柳堂知羽@一次創作
2024-09-19 07:51:57
7590文字
Public ⬛︎みえナい
 

やっぱり今日もみえナい【サンプル:通販あります】

見えない世界を追う青年ハヤテ。彼を見守るのは、人ならざる男トラ。好奇心が導く怪異の入口で、二人の奇妙なバディが動き出す。



季節は覚えていない。暑かったような、寒かったような。最近は屋根のある場所で眠る日が続いているからか、それとも自然の少ない街で暮らすようになったからか、てんで季節に疎くなった。
ただ、トラは一つだけ覚えていることがある。この時はギャンブルで負けが続き、少しばかりやばいニンゲンらと殴り合いをしていた、ということだ。高額レートの牌を使ったギャンブルより、堅実に馬の競争の方が安全だったか、と今でも考えることがある。とはいえ、馬はトラにとってコワイ奴らなので、できるだけ最終手段にしておきたいのだ。
派手なシャツを着た有象無象らは、何度も殴って投げ飛ばしてもしつこく追いかけてくる。それこそ、そこら辺にガラの悪いニンゲンが溢れて蜂の巣をつついたような騒ぎが連日続くと、流石のトラもイライラしてくる。命を取られる心配は一切していない。ニンゲン如きがトラの命を奪うことなぞできない。だが、顔周辺を飛び回る虫というのは煩わしいものであろう。仕方ないから狢に習った技でも使い、葉を金に換えてあいつらの顔に叩きつけてやろうか。そんなことを考えていた時だったことはトラも覚えている。でもやっぱり、暑い時期だったかそうでなかったかは覚えていないのだ。
「インナーカラー、めっちゃ綺麗ですね!」
今日もこの店ではテーブル席に着くことはできない。そもそも、あそこに座るとアレらと対峙することになるので、それは御免被りたい。ゆらゆらとゆらめくあれらを相手にするのは、よほど暇な時にしかやりたくない。ただでさえニンゲン相手に大立ち回りを繰り広げる日々を過ごしているのだ。これ以上の面倒ごとは避けたい。故にトラはこの店でいつも立ち飲みであっても、特に気にすることはないのだ。
それに立ち飲み席の方が壁に設置されているテレビに近くなる。そこには大将の気まぐれや流行によってスポーツやドラマなどがいつも映し出されており、それらを特等席で眺めつつ酒を飲むことができるのはなかなかに楽しい。ニンゲンという生き物はいつの時代でもどうしようもないのに、生み出すものは酷く興味がそそられる。暇つぶしにはちょうどいいコンテンツを眺めつつ、その日も酒を飲んで憂さ晴らしをしようとした。
――そうしたら、トラの隣でうきうきとビールを飲んでいたニンゲンが唐突にでかい声でトラを褒めてきたのだ。
「髪さらっさらだし、真っ直ぐだしいいなあ。俺、すんごい髪がふわふわで梅雨とか酷くて……あ、光の加減で地毛?が緑っぽく見えるのがかっこいい!」
トラはこの時点ではげんなりを通り越して、隣のニンゲンの存在を何とかしていないものとしようとしていた。随分と安っぽい口説き文句すぎたのだ。面白みもクソもない話を聞いていても暇つぶしにもなりはしない。(今であれば分かる。青年のこのセリフは感激のあまり胸にある言葉をただそのまま口にしている、と。)
ニンゲンという生き物は今も昔も見目が良いというだけで褒め称える。昔むかしにどこぞの商家で見せびらかされていた掛軸やら壺なんかを思い出して、トラはどうしても苦虫を嚙み潰したような顔になってしまう。もとより、そこまでお綺麗な育ちをしていないという自覚があるからこそ、表面だけを見た賞賛の言葉ほどトラにとって上滑りを感じるものはない。だから無視をしようと思った。それに、トラが無視をしても、この店の他の者たちがニンゲンを放っておくわけがない。実際、隣のニンゲンへ値踏みをするような視線が降り注いでいる。
きっとそのうち、誰かがこのニンゲンをどこかへ連れていく。そうして二度とこの世界で出会うことはない。この店に人間が一度足を踏み入れたら二度と生きては帰れない。故にこんな場所に迷い込んできてしまった不幸をさっさと嘆いて、異国の神様とやらに赦しを乞うべきだ。
「爪も綺麗に塗ってるなあ。やっぱ俺も爪に気を遣った方がいいかな。だめだ、バイト的に無理だ。それにまずは髪を染めないとなあ。またプリンって言われる……そうだ、卵を買って帰らなきゃ」
トラが反応しないのに、ぺらぺらと喋り続けるのもお約束だ。褒め続ければいつか反応するだろう、と安直な手を使い続けるのがニンゲンの、特にオスである。だからまともなメスが振り向かないんだ、とトラが口にすることはない。過去にそれを口にしてえらい目に遭ったことを覚えている。そうだ、ニンゲンは図星を突かれると異様なまでに攻撃的になる生き物でもあるのだ。
とはいえ、このニンゲンもいずれ諦めるだろう。トラがニンゲンの、しかもオスに反応することなんてない。これが可愛らしいメスであれば話は別である。むしろメスであればこの店に入ってきた瞬間にトラから声を掛けて、最終的にどこかにお泊りをしに行くのが常であった。
大将がにやにやしながら隣の男に酒とつまみを持ってくる気配を無視し、トラはきゅうりをつまむ。この店の大将はいけ好かないが、出てくる飯は相も変わらず美味い。
トラは特段美食家でもなんでもない。故に毎日美味いものを食べなくても問題ないし、何を食ベても生きていけるとも思っている。それこそ、先の大戦の時や飢饉の時には、大きな声では言えないようなものも食べていた。生きるためには食べるしかない。食べるものがなければ見つけるしかない。味なんて二の次だ。生命維持に必要な食べられる物であれば、トラにとって何の問題もないのだ。
トラは昔から死ぬのは嫌だった。死にたくはなかった。だからこそ食べるのだ。生きるために、生き抜くために。それこそ、あいつに出会う前からずっと。生きるために、食べていた。
「あ、あの!よければこれ、半分食べてくれませんか?」
――いい加減、五月蠅いし、しつこい。ナンパならテーブル席にいる蜃気楼相手にやれ。
そう言って睨みつけてやろうと、この時トラは初めて横にいるニンゲンの方に顔を向けた。頭をガンと殴られたような衝撃を覚えた。目を見開いた。息を短く吸った。声が漏れそうになった。何かを言葉にするところだった。
そこにいるニンゲンは、少しばかり困ったように眉を下げてトラを見上げていた。