夜明 奈央
2024-05-06 13:07:44
2105文字
Public 中太SS
 

思い出の場所

大学の卒業式の話
院パロ(明日も、君といつまでも、君と)の世界線の過去
2023年3月8日初出

『煙草吸ってる』
 中也からの何の脈絡もないメッセージに気づいたのは、受信から三十分以上が経ってからだった。

 ◇◇◇

 昨日までの暖かさが嘘のように冷え込む日だった。太宰はここ1月程で急に出番の増えたスーツに袖を通した。普段はほとんど着やしないし、もう少しすればすぐまた着る機会なんてなくなる。スーツの下にはカーディガンを着込み、上にはコートも羽織っているが、刺すような寒さに身を縮こませる。どんよりと曇った空は、今にも雪が降り出しそうだった。
 今日は大学の学位記授与式――つまりは卒業式だった。
 そうは言っても、太宰自身には大した意味はない。院への進学が決まっていて、所属する予定の研究室も今と同じだ。明日からも、4月からだって変わらない生活が続く予定だった。同級生もほとんどが同じ道を辿る。
 だから、形式的なただの区切りだ。式の後には送別会などが控えていて、今日という日自体は特別な日だと言えるかもしれないが、それだけだった。

 式を終え、研究室の先輩方から形式的な祝いの言葉を掛けられるのをおざなりに受け取る。といっても太宰たち学部生の卒業なんてものは本当に形式的なもので、メインは修士・博士を終えてこの研究室を巣立っていく先輩方だ。
 太宰も送り出す側としてこの後開かれる予定の送別会までの時間を過ごしていた。時間を確認しようとふとスマートホンの画面に目をやって、メッセージの受信に気づく。内容に心当たりはない。けれど、なんとなく胸騒ぎがした。
「すみません、ちょっとお手洗いに」
 近くにいた先輩に一言かけて研究室を出る。向かう先は、一般教育棟の5階、屋外喫煙所。

「君、ゼミのメンバーとのお別れとかいいの?」
「あー? いいだろ、別に。どうせ送別会の後もっ回会うんだし」
 向かった先では、中也が1人、煙草を燻らせていた。お菓子の缶か何かで雑に作られた灰皿には、真新しい吸い殻がいくつも突っ込まれていた。全部中也が吸っている銘柄だ。おそらくメッセージを送ってからずっと、ここにいたのだろう。
 中也は太宰と同じように、就職活動の時期には毎日のように見ていたブラックスーツに身を包んでいる。最初の頃には七五三みたいだと思ったし、実際散々揶揄ってやったのだが、いつの間にか様になっていた。
「ここ、寒いでしょ」
「おー、さっみぃ」
 中也が座っているのは、申し訳程度に2つだけ設置されたパイプ椅子だ。その隣に座ろうとして、屋外で雨晒しになっている椅子の埃っぽさが気になって手で払った。ましになったのかすらわからなかったが、このまま立ち続けている気にもならなくて、腰を下ろす。
 煙草の先から立ち上る煙がゆらゆらと上へと昇っていくのを黙って眺めた。中也が煙草を咥えて、深く吸って、それからゆっくりと吐き出す。
 今日は、中也と会う約束はしていなかった。今日はお互い忙しいのだ。だからどちらも会おうとは言わなかった。
 中也は太宰と違って今日でここを卒業する。けれど、だからといって別れるつもりはなかった。本人とだってその話はしたし、そのために中也は引っ越さなくても通える場所に就職を決めた。中也の方は環境や生活スタイルが変わるから、今まで通りとはいかないかもしれないが、それでもいつだって会える距離だ。だから、感慨なんて別に、ないと思っていたのだけれど。
「俺は、ここ来るの最後だからな」
 中也がぽつりと呟いた。何本目かもわからない煙草は、徐々に短くなっている。
「私も、たぶん最後だよ」
 中也がちらりと視線だけをこちらに向けた。
「だって、私は吸わないし。わざわざこんな遠いところまで来ないよ」
「それもそうか」
 小さく笑って、また煙草を深く吸って、吐いた。それから灰皿に押し付けて火を消した。そのまま腰を浮かそうとするので、手で制した。
「ねぇ、せっかくだし、キスでもしとこうか」
「見られたらどうすんだよ」
「誰も来ないよ。知ってるでしょ」
 2人で何度もここに来た。大抵がくだらない話ばかりだったけれど、時々は進路とか、家族とか、真面目な話もした。キャンパスは広いが、誰にも見られずに2人っきりになれる場所は多くない。そのうち2人で会うのはどちらかの家に場所を移したけれど、全くなくなったわけではなかった。
 じっと見つめると、中也の手がそっと頸に回された。長時間寒空の中にいた中也の手は、ひんやりとしている。目を閉じると、なんだか恥ずかしくなるぐらい優しいキスをされた。
「卒業おめでとう」
「君も。おめでとう」
 改まってこんなことを言うなんて照れてしまう、と思っていたら、中也も同じだったのか、誤魔化すようにキスをされた。今度は舌が侵入してくる。ねっとりと絡めてやると唾液が溢れて、中也が口端をぺろりと舐めて離れていった。
「まっずい」
「手前が強請ったんだろうが」
 くすくすと笑うと、中也も釣られたように笑った。学内でのキスなんてほとんどしたことなかった。なのにこれが最後だと思うとなんだかもったいないような気がしてしまって、もう1度触れるだけのキスをした。


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