氷紀
2024-08-18 23:56:19
8649文字
Public とある息子たちの話
 

その両腕にかかえるものは?

ゲ謎派生パラレルワールドの〓×6期の👹 『とある~』シリーズの続き。
どれだけ力があったとしても、全てを守れるわけじゃない。

 食べるものを買いに出るのは、だいたい昼過ぎから夕方だ。
 そのひとの行きつけのコンビニは、歩いて行ける範囲に数カ所ある。その店にしかないカップラーメンやら弁当やらが食べたいと言いながら、その実、僕の気分転換になるように、前行ったのとは違う店を選んでくれているのは分かってた。そのひとは何も言わないし、僕も聞かないけど、その無言の気遣いが少し嬉しい。

 その日、買い物に出たのは、太陽が西の地平に近づいて、はっきりと赤くなった頃だ。表通りはいつもより人が多くて、そのひとははぐれないようにと、僕の手をしっかり握ってくれている。今の僕は、妖怪アンテナがほとんど使えないから――探れる距離と精度はあまり変わっていないけど、人混みで使うとめまいと吐き気に襲われるような状態だ。
 といっても、仮にはぐれたところで、僕がそのひとを探すのはそんなに難しくない。黒いTシャツとジーンズと革靴はともかく、黄色と黒の縞模様のパーカーは遠くからでも見つけやすいし、何よりも、片目を隠した白い髪が、本当によく目立つから。
 でも、逆は難しいかもしれない。僕の格好はいつもの学童服じゃなくて、そのひとが揃えてくれた、どこかの量販店の一式だ。人混みの中に紛れてしまったら、いくらそのひとが妖怪アンテナで気配を探れるといっても、子供の体格の一人を捜し当てるのは、結構手間のかかることになる。

 飛んできたばかりの頃は、僕の霊力が弱りすぎていて、人混みに出るだけで気分が悪くなっていた。その頃に比べれば、今はだいぶ回復している。なのにそのひとは、未だに街を歩くとき、僕たちを囲むように霊力の壁を張り巡らせる。街に紛れている悪意の霊体や妖怪に、ちょっかいを出されるのを防ぐ為だ。だから目立たないよう、ごく薄く、だけど。

 そこまでしなくても、と思う気持ちが半分。
 その想いが嬉しい、と感じる気持ちがもう半分。

 握ったその人の手からは、甘くて苦い煙草の匂いがする。水木さんの腕に抱かれていた頃の感覚が、勝手に甦ってきた。僕が一番安心していられた頃。水木さんと形は違うけど、そのひとも僕を守ろうと思ってくれている。こちらの世界で過ごす、ほんのひとときの間だけだけど――元の世界では絶対に望めないものが、今だけは。

 そのひとが暮らすアパートから、表通りをゆっくり歩いて二十分くらいの距離。そのひとの目当ては、駅前のコンビニにだけ売っているドライフルーツだった。レジのすぐ側の棚に提げられている、小さなパックの群れ。ぱっと見て分かったのは、リンゴ、レモン、オレンジ、桃。……元の世界でもきっと、似たようなものは売っているだろう。
「このシリーズの、旨いんだよナ。お前はどれがいい?」
「うーん……じゃあ、桃で」
「僕はリンゴにしよ」
 緑色の買い物かごに、果物のパッケージが二つ並んで入れられる。それから店内を回って、今夜の分と明日の朝の分、食べるものをあれこれ相談しながら選んで――レジに向かおうとした瞬間、商品の補充にやってきた店員と、そのひとの視線がかちあった。
「いらっしゃ……あ、田中」
「おお、久しぶり」
 店員は、INOUEという名札を付けた、二十代半ばくらいの男だ。ぎりぎり茶髪と言える色の髪を短く切りそろえていて、耳には金色のピアスが二つずつ。やぶにらみの目が、不意打ちの出会いに驚いたという風に、軽く見開かれている。
 僕も驚いた、店員がそのひとのことを『田中』と呼んだことに。でもそのひとは別段驚く風でもなく、店員の言葉に応じる。
「井上、バイト変えてたんだナ。あっちの店は?」
「時間合わなくなっちゃってな、一応籍は残してるんだけど。田中は?」
「俺は相変わらずフラフラしてるヨ。前の現場でがっつり稼いだし、しばらくぼーっとしてようかと」
 そのひとの声が、俺、というのを初めて聞いた気がした。普段外ではこんな感じ、なのかもしれない。井上という名らしき店員も、違和感を覚えた様子はない。
「へー、いいじゃん。……つかお前妹いたの?」
「いやこいつ男だって。髪長いからまァ、そう見えるかもだけどナ」
 いきなり店員の視線が僕に向けられて、思わず固まる。反応を選びかねているうちに、そのひとが僕の手を握り直して、引き寄せた。
「井上にはいつだったか、ちょっと話したっけ? うち、親と本当にいろいろあってサ。……今、俺ンとこに一時避難って感じで預かってんの」
 そのひとは、少し影のある苦笑と、少しだけ不自然な明るい声音を作った。それに、言ってることも嘘ではないが、絶妙に相手を誤解させるように言葉を並べていた。……と、僕には分かったけど、店員に気づいた風はない。
「どうも」
 僕はギリギリ聞こえるくらいの小さい声で呟いて、一秒だけその店員の顔を見たあと、視線を外して軽くうつむいた。少しだけ右半身を引いて――どう見えるか、計算しながら。空いた片手でズボンを軽く掴むのも忘れない。
 店員は一瞬だけ、動きを止めた。どうやら狙いは当たったらしい。
……ああ、そういや前、そんなこと言ってたっけ。大変だな、田中も」
 聞こえてきた店員の声音は、軽い同情と深い思いやりに満ちていた。……何一つ嘘は言ってない、嘘は。
「それ会計? 今ちょっとセルフレジがイカれてるから、こっち」
「うん。頼むわ」
 そのひとは迷いなく買い物かごを差し出した。井上という店員は、それ以上は何も言わずに受け取り、そのひとも探るようなことはしなかった。特に何事もなく会計を終えて、そのひとと店員は、またな、おう頑張れよ、と挨拶を交わした。

 二つに分けてもらった買い物袋をそれぞれ一つずつ持ちながら、僕はレジ前の会話を思い返した。真実を話したところで信じてもらえる訳もない、だったら……という都合が、いくつも重なった会話だった。一番気になったことを、問いかける。
「普段は、田中って名乗ってるんですか?」
「うん。フルネームは田中ゲタ吉ってことにしてる」
「ゲタ吉、……怪しまれませんか、いくらなんでも」
「場所によるんだナーこれが。……そういうのは気にしない、って奴が集まる場所を選ぶんだヨ。人間の街の中で僕みたいなのが暮らすなら、そういう場所が一番、居心地いいからサ」
 街の雑踏に紛れて、二人だけの会話を交わす。誰も僕たちを気に留める様子はない。僕の手をそっと握る指先の温度も、全く変わらない。
「アルバイトとか、してる……いや、してた、んですよね。でも……
「今は貯金あるからネ、気が向いたときだけ、短期のとこ渡り歩いてるんだヨ。さっきの井上って奴も同じクチで、よく現場が被るんだ」
 僕が来てからは、ずっと一緒にいる。つまり外で働く時間なんかあるわけがない――短期で渡り歩いているなら、今は応募していないってことだろう。今更だけど、お金は大丈夫なんだろうか。僕の内心を読んだように、そのひとは答えてくれた。
「実際、それで充分だからサ。あのアパート家賃安いし、食費やら何やらも、人間の一人暮らしほどはかからない。それに、最低限食べるのと、必要な服とか靴とか以外で、僕が欲しいものなんて……お金で買えるのは、煙草とライターくらいだ」
 今日買った品の中にも、紺色の箱の煙草はきっちり入っている。そのひとが、最低でも一日一本だけは吸っているその煙草。こちらの世界でも、コンビニでごく普通に買えるところを見ると、目が飛び出るほどの高級品ってわけではないんだろう。ただ、僕の世界よりも、売っている煙草の種類はずっと少ないみたいだった。
……煙草だけは、ネ」
「うん」
 手を握り返して、頷く。お義父さんの煙草。
 本当の意味が分かるのは、きっと僕だけだ。