夜之 夢
2023-07-17 22:35:52
17542文字
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お題「幽霊とかが視える/聞こえるけれど悪影響がないアズールと、幽霊は見えない/聞こえないけど悪影響があるジェイド」

いただいていたお題「幽霊とかが視える/聞こえるけれど悪影響がないアズールと、幽霊は見えない/聞こえないけど悪影響があるジェイドの話」を半年以上こねくり回して出来上がったもの…のダイジェスト…みたいなものです。全部書こうとすると終わりがなかったので、何卒ご容赦を…ご容赦いただきたく…。すみません…。




 久しぶりに会った友人は、待ち合わせ場所だったカフェに現れたアズールを見るなり、あんぐりと口を開いて固まった。その手に持たれていたカップが落とされなかったのが幸いだ。見開かれた両目から、スレートグレーの瞳が今にも溢れ落ちてしまいそうだった。
 そうしてその友人――リドル・ローズハートは、アズールと、その隣に立つ少年を交互に見て、震える手を抑えるようにしてカップをソーサーに戻し、よろよろと席から立ち上がって、はくはくと口を動かした。
「き、きみ……
 会うのは1年ぶりだろうか。けれど何をそんなに驚くことがあるのだろう、とアズールは不安になる。
 確かにリドルがこの少年を――アズールの隣に立っている少年を見るのは今日が初めてのことだが、リドルには事前に『助手を連れて行く』とは連絡していたし、リドルもそれを了承していた。助手について詳しく説明はしなかったが、頭の良いリドルのことだ、あれこれ言わずとも、少年を見れば『その子が助手?』と理解しそうなものなのに。
 アズールがそんな事を考えている内に、リドルはやはり愕然とした様子のまま、少年を見下ろし、アズールを見上げ、そうして、震える唇を動かして、掠れた声を発した。
「ア、アズール、きみ、……いつの間に子供を作ったんだい」
 今度はアズールが愕然とする番だった。
 なるほど、リドルがこうも驚くわけである。
「違います!」
 咄嗟に声を大きくさせれば、隣に立つ子供がわずかにびくりと肩を震わせた。

   ※

 とりあえずはと大人2人と子供1人でテーブルについて、アズールは隣の子供をそれとなく促した。
「ジェイド・リーチです。……アズールの……アズール・アーシェングロットさんの、弟子、けん、助手、を、しています」
 教えたばかりの挨拶を、子供は、辿々しくもきちんと言ってのけた。
 それを見てリドルが溜息を吐き出したところで、給仕の一人がテーブルに近づき、まだ頼んでもいなかったはずのコーヒー、それから、スコーンのセットを持ってくる。リドルが視線で示したことによりコーヒーはアズールの前に置かれ、スコーンがのったプレートは、リドルが直に受け取った。そうして去っていく給仕の後ろ姿を見やり、スコーンのセットをプレートごとアズール側に寄越しながら、リドルはむすりとした表情で口を開いた。
「僕も悪かったとは思うけど……それにしたって、説明が不足しすぎてる」
 言葉と共に、プレートはアズールの隣に座るジェイドの前に置かれ、コトリと置かれたそれを見つめて、子供は瞬きをした。ぱちぱちと音がしそうな瞬きだ。
「すまない、ケーキの方が良かったかな」
 リドルが不安そうにアズールへと振り向いたので、アズールは首を横に振ってやる。
「いえ、初めて見たものなので、驚いているだけだと思います」
「スコーンが? 初めて?」
「ええ、おそらくは。こういったものは、僕があまり買いませんから……
 アズールの言葉にリドルは「えぇっ」と声をあげ、それからジェイドへと振り向いた。
「キミ、ちゃんと食べさせてもらっているの?」
 問いかけはジェイドに向かってのものだったが、それにはアズールが答えた。
「当たり前ですよ! 人聞きの悪いことを言わないでください」
「だって、このくらいの歳の子どもがスコーンを食べたことが無いだなんて……まさか、自分の食生活をそのままこの子にも押し付けてるんじゃないだろうね?」
 ウッと出そうになった呻きを飲み込み、アズールは答えた。
「菓子類を与えることくらいあります!」
「本当かい? キミは元々食生活がいい加減だったし……悪気は無かったとしても、自分の仕事につき合わせて食事抜き、だなんてさせていないだろうね」
 ほら、僕たちの仕事は三食まともにとれることの方が珍しいし、とリドルは言う。アズールは眉をつり上げてそれに反論した。
「確かに僕自身は食事を抜く事がありますが、そういった時でもこの子には何かしら食べさせていますよ!」
「ふぅん」
 嘘は言っていないというのに、リドルからの信用はゼロだ。この友人からすれば『この歳の子どもがクリームティーを知らなかった』というだけで信じられない事なのだろう。それについて弁解することも考えたが、アズールはそれをしなかった。弁解するにはこの子供の複雑な生い立ちを話さなければならなかったし、それに、確かに、この子供にまだクリームティーを教えられていなかったのは、アズールの落ち度でもある。
「まあ、とりあえず、どうぞ」
 アズールがあれこれと考えている内にも、リドルはもう子供へと意識を向け直したらしかった。皿をもう少しジェイドの方へと押し、手のひらでそれを示した。
「ここのスコーンはボクのお気に入りでね。焼き立てを頼んだから、まだ温かいはずだよ。冷めてもいけないから、さあどうぞ」
 そう言ったリドルは、一拍を置いてから少し眉尻を下げた。「食べ方はわかるかい」少し困ったように微笑む、その姿がアズールよりも余程『保護者』らしい。
 だがジェイドは何を思ったのか、リドルではなく、そろりと隣席を――アズールを見上げ、アズールの反応を窺った。その視線を受けとめて、アズールはジェイドに振り向いてやる。けれどそこで何と言うべきなのかを、少し迷った。
 何です、と返すのは酷だろう。食べていいよと促すのも変な話だ。リドルさんに食べ方を教えてもらいなさい、と言うのも少し違う気がした。もちろん、食べるな、なんて言う気はアズールに無い。
 言葉と反応に悩んだアズールの様子を見てか、状況を無理やりに打破したのはリドルだった。
「じゃあ、ボクが教えよう」
 きっと今後、必要になってくることでもあるからね。そう言ったリドルは、おそらく今のやり取りで、アズールとこの子供の間にある奇妙で繊細な関係性を察したに違いない。「まずはね、とりあえずスコーンを手に持って。そう、熱くないかな。うん、大丈夫そうだね。親切なお店だと、本当に『焼き立て』を出してくれることもあるから、火傷をしないように気をつけて。そうしたらこれをね、割って、上半分と下半分にするんだ。えぇと、こっちのスコーンを、ボクが触ってもいいかな。……ありがとう。こうやってね、割るんだよ。うん、そう……
「そうしたらこのクリームとジャムを思いっきり、好きなだけ塗って。順番はどちらでも良いけれど、ボクはジャムの上からクリームを塗る方が好きかな。このあたりは好みだよ。あぁ、クリームもジャムも、そんなに遠慮しなくていい。こういうのはね、やりすぎな程に塗るものなんだ。大丈夫、クリームもジャムもおかわりが出来るよ。キミの隣にいる人は、カロリーが、なんて言ってこういうものを食べないだろう。それを悪いとは言わないけれど、これはよく出されるお茶菓子だから、食べ方は知っておくべきだよ。うん、そう、それでいい。あとはかぶりついて。喉に詰まらせないようにね。それにね、紅茶がよく合うんだ」
 リドルの指導を受けながら、子供は、ようやっと人生初の、クリームとジャムたっぷりのスコーンにかぶりつく。まだ小さなその口の端から、ぽろぽろと欠片がこぼれたことに目を瞑ることにして、アズールは自分のコーヒーカップを持ち上げた。ミルクもシュガーも入れていないそれを一口飲み込み、ソーサーの上へと戻す。
 ちらと窺い見た隣では、子供が人生初のスコーンに目を真ん丸にさせながら、懸命に口を動かしているところだった。
「口に合うかな」
 おそらく口の中は小麦粉とクリームとジャムで塞がっているのだろう。もごもごと咀嚼をしながらも子供はコクンと大きく頷き、その反応にリドルはやっと、柔らかく微笑んだ。
 子供を慈しむように見つめたその視線が、ひたと冷静な気配を纏ってアズールへと向けられる。
「それで、アズール。……どういう事なんだい」
 後でボクの納得がいく説明してもらうよ、と凄んで、国内で名を馳せているエクソシストは自らのティーカップを持ち上げた。
 
「元は教会から引き取ったんです」
 数メートル先、公園の芝生の上で一人遊びをさせているジェイドを眺めながら、アズールは言葉を切り出した。
 結局、先程のカフェではジェイドの話をしなかったが――アズールはそこで話をする気で来ていたというのに、リドルが『当事者である子供が目の前にいる状況で話をするだなんて!』と怒りだしたものだから、お茶だけを楽しんで、近くの公園に場所を移したのだ――この状況では店で話し出そうが、ここで話そうが、変わらない気もした。
 植物園を兼ねているこの公園はとにかく無駄に広く、園内にある芝生は巨大な絨毯のように広がっている。その上で、初夏の、穏やかな午後の日差しを浴びながら、ジェイドはしゃがみこんで熱心に芝生を見つめている。何か虫でもいるのだろう。静かな子供なので、突然走り出したり目が離せないということはないが、一人遊びが上手というわけでもない子供だな、とアズールは思った。
 あるいは、と思ったところで、隣に立つリドルが口を開いた。
「教会か。孤児だから、という理由ではないんだろう」
「ええ。僕はそもそもその教会に『呼ばれて』行きましたから」
「依頼があったんだね。悪魔祓い? ゴースト?」
「僕は一応ゴーストハンターのつもりでいるんですが」
「でもキミはよく悪魔を引き当てるだろう。それでいまだにボクとも親交がある」
 あっさりと言われ、アズールは溜息を吐いたのち、リドルを振り向いた。
「本当にどうしてなのか……
 こればかりはアズールも疲れた気持ちになってくる。アズールはそれなりに名の知られたゴーストハンターだが、「ゴースト駆除に」と呼ばれた先に行ってみれば、ゴーストではなく悪魔の仕業だった、という事が度々あって、それはもう片手で数えきれない程になってしまった。その度にアズールはリドルに連絡を取るはめになって、リドルとは今ではすっかり協力関係だ。リドルはリドルで、政府に勤務しながらエクソシストとしても活躍しているのだが――詳細は聞けないままだが、公にされていない部署にてエクソシストがいるのだという――リドルの部署には悪魔祓いの依頼などそれほど来ないというし、全くもって納得がいかなかった。
「アズール、まさかキミこそ悪魔じゃないだろうね?」
 リドルのそれが下手くそなジョークだという事は察せられたが、応じる気力もなくて、アズールは溜息と共に首を横に振った。
「とにかく……2ヶ月ほど前、僕はとある教会に呼ばれて……ジェイドは、その教会で保護されていた子供です。そこで色々あって、教会の同意を得たうえで僕が引き取りました」
「教会が『保護』? 孤児として養育していた、というのではなく?」
「あの子供は……ジェイドは孤児ですが、ただの孤児ではなかった。具体的に何が悪いのか、僕でもまだわからないままですが……どうしてか、あの子はゴーストだの悪魔だのを引き寄せるんです」
「何だって?」
 弾かれるようにリドルが振り返り、アズールも視線だけでリドルを見た。
「教会では、あの子の面倒を見ていたシスターが2人死んだ後で……だからこそ、僕が呼ばれたというわけです」
 遠く、日差しの中で緑の絨毯に座っている小さな背中を見つめながら、アズールは声を潜めて告げる。それを聞いたリドルが眉間に皺を寄せ「でも、」と口を開いた。
「それは、あの子が原因だと確かな証拠があったの?」
「あの子供が何か手を下したわけではない。それは教会側も理解していました。ただ、……
 ただ、手に負えなかった。
 アズールがぼそりと告げれば、リドルはますますその表情を険しくさせた。
「突然死したシスター2人は、どちらも死因らしい死因がなく、おそらくは突然の心臓の異常による死、としか言えませんでした。ジェイドが何かしたわけではない。もちろん、シスターが倒れたその時も、ジェイドは他の子供達と一緒にいて、しかもそれを別のシスター達が確認している。アリバイとしても完璧です。繰り返しますが、ジェイドが直接何かをしたわけではないんです」
「それはそうだろう」
 そんなこと説明しなくても大丈夫だよ、とリドルは簡単に言ってのけ、アズールは一瞬、リドルのその反応に戸惑ってしまう。「えぇと、」と言葉を考えている内に、リドルが片眉をはね上げながら言葉を重ねた。
「キミの今日までの苦労が窺えた気がするよ。ただ、ボクはエクソシストだ。それを忘れてもらっては困るね。少なくとも、人ならざる悪しきものがどんな害をなすのか、どんな風に害をなすのか、それについてはキミよりも知っているつもりだけれど」
……ええ、そうですね……
 ああ、そうだった――。とアズールが安堵のような、呆気にとられたような気分を味わっている内に、リドルは「それで?」と問いを重ねた。
「どうして、その原因がジェイドにある、とわかったんだい」
「死んだシスターは2人とも、死ぬ1ヶ月前ほどから『夜な夜な、何か恐ろしい、人ならざるものの声が囁いてくる』と。……『あの子供を寄越せ、ジェイド・リーチを差し出せ』と、そう言われるのだと周囲に漏らしていました。もちろんその話は最初、周囲にまともに受け取られもしなかった。亡くなった一人目のシスター自身すら『馬鹿馬鹿しい悪夢だ』と気にしないようにしていたそうです。ただそれが……次第に狂い始めた。シスターは連日悪夢にうなされ、次第に窓の外や物陰、夜の闇の中に恐ろしい異形の姿を見始めた。それが本当に『居た』のか、あるいは不眠による幻覚だったのかはもはや誰にもわかりません。ただ、それでも……それでも心優しいシスターは、あの子供を手放さなかった。むしろ『何か悪いものがこの子を連れて行こうとしている』と、それまで以上にあの子供に付いていたそうです」
 その結果が突然死だ。周囲は驚き、恐怖した。
 ただそれでも、その教会の者達は優しかったのだ。まともだった。それゆえに、2人目の犠牲者が出た。
「そのシスターの死後、別のシスターが孤児たちの面倒を見るようになり、そしてそのシスターもまた『何か恐ろしい声が、あのこを差し出せと言ってくる』と。彼女もまた、幻覚じみた『恐ろしいもの』を見間違えるようになったわけですが、被害者が既に1人出来ていたせいか、彼女の発症は比較的早かったそうです。教会としては、いよいよジェイドが気味悪くなり始め、そうするうちに2人目も突然死。そうなると手に負えなくなった……
「その時点で、エクソシストを呼ぼうという話にはならなかったの?」
「教会ですよ、教会。悪魔祓いの儀式など、もう5回は行われていた。最初はおまじない程度の軽いものから、3度目になるとかなり本格的なものまでしていたそうです。そのうえでの2人目の死者」
……なるほどね」
「リドルさん以外のエクソシストも一度は呼ばれていたそうです。それでも効き目がなく、悪魔でないなら何なのだ、となって、僕のもとへ依頼が」
 言いながら、アズールは少し前の、その時の記憶をなぞる。
 ――呼ばれ、訪れた教会にて、我々の手には負えないのです、と縋ってきた神父の手は震えていた。
『あの子に何が起きているのかわからない。けれどこのままでは、もう』
 もう、の先は聞かないようにして、アズールは「わかりました」と答えた。解決できるかどうかもわからなかったが、できる、と言い切った。その時の、神父の表情。あの時アズールは、彼にとって神だったに違いない。
「教会であの子の元へ案内された時、あの子は地下室で軟禁状態にありました」
「何だって……!」
 噛み付く勢いでリドルが振り返り、アズールはそれに視線を返す。
「教会側は『本当にこうするしか無かったのだ』と。事実だと思いますよ。実際、地下室は薄暗く、ジメジメとしていて、肌寒く、扉は固く封じられていましたが、けれどベッドと毛布、食事は提供されていましたし」
……でもだからって、そんな……
 厳しい環境で育てられたとは聞いているが、お育ち自体は良いリドルには想像も出来ないのだろう。途端におろおろとした様子になったリドルへと、アズールは呆気なく言ってやる「そんなものですよ」教会の対応だって、まだまともな方だ。最悪の環境だったなら、子供はもうころされていただろう。
 でも、でも、と呟くリドルへと、アズールは言葉は続けた。
「僕はその地下室で初めてあの子供を――ジェイドを見た。……一目見て驚きましたよ。これほどゴースト……幽霊に近い人間がいたのか、と」
 言いながら、アズールは自らの眼鏡に指先をかける。右のテンプルを持つようにしてそれを取れば、見えている景色は即座にぼやけ、遠くに子供の背中、そしてその周囲にちらつく、小さな光が見えた。
 それを認め、ああまた、とアズールは思う。慌てるほどのものではないが、ジェイドは公園というこの場所でさえ、既にいくつか『何か』を拾ってきたらしかった。
 無言で眼鏡をかけ直せば、それをちらりと見やったリドルが言う。
「目は相変わらずかい」
「ええ、まあ。……とにかく、ジェイドを初めて見たその時、僕は思わず眼鏡を取って確かめたほど、あの子は気配がゴーストに近かった。同時に、あの子供の周囲に群がるゴーストの気配もはっきりとわかりました。禍々しいものが三匹は居たと思います。地下室には幾つも教会式の結界が張ってありましたから、それらは地下室の中には入れないようでしたが。教会の判断も、おながち間違いではなかったという事ですね」
「それはまあ、良かったけれど……
「ただ、どうしてゴースト達があの子供に群がるのか、それはわかりませんでした。けれど理由はわからずとも、ゴースト達はしきりにあの子供にまとわりつこうとしている。おそらくシスターが聞いた『あの子供をよこせ』という言葉もゴーストの声だったんでしょう。ですが繰り返しますが、どうしてゴースト達があの子供を求めるのかは僕にもわからなかった」
「それでも引き取ったんだね」
……子供がゴーストを引き寄せている事、けれどその理由まではわからないことを教会に説明しましたが、教会の返答が『それならこの子供を他に売る』ということでしたから」
 リドルはそこでとうとう絶句したらしかった。少しの気まずさを覚えて、アズールはわざと露悪的に付け足す。
「それなら僕が引き取ってもいいでしょう」
……撒き餌だとでも言うつもりかい」
「ええ」
……あの子に言っていないだろうね?」
「言いませんよ。嘘も言いませんでしたけれどね。ジェイド自身がゴーストを……それも特に凶悪なゴーストを引き寄せる性質であること、そして僕はゴーストハンターをしていること。だから君に寄ってくるゴーストを祓えると、そういった事実は説明しましたが」
 論理的にものが考えられる歳になったなら、それはつまり、アズールはジェイドを自分の仕事のための撒き餌にしたのだ、と理解できるだろう。
 言外にそういった意味を込めて告げれば、リドルはひどく苦々しげにその顔を歪めた。
「ジェイドはおそらく賢い子供だ。それを理解するのはそう遠くない未来だよ」
「むしろそうなるよう願います。いつまでも子守はしていられない」
 アズールの返事を最後に、2人の間には沈黙が降り立った。初夏の、少しだけ冷たい風がふき、木々の枝を揺らし、新緑が光を煌めかせる。遠くで、芝生の上にしゃがみこんでいた子供が立ち上がった。伺うようにアズール達の方を見たので、アズールはそれに向かって手招きをする。
「ジェイド」
 名を呼べば、ジェイドは少し早足でアズール達の方へと向かってきた。
 その姿にリドルが微笑み、そうして視線をジェイドに向けたまま、アズールへと口を開く。
「どうして今日、僕を?」
「言ったじゃないですか。あの子を診てほしいんです」
「あの子の何を診ろというんだい。キミがそれだけわかっていて、キミがわからない事を、ボクがわかるとは思えないけど」
「理由ですよ。ゴースト達がジェイドに群がる理由。それだけは僕にわかりません。けれどそれだけは、リドルさんにわかるかと」
 アズールの言葉に、リドルは否定も肯定もせず黙り込んだ。
 ぱたぱたとこちらへ近づいてくる子供を受け止めるように見つめながら、ややあってリドルが答える。
……どうだろう。確かに、ゴーストだけが顕著に見えるキミと違って、ボクは悪魔憑きの探査なんかもするけれど……。結果は保証出来ないよ」
「構いません」
 許容範囲内なら、対価を支払ったって良い。
 そう付け加えれば、リドルは静かな表情でアズールを見上げた。
 けれどリドルが何を考えてアズールを見つめたのか、アズールにはわからない。ただ目の前にやって来た子供の、背中や肩のあたりの埃を払うふりをして、アズールはそこにまとわりつこうとしていた光たちを追い払った。

   ※

「結果から言うとね」
 本日二度目のお茶の用意をしながら、リドルはそう切り出した。
 数分前にリドルの『診断』を受け終わったジェイドは、1時間ほどの間に何があったのか、リドルに随分と懐いたらしい。リドルの自宅のキッチンにて、リドルの傍についてまわり、リドルが紅茶を淹れる手順を真剣に見つめている。
 アズールからすれば、何をまあ、そんなに――と呆れるような気持ちだ。
 アズールはジェイドを引き取ってから丸二日使ってジェイドに『慣れて』もらったというのに、それをこの友人は一時間ちょっとでやってみせた、その妬みなんかではない。断じて、ない。ファーストコンタクトでクリームとジャムたっぷりの茶菓子を与えられた、たったそれだけで気を許すジェイドに呆れている。それだけだ。
 ぶすりとした気持ちでそんな事を考えていれば、「聞いているのかい、アズール」とリドルが振り返ったので、アズールはぎこちなく頷き返した。
「え、ええ。聞いています。理由がわかったんですよね?」
「うん、まあ、理由については答えが出たんだ。これが正解だと証明する手段は無いけれど、正解に近いと自信は持てる」
 リドルはそう言ったところで、脚のあたりでほとんどピッタリとくっついているジェイドへと何事かを呼びかけたようだった。「危ないよ。とても熱いお湯を使うから、離れていて。お湯がかかると、火傷してしまうからね。お茶ならすぐ準備するから、アズールの所へお戻り」途切れ途切れにそんな言葉が聞こえてきて、ジェイドはそれにコクリと頷く。
 よし戻ってこい、とアズールは内心で身構えていたのだが、リドルの傍を離れたジェイドは、駆け戻ってくるでもなく、いやに落ち着いた歩調でアズールの近くへと戻ってきて、アズールから1メートル程離れた位置で立ち止まり、そこを自らの待機位置と定めたらしかった。なんでだよ、とアズールは言いたくなる。
 振り返りもしないせいで、リドルにはそれらが見えていないだろう。リドルは向かい合ったポットへときっかり人数分はかった熱湯を注ぎ、途端に華やかなフレーバーが周囲に広がった。
――それで、結果から言うとね、」
 ガラス製のポットをじっと見つめ、茶葉が開いていく様子を確認しながらも、リドルは言葉を紡ぎ直した。
「ジェイドには、魔力がある。魔法を使うための魔力が。アズールはそれに気付いていたかい?」
……?」
「やっぱり気付いていなかったんだね」
 まあ無理も無い、とリドルは言葉を続けた。
「今はまだとても微弱なものだし、一般的な魔法士が子供の魔力を測定するなんて滅多に無い事だから、気づかないのは無理も無い。ただ、ジェイドのそれはおそらく、きちんと学んでそれなりに訓練すれば、ボクやキミと同レベルの魔法士になれるんじゃないかな。そのくらいには安定した器が感じられたから」
「え……
 ゴーストや悪魔だのという話で始まると思っていたのに、思わぬところから衝撃を食らった気持ちだった。
 まさかそんな、魔力持ちだったなんて、とアズールはジェイドを見下ろすしかできない。ジェイドはジェイドで、アズールが何をそんなに驚いているのかわからないのだろう。戸惑った様子でアズールを見上げ、やや困ったように首を少し傾げた。
 2人が無言なのを妙に感じたのか、リドルはそこでやっとアズール達を振り返り「なに? どうしたの?」と訝しげに尋ねた。
「い、いえ……まさかジェイドが魔法士の卵だとは思わなかったものですから、驚いて……
「まあね。それで、話の続きだけれど……
「あ、ええ。はい」
 続き。そうだ続きだ。アズールは何も、ジェイドの魔力診断のためにリドルに会いにきたわけではない。ジェイドが何故こんなにゴーストに好かれてしまうのか、その理由を求めてやって来たのだ。そのことを思い出しアズールが頷くと、リドルは少し躊躇う素振りを見せた後、ジェイドを見つめ、そうして、言いにくそうに、けれどはっきりと言葉にした。
……彼はね、空っぽすぎるんだ」
「え……?」
「アズールも言っていただろう。ジェイドの気配の話」
 言われ、アズールは思い出す。今日した話だ。
 そうだ、ジェイドを初めて見た時、アズールも驚いたのだ。これほどゴーストに近い気配の人間がいたのか、と。
「あれはね、空っぽだからだよ。……魂、といえばいいのかな。今のジェイドは、それが希薄すぎる。……心が薄いんだよ。薄情とかそういう意味ではなくてね。魂が、薄い」
…………
「それが元からそうだったのか、何かをきっかけにそうなったのかまではボクにはわからない。でも、それが答えなんだろう」
……つまり……?」
 問いかけたのに、リドルはそこでアズールから視線を外し、ポットへと向き直った。そうしてカップを並べ、ティーストレーナー越しに紅茶を注いでいく。その作業が完了するまではリドルは何も言わず、そうして最後の一杯、最後の一滴を注ぎ切ったところで、リドルはポットを置き、ようやくアズールへと向き直った。
「考えてみるといい。魔力があって、魂が希薄な、若くて健康な『肉体』だよ。明確な悪意を持ったゴースト達にとっては、涎が出そうな程の『優良物件』だろうね、ジェイドは」
「、ぁ、……――――
 まさに絶句だった。
 決してそれを認めて受け入れたくはないのに、リドルが『正解だと自信を持てる』と言った理由がよくわかる。そう、それらの条件を全て揃えて見たならば、ジェイドという子供は、ゴースト――それも凶悪なゴースト達にとって――最高の人材でしかないのだ。
 魔力があるというのは、すなわち魔法を使える基盤があるということ。魂が希薄だというのは、ゴーストが乗っ取りやすいということ。子供の肉体は、これから育っていく若い肉体で、ジェイドは病弱でもない。
 たとえば。ジェイドの体を乗っ取ることが出来れば。ゴーストは新たな人生を得たも同然だ。生き返ったも同義。魔法も使えて、健康な体。最高な人材。
 ゾッとした怖気が背中を這い上がり、アズールは咄嗟にジェイドへと歩み寄り、しゃがむようにしてその体を抱き寄せた。「ここは大丈夫だよ」その様子を見たリドルが、アズールを宥めるように言う。ジェイドはわけもわかっていないのだろう、ただ呆然とした様子でぱちぱちと瞬きをして、アズールにされるがままになっている。
「だからね、アズール。キミがジェイドを引き取ったのは、おそらくジェイドにとって幸運で、そしてジェイドにとって最善の結果だった。……しばらくその子を守っておやり。そうでないと……
 そうでないと、の先を、リドルは言わなかった。
 ただ唐突にジェイドに向かって微笑みかけ「もう一度お茶にしよう。美味しいお菓子があるよ」と呼びかけた。
 アズールの腕の中で、ジェイドがきょとりとした表情で、それでも頷く。

   ※

「これからどうするんだい」
 ハイティーの後、ソファで寝落ちたジェイドの髪を撫で、リドルは静かにそう問いかけた。
 アズールは一瞬黙った後、それに答える。
……ジェイドは、このまま、僕が面倒を見ます」
「もちろんそれが一番良いとは思うけれど……ただ、いつまで、という問題は出てくるだろう」
……大丈夫です。方法は一つ、思いついています」
「本当に? どんな?」
 目を丸くさせたリドルを見つめ返し、アズールは少し息を吸う。
 覚悟を表明するつもりで、口を開いた。
……魂とは、心だと、僕は思っています。その2つは絶対的なイコールでなくとも、ダイレクトに繋がっている」
「え……あ、あぁ、うん、そうだね…………それは、同意するけれど……
――――つまり、空っぽなら、満たせばいい」
 丸くなっていたリドルの両目が、ますます見開かれる。スレートグレーの瞳がこぼれてしまいそうだった。
「彼の、ジェイドの、魂を……僕が、満たします」
 きっとこれは傲慢以外の何ものでもない。アズール自身がそう理解している。けれどアズールが思いつく策の中で、これしか取れなかった。ジェイドを、この幼く薄っぺらな子供を守る手段は、それしかなかった。
「充分な衣食住を与えて、魔法を教えて、ゴーストへの対処を教えながら、この子を満たしていきます。魂さえ――心さえ埋められたなら、ゴーストが入り込む余地は無くなるはずだ。それさえ出来て、あわよくば対処法が身についたなら、この子は何とか1人で生きていく事ができる。……そうさせてやりたい」
……それは……そうかもしれないけれど」
 ぎこちなく神妙な面持ちでそう応えたリドルは、しばらく黙り込み、そうして数秒経った後、きりりとした表情で顔をあげ、アズールを見つめた。
「うん、そうだね。そうしておやり」
 きっとそれが一番良いだろう。
 そう囁くように言って、リドルはそぅっとした手つきでジェイドの髪を撫でた。そうして、それきりにする。
 そのささやかな、なんでもないような行為こそが、リドルの信用の表れなのだろう。
 それを受け取って、アズールは付け足すように口を開いた。
――それから、人探しを」
「人探し?」
「ジェイドには、双子の兄弟がいるそうなんです」
 それはアズールがジェイドを引き取ってから1週間経った頃、ようやっと、ジェイドの口からぽつりと得た情報だ。おそらくこの話でリドルはまた驚くだろう、とアズールは予測し、アズールの予測通りに、リドルは両眉を上げた。
「それを先にお言いよ」
 リドルはまず文句を言ったが、それからふと何かに気付いたようだった。「あぁ、いや……」中途半端に言葉を濁して、そのから、言いにくそうに言葉をくくる。
「アズールが引き取った時点で孤児だった、ということは……生きているかどうかもわからないんだろうね」
「そういう話になります」
 アズールはそれを肯定する。「ただ、」肯定してから、言葉を繋いだ。
「ただ……ジェイドの話では、両親は事故死で、両親が他界した際にはまだ双子は共にいたそうです。しかし、孤児院に入れようにも、双子を同時に引き取れるような裕福な家庭は珍しい。2人一緒では結局貰い手など出ないだろうからと、2人はバラバラに、別々の孤児院へ引き取られたそうです。それが兄弟との別れだったと聞きました。……その後ジェイドは例の……ゴーストの問題がありましたから、孤児院から早々に教会へ。……つまりこの話を聞く限りでは、ジェイドの双子の兄弟はまだどこかで生きている可能性がある」
「なるほどね」
 そう言って頷いたリドルが、どこか遠くを眺めるように窓へと視線を向ける。
「双子の兄弟……。片割れ、とも言えるだろうね」
「ええ。もうどこに居るかもわからない片割れです。……ですが、ジェイドの……あの子供の意識はその片割れに向いている。話を聞く限りでは、ジェイドとその兄弟は随分と仲が良かったそうです。ずっと一緒にいて、何をするにも一緒だったと聞きました。その時にはジェイドの周りで悪いことも起きなかったそうで……もしかしたらその兄弟が、ゴースト達を遠ざけていたのかもしれません。いや、あるいは……両親を失い、片割れを失って魂を空っぽにさせたことによって、ゴースト達を引き寄せるようになったのかもしれない。……何にせよ、ジェイドの魂を満たすためにも、双子の兄弟は最後のピースになるでしょう。……探すしかない」
「探す気なの?」
「ええ」
……とんでもなく、時間も、手間もかかるよ」
……仕方ありません」
 幸いにもゴースト駆除の依頼はあちこちから飛んでくる。呼ばれる箇所へと向かいながら様々な土地を訪れて、あちこちでジェイドの兄弟の情報を探すこともできるだろう。
 そんなことを考えながらアズールが息を吐き出すと、リドルは自らの両腕を組んで苦笑した。
「驚いたよ……まさか君が、この子供にそれだけしてやるだなんて」
……責任です」
 アズールは答える。
「子を……人間をひとり、引き取った。その責任」
 それに、と加える。
「それに。この子供は……ジェイドは、確かに役に立ってはくれるのですから」
 だからこれは協力関係のようなものだ。アズールは自らにそう言い聞かせる。
 アズールはジェイドの衣食住を保証しながらジェイドを養育し、ジェイドはその性質でゴーストを引き寄せる撒き餌となる。そう、互いに差し出せるものを差し出しあった、利害の一致だ。
 そうでしかない。そうでしかあってはならない。
――いつか、この子が、1人で歩いて行けるようになるまで」
 きつく目を閉じ、自らに言い聞かすように、リドルに宣言するように、アズールは告げる。
 リドルは答えなかった。アズールは目を閉じていたので、リドルがどんな表情をしていたのかはわからない。知りたいとも思わなかった。
 しん、と静かになった部屋の中で、スゥスゥと子供の穏やかな寝息が聞こえている。