降り立った世界は色彩に溢れていた。
「
マーレ、マーレ、マーレ。この麗かな海よ」
エメラルドグリーンの海を見て、サーヴァンタスが謳う。
透明なアクリル窓を隔てた外には青い空と緑の海が広がっている。
「見たまえ、メイナード。海が華やいでいる」
鴎が行き交う青翠の海は確かに華やいでいた。
僕達は今、南洋の海を思わせるような透き通った海の上をホバークラフトで進んでいる。
僕は今、バベルの図書館がある惑星アレフの海の上に居る。
生まれて初めて見た海の上に居る。
「海なんて初めて見ました!」
「本星では海洋は人工地盤の下だったね。海は広くて美しいだろう?」
「ハイ!綺麗です!」
初めて見る海は綺麗で、面白い。
何処までも続いている水溜りが何の力の影響か常にうねりを上げて動いている。
年甲斐もなく心がワクワクしてしまう。
僕はアクリル窓に頬をくっつけて地平を覗く。
地平の向こうに細く長い柱が何本も光っているのが見えた。
「あれが図書館ですか?」
“バベルの塔”さながらですね。
と僕が言うと、隣に座るサーヴァンタスが窓の外を一瞥して、ああと納得して言った。
「あれはバベルの採光システムだ。バベルはあの柱の下にある」
「海の下にあるんですね」
「セキュリティの関係でね。海中にあった方が都合がいいんだ」
『こちら、ルシファー2“ドルネシア”。お迎えに上がりました』
ホバー船のスピーカーから女性の声が聞こえる。
サーヴァンタスがこめかみに指を当てて通信に答える。
「“ドル”お迎えご苦労様。座標をそちらに送信した。回収を頼む」
『イエス、“サー”』
船がその場で止まる。
しばらくすると、船がぐわんと大きく揺れた。
水面から黒い壁が迫り上がる。
瞬く間に海は見えなくなり、僕の乗るボバー船は何かに飲み込まれてしまった。
海水が抜けて、周りの黒い壁がまた下へと下がっていく。
「メイナード、船を降りるよ」
「は、はい!」
サーヴァンタスの後ろに付いて、船を降りる。
広い海洋の広がる世界とはうって変わって、今は四方が壁に囲まれている。
縦横50メートルはあるだろう巨大な空間に、ACが数機と整備用であろうMTが十数機。
床や壁には整備用のコードやら機材が置かれ、天上にはACを吊り上げるクレーンがぶら下がっている。
ここは“ドック”のようだ。
ドッグの中央、船の搭乗口の前にはサングラスと白杖を持った、軍服姿の黒人の女性が一人待っていた。
「お帰りなさいませ、“サー”」
「ただいま、“ドル”」
「新人は何処に居ますか?」
「僕の後ろに居るよ」
サーヴァンタスが言うと、女性は耳をこちらに向ける。
「目が見えませんので、サングラスを付けたままで失礼します。私は“ルシファー2”ドルネシア、貴方の先輩になります。どうぞよろしく」
女性が白杖を持つ手と反対の手を差し出す。
僕はその手を握る。
「“ヴェスパー4”メイナードです。元ですけど」
「元ヴェスパー4、メイナードですね。どうぞよろしく」
人工的なシリコンの肌触りがする。なるほど、彼女も強化人間だ。
「挨拶はそこまでにして、“オフィス”へ行こう。ドル、私の部屋は持ってきたかい?」
「ええ、言われた通りに。どうぞこちらへ」
白杖で地面をなぞりながら、ドルネシアが軽快に歩き出す。
目が見えないと思えない速度だ。
思いの外早い足並みに僕は歩幅を合わせて付いていく。
「バベルに着く前にできることをしたくてね、僕の仕事部屋を持ってきて貰ったんだ」
ドルネシアがドックの扉を開く。
そこはさっきまでのドックの無骨さが嘘かと思うほどに有機的な曲線のデザインで満ちていた。窓枠には蔦のようなフレームが使われており、部屋のソファーも机もデスクも全てナラ木のアール・ヌーヴォー様式の家具で統一されている。
壁は全て葡萄の彫刻が彫られた本棚で埋め尽くされていて、壮観だ。
この部屋一つだけでも図書館のようだ。
「ようこそ、私のオフィスに。そこに座ってくれ」
僕は促されるままに赤のベルベットが張られたソファーに腰を下ろす。
僕を案内してくれたドルネシアは入り口とは反対側の大きな窓の横に立っている。
窓の外では魚が泳いでいる。
不思議な光景だ。
「このコードを君のプラグに刺してくれ」
サーヴァンタスの方はソファーの横にしゃがんで肘置きからコードをひっぱり出している。
どうやらこのソファーにはデバイスが収納されているみたいだ。
これも不思議だ。
僕は彼に渡されたコードのコネクタを首のプラグに差し込む。
僕の脳にアプリがダウンロードされる。
「君の脳を“スネフ”に同期させた。アプリを開きたまえ」
サーヴァンタスに言われるまま、僕はアプリを開く。
僕の視界の片隅に六角形のアバターが表示される。
それ以外にはなんの変化も無い。
「アプリは開けたかい?」
サーヴァンタスが僕に尋ねる。
「ええ、開けはしましたけど
……」
この後どうすればいいのか、まるっきりわからない。
「このアプリってどう使えば良いんですか?」
「ああ、それはだね
……こう使えば良い」
サーヴァンタスが背後ににじり寄って僕の耳元に口を近づける。
僕は思わず身構える。
彼の息が耳に当たる。
距離が近い。
「スネフ、起きなさい」
サーヴァンタスの低く張った声が鼓膜を揺さぶる。
目の隅にあった六角形は白くなり“おはようございます”と文字列を表示した。
「この子の名前はスネフ、バベルのデータベース管理AIにして、私達司書の良き友だ。寡黙だがなんでも知っている。メイナード、挨拶したまえ」
「あ、は、初めまして、スネフ」
僕が挨拶するとスネフはクルクルと回り“初めまして、メイナード”と定型文を表示させる。
「スネフはなんでも知っている。“『博物誌』の第七巻の第二十四章の第一節”も“1882年4月30日の明け方の南の雲の形”さえも正確に答えられる。だが、彼は覚えていることを諳んじるだけで、物事のを結びつけることが出来ない。君の仕事は、これからされるであろう質問とスネフ持ってい答えの間に“過程”を作ることだ」
「過程を、ですか?」
僕はサーヴァンタスに尋ねる。
彼の言っていることがイマイチ理解出来ない。
質問と答えの間に過程を作るとはどういうことなのだろうか?
「釈然としてない顔をしてるね。わからないのなら質問をしなさい。それが君の仕事だ」
僕の背後に立っていた彼が立ち上がり、ぐるりと回り込んで僕の対角線にあるソファーに座る。
「質問と答えの間に過程を作るとは、どういうことでしょうか
……?」
僕の質問に対して、彼が腕組んで、唇に手を当てて思案する。
「そうだな
……君は万物の答えを聞いて42と返ってきた時、戸惑わないかね?」
彼の返答を聞いて僕はようやく腑に落ちた。
“42”とは銀河ヒッチハイク・ガイドの作中に出てくる、『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え』という質問に対してスーパーコンピュータ『ディープ・ソート』が返した答えだ。
ディープ・ソートが導き出した意味不明な答えに、宇宙で2番目に賢い生物であるハツカネズミ達は混乱して、『過程』を見つける為に生命体を取り込んだコンピューター『地球』が建造する。
つまり、僕は意味不明な質問と回答の間を考えて意味の通る話にする為に呼ばれたと言うことか。
「理解したようだね。君は私の話を理解してくれるから助かるよ。君の先輩方は説明しても中々理解してくれなかった」
「光栄、です
……」
小説のネタを知っている前提で話をしたら、分かってくれないでしょうね。
口から出かけたけども、褒められたのでその言葉はごくんと飲み込む。
「他にも仕事はあるが、まずはこの仕事を覚えてもらおう。仕事を覚えるのは実践が一番だ」
部屋がガクンと揺れる。
窓を再び見ると、巨大なアームがこの部屋を掴んでいた。
部屋が振動しながら、ゆっくりと動く。
「バベルに着いたようだ。この部屋がバベルに接続される前に話を終わらせよう。君に一つ課題を与える」
「いきなり、仕事ですか?」
「大丈夫、私がついている」
全然大丈夫じゃない。
さっきの説明、全然説明になってなかったじゃないか。
口に出したい欲望を脳内で説得して、無理やり落ち着かせる。
この人は偉い人だ。
つっこんじゃいけない、メイナード。
サーヴァンタスがこめかみに指を当てて、前にスライドさせる。
視界に人物の顔写真と名前が展開される。
鼻筋の通ったウルフカットの男。
そいつはヴェスパーのジャケットを羽織っている。
「早速だが君にこの人物の情報を集めてほしい」
“ヴェスパー4 ラスティ”
プロフィールにはそう書かれていた。
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