炎安らぐ場所

MHRウ教×ハ♀。両片想い。

ハンターデビューして数ヶ月のハ♀。
初めて火竜狩猟に向かった彼女を襲う危機。



風前ふうぜんの灯火だった生への希望が、命の炎が、彼女の中で猛り始めるのと、ほぼ同じ瞬間。

朽ちた拝殿の周囲をうろついていた火竜が、不意に気配の中に殺気を漲らせ「グオオオオォォン!」と激しく咆哮する。

咆哮の激音に加え、みしみし、と朽ちた柱や天井が鳴り、娘の体がぶるりと震えた。

幸い咆哮の向きは、自分が身を隠す朽ちた拝殿の方向ではない。

何事かと、彼女が再び屋外に視線を向けたが、確認できたのは朽ちた窓枠いっぱいの、深紅の火竜の体鱗たいりんのみ。

恐らく咆哮の向きに、娘とは別で、火竜が獲物と認識する相手が現れたのだろう。

(殺気の向きが、変わった……何がいるの……!?)

疑問が渦巻く中、娘は気配を消し続けることをおろそかにしないよう注意する。

火竜は咆哮の向きに灼熱の火炎玉を吐いたようだが、仕留め損なったのだろう。

大きく翼を広げると、自身が最も得意とする空に舞い上がる。
直後、翼から突風が巻き起こった。

大樹、小樹しょうじゅ問わず薙ぎ倒さんとする強烈な直線の風に晒され、朽ちた拝殿が大きく横に揺れる。

ぎしぎしぎし、と連続して一際ひときわ大きく甲高い、不吉な音を立てた。

(──ッ! お願い、お願いッ! 今は壊れないで!)

祈るような気持ちで、娘が固く目を閉じる。

この場をやり過ごすことができそうな気がして、彼女は希望を掴もうとするように、無意識に両手の拳を握り直した。

暗闇で現状の更なる好転を待つ娘の耳に、音が響く。

突風が舞い上がった刹那、細い糸が張り巡らされるように空気が、とても硬いものが斬れる音。

軽やかで耳に心地良くさえあるが、圧倒的に洗練された、鋭い音。

(……この、音……どこか、で……)

爽凉そうりょうとして、鮮やかな音。

人を惹きつける力さえ備えたその音に誘われるように、娘が、ゆっくりと瞼を上げる。

視界が開けた瞬間、夜空に「グオオオォッ!?」と火竜の断末魔が轟いた。

朽ちた拝殿は愚か、この大社跡という狩場全体を震わせるような声。

その声が響くのと、どすん、と激しい重低音が大地を、朽ちた拝殿を縦に揺らすのは、ほぼ同時だった。

「ッ……!?」

声無き悲鳴をあげながら、撃たれたようにまた屋外を確認した娘は、それが火竜の墜落した音だと理解する。

鉄の刃が、ひゅっと空気を切る音がした後、かちん、とそれが収められる音がして、続くように降りてきたのは、耳が痛くなるほどの静寂。

気付けば、何一つ、風の音さえ聞こえなくなっていた。

あれほど圧倒的だった火竜の命の音は、もう、この世に聞こえない。

一閃をもって空の王者を制した強者ツワモノが、近くにいる。
武器を使うということは、獣ではない、間違いなく人だ。

一呼吸置いてから、さく、さく、と朽ちた拝殿の中に、足音が近寄って来る。

音は、的確に娘の隠れている柱の影まで歩み寄ると、顔から何かを取り外し、それを腰裏に収めてから、ゆらりと彼女の前に立った。

「ああ、捜したよ愛弟子! 生きていてくれて、本当に良かったっ……!」

夜闇から降り注ぐ声に、娘の心臓が強く、大きく、どくんと震えた。
小さく目を見開いた彼女は、凍りついたように動けなくなってしまう。

曇天が、晴れたのだろうか。

いつの間にか朽ちた拝殿の中にも、月明かりが光芒こうぼうとなって射し込み、娘の前に立つ人物を、淡く蒼を帯びた白光が照らし始めていた。

「──ウ、ツシ……教官……!」

囁くように娘が名を呼ぶと、彼女の前に立つ彼女の師、ウツシは「遅くなってごめんね」と、申し訳なさそうに眉を下げた。

間違えようのない聞き慣れた声と、見慣れた表情。
娘は目の前に広がる景色が、偽物でも幻でもないと確信する。

たちまち胸が温かく、切ない気持ちで溢れた瞬間、突然、先ほどまで全く気にならなかった腕の傷口が、ずくずくと疼き始めた。

挫いた足の鈍痛まで感じられるようになっている。

痛みと安堵で動けず、彼女は朽ちた柱に背を預けて座ったまま、ウツシを見上げて口をぱくつかせた。

「き、教官……! 教官が、どう、して、ここに……?」
「討伐依頼のあった大社跡のリオレウスが、規格外の大物と分かってね。キミは確か、リオレウスの狩猟は初めてだったろう? それで心配になって様子を見に来たんだ、間に合って良かったよ」
「そう……だったん、ですか……

月光の中で柔らかに微笑むウツシから目を伏し、娘が小さく息を吐く。
それは自分自身の未熟に向けられた苛立ちと、ウツシに迷惑をかけたという罪悪感のため息。

「こんなことになってしまって……不甲斐ない、情けない弟子で、ごめんなさい」
「馬鹿なことを言っちゃいけないよ、愛弟子」

躊躇いなく、諭すような低声で告げたウツシは娘の前に跪き、凛と彼女を真っ直ぐ見つめる。

その金色こんじきの双眸には、愛弟子への深い想いと、その無事に安堵する七色の光が揺れて潤んでいたのだが、彼から視線を外してしまっていた娘には見えなかった。

……愛弟子、よく頑張ったね。俺の教えたことを忘れずに知恵を働かせ、諦めずに生き延びようとしてくれた。それは誰にでもできることじゃない、勇気を伴うことだからね」

ちらりと、娘がまたウツシを見やる。

彼は目を柔らかに細め、とても優しく微笑んでいて。

「恐ろしかっただろうに……勇気を出せて偉かったよ、愛弟子。下手に動き回らず、相手の特性を考えて、空から姿を隠せる場所を選んだその判断は正しい、花丸だ。素晴らしいよ、本当によく頑張ったね……!」

息を吐き出しながら語り、心から安堵したように微笑むウツシが、ゆらりと手を伸ばす。

彼の手は、そのまま娘の頭を優しく撫でていった。

その感触に、彼女の胸は先ほどとは違う意味で、どきんと高鳴って。
緊張の糸が完全に緩み、目頭が熱くなっていくのを感じながら、その熱が安らぎと想いの雫となって零れ落ちないように、唇を結んで必死に耐えた。

(……願い……叶ったんだ……!)

また、ウツシの顔を見て彼の名を呼ぶこと。
彼に見つめられながら、愛弟子、と呼んでもらうこと。

他愛のない願いなのに、その願いがすぐに叶ったことが、娘は自分の心も体も弾け飛んでしまいそうなほど、とても嬉しかった。

喜びと共に、どんなに無様でも逃げ延びて、気持ちが折れかけても諦めずに生きようとして本当に良かったと、ようやく胸を撫で下ろす。

今にも泣きそうな彼女の頭を撫でている間も、ウツシは彼女の怪我の状態を観察していた。
腕の傷はもちろん、足を挫いていることにも彼は既に気付いている。

……痛かったろう。本当に、頑張ったね……! 俺がついてるから、もう安心してね」

穏やかに囁きながら、ウツシは跪いたままぐるりと半回転して、娘に自分の背中を差し出した。

「さあ、おいで。早くキャンプに戻って、ちゃんと手当てをしようね」
「え、え………………

差し出された背中を、娘がぱち、と目を瞬かせて見つめる。

とても広くて、頼もしい背中。

先ほどまで火竜と戦い、瞬く間にそれを討ったとは思えないほど、返り血もない綺麗な背中。

熟練したハンターであるほど、討伐時の返り血は浴びなくなると、娘はウツシから教わっていた。

血のニオイは飢えたモンスターを新たに呼び寄せてしまうので、浴びずに済むなら一番良いと。
だが、それはとても難しいことだと。

真新しい傷も血もない今の彼の状態こそ、彼がどれほどの実力を持った強者かを暗に証明していた。

「ん? 愛弟子? どうしたの、おいでよ。足も怪我してるんだろう? 遠慮しないで、ほら」

早く早く、と急かすように背を揺らし始めたウツシの後ろ姿が、娘の目にはとても愛おしく、懐かしく見えて。

「じゃあ……えっと、その……し、失礼、します……!」

地面に両手をついた娘は怪我をした足を庇いながら、ゆっくりと立ち上がる。

ぐらりとバランスを崩しそうになりながら、ウツシの背中に沈むようにしがみついた。

娘がしがみついても全く揺れることなく、ウツシは両腕を後ろに回して「立つよー?」と尋ね告げる。

娘が了解の意思を示す意味で、ウツシの背に更に身をよじらせてしがみつくと、彼女の両足をそれぞれ両腕で抱えながら、彼は静かに立ち上がった。

「モンスターの気配が近くにないうちは、ゆっくり行くね。もう大丈夫だから、寝てていいよ?」
「そ、そんなことしません……!」
「別に、いいのになぁ。寝た方が怪我は治るしね」

娘をおんぶしたウツシは、ゆったりと歩を進めて朽ちた拝殿から外に出た。

娘が揺れた痛みに喘ぐことのないよう、集中して一歩ずつ、慎重に。

彼は背負った愛しい重さと柔らかさが、温もりを帯びていることに心から安堵しつつ、ふと、昔を懐かしんでいた。

彼女をおんぶすることは、初めてではない。

(昔なら、泣いちゃうほどの怪我をしてるのに……強くなったね、愛弟子……)

ウツシが背負う命の主は、彼が密かに、深い想いを寄せる最愛の人。

ギルドの急報に血の気が引く思いで弾丸のように里を飛び出し、全力で捜索して本当に良かったと、彼もまた、ようやく胸を撫で下ろしていた。

……。生きていてくれて……本当に、良かった……
……え?」
「ふふ……何でもないよ、愛弟子……

月明かりに見守られながら、ウツシは足音も静かにゆっくり、ゆっくりと、歩を進めて行く。

その背にしがみつく娘は、「ふふふ」と思わず吐息を漏らして、静かに瞼を下ろした。

この温もりも、この匂いも、幼い頃からずっとずっと、大好きなもの。

幼い頃に、転んだ時。
迷子になった時。
眠くなって我儘を言った時。
いつも、いつも助けてもらった背中。

──差し出されたあなたの背中の温もりは、あの頃と、何も変わっていない。

──この背中にいる時だけは、強く凛々しき焔のハンターではなくて。

──大好きなあなたを想い続ける、あの頃と同じ、ただの『私』になれる。


ここより安全で安らげる場所は、きっと、この世に存在しない。

幼い頃から思い続けてきたことを再度確信した娘は、ウツシの背中という彼女にとって極上の場所で、やがて静かに寝息を立て始めた。

「ふふ……良かった、愛弟子。安心しておやすみ……

娘が眠り始めたことを背中で感じながら、返事がないと分かっているのに微かな声で呼びかけ、ウツシはすっかり晴れ渡った夜空の涼月りょうげつを仰いだ。

「キミは……俺が守るよ。でも……キミは強いから、俺……そのうち、守られちゃうんだろうな……

もっと、もっと強くなろうと、ウツシが言葉なく、胸の奥で強く、誓いを新たにする。

最愛の人は、蕾が花開くように、その心も実力も強く、美しく成長し続けている。

ならばそれを守りたい自分も、研鑽けんさんを重ね続けなければと。

「──大好きだよ……愛弟子……!」

ふわりと抜けた夜風の中に、想いの言葉は溶けて、天へ昇っていく。

優しく輝く漢月かんげつだけが、誓いにも似たその言葉を聞き届けていた。


@acadine