ななき
2024-10-17 21:42:05
5866文字
Public 吸死
 

最初の一巡り、或いは寂しがりの退治人が戻れなくなるまで

(ドラロナ)
最初の一年の季節ドラロナ、切り取り5編。
または、退治人の青年が寂しかったと気づくまで。

#2024.9に頒布した同人誌に先行まとめとしていれた短編です。


そしてまた、夏


 疲れた。
 ねっとりと絡みついてくる暑さが、疲れをさらに重たくしてくれやがる。デカい蚊め、ぶんぶんぶんぶんと大量発生しやがって童謡のハチか。蚊だけど。
 出張とはいえ仕事としてはそれほど難しい部類ではなかったが、依頼人が問題だった。吸血鬼というものへの偏見が強い依頼人で、対応で少し疲れていた。ドラルクのことも、俺が使役する動物のような言い方をするので、内心腹が立ってもいた。一番苛立ったのは、強く言い返さず、やんわりと否定するのみだった自分に対してだが。
 あいつは、……あいつらはそんなんじゃない、とそればかりが胸の中でぐるぐるぐるぐると回って気持ちが悪かった。

 事務所への道をとぼとぼと歩く。……腹が減った。夜食はなんだろう。彩りも鮮やかな料理への期待は、ほんの少し足を軽くしてくれた。本当に本当に悔しいのだが飯は美味いのだ、あの砂。

「あれ」
 ところが帰ってみれば事務所のドアが開かない。鍵がかかっている。つまり、少なくともドラルクは部屋にいないことになる。……なんだよ、出かけてんのか。スマホを取り出してみたが、今から帰ると送った俺のメッセージに既読がついているだけで、ドラルクからの返信はない。
 軽く息をつき、大仏君キーホルダーのついた鍵を取り出す。そうしながら、口がへの字になっているのを自覚する。どうして俺はこんなに拗ねた気持ちになっているのだろう。……腹が減っている、せいだ。連絡くらい寄こせっての。居ないなら居ないでヴァミマにでも寄ったのに。

「ただいま」
 リビングは、やはりシンとして――
「帰ったか」
「ん。ただいま、デメキン」
 返事があった。それだけで、気分が浮上する。俺、単純。
「同胞と使い魔から伝言だ。『屋上へ来い。可及的速やかに』だそうだ」
……あ?」

 ……仕方ないのでまた階段を上る。腹が! 減ってる! んだが!?
 屋上に続くアルミのドア。その前に立った途端、反対側からドアが引き開けられた。
「遅い!」
 弾んだ声と共に、俺を出迎えたのは、満面の笑みのドラ公とその腕に抱かれたジョンだ。ドアノブに伸ばしかけていた俺の手が空を切る。
「ほらほら早く」「ヌヌヌ!」
 何の用だと問うよりも先に、半端に差し出していた手を掴まれ連れ出される。ぶわりと全身を包む熱に怯んで一瞬立ち止まったが、ほら! とまた強く手を引かれて、そのたった一歩で目の前が一気にひらけた。

 空、そして
「見たまえ!」「ヌヌ!」
夜空にそびえる、入道雲。
 シンヨコの街の灯りとビルの向こう。見上げる高さの、見事な入道雲だ。もくもくと立ち上がった姿は、その白に夜の色を映して、青い稲光を抱えていた。閃光、閃光、ほら、また。
 言葉がでない。初めて、見た。

「夜には見たこと無かったのじゃないかと思いだしてな」
 掲示板のチラシの隅。太陽と海と雲の素朴なイラスト。去年の夏、確かにそんな話をした。
「どうかね、夜の雲だって美しいだろう」
 ふふん、と得意げな声。お前はなんにもしてねぇだろ。
……うん」
 しかし答える俺の声は、ぐずりと水っぽく崩れていた。街の明かりも入道雲も潤んで滲んで、溢れたもので頬が濡れる。当然気づいたのだろう隣の気配は口を開きかけて、……何も言わなかった。何も。黙って、手を離さずに、ただ黙って。
 ああ、こいつのこういうところが、本当に、俺は。

 これは疲れていたからだ。腹も減ってたし。それで、自然現象の壮大さに不意をつかれたから。
 でも一番は。
 綺麗なものを俺に見せたいと思ってくれた人たちが側にいる。手を引いて、ほら、と言ってくれる人が。それがこんなに、……こんなにも。

 骨ばっかりの手の温度を。次々に返ってくる、おかえりの声の優しさを。
 知らなかった頃にはもう戻れないと悟った、二度目の夏だった。

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