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柚子子
2022-06-22 22:00:41
10046文字
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犬飼中編シリーズ
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犬飼中編後日談 嫉妬と浮気の話
1
2
「犬飼くんの
……
というか、ボーダー隊員の彼女なんだから、このくらいは我慢するよ」
##name_1##がそう答えても、
「そういうことじゃなくてさ」
どういうわけだか、犬飼はなかなか引こうとしない。その頑なさに、
名前
は首を傾げる。一目見て分かるほどの笑顔のぎこちなさといい、今日の犬飼はなんだかおかしい。
(逆に、犬飼くんは何にそんなに嫌がっていてほしいんだろう
……
)
名前
から無理難題を吹っ掛けられて困るというのならば、まだ分かる。しかしこれだけ理解を示しても不服そうにされるのでは、
名前
もどうしていいか分からない。
訳が分からず困り果てる
名前
。今度は犬飼が溜息を吐く番だった。犬飼の口許はぎりぎり笑んでいるものの、眉尻はすっかり下がりきり、
名前
以上に困ったような顔をしている。
(理由は皆目不明だけど、私は犬飼くんのことを困らせてるらしい
……
)
ともかく、それだけは
名前
も察した。
しかし、このまま困り合っていても埒が明かない。##name_1##は犬飼の様子を窺いつつ、おそるおそる切り出した。
「ごめんね、あの、犬飼くんが言ってることが、ちょっとよく分かんないんだけど
……
?」
ボーダー隊員の彼女として、おそらく適切なふるまいをしているはずだという自負が、
名前
にはある。隊務規定に反することはしていないし、もちろん人倫と常識に
悖
もと
る行為もしていない。
困り顔同士を突き合わせる犬飼と
名前
。結果、折れたのは犬飼の方だった。
「こういうのをおれから聞くのは、結構なんというか忸怩たるものがあるんだけど
……
、
名前
ちゃんはおれがほかの女の子に言い寄られるって聞いて、少しもむかつかない?」
頬杖をつくのと反対の手の手のひらを
名前
の方にひらりと向ける犬飼。「どうなの?」と問いを重ねるようなその仕草に、
名前
はますます困惑した。
「
……
なんで、むかつくの?」
「うわ、ひどい」
「いや、ひどいとかじゃなくて。なんでそれで、気分を害することになるの? 恋人が人気者って、それは喜ぶべきところ
……
なのでは?」
本心から意味が分からず、##name_1##は眉間の皺を深めた。
たとえば嵐山隊の人気が増せば増すほど、同じボーダー所属として、
名前
はわがことのように誇らしい気分になる。嵐山隊の人気のためならば、裏方として汗を流すこともまったく苦ではない。実際、
名前
がしている仕事はそういう仕事だ。
「
名前
ちゃんが今考えてるその『人気』って、広報活動の
賜物
たまもの
的な人気でしょ」
「うん」
「分かった。
名前
ちゃんの頭の中から、いったん嵐山隊に下がってもらおう」
人気者と聞き
名前
が真っ先に連想したのが嵐山隊だと、犬飼にはしっかりバレていたらしい。犬飼は
名前
の脳内ステージに華々しく登場した嵐山隊に、無慈悲な強制撤退を命じた。
その命にしたがって
名前
は渋々、嵐山隊に舞台袖まで下がってもらう。頭の中では舞台袖にはけていく嵐山隊に向けて、万雷の拍手の音がわんわんと、いつまでも轟き続けた。
ありがとう、嵐山隊。ありがとう、あらじゅん。
「どう、嵐山さんたち下がった?
名前
ちゃん」
「うん、頭の中のちびっこたちに惜しまれながら
……
」
「ありがとう。じゃあ、嵐山さんじゃなくておれのこと考えてね」
そう言って、犬飼は
名前
の顔を覗き込む。最前までふざけていたわりに、犬飼の目は意外にも真剣そのものだった。
「
名前
ちゃんの言ってるスター的な『人気』じゃなくて、おれが言ってるのは、男が女の子に言い寄られるってこと。分かるよね? ちょっと目を瞑って、想像してみて」
「想像
……
」
「おれが可愛い女子に囲まれて、好きなタイプ聞かれたり、ご飯誘われたり、明らかにあやしげな恋愛相談されてるところを」
嵐山隊の去ったステージに、今度は犬飼と美女軍団を登場させる
名前
。身体の前後左右にぐるりと可愛らしい女子をはべらせた脳内犬飼は、しかしそれだけの状況にありながらも、いつもの薄ら笑いを浮かべているだけだ。
「どう?
名前
ちゃん、想像できた?」
「一応してみた、けど」
「嫌じゃない?」
「うぅーん
……
?」
「え、うそ。こんなに全然響かないことあるんだ」
想像を中断し、
名前
がぱちりと目蓋を開く。すると犬飼にしては珍しく、心底驚いた顔をして彼は
名前
を見つめていた。
どうやら、今の想像で
名前
に嫌な気分になってほしかったらしい。さすがに若干の申し訳なさを感じ、
名前
は己の想像力のなさを恥じた。とはいえ、うまく想像ができないものは仕方がない。犬飼の周りに女子がいるのは珍しいことではないし、犬飼が誰彼構わずでれでれした顔をしているところなど想像がつかない。
(犬飼くんが握手会で女子のファンと話しているところだったら、想像がつかないわけではないけど
……
)
その場合でも、犬飼にとってはあくまで職務時間内のことだ。職務時間内にでれでれするような隊員は、ボーダーにはいない。もっとも、後から舞台裏で盛り上がることはあるかもしれないが。
名前
はちらりと犬飼を見る。無言の犬飼は、露骨に不機嫌そうにはしていないまでも、やはり発する空気がいつもより重かった。
逡巡ののち、
名前
は尋ねた。
「あの、さっきの話だけど、たとえば犬飼くんだったら、」
「嫌だよ」
「う、即答」
皆まで言う前に返されて、
名前
は余計にばつが悪い思いをするはめになった。
名前
は「犬飼くんだったら、嫌な気分になる?」と聞くつもりだったのだ。そこで犬飼にも「いや? 案外そんなことないかも」とでも言ってもらえれば、多少は空気が軽くなるだろうと思ってのことだった。
しかし犬飼はここぞとばかりに、目を細めて
名前
をじっと凝視する。
「いや、そりゃ嫌でしょ。
名前
ちゃんがほかの男に色目使われてたら」
「色目
……
」
「おれの心が結構狭いの、
名前
ちゃん知らない?」
「
……
知ってる」
「正直者だ」
にやりと笑う犬飼。もちろん犬飼が影浦とのことを言っているのだろうことは、考えるまでもなく明らかだ。
未だ影浦隊と親しくしている
名前
としては、そのことを引き合いに出されてしまうと弱るほかない。仲良くするなとまでは言われていないが、犬飼が
名前
の交友関係を内心面白く思っていないことは知っている。知っているうえで、犬飼が容認しているうちは、
名前
も影浦隊との交流をやめるつもりはなかった。
逆に言えば、だから
名前
は犬飼の女友達にどうこう言う気はない。ボーダーという組織に所属している以上、そんなことにいちいち目くじらを立ててもいられない。
「まあ、
名前
ちゃんはたとえおれが女子に言い寄られてても妬いたりしないだろうなって、薄々分かってたけどね」
急にわざとらしく哀れっぽい声を出した犬飼に、
名前
は思索の世界から現実へ引き戻された。
「犬飼くん? なんか拗ねてる?」
「拗ねてないよ? ただ、おれの女の子をあんまり寄せ付けないようにする努力って、結局のところ自己満足だなって再認識しただけ」
「拗ねてるじゃん
……
」
(時々犬飼くんって面倒くさい
……
)
そんなことを思いつつ、
名前
は犬飼に向け言った。
「犬飼くんの交友関係というか、女性関係については、私はいいも嫌も特にないです」
「うわ、とどめを刺された」
「というかそもそも犬飼くんは、私と付き合ってるのにほかの女の子に気を取られるような、そういう不誠実なことしないでしょ」
違いますか? と迫る
名前
。犬飼は一度ぱちくりと瞬きをしたきり、黙りこんでしまった。その反応に、
名前
の背を嫌な汗が伝う。
「
……
え、するの? 浮気を?」
「しない」
「じゃあなんで犬飼くん、そんなびっくりした顔してるの
……
」
驚き、戸惑う犬飼の顔に、
名前
の方が逆に戸惑う。
犬飼が不誠実なことをしないだろうなんて、そんなのは
名前
にとっては当然の認識だ。そうでなければ、犬飼と付き合おうだなんて思ったりしない。
名前
にとっては誠実であることは、恋人に求める最低条件だ。
それなのに、なぜ犬飼が驚くのか。まさか不誠実なことをするつもりだったのか。ふだん巧みな話術で
名前
を惑わせるばかりの犬飼が黙りこくるなんて、逆にやましいところがありそうに見えてならない。
唐突に湧いてきたきた疑念に、
名前
がじーっと犬飼を見つめる。その視線に晒されて、犬飼はいつになくまごまごと弁明した。
「いや、だってなんかおれ、思ったより
名前
ちゃんから信用されてる? と、思って」
「私、付き合うときに、犬飼くんのこと信用するって言ったはずだけど
……
何を今さら
……
?」
「言われたけど」
「言ったことは守るよ」
今度こそ呆れた顔をして、
名前
は犬飼を眺めた。まさかこの期に及んで「思ったより信用されてる」などと言われるとは、まったく思いもしなかった。
(信用してない相手と付き合ったりしないのに)
付き合うまでに多少のいざこざを経てきたぶん、一度付き合うと決めた以上、
名前
はきちんと犬飼と向き合ってきたつもりだ。そのことに今さら驚かれると、
名前
の方が驚いてしまう。
「それに万が一ほかの女の子に気持ちが向くようなことがあったら、犬飼くんは先に私と別れてから、きれいな身体でその子と関係を持とうとすると思う」
「言い方」
「だから、犬飼くんが女性関係でもめるという想定はしていないです。ゆえに、嫌とかむかつくとか、そういうのもないです」
以上、と
名前
は話を畳んだ。たくさん話して乾いた喉を潤すため、かばんから水筒を取り出す。ごくごくとお茶を飲んでから、犬飼にも「飲む?」と尋ねた。犬飼は浅く頷いて、
名前
の水筒から少しだけお茶を飲んだ。
名前
に水筒を返し、ふうと息を吐く犬飼。先程までは混乱しきりの顔をしていたが、お茶を飲んだおかげか、表情が少し落ち着いたように見える。
名前
は内心、ほっと胸を撫でおろした。
「
名前
ちゃんの話聞いて、いろいろ納得したよね。おみそれしました」
「おみそれされるほどの話はしてないけどね
……
」
苦笑して、
名前
はかばんに水筒を戻した。おみそれされるようなことなど、本当に何もしていない。ただ、
名前
にとって当たり前だったことが、犬飼にとってはそうではなかった。それだけのことだ。
(前から犬飼くんの『好き』と私の『好き』は少し違う気がしてたから、まあ
……
)
犬飼はストレートに愛の言葉を伝えてくるが、その響きはどこか軽くて浮ついている。本心でないというわけではないのだろうが、それはやはり、
名前
が口にするのとはどこか違う響きを持った、愛の言葉なのだった。降るような愛の言葉を浴びせながらも、その言葉はどちらかといえば、
名前
に伝えるものというより、自分に言い聞かせるもののように聞こえる。
(というのはさすがに、私が疑いすぎなんだろうけれども)
ともかく、そうした『好き』の違いが、今回の浮気云々という話題につながったのはたしかだった。
(犬飼くんが私のことを大好きなんて、そんな勘違いはしない。でも、犬飼くんは浮気をするような人じゃない)
愛のほどを信じるのではなく、犬飼の人間性を信用している。愛は目減りすることがあるかもしれないが、人間性はそう簡単には変わらない。だから
名前
は、ふられることはあるかもしれないと思いつつ、浮気の心配はしていない。
翻って、犬飼はといえば。
「というかこの話、もしかしておれにブーメラン飛んでくる?」
名前
と同じことを考えていたのだろう。犬飼が、若干気まずげな笑みを浮かべた。
「
……
まあ、多少、そういうことになるかな」
「まじかー、あはは」
もしも
名前
のことを完全に信用しているのなら、
名前
が誰と話そうがどっしり構えていればいいはずだ。だが実際の犬飼は、案外そういうタイプではない。
はぁ、とひとつ、
名前
は溜息を吐き出す。
「犬飼くんって、全然私のこと信用してないなっていうのは、たしかに時々思うよ」
「そんなことは、」
「ないって言い切れる? 本当に? もしここで嘘つくと、私の信用を裏切ることになるわけですが」
じりじりとテーブルごしに迫る
名前
に、犬飼は観念したようにふっと笑いをもらした。
「
……
名前
ちゃんって、実は結構口が回るタイプだよね」
「まあ、仲良くなった相手にはね。仁礼さんとか」
「仲良くね。その仲いいリストに、カゲは入ってる?」
「やっぱり信用してない
……
!」
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