鳴上
2024-10-17 22:37:25
31233文字
Public ナツシン
 

たったひとつの稲妻

脳波遮断フードを作る夏生の話です

 それは夏生にとってまさしく、落雷のような衝撃だった。今まで歩んできた道を平気で崩されるような、自分の信じてきたものを真っ向から覆されるような、そんな衝撃。

 将来設計はとうの昔に済ませていた。あのクソみたいな家から真冬を連れて逃げ出す。そのために有用な武器を作る。夏生の人生の大半はその二つで占められていて、それ以外の何かが入り込む隙は無かった。
 その目的を達成するには、お金が必要だった。親の援助がない状態でも充分に暮らせ、弟を学校に通わせてやれるくらいのお金が。
 夏生はフラリと、職員室の横にある掲示板を見にきていた。JCCの掲示板には、色々なチラシが貼ってある。デジタル化が進む今、古風なやり方だとは思うが、特段支障はないためきっとこれからも変わらないのだろう。講義の休講のお知らせや、行事のお知らせ、生徒への懲罰など、貼ってあるチラシを流し見ながら、目的のものを探す。そしてバイト募集の文字を見つけて、夏生はその目の前へと移動した。
 JCCではフローターやスポッター、被験などの公式のバイトが募集されている。夏生は入学してすぐの頃からよくフローターをしていた。入学したての学生がこなす最初の仕事とも言える。ただそのうち、事後処理の面倒臭さや行き帰りがバイトに含まれない非効率さにどんどん足が遠のき、学内でできるバイトばかりするようになった。被験はしない、死にたくはないから。
 そして殺し関係のバイト以外にも、普通の、一般人がするようなバイトの募集もある。例えばカフェの店員だったり、コールセンターだったり、スーパーの品出しだったり。殺し屋として働く上で潜入する時に役立ちそうなバイトは人気だ。お金を稼ぐには非効率だが、将来のことを考えると経験はしておいた方がいい。そんな一般バイトの中身も確認しながら、程よく楽で程よく稼げそうなものを探す。
「あ、これ」
 そして見つけたのは、とある研究施設の調査及び潜入だった。政府非公認で運営されている研究施設で、違法な研究が行われている可能性がある。その調査ができるくらいの知識と、場合によっては戦闘になるためある程度の戦闘力。夏生は学部一年生の頃から小さな賞を受賞するくらいには専門的な人間である。どういう知識を求められているかは不明だが、様々な分野をある程度学んでいるためおそらく大丈夫だろう。そして幼い頃からの戦闘訓練と、自作の透明スーツを使った戦闘も得意であるし、どちらの条件にも該当している。そして夏生がここまでこのバイトに注目しているのは、学外で行われるにはやや危険──だけどそれを上回るほどの破格の報酬だったからだ。
 多少の疑問はあるが、こんな好条件のバイトはあまりない。誰かに取られる前に、と夏生はそのまま職員室に入りバイトの申請をする。学外バイトの注意事項を右から左へと聞き流し、詳細の書いてある紙を受け取る。そしてそのまま、すでに馴染んでしまった研究室へと戻り、いつもの椅子に腰掛けて詳細を読み込む。こういうのは情報が命取りになることがあるからだ。
「お、ナツキ何読んでんだ?」
「今度するバイトっす」
「へえ、お前ただでさえ忙しいのにバイトもするとかすげ〜」
「ま、金っていくらあっても困らないんで」
 わらわらと集まってくる先輩たちとゆるく言葉を交わしながら、今後のスケジュールを組み立てる。一週間の予定だから、帰ってきたらそのまま研究室に篭って課題を作る。そんでそれを出せたらまたなんか良さそうなバイトをしよう。いや、それよりも作りかけの武器を完成させるのが先か。グルグルと思考を巡らせていると、先輩の一人が夏生の肩へ頭を回した。
「まあ、程々にしろよ〜?ナツキ、案外一つのことに夢中になると周り見えなくなるしさ」
「え〜、俺ほど要領いいやつ中々いないっすよ〜」
「はあーうぜ!これだからブキ科のエース様はよ〜!」
「ははは」
「せめて感情込めて!」
 明後日からか〜、お土産よろしく!そんな話をしながら、夏生は紙を机の上に置いた。そして作りかけたまま放置していた武器を箱から取り出して、弄り始める。
 いつも通りの、普通のバイトだと思っていたそれが、まさか自分の思考回路を変えることになるなんて考えもしなかったんだ。この時は、まだ。


「あ〜〜〜ダル……
「ちょっとセバちゃん、思ってても言わない!」
「さーせん」
 予定通りJCCを出発した夏生は、政府非公認の研究施設への調査に参加するために、決められた集合場所へと向かった。そこにいたのは自分と同じバイトであろう人間と、明らかにカタギではない人間だった。だっていや、あれ、鹿……
 夏生の目線には立って動いて喋る鹿がいる。正確には鹿の頭を被った人間なのだが、どうにもオイル臭いし、そもそも鹿を被った人間がまともなわけがない。その鹿は見た目通り鹿島と名乗り、自分が雇い主であると言う。根掘り葉掘り聞きたいことはあったが、こういう時は黙って従うに限る。これはバイトだ。働いて報酬を得ることができればそれでいい。
 鹿島に言われるがまま、メンバーを振り分けられていく。夏生が振り分けられなかったメンバーは、これから研究施設──通称、ラボを占拠しに行くらしい。どう考えてもJCCの掲示板とは異なる内容に、少しだけため息を吐く。虚偽の申告してんじゃね〜よ。明らかに正規の仕事ではない。でももう知ってしまったから、ここで抜けることはできないだろう。現に、募集内容と異なる仕事を言われて反発している人間が数人、鹿島に行動不能にされている。血を流し地面に倒れるそいつらが、今も息をしているかどうかは分からない。隣にいる男はブルブルと震えているし、ここからは本当に自己責任ということだ。
 夏生はジャケットの首元に軽く触れる。いざとなったら自分にはコイツがあるし、まあ大丈夫だろう。仕方がないから、とりあえず言うことを聞いとくか。
 そうして夏生はどういうわけか今、車を走らせていた。確かに免許はとった。とりたてと言ってもいいぐらいには最近だが、免許はある。公道を運転することに拒否感はないが、こんな大人数を乗せた車を運転するとは思っていなかった。
 鹿島に言われたのは、憩来坂という場所に住む、エスパーの少年を連れてくるという仕事だった。……誘拐?とも思ったが、何やら生きて連れてくれば特別手当てが出るらしい。それはなんともやりがいのある仕事だ。殺し屋学校に通っている時点でこういう仕事をする時も来るかもしれないし、人を誘拐するという仕事に特に忌避感はなかった。
 そして最年少ということもあってか運転手役に抜擢され、ため息を吐きながら運転をしているのだ。そんな夏生の隣に座る男は田中と言って、このグループのリーダーを任されている。
「おいおいセバちゃ〜ん、俺のことチラ見して、この田中さんに何か用かい?」
「いえ別に」
「冷たいっ!」
 先ほど会ったばかりとは思えないほどに馴れ馴れしい田中を無視して、夏生はナビ通りに車を走らせる。それから数十分後、目的地である坂本商店に到着した。
 東京の街中と違って、ちょっと寂しい印象のある街にあるそこは、まさに個人商店と言った、小ぢんまりとした店だった。
 店に入ると、シンと書かれた名札をつけた店員がレジに座っていた。田中は嬉々としてそいつを縛って車に乗せる。別人じゃね?という疑問は面倒臭いので黙っておいた。バレるだろうけど、責任は田中にとって貰えばいい。
 手早く車に乗せて、行きと同様車を走らせる。思ったよりも簡単に仕事が完了しそうだ。赤髪の店員は今のところ大人しくしているため、他のメンバーも少し気が抜けているようだった。
「しかしヨォ、十一年前ラボから姿を消した実験体がこんな街でのうのうと生きてるとは……
「田中さん、ほんと言いにくいんですが。その写真の子とこいつ別人じゃないすか?」
 あまりにも田中が気がつかないので、間違いを指摘する。騒ぐ田中を諌めながら、今後の展開について思考していると、ドンという鈍い音とともに大きな影が夏生の横顔を遮った。思わずそちらに目を向ける。だけど田中や他のメンバーに隠れてその姿はよく見えない。ただなぜか、ドアミラーに光が反射しているような気がして、夏生は目を細めた。
 どうやらバイクに乗って赤髪の店員を助けに来た二人組のうちの一人が、目的のエスパーであるらしい。なるほど確かに、チラリと見えたその姿は、写真の容姿と酷似している。まあこれだけの人数がいるし、そのうち誰かが捕まえてくるだろうとラジオを聞き流す。
「せせせセバちゃん‼︎」
「ちょっ、ラジオ聞こえないっす」
「今それ所じゃないから!なんとかして!」
 ラジオネームがうんこちゃんって、センスやばいな。ふふ、と声に出して笑っていると、田中から怒鳴られたので、仕方なく夏生はハンドルを田中に任せて外に出た。指を引っ掛けて器用に天井に登る。風が強くて、夏生は一瞬だけ目を瞑った。瞼を開けると、そこには目的のエスパーが夏生を見据えていた。金色の髪の毛が風で靡く。太陽の光が当たって、チカ、と弾けた。
「特別手当つくんだろうなー、これ」
「来るなら手加減しねーぜ」
 鹿島たちから支給された白いスーツを脱ぐ。こちらを睨んでいる金髪のエスパーが、一歩近づく夏生に構えた。
 夏生は、非常に優秀な学生である。幼い頃から色々な武器を作ってきた。失敗ももちろんある。使える武器の倍以上の数、失敗してやり直して、やっと完成した武器もある。そうしているうちに初めは学内の小さなコンペで入賞し、後々殺連主催のコンクールでも受賞を果たすようになった。自分のその努力が認められたのだ、と柄にもなく喜んだのを覚えている。
「セバちゃん!頼むぜ、オイ!」
「ハイハイ。ダメな上司を持つと
 首元に手を持っていく。何度も何度も調整して、作り上げたそれに指先が触れた。バチバチ、身体中に電気が走り、身体が背景に溶けていく。
「苦労するぜ」
「!?」
 夏生が学部生の身でありながら、研究室への出入りを認められているのは、今身に纏っている透明スーツの作製があってこそだ。構想は昔からあって、でもそれを実現させるだけの技能がなかった。JCCに入学してからコツコツと、だけども着実に積み上げていった自分の力は、その際やっと解放されたのだ。実戦も何度か行った。特に狂いもなく、思い描いた通りの出来だった。
 姿が消えたことに驚くエスパーは、夏生が動いたのにも気がついていないようだった。思い切り腕を後ろに振り、その勢いでエスパーをぶっ飛ばす。良いところに当たったわけではないがそれなりの重さがぶつかり、エスパーは天井から転がり落ちた。しかし運良く後続車の上に着地したみたいで、そこまでダメージを負っていないようだ。
 次にこちらを見ていたもう一人の店員のバイクへと飛び乗る。資料では確か、伝説の殺し屋と呼ばれる坂本太郎。殺し屋を引退して今はただの商店の店長。いくら伝説の殺し屋と言えど、実戦から離れてかなり経つ人間にそこまで警戒心を抱かなくても良いだろう。さすがに体重でこちらが移動したことは分かったようだったが、首を掴もうとした手を腕で阻まれて、逆に自分の首元を掴まれたたことに思わず驚きに声を出した。
「はは、こえぇ〜〜」
 透明スーツを纏っていて攻撃を防がれ、あまつさえ触られたの初めてだった。先ほどまでの認識を改める。かと言って自分の自信が揺らぐわけではなかった。暴れながら懐に手を入れて、装備していた武器を取り出すと、そのままオイルタンクを勢いよく突き刺した。オイルがトポトポと溢れでているのを見てから、田中の運転する車へと飛び乗った。その瞬間ガソリンに引火し、大きな音を立てて爆発が起こった。
 間一髪。特に負傷なく戻って来れたが、エスパーを捕まえることはできなかった。ふと後ろを振り返る。坂本もエスパーも爆発には巻き込まれずにピンピンとしているようだった。
 二人は恨めしそうにこちらを見ていたが、もう追いつけやしないだろう。夏生は車内に戻ると、随分と広くなった空間に小さくため息を吐いて、そのまま座り込んだ。車は予定通りとは言えないがラボへと向かっている。運転は田中に任せて、ようやく肩の力を抜いた。
 坂本太郎は要注意だ。引退して何年も経っていて、かつ体型がアレとはいえ、その気配の探知能力や身体能力が衰えているわけではなさそうだった。
逆にシンという名前の少年──年齢的には青年か、はエスパーだと聞いていたが、特に自分の思考を読まれたような感じはしなかった。むしろ夏生の姿が見えないことに驚いて、そのまま後手に回っていた。
 特に注意することもないな。もしかしたらこの赤毛の店員を取り返しにくるかもしれない。その可能性は非常に高いが、来たら来たで坂本に他の人を当てて、その間にエスパーを捕まえて鹿島に引き渡せば良い。それくらいなら簡単にできそうだった。
 第一印象は、そんな程度。取るに足らない相手、ただそれだけだった。


 しばらく車が走って、ラボへと戻って来た。戻ってきたと言っても、夏生が足を踏み入れたのは尾久旅科学博物館だ。ラボは普段、裏社会にバレないよう博物館に擬態している。非人道的な実験を繰り返しているのなら納得だ。
 赤髪の店員を袋に入れて、博物館の中にある入り口へと向かう。事前に教えられていた通りに入り口には鹿島の仲間が立っていて、止められることなくラボへと入ることができた。
 途端、咽せるような鉄の臭いと、肌に刺さる空気。最近は触れてなかった死線が、つい先程までそこにあったようだった。案内されるがままに廊下を歩く。飛び散った赤はまだ乾いていなくて、現実をより一層認識させた。途中、赤髪が暴れるので仕方なく腕を縛ったまま台車へと移動させる。それを田中が押しながら周りをさりげなく見渡した。
 綺麗に整頓され、博物館然とした顔のラボは、だけど研究施設としては大層立派で、夏生の好奇心を刺激する。ああ、あとでここ見て回りたいな。だけどこの後何をさせられるか分からないし、とりあえず大人しくしとかなければ。もしもの時は透明スーツを着て逃げる。その方針だけは変わらない。
 所謂エントランスのような場所を抜けて、夏生と田中が案内されたのは、物品庫のような場所だった。旧時代の武器や剥製、近代に発明された電気機械、いつのものか分からない骸骨などが所狭しと並べられている。ラボで使用するのかそれとも博物館のものなのかは予想がつかない。
「田中さん、それが例の読心能力の少年ですか?」
「はい……
「ん〜〜?髪の色も性別も、写真とは違って見えますけど
 待機していた鹿島の圧に、田中がダラダラと冷や汗をかく。震えも止まらないようで、それが少し伝わってきて夏生も背筋を震わせた。すると鹿島が鹿の被り物を外した。その顔を見てギョッとする。出てきた顔はつぎはぎだらけで、とても同じ人間とは思えなかった。
 あー、本当にやべー奴らと関わってんな。でももう後戻りはできないし、かといって報酬をもらわないわけにはいかない。
「あ、所長ちょっといいすか?」
「はい、勢羽さん」
「こいつは替え玉なんですけど、オレ本物に心当たりあります」
 そう言って鹿島に、高速道路の上で会敵した状況を説明し、おそらく自分たちの後を追ってきているだろうことを告げる。その情報に納得したのか、鹿島が人を呼び田中とルーを縛り上げると台車でガタゴトと運ばせた。行き先はきっと牢屋だ。田中には申し訳ないが、ここはボーナスのため我慢してもらおう。余裕があったら助ける。多分。
 どんどん小さくなっていく田中を眺めていると、鹿島に肩をポン、と叩かれた。そしてもみもみと、まるで労うかのように肩を揉まれる。
「頼りにしてますよ〜〜?勢羽さん
「はい〜まぁがんばります」
「では勢羽さんには、B3の工場エリアをお任せしますね」
「え?」
 ドサ、とどこから出したのか、大量の資料が床に積み上げられた。どういう意味かを尋ねるより先に鹿島が資料を一枚手に取り、夏生に渡してきた。
 なんでもラボは階ごとにエリアが分けられているようだ。エスパーの情報を持ってきた、かつ生きて帰ってきたことが評価されて夏生はそのうち一つのフロアのまとめ役を任命された。
「履歴書見る感じ勢羽さんは機械系に強いみたいですし……丁度いいですよね。その分手当も付けます」
……がんばります〜」
 出世とともに重くなる責任。これが中間管理職ってやつか……。ダル〜としか思えないが、手当のためだ。
 所狭しと置かれた実験器具、何日も洗っていなさそうな白衣、壊れた何に使うのか分からない部品、不気味な色の液体だらけのフロアを二つ登る。目の前に現れたのはガラッと変わって、オイル臭くて鈍い音が響く機械だらけの場所。パイプが至る所に張り巡らされていて、さながらどこかの街の裏路地のようだが、それよりもさらに入り組んでいる。何の研究してんだ、この施設。
「なにが機械系に強い、だよ。関係ねーだろ……
 このフロアには研究員はあまりいないようだ。夏生が現れた途端蜘蛛を散らすようにその場にいた研究員達は逃げていった。その人数も十人いるかいないか程度。研究施設の出入り口には鹿島の部下が張っているし、この施設から逃げられるわけではないので放置しておく。このフロアで特に何か成果を上げろとも言われていないし。面倒臭いことは最小限に生きた方が効率が良い。
 夏生はフロア内を散策し、なんとなく良さそうな机と椅子を見つけるとそこにドカリと腰をかけた。あ〜疲れた、なんて口の中で呟く。背もたれに背中を預けて、そして自分が汗ばんでいたことに気がついた。そんなに長くない期間の契約だが、なかなか気を抜くことができない。少しでも失敗すれば命を落とす感覚は久しぶりなように思う。
 顔を手のひらで覆って目を瞑る。それから、先程鹿島から渡された資料を捲った。研究施設の詳細から、今回の鹿島の目的。人員の配置と研究所職員の人数と構成。そういったことがつらつらと書かれていて、果たしてどこまでが本当なのか。だけど夏生に渡されたのはこの資料なので、とりあえず信じる他ない。そうして紙の束を捲っていると、見覚えのある顔が目に入ってその手を止めた。
 実際に見た顔よりも幼い、金髪の少年の写真。シンと呼ばれていたそいつは、人の心を読めるエスパーだった。まじまじと写真を眺めて、それからそこに書いてある調査報告を読んでみる。
 たった一枚の紙にまとめられた彼の半生は、薄っぺらいようでそれなりに重みがあった。
 幼少の頃に研究施設に預けられ、そこで超能力を手に入れる。非人道的な研究が行われていたわけではなく、彼のエスパーは偶然与えられたものだった。そしてどんな生活を送っているのかと思えば、なんてことない、ごく普通の生活のようだった。人の心を読めるからといって避けられるでもなく、今まで通り可愛がられ、それから不気味がられてしまった。耐えられなくなった彼は、程なくして研究施設を出ていったと言う。
 バサ、と紙の束をテーブルへと放る。研究施設を出た後の詳細は分からないが、かつて上司として一緒に仕事をしていた坂本の営む商店で働き始めたらしい。それが今。なんてことない、この世界にいればこれよりも酷い境遇の人なんていくらでもいる。
 なぜ彼を捕まえてくればボーナスなのか。その意図は知らない。エスパーが何か役立つのだろうか。鹿島に伝えた通り、彼はあの赤髪の店員を追ってこの場所へやってくるだろう。だからと言って自分のやることは変わらない。上手くいけばボーナスゲットのチャンスを逃すわけにはいかないのだ。
 しばらくすると、上の階の方から大きな振動を感じた。誰かが暴れているらしいそれは、夏生の予想通りかどうか。目を瞑り天井を仰ぐ。あ〜面倒臭い。だけどやるしかない。椅子から立ち上がり、フードを深く被った。動いた拍子に、机の上のペンが床下へと転がり落ちた。
……やっぱめんどくせ〜」

 昔から自分に自信はあった。幼い頃から訓練をしていて人並み以上には動けたし、自作した武器はそれなりに使える。それに、透明スーツを着れば大抵の人間は自分を追えない。
 だから別に、簡単なバイトだと思っていたんだ。募集とは内容が違うし、人攫いをさせられるし。でも、それに特に不満はなくて、むしろ特別手当がもらえるならそれで良かった。
 十一年前にラボから姿を消した実験体を捕まえて連れてくるだけの、簡単なバイト。
 そのはずだったのに、どうして今、夏生はこんなにも苦戦しているのだろうか。
 夏生は襲い来る跳弾から逃れるために、壊れかかっている足場を駆け回っていた。
 最初は何の問題もなかった。たった一人でB3エリアに乗り込んできたエスパーは、夏生の奇襲にその能力で気がつくと、間一髪でその攻撃を避けた。
「お前──透明野郎!」
「あーバレないのが一番楽なのに……やるしかねーか
 正直、坂本太郎が相手だったらこうはいかなかった。いくら思考が読めるからと言って、透明になった夏生にやはりうまく対応できないようで、エスパーは夏生の攻撃をうまく捌くことができない。二発ほど拳を振るってその身体のバランスを崩すと、そのまま隠し持っていたナイフで斬りかかる。エスパーは腕で身体を覆いなんとかそれを防いだ。焦った顔で打開策を見つけようと躍起になっているようだが、それも無意味だ。見えない相手に勝つ術などありはしないのだから。
 夏生の思考は、全てを読み取られている。もしその能力がなければ一瞬で勝負はついていただろう。だけども彼はエスパーだった。あと一歩のところで夏生の攻撃を避ける。右から勢いよく振りかぶった拳を、顔を逸らして回避されそのまま右足を蹴り上げてくる。間一髪身を屈めるとすぐ真上を風圧が過ぎる。こいつ見えないくせに良いところ攻めてきやがる。たった一本の足で支えられているその身体を思い切り蹴飛ばすと、エスパーは勢いよく床を転がった。ガシャン、と手摺にぶつかり鈍い音を立てる。決定打が見つからず夏生は溜息を吐いた。
「はあ、エスパー相手めんどくさいななんかギリギリ避けられるし
「透明人間のがめんどくせーよ!」
 それもそーか、と思う。大体透明人間とエスパーが戦うってどこのSF映画だ。今どきそんなコテコテの設定ありもしないだろう。だけどこれは現実で、夏生はこのエスパーを捕まえなければならない。殺すわけにはいかないからと仕舞っていたナイフを懐から取り出し、そして思い切りその左腹部へと突き刺した。内臓は傷ついていないはずだ、多分。生捕りめんどくせ〜。
 エスパーは抵抗らしい抵抗を見せることなく、なんとか倒れまいとしたのか手で夏生の胸に触れて、そしてそのままズルリと倒れ込んだ。左胸が赤く染まる。エスパーの手のひらは度重なる負傷により真っ赤に染まっていたようだ。
「も〜きたねーな血べっとり付けやがって
「へへこれで外さねーだろ」
「は?何言ってんの?」
 エスパーは顔面を蒼白させ、だけどどこか得意げに笑う。その意図が読めなくて怪訝な顔をした瞬間。突然銃声が響いたと思ったら、それはいつの間にか夏生の身体を貫いていた。
「がっ」
 右肩と左腹部から赤が弾け飛ぶ。そうか、血が目印になってたんだ。だが急所は外れているようで、夏生は目立つ場所に立っているスナイパーを睨んだ。場所が分かっているスナイパーなんて、怖くも何ともない。そう思い物陰に身を隠す。
 坂本の他に仲間がいたとは思わなかったが、まあ何とかなるだろう。しかし予想は外れ、死角から銃弾が迫ってきて、夏生は考えを改めた。跳弾か!どうやら思っていたより、厄介な相手みたいだ。
 そうして夏生は再び透明になり、襲い来る跳弾から逃れるため壊れかかった足場を駆け回っていた。スナイパーは耳も良いようで、夏生の走る場所に正確に撃ち込んでくる。だけど頭の出来はそこまでらしい。スーツを纏わせ透明にした鉄パイプには気がつかず、スナイパーは夏生の攻撃をもろに喰らう。
 跳弾は厄介だし、どこに飛んでくるか分からないから対処がしにくい。だけど透明人間を相手にしている奴らの方が圧倒的に苦しいはずなのに、エスパーもスナイパーも諦めることなく喰らい付いてくる。身体は痛いし血も流れている。だけど銃弾で腕が飛ぶことなんてそうそうない。簡単なトリックにも気がつかないスナイパーをナイフで刺した夏生は、透明化を解いた。
 先程から動けていないエスパーに、今さっき倒したスナイパー。夏生の勝利は確実だった。こんなもんか、と思う。面倒臭かったが、結局はこんなもん。まあいいか。
「不思議だよなー。お前ら何で他人のために、ここまでするんだ?」
 スナイパーからこぼれ落ちた銃弾を手摺の向こう側へと蹴る。バラバラと落ちていくそれは、簡単に散っていく命みたいだ。少しの拍子で呆気なくいなくなる。
「友達なんて楽しいだけがメリットだろ。面倒なやつはすぐ切っちまえばいいのに」
 夏生には目的がある。人生の半分以上を捧げてきた目的のためなら何だってする、何だってしてやる。だから分からないのだ。大切な家族じゃなくて、血の繋がりなんて何もない他人に対して、そこまで執着する意味が。
「三流の殺し屋はもう帰れよ」
 自分は三流の殺し屋になんてならない。そんなしょうもない存在にはならない、その前に全てにケリをつけるつもりだから。
 そのためにとりあえず、エスパーを拘束して鹿島に差し出そう。多少悪い気がしたいこともないが、エスパーには尊い犠牲になってもらう他ない。
 あー、この仕事終わったら当分バイトはやめよ。痛みを訴える身体を無視して動き出すと、スナイパーに呼び止められた。バチバチと、スーツが電気を発する。このバチバチももう少し改良の余地あるな。
「こいつらはよ俺のこと一流のスナイパーって言ったんだ」
「?」
「ならよぉ友達を嘘つきには出来ねーよなぁ‼︎」 
 本当に理解ができない。ここまで相手を思いやれるその思考も、諦めないそのタフさも。
「めんどくせー。なら、死ね」
 だけど、気がついたら地面に倒れていたのは自分だった。外れた跳弾がスプリンクラーを撃ち抜き、何がしたいのかと思った瞬間、エスパーの足が首に絡まっていた。そのまま床に叩きつけられる。ズドン、と身体に衝撃が走った。それはまるで落雷みたいに全身に広がって、手足がピリピリと痺れる。同時に透明化が解けた。ああ、水で場所がバレたのか。これも改良しなければ。自信作はまだ完璧と呼ぶには程遠い出来みたいだ。もっともっと力をつけて武器を作って、そして真冬を連れてあのクソみたいな家から抜け出す。そのためにずっと歩んできた。
 武器を造る過程において、様々な可能性を考慮するのは至極当然のことである。どんなに性能のいい武器を作ったって条件次第ではそれは無能なものになる。だから可能性を探って探って、その場面に適した武器を作る。それなのに、全ての条件を覆す、人の心を読むことのできる人間と出会った。出会って戦って、そして負けた。
 後ろでラボが大きな音を立てて爆発する。身体はもう動かない。そもそも俺はどちらかと言うと内勤向きだ。パラパラと天井のカケラが降ってきて、夏生はある種覚悟を決めた。夏生が負けたからか、はたまた別の理由かは分からないが、もうここはあと少しもすればなくなるのだろう。あーくそ。こんなことになるなんて、思いもしなかった。
 視界がどんどん暗くなってくる。しかしぐい、と腕を引っ張られた感覚がして、夏生は目を閉じきれなかった。見ればエスパーが夏生の腕を引いていた。見上げたその先と、天井の電灯が重なってチカ、と光った。
……
「くそ、あちこちで爆発してやがる!平助、動けるか?逃げるぞ!」
「おー!おれは大丈夫だから、シンはそいつを!」
「分かってる!」
 目の前が金色に染まる。気がつけば夏生は、エスパーに担がれていた。一歩一歩エスパーが足早に歩くたびに体が揺れる。訳が分からなかった。夏生とこいつはただの他人で、ちょっとした知り合いですらない。さっきまで平気で命の取り合いをしていたはずなのに、なんで。思考がまとまらない。身体が痛いし、血が流れすぎているのか頭の中がふわふわと軽かった。だから夏生は脱力して、その背中に身体を預ける。普段ならしないその行動にも、違和感を覚えないくらいには頭が働いていなかった。
 戦ったあとだからか、エスパーの身体は熱い。少しぬるついているのは、自分が刺した傷からだろうか。それにしても、疲れ切っているのに歩かないで良いというのは。
(あー、楽だ)
「テメー起きてんだろ、あるけ‼︎」
 やはりエスパーは厄介だ。頭の中を覗かれるというのはあまり気分がいいものではないし、何より夏生の武器の欠陥を嫌というほど理解させられた。
 だけど言葉ではそう言いつつ、夏生を下ろそうとしないエスパーに、心のどこかで苦笑する。こいつ、良い奴過ぎて早死にするタイプだな。
 視界が揺れる。伝わってくる温かさに、自然と瞼が落ちていく。
 このあと、隙を見てこいつらから逃げ出して、何事もなかったかのようにJCCに戻るまでが夏生のミッションだ。この際報酬は関係ない、諦めよう。だからあと少しだけ。安全なところに着くまでの間だけ。そう思って夏生はゆっくりと目を閉じた。
 たった数時間にも満たない邂逅。それが夏生の中に、自覚できないしこりを残したのは確かだった。