【化菫】無防備が過ぎる

王子様のキスでお姫様は目覚める(要約)なお話とおねが抱くクッションポジになりたいショタ(青年)のお話二本立て。化菫編。

無防備が過ぎる




 途切れる事のない目が回るほどの忙しさは御免被りたいが、嬉々として隣からカッコーの鳴き声が聞こえるのも考えものである。指摘しなければカッコーが鳴き続ける人の疎らな店内は、目当ての本をじっくり探すのに適していると云えよう。
店内にいる人数が少ない即ちレジに並ぶ人数は輪を掛けて少なくなり、お陰で出来た隙間時間でせっせとブックカバー折りが出来るというもの。今のうちにストックを貯めるのに越したことはない。
 「菫子さん」
 ブックカバー製作に精を出しつつ店内や客の動向にも意識を張り巡らせているので、少し間を開けた隣しかも自分の下の名前を親しみを込め呼ぶ声の主を横目で見遣る。
 兎角手元を見なくても染み付いた動作で折れるが、如何にも構って欲しそうな視線を投げ掛け微笑む化野に菫子は手を止め顔を向けた。
 「なんだい化野くん」
 客がいる前での談笑は控えるべきだ。もっともそれは客がいればの話である。いいのか悪いのかレジに客が来る気配は全くない。
 もしや何か分からない事に対し質問してきたのも無くもないが期待せずに菫子は化野の言葉を待った。
 化野もまたレジが暇な時にやる作業の一つとして特典を雑誌に挟み込み紐で括るのを仰々しく止め、他の者に唇の動きが見えぬよう手を添える仕草に疑念を抱きつつ菫子は彼の口元に顔もとい耳を寄せた。
 内緒で秘密のひそひそ話。わざとらしくひそめた声で喋る化野に菫子は半眼に閉じた目になったのは言うまでもない。

 「ここ、裏メニューありますか」

 無駄に真面目な声色で問い掛ける内容は、確かに喧騒から程遠い店内にはある意味ピッタリな内容。この場違いにも程がある相応しくない話にほとほと呆れ、店長や他の店員、本を買いに来たお客たちの耳に入らずに済んでよかったと思うばかり。だが、変に熟女や恵体やらを言う化野の事なので此方の反応を楽しんで問い掛けているに違いない。
 やや身を入れて聞いてしまった自分自身に向かって小さく溜息を吐いた菫子はブックカバー折りを再開した。
 「いかがわしい店なら駅向こうの歓楽街にあるぞ小僧」
 視線を丁寧に折り目を付ける手元から逸らす事無く適当にあしらうのも慣れたもの。指先に伝わる乾いた紙の質感にわざと意識を落とし込んだ。でなければ、ひそめた声のボリュームをやや上げ至極真面目な声のトーンで化野が喋りかけ続けてくる。
 「たとえばふかふか恵体の熟女が膝枕耳かきをしてくれるプランだとか」
 如何やら今日は一段と諦めが悪いようだ。話を切り上げても喋りかける化野に菫子は大仰に肩を上げ下げさせ溜息を吐き、店員にしか見えない角度でレジに置かれているデジタル時計に視線を落とす。
 タイミング良く数字が増える瞬間を見届け、作業で広げていたブックカバーの幼体と成体を振り分け片付けた。そして、店内にいる客の数と様子を窺う。とても残念な事に忙しいの”い”の字すらやって来ない気配に菫子は化野の後方をすり抜けるように歩を進める。
 「三番入りまーす」
 小休憩に入る意味合いを持つ隠語を他で作業している見えない店長や店員に向かって言ったのだった。
 心なしか背中に追い縋るような視線を感じるが、あえて気付かないフリをしてレジから出て行く。されど、後方から随分寂しげな声音で名前を呼ばれ菫子がつと振り返る。先程まで一緒にレジに入っていた化野が菫子と視線が合った途端に表情を綻ばせるので、それを無言で微笑み返したあと何の憂いもなく止めていた足を動かした。
 間髪置かず距離が離れ視界に入らなくともショックを受けている気配に思わず吹き出すのを堪えきれなかった。





 関係者以外立ち入り禁止区域ですれ違う人はおらず、客が少ないとは言え賑やかな店内に比べ物音や気配の少ないバックヤードは何処か切り取られた別の空間のよう。奥のロッカールーム兼休憩室に近付くにつれ、店内の喧騒が遠ざかっていく。
 「全く酷いですよ菫子さん。僕を置いて先に休憩に行くなんて」
 不貞腐れ気味にぼやいた化野の言葉は、廊下を歩く靴音に上書きされるくらい小さく、陽炎のように揺らめき消えていった。手に持ったコンビニ袋にはアイスコーヒーがふたつ仲良く座っては歩くのに合わせ水面をゆらゆらさせている。
 基本客の混み具合を見て取る小休憩だが、運よく菫子の後ろ姿を寂しげに目で追う化野を目撃した店長の計らいで化野は目出度く小休憩に入る事になった。遅れて休憩に入ったが然程時間に大差はない。菫子が以前所望していたコーヒーを携えた化野は、さてはてどんな感じで先に休憩に入った事を嘆こうかなどと楽しげに思考を巡らせている。
 知らず軽快になる足取りは、頭が他の事に没頭しようとも目的の場所へ迷わず辿り着く。マナーとして年季の入ったドアを数回ノックした後、既に中で休憩しているであろうドア向こうにいる菫子に向かって声を掛けながら化野がロッカールーム兼休憩室のドアノブを掴み開けた。
 「お休み中でしたか」
 ノックの返事が返って来ない時点で薄っすら察してはいた。ドアを後ろ手で静かに閉め、先程より静かに歩いていく。まさに抜き足差し足忍び足。もといスニーカーを履いているため、そこまで靴音に対して過敏にならなくてもいいが、折角気持ちよさそうに寝ている菫子の眠りを妨げたくはない。
 部屋の中心に置かれたテーブルに腕を枕に突っ伏して寝ている菫子の傍まで近付き、アイスコーヒーの入ったコンビニ袋をそっとテーブルの上に置いた化野はさり気なく菫子の隣の席に腰掛けた。
 そして、丁度化野の方を見るかたちで顔を傾けている菫子に向き合うように化野も片腕を枕に頭を乗せた。閉じていた瞼を開け現れた月は慈しみに満ち、愛おしさから三日月へと変わる。
 「また夜遅くまで執筆活動していたんですか」
 一際優しく語り掛ける化野の声音。何処か甘ささえ感じるそれは、菫子を多少身じろがせるばかりで覚醒には至らず、身じろいだお陰で菫子の頬をさらりさらりと茶髪が撫ぜ垂れ下がる。ふっくらとした艶やかな唇がうっかり髪の毛を反芻してしまう前に化野の指先が垂れ下がった髪をそっと菫子の形のよい耳に掛けた。
 髪を耳に掛けるため頬と耳を掠めた化野の指先が、確たる意思を持って耳の縁をなぞり指の背で触り心地のよい菫子の頬を数回撫で恨めし気に離れて行った。
 「菫子さんの寝顔は激レアですが、僕としてはあなたともっと話をしたいんですよ」
 椅子から浮いた腰。室内を照らす蛍光灯がジジッと鳴く声すら遮るように化野は菫子に覆い被さる。緩やかに下降する視線は一点から逸らされず、指の背で触っていた菫子の頬の柔さと温もりを今度は唇で味わった。
 名残惜しく離れた際に漏れた吐息は熱を孕み、意識せずとも自身の頬に宿る仄かな熱に化野は口を噤む。覆い被さるため付いていた手をテーブルから離し、もう起きても構わない勢いでコンビニ袋からアイスコーヒーのカップを菫子の近くに置き、化野は自分の分を取るなり彼女から距離を取った席に移動した。
 「(御伽話じゃあるまいし)」
 自虐的に胸中呟き透明な蓋を開けアイスコーヒーのカップを傾ける。体よく乾いていた喉を潤す甘くて苦い味。細かな氷同士がぶつかる涼し気な音が部屋に響いていた矢先、化野の目が寝ている菫子の違和感を捉えた。
 心なしか波打っている口元。太眉毛は顰められ、若干頬とは云わず耳まで赤い気がする。極めつけはぎこちなく寝返りを打ったのが決め手となり、化野は閉じていた口を開けた。
 「菫子さん起きていますよね」
 「……寝ている」
 「寝言にしてはやけにはっきりした返事だ」
 「……ぐぅ」
 「演技が雑過ぎるっ」
 完全に起きているのを確信した化野が勢いよく席を立ったのは言うまでもなく、顔を見られまいとうつ伏せになり徹底抗戦する菫子との攻防は休憩時間ギリギリまで続いた。