岬菊花
2024-06-29 00:26:06
6785文字
Public
 

神様は興味がない

香華夜行第一イベント。さなえの話。
※オリジナルの不思議あり。



むかし、むかし。どこからかやってきた人間がいました。その人間は、どうやら子供の姿になってしまって、その前の記憶も朧気で、わんわん泣いてばかりでした。
「ここはどこ?どうして知らない人しかいないの?どこにいけばかえれるの?」
記憶はあるはずなのに、ここにいる理由がわからないと、泣いてばかりです。これでは可哀想だと、他の街を経由して正しい場所に連れていかないか。あれこれ提案が出ましたが、子供の姿のせいか、泣いてばかりのその人間は、その場から動けませんでした。ひたすら、どこにいけばいいのと言っているのです。

そこでこの街の旅館を経営している、猫の妖怪に手を引かれました。猫の尻尾を見せれば、子供だろうと人間だろうと、ぴたりと泣き止んで可愛いと思うものです。だから猫の妖怪は、尻尾と耳を揺らしながら提案したのです。

「暫くうちで面倒を見よう。落ち着いたら好きなようにしたらいい、どこにでも行ってもいいし、働き続けてもいい」
猫の妖怪の、暖かい手に笑顔をもらった人間は、たくさんの妖怪に囲まれながら旅館で働き始めました。分からないことも、できないこともたくさんありました。仲の悪いモノもいましたが、それよりもみんな優しかったので、人間はすぐにたくさん働いて輪の中に入ることができました。

駄目なことも、この街の生き方も知って、暫くした時のことです。相変わらず人間は、どうしてここにいるのかは覚えていませんが、それより前はうんと大人で、背ももっと高くて、色んな人と顔を合わせて生きていたことを記憶しながら、楽しく妖怪たちと暮らしていました。帰りたいと思っていても、帰りたい家が上手に思い出せないまま、この街の家で上塗りされても、それでもいいやと思えるくらいには充実しています。
いつも通りに働いて、買い足しの御使いを頼まれて外に出ました。いつも通り、従業員用の下駄箱から、いつも通り自分の足に合う靴を選んで外に出ました。

でもその日は、お客様専用の下駄箱やロッカーの一部が使えなかったのです。だから一部は、緊急として従業員用の場所にしまっていました。人間もそのことは知っていました、この街のモノたちはそんな嘘を言ったり隠したりなんてしません。だから、本当に、いつも通りにして、うっかりしてしまっただけだったのです。

『万が一間違えて他人の物を履いてしまったら、すぐに教えるように』
それは、この旅館の決まりでした。勿論人間も知っていることです。
『もしそのまま帰ると、誰も貴方のことを覚えていないかもしれない』
聞いて、とても怖い事だったから、よく知っている決まりでした。怖い、怖いと、思い出せない記憶を持つから強く思っていたことです。
『忘れられるから』
忘れられたくなんて、ないに決まってるじゃないですか。でも人間は、決まりも今日の連絡事項も覚えていたのに、うっかり確認を忘れてしまったのです。


そのせいで唯一生きていられたこの街の人々から、忘れられてしまいました。気づいた頃には、誰も人間のことを知らないでいました。なんでとまた泣いてしまいましたが、もう一度困った表情をさせてしまうばかりで、名前なんて呼ばれることはありません。
人間は、子供の姿ですが、中身はちゃんと成長した大人です。もうこの身体にも慣れてしまったからこそ、今度はわんわんと泣けませんでした。何より自分のうっかりが招いたことだと気付いてしまっては、恨むこともできないのです。
「う゛ぅ、うぅ゛~~......ッひ、ひっぐ、ふ、う゛ぅ゛......」
俯いていても、嗚咽は周りに聞こえてしまいます。肩を揺らさないように気を付けても、自然と喉の奥を締めた振動が走って目に見える形になってしまいます。
優しいと知っている妖怪たちが、不思議なものを見るように、可哀想だと思いながらこちらを見る姿が、初めてじゃないからこそ悲しくて辛くて仕方がありませんでした。
『迷い込んだ人間』なんて、この街ではすぐに広まります。旅館で働いているのですから、一層周りから知られていて当然で、だからこそその誰もが自分を忘れているという事実をどこに行っても突きつけられて、また泣いてしまうのです。


その人間がどこに行ったのかもわからなくなったくらい後になって、旅館の庭園にある彼岸花から嗚咽が聞こえることがある、という話が広がりました。妖怪も神も幽霊もやってくるこの街のことなので、その人間との関係性を考えるものなどいません。何より、皆の記憶から消えて、ほんの一瞬だけ街の中を泣き歩いている子供のことなんて、碌に覚えているモノなんていなくてもおかしいことではありません。

こうして、皆から忘れられ、自分がこの街に迷い込んだ理由も自分の記憶になかった人間は、なにも残せないままになったのでした。