【逆さの天国】Ⅱ

『B'ASH』現行未通過×

アマリン
※宗教パロ

あれからすぐ、リンはアマヤメに家の中を案内された。一人用の質素な寝室、客人用らしい個室、レトロな石造りのキッチン、長机に椅子が四つ並んだダイニング、リビングには布が一枚敷かれたロッキングチェア、魔力可動式のトイレと風呂、外には小さな倉庫もある。アマヤメは普段、近くで採れる果実を食材に生活しているらしい。小麦粉や砂糖などを外から買ってくることはあるが、肉や魚はあまり食べないのだそうだ。

一人暮らしには十分な設備、しかし同時に違和感もある。付近も軽く案内されたが、広がるのは鬱蒼とした森だけ。森を出るには半日が必要、更に人里へはまた時間がかかる。少し歩けば小川があるらしいが、お世辞にも良い地形とは言えない。何故彼はこんなところに住んでいるのだろうか。

数日生活しても、そう問いかける勇気は出なかったのだが。


一人用のベッド、丸い机と小さな椅子、空っぽの小棚、魔力装填式のカンテラ、服を入れる蓋式のチェスト、今は閉められているガラス窓。平凡でありきたり、けれど温かい質感を宿した部屋。ここしばらく自分が暮らしている場所を眺め、リンは小さくうむむと唸る。

ここは、あまりにも自分に都合が良すぎる環境だ。用意された部屋は居心地良く、周囲から探りをいれてくる存在もいない。訪れる人も、アマヤメ曰く年に一度あれば良いほどには少ないらしい。外から必要なものなどは、宿主自身がその足で買ってくる。なによりその宿主は自分を天使だと思っており、必要以上に干渉してこないのが決定的だ。堕天使の自分が落ち着く場所を提供されるこの状況を、そう簡単に手放すわけにはいかない。

しかし、しかしだ。自分は地獄へ向かうという目的がある。ここで踏みとどまっているわけにはいかない。地獄へ行くには、そこへ通じる穴を知っている悪魔、もしくは堕天使を探すのが一番だろう。この場所から離れず、彼彼女らを探すのは難しい。さて、どう動くべきか。


コンコン。控えめなノック音で、思考が現実に戻る。小さく返事をすれば、予想通りアマヤメが「失礼します」の一言と共に入室する。彼は毎朝、決まった時間にこうして朝食を届けてくれるのだ。


「おはようございます、ホノスソ様」

「はい、おはようございます、ノノバナさん」

「先日はリンゴが安かったので、アップルパイを焼いてみました。お口に合えばいいのですが」

「わぁ! すっごく美味しそうです!」


思わず告げた言葉に、偽りはない。こんがり焼けた生地と芳醇なリンゴの香りは、店頭のものにも負けない魅力を宿している。編み込みも美しく、切れ込みからは溶け切らず残った果肉も輝いて見える。素直な感想に、アマヤメは嬉しそうな雰囲気を纏わせる。


「あ、あの! よかったら、その、今日は……一緒に食べませんか? あ! いや、ノノバナさんの都合が良ければですけど!」

「いいんですか? 天使様と同じ食卓を囲めるなんて光栄です」

あ、あはは……


アマヤメが「天使様」と自分を呼ぶその度、明確に騙していることを実感して苦笑いしてしまう。堕天使が人間を欺くことは当然なのだが、どうにも罪悪感が抜けない。


しばらく生活を共にして、彼のことをいくつか知った。一人暮らしが長く、友人や知人と呼べるものが少ないこと。外で使う金銭は自作ジャムを売って得ていること。貯蓄に余裕があるわけではないので、本や玩具などを買うことは無いらしい。また、魔法技術もあまり習得していないようだ。リンの確認できる限り、彼がカンテラに魔力を込める以外に魔法を使っている様子は無かった。

あと表情の種類は少しいや、かなり少ない。先程の嬉しそうな雰囲気を纏った時も、微笑むなどの動きは全く無かった。感情もそれほど豊かなわけではなく、非常に落ち着いた青年だ。年齢は聴いていないが、見た目から二十代前半辺りだと思っている。


楽しそうに朝食を机上に並べるアマヤメの動きは、とても素早くまた的確だ。彼の手際の良さは、数日見ていただけでも理解できる。料理、家事、整頓も非常に効率がいい。こんなことを考えている間には、既に取り分けと準備が完璧に済まされている。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます


切り分けられたアップルパイを受け取り、席に座る。アマヤメも対面に座り、手を組んで神へ感謝の祈りを捧げる。本心では全くそんなこと考えないが、リンも手を組む。神の作ったこの世界に生まれたからには当たり前の信仰心を、彼は当たり前に持っている。そこに驚きはない。

祈祷の時間が終われば、アマヤメはアップルパイを食べ始める。大きな口で頬張って、味を確かめながら満足そうに頷く。それに倣い、リンも小さく切りパクリと口に含む。舌に乗った甘みと、僅かに残ったリンゴのシャリシャリ感がたまらない。アマヤメの料理は、天使時代に食べた物よりも美味しく感じる。ごくりと飲み込んでから、リンは頬を片手で支えて笑う。


「美味しいです! やっぱりノノバナさんは、料理が上手ですね!」

「本当ですか? 嬉しいです。次はシナモンも混ぜてみようか考えているんですが、ホノスソ様はシナモン大丈夫ですか?」

「うーん、あんまり食べたことないですね……でも、ノノバナさんの料理なら何でも食べられそうです」

「ありがとうございます、とても励みになります」


よくある、何処にでも転がっていそうな日常。リンはそれに甘えながらも、それを良しとはしていない。自分の目的は『地獄へ向かう』ことで、平穏を享受することではないのだ。アマヤメには悪いが、そう遠くない内にここを出なければならない。ならない、のだが。


「ああ、傷の具合はどうですか? 火傷の疼きなども

「えっ、あ、その、大丈夫ですよ! そのへんは自分で管理できてます! ご心配なく!」

「そうですか。早く天上に戻れるといいですね」


そう、自分は今、飛翔ができない。これは肉体維持の栄養が足りないというわけではなく、飛翔に使う魔力が不足しているのだ。一度スッカラカンになった魔力は、自己回復機能が落ちる。そのことはアマヤメも理解しているらしく、夜寝る前にカンテラを通して魔力を分けてくれている。それでも本調子に戻るには、少なくとも一ヶ月は必要とするだろう。


「自分にもっと魔力があれば良かったんですが……魔法の分野は得意ではなくて。教会なども近くに無いですし、ここで療養してもらう他なくて」

「いっ、いいえ! こうして生活させてくれてるだけでありがたいですよ! ホント、その、教会とかに戻るほどでもないので!! ホントに!!」

「そう言ってもらえると助かります」


教会関係者が自分を見れば、すぐに堕天使であることがバレてしまう。それどころか、滅殺される危険性もある。それはマズい、非常にマズい。故にリンは、必死になって誤魔化すのだ。アマヤメはそれに気付いた様子もなく、リンのコップにジュースを注ぐ。

そんなことを話しながら、日々は進む。後退も進展もなく、ただ時間はゆるやかに過ぎていった。