酒は百薬の長

MHRウ教×ハ♀。両片想い。
ウの母故人設定につきご注意。

長らくエルガドに滞在していた愛弟子が明日、ようやく戻ってくる。
そのことに興奮して眠れないウ教を、里長が飲みに誘った末に。



こんなに深く心地良いのは久しぶりだと、ウツシは目を閉じたまま、暗闇の中を揺蕩っていた。

母の傍ら、揺りかごの中、約束された安全の元、ゆらゆらと揺れて、何も恐れず、ただ笑っていられた赤子の頃に似ている。


──いい子だねぇ、ウツシ。よしよし……


(……ああ…………かあ、さん……?)

数十年ぶりの温もり、心地良い懐かしい母の声。
暗闇の中で目を閉じたまま、ウツシがふわりと微笑む。

けれど、少しずつ声は遠ざかり、その笑顔は瞬く間に悲しみを帯びた。

(いやだ、かあさん、逝かないで──……!!)

呼び止めたい、姿が見たい。

その衝動に駆られているのに、ウツシは目を開けることも、声を出すことも、体を動かすこともできなかった。
できるのは、ただ目を閉じて、声もなく、動かず、闇を揺蕩うことだけ。


──ウツシ。本当の気持ちは、ちゃんと言葉にして伝えなきゃ、分からないよ。


耳に届いた母の言葉は、空音ソラネか、夢か。

ウツシは何も分からないまま、声はますます遠ざかる。


──伝えておけば良かった、って。そう思っても、遅いこともあるんだよ。


(分かってる、そんなこと……! 分かってるよ!!)

叫びたくても声が出ないというのは、こんなにも、全身が千切ちぎれそうなほどに、もどかしいものかと、闇を揺蕩いながら、ウツシは初めて知った。

伝えておけば良かったという後悔が、どれほど辛く、苦しく、心を切り刻むものか、彼は痛いほどに、誰よりもよく分かっている。

(だって俺は、あなたにも……今は、あの子にも──!)

閉じたままの目頭が炎のように熱くなったことを感じながら、ウツシは強く唇を噛み締める。

母の声の聞こえなくなった暗闇の、耳が痛むほどの静寂の中で、どく、どく、どく、と心臓が激しく脈打つ音が、自分の体の血が巡る音だけが聞こえた。

あの子、と胸の奥で呟いた途端に脳裏に過ぎった、密かに想いを焦がれ続ける最愛の人、可愛い愛弟子の姿。

(──愛弟子、会いたいよ……! キミに会いたい……早く、会いたい! 会いたいよぉ!)

幼子のように、また胸の奥で叫んだウツシの目尻から、痛切なほどの想いの雫が熱く、はらはらと零れ落ちる。


──……教官?


暗闇の奥から響く、澄んだ余声よせい

ウツシの全身が、ぴくりと震えて反応した。

母の声とは全く異なる、とても、とても愛おしい声に、体が何とか動こうともがき始める。


──珍しいですね、ウツシ教官……


また、声がして、温かい気配を、傍らに感じて。

その全てを見たいがあまり、涙に濡れたウツシの瞼が、はっと勢い良く開かれる。

…………

先程の声の主が、微かに驚声きょうせいを漏らした。

その声を聞きながら、ウツシは自分は仰向けに寝ていたのだと自覚する。

彼の開かれた景色はまだ暗く、蒼を帯びた月明かりの白光が、柔らかに射し込んでいた。

ウツシにとっては見慣れた我が家の天井の景色を背に、彼の顔を覗き込んでいるのは、彼が待ち焦がれていた最愛の人。

密かに、情熱的に想いを募らせ続けている、愛弟子である娘。


『本当の気持ちは、ちゃんと、伝えなきゃ──……


先ほどまで聞こえていた母の声が、ウツシの脳裏で閃光のように弾ける。

彼は涙が止まった金色の双眸を、今宵の月のように見開き、ぱち、と一度だけ、大きく瞬きをした。

(──まだ、暗い…………。だから……これは……)

ぼんやりとかすみがかったウツシの思考が導き出したのは、夢、という結論。

その途端、彼は眉を下げて切なげに、嬉しそうに、瞳に揺らめく光をたたえ、弾かれたように両腕を伸ばして強く娘を抱きしめた。

「愛弟子ッ……! 愛弟子、愛弟子! 嬉しい……! 嬉しいよぉ……! 夢に出てきてくれるなんてッ……!」
「き、きょう、かんッ……!?」

もだもだと動いて逃れようとする娘を離すまいと、ウツシは更に彼女を強く抱きしめた。

ずっとずっと待ち焦がれていた柔らかさ、温かさは、どこまでも彼の心を安堵させる。

これほどの心地良さはやはり夢だと確信したウツシの双眸からは、また、はらはらと熱い涙が、光糸こうしのように溢れた。

「愛弟子、俺ね。俺、早く、キミに会いたくて。怪我してないかとか、お腹空いてないかとか、いじめられてないかとか、確かめたくて。俺、キミの力を誰よりも信じているけど、本当、に、キミが、心配で、ッ……!」
……教、官……?」

ふと、娘が抵抗を止めた。

自分を抱きしめるウツシが言葉の末尾でしゃくりあげ、ひどく震えていることに気付いてしまったから。

涙を流し続けたまま、ウツシは娘を抱きしめ続け、滾々こんこんと込み上げる想いをそのまま、言の葉に乗せていく。

「愛弟子。俺、本当は凄く……凄く寂しいよ。怖いよ。キミを、見送る度に、キミが、いなくなってしまうんじゃないかって。キミが、誰かと一緒に、仲良く里に帰ってきて、恋人ができたんです、なんて、言われたりしないだろうかって」
……ウツシ教官……泣いて、るんですか……?」

切なげに囁きながら、娘が、そっとウツシの頭を包み込むように抱きしめる。

震えていた彼の体はほんの少し鎮まったが、溢れる涙はまだ止まらない。

「俺、キミのことが、本当に、大切で。本当は、ずっと、キミのいちばん近くにいたい。……でも俺は、ウツシにぃにだから。教官、だから。いつも寂しいの我慢して、気を付けて頑張ってほしくて、寂しいけれど笑って見送ってるんだ。キミを縛るのは、違うから。キミの意思を、大切にしたいから……!」
……わたしも。あなたに会えないのは、寂しい、です」
「ほんと? ほんとに? 嬉しい、嬉しいよぉ……! 俺、キミのためなら、何も惜しくない。俺にできることなら、何でもするよ。だから、だから。お願いだから、無理を、しないで……! つらい時は、ちゃんと教えて……俺を、頼って……! キミは、キミだけは……絶対に、失いたくない……! 俺が俺でいられるのは、キミがいてくれるからだ。俺……俺は、ずっとずっと、キミ……をッ……!」

相変わらずしゃくりあげながら、せきを切ったように言葉を溢れさせるウツシの腕の中で、娘は微かに、また「わたしも」と告げたのだが、その声は彼の耳には届いていない。

ウツシは涙を拭うこともなく、娘を抱きしめ続けながら不意に「ふふ」と、自嘲気味に口角を上げた。

……ごめんね、俺、かっこ悪いね。夢で良かったなあ。明日、目が覚めたら……キミが、帰って来たら。ちゃんと、伝えるんだ…………キミに……

高ぶった心を鎮め、落ち着きを取り戻そうとするように、ウツシが「ふー……」と深く、一度だけ息を吐く。

娘はされるがまま、彼に身を委ねなから、その頭を優しく撫でている。

その表情は月明かりの中でも分かるほど赤く、瞳は歓喜の光に潤んでいたが、強く彼女を抱きしめ続けるウツシがそれに気付くことはない。

娘の、ハンターとして武器を握っているはずの柔らかな小さな手で、規則的に、優しく髪を梳くように撫でられる感覚は、ウツシにはあまりにも心地好かった。

次第に涙を止めながら、彼は目尻を下げて、とろりと眠そうに微笑む。

「きもちいい……愛弟子……ねえ……ずっと……ずっと……いっ、しょ………………

ゆっくりと瞼を閉じながら、ウツシがまた、緩やかに、意識を彼方へ手放していく。

直前、彼は『愛弟子』ではなく、ぽつりと微声で娘の名前を呼んだのだが、それは言葉にならなかった。

静かな寝息を立てるウツシの頬には涙の痕が残っていたが、その表情は霧が晴れたように澄爽としたもの。

そんな彼の腕の中で、もぞりと、娘が動く。

「──教官……ずるいな……わたしだって、ずっと……寂しくて……。伝えたら……変わるかもしれないのが、怖くて……でも……

腕に囚われたままだが、やっと少し動けるうになった娘はウツシの頭から両手を解いた。

一度言葉を止めて、月明かりよりも優しく、静かに微笑む。
瞳の中には、今にも零れ落ちそうな星の光が溢れていた。

「ふふ……これは、夢……。夢、ですよ……

ウツシの顔を間近に見つめながら、娘が小さく笑う。

その笑顔を作る柔らかに細められた瞳からは、先ほどの彼と同じく、熱く、澄んだ涙が細く流れていて。

……夢、ですから。……私、も……

柔らかに微笑んだ娘が、ゆっくりとウツシに顔を近付ける。

彼女は濡れた瞳を閉じ、自分の唇で、そっとウツシの唇に触れた。

その触れ方は、触れたのか触れなかったのか、当人たちでさえ曖昧になるほどで。

……私も、ずるいですね……ごめんなさい……。目が覚めたら……明日……私も、あなたに……

酒の味しかしなかったことに安堵しながら、娘はウツシに抱きしめられ、彼の熱に包まれたまま、ゆっくりと目を閉じる。

(無理して、夜に帰って来て……良かった……)

ずっと、ずっと密かに想いを寄せ続けているウツシに、一刻も早く会いたくて。

夜に着き、彼の家を訪れるか迷っていた時、ちょうどフゲンと鉢合わせた彼女は、彼から事情を聞いて家を訪れた。

お節介だと思いつつ、風邪を引かないように寝ているかどうか、心配になったから。

──というのは、建前たてまえで。

「おやすみなさい……ウツシ教官……

柔らかに囁いた娘の澄声すみごえは、静かに、夢現ゆめうつつの月明かりの中へと溶けていった。

@acadine