しちろ
2023-05-07 20:03:02
27890文字
Public LOM・連載主人公の短編
 

いつかどこかのファ・ディールで

聖剣LOM。男主人公の昔話。pixiv投稿作品。28,000字。

 ごめん、ごめんね。

 いつだったか、誰かにひどく謝られた気がする。
 無力さを嘆き、涙を流して自分に詫びていた。
 それがいつのことで、泣いていたのが誰だったのか。
 自分はどうしても、思い出せない。



いつかどこかのファ・ディールで


◆二回目の朝◆

 目を覚ますと、いつものベッドの上だった。
 
 ――俺、死んだはずじゃ?

……生きてる?  ……夢?」

 頭の芯を鈍い痛みで揺さぶられ、片手で額を押さえる。
 自分はたしか、紫色の鏡面世界にいたはずだ。
 奇妙な花と白い満月が支配する、美しくねじれた不気味な空間。それはマナの女神の歪みが創りだした闇の世界だと、シオンは無意識のうちに感じ取っていた。人々が女神の半身――光のみを求めるがゆえに生まれた、憎悪と争いと、悪意と邪心に満ちた不義の世界。

 それが、気がついてみれば、何の変哲もない朝だった。
 いつもどおりの、自室での朝の始まり。

 夢でも見た……わけがない。
 確かに女神に会った。愛と慈悲に溢れる光の女神ではなく、世界の負と闇を体現した昏い女神と。マナの樹の枝葉で拵えた一対の剣を粗雑に両の手で握りしめ、血と殺意と暴力で語りかけてきた彼女は、世間で言われる神聖で美しい女神像とはかけ離れていた。

 ――闇に打ち勝ち、英雄となりなさい。人々に道を指し示すために。
 
 自分の答えを、女神は多分、気に入らなかったのだろう。
 生々しく覚えている。
 襲い来る無数の樹の根や枝も、それらに全身を貫かれたことも、例えようのない凄絶な痛みも。薄れゆく意識の中で、二度と帰れないことを双子に詫びたことも。
 死後の世界があるのなら(あることは知っているけど)、自分がいるべき場所は自宅 マイホームではなく奈落だろう。
 なのに、なぜ、ここに……
 
「おはよう、ですよ」

 にぶい痛みと違和感を抱えたまま、ベッドから起き上がったシオンは、いつものようにあった出来事をサボテンに話した。マナの樹に会いに聖域に行ったんだけど、いろいろあって死んだような気がする。
「シオン、ゆめでもみましたか?」
……ああ、やっぱりそう思う?」
 煌めきの都市をウソ扱いの次は夢か。『いかにもねぼけてるっぽいので、こんかいのはなしはゆめだとおもう』とでも書かれるんだろうか。
 何とはなしに、サボテン日記をかけている柱を見て、気がついた。
……あれ?」
 サボテンの日記帳が新しくなっている。
 シオンが聖域に行くころ、葉っぱを重ねて作られたサボテンの日記はだいぶ分厚くなっていた。白紙のページが少なくなってくるとシオンがこっそり補充していたのだが、忙しさもあり、しばらくしていない。新しい日記帳をコロナかバドが用意してくれたのだろうか。
 階下へ顔を出し、声をかけてみた。
「コロナ、バド? サボテンの日記……
 途中まで言い、やめる。
 コロナとバドがいない。人の気配がない。

(果樹園にでも、行ってるのかな……それとも、買い物……

 相変わらず頭はボーっとするし、まずは顔でも洗おうと思って洗面所に向かった。気のせいなのか何なのか、家の中の様子がいつもと違う気がする。あそこに置いてあったアーティファクトとか、町で買ったカレンダーとか……どこ行った?
 汲置きの井戸水を木桶にすくい、顔を洗ったあたりで、また違和感があった。
 訝しみつつ鏡をのぞきこむ。
 傷がない。
 旅の最中、危険な目に遭うことが多かった彼は、身体のあちこちに残る傷を作った。特にエスカデにやられたのは大きかった。息も絶え絶えに帰宅したが、一時は危うく奈落に落ちかけた。
 いや、一番はあれだ。マナの女神。傷が残る残らない以前に、人様には到底お見せできないような、それはエグイ状態になってた気がする。

(やっぱり……夢だったのか)
 
 どうにも釈然としないまま、寝癖の残る髪をわしゃわしゃかいた。すぐにぼさぼさになるし面倒くさいし、自分のくせ毛は好きではない。
 朝食代わりのリンゴをかじって簡単に身支度を整え、最後にまとまりきらない髪を雑に帽子に押し込んで、外に出た。
 暑かった。
 彼が女神に会いに行ったのは、春。
 空の色は、青に少し足りない、薄い水色をしていた。
 薄紅色の柔らかな綿毛が、淡い空一面に舞うに相応しい季節。
 そして今、春にしては強すぎる日差しが、彼の目と肌を焼いている。
 草原を彩る夏の草花。燃える新緑。夏から飛ぶ蜻蛉と、蝉の鳴き声。
 玄関前の草人に、今さら積み木の町を渡された理由は、あまり考えたくなかった。



「あれ……瑠璃?」
 ドミナの町に行くと、瑠璃がいた。ドゥエルと話をしている。
 珍しい。真珠姫がいないところを見ると、一人で来たのか。
 感じ始めている不吉な予感を覆したくて、そんなことを思ってしまう。
 しかし瑠璃は、シオンが声をかける前にアマンダ&パロット亭へ入って行ってしまった。追いかけると、店内から怒号が聞こえた。
「なぜ黙ってる!」
「瑠璃、どうした? なにがあった?」
 瑠璃と、問い詰められているレイチェルとの間に割って入ると、瑠璃がぎろりと睨み付けてきた。誰も信じていない、警戒しきった目つきだった。
……キサマ、誰だ? なぜオレの名前を知っている?」
……え?」




◆二度目の夏◆

 瑠璃に、完全に不審者扱いを受けた。
 挙句の果てには、珠魅狩りだのストーカーだの。

 ……不審者は、お前だよ。

 心の中でツッコミながらも、シオンはひとまず引き下がることにした。瑠璃は毛を逆立てた猫のように気が立っていて、とても話を聞ける状態ではない。少し時間を置いて、頭を冷やしてもらうよりないだろう。
 英雄として数々の称号を得たシオンだが、彼自身は基本的に温厚で、もめ事は好まなかった。本人の気質とは裏腹に、もめ事に巻き込まれることは、非常に多かったけれど。
 
 ドミナの町は、今日も賑わっていた。
 生まれたての、町のように。

「ワシはボイド警部! 宝石泥棒を追っておる」
「あなた、ナイスファッション。ファンになっちゃいそう」
「はじめまして。ようこそマナの教会へ」

 眩暈を覚えた。
 シオンは『あの日』、初めてドミナへ来た。
 それまでは、サボテンと自分だけで小さな家に住み、自給自足で暮らしていた。晴れた日には果樹を手入れし獲物を狩り、雨が降れば書を読んだ。満ち足りていたわけではないが、多くを求めない少年にはそれで十分だった。
 女神の夢を見るまでは。


……はあ」
 町を一通り回ったシオンは、公園のベンチにぐったり腰を下ろした。
 やはり誰も、自分のことを知らない。
 町全体で自分に盛大なドッキリを仕掛けているとか……まあ、あるわけがない。
 夢だというのなら、それこそ今の状況が夢であってほしかったが、そういうわけではなさそうだった。ベルやポキールに見せられた夢の世界と違い、この世界には大気を満たすマナの気配も手触りも明確な実感がある。
 露店で買った飲み物――これも夏の果実を絞ったものだ――を一気に飲み干して、再度ため息をついた。ため息つくと幸せが逃げますよとか言ったの誰だったっけ? コロナだったか。自分が思う通りの状況ならば、コロナとバドは今、どこにいるのだろう。
 手の中のコップをくしゃりと握りつぶし、公園に設置されたくずかごに狙いを定めて、投げた。

 ……外した。

 のろのろ立ち上がったシオンは、転がっていたゴミを拾い上げて捨てなおした。投擲技や弓でも散々戦ってきたくせに、今更こんなもの外すとか。自分は自分で思うよりはるかに動揺しているらしい。
「なんだ、坊主。さっきから辛気臭い顔して」
 見れば、隣のベンチで新聞を広げていた男性だ。
「え? ああ……なんでも」
 聞かれても答えようのなかったシオンはあいまいに返事をした。この男性も、時々町で見る顔だ。
「男の勝負にでも負けたか、女の子にでもフラれたか? いい若ぇモンが、お天道様も高いうちからそんなしけた面してるもんじゃないぜ」
「フラ……
 心外です、という顔をしかけたシオンだったが、ふと改めた。
……そうなのかも」
 なんというか、ある意味。
「あっはっは! 人生いろいろあらぁな! 若ぇうちは何事も経験だ、元気出せや。なに、よく見りゃ悪くねえ面してるし、またアタックするなり次のかわいい子探すなりしたらいいじゃねえか」
「はぁ……
 新聞片手に、背中をバシバシ叩かれる。盛大に勘違いされている……
 瑠璃と言いニキータと言い、なんで俺はこの手の人に絡まれやすいかななどと思いつつ、男性の新聞が目に留まった。正確には、そこに記された日付に。
「おい、坊主?」
……
「坊主、聞いてるか?」
 半ば無意識に新聞を奪い、広げてみた。そこに掲載されている記事や事件、世情はいずれも、シオンが知るものより少し古い。なによりやはり、端に書かれた今日の日付。
……これ……今日の?」
「そうだが?」
 決定打だった。
「そう、ですか。ありがとう……
「おい、大丈夫か?  顔真っ青だぞ……
 
 シオンはこの日のことはよく覚えている。
 あの、夏の日だ。女神の夢を見て、初めてマイホームから出ようと思った日。
 名もなき民草の一人として、何ら疑問を抱かず日常を繰り返してきた彼を、平穏で変わらぬ日々を、根底から変えた日だった。

 
 

◆せめて◆ 

 覚えている技。魔法。自分の持つ技能。
 技の初歩から奥義まで、初級魔法から上級魔法まで。順繰りにいちいち確認した。
「使える。全部……
 夏の風に木の葉が舞う。
 それが地面に落ちきる前に、横一文字に剣を薙いだ。柔らかだった草原の風に、一陣の疾風が走る。
 流れるように納刀すると、二枚の葉――もとは一枚だった葉を拾い上げた。
 夏の日差しが眩しい。
 薄く剥ぐように削がれた葉の、葉脈が日の光に透けて見えていた。
 それを指で弾き、口笛を吹く。音色に吸い寄せられた風の精霊が、自然のものではないつむじ風を巻き起こし、木の葉が再び宙に舞った。しかし、それは二階に届きそうな高さまで到達したあたりで突如、中空で発火し、燃え尽きる。
……悪戯したな」
 こっちは真面目にやっているのに。
 やはり口笛に誘われて来ていた火の精霊が、耳元でくすくすと笑っている。
 変わっていない。
 剣の腕前も、人より少しばかり高いらしい魔力も何ら衰えてはいない。

(だからって、なにができるんだろう……?)

 シオンは先ほど、落ち着きを取り戻した瑠璃と、メキブの洞窟へ向かっていた。
 懸念通りというべきなのか予想通りというべきなのか、真珠姫はやはり迷子になっており、瑠璃は彼女を探しているところだった。
「アンタ、とんでもないな」
……そうかな」
 傷一つ負うことなく、それどころか汗ひとつかかずにドゥ・インクを斃したシオンへ、瑠璃が冷や汗交じりに声をかけた。マナの女神に会った時と地続きになっているかのように、剣術の腕はまるで変わっていなかった。
 瑠璃は……出会ったころくらいに戻っていた。
 シオンが聖域に行くころ、瑠璃と彼との剣の腕前にそこまで差はなかった。瑠璃はシオンの剣技を褒めたが、シオンにとってそれは瑠璃と切磋琢磨した結果でもある。その瑠璃に言われると複雑だった。
 真珠姫と再会した瑠璃は、彼女と連れ立って立ち去って行った。真珠姫もやはり初対面。彼らの行き先が煌めきの都市ではないことは、明白だった。
 ドミナバザールでは、ニキータにも声をかけられた。
 街道に出没する盗賊に手を焼いているという。
 今日のところは返事を保留しているが、依頼を受ければ、思っている通りのことが起きる気しかしない。

(なぜ、自分だけ違うんだろう)

 認めるしかなかった。
 世界の時が巻き戻っている。聖域へ至った自分を残したまま。
 自分だけ時間が進んでいるのか、それとも取り残されたのか。よくわからない。

 足元が崩れるような恐怖の一方で、妙な希望があった。

 あの時に戻れたら。
 
 あの時、あの人を引き留められていたら。
 あの一太刀が間に合っていれば。
 
 そんな瞬間が数限りなくあった。
 シオンは基本的に物事を平坦に見ている。自分を過大評価してはいない。
 いまの自分は少なくともその頃よりは、速く動ける。剣を振れる。そして、知っている。
 もしかしたら、彼を、彼女を、あの人々を、救えるんじゃないか。

 せめて、それくらいの希望がなければ、おかしくなりそうだった。

 そんな淡い期待すら、この先ことごとく打ち砕かれていくことになるのだけれど。

 
 

◆こぼれおちる◆

「悪魔! 悪魔は貴方よ!」

 ――どうして。

「突っ走ってきたが、ここまでのようだな……

「俺はこの世界を壊したい」

「マチルダ様がお亡くなりになりました……
 
 ――知っているのに……
 
「魔法、都市の……ディ…………すまな……かった、と……
「ルーベンス! もう一度言ってくれ、ルーベンス!」 
 
「あたし、先生のところに戻る!」
「ダメだ、エメロード!」

 ――知っているのに止められない……なんで!

「煌めきを無くした汚れた核に制裁を!」

「なん…………
「チクショウ、ディアナまで…… ! ……シオン、おい、シオン!」
「おにいさま!」
……
  


◆悪い夢◆

1.

 知っているのに、止められるはずなのに。
 手を伸ばす少年をあざ笑うかのように、次々と命は零れ落ちる。
 空のマチルダの墓の前に立ったとき、シオンには以前とは異なる思いがあった。
 まだ生きられたはずの人々だ。生きる意志のあった人たちだ。
 もっと異なる結末が、あったっていいのじゃないか?
 珠魅たちは、彼の目の前で次々狩られて消えていく。
 止めることができれば救える命だ。止められれば、重ねずに済む罪だ。
 なのに何故この手は、人の手を、命を一つもつかみ取ることができないのだろう。


 気がつくと、清潔なベッドに寝かされていた。
 どこからか涼しい風が吹き込んできている。目の上の前髪が揺れていた。
 風を感じる方向へ顔を向けると、窓際のスツールに瑠璃が腰かけていた。少し離れて、文机の前に真珠姫。目が合うと、真珠姫がほっとした顔で駆け寄ってきた。
「よかった、おにいさま」
「起きたか」
……俺、どうしたっけ」
「ジオの宿屋だ。アンタ、倉庫で倒れたんだよ。大丈夫か。ひどく魘されていたが」
……
 情けない。
 身体が鉛のように重かった。
 肘をつき、やっとのことで上体を起こすと、呆れているような、少し怒っているような瑠璃の声が頭上から降ってきた。
「オマエ、いつからか知らんが、ほとんど寝てないだろう。飯もろくに食わないし。隠していたつもりのようだが、バレてるからな」
……ごめん」
 下を向いたまま、瑠璃と真珠姫の顔を見ることができない。
 自分はいったい、何をしているのだろう。
 ルーベンスにエメロード。ディアナまで殺された。瑠璃と真珠姫は本来、自分を気にかける余裕などないはずだ。
 そして、自分にとっては、二度目。わかっていて守れない。どころか、こうして迷惑をかけている。
「いい、もう少し休め」
「いや、大丈夫だよ。俺は……大丈夫……
 


2.瑠璃と女将さん

 ひとまずは、目を覚ました。
 良かった、と言いたいところだがちっとも安堵できぬまま、瑠璃は客室を出た。
 宮殿の地下でシオンが倒れたときは、肝が冷えた。核が冷えたという方が正しいのかもしれないが、とにかく血の気が引いた。隈の浮かんだ彼の顔は蝋のように真っ白で、いくら呼んでもぐったりしたまま、糸が切れた人形のように動かない。瑠璃はディアナに託された宝石をひとまず懐へしまい込み、意識のない友人を背負って、真珠姫とともに顔なじみの宿に駆け込んだ。
 不安はあった。
 ドミナの町で出会ったころ、変わったところはあるものの、物静かで穏やかだった少年は、いつからか瞳にひどく思いつめた光を宿すようになっていた。もっと言えば、何かに追い詰められているように見えた。

 ――当たりだったな。

 あんな大丈夫じゃない「大丈夫」など、聞いたことがない。
 シオンは何も話さなかったが、珠魅のことを気に病んでいるのは明らかだったし、他にも何かあるようだった。
 話せよ。ちゃんと。
 瑠璃は瑠璃で、とくに最初のうちはシオンにあれこれと隠し事をしてきたし、勝手な行動で迷惑もかけた。彼は文句などひとつも言わなかったけれど、逆の立場になってみると、それがいかに辛くもどかしいことだったかよくわかる。彼が助けを求めてくれない限り、自分は何もしてやれない。責任感が強いのはいい。だが、一人で抱え込むのは止めてほしい。

 シオンが目を覚ました報告がてら、瑠璃は宿の女将にあいさつに行った。
「女将、急にすまない。受け入れてくれて助かった」
 エメロードの件で何泊か世話になった宿だ。
 病人連れでいきなり押し掛けた瑠璃と真珠姫に多くは聞かず、女将はすぐに部屋を用意してくれた。
 鋭い見た目のわりには律儀な騎士に、女将は笑う。
「そんなこと気にするんじゃないよ。大丈夫かい? あの子」
「ああ……悪いが、もう少し厄介になるよ」
 宮殿や魔法学園でも受け入れてくれただろうが、どちらも知り合いだらけだ。騒ぎになってはたまらないし、なによりシオンの性格的に嫌がるだろう。ここの勘定は、少し色をつけて渡さねばなるまい。
「ゆっくりしておいき。あとでティーポにお湯を持っていかせるから」
「ありがとう」
 

 
3)女将とティーポ

 うーん、いい男ってのは目の保養になるもんだね。
 ちょっとばかり浮かれながら女将が廊下に出ると、先ほどお湯を持たせたはずのティーポが、ぽけーと突っ立っていた。手ぶらだから、一応仕事はしたらしい。
「ティーポ、お湯持っていってくれたかい? なんだい、魂抜けたみたいな顔して」
「女将さん、見ました? さっきの子」
「砂のマントのお兄さん? 惚れ惚れするような美青年だよねえ。見惚れちゃうよ」
 わざわざ礼を言いに来てくれたときには、年甲斐もなくときめいてしまった。一緒にいた女の子にしても、見たこともないような美少女で、あんな二人に働いてもらえたら、うちの宿も大盛況だわ~なんて思ったりする。
 しかし、ティーポはそっちやないと羽根を振った。動きに合わせてポットの蓋がカタカタ鳴る。
「そっちもやけど、担ぎ込まれた子の方や。金髪の。息止まるか思たわ」
 あんまり綺麗な子で。
 ティーポは夢見るように言う。客室を訪れた際、見たらしい。
「ああ……さっきはそれどころじゃなかったけど、そういえばそうだったかねえ?」
 印象が薄くてよく覚えていない。
「見てると不思議なんですわ。まるで、あの子の周りだけ時間が止まったみたいな」
「なにバカなこと言ってるんだい。おしゃべりはその辺にして仕事に戻る」
 夢心地のティーポを追い立てるように仕事に向かわせ、女将は腰に手を当てる。
「まったく、変なこと言っちゃってさ」
 呆れながらも、実際どうだったかと思い返してみた。
 そうだった気もするし、それほどでもなかった気もするし。それよりなにより、砂マントのお兄さんが好みすぎてよく覚えていない。
「しっかし……
 時が止まるほど綺麗な子。もし、そんなのがいるとしたら。
 
 神様に愛されて連れていかれてしまうのは、そんな子なのかねえ……。 

「って……縁起でもない!」 
 


4)手紙 

 いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
 目が覚めてみればすでに朝で、部屋には自分しかいなかった。
「坊っちゃん、おはようさん。水もってきたで」
 折良く部屋に来たティーポに、瑠璃と真珠姫のことを尋ねると、
「マントの兄さんと白い女の子? 先、帰らはったで。坊っちゃん、まだしんどそうやのに薄情やなぁ。まあお代は頂いてますさかいに、ゆっくりしていきや」
 
(なんだよ、何も言わずに……

 むすっとしながら、すっかりさみしくなった部屋を見渡すと、文机の上に書き置きがあることに気がついた。誰が書いたものかは、字を見てすぐに分かった。

 シオン、アンタを巻き込みすぎた。
 これ以上珠魅に関わるな。
 今まで世話になった。
 勝手を言ってすまない。
 
「手紙で言うのかよ……馬鹿野郎」
  

 
 
◆フローライト◆
 
……どこだ、ここ……ああ、蛍姫の」
「こんばんは~。夢の砂漠から失礼しますぅ」
……何の用? 夢魔のベル」
「おや、わたくしをご存知で」
……ここは現実と対になる、夜の夢の世界。悪夢の吸引力に引き寄せられた」
「わかっているならば話は早い。怖い夢ばかり見る蛍ちゃんの悪夢を退治するため、あなたが召喚されました~」
……そう」
「ところでシオンさん。あなた、怖い夢ばかり見てて食べられたものじゃないですぅ~。どうしてそんな怖い夢ばかり見るですか!」
……どうして、と言われても」
 

 
◆ティアストーン◆

「バカ! 泣くな! 聞いてるか、おい!」

 またしても瑠璃に怒られている。
 けれど、ここまで言わなくたっていいのじゃないか?
 ドミナで出会った頃の瑠璃は、元からの焦りに加えてシオンの初期対応のまずさもあり、ずいぶんと酷い剣幕だったが、今はそれよりずっと酷い。自分がこんな状態でなければ、激しく揺さぶられているか、下手すれば平手一発くらいは張られている気がする。

「だからオレは、アンタが来るのには反対したんだ! 勝手についてきて勝手に石になるな! アンタはいつも勝手だ! いますぐ泣くのを止めろ、オレに文句を言わせろ! シオン、聞いているか、シオン!」

 そんなこと、言われたってなぁ……

 珠魅の友人に散々罵倒されながら、次第に冷たくなる自分の身体を、シオンはどこか他人事のように眺めていた。
 いくら止めろと言われても、壊れた蛇口みたいに次から次へと涙が出てくる。どうにもならない。自分でも、なぜこんなに泣いているのかわからない。前に泣いたときはこんなじゃなかった。自分ってこんなに涙が出たのかと、ある意味、感心はする。

 『前』は、瑠璃とともに煌めきの都市へ行った。だから、今回は真珠姫を選んだ。
 ――これで、999個。
 予想される展開が脳裏によぎり、残される瑠璃に強烈に詫びながら。
 瑠璃は、許さなかった。
 煌めきの都市へ行くためにアーティファクト使いの能力が必要なことに舌打ちしながら、オマエが行くのならばオレが行くと譲らず、シオンはそんな彼について行く形で同行した。
 以前と違い、瑠璃には『アンタなら信じられる』自分ではなかったのだろう。
 嫌な予想の通りに真珠の核は奪われ、サンドラ――アレクサンドルもまた核となった。宝石王は暴走の末斃れた。生き残った珠魅は、瑠璃と蛍姫だけになった。
  
 本当に自分は、何をやっているのだろう。

 大事な仲間を死に追いやって、滅び行く種族を本当に滅びる間際まで追い詰めて。
 瑠璃に、かけがえのない姫を失わせて。
「生き残ったのは、オレと蛍姫だけか……チクショウ!」
 剣も魔法も、知識も記憶も、何の役にも立たない。
 怒り、嘆く瑠璃を前に、してやれることが何もない。

……ごめん」
 
 涙が出た。溢れるくらい。
 確か、前に泣いたときも、瑠璃に謝った。
 約束を破ったのだ。
 自分は泣いたことなどないし、泣き方も分からない。だから自分のことは心配するなと伝えていた。
 珠魅じゃあるまいしそんな人間がいるのかと瑠璃は疑ったが、実際にいるのだから仕方がない。長らくサボテンと二人きりで小さな暮らしをしていたシオンは、何かに心を打ち震わせて涙を流すような起伏のある生き方とは無縁だった。
 それが自分も気づかぬうちに泣いていて、いつの間にか身体は石になっていた。
 少なくとも、今みたいに、みっともなく泣いたりはしていなかった。
 
「泣くな、頼むからもう泣くな! そんなひどい顔で石になるな! 珠魅のことはアンタのせいじゃない、聞いてるか!」

 ごめん、瑠璃。
 結局、『こう』しかできなくて。
 ああでも、俺は本当は、珠魅のために泣かなきゃいけなかったんだ。
 けれど、自分勝手で利己的で。たぶん自分は、自分のことで泣いている。
 こんな涙じゃ、きっとだめかも。

 身体がただのモノになる。やがて視界がなくなった。
 もはやほとんど聞こえなくなった最後の最後、ひどく震えた瑠璃の声がわずかに届いた。

「ただでさえ、何も言わないくせに……。本当に何も言えなくなってどうするんだ、バカヤロウ……」