青果
2024-08-24 10:57:10
12266文字
Public
 

【サンプル】青い実のジャムは渋く、祝福

『青い実のジャムは渋く、祝福』
九龍妖魔學園紀:皆守と葉佩 / 文庫 / 全年齢 / 150ページ以上予定 /900円(通頒)
2024/8/24・25 ジュヴFES2『彷徨書房』にて頒布予定の前半サンプルです。
※9/4以降順次発送予定

左右を決する描写・示唆する表現はありません。

通頒:https://prim-caca.booth.pm/

・皆守と葉佩の【愛】と苦しみ

・サンプルは読みやすいように改行がありますが、本では詰まっています
・葉佩とは最終的に愛情値優位、Aスキル・Pスキルマックスを想定



 一年のうち、九月は一度しか来ない。それは当然のことのはずだが、自分は今まで九月を十七回、いまを含めて十八回しか経験していないと思うと、違和感がある。九月という中途半端な季節を、自分はもっと過ごしたことがあるような気がする。正月も桜も梅雨も夏休みも、まだたった十八回程度しか経験していないらしい。

 天香學園に来てから、夏休みというのは単純に登校しなくていいだけの日の集まりでしかなかった。授業に出ないという選択をしたときのほんのわずかな精神の重りがない、というだけの一ヶ月半だった。ここは、世間から隔離された薄暗い町だ。
 だから、皆守にとっての九月というのは世間の高校生ほど苦しい月ではなかった。夏休みに華々しさは一切ないから、過ぎ去ったところで感情が動かない。夜には秋風が吹くものの、昼間はじりじりと暑い。蝉は少なくなった代わりに、こおろぎやアオマツムシがうるさい。そういう月でしかなかった。

 皆守は、横たわるセメントから振動を感じた。誰かが屋上にあがってきたらしい。薄く目を開け、薄く雲のかかった空を見た。太陽が幸い、雲にかかっている。

 まどろみの頭に、八千穂の声が明るく響いた。それに応える声は男のものだが、さすがに距離があってよく聞き取れない。男の低い声は、距離があると沈みこんでしまいがちだ。
 何を話しているかは分からなくても、男が何であるかは、皆守には見当がついた。転校生か、と思った。そう思いながら、片手でアロマパイプを突っ込んでいるはずのポケットを探る。目当てのものはすぐに見つかった。口にくわえて火をつけようとしたが、振動が近づいてくることに気付く。
 屋上から學園内を見渡して、八千穂があれこれコメントをつけているらしい。

 まあ、かまわない。皆守はアロマパイプに火をつけた。日に燻されてなお灰の気配を遠ざける香りを、喉から吸い込む。血液に染みこむ成分もないのに、全身に行き渡るような感覚があった。ラベンダーが体内に充満する。乾かしたラベンダーが燻される。決して手放しにいい香りとはいえない。複雑に絡む、花と灰の匂いだ。甘くもなく、爽やかでもない。浮き立つようなものでもなく、目がさめるようなものでもない。どちらかといえば苦味と渋さがある。だが、吸い込んだときに溺れられるだけの強さがあった。

「墓地があるの、ちょっと怖いよねッ。そう思わない?」
……え? ああ、墓地が? はは、おれが通ってた学校も、裏に墓地があったよ。寺があったからだけど」
「エエッ、怖くなかった?」
「低学年のころは、墓地が見える教室が怖かった覚えがあるけど、それ以降は景色の一部だったな。でも、明るい気分になるようなものではないしね。八千穂さんの気持ちも分かる」

 何の害もない雑談だったが、皆守は警戒心を強めた。八千穂の集中力はほとんど転校生に向いているが、転校生はそうではない、ということがありありと分かる話し方だった。転校生は、周囲を気にしている。
 確かに、転校生の目線から考えるなら、物慣れない學園、しかも全寮制の高校なら周囲に気も遣うだろう。どこに何があるか、早く覚えなければと注目もする。
 だが、この転校生には緊張感がなかった。新しい環境で緊張しているから周囲を見回っているわけではない。他に目的がある。
 皆守の視界に、転校生と八千穂が映り込んだ。転校生は平均的な男子生徒の体格だが、陸上部の生徒を思わせた。白いシャツから伸びる腕がバネ仕掛けのようだった。鞭や竹みたいな男だ。少なくとも、遊んできた高校生の体躯ではない。

 転校生は空を見上げ、目線で雲をなぞった。そして、動きのスピードも角度も注視する時間も何も変更しないまま、彼は正確に皆守を見た。
 周りをちらちらと見ていたから皆守に気付いたのではなく、最初から皆守がそこにいることを知っていたかのような動きだった。
 皆守は息を詰め、パイプをくちびるから離した。彼の目を見返す。言うべきことがあったはずだが、口から出てこない。

 転校生の目はゆるやかに皆守を捉え、ゆっくりとまばたきをした。彼の頭上に太陽があり、初秋の光を投げかける。秋雲は今も薄く空を覆っているおかげで、その光はとげとげしい直線ではなく、細くかほそい線の束だった。

 皆守が黙っているうちに、転校生のほうが片手を挙げた。その手は肩の高さで止まり、挨拶なのだ、と分かる。

「ずっとここに? 暑いでしょう」

 彼の言葉は自分に向けられたものだ、と皆守が理解するのに時間がかかった。

……昼寝してただけだ。そこにお前らが来てぎゃいぎゃいと……うるさくて寝られやしない」
「皆守クン! 朝からずーっといないんだから! 葉佩クンの自己紹介も聞いてないでしょ、はい、うちのクラスに来た転校生の葉佩九龍クンだよ」
「あァ、そうかよ。たかだか転校生ってだけで盛り上がりやがって」
「もう! あ、葉佩クン、こっちは皆守甲太郎クンだよ。あたしたちとおんなじクラス!」

 転校生との仲を取り持とうとしているらしい八千穂を振り払うのも受け入れるのも選べずに、皆守は横を向いてアロマパイプの煙を吐いた。細く、長く息を吐き出す。長ければ長いだけ、何も言わなくて済んだ。
 煙が途切れたころ、「皆守?」と声を掛けられた。男の声だった。皆守がちらと視線を戻すと、転校生はこちらを見ている。

……なんだよ」
「いえ、……
「葉佩クン、きっと皆守クンが煙草吸ってるからビックリしてるんだよ」
「あのな、こいつは煙草じゃない。アロマだ。いわゆる、精神安定剤だよ。覚えたか?」

 アロマパイプを転校生の鼻先につきつけると、彼は怯んだように瞳を揺らした。
 なんだ、びびりか。
 新しい人間関係の閉鎖空間に放り込まれた転校生を怖がらせたいわけではない。皆守はパイプを引っ込めて、「じゃあな」と一声残して歩き出そうとした。この場に自分が留まったとして、できることは何もなかった。學園内を案内するのは、いまは八千穂が任されている。授業について語るほど皆守は偉い立場ではない。
 だが、皆守が言うべきことはひとつあった。

「おい、転校生」

 転校生に目線を向けると、彼はこちらを見ていた。薄いまぶたの下にある瞳は、正確に皆守の目に揃っていた。さっきまで皆守に怯えていたようだったのに、随分と真っ直ぐだった。たじろぎかけたが、皆守は言わなければならない言葉を続けた。

「《生徒会》の連中には、目を付けられないようにしろ。これは忠告だ」

 彼は目尻を下げた。冷たげな物言いを責められているような気がして、皆守は舌打ちをして彼らに背を向けた。余計なことをするんじゃなかった。

「ありがとう」

 去ろうとした皆守の背中にその言葉が投げかけられた。予想していない返答だったので、皆守はもうどんな声色だったのかすぐに忘れてしまった。
 振り返って会話を続ける気にはなれなかった。
 皆守はそのまま歩き続けて、屋上を出た。扉が完全に閉まるときまで、皆守は自分の警戒心のネットを狭めなかった。屋上の隅から隅までが皆守の警戒範囲で、カラスが一羽飛び立ったとしても気付けた。転校生と八千穂は皆守の背後で会話を続けていたが、転校生は動かなかった。八千穂は身振り手振りで動いたのに、転校生は動かなかった。

 あのやわな眉の弧で、皆守の背を追い続けた。

 腰抜けのくせをして、と思うが、腰抜けだからこそ敏感なのだろうか。皆守の強い警戒心と向こうの警戒心が拮抗して、火花の匂いを勘づいたのかもしれない。
 あいつを、注意しておかなければならないのだろうか。
 皆守は自ら距離をおいた職務の記憶を引き寄せたが、記憶が放つ生臭な匂いのせいですぐに手を離した。

 俺が知るか。

 皆守は一段一段、階段を降りながらアロマパイプをくわえ、火を付けた。





「皆守」

 と呼んで近寄ってきたのは、向こうからだった。もっとも、転校生を放っていていいのか判断がつかず、ぐらぐらしているのも気持ちが悪くなって午後の授業に顔を出したのは皆守のほうだ。

……おう」

 想定外の展開に、皆守はそんなことを言った。傍らに立っている転校生は、皆守の気のない返事を聞いてほほえみを零す。

「男子寮までの道までは、八千穂さんに聞いてないんです。あなたは部活、入ってないんでしょう」
……あァ、いいぜ。それより、なんでお前敬語なんだよ。八千穂には普通に話してただろ」
「八千穂さんは、こういうの嫌がりそうでしょ」
「俺が嫌がるとは思わなかったわけか?」
「えっ、嫌だったんですか」

 彼は大げさに目を見開き、一歩を後ずさった。面白くなってしまって、皆守が笑う。

「別に、好きにしろよ。そんなこたいい。早く行くぞ。校則で、生徒は放課後になれば速やかに校舎から出なければならないことになっている」

 薄いパンのようになっている鞄を引き摺るようにして、皆守は教室を出た。転校生は、横に並ぶ。

 九月下旬ともなると、夕方の風は夜の気配がある。蒸し暑さをそのまま風にしたかのような真夏の風は、もうどこかに行ってしまった。花期の長いさるすべりも、もう花をつけていない。何度も新たな花をつけた朝顔も、次の仕事を始めている。

 隣に並ぶと、転校生は同年代の平均よりか肩が厚かった。相応の動きを重ねてきた人間の肉だった。
 皆守は気付いたことに蓋をした。運動部だったのか、とも聞かなかった。もし、そうでないと返されたら、自分はまた新たな判断を迫られる。転校生相手には、全部あいまいにしておくくらいがちょうどいい。

「何か、気がかりなことがありますか?」

 横から聞かれた。顔に出したつもりはなかった。

「別に。そういうんじゃない。……お前こそ、俺でよかったのかよ」
「何がですか。男子寮まで案内してもらうのにってこと?」

 皆守は頷いて返した。何がおかしかったのか、転校生は笑う。

「なんだよ。すぐにケラケラ笑いやがって」
「楽しくて。……ほら、次の角はどっちですか?」
……真っ直ぐ」

 結局、何が楽しいのかを話さない。つかみ所のない男だ、と思った。だが、隣にいる男が軽やかに、気楽そうに歩いて笑っているのは存外、悪い気分ではなかった。





 葉佩九龍というのは、気楽そうな男だった。よく笑うし、急ぐことも焦ることもしていない。動きがゆったりとしていて、余裕があるのだが無駄はない。鷹揚としているといえば聞こえがいいが、要はぼんやりしているように見えるのだ。

 こんな男が墓地の侵入者か、と思うと皆守は気分が悪い。だが、一フロア、後ろについて歩くことでこの男がただのんびりしているだけではないとさすがに気付く。
 化人というのは怪物に近いが、だとしても図体が大きい。羽虫を殺すことには顔色を変えない人間でも、雀を殺すのはショックだろう。一番小さい化人でも、子猫程度の大きさはある。葉佩は、これらを殺すことにためらいがなかった。
 銃火器に扱いに慣れているというだけでは済まない。

 こいつは殺生に慣れている。

 同じように葉佩の後ろについて歩いた八千穂は、葉佩が振り回す銃火器に意識を持って行かれていた。目の前で起きることを映画のワンシーンかのように見ていて、アクションシーンに興奮する少女だった。皆守には、それを責める気はない。自分はそうなれなかったというだけのことだ。
 目を伏せて、アロマパイプをくわえる。火を付けないままで、パイプのふちを舌先で舐めた。

「お待たせいたしましたァ、カレーライスでございまァす」

 今学期から入ったマミーズの店員は、語尾が明るく跳ねる。思考の中に楽しげなスキップが紛れ込んで集中を乱したが、カレーが届いたのなら文句をつけることもない。皆守はテーブルの上に置いていたジッポを脇に避けた。

「ごゆっくりどうぞォ」

 スプーンを手に取って、ルーとライスをすくって食べる。天香學園に入ってからずっとある、馴染んだ味だ。一般的なカレーとしての深みは充分にあって、香りもある。安心感と共に食べ進めた。
 そうしているうちに、エントランスから客が入ってきた。
 皆守が言えたことではないが、今は授業中のはずだ。授業をふける性悪生徒もまあまあいるもんだな、と思ったが、音は足早にこのテーブルに近づいてくる。

「あ、お待ち合わせだったんですねェ。お水お持ちしまァす」

 顔を上げると、葉佩だった。呼吸が、いつもより少しだけ荒い。

「なんだよ、走ってきたのか? まァいい、座れよ」
……焦りました。皆守が見当たらなくて」
「お前も、やけに殊勝に授業に出るよな。勉強しに来たわけじゃないんだろ」
「ええ、それはまあ……あ、舞草さん。空いてるし、隣にテーブルくっつけてもいいですか?」
「失礼しました、もちろんどうぞォ」
「ありがとうございます」

 葉佩は隣の二人掛けテーブルを引っ張ってきた。もともと、皆守が座っていたテーブルも二人分である。二人で使うなら食事の一皿を注文するくらいではぎゅうぎゅうに詰まることもないだろうが、確かに手狭ではある。
 だが、二人用テーブルを合わせて四人用テーブルにしたあと、葉佩は皆守が座るソファ席に近寄った。

「皆守、ちょっと詰めてくれませんか」
「は? 前行けよ」
「嫌です」
「なんでこんなところで頑固なんだよ。仕方ないな……

 カウンター席でもないのに、と思ったが、皆守は言い合うことに慣れない。何と言えばいいか思いつかず、しぶしぶ、広々と使っていたところを右へ詰めた。
 葉佩はありがとう、と言って皆守の左側に座る。そこではっとして、皆守は反論した。

「葉佩、お前って右利きだよな? 横に並んだら腕がぶつかるだろ、前行け」
「両利きです。こういうときは左使いますよ」

 阻止できなかった。
 まあ、彼の職務を考えれば両利きであることは必須だろう。もし遺跡の真ん中で利き腕に怪我をしたら、帰れなくなるリスクがかなり高い。しかし、両利きであれば防げる。
 皆守は苦虫の代わりに、旨いカレーを口に入れた。やはりこれに限る。
 葉佩も隣でカレーライスを注文した。

「お、お前もカレーか。ファミレスに来たらカレーだよな」

 皆守の左側で、葉佩が笑って「真横だから、カレーのいい香りがするんです。ああ、腹減ったな。ここまで走ったんですよ」と言う。

「大丈夫だって。バレねえよ」

 葉佩の笑い声の背後で、別の男子生徒の声がした。

 午後の授業中のはずだが、マミーズには他にも授業サボりの不良生徒がたむろっていた。店員は教員ではないので、ぶつくさ言いながらも、追い出すことはしない。
 そのうちの一つのグループが、顔を寄せ合って話していた。

「墓地は立ち入り禁止なんだろ。じゃあ、誰もいねえって。てことはだよ、オレらが入っても、誰も見てないってことになんだろ。見てるやつがいて、オレらが墓地入ったのバレたってなったらさ、そいつも校則違反だろっつーの」

 あいつらは、規則には例外がつきものだということを忘れている。例外はいる。
 そういえば、真横にいるこいつに例外の説明をしてやった記憶がない。八千穂が何か教えているだろうか、と考えてみたが、あの能天気な女子生徒がわざわざ神妙にこの學園の特異な原則と例外を教えているところが想像できなかった。
 ちらと横をうかがうと、葉佩はこちらを見ていた。皆守とカレーとを一度に視界に映している目だ。よほど空腹らしい。

「ぼうっとしてないで、おれがスプーン突っ込む前に食べたほうがいいですよ」
……おう」

 同じテーブルに誰かがいる状態で食事をしたことが久しぶりで、話す時間と食べる時間の配分がつかめない。食べてばかりだと沈黙になるのだが、かといって葉佩が話しかけてきても満足に会話はできない。

 皆守のためらいを葉佩は何も気にしていない様子で、他のテーブルの生徒を眺めていた。
 先ほどの不穏な会話を交わしていたテーブルを見ている、と皆守は彼の視線を追って気付く。葉佩も先日、墓地に足を踏み入れている。そればかりか、墓守を斃しすらしている。墓地がどういう場所なのかを他の生徒よりは理解している生徒の目からも、あの会話は気がかりだったということだろう。

 やはり、警戒心の強い男だ、と感じる。先日の墓地でも、敵襲に気付くのが早かった。
 横の葉佩が黙っているのをいいことに、カレーを食べ進める。墓地に潜り込もうとしている生徒たちの会話はすでに流れて、今は教師の悪口で盛り上がっている。墓地への興味も、特別な目的や意思があるものではないに違いない。ただ、決まり切った法則や権力に歯向かいたいだけだ。

 羊が羊飼いを踏み殺したとしても、獣に食われるだけだ。

 カレーを三分の二ほど食べたところで、葉佩の警戒が強まったのを感じた。右手が動き、皆守の前まで伸びてくる。
 皆守も顔を上げた。彼らの前を、西洋人形のような化粧をした少女が、笑い声をたてながら足早に通り抜けた。葉佩が注視しているテーブルの横だった。少女が通り抜けた後のテーブルに、通り抜ける前にはなかったものがある。少女の置き土産に、テーブルに座る生徒たちもすぐに気がついて、にわかに騒然とした。
 葉佩がすぐに立ち上がる。ずっと注視していたテーブルだったのだ。対処するまでの時間が誰より速かった。
 皆守も腰を持ち上げた。だが、前に突き出された葉佩の腕が邪魔で、完全に立ち上がることができない。

「あ、あ、これッ」

 舞草が置き土産を両手に持ち、そこから立ちのぼる煙と焦げ臭さに、顔を引き攣らせた。
 中身の想像はつくかもしれない。けれども、多くの人間にとってそれはフィクションの中のものだ。
 こんなところで、學園で、レストランの中で、出会うようなものだとは考えたこともない。だから、対処法が分からない。

「伏せろッ」

 葉佩が、強い声で叫ぶ。彼の声ではっとして、皆守は右の空いている側へ身体を寄せて立ち上がる。
 この場で、もっとも動けるのは自分であり、もっとも丈夫なのも自分だという自負があった。爆発するものを相手にどうすればいいかは知らない。だが、盾にはなれる。
 横の葉佩の肩を無理矢理に引っ掴む。まずは、今にでも飛び出していきそうなこいつをどうにかしたほうがいいと思った。

 肩を掴まれた葉佩は、想定していたよりも遥かに素早く、皆守に振り返った。

「皆守」

 呆れの混じった顔だった。なんだよその顔は、などと言う余裕はない。

 もう純然たる人間ではない皆守のほうが動けて、皆守のほうが丈夫であることは疑いようがなかったが、いざというときの判断と対処は葉佩に軍配が上がる。
 彼は皆守に肩を掴まれていても、何の影響もないようだった。両手で皆守の頭を引き寄せながら耳を塞ぎ、イスを蹴り倒してその場に倒れ込む。ひどく大きな音になった。
 葉佩の手が皆守の耳を塞いでいたせいで、その後の出来事はほとんど皆守に聞こえなかった。誰かが近づき、動いたことを振動で感じただけだ。いくらかして、遠くで爆発の地響きが届いた。

 皆守の腹の上でうずくまって両耳を強く押さえていた葉佩は、振動が収まるとゆっくりと身を起こした。耳から両手が離れていき、皆守に音が戻ってくる。葉佩が蹴飛ばしたイスが、皆守の頭のそばに転がっていた。

「乱暴にしてしまってすみません。怪我はしていませんか」
「お前、……俺のことなんて放っておけよ。俺の耳なんか気にしてる暇あるなら、自分の耳をどうにかしろ」

 身体を起こして、レストランの床の上に足を投げ出して座ったままそう言った。すでに葉佩は立ち上がっていたが、彼は眉を寄せてもう一度しゃがみ込んだ。テーブルの下で顔を突き合わせる。

「もう、色々考えるの面倒だな。……あのね、おれは皆守にそれを言われると、ちょっと傷つくんですよ」

 言葉だけ見れば丁寧なくせに、不遜な言いぶりだった。

「なんだよ、そりゃ」

 葉佩は皆守の目を見た。電灯の影になって暗かったが、葉佩の瞳は常に光を湛えて見える。
 その目がゆっくりとまばたきをし、言葉を続けた。

「あなたを愛しているんです。それだけですよ」
「な……はァ?」

 素っ頓狂な声が出た。葉佩は思わずと言ったふうに笑う。

「愛しているひと相手に、愛していると言えること以上の幸福なんて、やっぱりそうはありませんね」

 テーブルの下から、葉佩が出て行く。床の上に取り残された皆守は、呆然として葉佩を見上げた。彼は皆守にほほえみだけを残して、店をぐるりと見渡し、「大丈夫ですか」などと言いながら、その場を離れていった。

 皆守はよれよれと立ち上がり、ふらついた足元をテーブルにつかまることで支えた。爆弾の衝撃が残っているのではなく、葉佩の言葉のほうが衝撃だった。
 あいつは何と言ったのか、と自分に問いかけたところで現実が変わることはない。だが、皆守の理解する言葉の意味と、葉佩の意味するところで差異がある可能性は高い。
 いや、どんな違いがあるというんだ。ないだろう。だが、皆守にとっては「愛している」なんて言葉は、会ってまだひと月も経っていない相手に捧げるものではなかった。だが、あの葉佩の声と顔は、からかっているものではなかった。

 だが、だが、だが、といくらでも否定を繰り返していく。

 葉佩が強く押さえた耳が痺れた。
 彼が去って行ったほうを見ると、この騒ぎで飛んできたらしい事務員に絡まれている。混乱した頭のままで会話に参加する気分には到底なれない。代金だけテーブルに残し、皆守はそっとマミーズを離れた。

 爆発騒ぎは向かいの体育館まで聞こえたらしく、野次馬の生徒が様子を覗き見ようとしている。生徒たちの背後から、体育教諭の怒鳴り声がした。






 小学生のころの夏は、もっと涼しかったような覚えがある。ランドセルを背負っていたころ、どんな夏休みを過ごしていたかもう忘れた。九月、約四十日ぶりの登校はどれほどの気温だったか、どんな服装をしていたのか、何を考えていたのか、思い出せない。

 いまのこの晩夏は、いつになったら忘れられるのか、予想が難しい。春も夏も、秋も冬も同じように、いつになったら薄暈けてくれるだろうか。

 先日、皆守に共有された情報はまだ皆守の中で新しく、八千穂の底抜けに明るい声が聞こえたときには思い出していた。新しい転校生か。今回は皆守のクラスに配置される、とも聞き及んでいる。連鎖的に、半年前の転校生のことも頭をよぎった。そのときに教室を吹き抜けていった警察と両親、學園の職員たちの捜索や猜疑の一騒ぎも、新しい記憶だ。
 転校生、というだけで数珠つなぎに過去のことが想起される。皆守は意図的に考えることをやめて、アロマパイプをくわえた。給水塔に後頭部を押しつけ、首を回した。寝違えたというほどでもないが、うたた寝をして長い時間、同じ姿勢でいたので凝り固まった感覚があった。
 八千穂と転校生が何かしらを話しながら、近づいてくる。転校生も八千穂も、皆守に気付いているかどうかは分からなかった。

――うるせェな……

 ぼやくと、八千穂がこちらを振り向く。

――転校生ごときで盛り上がって、おめでたい女だ……

 八千穂の横に立つ転校生も、皆守のことを見た。顔だけでなく、一瞥して頭から足元まで、周囲も一度に確認する目の動きをした。警戒心が強い男だ。

――皆守クン! 朝からずっといないなあって思ってたんだよ!
――俺はここで、俺だけの安息を味わっていただけだ。
――朝から教室に来てないのか。よく、おれが転校生だって分かったな。

 転校生が感心したような声で言うが、警戒心は隠しきれていない。対抗すると、皆守の目端が利くことが知られてしまう。
 皆守はただうっすら笑って、

――あんな大声で學園の案内してりゃあな、察しもつくってもんだ。

 転校生は、眉を上下させた。それだけのアクションで、何も言わない。納得したのかどうなのか、皆守には分からなかった。
 八千穂がやいのやいのと話を続けるので付き合いながら、皆守は転校生のことを仔細に眺めた。背丈は皆守と同程度か、わずかに高いくらいだ。図体が大きい、というわけではないが、肝が据わっているらしく堂々としている。肩が厚めだが、それ以外は強靱な鞭みたいな体躯をしていた。利発ですばしこく、狙ったものは遠くまで撃ち抜けるというタイプだ、と予想した。

 そんな男子高校生は、決して平均的ではない。

 こいつも《転校生》となっていくのか、と思うと喉の奥が苦くなった。皆守が飲み込みきれなかった過去の苦味が、腹の奥で腐敗して悪臭を放っている。
 まだ火が残っているアロマパイプをくちびるのあいだに滑り込ませ、香りを吸い込んだ。灰に混じって、土と草が香る。地に強く張る植物としての誇り高さが、香りになっても残っている。
 適当なことをうそぶいて、屋上から離れた。風通しのいい場所から屋根の下に入ったことで、くわえているパイプからの香りが強くなった。皆守はそれを深く吸い込み、それから、ゆっくりと階段を降りた。