戦士ですら、あの質量を振り回す膂力は持ちえないだろう。あの細くしなやかな体のどこに、どれほどの力を備えているのか。瑠璃が命がけで腕を磨いた我流の騎士なら、レディパールはまさに、戦うために生まれた天性の騎士だった。
一度退いた瑠璃をレディパールは容赦なく追い詰める。
「ラピスの珠魅よ、君はたしか、己の宿命を欲しがっていたな。真珠姫に出会ったことで、宿命を得たつもりになったのだろう」
「つもり、じゃない! オレの宿命は、真珠姫だ!」
いいや、とレディパールは斬り捨てる。淀んだ空気を引き裂く轟音が、目の前をかすめていく。恐ろしい威力だ。
スピードでは瑠璃が勝っている。だが、レディパールの攻撃はとにかく重い。一撃でも受けるわけにはいかない。
攻勢に出られぬ瑠璃を激しく攻め立てながら、レディパールは畳みかけた。
「お前が欲しかったのは、守るべき者だ。自分の存在理由だ。姫を得て、騎士としての自分を確認したかったのだろう。だからこそ真珠姫を自分のもとに置き、逃がそうとはしなかった」
振るわれる槌と責めの言が、容赦なく瑠璃を突き刺す。
騎士としての自分を実感する、そのための姫。己が騎士であるための姫。その役割は、真珠姫でなくてもよかったのだ。それこそ瑠璃の弱さであり、長年認めたくなかった本音でもあった。
――
それをよりにもよって、この人に問われるとは。
けれどもその答えなら、瑠璃はすでに出した。
このレイリスの塔で、かつては忌み嫌っていたはずの人間に問われて、気がついた。
「
……
確かに、そういう時期はあった」
瑠璃は率直に認めた。
「けれど、今はそうじゃない。オレが守りたいのは、彼女が真珠姫だからだ。真珠姫のことを、オレが守りたいと思うからだ」
レディパールに必死に追いすがる瑠璃を、カイが心配そうに見守っている。彼女にあんな顔をされるのでは、自分の腕はまだまだということか。
……
ああ、実際に未熟なのだ、今、剣を交えている黒真珠と比してしまっては。あってほしくなかった今この瞬間こそ、こんなにも実感している。
少女は、この塔で怒りをにじませながら瑠璃に問い質した。なぜ珠魅を探すのか。真珠姫を守りたいのは、彼女が珠魅だからか、と。
問われるまで、瑠璃は考えたこともなかった。あまりにも仲間が欲しくて。真珠姫とともにいるのが当たり前すぎて。
瑠璃は、カイの助力に対しては礼を言ったが、今ならばわかる。真に感謝するならば、そのことだ。カイ、アンタはその答えを考える機会をオレにくれた。自分の在り方を変える、きっかけをくれた。
瑠璃が力強く踏み込んだ。閃く黒い刀身が青白い光を帯びる。
「レディパール、オレからも聞く。なぜ、オレごときにそんなことを問う? 貴女にとって真珠姫とは何だ」
「答える必要はないな」
強烈な槌の一撃、瑠璃のレーザーブレードが弾かれる。必殺技を力任せにはねのけるとは、やはり尋常ではない。
「前者の問いについては
……
」眉一つ動かさず、レディパールが言う。あれほどまでに巨大な得物を操っているのに、汗ひとつかく様子はない。「気になっただけだ。私が剣を授けた男が、真珠姫とともにいた男が、その程度の者かと思ってな」
「貴女はかつて、力を求めるオレに剣を
……
運命の剣を、託してくれた」
あの日のことを、瑠璃は何度も忘れようとした。失われた真珠姫の過去とともに、記憶の彼方に押し込めようとした。
けれど、どうしても叶わなかった。
真珠姫が過去をとりもどす
――
その不安に怖れ怯えながらも、それができなかったのは、うれしかったから。砂漠でレディパールがくれた言葉、力、示してくれた未来の形。それが味方のいなかった瑠璃には、どれほどうれしかったことか。
「私には必要のない剣だっただけだ。
……
そして」
レディパールが冷たく言い放つ。「君が、たまたまそこにいただけだ!」
「ぐっ!」
レディパールが、瑠璃の腹部を狙って蹴りを入れた。とっさに腹筋に力を入れて耐えたが、強烈な振動が核の傷にまで響いてひどく苛む。
「お前も、その剣と同じだ、ラピスの珠魅」
瑠璃の体勢が崩れたところを、槌が襲いかかる。側頭を狙って振り入れられた攻撃を、瑠璃は左手をついてかわした。
「確かに、真珠姫には君は必要だっただろう。だが」
その先の台詞を、瑠璃は言われたくなかった。レディパールを相手にしては不用意ともいえる一撃を放ち、それは彼女に難なく避けられる。それでも、彼女の言葉を止めることだけは成功した。
勝てる糸口の見つからないまま、致命的な一撃だけは防ぎながら瑠璃は模索する。
――
まさか、この世でもっとも恐るべき敵が、彼女とは。
幸運なことに、瑠璃は今日まで、運命の剣に頼ることなく生きることができた。真珠姫を守ってこられた。
それは瑠璃が研鑽を重ねた成果ではあったことは間違いないが
……
それ以上の一番の理由を、瑠璃は今、突き付けられている。
薄暗い回廊の隅で、シオンが瑠璃をじっと見つめていた。瑠璃の戦いぶりにわかりやすく一喜一憂しているカイと比べて、こちらは呆れるほど何の表情も浮かんでいない。だからすぐに誤解されるのだ、バカ野郎が。
あの日、瑠璃の心を見通すような顔をして、少年は訊いてきた。なぜ、真珠姫の運命から背を向けるのか。彼女が向きあおうとする過去から目を逸らすのか、と。
シオン、その通りだ。自分は逃げてきた。目を逸らしてきた。
自分がなぜ真珠姫を守れたか。それは、真珠姫が真珠姫であったからだ。彼女が、『守られる彼女』でいたからだ。
真珠姫は瑠璃を必要としている。瑠璃の存在を、瑠璃の剣を。彼女に必要とされている、彼女にとって自分は価値がある。それだけを瑠璃は信じていたかった。
だから、真珠姫を過去から遠ざけることに腐心した。何も知らない、無垢な彼女のままでいさせようとした。真珠姫に、真珠姫でいてほしかった。
彼女の片割れが黒真珠であることを
――
もう一人の彼女が自分を必要としていないことを、認めたくなかった。
――
いや、今でも恐れているのだ。情けないことに、オレは
……
。
「レディパール」
衰えを知らぬ槌の連続攻撃、瑠璃は必死にかわす。息が上がっている。核の痛みも合い混じり、疲れ切った身体は悲鳴を上げている。それでも退けない。真空を断つ剣撃が、レディパールの白い肌にわずかに届き、彼女の頬にうっすらと赤い線をつけた。
「貴女は、何とそんなに戦っているんだ?」
彼女と剣を交えながら、瑠璃にはひとつ、疑問が生まれていた。
レディパールの纏う空気は、孤高と拒絶に満ちている。あの日、砂漠で出会った時とまるで同じ。
……
もしかしたら今は、それ以上に。
「貴女には仲間がいるのだろう。守るべき者も、いるのだと聞いている。それなのに、なぜ」
貴女はなぜ、そんなにも一人でいようとするのか。
白い真珠に姿を変え、自分といたのは、彼女にとっては本意ではなかったのかもしれないが
……
。
瑠璃もかつてはそうだった。かつて、というには最近すぎるだろう。不思議な人間たちと出会い、様々な仲間を知り、瑠璃は人の温もりを知った。珠魅にも、敵とばかり思っていた人間たちにもそれぞれに様々な思いがあり、絆があり、反発しながら時には手を取り合いながら懸命に生きていることを知った。
「それも、君に話すことではないな」レディパールは、瑠璃の問いには答える気はないらしい。砂漠であったあの日には、まだもう少しは語ってくれたのに。「私は一人で往くのみだ」
レディパールの声が冷たい回廊に響く。傷ついたラピスの核がちりちりと、傷とは違う痛みを訴える。
彼女の言うことはおそらく、間違ってはいないのだろう。彼女は一人でも生きられる。戦い抜くことができる。本当の彼女はきっと、それだけの強さを持っている。
けれど。
「レディパール」
何故そう思うのだろうか。この人は、どこか自分に似ている。孤独だった自分、世界を遠ざけた自分。虚勢の皮をかぶり、ひたすらに弱さを隠し続けてきた自分。白真珠だった貴女は
……
黒真珠に戻った貴女は、何を思っている?
「確かにこの世界は、珠魅には冷たいさ。オレの核はこの通りだし、人間なんて大方は最悪だ。他人を傷つけるクズばかり多くて、助けてくれる者など滅多にいない。けれど、よくよく知れば、そう捨てたもんでもなかったのさ
……
少なくとも」
『瑠璃くん
……
おねえさまのおうち、あったかいね』
「真珠姫は、そう思っているだろう」
刹那、レディパールの動きが止まった。もっとも、一番驚愕したのは彼女自身だったろう。
琥珀の瞳に一瞬よぎった、翡翠の揺らめき。黒を照らす、白の煌めき。
その隙を、瑠璃は逃さなかった。
瞬きするよりも短い間。
限界まで姿勢を低くしながら、瑠璃は一度剣を納める。彼の腰には、剣が二つある。そのうち一方を選んで柄を握ると、瑠璃はレディパールの懐に入り鞘走らせながら、瞬息で剣を突き入れた。
「
……
レディパール」
動かぬ二人の騎士
――
端からは、時が止まったように見えただろう。
瑠璃の剣の切っ先は迷うことなく、まっすぐに黒真珠の核に突き付けられていた。
「オレの勝ちだ」
少しでも動けば、核が傷つくほどの位置。
レディパールは目を閉じて息を吐き出し、ゆっくりと槌を下ろした。
「
……
腕を上げたな、ラピスの騎士よ」
もはや彼女に戦意のないことを認め、瑠璃は剣を納めた。
「約束だ、真珠姫から手を引いてもらう」
「
……
いいだろう。ラピスの騎士。真珠姫はしばらく、君に預けよう」
レディパールはこつこつと固いヒールの音を響かせて、瑠璃の脇を通り過ぎていく。互いに目線を合わせることはなかった。ラピスの騎士と黒真珠の騎士は手を取ることなく、背中合わせとなる。
「レディパール
……
なぜ、本気を出さなかった」
瑠璃が低い声で尋ねた。
あのまま経過していれば、さほど時を置かずに勝敗は決していたはずだ。純粋な戦闘力、体力、経験、戦略眼。戦いにおけるほとんどすべての要素について、レディパールは明らかに瑠璃を上回っていた。あの刹那の躊躇さえなければ、確実にレディパールの勝ちだったのだから。
「本気だったさ。少なくとも私は、な」
言って、レディパールは自分の核を見下ろすが、その仕草は瑠璃には見えない。その眼差しもまたどこか影を帯びていたが、それはすぐに消える。
「私からも、一つ問おう」瑠璃の背後から、レディパールの声だけが冷たく響く。「なぜ、あの剣を使わなかった? 最後の一太刀、私は避けることはできなかった。君には好機であったろう」
瑠璃が居合いで抜刀した瞬間。
彼が黒曜石の剣ではなく、運命の剣を選んでいれば。奇跡の力を使っていたならば。
「
……
もう貴女とは、戦いたくない」
哀しげな瑠璃の答えを、レディパールは何ととらえたか。
「真珠姫は私のものだ。いずれ私の元へ戻る
……
あきらめたまえ」
「
……
」
去りかけたレディパールは、そこで思い出したようにカイに声をかけた。
「珠魅のために涙する者、すべて石と化す。気を付けたまえ、言い伝えは本当だ。カイよ。君は彼らに関わってはならない
……
では、失礼する」
「
……
レディパール」
カイの視線が、消えていくレディパールの背を追っている。珠魅と関わって以来、カイには散々聞かされた忠告だろうが、瑠璃には今の彼女が一番寂しそうに見えた。
そうしてひとつの足音が遠のき、ひとつの足音が近づく。
瑠璃の、ラピスの核が煌いた。この日、レイリスの塔に来て、はじめて。
「瑠璃くん」
振り返った瑠璃に、戻ってきた白真珠が無垢な笑顔を浮かべている。彼女に怪我がないことを確認した瑠璃は、ようやくほっと息をついた。
「よかった、真珠ちゃん」
やったね瑠璃、とカイが背伸びして肩を叩いてきた。それから一度、レディパールの消えた位置を切ない顔で見た。感受性の強すぎるこの娘は、一人去っていったレディパールに何を感じたのか。
カイと同じ場所を見つめて、瑠璃は口を開いた。
「カイ、シオン」
「ん?」
「
……
アンタたちには、感謝する。改めて」
カイは不思議そうな顔をした。
「あたしは別に、何もしてないよ」
「いや、アンタらがいなければ、オレは勝てなかったと思う
……
きっと」
「そうなんだ? あ、薬のこと? それなら、効いてよかったね」
べつに、そればかりではないのだが。
カイは屈託なく笑っているが、さて、何の礼だかはよくわかっていないらしい。シオンはそもそも、何を考えているのか相変わらずよくわからない。
瑠璃はふっと表情をやわらげた。彼女たちへの感謝は一言二言では足りない。言いつくせないほどにある。
「アンタらは、それでいいさ。行こう、真珠」
瑠璃が促すと、真珠姫が優しく微笑んだ。
レディパールのことは、今はまだわからない。運命の剣をどうするかだって。自分は自分で望むほどには強くない。
けれど、これだけは確かだ。
自分は真珠姫の騎士。
なにに変えても、必ず守ろう。自分を変えてまで瑠璃を守ろうとしてくれた、この小さな手を。
『月読の塔の誘惑者』 おわり
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