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鳴上
2024-10-17 22:37:25
31233文字
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ナツシン
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たったひとつの稲妻
脳波遮断フードを作る夏生の話です
1
2
「あれ、もう帰ってきたの?って一週間経ってんのか。バイトどうだった?」
「あー。想定より早く終わって、クレープ焼いてました」
「なんて?」
ポカンとする先輩を横目で見て、いつもの自分の定位置へと腰を下ろした。座り慣れた椅子は居心地が良くて、ラボで座った椅子の硬さを思い出す。結局、夏生が応募したラボでのバイトは一日で呆気なく終わりを迎えた。バイト初日にバイト先が壊滅するという稀有な体験を良しとするべきか、怪我を負ってしまった不運を嘆くべきか。迷い所ではあるが、諦めていたバイト代がしっかりと振り込まれていたのを確認して前者へと思考を切り替えた。
JCCへ戻るための飛行機はきっかり一週間後に抑えていたため、夏生は一瞬だけ上司だった田中と共にクレープ屋を開いた。田中にブツブツと恨み言を言われ、じゃあ一緒にクレープ屋やりましょう、と誘ったのは夏生だった。
クレープに特に理由はない。強いて言えば甘いものが好きだから。そんなノリで始めてみたクレープ屋は案外上手くいき、軌道に乗っている。夏生の透明スーツのおかげでもあるし、田中の親しみやすいキャラクターもあるのだろう。ちなみに諸々の許可を取っているのかは知らない。その辺りはきっと田中が上手くやっているはずだ。
きっかり一週間働いて、夏生はようやくJCCへと帰ってきた。身体はかなりへとへとで、怪我だって治り切ってはいない。そんな状態でなぜ、研究室へと来ているかというと、もはや夏生の癖と言っても過言ではない。少しでも時間があれば武器を作り、目的のために邁進する。それが夏生の日常であって、辞めることはできそうもない。
作業机の端に置いた工具を取ろうと腕を延ばす。しかし、撃ち抜かれた肩が鈍く痛み、動きを止めた。短く息を吐き、再度工具に手を延ばす。今度はしっかりと握ることができたそれを、手元に引き寄せじっと見つめる。それから次は大きくため息を吐いた。
「あ゛ー、散々な目に遭った
……
」
本当に散々な目に遭った。身体中痛いし、透明スーツは破れるし、最悪なことばかりだ。昔から、なんとなくあった自分の自信にヒビを入れられた。エスパーとかいう超能力は、夏生に新たな感覚を植え付けたように思う。
勢羽夏生は、自他ともに認める武器科のエースで、失敗も多いがそれを上回る成果を出している。別にそのことに驕っていたわけではない。上には上がいるし、下には下がいるのは分かっているから。だけどこの、どう言葉にしたら良いのか分からない感情を、どこにぶつければいいのだろうか。
そんなことを考えていると、先輩がそういえばさあ、と夏生に声をかけてくる。
「ナツキってなんでそんなに金貯めてんの?」
「
……
やっぱ老後二千万問題ですかね〜」
「嘘だろお前そんなこと考えてんの。つか最近じゃー二千万じゃ足りないって話だぞ」
先輩がゲラゲラと笑い、夏生の背中を大きく叩く。その力の強さに顔を顰め、それからまた自分の作業に戻っていった。
その後ろ姿をチラリと見て、それから夏生も少し前から頭の中にあった構想をカタチにするべく、ペンを取った。
鉛筆を動かす音がだんだんと夏生を支配していく。
──そう、嘘だ。まるっきり嘘。自分より小さな、黒い後ろ姿が脳裏によぎる。老後のことも考えていないわけではないが、それよりも目先の目標の方が、夏生にとっては重要だった。
なぜだかスッキリしない自分の思考を明確にするべく、夏生は真っ新な紙をもう一枚取り出し、思い切り線を引いた。
誰だって、自分の中に相反する感情を抱いたことがあるのではないだろうか。勉強しなければならないのにやる気が出ないからしたくないとか、お腹いっぱいご飯を食べたいけど太るから八分目にしておこうとか、そんな小さなことであっても人間は矛盾する生き物であるように思う。
夏生だって同じでやらなければならないことはやりたくないし、少し違うかもしれないが、課題を制作している途中に新しいアイデアが浮かんで違う武器を作りたくなってしまう時もある。
だから学科の課題制作に追われている隙間を縫って、新しく武器を作ることだって、なんてことないのだ。
JCCのカリキュラムは普通の大学とほぼ変わらない。学部生が四年、その後卒業するか、二年間研究員生として所謂大学院のようなところに通うかで進路は別れる。大学院と同じように研究室に所属し、それぞれの専門分野を高めていくのだ。
夏生は現在学部生の四年であり、来年度から研究員生としてJCCに通う予定である。まだ試験は受けていないし卒業制作も提出していないが、その実力からか今年度から研究室に参加を許されている。
何人かの先輩たちには学部生の頃から良くしてもらっていることもあり、夏生はすぐに研究室に馴染むことができた。同じ学部生からは嫉妬の目線を向けられることはあるが、夏生は透明スーツの発明者としてJCCではそれなりに有名人である。だから大なり小なりそういったことは今までもあったので、特に気にすることはなかった。
いくら研究員生となることがほぼ決まっているとしても、学部生であるからには講義がないわけではない。週に何度かは講義に出席しなければならず、夏生はその日もいつも通り、必修授業のひとつに出席していた。
かろうじて残っていた後ろの方の席を陣取り、図書館で借りてきた本を開く。冷房のよく効いた室内は静まり返っていて、講義の質を感じられた。教壇の前では教師が教科書の解説をしているが、そこはすでに履修し終えている。独学ではあるが知識に大きな差はないだろう。だから夏生はほとんど講義を聞いておらず、目の前の文字に集中していた。
「なあ、ナツキ、何読んでんの?次の武器資料?」
「
……
」
「無視すんなって」
なぜ武器科の先輩は、こうも夏生を構うのだろうか。夏生が席についてすぐに隣に座ってきた先輩は、いつだって夏生に絡んでくる。いくら武器を溶かしたって、隠していた武器をバラしたって、怒りはすれど夏生を構うことをやめない。
だいたい今は講義中なのだから、静かにすればいいものを。と、自分を棚に上げて思ってみるも、しつこい先輩に観念して、なんでもないと小さく答えた。
「あやしーな、見せてみろよ」
「うわ、勝手に見るなよ」
先輩が夏生の持っている本をぐい、と持ち上げる。そして表紙に書かれた文字を読んで、疑問の声を上げた。
「『人間の脳波について』
…
?これって一年とか二年でひと通り習うもんじゃない?学び直ししてんのか、偉いな〜」
「うるさ
……
てか先輩なんでいるんですか。これもう去年受けてるやつでしょ」
「ははは」
「ああ、再履
……
」
「うるせーよ‼︎」
先輩の声が聞こえたのか、教師が二人の方を見て咳払いをした。何食わぬ顔で前を向き、教科書を読んでいるフリをして本の続きを読み進みる。先輩ももう夏生への興味は失ったようで、まじめに講義を聞き始めた。
ぐるぐると忙しなく夏生の脳内を行き交うのは、やはり件のエスパーの件だ。
だいたい、何なんだエスパーって。普通にズルくないか?戦闘中相手の頭の中を覗けたらそりゃ優位だろ。今まで作り上げてきた武器は、エスパーの存在を考慮していない。
超能力が存在しているとは思っていなかった。そりゃそうだ。だってそんな非現実的なこと、誰がクソ真面目に研究してるんだって話だ。まあ夏生が少し前に行ったバイト先で、政府非公認の組織がそれを研究していたわけだが、それにしたって本当にそういう存在がいるとは思わないだろう。
だけど実際は、エスパーは存在していて、戦って、そして負けている。夏生の作る武器が悪かったわけでもないし、自分のセンスがないわけでもない、と思う。ただ、夏生の想定が甘かったのだけは確かだ。武器を作る時はあらゆる可能性を考慮するべきだ。
そう考えながら、ペンで下唇をつつく。乾燥しがちなそこは、少しだけ皮が剥けていた。
人間の脳はほんの十パーセントしか使われてないという迷信がある。その後の研究でそれは真実ではなく、百パーセントフル稼働して人間が生きていることが判明しているのだが、それにしたってまだまだ不明瞭な部分は多い。未解明の一部が発展したことも考えられるが、そもそもあのエスパーは後付けだし、脳にどのような要素が加わってあの状態になったのかが分からない。
人間にはありえない力。だけど、実在している力。その力を解明できたら──
久しぶりに感じる高揚感に、じわりと背中が汗ばむ。早く形にしたくて仕方がなかった。ソワソワする気持ちを抑えて講義を聞き流しているとチャイムが教室に響いた。その瞬間、居ても立っても居られず、夏生はすぐに席を立った。今すぐに研究室に戻って、それからあの武器とあの武器を分解して。頭の中はぐるぐると高速で動き回っている。
「?おーいナツキ、忘れもんしてるぞー」
だから本を何冊か机の上に置きっぱなしだったことにも、先輩にそれを指摘されたことにも気づかなかった。
それから夏生は研究室に篭りきりになった。それはいいアイデアが浮かんだ時特有の過集中で、周りの声も聞こえなくなるくらいにのめり込んでいってしまった。
エスパーとは、いったい何なのか。その問いばかりが夏生の頭を巡る。きっと脳が発している微弱な電波を読み取ることができるとか、そんなところだろう。帯電しやすい体質の人間だっているのだ。電波を読み取れる人間がいたっておかしくは、ない。
それとも相手が考えていることが、頭の中に思い浮かぶのだろうか。あの時、スナイパーの思考を、何考えてるのか分かりづらいとも言っていた。言葉で読み取るのではなく絵のような形で見えるのかもしれない。
待てよ。もしかしたら、耳に聞こえる形で相手の思考が流れ込んでくる可能性もありそうだ。戦闘中に耳を触っていたような気もするし、そちらの方が近いのかもしれない。
何にせよ、他人の脳波やら微弱な電波やらを読み取っている可能性が一番高い。
自分の席に座り、必要な物をかき集めて机に並べる。先輩の棚からいくつから拝借したのはいつ頃バレるだろうか。きっとまだまだ先だ、とタカを括りその一つを手に取った。
「とりあえず必要なのは電気を通さない物質か
……
」
手元を動かしながらも、脳内では他の可能性を探っている。だって夏生は想定外のことで負けた。それならば、その想定外をなくせば、夏生の武器はもっとより良いモノになる。
通常では使えないといえば、火事場の馬鹿力というものもある。切迫した状況下で、無意識に自身からは考えられないほどの力を出すことができる。敵に追い詰められ、最後の最後にゴリ押しできるのはこれが関係しているのかもしれない。あの時、くそエスパーはもうほとんど力は残っていないはずだったのに、夏生は彼に倒された。
ではその力を常に出すことができれば、ピンチにはならずに済むのではないだろうか。もし、脳のリミッターを常に外している状態をキープできれば。
そこまで考えて、ゾク、と背筋が疼いた。自分の腕に鳥肌が立ったのが分かった。新たな閃きに、思わず口角が上がる。
例えば人間には、課題を制作している途中に新しいアイデアが浮かんで違う武器を作りたくなってしまう時もある。やりたいこととやりたいことがぶつかり合って、それを出力するために全霊を捧げた。
薄暗い研究室からは、機械を弄る音だけがひっそりと響いていた。
▽
研究室でいつも通りに武器を作っていると、入り口の扉が音を立てて開かれた。こんな勢いで扉を開けるのはたったの一人しかいない。視線を向けなくてもそいつが、自分の方へ歩いてきたのが分かって、夏生はくるりと椅子を回転させた。
「ナツキ! 次はどんな武器作ってるんだ?」
金色の髪の毛が、窓から差し込んできた太陽に触れてキラキラと煌めく。磨き上げられた武器のようなその光に、目が霞んだ。
「おー、聞いて驚け。次はてめーのエスパーを活かしたやつにしようと思ってて」
「ほんとか⁉︎ ナツキの武器があったらもっと色々できるようになれるから嬉しいぜ」
自分に向けられたことのないその頬を赤らめた表情に、一瞬言葉が詰まる。でも今、隣にいるのは夏生で、どこかのスナイパーとか伝説の殺し屋とかではないのだ。
だから夏生は頬を緩めて、目の前に立つ男を見つめた。
「期待しとけよ。なあ、シ──」
ブツン、とまるでテレビのスイッチが切れたみたいに、目の前の光景が暗闇に消えた。
「
……
は?」
開口一番、間抜けな声が出た。目を開いた先は見慣れた天井で、寝具の感触も、窓から入り込んでいる明るい光も、全部ぜんぶ知っているものだった。
一拍置いて、自分の現状を把握する。そして夏生は手のひらで顔を覆うと、そのまま髪の毛を掻き乱した。叫びたくなる気持ちを抑えて、なんとか溜め息を吐くに留める。
「いやあいつ、俺の名前知らねーだろ」
そもそもそうじゃない。あのエスパーがどうして、夢に出てきたのか。夏生の日常に溶け込んだ、まるでそれが当たり前と言わんばかりの姿で。逡巡ののち、偶然と片付ける。最近ずっと、エスパーの能力について考えていた。それに研究室に篭りっきりで満足に寝ていない。それらの要因も加わって、脳の何かが変に繋がったのだろう。だって夏生は、あんな風に柔らかく笑うくそエスパーを知るわけがないのだから。
ベッドから起き上がり簡単に身支度を済ませると、夏生はそのまま研究室へと向かった。見慣れた景色に、すっかり馴染んだ研究室の椅子。夢の中と全く一緒で、あの金色がないことだけが逆に違和感だった。
まだ朝早く、今日は講義もない。夏生は冷房のスイッチを入れると、誰もいない研究室の南側にある窓に近寄り、カラカラと軽い音を立てて窓を開けた。
夏真っ盛り、ただでさえ暑い研究室が、さらに暑くなった気がする。だけどほんの少し風が吹いていて、夏生の髪の毛をふわりと揺らした。毎年毎年暑さを更新しているこの季節に、夏生まれと言えど文句はたくさんある。
蝉の合唱が耳障りで、夏生は顔を顰めた。額に溜まった汗が、つるりと滑って流れ落ちる。昼も夜も暑くて暑くて、夏生の頭は沸騰してしまいそうだった。だけどきっと、あと数週間もすれば多少は過ごしやすくなるのだろう。ただその季節は一瞬で過ぎていく。この国は四季があるのが良いところなのに、と思わないでもない。
熱を帯びた風を浴びながら、そんなどうでも良いことを考える。今日もかなり暑くなるのだろう。ずっと構内にいる夏生にはあまり関係ないかもしれないけれど。
冷房が少しずつ効いてきたみたいだ。天井から感じる冷たさに、すぐに窓を閉めた。そして道具や完成した武器をしまっている棚から、完成した武器や使えそうな武器を入れた箱を取り出す。ガチャガチャと金属がぶつかり合って、鈍い音を立てた。
──あんな夢を見たのも、全部こいつが原因かもしれない、と夏生は自分の机の上に出したそれらを見つめた。
最低限必要なだけの食事と睡眠。それ以外の時間を費やして出来上がったのは、二つ。
ひとつは脳のリミッターを外して、平常時の人間にはありえないほどの膂力を引き出すグローブだ。火事場の馬鹿力から発想を得たグローブは、確かに夏生の思う通り、いざという時でなくても最大限のパフォーマンスをできる代物に出来上がったように思う。実際に試験場の壁をぶち壊して怒られたのは記憶に新しい。だけど問題点もあるわけで。
夏生は包帯を巻いた自分の手のひらをじっと見つめた。別にもう痛むわけではないし、どこかイカれてしまったわけでもない。ただこのグローブは発動するまでに数秒のラグがある上に、手に大きな負荷がかかることが判明しただけだ。出来上がった武器を自分で試すには些か浅慮だった。武器職人の手は何よりも大切だから。
何度か調整を繰り返したけれど、ラグをほんの少し縮めることしかできなかったし、負荷を軽減することは難しかった。想定よりも使い方が限定されるだろうが、これでもパワー不足の人間からしたら切り札になり得る。
だけどこの武器は別に、夢の原因でもなんでもない、と思う。夏生は二つのうちのもう一つをそっと手に取った。柔らかい布でできたそれは、パーカーについているフードのような、バラクラバのようなもの。すっぽりと頭から被ることで、エスパーに脳内を読み取られないようにするために造った武器だった。
エスパーという能力が何に起因し、どのように機能しているのか分からない中作ったそれは、一見ただの布にしか見えない。その効能は夏生だけが知っていて、きっと誰にも理解されないだろう。夏生の、武器に対する情熱とそれ以上に大切な存在と同じように。
将来設計はとうの昔に済ませていた。あのクソみたいな家から真冬を連れて逃げ出す。そのために有用な武器を作る。夏生の人生の大半はその二つで占められていて、それ以外の何かが入り込む隙は無かった。
幼い頃から何かを創造することが好きだった。きっかけがなんだったかはもう覚えていない。分解して、構造を理解し再構築する。そうしているうちに自分でも色々と作るようになった。最初の頃は本当に失敗ばかりで、何にもならないガラクタばかりだったけれど、楽しかったのだ。楽しくて楽しくて仕方なくて夢中になった。でもそれは親からしたら好ましくないことだったようだ。
集めた道具を取り上げられて、作り上げてきた武器を壊された。当然のように抵抗したけど、幼子の力では大人に勝てやしない。ただただ無惨に散らされたそれらは、本当にガラクタになってしまった。しばらく何にも手につかなくて、それから真冬が生まれた。
同じ人間とは思えないしわくちゃの顔に驚いたことを覚えている。身近に自分より小さな子どもなんていなくて、真冬を抱く母親に近づけなかった。夏生、ほら、貴方の弟よ。そう言われて恐る恐る指を延ばす。小さな手のひらが指を掴んだ。驚嘆して指を引っ込めようとするが、案外その力が強くて温かくて、どうしようもなくなってしまった。だけど全然嫌じゃなくて、そのしわくちゃを覗き込んでいると、不意に声を上げて笑い始めた。おもちゃみたいに明るい声を上げて笑うそれを、夏生は初めて弟だと認識した。自分と同じ黒い髪に、黒い瞳。その小さな温もりを守るのだ、と幼いながらに自覚した。
それからまた夏生はいろいろなものを作り始めた。小さな音の鳴るおもちゃから、あらゆるモノから弟を守るための武器。親に見つからないようにこっそりと、こっそりと。宝物を集めて隠すみたいに、大切にしながら。
三流以下の殺し屋である親は、夏生や真冬に、自分がなれなかった何者かになって欲しいようだった。暗い山に放り込まれて、訓練の繰り返し。自分はまだしも、幼い真冬には堪えたことだろう。真冬を守り切れないのは自分の力不足で、でも真冬が居たから夏生は正気を保っていられた。
夏生が造った武器を、真冬がすごいすごいと褒めてくれる。目を輝かせて顔を蒸気させ、喜んでくれる。嬉しかった。否定された自分の好きなものを真冬が好きと言ってくれたから。いつの間にか暗い山での訓練は、真冬との秘密の時間に変わっていった。
だけどそんな日々も、そう長くは続かない。訓練をしていないことがバレてしまった夏生は、激怒する親とある約束をした。真冬に向きそうだった矛先を無理やり自分に戻したかった。それでも最後まで抗って、JCC卒業後に施設に入ることを提案したのだ。ORDERになる、なんて不明確で無意味な父親の願望を叶えるために。
もちろん夏生には、父親の言うとおり施設に入り、ORDERになるつもりなんて到底なかった。父親の目線を欺き、真冬との二人で逃げ出すつもりだったのだ。まだ未成年だった夏生が、幼い弟を抱えて生きていけるほど世の中は甘くない。だから夏生は待った。武器を造りバイトをし、お金を貯めて二人で暮らしていけるよう、そしてJCCを卒業しその立場を利用できるように。
だけどあの日から、夏生と真冬の関係は変わってしまった。あれだけ懐いていた弟は、兄にべったりな状態を恥ずかしく思い始めたのか、それとも何か別の要因か。今までみたいに、秘密の時間も無くなった今、真冬の興味は薄れてしまったのかもしれない。別にそれでもよかった。二人の間に出来上がってしまった距離は、夏生にとっては別にどうだってよかったのだ。むしろ夏生から離れることで、少しでも真冬が大切にされるのではないかとさえ思った。
それはきっと、真冬をあの家に残してしまうという罪悪感もあったのだろう。夏生に話しかけてこなくなった真冬に、夏生が何か言うこともなかった。
そこから言葉を交わしたのは二、三ほどで、夏生は家を出た。JCCは今までの生活とは雲泥の差だった。真冬から連絡が来ることはほとんどなくて、帰省した際顔を合わせても、会話が弾むなんてこともなかった。それでも夏生の頭の中には常に弟がいて、そのためにできること、自分のしたいことをうまく両立できていたと自負している。
真冬を連れ出して二人で暮らすには、それなりの金が必要だと思った。二人が過ごすのは老後ではなく、夢を追いかけ生きるための時間だ。二千万じゃきっとすぐに足りなくなる。幸い夏生には趣味であり実益も兼ねている武器造りという、才能と情熱があった。だからそれをフルに活用して、だけどそれでも不安で、バイトにも精を出すようになった。JCCではいろいろなバイトを斡旋していて、働きやすかったというのもある。
夏生にとって世界とは弟と武器が全てで、それ以外は何もなかったのだ。
手に取ったフードを指先でさらりと撫でて、それから自分の頭に被せた。サイズはもちろんピッタリで、夏生の身体によく馴染む。フードを被ったからといって、夏生に特段変化があるわけではなかった。布一枚分、外の世界が遠ざかっただけ。
エスパーという力を得て、他人の思考が常にわかる状態であったとして。自分は何を思うのだろうか。
元は普通だった少年の、超能力と呼ばれるそれを手に入れてからの生活を想像した。生まれつきでもなく、たまたま超能力を研究していた研究者の実験に触れてしまった彼は、きっと意図して望んでいたわけではなかった。
きっと誰からも好かれねぇ人生だったんだろうなぁ、とかつての上司の声が耳の奥で蘇る。
大人に囲まれ、きっと可愛がられていたのだろう。少し特殊で、でもごく普通の生活を送って、それからやはり不気味がられてしまった。ラボで読んだ資料では簡単に記された、たった一文で終わってしまうようなその生活は。
いくら頭を捻っても分からない。だって夏生はそのエスパーではないし、答えを聞こうにも彼がこの場にいるわけでもないのだ。
そう、エスパーを使える人間なんてそうそう居なくて、居たとしても今後出会う可能性は限りなくゼロに近い。
はあ、と思わず大きなため息が零れ落ちた。今まで気づかないフリをしていたことに、向き合わなければいけないようだ。
「
……
使えねーじゃん、このフード」
単純に好奇心だった。自分の知り得なかった存在に対抗する手段を作りたい、という知識欲と武器への熱量。ただそれだけで、脳波を遮断するフードを完成させた。完成させて、思った。こんな、一人にしか効果のないフード、一体どうするのだろう。
透明スーツを作った時のように、評価はされるだろう。だけどこれの需要があるかと言われれば、ないというのが答えだ。だってこれは、人の心を読める人間にしか使えない。そしてそのエスパーと再会することなど、万に一つもないのだ。
隣にいるのが当たり前で、生活の一部になるなんてことも、起こるわけがない。あのくそエスパーは夏生のことを何も知らないし、あまつさえ名前なんて呼んでくるわけもない。
どうして跳弾のスナイパーではなく、エスパーの方が頭の中にいるのか。その理由を、夏生は知らない。だってどう考えても夏生が負けた原因は跳弾のスナイパーで、エスパーではない。
スナイパーはそこら辺にもいるが、エスパーは夏生が知る限りあいつ一人しかいないからだろうか。それとも最後、トドメを刺されたのがエスパーだからだろうか。分からない。だけど夏生の頭の中はあの日から気がつけばあの金色が占めていて、チカチカと眩しいままだった。
▽
「──で、今までどこ行ってたの?セバちゃん」
「や〜、はは。額に青筋浮かんでますよ」
「おめーのせいだよ‼︎
…
ってうわ、手が!」
出来上がったばかりのクレープを思い切り握りつぶした田中は、クリームまみれになった手のひらを震わせた。
憩来坂にある大きな公園の、噴水のすぐ近く。花壇には太陽を真っ直ぐ向いた花が咲き誇り、たくさんあるベンチには子供連れが多く座っている。大きな木が植えてあるので日陰になっており、降り注ぐ太陽の光を遮るのにちょうど良さそうだ。
そんな場所にあるキッチンカーの中のひとつ。田中クレープと書かれたそこに我が物顔で座っている夏生は、先ほど自分で作ったクレープを頬張っていた。
もうすぐ秋がくるというのに、いまだに昼は暑くて仕方がない。いくら冷房がつけてあるとはいえ、半分外みたいなキッチンカーは蒸し蒸しとしていて、夏生の額から一粒汗が滑り落ちる。
武器製作が一段落し、夏生は再びバイト戦士として生活をしていた。今までは学内では教授の助手として働き賃金を得ることが多かったが、少し前からは学外のバイトにも力を入れている。その一環で、夏生はかつての上司、田中のところへ派遣スタッフとして訪れていた。
おはざーす、と軽く挨拶した夏生を見て、田中が憤るのも納得できる。だって夏生は、自分から言い出したクレープ屋を丸投げしているのだから。
「俺まだ学生なんで。普通にJCC戻ってました」
「えっ、待ってセバちゃん学生なの? 嘘でしょその感じで?」
「そっすよ。ピチピチの十八歳」
「こえーよ言ってよそれは」
「田中さん人の話聞かないから。だからすぐヘマするんすよ」
「もうちょっと優しく言ってくれない?遠回しにさ」
夏生だって田中のバックグラウンドや所属を知らないのでお互い様だ。とにかく久しぶりの再会に喜び、それから適度に暇で適度に忙しいクレープ屋の仕事をこなす。
二人で始めたクレープ屋は、数ヶ月経った今でもそれなりの売れ行きみたいだ。始めた当初、坂本商店の赤毛の店員とエンカウントしそうになり、咄嗟に起動した透明スーツが話題を呼んだ。浮くクレープとしてそれなりに有名になった田中クレープは都内を順番に巡り、それからまた憩来坂に戻ってきた。夏生がいなくなったことで浮かなくなったクレープは、だけどその味を支持する一定層のおかげか、そこそこ流行りのクレープ屋へと成長した。
「そういえば、結局あの鹿なんだったんだろうね」
「あー、あのラボの奴ですか」
「そう。ありゃ人間じゃね〜よ、もし襲われても勝てる気がしない」
夏生と田中がこうして一緒に働くハメになった、数ヶ月前の出来事を思い出す。いまだにとんでもない目に遭ったな、と思うし、その時ついた傷はもう痛くはないものの少し痕が残っている。その感覚を無視するように、生地を鉄板の上へと流し入れた。
「襲われるならもうとっくに殺られてますよ。個人情報押さえられてんだし」
「あ、そっか。まあ世の中気づかない方がいいこととか、知らないフリしといた方がいいこととかあるもんな〜」
何言ってんだこの人、と思ったけれど、夏生ははいともいいえとも口に出せなかった。
いらっしゃっせー、と気の抜ける声をかけながら、時折現れる客に要領よくクレープを売りつける。生クリームを包みながら、人に手渡しながら、夏生の視線はふいと動き続けた。
夕方も近くなると、客足もかなり落ち着いてきた。濃いオレンジで染められた公園には、もう数えるほどしか人がいない。そろそろあがりでいいだろう、と夏生はつけていた緑色のエプロンを脱いだ。
「お、セバちゃんもうあがる?余ったフルーツとか持って帰っていいよ。今日もうJCC帰るんだよね?」
「あー、はい。あざっす」
せっかくなので、遠慮なく頂こうと冷蔵庫を開けてフルーツを物色する。バナナとか置いといたら先輩たち食べるかな。
そんな夏生に、田中がそういえば、と話しかけてきた。
「セバちゃん、誰か探してんの?」
「
……
?」
田中の意図が分からなくて、夏生はぴたりと動きを止めた。レジのお金を数えながら、田中が続ける。
「いやほら、なんかずっと周り見てるし、ボブくらいの髪型の人が近づいたらガン見してるから」
「
……
田中さんって観察力ないですよね」
「だからもうちょっと優しくしてってば!」
たらり、と汗が背中を流れた。じんわりと噴き出た汗のせいで、Tシャツが肌にくっついて鬱陶しかった。一瞬だけ止まったのは夏生だけ。太陽も虫も鳥も、目の前にいる田中も一ミリも止まってなんかいない。ちょっとセバちゃーん?それ詰め終わったら掃除しといてよー、という田中の声が遠く感じるた。
言葉に詰まった夏生には気がつかず次の話題に移っていくの田中をチラリと見て、それから小さくため息を吐いた。何事もなかったみたいに掃除を始める。いまだに外は蒸し暑くて、これなら孤島であるJCCの方が海風があって涼しいのでは、なんてどうでもいいことばかりが頭の中を巡っていた。あー、早く帰りたい。
作業台を拭いていた布巾を洗おうと水道に近づいたところで、ポケットが振動していることに気がついた。入れっぱなしにしていたスマホの画面には、JCCの教授の名前が映っていて、夏生は顔を顰めた。真面目な学生であるため、ちゃんと反応はするのだが。
バイト申請の受理を担当しているその教授から伝えられた言葉に、これ幸いと夏生は左手に持っていた布巾をすぐ近くへ放った。
通話を終えた夏生は、そのままスマホをポケットに入れるとキッチンカーを降りた。そんな夏生の行動を田中が不思議そうに見つめていた。
「呼び出されたんでもう行きます」
「え、どこに」
「次のバイト先。なんか大暴れした奴らがいるみたいで、そのヘルプに呼ばれました」
「こっちはどうするの!?まだ片付け終わってないけど!」
「頑張ってくださいー。じゃあお疲れ様です」
「ちょっとセバちゃーん!?」
田中の悲痛な声が公園に響き渡る。何事かと振り返ってくる人の視線を無視して、夏生は田中クレープを後にした。きっとまた派遣として田中の元に向かう未来があるのだろう。たまたま始めたクレープ屋だったが、なんだかんだ気に入ってはいるのだ。次は他の場所で店開いているといいな、と眩しい西日に目を細めながら思った。
指示を受けた通りの場所に行くと、そこは東京タワーだった、なんてことは殺し屋界隈ではよくあることなのだろうか。観光名所で殺し。全然笑えない話である。
フローターは殺しの現場の原形復旧が主な仕事だ。夏生たちみたいな学生は瓦礫の撤去したり、血の跡を消したり、部品などを搬入したりと比較的簡単な作業が多い。壊れたものを直したりするのは殺連の専門部隊のため、夏生は他の学生に混ざって瓦礫の撤去に勤しんでいた。東京タワーの足元は、きっと今フローターしかいない。
フローターが割に合わないと感じるのは、現場までの往復はバイトに含まれないからであり、現地集合できるほど近くにいる時ならばむしろ稼げるバイトのように思う。学外バイトに力を入れていることを、担当に言っておいて良かった。
飛び散った瓦礫や、鉄骨を黙々と運ぶ。だいたい東京タワーをぶっ壊すってなんだよ。おかしい、鉄だぞ。どんな規格外が戦ったんだか。
もう太陽はほぼ沈みきっていて、ほんの少し、残り香のようなオレンジがいるだけだ。あたりは薄暗く、夏生はその曖昧さに目を凝らした。今日のバイトはこれで終わりだから、久しぶりに銭湯でも行ってから帰ろうか。帰りの飛行機は遅めの時間にとってしまったので、暇を潰さなければならないのだ。
そんなことを考えていると、すぐ近くで作業していた数人のグループの話し声が、ふと聞こえてきた。
「伝説の殺し屋が現場にいたらしーよ!ほら、この間話題になってた脱走死刑囚とやり合ったんだって!」
「まじ?見たかった〜イケメンらしいね、坂本太郎って」
「イケメン浴びてー」
「はいはい、さっさと手を動かす!」
若い女性のグループはケラケラと笑いながら作業を進め、その辺りを復旧し終えたのかまた別の場所へと移っていった。夏生だけが、その場を動けなかった。辺りがどんどんと濃くなっていく。空の色は愚鈍な青で、ともすればそれは深い黒をしていた。その黒を、同じような黒い瞳で見つめて、瞬きをする。目を開くその瞬間、パッと鮮烈な赤が視界を走った。明々と照らされた目の前の建物は、暗闇の中で一際目を惹いた。そういえば日没だから、ライトアップか、とどこか遠くで思う。
その色が夏生に焼き付いて、自分までもが一部になったように思えた。夏生は小さく息を吐くと、それから踵を返して、先ほどの声の主の元へと向かった。
全員がロングヘアをしたそのグループは、夏生の近くで作業をしていた、同じ学生らしき集団だ。普段なら近づかない、うるさいタイプの人たち。一瞬の躊躇いののち、あの、と小さく声をかけた。だけどそれは彼女らには届かなくて、夏生は少し声を張り上げる。
「あの、」
「はい?あ、武器科のエースくんじゃん」
「えー!有名人じゃん!こんなとこで会うなんて奇遇だね、連絡先交換する?」
「何してんのこんなところで〜!この後一緒に飲み行く?」
「いや
……
」
勢いよく話かけられて思わず吃ってしまう。自分のペースに話を持っていくのは割と得意な方だが、それを上回るスピードで畳み掛けられて少し尻怖みしてしまった。てかこの人たち、思ったより元気良い。
「なになに、何か用?」
グループのうちの一人がそんな夏生の心情に気がついたのか、続きを促してきたのでありがたく言葉を続ける。
「
……
さっきの、伝説の殺し屋って」
「ああ、坂本太郎?なんでもこの現場がその後らしいよ」
「
……
坂本の他には誰かいたんすか」
「え。
……
うーん。分かんないや。死刑囚以外は特にいなかったんじゃない?いたとしても死んでるでしょ」
ひゅう、と渇いた風が頬を撫でた。肩のあたりにあるフードにそっと触れる。柔らかいそれは確かにそこにあって、夏生は奥歯を噛み締めた。
楽しそうに笑う彼女らに礼を告げ、また自分の持ち場に戻った。黙々と、確実にフローターとしての仕事をこなす。身体はしっかりと動いているのに、頭の中は働いていなくてめちゃくちゃだった。自分が何をしたいのか、何を聞きたかったのかも、よく分からなかった。
それからも、夏生は暇を見つけてはバイトをしに本土へと赴いた。フローターやスポッターだけでなく、清掃の仕事やイベントスタッフ、カフェの店員だってやった。おかげで二千万には程遠いが、かなりの額を貯金することができた。研究も抜かりなく、変わらず研究室に通えるほどには良い成績を修めている。このままいけばそれなりに良い企業にも就職できるかもしれない。
もうかなり肌寒くなってきていて、夏生は少しでも暖を取ろうと、いつも着ている作業着のポケットに手を突っ込んだ。紅葉していた葉っぱは、もう土の上で干からびていて、さらに次の季節への準備をしている。
身を縮ませながら昼ごはんを食べるために食堂へ向かう。昼をいくらか過ぎているからか、客足はまばらで、テキパキと海鮮丼を購入することができた。射撃の腕もまあまあ上がってきたのでは。
もぐもぐと、油の乗った魚たちを咀嚼していると、セバくんじゃ〜ん、と軽い声が耳に入った。その方向へ振り向くと、あれからもう何度も見かけて顔見知りになってしまったロングヘアの先輩たちがいた。拠点が同じなのか、学外へバイトへ行くと三割くらいの確率で先輩たちに遭遇する。それだけ遭遇していればそれなりに話すし、その勢いにも慣れるというものだ。学内で会ったのは久しぶりで、先輩たちと共に食事を摂ることにした。というか勝手に座ってきたから仕方なくなのだが。
「セバくんって、実家あの辺なの?」
「違いますけど、なんで?」
心臓が驚くくらいに大きく跳ねたのが分かった。
「よくバイト一緒になるけど、憩来坂あたりってJCCから行くには少し遠いよね〜。だからあそこら辺に家でもあるのかと思って」
「あー
……
そういうわけじゃ、ないけど
……
」
「そなの?じゃあさ〜今度バイト被ったら美味しいパスタ屋さん連れてってあげるね〜」
「遠慮しときますー」
「えー、つれないなあ!」
ケラケラと笑う楽しそうな声から逃げたくなって、夏生は丼を無心で貪り食べ、食堂を後にした。午後の授業まで少し時間が空いていたため、研究室に寄る。ガラ、と勢いよく扉を開けると、武器科の先輩たちが真剣な顔で武器製作に取り組んでいて、馴染んだ空気にふ、と肩の力が抜けた。
夏生も自分の椅子に腰を下ろして、この間から作っている武器を手元に取り出した。何となく格好いいかな、と思って作った光る剣だけど、如何せん使い道がない。光るからなんだ、と言われても懐中電灯の代わりにするくらいしかない。いや、武器にもなるし、いざとなったら懐中電灯にもなるし、むしろ良い発明なのでは
…
?
武器のことを考えていると、いくらか頭の中がクリアになっていく気がする。夏生の中には常に武器と弟しかいなくて、それが当たり前で正しい姿なのだ。ずっと前からそうだったのだから。
付けっぱなしにしていたフードにそっと触れる。少し草臥れてきたそれは、だけどまだ柔らかくて、温かい。目線を落とした夏生に気がついたのか、先輩がそういえば、と話しかけてきた。
「ナツキさ〜夏からずっと着てるし、そのフードお気に入り?また透明になれたりとか?」
「
……
や、透明にはなれないっす」
「ふ〜ん、じゃオシャレとか?ナツキって服装に無頓着かと思ってたから意外だわ」
「なにそれ」
「だって、いつもJCCの作業服私服として着てるじゃん。ナツキって普段クールなのにそういうところあるよな〜ってみんなで話してたんだぜ」
「あれ便利なのに」
「そういうことじゃあないんだよなー」
ぶつくさと文句を言いながら、先輩は自分の作業に戻っていった。夏生も自分の机に向かい、だけど頭の中ではぐるぐると意味のわからない言葉の羅列が回っていた。
やめてくれ、と思った。せっかく逃げてきたのに、また同じ核心に触れられる。
何なんだ、どうしてみんなして、同じタイミングで触れてくるのだ。夏生の心の奥底の、まだ自分でもよく分かってないそれらに、軽々しく、まるで壁なんてないみたいに簡単に。
人間とは相反する気持ちを同時に持ち得る生き物である。食べたいけど食べたくない、勉強しなければいけないけどしたくない。それらは身近な感情で、その二面性こそが人間とも言えるだろう。
だからおかしくないのだ。もう会うはずのないくそエスパーにしか効かない武器を作りそれを持ち歩くという、夏生の愚かでしかない行動も、何らおかしくはないのだ。
ぐっ、と拳に力を入れると、フードに皺が入った。ぐしゃぐしゃになってしまえばいいのに、皺のつきにくい素材を使っているため、握り込むの前のピンとした布のままだ。
本当は分かっていた。夏生はずっと、あのくそエスパーの後ろ姿を探していた。正面から受け止めたキツい眼差しと、触れる背中から感じた暖かさを、もう何度も何度も思い返していた。
一度自分を納得させたにも関わらず、思い返すたびに、完成した脳波遮断フードに触れた。たった一人にしか効果のない、布切れ一枚。だけどなぜかそのフードを手放せないでいた。これを持ち歩く意味なんてない。使うことなんて万が一にもあり得ないと分かっているのに。だけどその万が一を引き当てたくて、夏生はずっと、どこかその金色を探してしまっていた。
そうはっきりと自覚して、それから頭を抱えてしまった。
ただ、夏生は、そのフードがきちんと機能しているかどうか、実際にエスパーと対面して確かめたかっただけだ。だからいつも持ち歩いているに過ぎないのだ。それ以外にエスパーの姿を探す理由なんて、何もない。だけどなんとなくしっくりこなくて、でも他の理由を考えても他に何も思いつかないので、きっと夏生の思い過ごしだ。
そして同時に理解した。今後夏生と、あのエスパーが出会うことなど、万が一どころか一ミリたりともあり得ないだろう、と。探し物をしている時には見つからないのに、そんなこと忘れた頃にポロッと出てくるみたいに、夏生がその存在を頭の中に置いている時点で、きっとその可能性は抜け落ちてしまった。
身体が支えを失ったみたいにぐらついて、そのまま背もたれに倒れ込んだ。大きく音が鳴ってしまい、先輩たちが何事かとこちらを見ていたけれど、全部無視してフードを被る。外の世界と布一枚分隔たれた中で、馬鹿みたいだ、と誰かが囁いている気がした。
それから、無いに等しい秋が過ぎ去り、凍えるような冬が来て、さらに次の季節がやってきた。春と呼んでも差し支えないこの時期は、昼ならもう薄手の服でも快適に過ごせる。着込んだ服の腕を捲り、段ボールを持って構内を歩く。木々が青々と茂った先を進めば、夏生の工房がある。
この四月から晴れて研究員生となった夏生は、その卒業制作でヨツムラ賞を受賞した。暗殺科ばかりが受賞していたそれを武器製作科が獲るのは実に十五年ぶりだという。武器科の教授ご満悦のその結果の成果は、研究室から少し離れた場所にある小さな建物。他人を入れたことのないそこは、ヨツムラ賞を獲っただけでなく、学年首席であった夏生だけの特別待遇そのものだった。
研究室にはない機材や、今までの研究データを貯めておく、誰もが知っている秘密の場所。先輩たちに何度も連れて行けとせがまれたけど、結局案内したことはなかった。これからもするつもりはない。
ふと見上げると、澄んだ空に薄ピンクの花びらが舞っていて、そのコントラストに柄にもなく目を奪われた。冬の間に試験を受けた弟が、入学してくる。先日行われた入学式には参加していなかったようだが、まああいつのことだ。どこかでサボっていたのだろう。何かあれば連絡してくるだろうし心配はいらない。
工房に荷物を置いて、春の陽気に煽られながら研究室へと戻る。もうすっかりと馴染んでしまったそこに、正式に参加していることに意義さえ感じた。
結局夏生の居場所はここで、戻ってくる場所も同じくここなのだ。
「編入試験で主席合格の奴が、暗殺科に入ったらしいぞ」
「あれ、確かナツキの弟も暗殺科じゃなかったっけ?ほら、編入試験受けるって言ってたろ」
「あ〜、アレね、インフル移したせいで本試験受けれなかったやつ」
「センパイたちよく覚えてますねそんな話」
「ここ最近外にバイトばっかり行ってたから忘れてたんだろう」
「や、ナツキが珍しくぼやいてたからよ〜」
「ぼやいてね〜し」
ゲラゲラと笑う先輩たちを睨みつけ、あの武器溶かしてやろうと心に誓う。
この頃にはもう、誰かの姿を探すこともなく、いつも通りの日常を過ごすようになっていた。あの時の激情と落胆と、そして少しの安心は、とうに忘れてしまった。
あれから学外のバイトにも数えるほどしか行っていない。そもそも基本的にJCCから出ることはあまりなかったので、元に戻っただけ。武器を造り講義を受け、たまに弟に連絡する。着ている服はJCCの作業着ばかりで、そこにもう一枚布が付随していることだって、すでに夏生の日常になっていた。
だからって別に、油断していたわけではなかったのだ。
心に誓ったとおり先輩の武器を溶かして再利用した夏生は、今度こそは許さないと怒る先輩に追いかけ回されていた。GPSでも付けているのかというくらい正確に夏生の後を追ってくる先輩に、少しの恐怖を覚える。体育館から屋上へ、それから保健室に講義室。色々と渡り歩いて、最終的にあまり使用する人がいないトイレの個室へと滑り込んだ。
四つある個室のうち一つは鍵がかかっていて、珍しいこともあるもんだ、とスマホを開く。研究室に置いてきた盗聴器もどきからは先輩たちの怒りの声がまだ聞こえてきていて、「こえ〜」と小さく口にする。
このあとどうするかな〜と考えていると、荒っぽい足音と共に、扉を勢いよく開く音が響いた。
「どこだ!ナツキ!」
このままだと見つかるな。そう思いつつもうどうしようもないので、このまま透明スーツを起動させるか。先輩が一個、二個と開いていき、それから三つ目を開いた時に状況が変わった。
何か争う声と、次いで鈍い音が数度鳴り、どさりと床に誰かが倒れた音がした。あーあ、もしかしなくても、個室に入っていた誰かに先輩がやられたな、とため息を吐いた。
仕方ない介抱してやるか〜と、扉を出て、それから頭に入り込んできた情報に、時が止まってしまった気がした。
目の前に広がるあり得ない光景に、息がうまく吸えない。大きく見開かれた瞳の中に、自分の黒色が映っているのが分かった。
何度も思い返した金色に照明が反射して、チカ、と目の前が光る。高速道路で出会った時と寸分違わず同じ姿で現れたそいつが、夏生の網膜に焼き付いてもう離れそうもなかった。
引き当ててしまった万が一を受け止めきれなくて、反射的に透明スーツのスイッチを入れる。だけど夏生の姿がブレて見えなくなるその前に、夏生の運命はすでに決まってしまっていた。
「待てコラ‼︎ にげんな!」
それはまるで落雷のような衝撃だった。今まで歩んできた道を平気で崩されるような、自分の信じてきたものを真っ向から覆されるような、そんな衝撃。あの時の、痛みと熱さが思い起こされる。だけどそれ以上に大きな衝撃が、ズドン、と夏生を貫いた。
物理的にか精神的にか、それさえも分からないけれど、確かに自分の中に落ちてきたのだ。そしてそれは今でもずっと身体の中にあって、きっとこれからも、どこにも行ってくれない。そんな予感が、夏生に警鐘を鳴らしていた。
見てはいけない、悟ってはいけない、自覚してはいけない。だってそれはあまりにも、
「なんでてめーがここにいんだよ!透明野郎‼︎」
──あまりにも都合が良すぎる、夏生だけの稲妻だった。
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