酒は百薬の長

MHRウ教×ハ♀。両片想い。
ウの母故人設定につきご注意。

長らくエルガドに滞在していた愛弟子が明日、ようやく戻ってくる。
そのことに興奮して眠れないウ教を、里長が飲みに誘った末に。



暗闇の彼方から、声がする。

人ではなく、朝の訪れを告げる鳥たちの会話。

鉛を頭と体に巻き付けられているような感覚に襲われながら、ウツシが、開けるのも億劫な重い瞼を、ゆっくりと上げていく。

…………………………?」

朝陽は、目を刺すように眩しい。

ずきん、と頭が痛んだのを感じながら、ウツシは起き上がることなく、仰向けに倒れたまま天井を見上げ、昨日のことを思い出そうとする。

だが、どんなに思い出そうしても頭が痛むだけで、記憶の一部はぽっかりと穴が空き、抜け落ちていた。

(……昨日は……里長と飲んで……。参ったな……飲み始めた頃の記憶しかない……思い、出せない……)

何か粗相そそうをしていなければ良いがと不安に思いながら、ウツシが顔を動かして周囲を確認する。

自分は畳の間の布団の上で、腹の上には乱れた毛布。
誰が着替えさせてくれたのか、碧色無地へきしょくむじの浴衣姿。

板の間ではオトモアイルーのデンコウ、ガルクのライゴウが寄り添って、まだ寝息を立てているのが見えた。

いつも通りの景色が見えたことに安堵し、ウツシが小さく息を吐いた刹那。

…………? この、匂い……

ふわりと鼻をくすぐる、土間の炊事場から漂う香り。

何事かと、ウツシはのっそりと上体を起こして顔を向ける。炊事場に立っていた背中を見た途端、どきん、と心臓が跳ね上がった。

朝陽を背負う、愛しい姿。

それが夢ではないことは、二日酔いの頭痛が告げている。

「──ま、な……弟子……?」

自分の予想以上にかすれた声が出たことに自分で驚きながら、ウツシは目を見開く。

彼の視界には、ゆらりと顔だけで振り返った娘の姿が、朝陽よりも煌めいて美しく見えて、突き刺してくるような頭痛が和らいだ。

「おはようございます、ウツシ教官。勝手に入ってしまってすみません」
……い、いいんだ……ごめん、起きるの遅くて……

慌てて、ウツシがゆらりと立ち上がる。

敷布団を踏みしめる足が一瞬ふらついたが、持ち前の体幹で何とか持ちこたえ、ふらふらと歩み寄って行く。

「いつ、里に? こんな朝早くから、帰って来るなんて……迎えに行けなくてごめんね、行きたかったな……
……。帰って来たのは、少し、前です」

一呼吸置いてから呟き、娘は顔の向きを炊事場のかまどに戻した。

目を伏して、鍋の中の味噌汁を、柿渋色かきしぶいろの木製のお玉で、ゆっくりと、かき回していく。

「里長にご挨拶に行ったら、昨日、あなたを酔い潰してしまったと聞いて。……それなら、朝ごはんに、あったかーいお味噌汁はどうかなあ、なんて……ごめんなさい、お節介だなとは思ったんですけど」
「そ、んなこと、あるわけないじゃないか!」

ふらりとかまちに立ったウツシの反射的な否定の声は、屋内にも、人の鼓膜にも高らかに響く。

娘が少し驚いたように体を震わせ、また顔だけで振り返った。

ウツシは自分の声で、和らいでいたはずの頭痛にまた襲われつつ「ご、ごめん……」と顔を伏せる。

「お、大きい声、出ちゃった……ごめんね。でも俺、本当に、その……! キミのしてくれることがお節介だとか、迷惑だとか、有り得ないから!」
「ふふ……大丈夫です。あなたの声には慣れてます」

嬉しそうに目を細め、娘がまた、味噌汁の鍋に視線を落とす。

やがて彼女は、竈近くの調理台にあった豆皿を片手に持ち、それにお玉で少しだけ味噌汁をよそうと、手際良く口元で傾けて味見を始める。

その間、ウツシがふらりと草履を履いて「何か手伝うよ」と娘の傍に歩み寄った直後、彼女は機敏に振り返って、ウツシに湯気立つ豆皿を差し出した。

「味見。どうですか?」
……いい、の?」
「あなたに食べてもらうんですよ?」

ぱち、と大きく目を瞬かせていたウツシだが、娘に「さあ」と更に豆皿を差し出され、何故か恐る恐る両手で受け取った。

温かな湯気と優しい香りに撫でられながら、豆皿を傾ける。

(──さっき、愛弟子も、これで味見してた……)

もしかしたらキミの味がするのかも、と初心うぶな少年のように心を踊らせるウツシの喉が、こくん、と微かに鳴り、滑っていく温かな味。

前日の酒によってもやに覆われていた思考が、全身に纏わりついていた鉛の感覚が、氷塊ひょうかいが昇華するかの如く溶けていく。

胸が安らぎ、温かな想いに満ちたウツシの口から、ほうっと吐息が零れ落ちた。

……おいし。……上手になったね、愛弟子」
「お口に合って良かったです、ちゃんと食べて下さいね」
「え? ダメだよ、キミも一緒に食べようよ。まだ食べてないんだろう? 朝ごはんは大切だから。ね?」

返却の意で豆皿を差し出しながら、真っ直ぐ見つめてくるウツシの金色の眼差し。

それに絡め取られながら、娘がふわりと、嬉しそうに目尻を下げて微笑む。

……ありがとう、ございます。じゃあ……ご一緒させて頂きますね」
「うん、うんっ! 良かったぁ! 愛弟子と朝ごはん、嬉しいなぁ!」

酒が残っているのかと思えるほど、素直に目元を蕩けさせた後、ウツシは娘の隣に立った。

竈の味噌汁の鍋の隣、美味しそうに蒸気を漏らしている羽釜を捉える。

「あ……お米も炊いてくれたんだ、ありがとう。おにぎりでも作ろうか!」
「いいですね、一緒にやります。ちょうどお味噌汁できましたから」
「ありがとう! 具材、梅干しならあったかなぁ……

記憶を辿りながらウツシは炊事場をうろつき、梅干しの入った小さなかめと塩、そして大皿を調理台に並べた。

その間に娘が大きめの椀に米を盛り、調理台まで運んでくる。

二人で並び立ちながら、一緒に「あちち」と言葉を零しつつ、両手でおにぎりを握る、幸せの時間。

ちらりと横目で娘を見やったウツシが、また手元の米に視線を戻す。

記憶の彼方、抜け落ちた記憶が、ぼんやりと淡く、滲むように見えそうで、見えない。
けれど、確かに思い出せることもあって。

……ねえ、愛弟子」
「はい」
「昨日、愛弟子が夢に出てきてくれたんだよ」
「!」

ぴくん、と微かに体を震わせて反応した娘の、おにぎりを握る手が、ぴたりと止まった。

それに気づいたウツシだが、何も問わない。慣れた手つきで手元の米を優しく三角に整形しながら「ふふっ」と自嘲気味に笑った。

「何か……俺、凄く、かっこ悪かったと思うんだけど。でも……キミは、とても優しく受け止めてくれた」
……。そう、なんですか」
「うん。……だから、ありがとう、愛弟子」

礼を言われた刹那、娘の胸が、どきん、と大きく高鳴ったが、その音がウツシに聞こえるはずもなく。

とく、とく、とく、と自分の心音が慌ただしくなっていくのを自覚しながら、彼女は「何がですか?」とあえて頓狂声とんきょうごえを出してみせた。

「私にお礼は、変ですよ? だって、夢、でしょう?」
「夢でも、言いたいんだよ。……少しびっくりしたけど、嬉しかった。起きたら本当に、キミが居てくれたから」

完成したおにぎりを大皿に乗せて、次のおにぎり作りに取り掛かりながら、ウツシが「えへへ」と幼子のように蕩けて笑う。

「一緒に、朝ごはんまで食べられるんだからね。俺……キミのおかげで、いつも、本当に幸せだよ」
……教官……あの」
「うん?」

今度はウツシが、おにぎりを作る手を止める。

彼が隣に立つ娘の方を見やると、彼女は綺麗に整った三角おにぎりを、優しく大皿に乗せた。

「私も、見ましたよ。ウツシ教官の夢」
……えっ? そ、そうなの……!?」
「一緒のお布団で寝る夢で。……何だか、懐かしくもあって、嬉しくて。すごく、幸せな夢でした」

朝陽が眩く照らす中、口角を上げながら娘が静かに告げた時、ウツシも「そうだったんだ」と応答しながら、作っていたおにぎりを大皿の上に乗せた。
調理台の椀の中に、もう米はない。

ゆらりと、ウツシが娘の方に顔を向けた。

その眼差しは、今の朝陽よりも柔らかく、澄み渡って、温かく。

「──ねえ、愛弟子……
「はい」
「朝ごはん食べたら……俺、キミに話したいことがあるんだ。……良い、かな?」

朝陽と調和するように輝き、大地に響くように深く、凛と響いたウツシの声。

その声を、想いの光をいっぱいに湛えた眼差しを浴びながら、娘はゆったりと顔を上げ「ふふふ」と幸せそうに笑って、真っ直ぐ彼と視線を絡める。

「奇遇ですね。私も、お話ししたいことがあるんです」

朝陽の中、顔を見合わせて、二人は穏やかに笑い合う。
まるで夢の続きのようだと思いながら、まだ言葉もないのに、通じ合えるという確信に満ちた希望に包まれた。

時の流れを告げるような、柔らかな花風が窓から流れ、二人を心地良く撫でていく。
夢から覚めた朝、新しい一日の始まりの光風こうふう

酒は百薬の長、と誰かが言っていたことを思い出しながら、ウツシが小さく、納得したように笑う。
長年の恋の病にも効くのなら、間違いではないのだろうと。


@acadine