あさかわ
2024-07-29 15:22:44
2571文字
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甘える二人

二人きりの時だけお互いに甘える鬼水



鬼太郎の場合

「こら、離れなさい」
 読み終わった新聞で水木が鬼太郎の頭を軽く叩く。土が付いた亜麻色の髪の毛が左右にさらさらゆれる。
「やです」
 鬼太郎は水木の背中にもたれかかったまま動こうとしない。頬を水木の背中にくっつけて、両手を腰に回し、脇息で寛ぐような格好のままじっとしている。両目とも前髪の下に隠れて表情を伺い知ることは出来ない。

 朝方水木の元にやって来た鬼太郎は土まみれでところどころ血が滲む有様だった。開いたばかりの新聞を放り出して、すぐにでも湯船に突っ込んで手当をしてやりたかったが、そうするより先に鬼太郎が抱き着いた。
「おい、」
「少しだけ」
 もとより鬼太郎は大声を出す性質ではない。引っぺがそうと頭に触れれば目玉の姿はなく、震える喉と一度たりともこちらを見ない様子から、相当に参っているのだと察してしまう。
「少しだけ休ませてくれないか……こうしていれば大丈夫になるから」
 自分に言い聞かせるように言葉をこぼすので、水木は眉間に深い皺を刻んだまま捲りかけの朝刊に戻る羽目になった。水木はいまだに離れようとしない鬼太郎の手に自分の手を重ねた。赤ん坊の頃より大分大きくなったが、大人というにはまだ足りない。

 こんな手でいっぺんに引き受けて、こんな足で一歩も引かないで踏ん張っているのだ。人間と妖怪の仲立ちなどやめてしまえ。お前が構う事ではない。水木は養い親の立場の頃から何度言ったか分からない。鬼太郎はちっとも言うことを聞かずに面倒ごとを引き受け続ける。まれに鬼太郎のおかげで助かったのだと言う人間やら妖怪に会うと、水木は何も言えなくなった。根比べで負けたのだ。その後もう一つの根比べにも負けて、鬼太郎の連れ合いという席にも収まることになった。全戦全敗だとへべれけの目玉が馬鹿にしてきた時は、表に出ろやと息巻いて洗濯ネットに入れた目玉を軒先に吊るした。

「おい、」
 水木の呼びかけに鬼太郎は腰に回した手に力を入れた。激流を堪えているような喉を引きつらせる音に何があったと聞くことはしなかった。

 ――これが手前のガキなら、無理やりにでも引っぺがして洗いざらい吐かせるものを

 親の立場であれば慰めて抱きしめてやれる。しかし、ここに目玉がいない。親には見せられぬ甘えを鬼太郎が自分に見せるのならそれに応えてやりたい。心の中で悪態をつきながら水木は鬼太郎の手を握る。励ましもねぎらいも今の鬼太郎には不要だ。爪に土が入り込んでいて、手の甲には擦り傷がいくつも残っている。致命傷ではないが痛いだろう。鬼太郎は水木にくっ付いたまま痛み一つも嗚咽の一つも漏らさないように堪えて、もう一度立ち上がる力にしようとしている。どうか、何も言わずに側に居て欲しいと、不器用な甘えをみせる伴侶をどうして押しのけることが出来るだろうか。
 結局水木は何も言わず、手を握ってやるほかないのだ。

「昼……出前取るぞ。何がいい」
 水木の言葉に鬼太郎の肩がピクリと揺れる。腰に回っていた手が解かれて離れて行く。水木が振り返ると普段を変わらない、なんてことのない顔を取り戻した鬼太郎が言った。
「ラーメンがいいです。餃子二皿付けてください」
「食い意地が張ってんなあ」
「育ち盛りですから……すみません、お風呂借りますね。徹夜で疲れてしまって」
 そういって立ち上がると、鬼太郎は水木に笑いかけて風呂場に向かう。すらりと伸びた背筋。しっかりとした足取り。憐憫など受け付けませんと平素と変わらぬ声音。
 水木はゆっくりと立ち上がると、片付けた布団を広げ始める。風呂から上がったらそのまま昼まで眠ればいい。
 元通りとは行かないだろう。傷が塞がって、痕が残って、それでも進むと決めた男だ。
「まったく、俺は出来た旦那様だよ。我ながら感心するね」
 自画自賛した水木は掛け布団をばさりと広げて苦笑いした。